Neetel Inside ニートノベル
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<リボルヴァ⇔エフェクト>
第二十八話 逸脱

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「駆郎……あんた、おかしくなったの? ね、銃を降ろして……」
「蒼葉、おまえ前に言ったよな。この銃で人を殺せるかって。いま試してやるよ」
「そんな……」
「おまえ言ってたよな。生きていたってつまらないんだろ? だったら終わりにしてしまえばいい。向こうには誰も、おまえを苦しめるものはないぜ。それともなにか? いまさら人恋しいとでも言うつもりか? 冗談言うなよ! こんなに人がいてどうする。ぎっしり詰まった蟲の卵だ。嫌気が差す。そうだろ? もっと涼しいところにいきてえって思わないか?」
 青ざめた顔で蒼葉は一歩、退いた。街灯のスポットライトがやつの周囲を照らし上げている。
「狂ってる……」
 いまにも泣き出しそうな顔で言う。
「駆郎はおかしくなったんだ。誰も頼んでないのに、あんなことしてくれなんて、誰も……」
「おれはもう後には引けねえ。降りられないんだ。一度乗ってしまった以上、もうトコトンまでいく。たとえ終点に激突してもだ。でもな」
 おれはグリップを握りなおした。片目を瞑る。黒い銃身の上に、蒼葉の首が乗っている。
「それに、おまえを無理やり付き添わせるつもりは、ない」
 銃口を降ろした。
「失せろ、蒼葉。三時間だけの世界でいいなら。もっと欲しいと思わないなら。おれのやることを逃げることだと思うなら、来なくていい」
 蒼葉は、迷子の子どものように立ち尽くしていた。おれの顔を見、風止の顔を見、そして俯く。どこかの誰かが忘れた野球ボールが白い闇に浮かんでいた。
 おかしいよ。
 そう言って、蒼葉は二、三歩下がった。どんどん下がっていって、振り返り、走り出し、おれの前からいなくなった。足音が遠ざかっていって、追いかけても無駄になっていった。
 おかしい、そう、おれはおかしいと言われ続けてここまで生きてきた。
 親にも、友達にも、教師にも、隣の世界の自分自身たちにでさえもだ。
 どんなにシリンダーを回したって、おれに相応しい世界なんてないんだ。
 おれはただ、おれと同じようなやつ、同じような考え方をしているやつに出会いたかった。これまでのところ、蒼葉は、一番、それに近かったと思っていた。
 でも、結局は、これだ。蒼葉にもおれの考え方がわからない。
 蒼葉はいいやつだったんだろう。なにせ自責の念に駆られて自殺するようなやつだ。まァ枕営業に嫌気が差したのかもしれないが。
 それでも、おれよりはまともだ。
 おれは、闇の中のブランコに座ったまま、ぶらぶら足を揺らしているだろう風止に向かって声を張り上げた。
「そういうわけだ、風止。おれと一緒にいるとろくなことにならない。だから、おまえも、もういけよ。おれはいく」
 何もかも置き去りにして。
 逃げるんじゃない。おれが捨てるのだ。なにも、大切だと思えなかったから。
 大切だと、思いたかったのに。
「――――ふふ」
 最初、おれはその隙間風みたいな声を、聞き間違いかと思った。
 どこかの窓から、夜更かしした女子の長電話の欠片でも降ってきたのかと。でもそれは、確かに風止の方から聞こえてきた。
 いつの間にか、シルエットにしか見えない風止が、ブランコを漕ぎ始めていた。
「あーあ、蒼葉さんはリタイヤか。ま、そうだよね。あの人、誰かがいないと生きていけないタイプだもん。一人きりになんて、なれないよ」
「風止?」
「でもわたしは違うよ。ずっと一人だった。誰も助けてくれなかったし、助けて欲しいとも思わなかった。死ぬときだってひとりで決めた。相談もしなかったし、する相手もいなかった。それでよかった。ひっそりと消えていくんだって思った。何もいらなかった。何も欲しくなかった。なのに」
 パッと風止が手を離した。柵を飛び越えて、そのままおれに体当たりをぶちかましてきた。ご丁寧に足まで取られて、おれはそのまま地面に倒れこんだ。
 目の前に風止の顔がある。
「さあ死のうってときにクロと目が合った。いつだって自由で、いつだって勝手に生きてた、隣のクラスのわがままな人。大嫌いだった。羨ましすぎて死にそうで、泣きそうになった……」
「…………」
「どうして邪魔するんだろうって思った。あの時、あの場所にいなければ、わたしは死ねてたのに。楽になれたのに。助けなんか来ないのに、もう諦めようとしたときに思い出したように、あんなところにいるなんて、ひどい。勝手すぎる」
 だから、と風止は言った。おれの頬に冷たい雫が落ちてきた。泣いているのだ。思い返せば、おれは風止の泣き顔ばかり見てきた気がする。
「生きてやろうって思った。こんなに、こんなにわたしに喧嘩を売ってくるなら、わかった、とことんまでやってやる。そう思った」
 襟を握り締めた小さな手が震えている。こんな真夏の夜に。
「殴られたって裸にされたって、あんなに怒ったこと、わたしなかったよ? 我慢できなかった。ブッ殺してやりたいって思った。なんで、なんで、なんで!」
 風止は泣いている。
「あんなところにいたんだよ! 死ねたのに、せっかくもういいやって思えたのに、わたしを邪魔して、生かして、そのうえこの仕打ち! バカにするのもいい加減にしてよ! わたしが怯えて、震え上がって、なにもかもが終わりになるのをただ待っているだけだと思っているんでしょう!?」
 風止は怒っている。
 おれの向こうにいる、風止の心の中にいる誰かに、怒っている。
 そのとき、パッとおれたちを包んでいた闇が散って白い絵の具が視界を塗りつぶした。一瞬、なにか大きな照明器具と、私服の大人たちの姿が見えた。
「壁叉駆郎! そのまま動くな!」
 ごちゃごちゃと刑事がなにか言っているが、おれにとって重要なのは、おれの罪ではなく残り時間だ。もう少ない。すぐにいかなければならない。
 決断しなければならない。
「風止、おい」
 だが風止は聞いていなかった。刑事たちの存在さえ頭の中にあったかどうか。黒い瞳を涙で大きくしながら、風止は悲しく笑った。
「でも最後にいいことがあったよ。蒼葉さんは、クロのことを信じ切れなかった。でもわたしは違うよ。信じるよ。信じてみせるよ」
 足音が近づいてくる。たくさんの足音が。
「わたしは信じてやるんだ。それが、わたしの復讐だから」
 風止の手がおれの腹の方に伸びた。
 もう死んでいるような冷たい手がおれの手に重なる。銃口を自分の胸にあてがう。
「ねえ、撃たれたら、わたし、どうなるのかな? 死ぬのかな」
「わからない。だが、おれは死なないと思う」
「どうして?」
「おれのことを考えていてくれ。おれの弾丸は、おれの像を撃つと別世界への扉を開く。変転する。でもここに鏡はない。だから、おれのことを考えていてくれ」
「なあんだ」
 くすくすと風止は、可愛らしく微笑む。
「いつもと同じでいいんだ?」
 おれは、引き金に指をかけた。引き金を少しずつ絞っていくごとに、頭脳が最後の点検を始めた。チカチカと断片的なシーンがおれの脳裏をよぎる。
 だが、どれも風止との記憶だった。強くなりたいと、死んでから言い出したわがままなやつの記憶だった。
 この弾丸は少しだけ過去を戻せる力がある。それは、この現象を隠したいとしか思えない誰かの修正。
 いま、おれの弾丸を<撃>てば、向こうにおれの存在はいないわけだから、この世界をひょっとしたらシリンダーから切り離せるかもしれない。これは危険極まりない最終手段、ルールに反しているという理由からのみ行動するおれの最後の一手だ。
 いずれにせよ、すべては憶測にすぎない。希望を託して命を張るには頼りない綱だ。
 おれは空いている手で風止を抱きしめた。強く強く、どこへもいかないように。
 風止の吐息がおれの胸をくすぐる。
「わたし、よく考えたら、幸せだ」
「おれがいるからか?」
「それはどうかなァ」
 おれはさぞガッカリした顔をしたんだろう。だってこの流れで、こいつがおれを好いていないと思うほどおれも鈍くはない。
 風止はにいっと意地悪く笑った。それは、なんだか、見たこともないのに、いつものおれの笑い方だと思えた。
「だって、もし死んじゃっても、好きな人に殺されるんだったら、それって結構、悪くない」
 少なくとも逃げ出した蒼葉さんよりは、と風止は恐ろしい追伸を口にした。
 なんてやつだ。こんなやつだと思わなかった。
 もし、こんなやつだって、最初からわかっていたら。
 もっと、別の未来があったのかもしれない。
 だが、それは別のシリンダーの中身の話だ。
 それに、いまがそっちより悪い結末だとも思わない。
「撃つぜ」
「……うん」
 風止は目を閉じた。もうすぐそこまで刑事たちの手は伸びてきている。ほら、いま風止の肩に節くれだった指が――
 おれは歯を食いしばった。引き金を引いた、というよりも、握り締めた。祈るように、潰すように。
 銃声は、聞こえなかった。
 誰かに、腕を引かれた、気がした。
 硝煙のにおいと、側にいる誰かのにおい。
 それは、ゴールのにおいだ。
 そして、スタートのにおいでもある。
 おれは…………

       

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