Neetel Inside ニートノベル
表紙

わが地獄(仮)
『代金未納、支払不能』

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 俺は喫茶店にいた。なんの変哲もない喫茶店だ。時計を見る。午後一時。みんな学校にいったり会社にいったりしている頃だろう。しかし俺は喫茶店にいて、ホットオレを時々眺めつつ、窓から外を眺めている。時折車が走っているのを見て悲しくなる。こんないい天気の日に、狭苦しい道にねじ込むように車を転がすなんて俺なら耐えられない。おなか痛くなって、気分悪くなる。それはいい。いまはホットオレだ。俺はそれを飲む。熱くて美味しい。ほっとする。
 俺の前に金髪の美少女が座っていた。金髪美少女。いい言葉だ。それだけで癒される。金髪美女もいいが、黒髪美少女もいいが、なんといっても金髪美少女だ。これはもう二つで一つのセットの単語。ほかにない。
「あのー、お話はお伝わりしたでしょうか?」
 なんだかへんてこな敬語で俺は金髪美少女に尋ねられた。制服を着ているが、このへんでは見かけない仕様。胸のところに閉じられて南京錠をかけられた古風な門のエンブレムが縫いつけてある。俺はカップを置いた。
「お話はお伝わりしたですよ。つまり俺はこの世界の人間じゃない、と」
「はい!」金髪美少女は、よかった、こいつそれほどめんどくさくない、といいたげな少しひきつった笑顔を浮かべた。
「そうなんですよ。あなたはこないだ死にまして、とっても可哀想なので、私は神様からお告げ、もらいました。救済しちゃっていーんじゃない? と。流行ですよね、異世界転生」
「そうですね。でもここ異世界じゃなくね?」
 金髪美少女は「だましのテクニック2014」という分厚くて黒い教本を眺めたあと、わざとらしい顔で「チッチッチ」と指を振った。
「剣と魔法の中世ファンタジーだけが異世界の全てではありません。いいじゃないですか、ちょっとよく似た隣の世界。そっちでもよくないですか?」
「べつに困らなければなんでもいいけどね」俺はホットオレ代が書かれた領収書をひらべったくテーブルに伸ばして広げた。
「それで、俺はどうすればいいのでしょうか」
「それはもう、ご自由に。いろいろチートはあげましたから、それを使って、なんでもござれ。何をしたってあなたの自由! 警察はあなたを捕まえられませんし、法律はあなたを見過ごしますし、それらは全部不思議な力で賄われます! あなたはなんの不安もなく、人生を謳歌すればいいんですよ」
「具体的には、どうやって?」
「学校にいけばいいんですよ。学校にはなんでもあります! 生徒会長、退屈な授業、気の合う同級生、頼れる先輩、ロリっ子先生、えーとほかにもそーだいろいろあります。いろいろ。だってそうなんでしょ? 学校にはなんでもあるんでしょ? だからみんなライトノベル読むんでしょう。あなただってそうでしょう」
「そうですね」俺は飲まずに終わったお冷のコップを爪でひっかいた。
「魔法とか、学んじゃいましょう。そうしましょう! 社会に出てひけらかしても恥かくだけの馬鹿な学問なんかうっちゃってですね、なんかこう光り輝いてて、ドバドバ使えちゃう感じの魔法をですね、覚えた方が楽しいし、学びたいってみんな思うし、いいことづくめでしょ? どうせ大事なことは教えてもらえないんだから」
「大事なことって、どこに書いてあったの?」
 俺がついぞ知らずに終わった質問に、金髪美少女は気安く答えた。
「どこにも書いてありませんよ、それをね、一番に教えてもらわなければならなかったんですけど、誰かに、でも誰もあなた方にそれを教えなかったから、あなたは死んでしまったんですよ。きっとそうです! 誰かのせいです! ね?」
 金髪美少女は微笑む。
「あなたは可哀想でしょ?」
 俺はちょっと考えてから、ストローの袋をびりびりに破いた。
「それはどうかなァ」
「またまたァ。見栄をお張りになっちゃって。いいことありませんよ、そんな風に頑張っても。無駄なんです! 何もかも! だからみんな救われたがるんですよ、無駄だから。そうでしょ?」
「そうかもねぇ」
 俺は金髪美少女を見つめた。
「で、俺はその魔法学校とやらに通って、魔法とか覚えて、気の合う仲間と悪いやつらをやっつけて、思い出いっぱい作って、卒業して、そして……どうなるんだ?」
「卒業なんてしませんよ」ニコニコ。
「卒業するなんてとんでもない! 学校だけが唯一の聖域なのです。社会に属しているという安心感が得られます。勉強だけしてればいいのです。成績で社会への忠誠度が計れます。困ったら先生に泣きついて、役に立たなければ罵倒すればいい! 相手がたかが同じ人間だということも都合が悪いから右から左にポポイのポイ。全然それで構わないのです。あなたはただ安寧と無思考の中で漂流していればいい。それが救いというものです! 神の御慈悲なのです!」
 金髪美少女の胸のエンブレムには「HEAVEN HIGF SCHOOL」と記してあった。
「……へえ。じゃあ、三年生が終わったら、また一年生からやり直しか」
「そうです。後輩だった人はどこかで見た記憶があるようなないような、そんな先輩に早変わり。いつでもどこでもデジャヴの嵐、でもそれこそがノスタルジー? 見ず知らずの人の中へ入っていくなんてとんでもない、そんなことは、ただのストレスです!」
「ストレスねぇ」
 金髪美少女は、午後の陽ざしを燦々と浴びながら両手を広げて、ビロードのように滑らかな舐め切った笑顔を浮かべる。
「脳を軟化させましょう、思考をやめましょう。考えることなんて悪夢の続き、そんなことをしていても始まらないのです、奇跡は神の御業であり、あなたたちの持ち物ではありません! おこがましいことは全部おやめになって、ただ享楽の坩堝へと落ち込みましょう。そうしましょう」
「落ち込みそう」俺は笑った。「あんたの話を聞いてると」
「なぜです?」金髪美少女はテーブルに身を乗り出し、つぶらな瞳を見開き、その膝からはマニュアル本が落ちて派手な音を立てた。
「私はあなたを救済しようとしているのです。これは救いなのです。戦闘は悪です。思考は罪です。改善は増上慢であり、手直しは神への侮辱です。あなた方に何ができますか? そんなことをしていていいことありますか? 烈しく昂ぶる稀少より、解けた糸より細い継続を望む。そこに在り続けた、与えられ続けるフィードバックだけを信じて、本当に信じたかった『どこかの誰か』を見殺しにする。それがあなた方のやり方でしょう? あなた方の弱さでしょう。神は微笑まれました。あなた方は神を喜ばせたのです。その脆弱さによって」
「だから」俺はくたびれたソファに深々ともたれかかった。
「神様は俺たちを異世界に運ぶのかな? 死者に救いを与えるのかな? それが神様のいないこの国の人間が選んだ『救われ方』なのかな? だとしたら」
 俺は鼻をかんだ。血まみれだった。
「地獄こそ神の不在なり」
「ですから神は、あなた方にたったひとつの信仰をお与えになったのです。
 ――『死ねば救われる』。
 ――『死ねばそれまでの労苦が全てねぎらわれる』
 素晴らしい教義ではありませんか、まさにその通りです。
 神を否定し、神に近づこうとした人間すべてを拒絶した人間共に残された最後の頼みの綱が、やはり神による安寧というのが、実に滑稽で、笑えますね」
 ニッコリと微笑む金髪美少女を俺は睨みつけた。
「それがあんたたちの本音ってやつか」
「そういうことになりますね。それでもあなた方は何もできない。なぜならあなた方は『絶対に勝つ』ということの甘く黒い喜びを拒否できないから。それを拒否できる英雄を、あなた方は皆殺しにしました。断固として根絶しました。もう残っていません。ですから、これは誰にとっても完全なる救済なのです」
 陽ざしが強くなる。目が痛くなる。俺は顔をしかめた。少女は語り続ける。
「この喜びを、正しさを、拒める人間が残っていれば、神は憤怒するでしょう。しかし、それこそ人間が家畜ではないということの証左です。神は豚に情けをお与えにはなりません。それが情けになりうる限りは」
「ずいぶんと神学じみたお話ありがとう。全然わからねえよ」
「あなたがそれを理解することを神はお望みではない、とだけ言っておきましょう」
 さあ、と金髪美少女は手を差し伸べてくる。
「何も考える必要はありません。逆らう時代は過ぎ去りました。後に残ったのは無限の平穏、永遠の思考停止。死よりも軽い人生です。どうか、お手をお取りください、マイ・マスター――家畜様」
「勘定」
 俺は言った。ポケットをまさぐる。使わずに終わったチケットの束の奥に、少しだけ小銭が残っていた。
 それでいい、それで充分。
 クリスマスの朝にプレゼントが見当たらなかった幼女のように、金髪美少女は戸惑いを隠せていなかった。俺はその頭をポンポンと叩いた。振り払われた。俺は笑った。苦い微笑み。
 指先だけで、領収書をアクリルポットから抜き取る。二日酔いみたいにふらつく足取りで、空っぽのレジに小銭と領収書を置く。肩で押すようにしてドアを開けて、ベルを鳴らして、表の通りへ出ようとした俺に、後ろから何か叫ぶ声が届いたが、聞かなかったことにした。外は埃っぽい風が満ち満ちていて、渦を巻き、俺を罵った。全然いい。全然かまわない。砂利だらけの道にスニーカーを叩きこんで、PM2.5だらけの、黄色っぽい汚れた空を見上げる。
 いい色じゃん。
 思ったよりも。
 これでいい。俺はこれで。
 砂利を蹴飛ばして、鼻をすすって、俺は歩き出す。
 どうせ足りない分の勘定は、欲しけりゃ追っかけてくればいい。
 神様が、たまには自分の足で。
 俺ならそうする。
 自分の足で。

       

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