Neetel Inside ニートノベル
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<リボルヴァ⇔エフェクト>
第十話 溝口新二の消失

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 溝口に彼女ができたらしい。心のドン底から思う。
 ションベンの飛び散り方ぐらいどうでもいい。
 おれは溝口どころではなかったが、溝口もおれたちどころではなかった。
 朝っぱらから人の顔とは思えぬスライム面を公衆の面前に晒し、携帯を見てはニヤニヤニヤニヤ。
 いまにも液晶を汚らしい舌で舐め回さんばかりだ。
 そのまま雑菌をたらふく体内に取り込んで爆発して死んでほしい。
 だが、希望と裏腹におれには嫌な確信があった。こういうやつは長生きする。天地創造の頃からの鉄則だ。
 幸せな人間というやつはおとなしくしていればいいのに、それをやたらと他人に振り撒こうとする。
 タチが悪いのは幸福要因そのものを譲り渡すわけでもなく、そのにおいを善意でばら撒くところだ。
 空腹の人間にそんなことしでかした日には殺されてやむなしということが幸福人間にはわからない。生涯わからない。
 だから溝口がおれにぶん殴られて鼻血を出したのも仕方ないというものだ。
 さすがに血が噴出してやつのカッターシャツを鮮血に染め上げたときはヒヤッとしたが、溝口まさかの笑顔で免責。
 許されたおれがびっくりした。もうお手上げだった。溝口はデキ上がっている。いろんな意味で。
「いいよねぇ溝口くん幸せそうでー」
 一ノ瀬は頬杖ついて、欲しいゲームをハードごと眺めているガキの表情をしていた。
 おれは貴重な十分休みを汚物観賞に費やすつもりはなかったので、溝口に背を向けて嫌でも一ノ瀬のアホ面を見なければならなかった。
「他校の子にアドレス渡してメールしてオッケーもらうなんて、なんか漫画みたいだよねぇ」
「じゃあアイツ白血病になって死ぬね。やったァすっげーいま胸がスッとした。ミントスなんかもういらねーや」
 俺は本当に窓からミントスを投げ捨ててやった。ミントスは星になった。
 いつか種子となって未来へ希望を繋いでほしい。
「ちょっとクロ、そういう冗談は不謹慎だよ」
「じゃああいつの顔は? あれは不謹慎じゃないわけ? 見ろよ授業間とは思えねーこの教室の人のいなさ! おれとおめーしかいねーじゃねーか! 放射能か? 放射性物質なのかあれは?」
「ま、まあ確かにかなりキショイけど……」
 時々一ノ瀬はさらっと毒舌を発揮する。
 このあたり聡志の世界の一ノ瀬の因子が混じっている気がする。
 いつも思うが六人の世界全部の一ノ瀬を融合させたらちょうどいい一ノ瀬ができるだろう。
 自我崩壊を起こしそうだがまあそのときはラリった一ノ瀬すなわち七ノ瀬を見れておれが愉快だ。手ぇ叩いてあおってやら。
「おっといっけねえトイレトイレ♪ トイレのトはトトロのト~」
 誰かもうこいつを殺せ……!
 突如おれの視界が真っ赤になった。怒りで眼球内の血管が炸裂したようだ。
 いまなら箪笥も持ち上げられる。のんきな溝口はふらふら横に揺れながら歩いていく。
 おれの怒りセンサーが溝口の腰に吊られている見慣れぬ装備品を捉えた。
 ナマイキな黒猫のストラップだ。
 引きちぎってやる。
 おれはぬっと手を伸ばした。あともう数セカンドの命だ。
 その足におれの指が触れたとき、溝口が旋風のように回転しておれの手を振り払った。
「やめろぉっ!」
 おれはたぶん、夏場に放置した三角コーナーを見る目をしていた。
「これはなあ、おれがアイちゃんにもらった初めてのプレゼントなんだぞぅ!」
「アイ惨?」
「おう……見ろよこのフォルム。この毛並み。ストラップとは思えない……これはもう……生きてるんじゃね……?」
「ただの中国のギシギシいってる工場で作られた量産品だよ。それを作るために大量の工業排水が黄河を汚してるよ。ぜんぶおまえのせいだよ」
「はあああ……こいつが腰で揺れてるのがぶつかってわかるたびに幸せが発散されるんだよ……」
「おまえそこに吊ってたらションベンするときひっかかんだろ。飛沫かかってるよアイ惨がくれたプレゼント」
「バリア貼ってるから平気」
「破る」
 やめろさわんなうるせえぶっ壊すなにもかもぶっ壊すてめえだけは絶対に生かして帰さんじわじわとなぶり殺しにしてくれる!!!!
 一ノ瀬がぽつんと呟いた。
「ばかばっ――――か」














 溝口が死んだ。
 死亡時刻は本日放課後。
 ついさっき溝口が腰のストラップの紛失に気づいたときにやつの心肺は完全に沈黙した。
 一ノ瀬が肩を押してもなんの反応もない。すでに付近を含めた教室をドブさらいしたが不発に終わっている。敗戦は濃厚だ。
 滝園が珍しくコメントを残して下校した。
「ムンクの猛り、だね」
 残念ながら「ムンクの叫び」なんだが、まあ滝園だからこんなものだろう。
 フランスとスペインの位置をいまだに間違えているやつだ。
 おれは椅子を蹴倒してダッチワイフみたいになった溝口を地面に這い蹲らせた。
「はっはっは、日頃の行いと顔と頭と心根が腐ってっからそーなるんだよ。ざまあみやがれ」
 溝口の枯れ果てた口腔から隙間風が弱弱しく吹いている。手を入れたら腕を噛み千切られるかもしれない。
「ストラップだぁ? 十五にもなって女々しいことぬかしてんじゃねーぞ、んなもんただのモノなんだよモノ。本人死んだわけでもねーのにごちゃごちゃ抜かすな。人間ってのはなぁ、雨が降ろうが槍が降ろうが生きてりゃ勝ちなんだよ。だからてめえもとっとと立ち直るんだな。あれ?」
 なぜおれは溝口を励ましているのだ。
 くそう、こいつの反応があまりにも鈍いから一回転してしまったのだ。感度までダッチワイフとはな。
「クロ……」
 箒で床を掃いている一ノ瀬が冷めた目をしている。溝口の醜態を見ればそうなるのも無理はない。
「最低……」
「おい一ノ瀬、最低はかわいそうだろ。溝口だって生きたんだ。生きてたんだよ! なあんてなハハハハハハハハ痛い痛い痛い痛いッ!!!! 耳を振り回すな取れたらどうすんだボケェ!!!」
「友達でしょ!? 探してきてあげなって!」
「ハァ?」
 おれは溝口の腹を爪先で蹴飛ばした。
「ダチだァ? 誰がダチだよ、おれたちゃただクラスが一緒になっただけで、喋りやすいからツルんでるだけだろ。べつにお互いがどーなろーが知ったこっちゃねーや。こいつがおれの立場でも同じ光景だったろーよ。少女マンガじゃねーんだ、バカ言ってねーでとっとと床掃け。オラ、まだ埃舞ってんぞ?」
 箒を握る一ノ瀬の両手がブルブル震えていた。顔は伏せていてよく見えないが、なんとなく赤味を帯びているようだ。
「――――さっさと探してこいっつってんのよこのボンクラがァッ!!!!!!!」
「ちょばっ、あっぶ――」
 慌ててしゃがんだおれの頭上を箒は回転しながら飛びすぎ、廊下へ勢いよく飛び出していった。
「あ」
 廊下にだって窓はある。甲高い音が鳴り響き、校舎中の人間を一時的にフリーズさせた。
 ガラスをぶち破った箒が階下の倉庫かなにかにぶつかり鈍い音を立てた。
 一ノ瀬は箒を投げはなった姿勢のまま硬直し、溝口はマグロだった。
 言うまでもなく、おれは逃げた。








 体育教師の怒鳴り声が廊下のトンネルを乱反射して突っ込んできた。風さえ吹いたように思える。
 そしてこってりと権力に蹂躙される一ノ瀬を想像すると笑えて仕方なかった。
 是が非でも見に戻りたいところだが、まあリスクは回避しておこう。
 おれは口笛を吹いて校舎を闊歩する。放課後ゆえに校舎のなかは人気がない。誰もいないのに、ざわめきだけが反響して残っている。
 頭の中の<テレビ>について思いを馳せてみる。
 いま<交代>しても、一ノ瀬はやっぱり怒られているだろう。<真実>に関すること以外しでかしたことはリセットされない。溝口もマグロのまま。
 だから<交代>しても、一ノ瀬はなぜ箒をぶん投げたのかわからない。
 聡志にせよカツミにせよ、一ノ瀬を怒らせる原因を作るやつではない。
 まあエンなら別だが……なにせ<隣町>復興計画と称しておれたちと繁殖しようとするやつだからな。
 しかも、おれたちがパラレルの自分たちだという説を最初に提唱したのは、ほかならぬあいつ自身なのだ。
 狂っているとしか思えん。
 どうもこの世界は平行して存在しているというよりは重なり合っていて、おれたちの誰かが出張るたびに個々人の要素が浮き彫りになっているらしい。
 難しいことはわからない。
 溝口に借りた『紫色のクオリア』は途中でブックオフに売り払っちまったし。一冊で150円だったからまあまあだったな。
 もちろん溝口には言ってない。いまだにおれが積読してると思っていやがる。
 ばかめ。
 さて、いまは鞄も取りに戻れないし、時間もあまり残っちゃいない。
 どうしたものか。
 まったくこの生活は窮屈すぎる。
 おれだからいいけどな、ほかのやつだったらとっくのとうにドカンよドカン。
 五バカどもには感謝してほしいね、おれの包容力に。
 とりあえず滝園のひとりサスケでも見にいこうか。
 今頃六階あたりの外壁にへばりついているかもしれない。
 やつは身体を常に酷使していないと死ぬ病気らしい。患部は頭部前面。お気の毒だと思う。
 道行きながらもしその辺に転がっていたら溝口の聖杯を拾ってやろうと俯きながら探してみたが空き缶ぐらいしか落ちていない。
 まあ価値もそんなもんだから妥当だろう。
 だが、やはり日頃の行いがよかったのだろう。
 おれは視界の十時の方向、距離二メートルの地点で揺れる黒猫のストラップを発見した。
 風止美衣子は、おれの顔を見てぽかん、と踊り場に立ち尽くしていた。ハブいていたやつが打ち上げに来た時みたいな顔だ。
 嫌なヤツに会っちまった。こいつの顔と事情はおれをむかむかさせるのだ。
 一直線の前髪を見るたびに風止自身の趣味なのか蒼葉の魔手の仕業なのか気になって仕方がない。
 風止美衣子のスカートから、首吊り黒猫が顔を出していた。
「おい」
 風止は頬を打たれたように身体を烈しく奮わせた。
 理由はわからないが、怯えている。
 あ?
「――おい、んだ、てめ」
「ひっ!」
「あっ」
 風止は踵を返して階段を駆け下りていってしまった。まるきり猫に追われたネズミの様。
 おれは反射的に追いかけながら、窓ガラスに映った顔に一瞬びくっとした。
 よくよく見直してみれば、まあ、やっぱり、目つきが悪いんだろう。性格とは大違いだ。
 なぜだか妙な寒気がしたが、気のせいだ。
 おれは溝口蘇生薬を求めて二段飛ばしで跳ね降りた――――


       

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