Neetel Inside ニートノベル
表紙

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「ちょ、くりちゃ」
「いいからとぅわれ!」
 猫又になる直前の猫のように据わりきった目と、回る気配すらない呂律、やけに乱れた衣服に、耳まで真っ赤になった顔。酩酊、とはまさしくこの事を指すのでしょう。初めて見るくりちゃんの狂態に、自分は戸惑い狼狽えつつも、指示されたように、少し距離をあけて正座でとぅわり(座り)ました。
「お前はクズら! 正真正銘のクズ野郎ら!」
 開幕罵倒ぶっぱを喰らった自分は、「は、はぁ」と平社員10年目のような反応しか出来ず、更にくりちゃんを調子づかせてしまいました。
「いっつもいっつもおしっこの事ばっか考えて、恥ずかしくないのかぁ!? 大体なんで女が小便する所にそんなに興奮するんら……お前ら男と大して変わらねえだろ! 何が黄金水だ、何が聖水だ……アンモニアという現実から目をそらすな馬鹿野郎ぅ!」
 このやたらとソウルフルな叫びは、確かに普段のくりちゃんからは決して発せられない物であり、口にしている理屈はおかしいと自分は思いますが、一切の反論を許さない制圧力がありました。
「そもそもな、三枝委員長といい、何であたしの周りには変態ばっか集まりやがるんら! どうして茶道部が変態どもの巣窟なんら! 意味が分からんぞちくしょー!」
 酔っ払いにも、泣き上戸や笑い上戸など色々と種類がありますが、どうやらくりちゃんはキレ上戸のようでした。普段からその片鱗は見せていますが、ここまで極端に発現するというのはやはり、酒は人を変えるのだな、という小学生並の感想を自分に持たせました。
 というか、おい、母よ。隣の家に住む息子の幼馴染の未成年女子に、しこたま酒を呑ませて泥酔させるなど、アウトというよりむしろ1つとしてセーフな行為がないではないですか。と、胸中叫んでみた所で、くりちゃんの酔いはますます酷くなるばかりでした。
「おい! 聞いてんのかぁ!?」
「は、はい。聞いています」
「あややれ!(謝れ!) あちしの人生を滅茶苦茶にしてごめんなさいってあややれ!」
「……くりちゃんの人生を滅茶苦茶にしてしまって、申し訳ございませんでした」
「それれいいんだよ、ぶぁーか!」
 暴君くりちゃんは、満足げにけたけたと笑うと、一升瓶に直接口をつけて呑み、その後かくんと何かが離れたように首を落とし、俯きました。眠ったのかな? と表情を覗き込むと、目から溢れ出していたのは、大粒の涙でした。
「もう恥ずかしいのはやらよ……放っておいてくでよ……あたしは普通の人生が送りたいだけなんら……」
 前言撤回。くりちゃんはキレ上戸でも何でもなく、ただただひたすらに酒癖が悪いだけの大トラのようで、今は完全に泣き上戸と化していますが、この調子だといつゲロしてもおかしくなく、突如として意識を失うのも時間の問題のように思えました。一体どれだけ呑ませたのか。テーブルの上に並べられた氷結やら何やらの空き缶を横目に見つつ、とりあえず、母より授けられた命令を実行する事にしました。
「もう寝ましょうよくりちゃん。過ぎてしまった事は仕方ないんですから。ね?」
 赤子を扱うように優しく優しく声をかけ、ジェントリータッチで肩に触れましたが、それをくりちゃんは乱暴に振り払いました。
「あたしに触るら! また変な事しようとしれるんらろ!!」
 本当にしちゃいますよ? と耳元で囁きたくなりましたが、単純に気持ち悪いのと、こうまでなってしまったくりちゃんがかわいそうなのもあってやめておきました。酒に酔った女子は確かに無防備で、今ならスーパーフリー的な事も簡単に出来そうな状態でしたが、どうもいまいちその気になれません。無論それは、自分が人より性的好奇心が薄いという意味ではなく、くりちゃんにはちゃんとした意識の中で、最大限の恥辱を味わって欲しいからであり、記録に残っても記憶に残らないおもらしは、おもらしではないのです。
 そんな自分の純なる想いを他所に、くりちゃんは呟きます。
「なんであたしなんら……」


 しかしね、くりちゃん。と、自分は心の中、こくりこくりと揺れる座らぬ首で、今にも寝てしまいそうな目の前の酒乱にゆっくりと話しかけます。確かにくりちゃんの言い分も分かるけれどね、それもこれも、くりちゃんがかわいいのがいけないのですよ。
 これまで自分は、沢山の美少女のおもらしを見てきましたし、おもらし以外にも、他HVDO能力者の関係するあらゆる痴態を記憶に焼き付けてきましたが、やはり、くりちゃんが恥ずかしがる姿は、得も言えず最高なのです。これだけは分かっていただきたい。
 根っから恥ずかしがり屋のくりちゃんは、きっとそういう、自分のような変態を、何もせずとも寄せ付けてしまう才能のような物を持っているのに違いないのです。それは性別を軽く超えて、音羽君、三枝委員長、ハル先輩、望月先輩などの女性に対しても、「この娘の恥ずかしがる姿が是非見たい」と心のどこかで思わせてしまう、特別な何かなのです。だから例えば、もしも仮にこの世に自分がいなかったとしても、くりちゃんは必ずHVDO関連の何やかんやに巻き込まれていたでしょうし、恩を着せる訳ではありませんが、今よりももっと酷い目に合っていた可能性すらあるのです。事実、自分にとって現状最強のライバルである春木氏も、くりちゃんという幻影に悩まされて一歩を踏み込めずにいました。
 酒の匂いにあてられてか、自分も少し酔ってきた気がします。これはいけません。
「くりちゃん、寝るなら布団で寝ましょうよ」
 駄目もとで声をかけてみましたが、やはり駄目でした。
「うるへー!」
 と叫び、暴れようとするも、なんだか阿波踊りみたいになって後ろにぶっ倒れるくりちゃんでしたが、その動きすら実にゆっくりでしたので、なんとか近くにあったクッションを滑り込ませる事には成功しました。
「ちくしょー! あたしに何をした! 世界が回ってるろ~」
 蟹のように両手足をしゃかしゃかと動かしながら、何かと必死に格闘するくりちゃんを見ていると、最早「あーあ……」という感想しか出てこない自分に気づきました。人間、度を越して呆れると、欲望だとか都合だとか忘れて、心の底からの「あーあ……」しかでないものだな、と感心しました。
「あたしは普通に! 普通にくらしらいらっららけ……」
 こときれたように意識の堕ちるくりちゃん。運ぼうか、とも思いましたし、くりちゃんと自分の体格差なら物理的な問題は何らありませんでしたが、差しあたって重要な問題は、この酔っ払いをどこに運ぶか、という所でした。くりちゃんの家まで? 答えはNoです。未成年の娘を泥酔させた挙句に意識混濁状態で運ぶ男は、世間一般的に信頼されませんし、例えそれが幼馴染で過去に同棲経験ありとしても、白眼視は必至です。では自分の部屋に? と、これも同じく答えはNo。くりちゃんがいざ目覚め、自分の部屋で眠っていた事を知ったら、烈火のごとくぶちキレるのは目に見えています。その時、論理は無力になります。
 とはいえ、いかなる健康優良わがまま娘といえど、おへそ丸出しで寝ていれ体調を崩すのは目に見えていますので、仕方なく、自分は2階から客人用の毛布を持ってきて、起こさぬようにそっと、車に轢かれたカエルのごとくぐっすりと眠るくりちゃんの身体にかけ、我ながらいつになく紳士過ぎるな、と自覚しながらも一息ついた時、不意の悪魔はぐいと自分の裾を掴んだのです。
 いつものくりくりした目ではなく、完全に酒に呑まれた、いよいよ猫又と化した据わりきった目で自分を見つめるくりちゃんは、焦る自分に冷や水を浴びせるように、こんな質問を投げかけたのです。
「お前……あたしの事、どう思ってるんだ?」


 それは禁忌の質問でした。怪物を閉じ込めて、確かに封蝋をして机の引き出しにしまっておいたはずのが手紙が、自分の気づかぬ間に何者かの手によって開けられていて、それを発見した瞬間、背後に怪物の気配を感じたのです。もちろんこれは例えですが、恐怖と表現して差し支えない程度の緊張に、自分は不意に襲われたのです。
 以前、樫原先輩のHVDO能力により、「気持ちに嘘をついている事」をくりちゃんが暴露された事がありました。樫原先輩はその嘘を、「くりちゃんが自分を本当は好いている事」だと指摘しましたが、それを認めてしまうと、性癖バトルに負けると咄嗟に判断した自分は、この件を遥か遠方に投げ飛ばし、そのまま知らんぷりを決め込みました。
 くりちゃんは自分を心の底から嫌っていてでも自分はくりちゃんの痴態が好きだ。
 たった1行の単純な答えに瞬間梱包し、それによって自分はどうにか樫原先輩に勝利を収める事が出来たのです。
 ああ、そうか。と、自分は今更になって思います。
『お前、あたしの事どう思ってるんだ?』
 この質問に対して自分は、「性的な対象として見ています」と即答するべきだったのです。いや、それしか無かった!
 顕微鏡と化したくりちゃんの瞳に見つめられた自分は、更に追い詰められていきます。時間にすれば、質問が放たれてからほんの3、4秒でしたが、その僅かな沈黙は既に意味を持ってしまいました。性的な目で見ている、などとこのタイミングで言っても、それは完全に説得力を失い、むしろ更に自分を窮地へと追い込むはずです。
「じ、自分は……」
 とにかく主語を置き、くりちゃんの出方を待ちましたが、ここにきて寝る気配も吐く気配もなく、唇を尖らせながら、視線は決して外してくれません。
 この質問の怪物じみた所は、裏を返せば、返答次第でくりちゃんと自分の今までの関係が、全て御破算になってしまうという所です。いかにそれが理想的な物であったか知らない自分ではありませんし、失ったとして、取り返すことが不可能である事も自分は知ってしまっているのです。
「くりちゃん!!」
 自分は前のめりに、くりちゃんの両肩を掴みました。殴ってくれればそれでよかった。でもくりちゃんは子供のような無垢で呆けて、その背後にはラブコメという名の怪物が、殺すような視線で自分を睨んでいたのです。
「自分は勝ちます! 崇拝者を倒さなければならないのです!」
 口から飛び出した言葉に、自分は思わず目を閉じます。
「それにはくりちゃんの存在は必要不可欠です! くりちゃん! この質問の答えは、全てが終わった後にきちんとしますから、今はとにかく、自分の為にもっと恥ずかしい目にあってくれませんか!?」
 怖くて目が開けられませんでしたが、くりちゃんからは反論も鉄拳も飛んできません。自分は三枝委員長のトーナメントのルール説明を思い出しつつ、それに頼ります。
「……1人だけ、性癖バトルを行う上でのパートナーを選べるんです」
 このルールを、こういう理由で使うのはきっと正しくない事だと思うのですが、しかし背に腹は代えられませんでした。
「自分は、くりちゃんを選びます。最初からそう決めていました」
 嘘ではありませんでした。もしも1人を選ぶなら、くりちゃんしかいません。もちろん他にも魅力的な女子はいくらでもいますが、ことおもらしに関して、くりちゃんのは極上です。
「どうか……今はそれで許してください」
 くりちゃんの質問は、解釈によってはただただ何て事のない、日常的な会話に分類される物だったと、普通の人なら思われるかもしれません。しかし幼馴染という間柄、いえ、そんな風に形のせいにする事をやめて、もっと率直に言うならば、自分とくりちゃんの間においては、してはならない、されてはならない質問であったのです。
 自分はこれを丁重に扱い、どうにか無事に、安全な方法で処理出来たと自負しましたが、果たしてくりちゃんの方が納得したかどうか……。ゆっくりと瞼を持ち上げ、まずは薄目でくりちゃんの表情を確認してみると、待っていたのは「お約束」という安心感でした。
 すぴー……と鼻から音をたてて寝るくりちゃん。
 なんだか蓋を開けてみると、自分ひとりで右往左往していた気もしましたが、まあ、いいか、とぼんやりくりちゃんの寝顔を眺めつつ、変態トーナメントの事を考えながら、おねしょするのを待ちました。

       

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