Neetel Inside ニートノベル
表紙

わが地獄(仮)
焔の瞳

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「ダーリン、寒くない? もっとくっつこうよ」


 そう言ってラシャは俺の手を取り、恋人繋ぎにし、身体をぴったりと寄せてきた。そうやって接触する面積を多く見積もっておけば、いつかハンダ付けされたように本当に融合すると信じているかのように。
「やめろって。みんな見てるぞ」
「いいじゃん別にィ。悪いことしてるわけじゃないんだから」
 そうは言っても、休日のファミリーレストランで白昼堂々イチャつくカップルを見る女性たちの視線には背筋の凍るものがある。俺はぶるっと悪寒に震えた。
「ほら、やっぱりダーリンも寒いんじゃない。ここ、ちょっと冷房効きすぎだよね」
「いや、これはそういうことじゃなくてだな……」
 ラシャは俺の唇を白い人差し指で撫でた。天然の青で染ま上げられた氷のような爪が、俺の皮膚を軽く押した。俺を黙らせたラシャはこっちの右腕を封じたまま、片手でパフェを食べている。ゴテゴテした装飾過多のパフェは、もう半分近くも攻略され、だらしなく崩れていた。
 パクリとスプーンを口に含むと、ラシャは「ん~~~~!!」と舌の上の甘さに悶えている。子供のように足をジタバタさせ、自分がどれほど感動しているのか、この気持ちが本物なのかを俺の右腕を力いっぱい握り締めることによって伝えてくる。名前も思い出せないどこかの花のにおいがする、新雪色の髪を俺の頬に預けてくる。いたずらっぽい、猫のように燃える金色の目が俺を見ていた。
「すっごく美味しいんだね、地球の食べ物って」
 そう言ってラシャは、俺に見せつけるようにして、パフェの残りを平らげた。


 宇宙人が攻めてきた。
 といっても、超原子爆弾を搭載した恒星間光速航行艦隊が月のそばで古代ギリシャよろしくファランクスを展開したとか、回転する扇風機の音が聞こえるテレパシー通信で人間に対する宣戦布告をぶってきたとか、そういうことは一切なかった。その姿勢は、人間が自分によく似た類人猿を絶滅させて作り始めた歴史上で、もっとも温厚なものだったと言っていい。あらゆるエネルギー問題を解決する遠科学技術や寿命を二百年も延長させることのできる真化学薬品と引き換えに、猫の目をした宇宙人たちはたったひとつの条件を人間に提示してきた。すなわち、
 我々と繁殖して欲しい、と。


 もちろん人間は疑った。何か裏があるはずだと。そんなハニートラップには引っかからないぞと。そしてスペースシャトルをどっかんどっかん打ち上げて、手持ちのミサイルもすべて撃ち尽くした後、宇宙人たちは閉口するのを取りやめて、会話を再開した。
「あなたがた人類が我々を疑う気持ちはよくわかります。我々が故郷を離れてから今に至るまで、最後まで理解し合えなかった種族は決して少なくありませんでした。けれどどうか、私たちの言葉に耳を傾けてください。私たちのために、あなたがたの時間を費やしてください。決して損はさせません、それはもちろん、お互いに」
 空っぽの拳銃を突きつけて脅しをぶったところで馬鹿らしいだけだ、と人類は抵抗の姿勢を渋々ながら解いた。たとえ核ミサイルをぶっ放しても、彼らはそれを防御するエネルギーフィールドを宇宙船に備え付けているのだ。勝てない勝負に意味などなかった。
 人間代表の男が猫目の女性に尋ねた。
「わかった……話を聞こう。何が目的だ?」
「あなたがたが疑っているのは、我々が繁殖目的でこの青い星にやってきた、という点でしょう。このことに関しては合理的な説明ができます。それは我々が母星を離れた理由にもなります」
「で、その理由とは?」
「簡単に言えば、雄がいなくなってしまったのです。我々はこの宇宙の真理に辿り着き、ユートピアを建設しました。死こそ無くせませんでしたが、それでも誰もが満足して生死を享受できる世界にはできました。ところが、理想郷には戦争がないのです。争うことを宿命づけられた雄は、次第に数を減らしていきました。遺伝子操作やスポーツによる闘争心の惹起などイロイロと工夫してみたのですが、いったい誰の悪知恵なのやら、雄はとうとう絶滅してしまったのです」
「それは、困ったな」
「はい、とても困りました。いくら寿命が千年近くあるからといって、千百一年目に絶滅してしまっては意味がありません。そこで我々は、それまで暮らしていたホームワールドを捨て、別の銀河へ旅立つことにしました。……我々と繁殖することのできる男の子たちを探して」
「それが、我々だったと? なぜ我々と繁殖できるとわかる」
「あなたがたが猿を起源とする種族だからです。我々もそうでした」
「さっき、あなたがたの意見を聞かない種族が我々地球人以外にもいた、と言ったな。言うことを聞かないやつらはどうしたんだ?」
「それは……」宇宙人はポッと顔を赤らめた。急遽建設された「宇宙大使館」の会議室の中、隣に座る仲間と肘を突っつきあいババを押し付けあったが、最後にはやはりリーダー格の女性が答えた。
「……む、無理矢理」
 人類代表の男が椅子を蹴って立ち上がり、怒鳴った。
「無理矢理、殺したのか!」
「いやその……ヤっちゃったというか」
「ヤッ……あっ」
「えへへ……」猫目の宇宙人はポリポリと赤くなった頬をかいた。
「我々はその、絶滅しそうなので、強いんです。……そういうキモチが」
 人類代表の男は疲れたように椅子に座り直した。
「……それで? 目的は達成したんじゃないのか。そいつらと繁殖したんだろう」
「ああ、それはまあ。とはいえ後に残していく文明はユートピアのそれですから、やっぱり雄の出生はいずれ止まってしまいます。なので我々は永遠に、雄を探し続けなければならないのです。それこそ、宇宙の果てまででも」
「宇宙の果てまで行ったら、どうする」
「さあ。そこまで行けたら、考えるつもりです。それまでは、このやり方で充分ですから」
 どうでしょう、と猫目の宇宙人はテーブルの上で手を組み、そこに細く小さな顎を乗せて、首を傾げて見せた。答えはもう分かっていると言うかのように、その口元には微笑が浮かんでいる。
「我々と繁殖していただけないでしょうか。……なんなら、今ここで『お試し』してみます?」
 人類代表の男は、熟考に熟考を、沈思に沈思を重ねた上で、決断を下した。
 そして、今日に至る。


 もちろん、そんな上手い話があるわけがなかった。が、すべてが明るみになった時にはもう、猫目の種族はあまりにも地球に溶け込んでしまっていた。事が起こったのは、猫目が地球へ入植してから十ヶ月経った日のこと。その日、初めて猫目と人間のハーフが生まれた。だが、遺伝子検査の結果、驚くべき事実が明らかになった。
 ハーフの子供には、地球人のDNAがまったく遺伝していなかったのである。
 あまりにも華やかな来訪者との穏やかな蜜月のせいで、人間たちは忘れていたのだ。
 彼らは『攻めてきた』のだと。
 彼らのいう繁殖とは、つまり、『自分たちのDNA』を残すことであり、『相手のDNA』を残すことではない。染色体が人間の四倍ある猫目たちは、有性生殖でも自分たちの豊富な染色体の中からランダムな選択をするだけで遺伝事故の発生確率を減少させることができる。つまり、人間は生殖をする『トリガー』でしかなく、人間側の遺伝情報はまったく継承されないのだ。
 まさに、『侵略』であった。気づいた時には、もう遅かった。地球の男どもは夢の中から「よいしょ」っと這い出してきたかのようなあっけらかんとした陽気な猫目たちの魅力になすすべもなく屈服していた。
 自分たちが絶滅することが確定していながら、男どもは猫目から離れられなかった。猫目たちは自分で見繕ったパートナーに真綿のようなほっぺを摺り寄せながら、くすくす笑って、言った。
「だって、あたしたちの方が可愛いもんね?」


 猫目たちが地球に下りてきてクモの子を散らすように広がってから、四年が経った。大学を卒業したもののフリーターでぷらぷらしていた俺にも、猫目の彼女ができた。もし、彼女たちがこの星に攻めてこなかったら、俺はまだ一人ぼっちだっただろう。だから、たとえ彼女たちが俺たちを利用しているのだとしても、責める気にはなれない。
 だが、それでは収まらない人間たちがいた。
 女性である。
 元々の地球人の女性にとってみれば、猫目なんていうのは自分のパートナーを奪う害獣に等しかった。事実、今ではもうほとんどの男性が猫目と付き合い、人間の女性と付き合うなんていうのはごく一握りしか残っていない。ひょっとしたらそういうタイプの人間は猫目が嫌だとか自分の遺伝子を残したいとかではなく、本当に相手を愛しているのかもしれない。


 窓の外では、プラカードを持った女性たちが通りを行進している。行列の中から生えたのぼりには「古きよき世界を!」とか「異星人に逃げるな!」とか「地球は侵略されている!」とか、まァ気分が重くなるような烈しい言葉が並んでいる。俺の隣でラシャが脅えたようにきゅっと身を縮めた。俺はポンポンとラシャの頭を叩いてなだめてやった。
「ダーリン……」
「心配するな。人間が猫目を傷つけたら死刑だからな。それに元々、お前らは俺たちよりも身体能力がずっと上なんだから心配することなんてないだろ? 弾丸だってかわせるくせに」
「か、かわせないもん! 当たっても平気なだけだし……」
「そっちの方がスゲーよ」
 しかし実際、ヒステリーを起こした女性による猫目の襲撃事件や、あるいは猫目に流れた男性をリンチする事件は後を絶たない。
「男女平等の社会、か……」
 俺は窓の外を見ながら思った。べつに、猫目が来たからといって女性の権利が侵害されているというようなことはない。人間の男女が結婚することを猫目が妨害することもなければ、女性が社会で労働することを阻むものもない。むしろ猫目のおかげで女性が家庭に入らずに済み、働くことに焦点を絞れば女性はずっと働きやすくなったはずなのだ。それを喜ぶキャリアウーマンもいるという。
 問題は、男に頼らなければ生きていけないタイプの女たちだった。
 風俗業界はほぼ壊滅したといってもいい。レトロ趣味の男たち向けの大手がいくつか残っているだけ。ハローワークにはプロアマ問わず男に捨てられた女性たちで溢れかえっている。
 女たちは口をそろえて、男が悪い、という。猫目が来たくらいで自分たちをあっけなく捨てる男なんていう生き物こそ最低な存在だと言って、はばからない。
 猫目と付き合っている俺たちからすれば、やはりちょっと心苦しいものがないでもない。だが、本当に彼女たちの言う通りなのだろうか。
 男はすぐ浮気をする、というが、昔の世界では果たしてそうだっただろうか? 男はみんな浮気をするのではなく、『浮気したくてもできない冴えない男』を恋愛対象から外してえり好みしていれば、敷居が高くなってくるのは当たり前ではないのか。そういう自分の好みの狭さを棚に上げて男のせいにしていればラクだよな、と思わざるを得ない。
 猫目たちは、そういう彼女たちへの天罰ではないだろうか。
 心苦しいが、同情する気にはなれない。
 えり好みして、愛されるだけでは足りない、と高望みをした彼女たちが一人ぼっちになるのは、当然だと思う。男も男で理想は高いが、しかし自分を愛してくれる女を邪険にするようなヤツはそれほどいないと思う。手頃なところで手を打つというか。まァ男は女と違って死ぬまでチャンスがあるから、そういう意味では望みが絶たれないだけ気楽なのかもしれない。それはそれであんまりな話かもしれないが、そんな文句は神様に言ってくれ。


「ダーリン、考え事?」
 ラシャが俺の指をおもちゃにしながら言った。
「ああ、ちょっとな」
「難しいこと考えてもいいことないよー。ね、楽しくいこ?」
「……そうだな」
「あっ」ラシャが腕時計を見て身体を跳ねさせた。
「あぶない、もうすぐダーリン、バイトの時間じゃん!」
「え? うおっ、マジだやべえ。すぐいかないと」
「うーん、パフェが思ったより多かったのが悪いね」
「お前が喋りながら食べてるからだろー?」
「だってダーリンと喋りながら食べないと美味しくないんだもん」
「こいつめ」
「やーん、髪の毛を巻かないでー!」
 周囲の女性たちから槍のような殺意を浴びながら、俺たちは会計を済ませて、外へ出た。もうデモ行進の列は遥か遠くへ去っている。
 ラシャはとんっと後ろへ飛んだ。猫のような身軽さだ。
 理由なんてない、最高の笑顔が午後の日差しの中で満開に花開く。
「いってらっしゃい、ダーリン。部屋で待ってるから、早く帰ってきてね」
「ああ」
「バイトの子に浮気しちゃ駄目だぞー?」
「しないって」
「ほんと?」
「本当」
「ほんとにほんと?」
「本当だって」
「ほんとのほんとのほんとにほんと?」
 いつの間にか、ラシャが俺のすぐ前にいる。箱にしまっておいたはずの大切なものが、いきなり道端に転がっているのを目の当たりにしたような、不安そうな顔で。
「――ねえ、ダーリン」
 俺は左腕でラシャの身体を抱き寄せた。
「……本当だって。心配すんな。俺のバイト先にはブスしかいねーよ」
 ん、とラシャは俺の腕の中で頷いた。そして「へへっ」と照れくさそうに笑って、目元を袖で拭った。
「今夜は、ダーリンの好きなもの作っておいてあげるからね」
「ああ。終わったらまっすぐ帰るよ」
「うん」
 ラシャは千切れそうなくらいに目一杯、手を振って、去っていった。その背中が見えなくなると俺の胸の中にチクリと寂しさが湧いた。あと八時間もすれば会えるのに、どうやら俺はすっかり、あの猫目に陥落されてしまったらしい。ため息をつき、振り返った。
「ん?」
「…………」
 俺の前に、顔色の悪い女が立っていた。
 そいつはじいっ、とクマの浮いた顔で俺を睨んでいる。その口が何かを言おうとしては、力尽きて閉じる。俺はしまったと思った。頭のおかしい女かもしれない。春先になってこういう手合いが増えてきたから気をつけろ、とニュースでもやっていたのに。ラシャにバイト先まで、ついてきてもらえばよかった。近くに交番はない。俺がなんとかするしかない。俺はキッと女を睨んだ。
「……なんだよ?」
「…………」
「……なんだって言ってんだよッ!!」
 俺は客のいなさそうな立ち食いそばやの看板を蹴り倒して女に怒鳴った。顔色の悪い女はびくっと奮え、あとずさり、小走りで去っていった。俺は無性にイライラして、倒れた看板をさらに蹴り飛ばした。粉々になった看板の足が通りをカラカラと滑っていく。俺は荒くなった息を整えた。女の去っていった方角を睨みながら、なぜか涙が滲んできた。
 なんなんだよ。
 何も持っていなかった頃の俺を相手にしなかったのは、お前らだろ。
 いまさらこっちが悪いみたいな、そんなの、
 ――おかしいだろ。



 いつの間にか、日が暮れかけている。
 どこかで、猫の鳴く声がした。

       

表紙

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Neetsha