Neetel Inside 文芸新都
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伊豆のホドリゴ
伊豆のホドリゴ

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 三流大学の文学部最終学年で、海外滞在経験や国際理解がなく、外国人といえば十把一絡げで日本人よりすべてスケールがでかいと思い込んでいた私にとって、彼らにも短小なペニスが付属している場合があるという事実は、母から笑い話のように自分が無責任と勢いの残りカスだったと知らされたとき以来の新発見だった。
 ちなみに、前に一緒にいた男は巨根がセールスポイントの自称プロサーファーだった。人工的な小麦色の肌の、髪の傷みまくったゴリラだった。しかし、そいつとは世間一般でいうところの彼氏彼女の関係だったのかと問われれば、こちらとしてはゼロカウントで「ノー」と言える。日本語はややこしさに関しては世界を狙える言語だと思うが、単純に一緒にいたというだけで、一瞬たりとも将来を考えたことなどなかった。もともと、宵越しの金は持たないケセラセラな生き方を信条としてきた私だけれど、さらに輪をかけて。
 ゴリラと私はひょんなことで出会った(クラブだったかコンパだったか覚えていない)から、繋がりも簡単に切れた。それはお別れというよりは、すれ違うのに時間がかかっただけなのかもしれないけど。とにかくゴリラは野生の本性に覚醒したのか、四日間ほど連続で寝たあと音信不通になり目撃談もめっきりなくなった。今ごろアフリカのどこかで、現地人とワシントン条約的なよき関係を築いていることを切に願う。
 それから私は軽く傷心旅行を計画することにした。けっしてゴリラとの日々を漱ぎ落としたいわけではなく、私という泥人形を浄化させた気になりたいだけだった。これからはもうちょっと色々考えよう、次からは新しい自分だ――なんてふうに心にもない妄言をツイッターに垂れ流しながら見慣れない場所を歩きたかっただけ。
 行き先は伊豆に決まった。
 理由は単純で、大学の図書館で川端康成の『伊豆の踊り子』を見かけたからだった――そうして、電車を乗り継ぎ小二時間くらいかけていざ伊豆に到着してみたものの、しかし、来訪の目的などはじめから持ち合わせていない私はすぐさま途方に暮れるはめになった。
 そして本当に日が暮れてしまった。資金が潤沢というわけでもなかったので、安い民宿にでも泊まろうと思い、午後九時すぎの夜道を歩いているとき――それは起きた。
 いきなり後ろから口をふさがれ、からだを持ち上げられた。相手はがたいのいい男だとわかった。だからこそ抵抗の無意味さを悟った。私はなす術もなく路地裏に連れていかれる。その最中に頭に浮かんだことといえば、翌日以降ニュースで全国のお茶の間に晒される自分の写真はどれだろうという、非常にまぬけな心配だった。いや、別に殺されなければそういう事態にはならないのか――と考えてすぐに、やっぱり殺されるかもと思い直した。
 男(暗くてよく見えない)はナイフを私に突きつけていた。
「カ、カネ……」
 よく聞こえなかったのでつい聞き返してしまう。「え? なに?」
「カネダス!」
 ……どうやら、おそらくだけど、金を寄越せと言っているらしい。つまりは強盗か。なけなしの所持金を渡すのが惜しくないわけじゃないけど、とはいえ生命がかかっている状況で守銭奴に徹せられるほどの金色夜叉でもない。財布からあるだけの紙幣を抜いた。
 男は乱暴に奪いとり、ポケットの中に突っ込む。私は心中で息を吐き、これでおとなしく身を引いてくれるかと思いきや――男はあろうことか押し倒してきた。
 地面で背中をしたたかに打ち、正直痛い。ふざけんな! と私の中で怒りが芽吹いた。男はハアハアと息を荒くしながらベルトを外していく。こいつ、まさか強盗の上に私を犯ろうっていうのか。どこまで強欲なんだ。
「やめろ、このやろうっ」
 べしべしと男を殴るが、まるで効いてない。ポケモンでいうと、岩タイプのやつにノーマルタイプの技を繰り返しているような。しかしさすがに鬱陶しいらしく、強引に私の肩を地面に叩きつけると、ついに腰を浮かしてきた。
 そう、そこには醜悪なまでに反り返ったバベルの塔が――なかった。
「はあ?」
 チャックのあいだからまろび出ていたのは、まるで小学生がふざけて書くアレのような可愛らしさのアレだった。アレアレ言うのもなんだからオブラートを剥がすと、男のペニスは業界を震撼させるであろうレベルの短小だった。ていうかこれって、もしかしてすでに本気モードなのだろうか。だとしたら悲しすぎる。
「ええっ? へへっ」私は思わず笑っていた。
「オウ!」
 気づいた男は恥ずかしそうに股間を隠し、萎縮する。どこの乙女だとつっこみたいが、その隙を見逃すほどバカでもない私は、とっさに手元の石をつかんで思いっきりこめかみに食らわせてやった。男はみごとに昏倒して動かなくなる。
「なんだったの、こいつは……」
 お金を奪還するついでに、男を仰向けにさせてみる。
 浅黒い肌、大味な目鼻立ち、変なタンクトップにやたらごついネックレス(ブリンブリンっていうんだっけ?)……まあ、確実に同国の人間ではない。あやうく間違ったかたちで国際交流をするところだったが、ひとまずは警察へ突き出すべきだろう。
 そう思い、しかしスマートフォンを片手に一一〇番だったか一一九番だったかとド忘れに陥っていると――はやくも男は頭をさすりながら身を起こした。当たりが浅かったのか。私を発見して接近しようとするが、そこはすかさず没収したナイフを振りかざして威嚇。
 すると男はあとずさった。それから、深々と頭を下げて言い放ったのだった。
「オネガイシマス! ワタシヲ助ケテクダサイ!」
「……はああ?」
 こっちのセリフじゃボケと思いつつ、私はスマートフォンを持つ手を下ろしていた。


 男はホドリゴと名乗った。故郷は南米のどこからしい。ブラジルとアルゼンチンぐらいしか知らない私にとっては、国名を言われてもよくわからなかった。
 私たちは二十四時間営業のファミレスの中にいた。
 通報を中止した理由は――懇願というか哀願のレベルで繰り返されるヘルプ&土下座に私のほうが折れたことと、彼の話に少なからず興味を持ってしまったから、でもある。またなにか危険な目にあってもこっちにはナイフがあるし、それに、よく見るとホドリゴにはどこか愛嬌があって、ほっておけなくなったのだ。まあ、こういう感じで異性関係を失敗しつづけているんだけど。
「チハヤサン、スゴイコレ味ガシマセン」
「塩でも振っとけ」
 私はきのことベーコンのペペロンチーノを巻きながら言った。対してライス(小)だけのホドリゴだが、私のおごりなのだから文句は言わせない。彼は言われたとおりに塩を振ったライスを頬張ると、キラキラと顔を輝かせた。安上がりな男である。ちなみに、チハヤというのは私の名前だ。
「それで? あんたはなんで助けてほしいの?」
 なげやりに聞くと、ホドリゴは表情を沈ませた。
「ジツハワタシ……出稼ギデ日本ニキマシタ」
 ありがちな話だなあと感じつつ、先を促す。ここまでの経緯はこうだった。
 ホドリゴは母と兄弟を食わすために日本にやってきた。昔お祖父さんに言われた、あの太陽のむこうには黄金の国ジパングがあるんだよ、という言葉を信じて。しかし辿り着いた東京は、それなりに切実な問題を抱えていて、それなりに薄汚い街で、それなりに腐った人間が蔓延っていた。はじめは産廃業者でお世話になっていたが、数ヶ月でまともな働き方ができなくなったホドリゴは、裏社会に迷い込んでしまう。よくある麻薬の密売人――の下っ端だけれど、そこでつい数日前に重大なミスをやらかしてしまったみたいで、非合法の拳銃を持った連中に追われて追われて、ここ伊豆まで逃げてきたのだという。
「――で、金がなくなってしかたなく強盗に至った、と」
「ハイ……マコトニモウシワケアリマセン」
「だったら別に私を襲わなくてもよかったじゃん」
「ソレハ……」もじもじと恥ずかしそうにした。筋肉質ないい年した男が。「チハヤサンガオ綺麗デ、ツイムラムラットキチャイマシテ……」
「ムラムラの結果があれかよ!」
 勢い余ってテーブルを叩いてしまう。ホドリゴは、ひっと胸を抱いた。だから乙女かよ。
「チハヤサン、コワイヒトデス……東京モコワイヒトダラケデシタ」
 なんというか、この男は下半身がすべてを物語っていると思う。志は立派なものだが、いかんせんスケールが小さすぎるのだ。
「これからどうするつもりなのよ。ずっと逃げるわけにもいかないでしょ」
「ドコカ身ヲオチツケラレル場所ガホシイデス……」
「そんなところあるのかね」私はアイスティーの氷を回しつつ言った。「いっそのこともうお国に帰っちゃったら? 今よりは安全じゃないの?」
「ソレハデキマセン」妙に力強く否定した。
「なんで」
「兄弟タチニ約束シタンデス。ニイチャン札束カカエテカエッテクルッテ」
「なんつうか変に強情だ、あんた」
「トイウワケデ、チハヤサンノ家ニシバラクオ世話ニナリマス」
「なんでやねん」ホドリゴの鼻っ面にまるめた紙ナプキンを投げる。無駄にビビりまくる南米人を横目に私はつづけた。「それに私んちにくるとなると、おっかない東京に戻るぜ」
 私の住む学生マンションは大学の近くにあった。
「ソンナァ」悲しそうに太い眉を下げる。が、すぐに質問してきた。「デシタラ、ココヘハ旅行シニキタンデスカ? ナカナカシブイチョイスデスネエ」
「別になんにも考えてないよ。適当な気晴らしかな」
「ナニカイヤナコトアッタンデスカ?」
「嫌かあ」消えたゴリラの顔が浮かぶ。しかし、あいつのことは嫌いなわけじゃなかった。それよりむしろ嫌気が差すのは――「言ってしまえば、私自身のしょぼさかな」
「オウ……日本人ノ『謙虚』サハセカイイチ……」
「いや違うでしょ。それこそ、もっとしょぼい卑下みたいなもん」
 私はため息を吐いた。そして呟いていた。
「私さあ……人に優しくできないんだよね」
 そんな愚痴を謎の南米人にこぼしてなんになる――そう言われれば返す言葉はないが、だからこそ、無価値という話す価値があるのかもしれない。私の日常に存在しない、過去も未来も関係ない今だけの彼。名づけて伊豆のホドリゴ。友人や家族といったしがらみの多い人たちに比べれば、とても気安く膿んだ心情を吐露できる相手だ。
「他人に対してもそうだけど、自分にもさ」
「トイイマスト?」
 こいつなにげに聞き上手だな。
「人が物事が甘ったれて見える。クソがって思う。もちろん付き合いの中ではちゃんと合わせているけど――矯正しているけど。そういう部分で自分もクソだと思う。なんていうのかな、なんでもかんでも批判しかできないっていうのかな」
 思えば、海外のサーフィン大会に出たいと語ったゴリラに、その夢に対して優しくすることができたなら、もう少し一緒にいたかもしれない。どうでもいいけれど。
「タイヘンナンデスネ」ホドリゴは複雑そうな顔をした。「モシカシテ、ワタシニモソウ思ッテタリスルンデスカ?」
「かもね」くっくっと喉を震わす。「だから優しくするなんて、無理」
 そうしておしぼりでアヒルをつくって遊んでいる――と、いきなりホドリゴに頭をつかまれて下に引き落とされた。テーブルにおでこをぶつける。
「な、なにすんだっ」
「シッ。チハヤサン、モットフセテクダサイ」彼も顔を低くしている。
「はあ? いきなりなに」
「東京ノヒトタチデス……」
 振り返ってみると、窓のむこうの駐車場に数人の男がいた。どうやらあいつらが、ホドリゴを追ってきた刺客らしい。想像していたとおりのチンピラだ。
 やつらはファミレスに入ってきた。捜索を中断して食事ってところだろう。私たちのいる禁煙席とは逆の、喫煙席のほうに歩いていく。鉢合わせにはならなくて済みそうだ、が。
「キビシイデスネ……」
 私は小声で叫んだ。「つうか、私まで隠さなくてもよかったじゃん! おでこ痛いわ!」
「ソレハイマ重要ナコトデスカ?」
「なんだそのスマートな顔! うぜえ!」
「スミマセン、ツイ……」元の小物っぽい顔に戻った。「シカシ、ドウシマショウカ」
「まあ、こっそり逃げるしかなんじゃないの」
 私たちは可及的速やかに残りを平らげ、レジにて代金を払う。
 そして、こっそりとファミレスを出ようとしたときだった。
 トイレに立ったチンピラのひとりと目が合った。
「あっ、てめえホドリゴ! 待ちやがれ!」
「ニゲマスヨ、チハヤサン!」
「ちょ、なんかどんどん巻き込まれてない私!?」
 ホドリゴに手を引かれ走り出す。チンピラどもが、なにか罵声をまき散らしながら追ってくる。通りではまきにくいと判断したみたいで、ホドリゴは入り組んだ小道へと方向転換した。さすがはサッカーが得意な南米人(完璧な偏見)というべきか、身のこなしはたいしたものだ。当然ながら私がそれについていけるはずもなく、木箱に足をとられ転んだ。
「チハヤサン!」
「わ、私のことはいいから、あんたは先にいけ!」
「ソンナヒドイコトデキマセン!」そう言って私を抱えると、再び走る。
「いや! 正直ここらへんで面倒事から下ろさせてもらいたかったんだけどな! なんかもうポニーとクライドみたくなっちゃってるけど、私は本来無関係だからな!」
 本音の叫びは届かない。
 それからも逃げつづけたが、やはり多勢に無勢。しかも私という荷物をわざわざお姫様だっこしているものだから、徐々に追いつめられていく。そしてついに、二手に分かれられ、一本道の左右をふさがれてしまった。右は三人。左はひとりだが屈強そうな大男。
「年貢の納め時だぜ? ホドリゴ」三人の中のひとりが言う。
「クッ……バンジキュースデスカ」
「おとなしく消えてくれや」
 じりじりと近づいてくる。私の中にも諦めがよぎったが、ホドリゴの仲間だと思われて非道な仕打ちを受けるのは納得がいかなかった。理不尽すぎる。
 なにか打開策は……と考えていると、お誂え向きなものが目に飛び込んできた。
 私は叫んだ。「ホドリゴ! 左へ突っ込め!」
「ハ、ハイ!?」
 私たちが迫っていくのは大男。やつは迎撃の構えをとる。ふつうに考えて、今のホドリゴでは勝ち目など一厘もない――そう、ホドリゴが立ちむかうのなら。
 私は、壁に立てかけてあった鉄棒数本を束ねていた紐を、ホドリゴから没収したナイフですれ違いざまに切った。バラバラになった鉄棒たちは、次々に倒れる。そのうちの、五メートルはある長大な一本が大男に正面からのしかかった。さすがに受けとめきれまい。轟音とともに押しつぶされて目を回す、大男の横をすり抜ける。
「ああっ、チクショウ! 待ちやがれ!」背後では、ほかの鉄棒がうまく三人のほうを足止めしてくれているみたいだった。ざまあみろってんだ。
「スゴイデス、チハヤサン! マルデララ・クロフトデス!」
「私は別に世界各地の遺跡で冒険したりしないけど! どうでもいいからもっと走れ!」
「リョーカイデス!」
 危機からの脱出に成功しても、ホドリゴは私を下ろしてくれなかった。アンジーというよりは、どちらかというとエリオットの漕ぐ自転車に乗るE.T.みたいだと思った。
 通行人のみなさん、恥ずかしいからあんまり見ないで。


 結局、完全に逃げきったと思えるころには、空が白んでいた。
 私は自販機からホドリゴのいるベンチに戻る「ほい、コーヒーでいいよね」
「アリガトウゴザイマス」
 ホドリゴの隣に座り、私もペットボトルのお茶を開けた。潤いが渇いた喉を流れ落ちていく。精神的にも肉体的にもくたくただけれど、いくぶんか楽になった。
「……チハヤサンハ優シイデスネ」ぽつりと言った。
「はあ? 優しくないって言ったばっかじゃん」
「優シイデスヨ」やけにきっぱりと断じられ、私は驚きつつ顔を覗く。「ニゲルトキ、ワタシヲ助ケテクレマシタシ……ファミレスデモ、イマデモ、オゴッテクレマシタ」
「ただの成り行きだと思うけど」
「オジイサンガイッテイマシタ。日本ニハ真面目デ素敵ナヒトガタクサンイルンダッテ」
「もはや神話だよ、それ」
「チハヤサンハ素敵デス。ソシテ、スコシ真面目スギルンデハナイデショウカ? ソレデキビシクナッテシマウノデハ? ホントウハ優シイヒトナノニ」
「…………」
 返す言葉が見つからずに黙っていると、イイタイコトガイエマシタ、とホドリゴは黄色っぽい歯を見せて笑った。立ち上がって軽く体操をこなす。
「サテ、ワタシハコレカラドウシマショウカネ」
「ねえ」私はいやらしく頬を曲げた。出会って間もないくせに、好き勝手に人を語りやがった短小の南米人に意地悪してやるつもりで。「あんた、確か身を落ち着けられる場所がほしいって言ってたよね? 私に名案があるんだけど、聞く?」
「オウ、キキタイデス! モシヤ、チハヤサンノ家二許可ガオリマシタカ!?」
「刑務所」
「エ……?」
 上がりかけたテンションを急落させ、ホドリゴは頭を押さえながら呟く。
「スミマセン。モウ一回イッテクレマセンカ? 耳ガオカシイヨウデ」
「だから刑務所だよ、けーむしょ。プリズン。あそこなら外から手出しはできないし、衣食住ついてくるじゃん? あれ、考えてみたら結構よくない?」
「……ドウイウ罪デ入ルンデスカ?」
「もちろん強盗強姦未遂。案外高くついちゃったりして」
 ホドリゴは汗まみれの顔をわななかせたあと、くるりと反転してダッシュした。
 逃げる気だと瞬時にわかって、私も走り出す。
「ヤッパリチハヤサンコワイヒトデース!」
「まてえっ! このやろおっ!」
 そして。
 ホドリゴを追いかけながら――私は、笑っていた。
 今日のツイッターは、いつもとは毛色の違うことが書けそうだ。

       

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Neetsha