スタジアムのナイター照明がおれの目を焼く……かざした手の庇ごしに、おれは観客席を見渡した。熱狂したファンたちがビール片手に歓声を上げている。本物のファンと賭け好きなチンピラの割合は七三くらいというところか。
親父の肩から身を乗り出したガキが叫んでいるのが自分の名前だということに気づいて、おれはようやく、自分が決勝まで勝ちあがってきたことを実感した。ガキの帽子には茶色い骨を組み合わせたB.Hのロゴ。
おれは、棺を引きずりながら、スタジアムの中央に進み出た。
『さあやってまいりましたただいまAサイドから姿を現したのは<電撃の貴公子>! <腐敗の帝王>! ドクタァ――――――マ――――グマ――――――!!! 今日もその熱いハートで、おれたちを痺れさせてくれ――――――――ぃ!!!』
おれは投げキッスを観客席に投げ放った。爆笑が起こった。おかしい、おれの期待した反応と違う。
これだから生きている人間はいやなんだ。
おれは、引きずってきた棺をえっちらおっちら起こした。なかからぶち破ることは祝福されし神にも不可能、特殊合金<ブラディウム>製のカンオケだ。
おれは、そのフタを金属板入りアーミーブーツの底で蹴りつけた。
びぃぃぃぃん……と重々しい音が場内に轟き、バカッとフタが開く。
のそり
ゆっくりと出てきたのは、少女。
ただし、その両腕はだらりと太ももの横に垂らされ、ほつれた金髪が乱れて額にかかっている。目は皿のように広がり、ぎょろりと動くその目玉に見据えられた観客たちは次々に恐怖で身体を震わせる。
<内蔵リニア発電稼動型ゾンビ 施術タイプD-13>――ミザリー。
おれの最高傑作が、夜空の虚空へと吼える。
これが、B.H。
『みなさんたいへ――――――ん長らくお待たせいたしましたァん!』 実況の声が、歓声にかき消されないように必死に張り上げられる。
『バクット・ハラワター、ラクーン地区予選、決勝戦のお時間です!!!!』
2122年、死体を電流で使役する技術が確立された。
古い時代の人々は『リンリカン』というもので、死者の遺体を尊んだらしいが、おれにはよくわからない。
22年の科学者たちも一般市民もそんなことは考えず、「えっ、焼くだけだった死体が労働力になんの!? まじやべーっ!!」ってなってすぐ使い始めた。
奴隷を使役することにより、月と火星に植民地を作り、人間は彼らを農場、工場、発電施設に勤めさせた。
人類は労働から解放され、その生涯を娯楽に費やすようになった。
ゾンビはユートピアを造ったのだ。
そして、そのゾンビを寄生型人工脳髄と各神経系に埋め込んだ制御装置から発される電撃で使役し戦わせる
ここらへんでOPが入ると思う。
いつかこのおれさま、天才ドクターマグマの自伝をアニメ化するときは、作画は綺麗めでよろしく頼む。
敵のゾンビがミザリーに組み付き、噛み付こうとその大顎を開いた。黄疸色のよだれが犬歯から滴る。観客から悲鳴が起こる。
ミザリーは、目を限界一杯まで見開き、低く唸ると大顎に両手を突っ込んだ。
「あが」
敵のゾンビのマヌケな喘ぎに、ミザリーが嗜虐的な笑みを浮かべる。ここで通のファンはどよめく。
ふふん、とおれは戦場から距離を取りつつ、観客どもの反応に言い知れぬ満足感を覚える。そう、おれのミザリーは、
「顎かち割れなぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
――世界初、生前の意識を再生させた、<思考するゾンビ>なのだ!
ちなみにこれ、犯罪だからミザリー喋ったりしちゃいけないんだけどウンあいつおれの言うことに従う気やっぱないみたい! やっべ!
この試合が終わったら――試合自体は賭けとの兼ね合いで絶対終わるまで続行される、どんな事故が起ころうと――ランナー協会に呼び出されて査問モノである。
敵のゾンビを引き裂いたミザリーが返り血を浴びたまま腰をひねってセクシーポーズを取っている。実況が興奮しすぎて言語野を凍結させ放送事故を起こした。
おれはとりあえず、心配事はぜんぶ忘れてこの勝負の間だけは勝負のことだけ考えようと思って、腕を組み不敵な笑みを浮かべた。
「どうした、ドクターボルト。おれのミザリーには歯が立たないだろう? 死体蘇生学部のゼミんときといっしょ、おまえはB+、おれはA。そういうことよ」
ボルトは蓬髪のなかからゾンビよりも血色の悪い顔でおれを睨んだ。
「うるさいマグマ。まだ一体やられただけだ」
「何体来ようが一緒だ。ラジコンとアンドロイドじゃ勝敗は決まってる。てめえとおれとじゃ、天と地ほどの差があんだよ!」
「マグマ」
「んだよ」
「次の一手は、なかなか効くと思うぜ」
おれはにやにや笑いで挑戦にこたえた。こいつのはったりはガキの頃から聞き飽きてる。
ボルトの貧弱な足が次のカンオケを蹴り開く。
ぬうっと新たなゾンビが、スポットライトの、なか、に……。
「おい、なんで……」
そのゾンビのデッドネームは知らない。
だが、その生前の名前は知っている。
ドクターサン。
おれの、おやじだ。
『リンリカン』ってのがなんなのか、おれにはよくわからない。
死体という労働力を得た今、人間は犯罪をおかさなくなった。その必要はない、人類皆ニート。
もはや生き物に求められているのは、ただ芸術のみ。
作り物の感動で、死ぬまでの退屈を埋め合わせるだけ。
それだけだったはずなのに。
「――グマ、おい、――――ったら!」
ゾンビは本人じゃない。
おれのミザリーでさえ、記憶と意識は再生したが人格には不備が残った。
わかっている。
わかっているんだ。
「――すんだよ、おい、指示をくれ、マグ――」
頭が痺れて、思考が空転。なにもしたくないし、目を開けているのがつらい。
「――マグマってばッ!」
「ミザリー……おれ……」
「こんの――ボケェッ!」
べちゃ。
おれの視界が真っ赤に染まった。
白衣の袖でぬぐうと、足元の芝生に顔にはりついていたものが生々しい音を立てて落ちた。
心臓だった。
それでも空っぽの意識のまま、おれは、ミザリーと――を見る。
遺伝遡及技術によって太古の獣と同じほどの長さに伸びたミザリーの爪が――を切り裂く。が、皮膚一枚下には鋼鉄板が仕込まれており、折れたミザリーの爪はスポットライトの白光の向こうへと消えた。
戦いながら、低脳のフリも忘れて、ミザリーが叫ぶ。
「忘れたのかよ!」
「――――」
「バクワタに勝って、世界サイコーの科学者になって、あたしを生き返らせてくれるって嘘だったのかよっ!」
「――――」
「どうせ死んでも動くなら、生きている方がずっといいって、おまえ、」
ミザリーの左腕が――に引きちぎられ、緑色の血が噴出し、筋肉と脂肪の欠片が散乱して、
「患者はきちんと最期まで治すって、言ってくれたんだろうがドクターマグマぁっ!!!」
「ボルト」
ボルトはリモコンをもって嬉々としてドクターサンの死体を動かすのに熱中していて、おれの声が届いていないようだった。
構わずおれは続けた。
「――巻き添え食うなよ」
白衣のなかに手を突っ込み、スイッチを握り締める。
これがおれの最高傑作。
その言葉に嘘はない。
たとえ相手が誰であろうと、
おれは自分の夢を叶える。
いつか、きっと。
だから親父。
それまで、安らかに眠っとけ。
おれはスイッチを押した。
ミザリーの身体にはまだ仕掛けがある。
体内にある発電機を臨界点を越えて稼動させ、空間に穴を開け、そこに飛びこむ、すると敵は当然ミザリーを見失い慌てふためく。
賢いボルトはスタジアムに設置された障害物にサンの背中をくっつけさせ、ミザリーの攻撃範囲を視界一杯におさめ不意打ちをなくしたつもりになっていた。
おれがボルトでもそうしたろう。しかし模範解答だけではB.Hでは勝ち残れない。
ボルトの顔が驚愕にゆがみ、すぐにふっと頬が緩んだ。科学者として、負けを認めたのかもしれないし、やってられないとやけに笑って見せただけだったのかもしれない。
観客がどよめいた。実況はもう錯乱している。
サンの体内から、ミザリーの腕が生えていた。
サンはそれを不思議そうに見下ろしている。
静まり返った場内に、不気味な音がこだまする。
ばりぐちゃばりぐちゃもぐばりぐちゃ
誰かがぽつん、と呟いた。
「喰ってる……」
サンの白衣の隙間から、ミザリーの顔がもこっと出てきた。
その唇には、ゾンビとランナーを繋ぐ遠隔操作用のビーコンカード。
ミザリーはそれを思い切り噛み砕き、
観衆二万三千人にむかって、ばちっとウインクしてみせた。
爆発するような歓声が起こって、おれは意識をうしなった。
おれはミザリーについて、彼女が本人の人格をそのまま引き継いでいないこと、この研究が不老不死へ貢献するものであることをランナー協会とB.H委員会とアンブレラ・ユニバーシティのお偉方どもにノイローゼになるほど詳しく説明してやり、なんとか免許剥奪だけは免れた。
おかしなことに、わが生涯の仇敵ボルト・ウェスカーはおれの研究が医療関係、死体使役技術において非常に有益であること、またおれの発想がボルトの研究を元にしていること(根も葉もないってんだ)をアピールし、なんだかんだでおれを擁護してくれた。
その動機は目下不明。
ミザリーに意見を求めたところ、
「ホモなんじゃない?」
いくらなんでもボルトが哀れになっちまった。
この時代、心なんてものがあとどれほどの歳月に耐えうるのかはしらないが、おれは、この人間くさいゾンビ少女とともに、世界最高の頂を目指してみるつもりだ。
ま、縁があったら、またよろしく。
おれの名はドクターマグマ。
<腐敗の帝王>って異名は、実は結構気に入ってる。