Neetel Inside ニートノベル
表紙

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 この闘いが始まって、既に10分余りが経過していました。春木氏による謎の奇襲に口火を切られ、逃亡の失敗、2階からおもらし、死後の世界へのダイブを経て、戦闘は最終局面へと着実に進行しています。お互いのダメージの状況は、表面上はゲリラ的フェラをもらいかけた自分の方がありますが、内面では春木氏に爆薬が蓄積している状態であると言え、一度起爆さえすれば文字通りの一撃必殺となると歴戦の経験から断言させていただきます。
 そしてその起爆装置は他ならぬ「りすちゃん」であり、春木氏が似合わない愛情を込めて育てているらしいこの人工少女こそが、勝負を決定づける鍵となる人物なのです。
「決着がつく前に、もう1度質問させていただきます。何故このような無益な勝負を仕掛けたのですか? 勝った所で春木氏が得られる物は何もなく、こうして負けてしまっては損しかありません。春木氏はもっと賢い方だと思っていたのですが」
 春木氏は答えました。
「この勝負が僕にとって無益だって? 五十妻君、それは間違っている。この性癖バトルは、僕にとって『必要な』戦いなんだよ」
 やがてりすちゃんが部屋に落ちてきました。春木氏はそれを紳士に受け止め、まずは着せ替え能力によって服を着せました。やや透けた白スク水というチョイスは、春木氏にしてはすこぶる常識的かつ良心的に思え、これから来るおもらしのダメージを軽減しようとする狙いが見て取れましたが、まあ無駄な努力でしょう。確かに、スク水の密着感は尿の漏れ具合を見た目上抑える事が出来るかもしれませんが、ここは既にりすちゃんの世界。回避も耐久も不可能な衝撃が春木氏を襲うはずです。
 りすちゃんは周囲を見回し、この空間がどこであるかを謎に思っている様子でしたが、これからまた同じ説明をするのも面倒ですし、その内に分かるはずですし、分からなくても自分にとっては何の問題もないので、放置しておき、春木氏とのみ会話を続けます。
「この空間からの脱出方法はたった1つです」
「聞いておこう」
「この空間の尿主がおもらしをする事。つまり、春木氏はりすちゃんのおもらし姿を見た上で勃起を堪える事が出来れば、勝負を仕切りなおし出来ます。まあ、不可能だと思いますが」
 先ほど春木氏が自らの能力を説明したのと同じように、自分も勝負の公平さの為に解説したように見えますが実は違い、この期に及んでじたばたされるのも嫌ですので、とりあえずおもらしを味わっていただくという事に関して逃げ場のないようにしただけの事です。とはいえ、説明した脱出方法は事実であり、尿主が再びおもらしをすれば、この空間は解除され、自分は再び窮地に立たされるというのもまた真です。
「りすちゃんには格闘の心得がある。彼女に殴り倒されずに、3度身体に触れる事は至難の業だとは思わないか?」
 春木氏の質問に、自分はこう返します。
「心配ありません。この空間は、言わばりすちゃん自身。という事は、わざわざ肉体に触れる必要はありません。部屋のどこか一部分に触れるだけでもHVDO能力は発動出来ます」
「なるほど。逃げ場は無い訳か」
「ええ、そう言ったはずです」
「それなら、作らせてもらおうじゃないか」
 直後、春木氏がりすちゃんに命令しました。
「りすちゃん、僕は死後も君を愛すると誓おう」


 耳を疑いました。が、自分以上に耳を疑っていたのは、おそらくりすちゃんであるはずです。先ほど、少しばかり心の日記を拝見させていただきた限りでは、春木氏は常にりすちゃんに対して冷酷かつ性的な態度しか取っておらず、このような愛の告白などまさしくあり得ない事態であるはずなのです。
 しかし次の台詞で、春木氏の狙いが明らかになりました。
「死後、君の内なる世界では2人きりになりたい。だから邪魔者は排除すべきだ。そうだろ? りすちゃん」
 ふっと自分の身体が宙に浮きました。重力から手放され、天井に向かって引っ張られていきます。まずい、そう思って部屋のどこかしらに触れようと試みますが、五指は虚空を引っかきました。
 追い出されようとしている。
 春木氏の言葉により、りすちゃんの死生観が揺るがされているのです。そして世界の再構築は、侵入者の排除という機能を備え始め、自分という存在がここにいる事を拒否しているのです。もちろん、春木氏には何の影響も及ぼさず、敵である自分だけが外に追い出される。
「確かに、この世界から僕が脱出する方法はおもらし以外にないみたいだ。何故ならりすちゃんに僕を追い出すように命令しても聞いてくれないだろうからね。でも君を排除する事なら出来る。惜しかったね五十妻君。またあとで会おう」
 春木氏が手を振っていました。
 あと1度、あと1度だけこの部屋のどこか一部分にでも触る事が出来れば、自分は再び黄命を発動し、りすちゃんの膀胱を決壊させる事が出来ます。そしてそれをまともに喰らわせられれば、ついに春木氏を倒す事が出来る。あと1手なのです。たったのあと1手。それが打てない!
「春木氏、これで勝ったとは思わない事です」
 自分は精一杯の捨て台詞を残し、現実世界に戻ってきました。
 水溜りから吐き出され、自宅の庭に転がると、自分はすぐに頭をフル回転させました。
 再び自分がりすちゃんの死後の世界にダイブする事は出来ません。何故なら既にそこはもう、春木氏以外の他者の存在を許す空間ではないからです。そして春木氏とりすちゃんを2人にしてしまった以上、時間を稼がれてしまえば春木氏は自分の気持ちを落ち着かせた後、りすちゃんのおもらしを見ないようにすれば、安全に脱出を果たすはずです。更に春木氏に作戦を立てる時間を与えるという事にもなり、戻ってきた春木氏はより厄介な敵として自分に攻撃を仕掛けてくる事でしょう。しかもおそらく、自分の覗き行為はりすちゃんの怒りを買いました。 
 つまり、自分が勝利を収める為には、可及的速やかに春木氏と一緒にいるりすちゃんをおもらしさせ、春木氏にとどめの一撃を加えなければなりません。こうして部屋の外に追い出された今、本体にも精神も自分は触れる事が出来ず、黄命は発動させる事が出来ません。
 絶体絶命の状況。
 かつて春木氏に負けた時を思い出します。自分自身の思い出の中で喰らった一撃。
 ここであきらめる訳には、いきません。


 自分は急いで家の中に戻り、そのまま台所へ直行しました。普段誰も使っていませんが、一応料理道具は一そろいあり、その中から自分は目的の物を入手します。
 包丁。しかもただの包丁ではなく、築地にあるような本格的な鮪包丁で、魚を捌ける人間がいないのに何故か母が買ってきた代物です。当然未使用なので良く研がれ、その鋭さは日本刀にも負けず劣らずといった所です。
 何もダイブから戻ってきた春木氏をこれで一刀両断しようとしている訳ではありません。むしろ、この包丁によって傷つけられるのは他ならぬ自分自身。血を流す事になるのも自分だけで済みます。
 再び水溜りまで戻り、目をつぶって深呼吸。
 春木氏はこの勝負を、必要があるから挑んだと言っていました。そして自分が今からする行為も、勝利の為に必要があるからするのです。
 何も頭がおかしくなった訳ではありません。確実な勝利の為に、冷静な判断を下した結果がこれしかなかったのです。
 これから数秒後に訪れるであろう痛みに覚悟を決めて、包丁を手首へとあてがいます。
「うおおおおおおおおおおおお!!!」
 自分は手のひらを地面につけ、膝で腕を固定し、包丁を手首目掛けて思いっきり振り下ろしました。痛みを少しでも誤魔化す為の絶叫でしたが、その効果はこれっぽっちもありませんでした。皮膚を分け、骨を断ち、肉を爆ぜさせながら刃は地面へと辿り着きました。まずは熱が脳を揺らし、やがて痛みが津波となって思考を支配しました。それでもかろうじて気絶せずに済んだのは、かつて柚之原様から受けた拷問の経験が生きたと言えるかもしれません。あの時の辛さに比べたら、この程度の事、耐えられない訳がありません。
 唇を血が出る程に噛みながら、切断したばかりの左手を自らの足で蹴飛ばし、水溜りの中に落とします。そして黄命を発動。後は祈るだけです。
 りすちゃんの死後の世界が、他者の存在を拒むというのなら、自分はただ手を切り落とし、物になったそれを投げ入れ、既に自分の物ではなくなった手で触るのみという訳です。
 数秒、自分は痛みを堪えながら待ちました。決着の瞬間を見られないのは残念ですが、流石に自分のこの行動は、春木氏の裏をかいたと信じます。
 額から流れる脂汗が一滴落ちた瞬間、水溜りが光り始めました。それはヨンゴーダイバーの解除を意味し、ヨンゴーダイバーの解除はりすちゃんのおもらしを意味します。そしてりすちゃんのおもらしは、春木氏の敗北を意味します。
 光の中から春木氏が現れました。連れられたりすちゃんは半泣き気味でした。
「りすちゃんがおもらしする瞬間、部屋の中が揺れたんだ」
 春木氏の言葉は、自分に投げかけられているのか、それとも独り言なのか判別のつかない物でした。
「まずベッドがひっくり返って、本棚からは日記のページが溢れて、気づくと壁はすべて真っ赤に染まっていた。部屋の中を掻き混ぜる嵐に巻き込まれながら、僕は理解したよ。おもらしをしている時のりすちゃんの恥じらいという物を」
 ぐらり、と膝が折れ、崩れていく美少年。
「君の勝ちだ、五十妻君」 

       

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