Neetel Inside ニートノベル
表紙

わが地獄(仮)
タカトンビ島

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 その島はタカトンビ島、と日本人の間では呼ばれていた。正式名称はエリュシオンだかなんだか。幸福諸島とは気取った名だが見るやつからすればそれは決して間違いではなかったろう。
 人間の間引きが行われ始めた。まあ、無理もない。ひとり増えればひとつ席が埋まる、そんなことを繰り返していればいつかパンクするのも当然だ。満員電車に乗った時、人間の多さに辟易しないやつがどこにいる? そうして人間の多さに毎日さらされた成人男性の性欲の減退と妊娠率の低下が明確な数字として現れた時、人々は格好つけるのをやめた。
 いらない人間は確かにいる。
 この俺のように。


 間引き方は様々だったが殺すのが主流だった。といっても人権を無視したりはしない。そっと殺してそっと去る。家族への負担はかけない。借金があれば帳消しになるだけあって息子の死で経済的に助かる家庭も珍しくなかった。
 俺もそうして死ぬと思っていた。就職活動に背を向けて年上に酒を注ぐことと曖昧な頷きを返すだけの首の筋肉の使い道にほとほと嫌気が差していた俺に稼ぎ口があるはずもない。
 諦めなければなんとかなったのかもしれないのに、と知人が言った。そうかもなと思う。だがこうも思う。俺は、なんとかなりたくなかったのだ。


 拉致された。
 どこかへ飛んでいく飛行機の機上で、俺は目隠しされたまま、タカトンビ島に関する説明を受けた。タカトンビ島について知らないやつなどいないだろうに。
 簡単に言ってしまえば遺伝子的掃き溜めである。
 世界各国から「社会適応能力なし」と判定を受けた青少年が集められ、子供を作る。遺伝子的に遠ければ遠いほど子孫は雑種強勢で強くなる。それはハーフやラバの件でググればウィキペディアに書いてあることだし専門知識など無くてもそれほど不可解な事柄じゃない。鳥山明だって強いのと強いのを混ぜるともっと強くなるって二十年も前にドラゴンボールで描いている。不思議なことなんて一つもない。
 エリュシオンは、その実験島なのだ。
 最初は世論も反対した。やれセックス島だの島流しだの性の暴走だのなんだの言っていたが、そこには基本的に「社会に適応できない」つまりクズしか集まらないのだということを再三説明され、集められた子供たちの写真が公開されると急に大人しくなった。要は嫉妬だったわけだ、来る日も来る日も腰振ってればいい生活を自分以外のやつが享受することに対する嫉妬。だがそれもそうそういいものでないと分かれば他人事、もう正義も倫理も関係ないしどうでもいい。とっととチャンネルを変えてパンダが死んだニュースを仕事場で喋って悲しんだフリをする。本当は何にも感じていないのに。くだらねえ世の中。
 で、そのセックス島がタカトンビ島のことというわけ。トンビがタカを産むのを期待して世界中のトンビを集めて交配させる。最もこれは学術的にはかなり興味深いことらしく、俺は目隠しを外されて島の施設に案内された時、偉い学者さんたちと何度も握手したり声をかけられたりした。ある意味ではしたくてもできない超長期的遺伝学的人体実験、学術誌のサイエンスじゃちょっとしたお祭り騒ぎでムック本まで出たとか。
 俺はすでに政府に目をつけられていたらしく、遺伝子は検査済み。悪い病気も持っていないし二、三日人間ドックで最後の検査を受けた後、施設入りした。
 日本人は俺しかいなかった。当然だ、ここは世界各国から選りに選ったクズを一国一人放り捨てて出来たクズのオリンピック祭典。二人も三人も同じ人種がいたって仕方がない――と思っていたら一人だけ日本人がいた。女の子だ。お世辞にも可愛いとは言えなかった。確かに、男だけじゃデータが薄いか。男はやはり、俺一人だけ。


 どんな肥満体のブスの巣窟かと思ったが、実際にフタを開けて見ればそうでもなかった。もちろん写真に撮って部屋に飾っておきたいほどの美少女なんていなかったが、それでもちょっとアクが強いだけの、クラスメイトにいたら狙いどころのように思える程度の女の子は結構いた。あるいはそれはバイアグラを三度のメシに混入されたせいで脳味噌の中の鏡がぶっ壊れて使い物にならなくなっていた可能性もあったが、べつにだからといってなにがどうなるわけでもなし、むしろいい印象を受けたならそのまま放っておいて何が悪い。俺はそうした。



 俺は言葉の心配をしていたが、思っていたよりかは杞憂だった。施設内では同国人がほとんどいないため、ちょっと特別な言語を学習させられる。簡単に言えば世界言語とでも言うべきものだ。たとえば「おなかがすいた」は誰でも知ってる「ハングリー」が採用されていたし、日本語からの採用は「モッタイナイ」と「サヨウナラ」だった。こんな風に他国人でも知っていそうな単語のツギハギで俺たちは会話した。ロシア人の女の子とはいまだにボルシチの話しか出来ないけれど。


 俺たちの一日は、学校のそれに近い。午前はツギハギ言語学。午後は性教育に関するエトセトラ。週に三度の体育がどちらかのコマと入れ替わる。夜は子作り。消灯は九時で希望があれば十時半。
 それを繰り返して、週に一度の安息日を終えると次の週が始まる。安息日は授業がない代わりにセックスも駄目。なぜなのかは分からないが俺たちは徹底的に監視されて行為を妨害された。みんな不思議がっていたが、まあ、恐らく「できない日」を作ることで「できる日」の価値を底上げしているだけだろう。こんなようなことをツギハギ気味にマレーシアから来た女の子に言ってみたら全然理解してなかった。全然理解しなくてもいいことだったからかもしれない。


 子作りはそれ専用の部屋がしつこいほどに設けられていたが、別に外でやってもよかった。授業中以外ならいつやってもいい。誰とやってもいい。ただ無理強いはしないことが求められた。そして男からは積極的には誘えなかった。大抵は女の子が男を選ぶ。男はやれればいいが、女の子は子孫のデキを考えて性交渉すると信じられていたからだ。そんなのマユツバだと思う。が、そういうことになっていた。
 女の子たちは外国人の男の子を顔で選ぶのかと思ったが、予想に反してにおいで選んでいるようだった。においというのは遺伝学的には重要なファクターで、相手からいいにおいがすれば自分に合ったいい遺伝子を持っていることが分かるのだという。女の子たちが本能でそうしているというよりは、研究員サイドからそうして厳選することを推奨されていたのかもしれない。
 女の子に一度も選ばれずに二週間が経った男は、いつの間にかいなくなっていた。が、ほとんどそういうことにはならなかった。女の子は妊娠し次第に施設から消えていって新しい子が補充されてきたので大抵は誰かしら相手がいた。
 俺の人気はまあまあだった。相手がいない日もあったが、それは本当に稀だった。
 ネットで見た話では、タカトンビ島にはクズはクズでも選りすぐった特別なクズが呼ばれるのだという。それはつまり遺伝子的特異性を持っているということではないだろうか。発現するのが社会的に優であれ劣であれ稀な遺伝子を持つ人間――俺の体の中にもそういうレアジーンが眠っているのかもしれない。それが俺のにおいに混ざっていたとしたら、ずいぶん高価な体臭もあったもんだ。



 毎日が退屈だった。思っていたよりも悪くはなかったがよくもなかった。筆下ろしの時だけはさすがに興奮したが、それからはなんというか、どさっと漫画雑誌を山ほど与えられて「好きなものから読んでいけ」と言われたような気分だった。好きなものだけ読んでいても飽きるのでたまに絶対にありえないこれ描いたやつ出て来いと言いたくなるようなシロモノとも寝た。べつに普通だった。どうしてもいやなら膣外でぶっかければいいだけだし、女の子たちも実生活でクズ中のクズとして生きてきたガッツのおかげでその程度ではもはや傷ついたりはしないようだった。いやなことが人生には多すぎる。特につまらないことともなれば最悪だ。
 誰とも友達にならず、恋人にもならず、ただ共同性生活者として日々を送った。どこも悪くないのに入院しているような感じだった。茂みの上で日向ぼっこしながら南米生まれのの褐色肌をした女の子と身体を重ねあっているとここがとうとう天国かという気分になることもあったが、もしこれが幸せだとしても、それは限りなく薄味なシロモノであることだけは間違いなかった。




 ルーのことは彼女がいなくなった今でもよく覚えている。黒人の女の子だった。彼女はある日の放課後、俺が談話室で海外SF小説を読んでいた時に近づいてきた。小柄で、ちぢれ気味の髪をポニーテールにしていた。俺はたぶんそういうことになるんだろうなと思って本を閉じた。ルーが笑って、ソファに座っていた俺の膝の上に馬乗りになった。センスのないTシャツを剥ぐように脱ぐと、その下には何も身につけていなかった。乳首のまわりだけがやけに色が薄かった。
 彼女が俺に触れようとして、何かに気づいたように目を覗き込んできた。俺はなんだろうと思って彼女の目を見つめ返した。彼女が何を考えていたのかはとうとうわからなかった。俺にわかるのは俺自身のことだけだ。その時の俺には、上半身裸になって俺を見下ろす黒い肌をした女の子が、どこか神々しい何かに思えた。二の腕に触れると精巧な芸術品のような手触りがした。談話室の観葉植物越しの日差しがその肌の上できらきらと砕けていた。
 ミシェルのやつが物陰から覗いていることはわかっていたがそんなことはどうでもよかった。俺は彼女と重なり合った。俺はされるがままだった。ルーは予想以上に俺のことが気に入ったらしくなかなか俺を放してくれなかった。いったい俺のどこがあんなに気に入ったのだろう。やっぱりにおいだったろうか。



 何人孕ませたか知らない。女の子たちはかなり頻繁に入れ替わっていった。いったい誰が彼女らの生む子供を育てるカネを出すのかと思えば驚くべき事にノーベル賞からだという。ノーベルのやつはダイナマイトを作ったことで自分の人生ごと大勢の人間の一生をめちゃくちゃにしたり便利にしたりしたやつだが、そいつの遺産が人類の新種創造のタネ銭になるとは皮肉なものだ。だがまあ、この実験施設も人を粉々にブッ飛ばすよりかは有意義なことをやっているとそろそろ俺も信じたくはなってきた。人が生まれることを厭うようになったなら、さっさと手始めに自分を殺して死んでしまえばいいのだ。




 ある日、職員の一人に封筒を手渡された。とうとう俺もお払い箱かなと思ったが、違った。
 中には一葉の写真が入っていた。
 褐色肌をした赤ん坊が、目を閉じて口を開け、天使の囁きに耳を貸しているかのように眠ってる。
 俺には一目でわかった。
 俺の息子だ。
 途端に俺は廊下に膝をついてしまった。立っていられなかった。その赤ん坊の寝顔を見ているとみるみるうちに目に涙が溢れてきて止まらなくなった。俺は誰が見ているのも気にせずに四つんばいになって号泣した。泣きに泣いた。
 手の中の写真が握りつぶされてくしゃくしゃになる。



 生まれ損ないにさえ生まれなければ、この腕に、
 息子を抱くことだってできたかもしれないのに――











                                   終


       

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Neetsha