Neetel Inside ニートノベル
表紙

わが地獄(仮)
『俺と先輩』

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 部活に入ることにした。
 その名も『何も考えなくていい部』。
 俺の学校は必ずどこか、部活に入らなければならない。だけど校風そのものは緩いので、こういう活動目的の謎めいた部活が結構ある。
 本当はサッカー部に、とも思ったけれど、やっぱり中学の頃のこととかもあるし、運動部はやめておこう……そう思って、俺は西校舎四階の外れにある、『何も考えなくていい部』の部室前を訪れていた。まずは部活見学を、と思ったのだ。もう五月も半ばだし、そろそろ入部時期が終わってしまう。
 おそるおそる、扉を開けてみた。
「すいませーん……」
「ん? ああ、いらっしゃーい」
 中には女子生徒が一人いるだけだった。上履きの色が緑なので、一個上の二年生だということが分かる。俺はとりあえずペコペコしておいた。
「あのー、部活見学に来たんですけど……」
「ん」
 いきなり紙切れを手渡された。正直に受け取る。
「いや、いきなり入部届けとか困るんですが……結構スパルタな感じですか?」
「そんなわけないじゃん」
 先輩はケラケラ笑った。
「最初に渡しておけば何も考えなくていいだけだから」
「あ、なるほど」
 俺は部室をキョロキョロと見回した。普通はテーブルでもありそうなものだが、それはなく、広々としている。ロッカーなどもなく、部屋の隅にバスケットが置いてあり、そのなかに雑然と将棋版やオセロなどが詰め込まれている。また、テレビまで置いてあった。ゲーム機と接続されている。
「それ……」
「ああ、これ? ゲームだよ。こっそり持ち込んでんの。先生には内緒ね」
「わかりました」
 やらせてもらおうかとも思ったが、なんかそれも不自然なので、俺はカーペットの上に座っている先輩の前に正座した。
「それであの、部活紹介してもらいたいんですけど」
「まじめだねー」先輩はニヤニヤ笑った。ショートカットの童顔なので、笑顔になると年下に見える。
「部活っていったって、その名のとーり、何も考えなくていい部。だから、そんな部活紹介とかしたくてもできないっつーか」
「でも、普段はなにかしら活動してるんでしょう」
「なにも? まあ、何も考えなくていいために何をすればいいのか考える、のが、活動目的かな?」
「……具体的なイメージが湧かないんですが」
「そう? 休みの日に自分の部屋にいる感じでいいんだよ」
 そう言うと、先輩はカーペットの上にごろりと寝転がった。スカートがまくれあがって、白い太ももが露になる。
「ごろにゃん」
「ちょ、ちょっと……」
「あはは、顔赤~い。ウブだねえ」
「…………」
 俺はちょっと憮然としながらも、入部届けにサインしてしまったのだった。

 ○

 『何も考えなくていい部』の部員は、女子しかいない。それはなぜかというと、うちの学校は割りと運動部がにぎやかで、男子はそっちに取られてしまうのが普通だからだ。上昇志向、というわけではない。運動が苦手な男子でも出来るように、バリアフリーのスポーツで活動する部活が結構あり、車椅子や、盲目の生徒も、元気に運動部で活躍しているのだ。だから俺みたいに何がなんでも文化部、というのは珍しい。そもそも準備運動してちょっと動いた後は部室で駄弁る、なんてう野球部やサッカー部が結構あるのだ。そう、うちの学校は部活の重複がオッケーなところであり、顧問もいらない。各自、自主的に行動するように、というのが校風。ただし、部活は絶対加入厳命。厳しいんだか緩いんだかよく分からない。
 最初に俺が会った先輩以外の部員を、俺はたまにしか見かけない。彼女たちは基本的にフリーダムで、ちょっと部室に顔を出してゴロゴロしたり、「う~~~~~」とか唸ったり、身体をひとしきりユサユサさせたりして、出て行く。神経症を患っていたり、チックの症状があったり、そういう人が一時的な『自分解放地点』としてこの部室を取り扱っているようだ。『心のトイレ』のようなもの、とは先輩の発言。ちょっとたとえがバッチィ。
 俺もチックが時々ひどくなって身体を捻ったりしてしまうことがあるが、学校にいるときは抑えている。が、やはりストレス。
「いーんだよ、身体をひねったり、しかめたりしても」
 先輩はカーペットに寝転がって、漫画を読みながら言った。
「私は気にしないし」
「いや、俺が気にするんで」
「なんだかなあ。こっちが気にしないんだから、君も気にしなくていいんだよ。だってここは『何も考えなくていい部』なんだから」
 そう言われてもなあ。
 先輩は自由でいいなあ。

 ○

 『何も考えなくていい部』は、教師から目の敵にされているかというと、そうでもない。というより、活動実績優秀な部活動として一目置かれているという。なぜかというと、『何も考えなくていい部』は、何も考えなくていいためにしなければならないことは全部やる主義だからだ。
 だから、宿題なんかも放課後になると一気に片付けてしまう。
 それが一番、何も考えずに済む方法だから、だという。
 なので俺たち部員は、集合できる奴は、最初に図書室に集まる。といっても俺は先輩しか見たことがないが。
 先輩と二人、俺は図書室で課題を全部終わらせる。その姿は教師の目にも留まるらしい。がんばんなさいよ、とか声をかけられたりする。『何も考えなくていい部』に入ったのに、なぜか勉学に励み、成績がぐんぐん上がっていく……不思議な気分だった。
「だって、それが一番ラクだもん」
 スカートをパタパタさせて換気しながら、先輩は言う。
「夜になって寝る前に『あー、やらなきゃ』っていうのが一番ストレスじゃん。それぐらいだったら放課後になったらとっとと終わらせちゃえばいいんだよ。どうせ二十分くらいで終わるしね」
「そりゃまあ、そうですけど……」
「不満そうだねー。勉強、教えてあげてるのになあ」
「そのことについては、感謝、感謝です」
 俺はナマステ、と先輩を拝んだ。逸早く課題を終わらせるために、先輩はいつも俺の勉強を見てくれる。放課後、かなり美少女な先輩に付きっ切りで数学を見てもらったりしていると、いやあ、この部に入ってよかったなあ、と骨に染み入るほど思う。
 しかしやっぱり、怠惰の象徴と言ってもいいような部活に入ってまじめに宿題を片付けていると、何も考えなくていい、ということの難しさを感じてしまうのだった。

 ○

「ほかにどんな部に入ろうと思ってた?」
 先輩は、「なんでこの部に入ろうと思った?」なんて聞き方はしない。ただ、「ほかの選択肢って何を持ってた?」ぐらいの、ポーカーで手札に関する番をかけてくる程度の質問をいつもしてくる。それはこちらの思考を出来る限り軽負担でまわしてくれようという、先輩の心意気を感じる言葉遣いだった。
 俺は椅子を三つ並べた簡易ベッドの上でラノベを読みながら、うーん、と考えてみた。
「サッカー部、ですかね」
「サッカー? モテたかったの?」
「いや、中学の頃、やってたんで」
 へぇ~と先輩が、夏の新作商品を見るような目で俺を見る。
「結構意外かも」
「でしょうね。親戚とかにサッカーやってたって言っても、信じてもらえなかったですし。こんなひょろっちい身体じゃ」
「遺伝でしょ? 診断書、出てたじゃん」
 俺は『発育不良児』として健康診断で「過度の運動は厳禁」というお墨付きを貰っていた。もっとも、ちょっと風邪を引きやすいぐらいで出してもらえる診断書なので、本人が無理したいといえば運動もガンガンやっていいし、体育の授業が全免除になるわけでもない。せいぜい週に一回くらいは出ないと単位はもらえない。とはいえ、体育の授業は簡単なマット運動やらドッジボールがほとんどなので、サボる理由も特にない。
「……サッカー、やめちゃったんだ?」
 先輩は頭の回転が俺の数倍は速いので、細かな説明をイチイチしなくて済むのがラクだ。俺は頷いて、補足だけ入れればいい。
「中学の頃、結構イヤな思いしたんで」
「ふうん? それって話せるヤツ?」
「ええ、まあ。大したことじゃないんですけどね」
 俺が大したことじゃないといえば、それは本人にとっては大したことだという意味になる。先輩はくりくりとした目をぐりぐり動かして、俺の意図を読みきっているらしい。無言で先を促してきた。俺はラノベを置いた。
「……俺、五中出身なんスよ」
「ああ、スパルタなとこだよね」
「はい。小学校の頃からサッカー、普通に好きだったんで、入ったんですけどね、サッカー部。でも、かなりきつくて」
「そうだろうね」
「朝練週五で休む暇なかったし、放課後も日が暮れるまで平気で延長してましたね。グラウンドにトンボかける頃にはもう夜って感じで。まあ、練習は好きだったんで、それだけならよかったんですけど、コーチが『勝たなきゃゴミだ』ってタイプの人で」
「うわあ」
「フォーメーションとか、ちょっとでも指揮と違うと怒るんですよね。それで点とか取っても駄目で。結果より過程が大事なんだ、とか知ったようなこと言ってたけど、俺からしたら自分のワガママを押し通したいだけに見えたし、そんなんで勝つサッカーなんてクソだって思ったんスよ」
 俺はぼんやりとあの頃に思いを馳せながら、続けた。
「でも、そう思ってたのは俺だけだったみたいで。チームのメンバーは『いや、それでも勝つのが大事っしょ』みたいな感じで。俺だけちょっと浮いてたんですよね。俺はべつに、プロのサッカー選手になるわけでもないし、学校終わってわざわざ公園いかずにその場でサッカーできる、ぐらいのアレでよかったんスよ。何もそんな、中学生同士の試合で勝つことになんの意味があるのか……」
 先輩はなぜか俺に近寄って来ている。俺はちょっと照れくさいので距離を取った。
「……ええと、それで、まあ、普通に、途中で抜けちゃったんです。結構、悪口も言われましたね。『本気じゃなかったんだな』とか『その程度だったんだな』とか。でも、俺は選手が楽しめないサッカーなんて、返す返すでなんですけど、クソだと思ったし、いまでも考えは変わってないんです。あんなボール遊び、楽しんだもの勝ちじゃないスか。なんの意味もないし、ネットにボールぶちこんだって。そりゃ、嬉しいですよ。勝ったら嬉しい。でも、勝っても嬉しくない位置に追い込まれる奴が出てまで『勝ちに拘る意味』って、何? ……って思うんすよ」
「ふーん」
 先輩はニヤニヤと笑った。
「私と一緒だ」
「……そうスか。なら、よかったです。喧嘩せずに済んで」
「あはは。喧嘩なんてしないよー。うちは仲良しこよしが部風なんで」
「はい、わかってます」
「まじめだなぁ」
 先輩に頭をぐりぐり撫でられて、俺は首を振ってそれから逃れた。
 いろいろ喋ってしまったが、
 それから俺は、サッカーについて考えることがなくなった。

 ○

 俺と先輩は付き合うことになった。
 唐突だが、仕方ない。俺もビックリしている。11月のことだった。入学して半年ちょっと。我ながら、暗黒の中学時代が嘘の様にスムーズな人生進行だった。成績も上がり、クラスの中でもそれなりの位置をキープし、教師からの評価も悪くない。なんだかサッカーやめてよかったのかな、と本気で思い始めてしまう。あんなに好きだったのに。でも、好きなものが好きでなくなれば、なんというか、その分の『何か』が人生には補填されるような仕組みがあるのかもしれない。なんの情熱も持っていない今、俺はとても、満たされている……。

「なんで俺なんスか」
 先輩が持ち込んだコタツに二人で足を突っ込んで、ウトウトしながら、俺は不意に聞いてみた。
 先輩は「ハッ」と目に横棒を入れながら、眠りの海から戻ってきた。
「え、なに?」
「いや、なんで先輩は俺と付き合おうと思ったのかなって」
 告白されたのは俺の方だった。その日はなんとなく二人とも舞い上がってしまって、ニヤニヤしただけで終わってしまったので、こんな重要な質問がこんな時期まで先延ばしにされてしまっていたのだ。
「う~ん」
 先輩は目をこすって、
「何も考えたくなかったから」
「……ハイ?」
「君のこと、気に入ってるけど、死ぬほど好きとかではないかなあ」
「……俺、ひょっとして、フラれてます?」
「いやいやそんな。これからもなにとぞ末永くお付き合いしてくださいまし」
 ぺこりん、と頭を下げる先輩。意味がわからん。
「じゃあ、どういう意味スか。好きじゃないって」
「そもそも好きって何? ……って私は思うのです」
 先輩はユサユサ身体を振っている。
「みんな本当の恋とか、たった一人の人、とか、そういうこと言って、彼氏の誕生日を手にスミ入れたりして後悔してるけど、それにどんな意味があるのかなって。いるわけないのに、運命の相手なんか。だって、私たちって、動物じゃん」
「……いや、人間では?」
「動物だよ」先輩は断固として言った。
「動物なんだから、本質的に、いっぱい子孫を残そうとするよね。だって、一夫一妻じゃ、リカバリーが効かないじゃん。相手選びにしくじったら、それでおしまい。そんなの誰も得しないじゃん」
「はあ」
「だから、たった一人を相手にするっていうのが前提から間違ってる。付き合うとか、付き合わないとか、実はもっといい加減でいいことだと思うんだ。本当の一人とか、運命の相手とか、いるわけないし、いたとしても地球上の全人口から総ざらいにしたら、一個都市くらいはいるんじゃない? だから、恋人選びなんて、『たまたまそこにいたから』とかで全然オッケー。駄目だったら他を探せばヨシ。だって私たちは動物なんだから。……ま、私は迫り来るクリスマスを前にして『ああ、恋人いたらどんな感じかな~』とか思いたくないし、結構お気に入りだったから、君にしたワケなんだけど」
「なんか、これは、喜んでいいところ、ですよね?」
「モチロン。……だからさ、私たちも『浮気オッケー』にしない?」
「ううぇえ?」
 変な声が出た。女子の方から、そんな魅惑の提案が繰り出されるとは、俺の人生経験では対応し切れない……
「それは……いいんですか? いや、いいっていうか、どっちかっていうと俺のほうが、イヤなんですが……」
「私のこと、そんなに好きなの?」
「ええ、まあ、そうなりますかね」
「ふーん、そうなんだ」先輩は嬉しそうだ。
「でも、気にしないで浮気していいよ。私は平気だし。まあ、私の方はどーなんだって言えば、……いまのところ、君より良さそうなのは、知らないかな」
「そうスか」
 先輩は立ち上がって、こっち側に潜り込んできた。
 二人で並ぶには、コタツはちょっと狭かった。

 ○

 それからちょっと経った頃、先輩と街を歩いていた時、中学の頃のサッカー部の連中とバッタリ出くわした。お互いに「おう……」みたいな感じで、特に話すこともなかったし、そのまま曖昧に笑って別れた。なんだかスタンドバイミーな感じ。先輩はちょっと気遣わしげに俺を見上げてきたが、俺はべつに気にしてなかったし、平気だった。お互いに、あの頃は、意味も分からず熱くなって、貶し合っていたが、そんなの、なんの意味もなかったように思う。
 俺は先輩の袖を引っ張って、自分のそばに引き寄せる。
 この世界に、考えなきゃいけないようなことなんて、何も無い。

       

表紙

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Neetsha