Neetel Inside ニートノベル
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わが地獄(仮)
今週のギーツ

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 ギーツの設定で、スポンサーが出てきたけれども、面白い設定だと思う。
 それぞれのライダーの背後に別々の思惑があって、ライダーはその思惑を担った代理戦争のような形になっている。今までにない形で、さすがゆうやだなと思う。
 ジーンなんかも、人のよさそうな顔をしながら、ギーツとバッファが争う様子を見て楽しんでいたり善の描写はされていない。善の可能性があるとすればカエルだけれども、それもまだ全容が明かされておらず面白い。
 ほかの世界であれば平均的な仮面ライダーの主役だったろうけーわが巻き込まれたクソゲーというのが、土台そもそも面白い。龍騎の真司もそういう一面はあったけれども。
 今回のパイナップル爆弾の話も、姉ちゃんが相変わらずちょっとまぬけな日常の象徴を担っていて、けーわが戦う理由を視聴者も思い出す形になっているのがいい。たぶんカエルは尊くて泣いてる。
 守りたい日常のために戦うけーわは、遡ればクウガの五代もそうだったように、守りたいものがハッキリしている。だからこそ、別々の思惑で戦う他のライダーがただのサブではなく、完全に敵対しているわけでもないという、不思議なベクトルの中にある。面白い。
 悪役っぽいベロバにサポートされることになったバッファも、完全な悪という立ち位置ではないし、視聴者は憎むこともできずどちらかというと「こいつ大丈夫か?」という目線で見ている。複雑な構図だ。
 悪魔と契約して人外の力を手に入れる。ロマンだね。鎧武のバロンとかが思い出されるけれども、そもそも仮面ライダーのテーマとして「敵の力を取り込む」というのがあるから、そういう意味では一番ライダーをしているのはバッファだ。めちゃくちゃ苦しんでいるが、これからどうなるのかまったく予想がつかない。謎だ。
 手が侵蝕されているのなんか見たら男の子はすぐ真似したくなる。俺だって雑草を手に巻き付けたい。橘さんレベルじゃなくバッファの体はボドボドである。
 
 何か書きたいことがあったんだけれども、いきなり本題に入るのもあれだから前置きを書こうとしていたら忘れた。記憶がすぐ飛ぶ。一瞬前と一瞬後の自分が接続されていない。生まれたり死んだりを繰り返している気がする。

 似鳥鶏の小説を読んでいる。柳瀬さんのやつ。
 ネタバレはやめてほしいんだが最新作の卒業したらうんたらを読んでる。相変わらず面白い。
 氷菓が売れてから学園ミステリはややうっすらとした勃興を見せたような気がしつつも無くなっていったような覚えがあるけれども、似鳥鶏の市立高校シリーズはその流れに乗ったんだか乗ってないんだかよくわからんまま走り続け、完結したのかどうかわからないけれども区切りになるだろうところまでは進んでいる。
 俺はハッキリ言って似鳥鶏のミステリ小説のミステリの部分はぜんぜんよくわからない。密室とか、アリバイとか、俺は昔から読んでも記憶できない。だから自分の小説でも室内の内装とか間取りとかの配置はほとんど記述していないと思う。いつもうすぼんやりと「大きな机」があるとかないとか、寝ぼけて目こすった時みたいなボヤけ方でしか風景はイメージしていない。これは昔からの特性で、おそらく俺には間取りをイメージする空間把握的な能力が欠如している。その代わりほかの能力に転化されたんだろうがそれがなんなのかは知らない。
 だからミステリ小説としては俺はよくわからないし、ミステリシーンになるとぶっちゃけほぼ飛ばし読みに近いことをしている。それで似鳥鶏の小説は面白いのかと聞かれれば面白いと答えるしかない。
 非常に解像度の高い描写をする作家で、情報量が多すぎて小説なのにTIPS(別記で文章の一部の用語やセリフに注釈をつけるやり方。『街』で発明された)をつけている。そういうのを抑えられないタイプなんだろうなと思う。普通ならこんなマイナーな知識は書いても読者の99割は理解できない、と削除する部分でも似鳥鶏は書く。たぶん自分でも一般受けするやり方じゃないのはわかっているはずだ。それでも書く。俺はそういう、抑えがきかないタイプが昔から好きだ。
 秋山瑞人によく似ている。うえお久光とは少し違う。あの二人はタイプは違えども熱量では匹敵するという稀有な作家だったけれども、似鳥鶏もあの系譜だと思う。自分が抑えられないタイプ。
 ギーツのゆうやなんかは、もっと冷静に抑えられない部分を手なづけながら戦うタイプだけども、似鳥鶏はそこまで冷静ではいられない。だから筆が載ってるときの描写は完成度が高すぎて再現ができない。一点モノの描写であって、そんな書き方をしたら後半でラクができなくなる。高解像度の文章に一度慣れたら、低解像度の文章がどんなものか理解してしまう。だから逃げられなくなる。
 俺はそれを避けるためにわざと平易な文章で展開とセリフで小回りを利かしたりしていた。高解像度を抑えずに突っ走ったのは多分『黄金の黒』が最後だと思う。『切札は不燃』では就労しながらの執筆だったのもあるけど明確に文章の濃度を抑えている。労働はどうしても文章の切れ味を劣化させる。現実は空想の役には立たない。少なくとも俺には。
 別に高解像度が正しいやり方だとは思わない。ただそれを止められないやつには書かせてやるべきだと思う。たとえ読者の99割が脱落するとしても。それでやめるようなら、普通にサラリーマンをすればいい。モンスター社員になれれば会社勤めも悪くはない。悩むのは経営者の仕事だ。

 似鳥鶏の市立高校シリーズのキャラだと柳瀬さんが俺は好きだ。年上で主人公をからかってくる多才な先輩。いいねえ~ってなるしスパチャしたくなる。小説にもスパチャ制度があればなあ。
 だけども似鳥鶏は他のキャラの解像度も高い。いつもビクビクしている秋野とか、親友のミノとか、アタマイカレの伊神先輩とか。ちなみにバリツが使える。いまどきバリツとか書いてわかるやつはいないだろうと思う。ミステリもこれから滅びていくんだろうけれども、そのなかであくまでミステリ作家として戦っている似鳥鶏を俺は尊敬している。たとえミステリ部分がよくわかんなくても。
 そう、なんで似鳥鶏の話をしようかと思ったかというと、似鳥鶏も分の悪い勝負をしながら、それをやめないからだ。ミステリはすでに伝統工芸のようになっているし、それ一本で戦うのは無理がある。読者もいない、つくるコスパも悪い。ネタが割れたらそれまで。仮に割れにくいネタを考え続けたとしても、読者は安逸なYou Tubeやなろうファンタジーやヤフー知恵袋に流れる。勝ち目なんかない。
 それでもやる、というのは、プライドなのか違うのか、俺にはわからない。ただ俺も、よくよく考えれば、人からしたらコスパが悪いことを繰り返してきた。
「もっとわかりやすく書け、ラノベ作家になりたいなら」と何度も言われてすべて拒否した。俺の場合は、商業作家として必要なすべての努力とすべての適正がなかった。だから作家になれなかったのは当然としても、それでも書いたのがなぜなのかわからない。
 分の悪い勝負だなんてことは骨身に滲みていたはずなのに。
 俺は似鳥鶏のようにやれない。まず俺にはああいう高解像度の知識や雑学、切り返しの技術がない。健忘症だからだ。自分の興味がない部分に一切視野をあてない心の狭さも俺にはある。だから俺と似鳥鶏はタイプが違う。しかしそれでも俺は似鳥鶏が好きだし面白いと感じる。
 柳瀬さんみたいなヒロインを書くことは俺には絶対にできない。だから羨ましくもあるし、自分の武器を使わないとな、と思う。
 正直言って、覚えている限り、俺が強いヒロインを書いたのは嶋あやめが最初で最後だったと思う。以後、俺はほとんどの場合でシマを書くのに失敗した。天馬がラストシーンでシマを見失ったように、作者自身の中からもシマは消えた。なぜかとこの十五年考えてきたけれども、だいぶ前に答えは出た。
 ああいうタイプのヒロインは、作者の理想であって、作者が成長すれば消える。
 俺が見てきた限りでも、最初の始まり、自信がない頃はシマのようなヒロインを書くやつはいる。自由で奔放でルールに囚われた主人公や作者を笑って茶化すようなヒロイン。今でも俺はそういう人物像が好きだけれども、もう書くことはできない。なぜなら馬場天馬が成長したように、あのとき、シマウマを完結させたときに作者の俺も変化したからだ。それは作者としての技量が上がったとか、そういうことじゃなく、俺はあのとき確実に『やった』んだ。行動した。
 行動せず悩み続けた自分は死んで、行動した自分が確実に残った。その変化は不可逆で、だから憧れた『変化』の理想像だったシマは消えた。俺が見てきた限り、ああいうヒロインを書けなくなるやつは、そういう変化を味わってるはずだ。
 だから、『黄金の黒』で氷坂美雷(あらためて見てもカッケェ名前だ)をシマと同質に近い存在として設定したけれども、美雷は人間関係とか社会の退屈さに悩む等身大の人間として描写されていた。つまり、理想像として描かれていなかった。だから『黄金の黒』は『シマウマを書ききって強くなった作者が、あらためてシマと向き合う』話なのだ。その構図は間違っていなかったと今でも思う。
 だから、俺は強いヒロインが書けなくてもいい。強いヒロインが書けないことが、俺が変化した証だと思っているから。これが『売れる、売れない』とかの話になると、作者の変化なんざ知ったことか銭になるキャラを作れの一点張りでお話にならない。そんな世界に俺は興味がない。作者の中で明確な変化があって、それが作品に反映されている。しかも作者は自分に何が起きたのか理解してない。それでも反映される描写にこそ、そいつが『本気』だった証拠がある。それを味わおうとしない創作なんかに興味はない。腐って死ねだ。
 似鳥鶏のやり方は、書けば書くほど自分が追い詰められるやり方だ。常に最善を尽くしてきた自分が壁となって立ちふさがる。似鳥鶏が今後どうなるのか知らないけれども、戦い続けて欲しいと思う。性格も事情も知ったことじゃない。書いてくれれば読む。それだけだ。





       

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