わが地獄(仮)
二十三時三十四分五十二秒 (12/25)
彼らは隣の隣の銀河からやってきた、たったふたりの勧誘員たちだった。母星の名はケイオス。艦長の名前はアールフォート、副官はラスク。二人は母星にいた頃から家族ぐるみの付き合いをしてきた乗組員で、親子ほどの歳の差はあったが親友のように仲がよかった。だから彼らは真闇の宇宙を旅するのなんかいつまでだって平気だったし、その長い航程の間にコールドスリープ装置をオンにすることもほとんどなかった。
その二人が、ついに地球の月のすぐそばまでやってきていた。冗談みたいなフォルムをした宇宙船をその場で停止させた艦長は、まずモニターに映る青い星に見とれた。
「美しい」思わず、緑色の頭から軍帽を脱いでいた。
「これは……まさに芸術だな。いや、ラスク君、これほど青い星を君は見たことがあるかね」
「まさかですよ艦長」ラスクは目を瞬いて、何度もこすった。
「俺のお袋の目だってもうちょっと白っぽい感じでしたよ。ああ、すごいですねこれは。こんな綺麗な星に住んでいるのは、さぞ素晴らしい種族なのでしょうね」
「解析できるか?」
「もうやってます」ラスクはウインクしてみせ、
「ほーう。文明を発達させているのは一種だけのようです。絶対的な生命の数でいえば、昆虫や細菌、微生物が圧倒的ですが、ええと、ちょっと待って彼らの言語で言います――そう、『ヒューマン』がこの『アース』を掌握しているようです、艦長」
「ふうむ」艦長は椅子に深々と座りなおし、青色をしたヒゲをなでながらラスクに問いかけた。
「そのヒューマンの科学レベルは?」
「あまり高いとは言えません。艦長、あのラグランジュポイントに沿っていくつかゴミが漂ってるでしょ?」
「あるな」
「あれが人工衛星というもので、彼らが宇宙に飛ばしたガラクタです」
二人の間に快活な笑いが起こった。
「なるほど。あの小さなものがか。かわいい」
「ええ。彼らがあの滑稽で小さなものをラグランジュに乗せられたときの喜びようといったら、自転車に初めて乗れた子どものようでしたでしょうね」
「見たかったなあ、それ」
「俺もです、艦長」
ひとしきり文明を発達させている惑星の発見の際における恒例的なやり取りも済ませたところで、艦長はラスクに指示を出した。
「では、ヒューマンがどんな種族なのか調べてもらおう、ラスク君」
「待ってました。誰よりも早く未開の星に住むひとびとを知ることができるのが、この仕事の醍醐味ですからね。超特急でプロファイルしてやりますよ。お菓子でも食ってて待っててください」
そう言って解析室へ飛び込んでいったラスクだったが、艦長がほんとうにお菓子を食べようかなと腰をあげかけた頃、艦長室へタックルじみた勢いで戻ってきた。
「か、か、艦長」
「どうした、ラスク君? なにがあった? 落ち着きたまえ、ほらラスクでも食べて……」
ラスクが落ち着きを取り戻すには、ラスク一箱と紅茶二杯を要した。
「さあ、話してくれラスク君。いったいなにがあった? あの星の種族はどうなっているんだ?」
「それが……艦長、これはなんというか、非常にデリケートな問題といいますか、観念の問題な気がするのです」
艦長は、無理やり意味を問いただすよりも、黙ってラスクに話し続けさせることにした。ラスクはしばらく宙を見つめていたが、やがてぽつりぽつりと話し始めた。
「俺は、解析室でまず彼らの言語について調べました。ことばは文明の最初にあるものであり、根幹です。そして私はまず、日本という国の言語を調べました。そこは世界で一番人気のある国だったからです。なんでも過去に戦争があって、その時に負けて以来、戦争放棄を掲げている国だそうで」
「素晴らしいな。戦争放棄。まさに我ら銀河の民へ加えるに相応しい思想だ」
「ええ。俺もそう思いました。でも、艦長、彼らは……多様性を悪徳だと思っているようでして」
艦長は、一瞬ラスクが何を言っているのかわからなかった。
「なに? なんだって?」
「ですから、艦長」ラスクはまるで自分が悪いかのように身を縮めながら、
「多様性を否定しています。艦長、日本人の言葉には『KY』というものがあります。これは『空気が読めない』の略だそうで、空気というのは、文明に根付いた習慣や態度、雰囲気のようなものを指すそうです」
「空気が読めない……不思議な言葉だ。空気に印字する文明は銀河のどこを探してもないだろうに」
「艦長、彼らは文章化もされていないその『空気』というものを非常に大事にしています。そしてそれを理解できないものを排除してしまうのです」
「殺すのか?」
「似たようなものです。相手にしないのです」
「本当に似たようなものだな。心というものは寂しさだけで死んでしまうのに……」
「ええ。しかも彼らは、幼年期にある同族を教育と称して洗脳しますが、その際に空気を読む、ということを教えないのです。空気というものは、勝手に読めるようになるものであって、教えるというのは滑稽だ、というのが彼らの理屈です。また豊かな生活からくる生命の軽視の傾向も見られます。これは銀河の民として看過できない大罪です」
「めんどうくさい、の一言で心の砂漠を彷徨う同族を見殺しにする……ということか。確かに許されないな。だが、もっと許されないことがあるなラスク君?」
ラスクはしっかりと頷いた。
「ええ。そもそも、物事にはできる者とできない者があります。無論、訓練や生活次第で変化することもありますが、結局のところは変えられないし、変えても無意味なのです。むしろ何かをできない、ということは、別のなにかができる、ということです。彼らはそれを無視します。彼らは痩せている個体を好みますが、少々太っている個体の方が健康的です。また自分を愛してくれる者の愛を自分の枠にはめて測り、軽視し、ひどい時には「おまえが誰かを好きになるなんておこがましい」ぐらいのことは平気で態度で示します。愛に対してですよ? とんでもないことですよ、これは」
艦長は片手を挙げてラスクの話を一端止めた。顔を背け、軽くえずいた。気分を著しく害したのだ。
「すまない。続けてくれ」
「お気持ちはわかりますよ、艦長。――彼らは多様性を否定しています。自分たちが多様性に生かされていながらです。彼らは多様性ゆえに発芽した先人たちの残した文明世界を謳歌しながら、過去の先人たちと同様の特質を持つ天才児たちを異常とみなして迫害し、追い詰め、殺してしまいます。誰も受け入れてあげようとか、そういう考え方もあるとか、そういうことを言い出しません。ちょっと行動が奇異なだけで、彼らはひどく怯えます。艦長、彼らは臆病者の集まりです。おおらかさが欠如しています。彼らは常に恐れ、どこからともなくやってくる裁きに怯えるばかりの毎日です。どうせ自分がいつか死ぬのだ、ということをわかっているのか、疑わしいです。彼らは今日がいつまでも続く、あるいは、続けられるだけ今日にいたい、と考えています。彼らは全員精神を病んでいます。艦長、俺は怖い。ほんとうに怖いんです」
「わかった、もういい、もういいんだラスク君」
艦長はタオルケットを取り出して、椅子の上でがたがた震えるラスクに肩から羽織らせてやった。
「あとのことは私に任せて、君は休め」
「艦長」
「そうだ、コールドスリープするといい。目覚めた時には、君を待つのは故郷の暖かなエアだ。艦長は私だ。決断は私がしてあげる。だから、お休み」
ラスクは何度も頭を下げながら、自動扉から凍眠室へ入っていった。その背中を見送ったアールフォート艦長は、椅子を回して、モニターの向こうの青い星を見つめた。
こんなにも、青くて美しい星なのに……
そこに住むひとびとの、なんと醜いことか。
自分と相手が違う、ということは、当たり前のことだ。
その違いをもってして、生命は生き延び続けたのだ。形を変え、大きさを変え、行動を変え、思いを変えて。
その思いを枠にはめて、綺麗な野菜だけで揃えようなんていうのは間違っている。曲がったニンジンだろうと、ひわいな大根だろうと、食べられるのだ。同じなのだ。それに、違っていたらいたで、それもまた新たな大根になっていくだけのことなのだ。
多様性。
生命の答えはとどのつまりはそれなのだ。違う、ということ。受け入れる、ということ。それが文明だ。それが進化だ。
それができないというのなら、この惑星はもはや死だ。
艦長は深々とため息をついて、コントロールパネルに手を伸ばした。気が進まない。だがやらねばならない。目の前で痛みに苦しむ者があったら、ラクにしてやるのが情けというもの。
艦長は指先ひとつで、宇宙船からビームを放ち、青い惑星を一瞬で灰にした。
あとにはなにも残らなかった。
最初から、なにもなかったかのように……
了