Neetel Inside ニートノベル
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 三枝家地下25F、変態闘技場に辿り着き、小橋から受けた説明を簡潔にまとめるとこのようになる。
 この闘技場内で行われた試合は、全てインターネットを通じて世界中の格闘技ファン及びリョナラーに配信されている。この闘技場を訪れた者や配信を見る人物は、試合の勝敗にベット、つまり賭ける事が出来る。無論、オッズも試合開始直前まで更新され続けるので、余りにも実力が偏っている試合の場合、賭けは不成立になる事もある。
 局部破壊あり、試合後レイプあり、そして修正なしのガチ生試合など、そう見られる訳ではない。ギャンブルを抜きにしても、ただ単に見たいと言う奴はいくらでもいるし、その上、青天井で儲けられるチャンスもあるという訳だ。なるほど良心的かもしれない。
 ……などと思う訳がない。当然、ギャンブルには「控除率」、いわゆる寺銭という利益が存在し、一発勝負でもない限り、長くやればやる程、必ず銅元が儲かる仕掛けになっている。これは世界の常識という奴で、常識外で生きている奴らにとっても、どうやら金は必要な物らしい。
 アダルトとギャンブルは、それぞれ元々が濡れ手に泡の事業だが、その良い所を組み合わせたこの仕掛けが儲からない訳がない。もちろん、法律による介入が無ければという話だが、この闘技場はその点をHVDO能力によってきっちり対策している。
 闘技場の本体がある場所は、三枝家の地下25Fで間違いないが、ここにたどり着くまでの入り口は無数に存在しているらしい。とある入り口は地下鉄構内のトイレの用具入れにあり、とある入り口は繁華街の路地裏のマンホールにあり、とある入り口はブックオフの本棚の下にある。
 つまり、行き先がここ限定の、DラえもんのDこでもDアが日本国内無数に存在すると考えれば分かりやすいかもしれない。それらの入り口は支配者が自由に閉じたり開けたり出来るらしく、これまで何度か自衛隊に突入されそうになったらしいが、今日まで無事に運営されてきている所を見ればセキュリティー面は問題がないのだろう。
 そもそも、リョナとは女の破壊されていく身体に興奮を覚える性癖で、逆リョナとはその逆、つまり男が破壊されていく所に興奮を覚える性癖だ。言い換えれば、破壊とはつまり究極の支配と考えられ、性欲の根源は相手を自分の思い通りにする事にある。と、小橋は言う。 
 だが、俺にはこの2つの要素に対して興奮を覚える人間がどうしても分からない。間違いなく変態だとは思うが、なんというか、精神構造が余りにもかけ離れすぎていて、理解しようとする気さえ起きない。
 ただ、それでも事実として、リョナには2つの意味がある気がする。
 男が女に暴力を「行う」事に興奮するのか、女が男に暴力を「行われる」事に興奮するのか。逆リョナを含めれば都合4種類。SとMの関係性。それら全ての需要に応えるのがこの闘技場のようだ。


 支配人室の扉を開けると、男と女が向かい合ってソファーに腰掛けていた。
「支配人、三枝家のご令嬢と、その付き人をお連れいたしました」
 小橋がそう紹介したが、男も女もこちらを向く事はなく、じっとお互いを見つめたまま、まるでこちらを無視するように話を始めた。
「いつかはここに気づくとは思っていたが」
「まさか柚之原が口を割るなんてね」
「HVDOを裏切ったという事でいいのか?」
「なら制裁は受けてもらわなくてはならないわ」
 2人の会話が俺達、特に柚之原に向けてなされていたものだと気づくのにはちょっとばかりの時間がかかった。がっしりとした体躯の、毎日ジムに通っているくらいじゃ作れない、完全に戦闘向きに鍛えられた身体を持つ目つきの悪い男。そんな男と対峙しても一歩も引かない、気の強そうな目をした女は、華奢だが良く見ると引き締まった筋肉をしていて、ふとももにはまるで柔らかさが無い。
 この2人の「一触即発感」は、向き合った人物とは別の人間を対象にして喋る事の不自然さをより強調している。
「柚之原の処分は後で考えるとして、だ」
「問題は三枝瑞樹のようね」
「彼女はここの家主だからな」
「本気を出せば私達を追い出す事も可能」
「また新しく他の場所を探すのも億劫だ」
「ここは何とか穏便に済ませたい所ね」
「ところで、自己紹介がまだだったな。俺は『リョナ』のHVDO能力者、阿竹剛助(あたけごうすけ)」
「私は『逆リョナ』のHVDO能力者、御代彩(みしろあや)」
 間があって、お嬢様もそれが自分に向けられた言葉であると確認する。
「ここを使うのは別に構わないわ。ただ、条件として『崇拝者』とやらの居場所を教えなさい」
 お嬢様の命令にも、2人は振り向こうとしない。ずっとお互いを見つめて、視界を少しも動かさず、不自然なまま会話だけを続ける。
「生憎だけれど」
「崇拝者の居場所は俺たちにも分からない」
「彼はいつも自由気ままだし」
「処女のいる所ならどこへでも行く」
「そもそも、何故あなたは崇拝者に会いたいの?」
 お嬢様は答える。
「手っとり早く新しい能力をもらうためよ」
 ああ、やはりお嬢様は露出の道を極めたいのか……とプチ絶望。
「ならば崇拝者に会う必要はない」
 と、男。阿竹。
「この闘技場でなら、目利きと運次第でいくらでも新しい能力が手に入る」
 と、女。御代。
 お嬢様は驚かれた様子だったが、声色はまだ落ち着いている。
「どういう意味かしら?」
『賭けられるのは、金だけじゃない』
 2人の声が重なった。
「この闘技場の一般ファンはもちろんHVDOの存在を知らないが、HVDO能力者は特別なコインを得る事が出来る」
「そのコインは能力を賭けられる形に換算した物で、1つの能力につき10枚というレートで交換しているの」
「つまり第五能力まで目覚めている人間なら50枚」
「交換は性癖バトルに負けて不能になった状態でも可能」
「ただし、オッズは通常のファンが賭ける10分の1になる」
「通常でオッズが3.0倍ついているファイターに賭けるなら、1.2倍。10.0倍なら1.9倍まで落ちる」
 頭の中での計算でもたもたする俺を置き去りに、お嬢様が呟く。「ようはぼったくりね」
「まあ、その通りね」
「これも俺達の能力の一部分なのでね」
「私達よりリョナ逆リョナを知り尽くした人間に対する、私達からの敗北の証のような物と考えてくれればいいわ」
 性癖バトル、とやら自体も見たこと無い俺だが、何やらお嬢様が思惑なされている様子から見ても、これはかなり特殊な状況らしい。
「まあ、賭けに挑むかどうかはあくまで自由だ」
「見ての通り、私達は他の能力者と戦える状況にないから」
 さて、いよいよこの不可解な状況を解決しなければならないようだ。
 ここまでじっと見つめあう状況というのは、流石に関係性が絞られてくる。
 とんでもなく仲が良いか。
 とんでもなく仲が悪いか。
 どちらが正解だろうかと迷っていると、黙っていた小橋がここぞとばかりに語り始めた。
「阿竹様と御代様はどちらも高レベルのHVDO能力者でした。能力はほとんど戦闘に特化した物で、例えば見ただけで相手の戦闘能力が測れたり、触れただけで力を奪ったりだとか。カウンターも豊富で、一般の闘士はまず相手にならないレベルでしょう。HVDO能力とは元々そういう物ですが、リョナ逆リョナを行使する事だけにこだわった能力だったのです」
 小橋の話には、これといった「おかしな所」がある訳ではなかったが、妙に要領を得ていない部分があった。お嬢様も俺と同じ部分で府に落ちなかったらしく、ストレートに尋ねる。
「それが、どうしてこういう状況に?」
 小橋は答える。
「刀でも銃でも達人同士の戦いになった時、お互いに動けなくなるという事があります。どちらも一撃必殺であるがゆえに、『先に動いたら負け』という状況が必然的に発生する。阿竹様と御代様が陥っているのがまさにそれです」
 時代劇や西部劇のワンシーン。じっとにらみ合う2人の達人。様々なアングルからカメラが2人を撮影し、引っ張って引っ張って引っ張った挙げ句、勝負は一瞬で終わる。確かに、そんなシーンはいくらでも見た事がある。
 不可解で奇妙だが、なんとなく納得しかけた時、とどめとばかりに小橋が言った。
「お互い強すぎるがゆえに、動けないのです。2人はもう5年以上もこうして生活しています」
「5年!?」
 思わず俺は叫ぶ。
「正確には」
「5年3ヶ月と10日ね」
 2人が答える。そりゃ5年間ずっと片時も離れず見つめ合っていたらこれだけ息もぴったりになるだろう。
「しょ、食事の時は?」
「同時にお互いの口に食事を運ぶ」
「じゃあ寝る時は?」
「左手で右手をお互いに握りながら、足を絡めて寝ている」
「……まさか、トイレも……?」
「どちらかが催したらそれについていって見る」
 ……。
「どう突っ込んだらいいのだろう、って顔ね」
 お嬢様の指摘は図星だった。「おまえらどんだけだ!」は漠然としすぎてるし、「気持ち悪っ!」は確かにどん引きしている今の感情を表すのに適しているが、「ここまでやるか」という所にある種尊敬さえ抱いている今の俺の気持ちを表現しきれていない。「ラブラブじゃねえか!」は、何か違う気がする。
「私達の自己紹介は」
「この辺で十分だろう」
「さて、どうするのかしら」
「能力を賭けるのか、賭けないのか」
 いつの間にやら主導権がこいつらに移っている。人の家の1フロアを勝手に借りておいて、盗人猛々しいとはまさにこの事だ。当然、お嬢様がそんな不躾な権力に屈するわけはない。
「それよりも、満足に身動きをとれないあなた達に性癖バトルを仕掛けた方が手っとり早いんじゃないかしら」
 一瞬、緊張のような物が走ったが、その後にやってきたのは2人分のぴったり息のあった嘲笑だった。
「俺達は、良くも悪くも一心同体」
「やってみるのは構わないけれど」
「もしも2人を同時に倒す事に失敗したら」
「解放された残りの1人が復讐を果たすでしょうね」
 敵同士であるがゆえにどちらも譲らず、強すぎるがゆえに仕掛けられず、そして無防備であるがゆえに誰も触れない。矛盾していたが妄言ではない。「……流石は幹部、といった所ね」とお嬢様が感心していた。


「とりあえず、試合への賭けに関してはいつでも受け付けている」
「試合は毎日必ず1試合は行われているし、土日は最低でも5試合はマッチメイクされるわ」
「気が向いたらいつでも能力をコインに交換し、参加したらいい」
「フロアを勝手に借りている分、特別に観覧だけというのも許可しましょう」
 こちらを見る事なく示された条件に、お嬢様は目を瞑ってじっくりと考えていた。具体的に何を、という所までは分からない。この2人をどうやって、なのか、それともHVDOという組織全体をどうやって、なのか。誰かの仕掛けに大人しく乗るのはお嬢様らしくはなかったが、対HVDOという話においては、それなりの考察が必要なようだ。
「ところで、柚之原」
 と、阿竹。
「分かっているわよね?」
 と、御代。
 名前を呼ばれ、柚之原が前に出る。
「HVDOの拷問人であるお前が、我々を裏切り三枝家についたというのならば」
「契約通り、それなりの罰を受けてもらわなければならない」
 柚之原は黙ったまま、じっと2人を見ている。その表情に妙に不安を覚えた俺は、我慢出来ずに問いかける。
「柚之原、こいつらに何か、弱みを握られているのか?」
 答えたのは2人だった。
「弱みなんて人聞きが悪いわね」
「あくまで俺たちは、柚之原が裏切った事を崇拝者に報告するのみだ」
 俺は気づいてしまった。柚之原の手が、指先が、僅かに震えている。俺ごときが気づいたのだ。お嬢様が見逃される訳もない。
「柚之原、詳しく話しなさい」
「……はい」
 阿竹と御代はお互いの顔に向けて微笑みあっている。少なくとも俺達にとって良い話ではない事は分かる。
 柚之原は重々しく語る。
「私の処女は、既に崇拝者に奪われています」
 まさかの非処女宣言。
「正確に言えば、崇拝者はいつでも気が向いた時に、私を自由に出来るという意味です」
 理解の範疇を超え、地球を一周してむしろ分かってきた。
「崇拝者は『処女』を手に入れてもすぐには行為をしないの」
「しばらくは泳がせて楽しむ。何せ処女は1度きりだからな」
「世界中のどこに居ても無駄よ。射程範囲は無限大」
「柚之原の肉体のどこかには、崇拝者による印が刻まれている」
 お嬢様が、柚之原の震える手を掴む。握りしめる。大切に離す。
「……条件は?」
 2人に向き直り、端然とした面持ちでお嬢様は尋ねた。
 少しの間を置き、再び声が重なる。
『戦ってもらう』
 つい先ほど見た、この闘技場における「戦い」の凄惨さが蘇り、俺は頭を抱えた。

       

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Neetsha