「いい天気だな」
そう声をかけられたが、ふとどう返事をするべきだろうか悩んだ。
ジャッロがやってきたのに、いい天気もクソもないでしょう。
そう言いたいとも思う。ただ、それは今自分が相手に対して敵意を抱いていて、八つ当たりをしたいだけなのだろう、とも思う。
先程まで騒がしかった会議室は今では全員出て行ってしまい、残っているのは二人だけだった。
「……そうですね」
振り返る事をせず、相手に背中を向けたまま窓の外を見ている事にした。
天気の話をしてきたのは向こうなのだから、こうやって空を見上げる振りをしていてもそれにケチをつけられる謂れはないと、彼は図々しく振舞う事に決めた。
「藤原」
「はい」
「お前は少し感情的過ぎるぞ」
「自分は自分の意見を口にしているだけです」
「その意見が感情的過ぎると言っているんだ」
すいません、と言ってしまえば解放されるだろうか。
だがそう言ってしまえば、きっとその言葉を握られて、もう自分は今後なにも言えなくなるだろう。
首元がくっと引き締まったような気がしてワイシャツが皮膚に纏わりついてくる。出来るなら首に巻かれたネクタイを解いて足元に放り投げてやりたかった。そのままその会議室を飛び出してしまえばきっと楽になるだろう。
(けど、それで本当に楽になる訳じゃない)
雪が止み、太陽が浮かぶ空を見つめる。
なぜ、人が死んだ日にだけ、晴れ渡る必要があるのだろう。
尚更虚しくなるだけだ。地上に広がる悲しみを、これ以上なく照らし出してそれを浮き彫りにさせるだけだ。
「……これでも自分はこの街の事を想っているつもりです。例え皆が自分を間違っているとしても……俺は現状に納得出来ません」
「お前が言いたい事は分からなくもない」
本当かよ。
「だが、お前はこの街の事をもっと知るべきだ。お前がどう思っているかはさておき、この街はこうやって今までやってきたからこそ、今の安寧があるとも言える」
「本当に今が安寧と言えますか」
「少なくとも、私はそう思う」
「降り止まない雪に閉じ込められ、ジャッロと言う恐怖に包まれ、明日来るかもしれない死に怯えて震える生活を送る事が安寧ですか」
「藤原。そう思うのはお前が――」
「分かっています」
何度この問答を繰り返しただろうか。お互いきっとうんざりしている。
彼の言葉を途中で打ち切り、九十九はようやく彼に向き直った。
きっと、今の自分の表情も彼は見飽きているのだろう。
(俺だって、うんざりしてるさ。なにもかもに)
「分かっているなら、仕事にそろそろ戻れ」
「……分かっています」
「調整プログラムの修正作業がまだ残っているんだろう。お前も管理する立場になった以上、あまり無茶を言うな」
「はい」
「あと三日もあれば終わるか?」
「明後日には終わるでしょうがね、ただそれをしたところで効果があるとは思えませんが」
「まあ、そう言うな。あとお前が提出したセントラル駅のホームレス退去と社会復帰についての申告書だが」
「あぁ、どうなりました」
「いや、あれは提出を見送った」
「どういう事ですか?」
「ホームレス達の事は放っておけ」
「なぜですか? 彼らこそ生活レベルの基準から大きく外れているでしょう。我々が対応し、手を差し伸べるべきじゃないんでうすか!?」
「イブに手を出すな、と以前にも言ったはずだ」
(……またイブかよ)
その単語を聞き、無意識の内に歯軋りする。
ホームレス達のリーダーだと彼は聞いているが、それ以上の事を彼は知らない。
どの上司に聞いてもイブの事となると皆口を噤んでしまう。ただ一言だけを残して。
イブには手を出すな。
「何者なんですか、イブは。なぜ彼女のような存在がこの街に――」
「藤原、何度言えば分かる。もう戻れ」
バタン、と上司が出て行き扉が閉じられるのを見届けてから「クソが!」と床を強く蹴りつけた。
いつもいつも、大事な事は雪の中に埋もれてしまっている。
そしてそれを探そうとしても、一体どこから手をつければいいと言うのか。
まるで見渡す限りどこまでも続く白い世界の中に一人取り残されてしまったかのようだった。
(……俺はなにをしてんだ)
一体、今まで何人の人間がそう呟いた事だろうか。
一体、今まで何人の人間がその呟きを聞いただろうか。
きっと、それはもう飽和してしまった。
巨大になりすぎて、それぞれの姿を失いながら。