Neetel Inside ニートノベル
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 おしっこの海に沈み、たどり着いた場所は小さな部屋でした。
 元来、尿とはただの人体が生み出す排泄物であり、それ自体に価値を見出すのは自分のようなちゃきちゃきの変態しかおらず、世界に存在する99.9%の尿がトイレに流されるかあるいは地面へと吸収されて大地の栄養となっていると思われます。
 その尿を「扉」とし、まったく別の空間へと繋げるのが我が能力「ヨンゴーダイバー」であり、春木氏の言を借りれば、これを「シチュエーション能力」と呼ぶそうですが、自分の場合は舞台を小学校に変えたりだとか、飛行戦艦に変える程度の低級なレベルの代物ではなく、これは文字通り、絵面通り、「ダイブ」する力であると保障出来ます。
 おしっこの先の部屋。それはどこか見覚えのある廃墟の一室でした。そして自分には「見覚えがある」程度ですが、春木氏に取ってみればおそらく毎日見ている、というよりもむしろ住んでいる空間ですから、当然自分とは感想が違っているはずです。
 そして自分は高らかにこう宣言します。
「この部屋に来てしまった瞬間、春木氏の負けは確定しました」
 春木氏に焦りの色はなく、むしろ安全なガラス越しに実験生物を見るような興味深げな視線を返されます。
「1つ、君の心配事を解消してあげよう。シチュエーション能力は先出しが有利だ。僕はこの空間において、新たに君ごと移動する事は出来ない。僕のシチュエーション能力である異空間小学校に行くには1度ここから脱出しなければならない。何故なら、シチュエーション能力は『現実世界から異空間への移動』をその能力内容に含んでいるからね」
「お気遣い感謝します」
 と、自分。元来無駄な行動である勝利宣言が、そこにミスディレクションの狙いを含み、更にバレてしまっても挑発として作用するように仕組んでいた事、そのすべてを見通した春木氏の一撃でしたが、自分はそれでもなお冷静でいられました。何故なら先の勝利宣言は決して嘘ではなく、事実だったからです。
「ところでこの部屋、君の性癖である『おもらし』をより魅力的に見せる空間とは思えないね」
「感想はそれだけですか?」
 春木氏はほんの少し鼻で笑いましたが、一応答えてくれました。
「僕の部屋だね。だが、いくつかの物が増えている。」順番に指をさし、「まずはこの写真立て。僕は自分の写真を自分の部屋に飾るほどナルシストじゃない。」「それからこの本棚。彼女に書かせている日記はここまで多くはない」「そして決定的なのは、このモニターだ。僕の部屋にテレビはない。それに、映っている物もどうやら『普通』じゃないようだ」
 そのモニターには、たった今、自分と春木氏が共に落ちてきたばかりの水溜まりが映っていました。画面は微妙に揺れながら、時々自分の部屋の中に視線を戻したり、手で覆ったりしています。
 自分は何気なく本棚の中から1冊の日記を取り、パラパラと捲りました。しばらく無言でそうしていると、流石の春木氏でもいよいよ痺れを切らしたのか、こう尋ねられました。
「そろそろこの空間についての説明が欲しいんだけど、頼めるかな? 五十妻君」
 自分はまず、こう答えます。
「ところで春木氏、『死』とは何でしょうね?」


 最初に帰ってきたのは簡潔な答えでした。
「生きていない事だ」
「では生きているとは?」
「死んでいない事だ」
 自分は春木氏の微笑をそのまま返し、「もう少し、具体的にお願い出来ますか?」
「人間にだけ限って言えば、呼吸し、心臓が動き、栄養を取っているのなら、生きている。そうでなければ死んでいる。といった所かな?」
「春木氏」自分は本から顔をあげ、警告します。「排泄行為を忘れていますよ」
「ふむ、君にとっては重要だったかな」
 そろそろ種を明かしましょう。
 春木氏が唾を飲むのが分かりました。自分は腹の底から声を出します。ここからが今回の決め台詞ですから。
「『ヨンゴーダイバー』がダイブする場所は、その尿をした者の『死後の世界』です。人は生きている限り、毎日排泄せずにはいられない。排泄行為をすればする程、死に近づいていっているとも言い換える事も出来ます。即ち、失った排泄物は『死の欠片』であり、そこに潜る事は、その人物の精神を覗く事に他なるら……ら、らるりません!!!」
 最後ちょっと噛んでしまいましたが、とりあえず勢いで誤魔化しました。春木氏もモードに入っているのかありがたい事にスルーしてくれました。
「なるほど、『045』で『死後』と『おしっこ』をかけている訳か。面白い能力だね」
「ええ、その通り」
「だが、どうして彼女の死後の世界に入る事が、『僕の敗北』を決定するのかな?」
「……まあそう答えを焦らないでください。ほら、落ち着いて一緒にテレビでも見ませんか?」
 自分が指差したモニターには、先ほどと変わらず偽くりちゃんの作った水溜りが映っていました。しかし今度は窓から見下ろす視点ではなく、2階から降りてきて直に見られる位置からの視点です。視点の低さと対象への近さからして、急いで移動してきたようです。
「死後の世界といっても、概念は人それぞれです。その人のイメージする、天国であったり地獄であったり……あるいは理想の来世、漠然とした虚無であるかもしれません。しかし偽くりちゃんにとってみれば、この部屋が彼女の人生にとってのすべてであり、おそらく還るべき場所なのでしょう。現実での春木氏の部屋を精巧に再現しているようですが、このモニターだけは違います。死後と言っても彼女はまだ死んでいませんから、このモニターに映るのは、現在の彼女が見ているビジョン、つまり視界という訳です」
 春木氏はモニターから視線を外し、少し焦ったように自分を睨みました。自分はその様子から、彼の心配事を察します。
「あ、ご心配なく。この世界に偽くりちゃんがやって来てしまっても、彼女が実際に死ぬ訳ではありません。なんと言ったら良いのか、これは死後の世界をシミュレーションしている状態に近いのです。それと、彼女はその身を水溜りに投げる事で、我々と同じくこちら側にやってこれますよ」
 モニターに移る視点の移り変わりから、偽くりちゃんが今、何を悩んでいるのかが分かりました。春木氏を救助するために水溜りに飛び込むべきか? それとも、春木氏の生還を信じて指示を待つべきか?
 従順であるが故の逡巡。
 相手の能力が不明である以上、1度飛び込めば戻ってこれる保障はありません。攻略するには外側の世界から何か条件を満たす必要があるかもしれない。今、彼女の日記を手にした自分には、偽くりちゃんの思考は手に取るように分かりました。


「ところで春木氏、あなたの写真、わざわざケースに入って飾ってあるというのに、妙に擦り切れていませんか?」
 自分はベッドの近くに飾られた写真立てを手に持って、そう尋ねてみました。
「それがどうしたんだい?」
 自分は写真立ての後ろを開けて、中から写真を取り出します。枚数は1枚ではなく、10枚、いえ、100枚、いえいえ、1000枚程が収納されており、これはもちろん物理法則を無視していますが、死後の世界では十分にありえる事です。
「おやおや、この異常な枚数は何でしょうねえ?」
 質問は既に尋問に変わっており、春木氏に抗う術はありません。
「それだけ、彼女が僕を慕っているという事だろうね」
「それだけ、でしょうか?」
 自分は写真を1枚だけ手に残して他をベッドの脇に置き、その1枚をまじまじと見つめました。春木氏の横顔のアップ写真。自分からすればあんまり気持ちの良い者ではありませんが、ananの表紙くらいにはなれそうです。
「ほら、この写真、若干湿っていませんか? それに……」鼻を近づけ、匂いを嗅ぎます。「何かこう、ほんのりと甘い匂いが」
 春木氏は自分から写真を受け取り、匂いを嗅ぎました。そしてすぐに直感したようです。自分は更に名探偵よろしく推理ショーを続けます。
「ふむ、となると、もう1つの道具が……この辺に……」
 ベッドの下に手を入れてまさぐると、出るわ出るわ。ピンクローター、バイブ、電マ、iroha……ありとあらゆる女性向けアダルトグッズが、ぼろぼろと出てきました。
「この世界は、彼女の深層心理をこの上なく表現しています。そこに嘘はありえませんが、隠し事というのは大体見つけにくい場所にある物です」
 春木氏は写真とアダルトグッズ、それから良く見れば涎やその他液体の染みたベッドのシーツを順番に見つめ、こう言い放ちました。
「彼女が僕をネタにして性欲を解消している事は分かった。それがどうしたんだい?」
 無論、表面上はいつもの余裕でコーティングしていますが、自分には分かるのです。「自分の事を好いてくれている女子がいる」という事実を目の前に突きつけられた時の男子特有の浮つき。現在進行形で体感している特別な感情。今回の春木氏攻略の鍵がそれであるという事に自分は気づいています。
「では、地下に行ってみましょう」
「僕の部屋に地下は無かったはずだが……」
「忘れましたか? ここは偽くりちゃんの死後の世界です。何でもありなのです」
 自分は床を2度、とんとんと蹴りました。ぱかっと床のタイルの1枚が開き、人が1人ギリギリ通れるくらいの階段が姿を現しました。
「ここから先は更に偽くりちゃんの深層心理に近づく事になります。怖ければ、ここで待っていても構いませんよ?」
 自分のあからさま過ぎる強P+強Kボタン同時押しに、春木氏は見事、男らしく答えてくれました。
「興味深い。是非とも彼女の心を覗き見してみようじゃないか」


 1つ下の階は、どうやらトレーニングルームのようでした。上の部屋よりも若干広く、内装は廃病院よりは遥かに近未来的です。まず目についたのは大きなサンドバッグ、それからシットアップベンチやルームランナー、バーベルセット、懸垂マシンが整頓されて並んでいました。
「偽くりちゃんは何故こんなに鍛えているんでしょうかね?」
 自分が春木氏に尋ねると、返ってきた答えはこうでした。
「僕がかつて身体を鍛えるように命令した事がある。それをまだ覚えているんだろう」
 何故鍛えるように言ったのか、春木氏は多くを語りませんでしたが、その必要もありませんでした。何故ならその理由は間違っているからです。
「では、これはどういった意味でしょう?」
 自分は天井からぶら下がったサンドバッグをくるりと1周、回転させました。ちょうど頭の位置に張り付いていたのは、偽ではない方の本物のくりちゃんの顔写真でした。
 それを見た瞬間、春木氏の顔色が変わりました。この戦闘で初めての手ごたえに、自分は追撃を加えます。
「女の嫉妬とは恐ろしい物です。それが例え年端もいかない幼女であっても」
 数多のトレーニングマシンと、顔写真を貼ったサンドバッグは、分かり安すぎる程に対象への敵意を表しています。春木氏が反論せず、黙ったまま自分の攻撃に耐えているのは、今口を開けばそこに痛恨の一撃が叩き込まれる事を知っているからに他なりません。それを知った上で、自分は容赦せずに攻めます。
「まあ、考えてみれば当たり前の事でしょう。オナニーのネタにするほど大好きなご主人様が、好きな女子がいる。自分の姿はその女子そっくりに造られているという事実。いやぁ儚いとはまさにこの事だと思いませんか? 偽くりちゃんにとって、本物のくりちゃんは憎悪の対象であり、目標であり、どうしようも出来ない壁でもある。その事実を知ってしまったら、今後偽くりちゃんに対する気持ちも変わってくるのではないですか?」
 答えを待たず、自分は上の階に戻ります。手にしていた日記を更にパラパラと捲り、自分は春木氏にとどめの言葉を投げかけます。
「りすちゃん。良い名前じゃないですか」
 春木氏は幼女を愛しています。
 その愛こそが仇となるのです。
「さて、そろそろ彼女が決定を下す時です。モニターを見てください。ほら、今にも飛び込んできそうじゃないですか」
 りすちゃんの到着、それは春木氏の死と自分の勝利を意味します。
 春木氏がしばらくぶりに口を開きました。
「やるようになったじゃないか、五十妻君。確かに、今、この心理状態でりすちゃんのおもらしをまともに喰らえば、僕は致命傷を負うだろう」
「最初の自分の言葉、ご理解いただけましたか」
「ああ、だがまだ甘い。僕だって、修羅場は幾度かくぐっている」
 かつてない程に恐ろしい、いつもと同じ春木氏の笑顔。
 次の瞬間、りすちゃんが自らの尿へとダイブしました。

       

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