おれが勝てると思うか、と聞くと、白垣は、いいや、と笑ってみせた。
ゲームの内容を知らないシマが、それでも勝つと白垣は予想している。
べつにそれに不満はない。あの<好戦的フレンドリィ>が言い知れぬカリスマを振り撒いてることくらい、蛇崎にだってわかる。
いつだって、そうだった。誰も蛇崎のリアルを共有できない。理解も。
――好きな子ほどいじめたくなるとはいえ、おれほど極端なやつはいないよなあ。
最後に殺した女――なんて名前だったっけ?――はすごくよかった。
変わり果てた自分の姿を見たときの、あの絶叫はいまだに耳の中でこだましている。
綺麗なものほど、壊れるときは美しい。
そしてその破滅の瞬間に立ち会うのがこのおれだけという特権!
ぞくぞくしてくる。
その代わりに、蛇崎は誰にも愛されない。
愛することと、憎まれることがセットになっている。決して切り離せない。
仮に、豚にされて喜ぶ女がいたとしても、彼女がどれほどうつくしくても、蛇崎は愛を感じないだろう。
出口のない、ただ奈落へ続いているだけの愛。
愛するがゆえに悲劇を産み出さずにはいられない。
蛇崎を愛し守るものは誰もいない。
生きているだけで不幸をいたずらに増やし続ける機械。
――白垣。おれが勝てないと思うのは勝手だ。わざわざおれに、圧倒的大差がついてる賭けの比率を見せてくれなくたっていい。
――だが。
――おれは、べつに信じてもらわなくたって、勝つよ。
――だれに期待されなくたっていい。だれに愛されなくってもいい。
――自分のために、おれは生きる。
――いつでもな。
蛇崎はカウントを再開する。
二つ目の踊り場だった。
蛇崎はほっと安堵のため息をつく。
踊り場から踊り場までの段数は、当然といえば当然だが不均衡だった。
つまり、頂上から一つ目の踊り場までの段数とそこから二つ目の踊り場までの段数が等しかった場合、<段数×通過した踊り場の数>で計算ができてしまう。
駆け下りが容易になるということだ。まさかそんな簡単な必勝法は用意されていないとは思っていたものの、確かめるまではやはり不安で、心臓が軋んでいた。
<好戦的フレンドリィ>相手に二の矢はない。
この勝負、もしドローになることでもあれば、蛇崎は再試合するつもりはない。おとなしく帰る。
シマ相手にはそれが最善であることが、彼女の築いてきた屍の数からわかる。簡単な計算。
そのてっぺんに真新しい死体として乗っかるつもりは、蛇崎には、ぜんぜんない。
何事もなく、金と、真新しい肉製サンドバッグが手に入れば、それでいい。
――でも、そううまくはいかない。おれの人生は、いつも、邪魔が入る。逆らわれる。
宝箱の液晶パネルを蛇崎は睨みつける。
――――『E』
一億を取りそこなったことなんて、欠片も蛇崎の脳裏にはよぎらなかった。
邪魔が入って、逆らわれて。
それを力ずくでねじ伏せるのが、蛇崎のやり方だ。
カウントしつつ、宝箱に近づきそのフタに手を置く。
なでても妖精が現れて蛇崎の願いを叶えてくれはしないが、それでも意識を集中するのにはいくらか役に立った。
――おれは、万歩計に頼ってかなり速いペースで降りてきた。そのおれを上回るペースでシマが降りてくるとは……最初からこの宝箱は『E』で、プレイヤーであるおれたちを揺さぶろうっていう<スポンサーサイド>の策略か? ちょっとしたドッキリ? そういうことをしちゃいけないなんてルールも法律もないし、あってもそんなのを破って踏んづけてションベンひっかけんのが悪党の常識だってことくらい今じゃ小学生のガキでも知ってる。
――だが、おれはシマが先取りしたと思う。ゲーム的にもそれが自然だ、陰謀説は現実的には説得力が希薄……では、どうやって?
機械的に宝箱をさすりながら、蛇崎の目は虚空を見据えている。怯えも不安もそこからは読み取れない。
――そうか、一段飛ばしか? カウントは最後に二倍すればいい。スピードアップだな。しかしやつの服装は……
脳裏の闇にシマの姿がぼう、と浮かび上がる。
意識したわけでもないのに、なぜか蛇崎の想像のなかで、シマは笑っていた。
――ワンピース。バイクで来たのが信じられない軽装。靴は……運動靴じゃなかったことだけは確かだ。女の子ってワンピース着るときなに履くんだ? ハイヒールかな……わからん……。そう、ほかには……ブレスレット、シャクトリ虫みたいな首輪、髪飾りもしてたか? 悪趣味なサソリのやつを……まるで飼ってるみたいにつけてた。
時間の砂が音もなく流れ落ちていく。
蛇崎は気づいているのかいないのか、思考の波を満ちひきさせるばかり。
――いや、靴は問題じゃない。転んだりせずに一段飛ばししたいんなら、靴は脱げばいい。しかし、シマほどのやつが、一段飛ばしを最初から考えないなんてことがあるか? やつはさっき一段ずつ降りていたし、足音もしていた……おれに宝箱を一番乗りされたんで慌てふためいた? バカ言え、そんなマヌケなわけがな、
唐突に、蛇崎はハッと我に返った。
だいぶ時間を浪費してしまった。
シマを追わねば……。
そのとき、踏み出しかけた一歩が、電撃を受けたように痙攣して、空中で止まった。
そっと、足を戻す。カウントを増やさないように……。
拳から汗が滲み、悪寒が全身を包み、脳の奥の奥で歯車が噛み合い、火花が散った。
わが必勝法に一点の曇りなし。