Neetel Inside ニートノベル
表紙

<リボルヴァ⇔エフェクト>
第二話 駆郎と拳銃

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 こつこつとチョークが黒板を叩く音を聞いていると、クロは子供の頃から怯えてしまう。


なぜ怖いのかは自分でもよくわからない、ただそのこつこつこつが、クロの心を用もないのに急がせ、いてもたってもいられなくするのだ。追われてるような気になる。
だから、なにかしなくちゃ。
クロはノートを千切って、半分に折った。隣の席の一ノ瀬が熱心に数式をノートに書き写しながら、クロの方にも三割くらいの興味を向けている。数学の青柳は日の出頭をさらしたまま三角形を使った便利なひまの潰し方を板書していて気づかない。
クロは入念に角度をいじり、太陽への無謀な突撃を敢行する勇気ある愛機に、両手をあわせて拝んだ。一ノ瀬のシャーペンが罫線を無視し始めた。大きな目が過ぎ去る電車を眺めるときのようにハゲとクロを往復する。急に隣の席の男子が紙飛行機信仰に目覚めるのを見たら一ノ瀬でなくても授業どころではないだろう。
クロは紙飛行機を構える。
脇を締めて飛行機をつまんだ指先を額の前に。ダーツの経験はないが、なかなかさまになっている。
祈りという最高のパイロットを乗せた紙飛行機は、教室を舞った。
すうっと白い機体が通過していくと、うつむいていた頭の群れが花の咲くように上向いた。
三十人の視線と期待をボディに宿し、クロの飛行機は、単身青柳のハゲ頭へと突き進んでいく。自然のパイロットは無口だけれど、どうやら今回はやる気らしい。
このままいけば研ぎ澄まされた先端が青柳の禿頭に突き刺さる。彼我の距離はもう数センチもない。教室中がごくり生唾。どんどん禿頭が近づきその距離はだんだんゼロに落ちていく。
黒板を叩く音はもうクロには聞こえていない。一ノ瀬に見られているとも知らずに、身を乗り出して、息を吸った。
――よし、いけ……!
いまにも先端が青柳の逆鱗に触れるというときに、窓からひゅうっとなまぬるい風が入ってきた。窓際にいた溝口がぬるい風に頬をなでられて顔をしかめ、溝口のにおいの混ざった風はそのままクロの飛行機を高々と舞い上げてしまった。ゴールまで、あと数ミリもなかっただろう。ああ、と思わず何人か呻き、青柳は大嫌いなクエスチョンマークを頭に乗せて振り返った。クエスチョンが嫌いなのは、「ねえ数学勉強して金になるの?」という生徒の腹立たしい問いかけのケツにくっついているからだ。数式に疑問はいらない。答えだけあればよい。
「じゃあ、この問題を」と青柳が言いかけたとき、クロはまだ宙を舞う飛行機を見あげていた。
上昇気流に乗った白い機体はきりもみ状態に陥っていた。飛行継続は不可能。絶望的な状況で、風と空気のパイロットは最後の英断を下した。
ふわり、と。
それは、ほんとうに、見事な着陸だった。
肌色の敵軍基地、そのベースにクロの飛行機は無事に舞い降りた。
青柳は、青ざめた顔で頭の感触がなんであるかを数学的順序を踏んで考え、一番前の席で後藤が膨らませていた頬から空気とつばを噴出した。
一度崩れたら一気に来る。
教室は爆笑の渦に包まれた。
クロも赤い口をおっぴろげてげらげら笑った。
青柳が赤柳になった。
憎悪のこもった視線を、クラス一の天邪鬼に叩きつける。
「壁叉ぁっ! 貴様にもう点はやらん、そんなに勉強がいやならな、もう学校なんかに来なくていい!」
それまでの騒ぎが最初からなかったかのように、クラスが静まり返った。しかし、すぐにまたひそかなくすくす笑いが広がっていった。青柳は頭を真っ赤に染めるのにエネルギーを使ってしまって飛行機を払い落とすことさえ思いつかないらしかった。
クロは、口をゆるやかな波形にしてにやにや笑っている。一瞬後に、一変して踊りかかってきそうな、そんな不穏な笑い方だった。
「黒板の音がアレルギーなんですよ、おれ。ずっと我慢してたんだけど、耐えられなくてね」
「おまえは、アレルギーを起こすと紙飛行機を飛ばすのか?」
クロは玉座に座る王のように椅子のうえでふんぞり返った。
「やだな、先生、そうかりかりしないでよ。ほら、おれって、うんこしにいくってバレるのがいやでトイレにいけないタイプなんですよ。でもトイレにはいかなきゃならんでしょ? おれだってアレルギー我慢してたらジンマシンが出て死んじゃうもん。ほんとほんと。おれ、先生好きだからさ、きっとわかってくれると思って飛ばしたんです。無事届いたようでなにより。いやあロマンですな。ロマンの最大公約数ですよこれは。生徒からの悲痛なSOS、それを受信するセンセーのパラボナアンテナ」
クロはあごに手をやって窓から青空を眺めた。
「詩的ですなあ……そう、これはいわゆるひとつのノスタルジィ……」
「貴様、最大公約数がなにかわかって喋ってるんだろうな? なにがロマンだ、おい、なにがパラボナアンテナだって? 言ってみろただでは済まさんぞ貴様を後悔させてやる絶対に!」
教師とは思えぬ暴言に、半年間くすぶるだけだった青柳の頭がとうとう活火山になったことに、クラスが本物の静寂に包まれた。呼吸の音さえ聞こえるなかで、
 「……うるせえなあ」
クロはぼりぼりと頭をかき回した。一ノ瀬が席から腰をあげかけては座りなおしてを繰り返している。もしかすると、「先生、それはともかく授業を進めてください、定期考査も近いですし、わたし、こんなつまらなくて意味のないことで余計な時間を使いたくありません」と流暢にびしっと決めて赤柳の警戒色を通常モードに戻そうと試みているのかもしれないが、残念ながらそれを実行するには勇気のガソリンが残量不足のようだ。当事者のクロがへらへらしているのに、かえって一ノ瀬の方が涙目になってうろたえている。クロはそんなことには気づかない。
「どうせな、意味なんかねえんだよ」
青柳はふぅぅぅ……と瓦割りする三秒前のようにため息をついた。安心したのだ。
ようやくクロが、不気味なほど落ち着き払ったクロの仮面が、ぽろっと崩れ、がんじがらめの社会と子どもから大人へ変わっていく過程にさらされた高校生の顔つきになったと思ったからだ。
自分でもなんとかなる、まあ悪くしても誰かがなんとかできるレベルの反抗動機だと思ったからだ。
そう、こいつは、壁叉駆郎はばけものじゃない。人殺しにもたぶん、ならない。うるさいだけの爆竹で、ほんとうに青柳から血の気をうせさせる爆弾ではない。
青柳が注意深く人を見る黄柳だったら、クロの、やすりで磨いたような気配が、ただのやさぐれた十五歳の鬱屈ではないことに気づいたかもしれない。青柳が黄柳だったら、主人公は黄柳だったかもしれない。青柳は青柳だった。
クロは、椅子を傾けてバランスをとりながら、言った。
「おれがなんと言おうが、あんたは数秒後には綺麗さっぱり忘れちまうのさ。なぜって、紙飛行機を飛ばすのはおれだけだからだ。黒板の音が怖いのは、このおれだけだからだ」
――――は?
ぽかん、と止まってしまった世界のなかで、クロは指折り数える。
 「聡志はウンコマジメ、マナはビッチ、リカは精神的ヒッキー、カツミはキザ野郎、エンは変態。ほらな、やっぱりおれだけだ。だからよぉ青柳。無駄なんだよぜんぶ。あんたがどんだけ真っ赤になってもな、おれを退学させてやりてえって思ってもな、そんなのすぐ消えちゃうんだよ。意味ないの。あんたはすぐにこう言うことになる。『壁叉、この問題を解いてみろ』ってね、何事もなく……ところでさ、じゃあおれがいる意味ってあんのかな? そこんとこ、あんたはどう思うんだろう、青柳」
青柳は思考停止していた。だから、その答えはただの反射だった。
異常の解決を求めて、生徒たちが青柳を注視する。青柳は言った。
「確かめればわかる。それが数学だ」
「やっぱおれ、あんたを嫌いになれそうにない」
そう言うとクロは、机のなかに手を突っ込んだ。
ぬっと引き出されたクロの手にリボルヴァが握られているのを見て、むしろ教室は弛緩した。なんだ、モデルガンなんて持ってくるなんてクロも子どもっぽいな。いろいろわけわからんこと言ってたのも昨夜やってた深夜アニメかなんかの影響か? 闇の眷属がスパーキングして団結のエナジーか? やれやれ授業が終わったら死ぬほどモノマネして死ぬほどからかって、
銃口を突きつけられて、それがニセモノだと思いつつも、青柳は震え上がって動けなくなった。クロの二つの目と、銃口と、三つの奈落が青柳をみつめていた。
「いいこと教えてやるよ」クロは引鉄に指をかける。ゆっくりと、でも力をこめて。
「あんたが、おれに銃口を向けられて動けたことは、いままで一度だってなかったよ」
青柳に、銃口を向けられた経験はなかった。
やっぱり、壁叉駆郎は狂ってる。乾燥した目玉の奥で、青柳の数学的頭脳はそう結論づけた。
クロは、向けていた銃口をさっと振った。
銃口を向けられ、いきなり男子に胸をさわられたときとそっくり同じに、一ノ瀬が飛び上がった。あわわわわわと楕円の口がなにか意味のある形になろうとしては失敗していた。
「一ノ瀬」
口の形を「な」にしておののく一ノ瀬を楽しげに眺めながら、クロはその銃口をまた逸らした。
「聡志によろしく」
そしてばっと振り返り、窓ガラスに映った自分に向けて、引鉄を引いた。誰かが悲鳴をあげ、クロは、ぺろりと舌を出した。
アインシュタインみたいな顔になったクロの額が、砕けた。
そして。
一ノ瀬は机に突っ伏して眠っている。
茶髪に染めた髪からは三連ピアス。彼氏に買ってもらったしい。よだれが真っ白なノートに世界地図を作っている。小さく寝息を立てるその顔は起きているときとは比べ物にならないくらい穏やかだ。
溝口はぬるい風を気にする様子もなく机の下でメールを打っている。溝口のうしろの矢野が窓を閉めた。
青柳は黒板に夏目漱石の「こころ」を独自解釈して別の作品にする作業に熱中している。
 「ここではね、『私』は、ほんとうはこう思っていたと思うのだ。つまり、Kは政府の手先だと」
こつこつこつ、と黒板を叩く音。それが突然止まる。
「壁叉」
「はい」
「さて、このあと、夏目漱石は政府と己の戦いを三角関係として描写しているわけだが、つまりKとはなんの暗喩なのか……この問題を解いてもらおう。きみはどう思う?」
「信頼していたものの裏切り……つまり、株価の暴落です」
「正解」
むくっと一ノ瀬が起き上がった。化粧でコーティングされた顔をぼんやりさせたまま、見るともなく隣の席の男子を見た。
「あんたって、青柳のあしらい方うまいよね」
聡志は肩をすくめて、授業が終わるまでの時間を秒数で考え始めた。1,200秒。


高校生には長い時間だ。

       

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