Neetel Inside ニートノベル
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「五十妻君もコーヒーで良かったかな?」
「ああ、はい。ありがとうございます」
「礼はりすちゃんに言った方がいい。それに、コーヒー豆もミルもカップも、全て君の家の物だ」
 春木氏は2杯のカップをテーブルに置くと、優雅かつ自然に自分の目の前に足を組んで座り、男の自分でもドキッとしてうっかり背景にゆるふわトーンが張られるくらいの微笑を見せてくれました。
「それにしても、五十妻君の家には鮪包丁といい珍しい物があるね。このミルも未使用だったし。誰もコーヒー飲まないんだろ?」
「ええまあ、母の趣味です」
「変わっているね。砂糖とミルクと尿は?」
「尿1杯だけで結構です」
 隣で見ていたりすちゃんが、一瞬ゴミムシを見るような目をしたので、「やはりブラックで」と訂正しました。特製ブルーハルンテンブレンドはまた別の機会に飲ませていただく事にします。
 一息ついて飲むコーヒーは格別の味で、先ほどまでの死闘の疲れがじわりと染み出し、一方で頭は冴え、思考は正確に回転していました。
「左手の方はもう大丈夫なのかい?」
 春木氏の問いかけに、自分は何度か左手を握ったり開いたりして見せました。
「もう痛みもありません」
「しかし便利な能力だね。治せるのは怪我だけ?」
「いえ、癌でも白血病でも生きている限りは治せます。ただし、相手が『治って欲しい』と祈ってくれなければ効果は発動しません」
 それは能力の弱点を吐露する行為でしたが、既に戦闘は終わっており、春木氏にも敵対の様子は無いので、コーヒーの礼も込めて正直な態度を取りました。春木氏は少し考えた後、こう呟きます。
「つまり、信頼している訳だ」
 聞いた自分は少しばかり照れくさくなり、
「……いや、意外と優しいんですよ。いつもはツンツンした態度ですが、困っている人を見捨てておけないタイプというか。何も自分が相手だからという訳では……」
「そうじゃあないよ。信頼されているのは君の方だ」
 疑問符を浮かべます。
「左手首を失いながら出血している男がいきなり訪れてきて、『傷口にあなたのおしっこをかけてくれ』と言われた。その状況で何の躊躇いもなくかけてくれたのは信頼があったからだ」
 自分は浮かんだ疑問符を手に持って反論として突きつけます。
「それは自分のHVDO能力をくりちゃんが知っているからこそであり、人間的信頼とはまた違った話でないでしょうか」
 春木氏は自分が何と言うかを予め知っていたかのように返しました。
「人間的信頼とは?」
「それは……」口ごもる自分。
「信頼という物は、能力を前提にした物だと僕は思うね。相手が強いからこそ勝つ事を信じられる。相手の事を好きだからこそおしっこをかけられる。同じような物じゃあないか」
 一理あるような、無いような。
「何はともあれおめでとう。君は僕に勝利した」
 春木氏は祝福するようにカップを軽く持ち上げ、自分に向かってウィンクをかましました。どこまでも爽やかなその態度には、敗者としての惨めさが微塵もなく、なんだかちょっとムカつくと同時に、このような底知れぬ人物に勝ったという事実が自分を高揚させるのでした。


 まだ誰にも知られてなかった3つの能力の内の1つ、「ピーリング」は、自分自身の傷や病を治癒する能力であり、それは切り落とされた左手を再生する事すら容易い強力な能力です。
 怪我をした場合、傷口に尿をかける事で、病気の場合は経口摂取する事で効果を発動し、元の健康な状態に戻す事が出来ます。ただし春木氏にも言った通り、治療するには尿をする相手が自分の状態を知っていて、なおかつ「治って欲しい」と心から祈っている必要があり、あの状況で言えばりすちゃんの尿でも春木氏の尿でも(考えたくもありませんが)自分の怪我を治す事はおそらく不可能でした。
 くりちゃんが我が家の隣に住んでいた事は、ここでも自分に幸運として働きました。春木氏との性癖バトルの決着後、自分は手首を押さえ、痛みをこらえつつ急いでくりちゃんの家を訪問し、朝食中だった彼女に放尿を依頼しました。その席にはくりちゃんの両親もおり、自分のただならぬ様子を見て何事かと大騒ぎでしたが、説明している余裕は一切無く、すぐに2人でトイレに直行しました。
 くりちゃんの尿は相変わらず香ばしくも暖かく、むしろこれで怪我が治らない訳がないと思える程の慈愛に満ち、たちどころに失った左手が生えてきました。これでまた気持ち悪がられる要素が追加されましたが、それでもこれからの人生を片手で過ごすよりは遥かにマシだと思われます。
 やがて戦闘を終えた自分と春木氏は、こうして我が家にて朝の優雅なひと時を堪能しているという訳です。
「ところで五十妻君、今日はこれからどうする? もしも暇なら少し付き合って欲しい場所がある」
 今日は土曜日。学校もありませんし、友人と語り合うには良い日なのですが、あいにくと用事があります。
「申し訳ありません。先約があるので、せっかくですが」
「ほう。随分と浮かない顔だね」
「ええ、まあ……」
 贅沢だとは思いつつも、脳裏にあの顔が浮かぶと自然とそうなります。
「用事か、例えば三枝委員長とデートとか?」 
 松田優作よろしく口に含んだコーヒーを盛大に噴出しました。口とテーブルを拭いた後、春木氏を睨みます。
「……知っていましたね?」
「まあね。ちなみに、情報源は三枝家の執事」
 この人たらしなら、忠誠心溢れる執事でもその術中に収める事が可能でしょう。
「用事があるというのも嘘ですか」
「いやいや、僕の日課である小学生が公園で遊んでいるのを見守る作業を手伝ってもらおうかとは思っていたよ。もちろん、デートの方を優先してくれて構わないが」
 事案発生も秒読み段階と思われました。
「でも、何故三枝さんとデートする事になったんだい?」
 仕方なく、自分は語る事にしました。HVDOの首領である崇拝者が自分の父親であるという事と、母がそれを追いかける国際警察であるという事。そして、自分がくりちゃんか三枝委員長かのどちらかを結婚相手として選択しなければならない事を。


 あの日、決断を迫られた自分は、苦し紛れにこう発言しました。
「2人の事を良く知りません」
 三枝委員長はまだしも、くりちゃんに至っては幼馴染であり、何度もおもらしを見た間柄であるというのにこの台詞はいかにも嘘くさく、悪あがきにも程がある状況でしたのでこう付け足しました。
「というより、2人の事をそんな風に見た事が無かったので、正直戸惑っています。もう少し、時間をいただけないでしょうか」
 そんな風に、という言葉にいやらしい視線は含まれておらず、あくまでも純粋に恋愛対象ではなかったという意味であり、そこの所を深く突っ込まれると最早自分に反論はありませんでしたが、どうにかそうはならずに済みました。俯く自分に母が言います。
「言いたい事は分かるけど」あ、分かるんだ。「そんな時間はないわ。3日以内に決めなさい」
 3日。余りにも短いですが、今ここで決めろと言われるよりは遥かにマシでした。
「わ、分かりました」
「分かったって、本当に決められるのかしら?」という発言は三枝委員長。
 彼女らしく鋭い指摘に、自分は狼狽します。
「きっかけさえあれば……」
「きっかけ?」自分の発言を捕まえて離さない三枝委員長。
 追い詰められ、焚き付けられ、いよいよ自分の口から出たのは、まるで自分らしからぬ、センチメンタルな提案だったという訳です。
「1人ずつ、1日だけデートさせてください」
 かくして提案は認められ、土曜日に三枝委員長と。日曜日にはくりちゃんとデートする事に相成り、そして本日土曜日に至ったという訳です。
「モテる男は辛いね」
 春木氏の皮肉に、肩の荷が一層重くなりました。
「ところで春木氏」
 と、自分は戦闘終了からずっと気になっていた事を尋ねます。
「何故、わざと負けたのですか?」
 にやりと笑う春木氏。
 自分が気づかない訳がありません。まず何の利点もない奇襲からして謎ですし、本気の春木氏ならばもっと魅力的に幼女をプロデュースしてくるはずです。導かれる結論は、「春木氏は自分の実力を試しながら、なおかつわざと負けようとしていた」という事。そして自分の完全勝利はほど遠いという事。
「カモフラージュしていたつもりだったけど、よく見破ったね。ご褒美に崇拝者の能力の1つを教えてあげよう」
 最初から教えてくれるつもりだったのに、と自分は心の中でつつきます。
「『性癖バトルで勝利した相手の1番大切な人の処女を奪う能力』だそうだ。これに関しては情報源は明かせないが、信頼してくれると嬉しいね」
「寝取り、という訳ですか」
「その通り。だから五十妻君には悪いけど、僕は一足先に降りさせてもらう」
 そう言って、春木氏はちらりとりすちゃんの方を見ました。
 なるほど恐ろしい能力だと思いますが、春木氏が自分との戦いを「必要」だと言った理由にはいまいち合点がいきません。既にりすちゃんは春木氏の手によって「非処女」であるはず。
「そこがこの能力の恐ろしい所だよ。崇拝者、いや、君のお父さんは非処女から処女を奪う事が出来る」
 非処女から処女を奪う。
 そんな事がもしも本当に出来るのならば、それはエロスを支配する究極の能力であるように直感しました。

       

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