Neetel Inside ニートノベル
表紙

賭博残虐王シマヘビ
Crazy Lover's War

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 扉が閉まった途端、耳が痛んだ。なにも音がしないから、役目を失った鼓膜が解雇を恐れて震えている。
 等間隔に灯された蛍光灯のハイウェイの果てで、階段が暗闇に呑まれている……。
 蛇崎は、ジャケットの上から二の腕をさすった。
 蛇革の袖をまくってみれば、毛を根こそぎ引っこ抜いたようなぶちぶちが浮かび上がっているだろう。
 観察されたり注目されたりすると鳥肌が立ってしまう。子どもの頃からそうなのだ。
 じっと横の壁を見つめてみる。
 透明なカメラのレンズとアイコンタクトを交わす。
 その奥で鳴り響くポップコーンをかじる音がこの薄暗い地下まで届いてきそうだ。
 おそらくあちこちにカメラがあって、『やつら』は、プレイヤーを観戦しているのだ。
 ここが元はスナッフ・ビデオ作成用のステージ――と白垣は言っていたが、ひたすら階段を降りていく動画なんて見ておもしろいのか。
 おもしろいのだろう。
 一歩ずつ、一歩ずつ、慎重に歩きつつも先をゆかれる不安から、流れる足は速まり、はっと止まる。
 暑くもないのに汗を垂らし寒くもないのに顎を震わせる。
 そして足の速さが、次第に頭のカウントを振り切っていたことに気づき、おおよそでプラスマイナスをつけ差を減らすか、それともいっそ戻って数え始めるか、下まで走り抜けて宝箱を独占するか、ぐるぐるぐるぐる考えるやつを眺めるのは――きっとおもしろいのだ。
 蛇崎は、やつらを楽しませてやるつもりはなかった。
 万歩計をベルトに挟み、最初の段を降りる。
 かつん、と響いた足音が波紋のように拡散していく。
 最初の一歩。
 万歩計は何度も確かめてみたが、一段につき1カウントで安定している。
 問題ない。一番いいものを選んだ。一万段でも二万段でも数え切れる。果てがなくても。
 そう。
 この階段、果たしてどこまで続いているのか蛇崎たちにはわからない。
 蛇崎が試したところによれば、高校の階段を一階から八階まで、二分五秒。段数は176。
 ざっとあらかた試算して二時間で降りられるのは約10560。
 それも同じペースで降り続けられればの話だし、最下層まで20000段あるかもしれない。
 だから蛇崎は、男子の脚力をもってして階段を駆け下りてしまおうとは思わない。
 宝箱をすべて回収すれば、勝てる。
 しかし、宝箱をすべて回収できるとは言われていない。
 蛇崎は思う。
 このゲームを考えたやつも、このステージを用意したのも、いまコンクリートの壁の向こうにいるやつも、みんな敵だ。
 味方はいないし、誰も蛇崎を心配してもくれない。
 罠を打たれても蛇崎にはどうしようもない。
 だったら、乗るしかない。
 ――ゲームに。
 いつだってそうだ。
 危険になったからといって、地下と地上がそれほど違うとは思えない。
 笑われてもいい。
 卑怯だとそしられてもいい。
 蛇崎には、関係ない。
 ――いったい誰が、このおれのためになにかをなげうってくれるというんだ? 金や物は恵んでくれるやつがいるかもしれないが、残念ながら時間と思考はそんなものには比べ物にならないほど値打ちものなのだ。
 足音が孤独を訴えてすすり泣き、忠実なるしもべは彼の軌跡を記憶し続ける。
 二分五秒もしないうちに、最初の踊り場が見えてきた。





 踊り場に足をつけたときから蛇崎のカウントは始まる。
 踊り場を通り抜ける間も万歩計は歩数をカウントしてしまうので、その分だけはどうしても自力で引かなくてはならない。
 まあ大した労力じゃない、無闇に緊張したりしなければ。
 手すりに手のひらを滑らせながら、蛇崎は踊り場の中央にあるものを睨む。3。
 宝箱だ。まごうことなく。
 蛇崎は子どもの頃にやったゲームを思い出した。ドラクエでもFFでもない、蛇崎の青春を暴力的なまでに占拠する『ロックマンDASH』に出てくる宝箱がそこにあった。懐かしさに胸が苦しくなる。
 宝箱は木製で、眠っている食虫植物のようにフタを閉じている。
 普通なら鍵穴がある場所に液晶パネルがある。蛇崎は手すりから手を離し、それに触れてみた。4。
 急に話しかけられてびっくりしたように、宝箱はピピッと電子音を鳴らした。
 パカッと宝箱が開く。
 蛇崎は眉をひそめて身体を強張らせる。
 中を覗いてみる。
 小切手が一枚だけ入っていた。拾ってすぐにポケットにしまった。ぐちゃぐちゃになるだろうが破れさえしなければ問題あるまい。
 まずは一億、ゲットしたらしい。
 実感はあまり涌かない。勝つまでは紙切れだし、敵はあのシマあやめ――GGS-NETのハイ・ランカー、特A級のチンピラだ。
 油断はできない、すぐに喰われる。
 階段を降りる前になにかやり残したことはないか、と蛇崎は思案する。
 うっかり平らな場で動くと無駄なカウントをしなければならないから、少々マヌケだが棒立ちだ。
 そしておもむろに宝箱の横の扉を開けてみた。
 それは宝箱の存在感と自身の不透明な有益さからじっと息を潜めていたのだが、蛇崎は気づいてやった。
 完全防音の扉は鋼鉄製で運動不足の蛇崎には、完全には開けられなかった。
 よりかかるようにして、やっと半分と少し開けられる。8。
 隣の通路にも宝箱がある。――が、液晶パネルには『E』と表示されているところが蛇崎のときと違う。おそらく、片方を開封すると、もう片方がロックされる仕組みなのだ。
 蛇崎は扉から身体を半分ほど乗り出し、階段の奥の闇を見上げた。目を細め、耳を澄ます。
 ――カツン、カツン、カツン。
 足音だ、と確認するやいなや、蛇崎は扉を閉めた。10。
 思ったよりも近いところまで来ている。追い抜かれることはないだろうが、時間を浪費するわけにもいかない。
 蛇崎は頭のなかのカウントを止めた。
 カツン、カツン、カツン――。


       

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