Neetel Inside ニートノベル
表紙

わが地獄(仮)
K古書店

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 ビブリア古書堂を読んだ時は、Kさんのことを題材にした小説かと思った。それほどに彼女の素性と雰囲気はあの本に書かれている栞子さんと似ていたのである。しかし俺がその話を振ると彼女は笑ってこういった。
「系統進化というやつかもしれないですね」
「なんですそりゃあ」
 あとで調べてわかったことだが、こんな語はなかった。だましやがって、詐欺である。
 Kさんは言う。
「あるひとつの目的を目指して進化しようとすると、初めは違っていたものがだんだん似てくるということです」
「へえ、なるほど。じゃ、古書店の美人店主ってキャラを作ろうとするとKさんとか栞子さんみたいな人になるわけですか」
「わかりやすさというのは重要ですからね」



 俺がK古書店で働き始めたのは大学の二年からだ。もうすぐ四年になる。一枚のエントリーシートも書かずに卒業してしまった俺はK古書店の薄給と実家へのパラサイトで生きながらえている。最近は死ぬことばかり考えていて、どうすれば潔く綺麗に死ねるかばかり悩む。生きるということになにかしらの目的があればいいが、さもなければ俺には特に用がない。特に俺はせっかちなので、脳みそのスピードに肉体が反応してくれなくなれば癇を起こして気が狂う。もうすぐ俺は発狂してKさんを襲うだろう。その前にバイトを変えなければな、と思う。死にたくないと思える瞬間を死ぬより前に設定しておかないと人は死ぬ。俺はその設定のやりくりをなんとかつけたいのだが、うまくいかない。死にたくないが死にたいのである。




「この本、百円でいいですか」
 俺が手にとった本を見てKさんは顔を曇らせた。ああ、まただ、と俺は思った。また本の薀蓄が始まるのだろう。別に聞いてあげてもいい。興味は無いが、俺は興味を再び持てるものを探しているので、いってしまえば何もかもにもう興味がない。だから無駄話を聞くのもやぶさかじゃない。
「またイワクつきの本ですか。読んだら死にますか」
 Kさんは俺のハイスピードジョークを最近はスルーしてくる。
「いえ、そういうわけではないのです。ただ、思い入れがあって」
「ただのラノベじゃないですか。しかも初版で、歴代シリーズの宣伝もない。新人で売れずに消えていったラノベ作家なんかゴマンといるでしょう。一冊二冊出したぐらいで一丁前にプロ面するからこういう目に遭うんですよ。そんな連中の本がプレミアになりますか。もっとビジネスライクにいきましょう」
「……」Kさんは不快そうである。ごめん。
「ええ、確かに、その人の出した本はそのレーベルでは二冊限りです。商業では五冊、ネットでは七作。しかしプロとしては、すぐにいなくなってしまった寡作作家と言えるでしょう。現在はすでに亡くなっています」
「詳しいですね」
「知り合いでしたから」
 俺は本の表紙から顔を上げて、Kさんを見た。





「小説家で白飯、というサイトを知っていますか」
「小説投稿サイトでしょう。もう何人もデビューした人がいますね」
「ええ。あるときネット作家がブームになったことがあって、この彼もその時の流れに乗って出版社に拾われた作家だったんですが、私は、彼がネットに作品を掲載している頃から彼の話を読んでいたのです」



「気の強い人でした。私はその当時まだ高校生でしたけれど、作品の内容と作者の性格の違いに驚いたものです。彼の作品はどこか陰鬱としながらも芯の強さを感じられるものでしたけれど、本人の彼は、なんというか、情緒不安定気味の落ち着かない、愚痴ばかり言う人でした」
「作家なんてそれでなんぼなんじゃないですか」
「そうかもしれません。でも私は彼のブログを見た時、悲しかったです。あんなにいいお話を書ける人がどうしてこんな風になってしまうんだろう、と……」




「彼の愚痴はとめどなく続きました。一日にブログを何度も更新していましたし、ツイッターに載せられる苦悶などはちょっとしたホラーでした。苦しい、苦しい、と画面には時にはびっしり、時にはあっさり、彼の語彙をもってして執拗なまでに書かれていたんです」




「私はがんばって彼の愚痴を読み続けました。――なぜって? 彼の話が好きだったからです。気持ちが悪いからって見捨ててしまうには惜しい人でした。天才か、売れるか、そう言われれば違っていたでしょう。でもなにか彼の作品には、ふらりと立ち寄った美術館で有名所の脇に添え物のように置かれている作者不明の絵画のような、そんな不思議な希少性を感じさせるものがありました」




「彼は虚弱で、頑張ろうとしても報われない、そんな人生を生きてきた人間だったようです。不幸なのは彼が成功してもそれを感じない人間だったことかもしれません。彼には友人がいました。思い出もありました。でも彼はそれに満足ができないのです。それのためだけに生きることができないのです」




「彼は弱く、醜く、哀れで、どうしようもない男でした。見ていて不快でしかありませんでした。けれど彼の愚痴を読んでいるとわかるのです。誰より彼自身が己をそう思っているのだ、ということが。そうして文末にふっとそれまでの狂乱をかなぐり捨てて我に返ってさらりとしめるのです。俺は負けない、と」




「彼の死因ですか? さあ、わかりません。死んだというのも実は定かではないのです。ブログに『知人』という名前で死亡したという書き込みがあっただけですから。あるいはそれは、ただ単に彼自身が創作から引退したということを表明したかっただけなのかもしれません。有志による調べでは、その知人のIPアドレスは彼が使っていたものと同じだったそうです」




「そして彼がいなくなる前に残したのが、あなたが持っているその本なのです。手に持っていて心地よくありませんか? 327ページ、四編からなる同じ世界観を舞台にした連作小説です」




「その本を読んでいるとわかるのです。彼はこの本のために、それまでの本を、少なくともそれ以前に書いた数作はすべてその本のための土台作りだったのだということが」




「彼は創作に関してはストイックな男でした。自分に書けないものがあるということが我慢ならなかったのでしょう。生きていることを肯定してもらえることが創作しかなかった男でしたから、それを奪われれば延々と糞尿を作っていく生涯しか残らないのです」




「彼はその本で、かなりアグレッシブな書き方をしています。短編それぞれの時系列が異なっているのです。それだけならば前例がないわけでもありませんが、しかし、その書き方はかなり難しいのです。おそらく彼は生涯一度これしかできないという時のためにその演出を温存しておいたのでしょう」




「すべてを出し尽くしたと胸を張っていい出来だったと思います。その本はひとつひとつを別の物語、短編として読んでも理解できるようになっています。彼は後年、癇気でほとんど本が読めなくなっていたそうです。だから彼は正気でいられるうちにさらりと読める限られたページの薄い話しか書くことができなかったのです。そのたびごとに推敲するという形でなければ、もう彼には、長編を最初から最後まで己の書いたものでも見通すことはできなくなっていたのでしょう」




「彼は、続編を考えてはいなかったはずです。むしろ続編を作らずに済むように全身全霊を賭けてその話を作ったのだと思います。でも私は今でも彼が戻ってきてくれるんじゃないかと思って、更新の止まったブログをたまに覗いてみるのです。いつかまた愚痴でもなんでもいい、あの気の強い彼が書く強い話をまた読みたい――以前とは一味違った、あの向上心の強い彼の話を」



「そう思って、もう十年近く経ってしまいました。今では彼のことを覚えている人間はかなり限られてしまっているでしょう。ですからその本の値段はいくらでもいいのです。どうせ売れないですから」



 そういってKさんは読書へ戻ってしまった。俺は手元のその本を開いて、何気なくぱらぱらとめくってみた。
 巻末にあるべきあとがきが、綺麗さっぱり切り取られていたのを見て、なんとなく、作家というのはこうあるべきなのかもしれないと、思った。


       

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