Neetel Inside ニートノベル
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<リボルヴァ⇔エフェクト>
第二十一話 死色献花

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 おれの知らない日常が、渦を巻いて耳の中へと流れてくる。
 おれの知らない溝口と一ノ瀬が話す声。蜂の巣のなかのようなざわめき。
 それを聞いているうちに、おれにはリカの思惑がなんとなくわかってきた。人任せなあいつらしい、自分には関係ないが、おまえなら使いこなせるかもな、ということだろう。
 今日、隣の世界で、蒼葉が死んだそうだ。
 死因は一ノ瀬によれば自殺で溝口によれば操車ミス。坂道をバイクで駆け下りて反対車線のトラックに真っ向からぶち当たったらしい。ぶち破れると思ったのかもしれない。
 バンパーに激突した蒼葉は吹っ飛ばされ、その後アクセルとブレーキを踏み間違えたドライバーによって再度轢かれ、民家の庭へ五体不満足の状態で着地。このとき郵便受けに蒼葉の手首が投函されたことが判明するのはなにも知らずに夕刊が来るときになってからだった。
 その後、運転をミスったトラックがなにか見えない力に引き寄せられたかのように蒼葉へ再突進。バンパーで半死体の蒼葉を引きずって居間の冷蔵庫のなかに叩きこみ、やっと殺した。
 もう吸血鬼だって蘇らない。
 おれはそれを独房で聞きながら思わず笑ってしまった。不幸を二乗し続けると笑いに転化するのは常識だが、ここまでアグレッシブな死に方も珍しい。
 クラスの裏ボスが死んだとあって、教室の空気は和気藹々としているのが聞くだけでわかった。
 いろいろと鬱憤が溜まっていたのだろう、普段はとても恐れ多くて言えないような言葉が飛び交っている。誰も諌めようとはしない。
 溝口は操車ミス説をなかなか譲らなかったが、一ノ瀬が蒼葉のゴシップを一つ一つ講釈してるうちに溝口も気が変わったらしい。集中しているのかドモリのクセが消えている。
 ――あ、おれも蒼葉んちの会社がまずいって聞いたことある。ってことは、
 ――そ。噂ではね、蒼葉ママの彼氏が、ね。あんたたち蒼葉ママの顔見たことある? ちょっと、人から好かれる顔とは、ね。
 ――はははっ、ええー。ってことはマジ? マジなんだ。すげえなそれ。ドラマみてえ。畜生いいなあ。
 ――わかんないよ? わかんないけどね? でもたぶんマジ。
 ――いいなーいいなー。
 ――あたしも大概だけど、あんたも大概だね、溝口。
 ――まあな。
 それから、当たり障りのない会話が続いて、リカはあまり喋らず、授業が始まった。青柳の掠れた聞き取り辛い声。えー先週から引き続き麻雀でドラ1役なしの愚形テンパイをリーチするかしないかの考察であるが天運値が65を超えている者はリーチでそれ以下はヤミテンがセオリーとなっている。なお天運値が10を切っている場合は麻雀をやめて速やかにお祓いを受けなくてはならず――
 おれはイヤホンを耳から引き抜いた。沈黙が戻ってきた。
 おそらく、蒼葉の死はリカの世界だけで起こったことじゃない。おれ以外の五人の世界で、蒼葉は死んだのだ。
 風止と同じように。
「馬鹿野郎が」
 おれは手に握ったイヤホンのコードを握り締め、誰に言うでもなく呟いた。
「後悔の一つや二つ、背負って生きられなくてどうするよ」
 だが、まァ。結局のところ。
 おれには関係――――ないとはなぜか、今だけは、言いたくなかった。
 時間はまだある。
 おれは囁き続けるイヤホンを再び耳に着けた。
 リカの声がした。
 ――というわけで、こっちの世界の風止と蒼葉はゲームオーバー。
 ――クロ聞いてる?
 ――こっちの世界では、風止が死んでから毎朝、机に花が飾ってあったよ。誰がやったのか、みんな気にしていたけど、あたしには犯人がわかる。
 ――蒼葉だ。
 ――なんであいつが花なんて飾ってたか、クロにはわかる?
(わからん)
 ――蒼葉は、たぶん、形にしたかったんだと思う。
 ――自分が生きているとか、そこにいるってことを、目で見て確かめたかった。だから、暴力を振るって相手にできたその傷を見て、自分の存在を確認した。それがあいつの衝動の正体。
 ――気狂いは理屈じゃないからね。
 ――蒼葉は風止の死もカタチにした。献花して、それを見て、ああ風止は死んだんだなってことが、だんだんとわかっていったんだと思う。
 ――そんなことしなけりゃ、もしかしたら死ななくて済んだかもしれないのにね。
 ――気狂いは、中途半端じゃ生きてはいけない。蒼葉は、弱かった。だから死んだ。狂っているってことを愛せなかった。
 ――あたしの世界の物語はたぶん、もう終わってしまった。でも、クロ、あんたは、まだあの二人の話に介入できる。
 ――普通は一つのパターンからしか認識できない現実を、あたしたちは六方向から観察できる。
 ――これは神様の遊びなんだ。ほかの誰にもできない、あんたにしかできない禁じられた遊びだ。せいぜい楽しむといい。
 ――生命の弄びを、ね。
 ――ふふん。
 ――じゃ、夜明けまで頑張って。カツミが、明日には出してくれるってさ。
 ――あーあ、あたしだったら、ちょっと試しに死ぬまで飼い殺してみようって気になるのになぁ。カツミは意気地なしだ。好きな子を傷つけるのって、楽しいのに。




 おれは、まだ何事か言っている音楽端末を握りつぶした。
 液晶が割れて、中身がおれの手の平に突き刺さったが構わない。
 そうか、出れるのか、ここから。
 おれになにができるかはわからん。なにもしないのもアリだと思う。
 おれはリカほど暇人じゃない。
 誰がどこでくたばろうが生き残ろうが知ったことじゃない。
 だが、このゲームに電源はない。
 死なない限りは、続いていく。





 こうして、おれは実世界に復帰した。
 いろいろあったが、もうすぐ長い長い夏休み。授業は主に、テストが返却されたり、されなければ自習になったり、時間つぶしの球技大会や水泳大会が開かれたりする予定だ。おれは視力2.0。眼鏡どもとは比較にならない精密さで女子の水着姿を脳内に記憶できる。ざまあみろ眼鏡ども。ぼやけた視界じゃ竹も大根もスイカもメロンもわかりゃしねえぜ。
 その日。
 期待に胸と股間を膨らませて、おれは水泳大会へ臨む、はずだった。
 久しぶりに会った我が世界の住人たちに笑顔を振り撒きながら、更衣室に向かおうとしたおれの下腹部に何の前触れもなくミサイルが突き刺さった。そのミサイルは廊下を突っ走っていたところをおれを捕捉、直角に針路を訂正して目標をリノリウムの床に叩きつけることに成功したのだった。
 風止は、おれを押し倒した格好のまま、クラス中のポカンとした雰囲気をものともせずに、身動きもせずにおれにへばりついていた。
 誰がどう見たって、そのときやつの顔はおれの股間に埋もれていた。もう冗談も言えないくらいおれはびっくりした。これが求愛行動なのだとしたら風止は哺乳類じゃない。鳥かなにかだ。
「お、おい」
 おれは風止の髪を掴んで引っ張った。
「なにやってんだバカ!」
 直前に水泳大会のことなんて考えていたもんだから、いまおれはとてもタイヘンなことになっている。
 風止は死んだように動かない。クラスの時も止まったまま。おれだけが馬鹿みたいに慌てふためいている。
「おいったら!」
「クロ……」
「てめっ、いつから呼び捨てを」
 許したんだ、と言いかけたところで、風止が顔をがばっと上げた。おれは息を呑んだ。
 目の下にはびっしりとクマが浮かび上がり、充血した眼球がぴくぴくと妙な動きをしている。はっはっと浅い呼吸をし、口元からよだれが垂れていた。汗が伝う額に前髪がほつれて張り付いている。
「たすけて」





 おれは股間に女子のゲロを初めて浴びた。
 数奇な運命とはおれのためにある言葉である。

       

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