Neetel Inside ニートノベル
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しばらくすると『オデロンズ・スタジオ』は、“オデロンズ”でいっぱいになった。
最初に入ってきたのはホプキンスだった。かれは照明を担当していて、小柄な体で
飛び回り、自由な角度から光を当てられる技を持つホタル型悪魔だ。
なかなかのお調子者で、週末はその臀部のライトをミラーボールに変えて
クラブ〈処女の穴はしょっぱい〉に入り浸っている。人気は上々らしいと聞いている
。次はマブルだ。肥満気味の撮影主任で、〈透明の魔法〉を使えるために、
どのアングルでも映りこむことなく撮影できるカメレオン型悪魔だ。大食漢で、
舌癖が悪いところもあるが、歳が近いこともあって、オデロンにとっては
良き相棒のような存在――もちろん、お互いの利害一致によるものであり、地上に
ある友情などといった破たん寸前の国債のようなものでは断じてない――だ。
かれは無言でオデロンにウィンクを投げかけてから、閲覧者席に向かっていった。
続々と集まるスタッフたちは、皆一様に顔をほころばせながら入ってきた。
編集担当のイカ型悪魔〈八足〉タバサと、メイクスタッフの
ウミウシ型悪魔〈闘牛〉ナンシーは談笑しながら入室し、ナンシーが
歩いた後にできる床のぬめりを、コツノ一家の先行者がきれいにふき取りながら入ってくる。
後に続くのは御輿に乗ったアリ型悪魔〈あばた塚の女王〉コツノと、
その大勢の〈小さな息子〉たちだ。かれらはその組織力と人海戦術であらゆることをこなす、とても得がたいADだ。
オデロンはナンシーの軟体肌がピンク色に変色しているのを見て、自分の心配事が的中したことを確信した。
“やはり、みんな勘違いをしている”
 かれらは閲覧者用の骨椅子にめいめいに座り、雑談を交えながらもオデロンの言葉を待っていた。
マブルの骨椅子はその肥満体に耐えて、かれが動くたびにギスギス鳴いている。
ナンシーの椅子は粘液だらけだ。ホプキンスとバッドは座る必要がないので、その分の椅子は
コツノの息子たちが使っている。だが、数が多すぎて、その大半は壁際に立つか、
女王の神輿を担ぐか、そのどちらかである。スタッフの瞳は一様に輝いており、
これから語られるであろう朗報の半分を推測して、くずかご海の黒真珠のように潤んでいた。
オデロンは痩せぎすのハトのように、頭を前に垂れながら部下たちの前に歩み出た。
その姿はどう見てもホームに近づく自殺志願者のようにしか見えない。
しかし、黒真珠の瞳どもには受賞者の発表をじらす着飾ったにやけ顔の司会者にでも
見えているのだろうと思うと、オデロンはこの場から逃げ出したくなった。ここにホームがあればいいのに。
オデロンは閲覧者席の前に歩み出た。そこは偶然にも、番組セットの中央、
番組でかれが視聴者に語りかける定位置だった。
「諸君、あ~、よく集まってくれた。こんな地獄日和の、こんな時間に。急な呼び出しにも関わらず――」
「ヘイ、気にすんなよ、リーダー!」
ポプキンスが囃し立てる。待ちきれなくなった一人の〈小さな息子〉が、隠し持っていた
クラッカーを鳴らしてしまい、周囲の兄弟たちに袋叩きにされた。
オデロンは両手を挙げて、興奮ぎみの部下たちを制した。
“この反応はしょうがない。おれでさえ、この報告には喜んだのだから。ムカデに叩き落されるまではな”
「え~、諸君の中には勘のいい者も何名か――そう、わかってるよナンシー、もちろんきみもだ――
いるようだが、先ほど、ボスに呼ばれて社長室に行ってきた。つまり、前回放送分の視聴率が出た訳なんだが……」
スタジオは静まり返った。オデロンは咳払いをしてから、言葉を続けた。
「前回は、1.7――」
オデロンが言い終わらないうちにわっと歓声が上がり、スタジオは宴の坩堝と化した。
「やったぞ! 1%越えだ」
今度ばかりは的確に、〈小さな息子〉たちは持参のクラッカーを次々に鳴らし始めた。
ホプキンスとバットンは部屋中を飛び回り、女王お抱えのコツノ合奏隊は『ジェーンの葬式』
を奏で始めた。タバサとナンシーはそれに合わせて軽快に踊りだしたが、
ナンシーはタバサに合わせるのに精一杯だ。
「われらがオデロン公に乾杯」
女王は神輿の上で優雅にワインを嗜み、マブルがその相手役を務めていた。
執事役の〈小さな息子〉が、周囲の兄弟にもワインを注いで回っている。
オデロンには、みなが初の1%越えに心から喜んでいるのがよくわかった。
視聴率が上がれば、それだけ番組に付いてくれるスポンサーも増える可能性がある。
そうなれば否応にも自分たちの懐も潤う。マルバはアブラバエを食べる回数を増やせるだろうし、
タバサは一流ブランドの靴をその足の数だけ買い揃えることができる。女王は愛人の数を増やし、
勢力の拡大に励めるだろう。悪魔たちが今祝福しているのは、そういった成功するであろう未来の自分だ。
それだけに、この話の結末を告げるのが、オデロンにはとても辛くなってきた。
“あの医者は胃痛の原因がストレスだといっていた。もしそれが本当なら、おれはこの後はたして生きているだろうか”
額に浮き出た汗を片手でふき取り、悪魔は懸命に話を切り出した。
「それでだ、……次回の目標を決めておこうと思うんだが」
「3%!」とホプキンスが叫んだ。かれは女王持参のワインですでにまっ赤になり、
できあがっていた。臀部の光が点滅し、ふらふらとハエのように飛んでいる。
みながどっと笑い、マブルが「それは調子に乗りすぎだ」と諫めた。
オデロンも笑おうとしたが、すでに顔がこわばりうまく笑えない。
「1.9%ってところか」
そう言ってマブルが差し出したグラスを、オデロンは震える手で受け取った。
「――5%」
喉が渇いてうまく声が出ない。
「なんだって?」
「……次の目標は、5%でいこうと思う」
 一瞬、オデロンの言葉が中に浮いた。そしてまた笑いが起こった。
悪魔たちは冗談が好きだ。それがどんな類のものでも。
「おい、なんだ? ボスに教わったにしては面白いじゃないか。じゃあ、次はおれの番だな。
みんなには言ったかな? あれは〈盲腸のヒキガエルの月〉のことだった。おれが目をつけていた三つ目の悪魔が――」
「……打ち切りだ」
「おい、話はまだ始まったばかりだぞ」
「次回の放送で5%が取れなかったら、番組は打ち切られる」
そのオデロンの言葉は、まるで部屋全体を〈氷河の魔法〉でもかけたかのように凍りつかせた。
ホプキンスの尻からライトが落ちて割れた。ナンシーはすでに全身が蒼白だ。女王は卒倒してしまい、
息子たちが慌てて介抱に駆け寄る。あの冷静なタバサも驚きを隠せずにいるし、バッドは今にも泣き出しそうだ。
隣のマブルも信じられないといった様子で、その両目が飛び出している。
「そんな、馬鹿な……、視聴率は上がってたんだろ? なのに……」
「たしかに上がってはきている。だが、番組を維持し続けるには十分とはいえず……その、以前から低かったこともあって――」
突然、ナンシーが軟体の体を震わせて、わあと泣き出した。
「いやよ、いやっ! 解雇なんてあんまりだわ。無職(スライム)になるなんて私には耐えられないわよ~」
「大丈夫よ、きっと再就職できるわ」
タバサが背中をさすり、手にしたハンカチで彼女の瞳から流れる粘液をふき取りながら言った。
タバサの慰めも間違いではないが、最近の不景気を考慮するとその可能性は低そうだ。
「僕たちどうなるんです?」
「打ち切りってことは、まあ解散だ。その後は新しい雇い主を探さないといけないが、
これがちいっとばかし面倒かもな。とくにお前のような泣き虫はな」
バットにホプキンスが応えていた。
オデロンは懸命に釈明しようとした。自分にはこの悪魔たちが必要だった。
今、かれらを離すわけにはいかない。次の番組を作るためには最低限のスタッフが必要で、
新しいスタッフを入れる余裕などあるわけがない。なんとかかれらを繋ぎとめ、
次の番組制作に意欲的に取り組んでもらわなければ、その先にあるのは身の破滅だ。
「しかし、チャンスが無いわけじゃない。次回の番組をより面白いものにすれば、そうさ、5%なんてすぐ――」
「あなたでは、無理なのではなくて?」
突然の言葉にオデロンは心臓を貫かれたようなショックを受けた。
眠りから目覚めた女王は弱々しく神輿のクッションにもたれてなお、オデロンを冷たい視線と言葉で刺し貫いていた。
「過去の視聴率の低さ、これは全てあなたの力不足でしょうに。私の息子たちはよくやっています。
オデロン公、そろそろお気づきになるべきです。あなたの番組はつまらないと。
私にとって今必要なのは慰めではなく、次の雇い主を探すことになりそうですわね。今日はもう失礼いたします」
〈小さな息子〉たちに担がれて、女王の神輿はスタジオを出て行った。
オデロンは慌てて引き止めようとしたのだが、なんと言って引き止めればいいのかわからず、
そのまま見送ってしまった。彼女は本当に新しい雇い主を探しに行くのかもしれない。
アリ型悪魔の女王は人気が高い。その気になればすぐにでも再就職はできるだろう。
“いつだって正論は厳しい”
コツノ一家の大所帯がいなくなると、スタジオはゴーストタウンのように閑散となった。
次に続いたのはホプキンスだった。
「悪いな、オデロンさん。あんたには恩もあるが、まあ、そこはお互い悪魔だしな。ビジネスライクにいこうよ」
ナンシーはタバサに支えられて出て行った。
「ごめんね~、オデロンちゃん。オカマにはお金が必要なのよ~」
「私はナンシーを送って行くわ。……オデロン、気を落とさないでちょうだいね」
バッドは周囲を見回してから、慌てたようにフードを深く被りなおし、
「ごめんなさ~い」と飛んで逃げていった
“廊下は飛行禁止だというのに……”
オデロンは隣にいる太った悪魔を見た。今や残ったのはかれだけだ。
オデロンの視線に気づき、マバルは肩をすくめた。
「どんな番組でも最終回ってのは来るもんだ」
オデロンは苦笑した。
最終回はやってくる。
だが、はたしてこんな状態で無事に次回の放送を撮れるのだろうか。
もし無事に撮り終えたとして、そのあと自分はどうなるのか。
オデロンは右手で腹部をさすってみた。胃痛は無い。
かれは一人悪態をついた。
結局のところ、ここは地獄だ。

       

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