Neetel Inside ニートノベル
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 薄闇に包まれた格納庫内――少女たちの声が響き渡る。
「ハンカチハ持ッタカ?」
「うん」
「ポケットティッシュハ?」
「うん」
「部屋ノ戸締リハシタカ?」
「……うん」
「貴重品ハ肌身離サズ持ッテルンダゾ」
「……」
 エイラ・イルマタル・ユーティライネン中尉は、これから夜間哨戒任務にあたる仲間のウィッチに事細かく確認作業を繰り返していた。
 夜間哨戒――夜の空に単独で繰り出し、敵ネウロイの出現に備える重要な任務。事の次第によっては単独でネウロイとの戦闘に至る場合もあるので、その意味ではエイラが行っている確認、点検作業はしてしすぎるということはないのだが。もっともエイラの確認していることは任務とはあまり関係のないものだった。
「ストライカーノ調子ハ大丈夫カ?」
「…………」
ようやく、任務と関係のある事柄を確認しはじめたエイラ。しかし哨戒任務にあたる張本人である少女は、そんなエイラに沈黙でもって答える。
「整備不備トカナイダローナ? チョット待ッテロ。シャーリーヲ呼ンデ点検サセルカラ」
「…………」
 甲斐甲斐しく出撃準備を手伝っていたエイラだが、肝心のストライカーなどの精密機械類の造詣は深くなく――つまり役立たず――結局、メカ類に強いシャーリーに頼ろうといそいそと小走りで格納庫を後にしようとした。
 その背へ少女の声が投げかけられた。
「エイラ……」
「ン? ドウシタ?」
 急に黙りこくった少女がようやく口を開いたことに、にわか喜色の表情を浮かべて振り返ったエイラだったが、
「鬱陶しい」
 少女の故郷であるオラーシャの極寒の大地を思わせる冷厳な一言に、エイラは文字通り凍りついた。
 アア、サーニャ。私ヲソンナ冷タイ目デ見ナイデクレ……。イヤ……ダガソレガイイ!
 少女――サーニャ・V・リトヴャク中尉の家畜でも見るような冷たい視線に、エイラは快感を覚え恍惚とした表情で身体をぶるりと震わせた。

「じゃあ、私行くから。夜更かししちゃダメよ、エイラ」
 滑走路に並んで立ち、夜空に浮かぶ月を見上げていた二人だったが、やがてサーニャの方からぽつりと口を開いた。
 エイラはそんなサーニャにもじもじしながら「ウ、ウン」と曖昧に頷いた。
 やがて静寂に包まれていた滑走路に魔導エンジンのけたたましい駆動音が響き渡る。
 ふわりと浮かび、一度エイラを振り向いたサーニャは月を目指すように空へと飛び立つ。
 その背へエイラが未練がましく声をかけた。
「サーニャ!」
 上昇飛行中だったサーニャが月を背景に振り返って小首を傾げる。
「ナンカアッタラスグ通信入レルンダゾ! 私ガスグニ駆ケツケルカラナー!」
 口元に手を添えて叫ぶエイラ。その後に耳元を人差し指でぽんぽんと叩いてみせる=インカムを入れてサーニャから通信が来るのをずっと待っているぞ、という合図。
 サーニャはそんなエイラの様子を見て口元を薄く綻ばせると、くるりと背を向けて何も言わずに空を駆け上がっていった。
やがてその姿は闇に飲み込まれたように見えなくなり、淡く発光する赤と緑の識別灯がぼんやりと夜空に浮かぶだけとなった。
 滑走路に残されたエイラはその赤と緑の輝きをいつまでも見上げ続けていた。そしてその光も見えなくなると、エイラはどこか寂しそう溜息をこぼして宿舎に戻ることにした。
「サーニャト一緒ニ飛ビタイナ……」
 自然と胸の内で考えていた事が口をついて出る。一度前に部隊長である中佐に直談判をしたことがあるが、中佐は首を縦に振らなかった。
 ネウロイの出現が頻発していた頃はサーニャと共に夜間哨戒に当たることが度々あった。しかしここ最近は敵の出現も落ち着いてきたため、哨戒任務に人員を割くことは少なくなってしまったのだった。
 サーニャは夜の空を独りで飛びながら何を考えているのだろうか。自分はサーニャがいない夜は寂しくて胸が張り裂けそうだというのに。サーニャはいつも独りで飛んで寂しくないのだろうか。
 夜はいつも鬱屈とした思いがエイラの胸の内を占拠する。
 最後にもう一度だけと、エイラはサーニャが飛んで行った方角の空を見上げた。その闇の中に彼女の姿を探して。と、その時。不意に耳元のインカムがザザッというノイズを発した。
《ありがとう、エイラ。私は大丈夫よ》
 まるで計っていたかのようなタイミングでの通信+まるで自分の胸の内を読んでいたかのような言葉=頬が勝手に緩むのを止められない。
「サ、サーニャ!」
 まるで飼い犬が主人に尻尾を振るうようなエイラの弾んだ声に、サーニャのくすくすという笑い声が耳の中で響く。
「ナ、ナニガオカシインダヨ……」
《だって、エイラ……ふふふ》
「ムゥ……」
 エイラは空を見上げながら不満そうに唇を尖らせた。その視線の先に赤と緑の識別灯の淡い光――サーニャを見つけた。なんとなくサーニャがこちらを見ている、そんな気がした。
《エイラがいつも一緒にいてくれるから、私は寂しくないわ。今も……こうして繋がってる》
 無線を通して伝わるサーニャの優しい声音が、自分の胸の内を温かくしていくのをエイラは感じる。
《離れていてもいつも一緒。いつも繋がっている。だから私は一人で飛んでいても寂しくなんかない。エイラは……寂しい?》
 ――そうだ。そうだよな。私たちはいつも一緒だ。離れていてもこうして繋がっている。心が通じ合っているんだ。
 エイラは先ほどまでの鬱屈とした思いが、急速に晴れていくのを感じた。心がぽかぽかしてくるのを感じた。改めて――サーニャが好きだと感じた。
「……ウン。寂シクナンカナイゾ。私モサーニャト繋ガッテルカラ」
《うん》
「サーニャ、アリガトナ」
《なにが?》
「ウウン、ナンデモナイヨー」
 さっきまで落ち込んでた自分が急に可笑しく思えて、今度はエイラが声をあげた笑った。
 そうして、互いにおやすみを言い合ってサーニャとの通信は切れた。
「サーニャト私ハイツモ繋ガッテル……ニヒヒ」
 エイラは識別灯のぼんやりとした光が完全に見えなくなるまで夜空を眺め続けて、ようやく兵舎に戻ることにした。
 サーニャとの通信を思い出しながらニヤニヤとした顔つきで滑走路を歩いていると、不意に格納庫から何かが轟然と飛び出してきた。
 エイラの脇を目にも止まらぬ速さで駆け抜けて行った何かは、そのままサーニャが夜間哨戒へと向かった方角に飛び立って行った。
「ナ……」
 識別灯も点けずに飛んで行ったものを見上げながら、エイラは呆然と呟いた。
「ナニヤッテンダアイツ」

 夜の空はどこか心が安らぐ。
 高度二千メートルの空域を漂いながら、サーニャはぼんやりとそんな事を考えていた。
 地平線の向こう側まで遮蔽物なく見渡せそうな空域/眼下に広がる広大な雲海/夜の空を淡く照らし出す月明かり。
 こうして一人で空を飛んでいると、その全てが自分のだけの物のように思えてくる。
「ラーラララー♪ ララララー♪」
 ここにあるのは自分だけの時間。思い出すのは故郷の音色。口ずさむ懐かしいメロディー。
 なんとなく今日は色々な事を思い出す。たぶん、エイラと話して少し気分が良いのだろうとサーニャは思った。
 背面飛行で浮かびながら、サーニャはふとここよりさらに高い夜空を見上げた。そこには淡く輝く満月が浮かび上がっていた。
 ――あの日も、こんな綺麗な満月の日だったなあ。
 いつかの自分の誕生日。その日も今日と同じように夜間哨戒任務に就いていた。ただ今日と違うのがその日が誕生日だったから、というだけではない。
 その日は――エイラと宮藤と共に空を飛んでいた。
 あまり遠い昔というわけではない。だが、その時以来もうずいぶんと誰かと一緒に空を飛んでいない。サーニャはその誕生日だった日が、なんだかひどく遠い昔のことのように思えてきた。
「また、誰かと一緒に飛びたいなあ……」
 哀切の響きを含む呟きをもらすと、サーニャはすっと瞼を下ろした。瞼の裏に優しい月明かりを感じていると、自分のベットの中を思い出してふと眠気を覚えてしまう。
 だけどこうして目を瞑っていると――いつも一緒に寝ているエイラの温もりを感じる気がする。心が温まる。
 やっぱり今日は気分が良いみたいだ。サーニャ目を力強く見開き、気を引き締め直して任務にあたることにした。
 その時、ふと違和感を覚えた。その違和感の正体はサーニャの固有魔法である魔導針――哨戒レーダーのようなもの――の探査によって、すぐに導き出される。
 しかし、違和感の正体を知ったサーニャはさらに首を傾げることとなる。
「……なんでここに?」
 不思議そうに呟くと、サーニャは方向転換をしてそれに近づいていった。

 時間は少し遡る。
「芳佳ちゃんは絶対に渡さない……芳佳ちゃんは絶対に渡さない……芳佳ちゃんは――」
 闇に包まれた部屋の中に、少女の呪詛のような呟きが永遠と木霊していた。
「なんなのよ、あのクソビッチ。絶対……絶対に許さない」
 少女――リネット・ビショップ曹長は、カーテンを閉めきり明かりも点けず完全なる闇に身をまかせて、サーニャに対する激しい憎悪を燃やしていた。
 思い出されるのは今朝、サーニャが言っていたこと。その言葉を思い出してリーネはぎりっと歯噛みして、顔を醜悪に歪めた。
『芳佳ちゃんもエイラもみーんな私のもの。アンタみたいな田舎臭い小娘はお呼びじゃないのよ。引っ込んでなさい、肩幅ちゃん』
「死ねよクソビッチ!」
 リーネは激しい憤りを抑えきれず、部屋の壁に自らの拳を叩きつけた。明らかに今朝のことを、サーニャ一人が悪者のように都合よく改変していたのは内緒だよ!
 怒りに身を震わせはあはあと肩で息をしていると、ふいに外から誰かが楽しいそうに喋っている声が聞こえてきた。
 耳を澄ませてみると――。
「サーニャ体調悪クナイカ? 今日ハ私ガ任務代ワッテヤロウカ?」
「大丈夫」
「オ腹空イテナイカ? 夜間哨戒ニ行ク前ニ何カ食ベテ行クンダゾ」
「食べた」
 ――エイラと、憎きサーニャの声が聞こえてきた。
 話を聞く限りだと、どうやらこれから夜間哨戒に行くところらしいが。
 その時、リーネの頭の中で何かが閃いた。
 にやりと口の端を歪めて、リーネはまたぶつぶつと呪詛を唱え始める。
「闇討ちしかあるめぇよ……闇討ちしかあるめぇよ……」
 そうして、リーネは時間を見計らって部屋を後にした。
 瞳に暗い光を湛えて、ゆっくりとした足取りで向かったのは――――格納庫だった。

       

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