Neetel Inside ニートノベル
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 かくして旅に出た2人を待っていたのは、困難と羞恥の連続であった。
 最初はなるべく人目を避け、夜に人通りの少ない道を選んで進んでいたが、野盗に襲われてからは考えを変える必要があった。徒党を組んで悪事を働く輩に対してイーソの力は余りにも弱く、剣を持って勇敢に立ち向かうも、すぐに簀巻きにされて敗北してしまう。その時たまたま殺されずに済んだのは、野盗達がミズキを犯す所をイーソに見せつけようとしたからに他ならず、ミズキが犯されずに済んだのはフヴドの呪いのおかげでしかない。野盗の手がミズキの身体に触れるや否やその指はどろりと溶け、野盗達は恐怖と共に激情した。
 だがナイフで切りかかろうとも刃が溶け、弓で射抜こうとも矢尻が溶ける。一切のダメージを与えられず、縛りあげる事さえ出来ない。ミズキが攻撃に転じれば野盗達は一目散に逃げ出した。与えるのが災厄だけではなく、呪いにかかった者の身の安全でもあるというのが、フヴドの呪いをますます厄介な物にしているのだった。
 ミズキの安全のみを考えるならば、このまま人目を避けて進む方が、多くの人に裸を晒さずに済む。しかしイーソが殺されずに済んだのはあくまでも偶然。ミズキに恥をかかせない為ならばそれでも構わないとイーソは主張したが、これをミズキはあっさりと却下した。
「今、私と共に旅を出来るのはお前だけなのですよ? それともこの私に1人で旅をせよと言うのですか?」
 この一言でイーソも折れた。ミズキの旅に対する覚悟は、裸を見られるくらいの事では揺るがなかった。
 しかし現実は強烈にミズキに突き刺さる。
 街道を歩いていると、行商人達からは怪訝な眼差しで見られ、さも当たり前の事のように「その奴隷の娘をいくらで売ってくれる?」と尋ねられる。事情を説明するのは祖国の威信に関わる事であり、そもそも身分を明かすのは危険な為、結局イーソが断固として拒否しなければならなかった。
 とはいえ善良な行商人ならばまだマシな方で、その美しさに見入られて力ずくでもミズキを手に入れようとする者も中にはいる。その場合、すぐにイーソは逃げると約束していた。もちろんイーソも本当は逃げたくなどなかったが、万が一にも死ぬ訳にはいかず、ミズキ1人ならばすぐにフヴドの呪いのおかげで退ける事が出来た。
 中には呪いを知ってもなお、ミズキの美しい肢体を見る為だけについてくる者もいた。触れる事が出来なくても、目に焼き付ける事や絵に残す事は出来る。もちろん、イーソは追い返したりミズキの身体を隠そうと努力するものの、そういった輩はいつまでもいつまでもついて来るのでキリが無かった。かといって武力を行使する訳にもいかず、ミズキはただただその肉体を下世話な連中に対して晒し続けなければならなかった。
 街の中に入ると、更にその状況は悪化した。まずは衛兵に止められ、イーソが用意した言い訳をする。
「我がサエグール王国は、友好と平和の象徴として姫に何も持たぬ旅をさせている。この旅を無事に終える事は、世界を救う事になる。どうか近隣諸国の皆様にはご協力をお願いしたい」
 そして王家の紋章を見せ、王からの認可証も見せる。やや無理のある言い訳であるし、これを聞けば大抵の人間が奇妙に思うが、それでも王の威厳は強く、逮捕したり街から追い出される事はなかった。
「どうぞ皆さん、生まれたままの私の身体を見てください。これが人間の本来あるべき姿です。一国の姫であろうと、皆さんと同じ人間です。世界平和の為、私はこのまま旅をしています」
 ミズキがそう主張すると、民からは拍手が起こった。だが男達は皆何故か前屈みだった。


「こんな事に巻き込んでしまって御免なさいね」
 夜、焚き火を2人で囲んでいると、ミズキがぽつりとそう漏らした。
「ミズキ姫が謝る事ではありません!」思わず声をあげるイーソ。「呪いをかけた犯人こそが元凶である事は間違いありません。ミズキ姫はあくまでも被害者です」
「そうね、だけれど、少しだけこの旅に喜んでいる私もいるの」
 イーソは耳を疑い、顔を覗き込むが、ミズキはいつもと変わらぬ表情で火を見つめ、澄ましている。
「贅沢な悩みかもしれないけれど、お城での生活なんて退屈なものよ。1人になれる時間も少ないし、自由だって全然ない。そうしていつかはどこかの国のつまらない王子様と結婚させられると思うと、気も滅入ってくるわ」
 物憂げなミズキに一瞬イーソは言葉を詰まらせたが、すぐに平伏した。
「自分にはミズキ姫の悩みは大きすぎますので何とも言えませんが……この状態が決して良いとは思えません。下賎の者にその御身を晒し、いつも危険と隣りあわせで、何より……じ、自分と一緒にいるといつか良くない事が起きる気がしてならないのです」
 考えてみれば当然の事だった。イーソも年頃の男である。四六時中祖国の美しい姫が、それも布一枚纏わず裸で一緒にいればもやもやとしてくるのはむしろ自然な事であり、また、忠義心溢れるイーソがその自らが持つ邪な心を不安に思わない訳がなかった。
 ミズキはそんなイーソの葛藤を見透かしたように、ぐいっと顔を近づけて、こう尋ねる。
「良くない事って、なぁに?」
 今、フヴドの呪いにかかったミズキの身体に触れる事が出来るのは、イーソ以外にいない。現にこうして食事を取る時さえ、イーソが匙を持ってミズキの口まで運ばなければ、満足に食べる事さえ出来ないのである。
「じょ、冗談はやめてくださいミズキ姫」
 焦るイーソに対して更に近づくミズキ。夜の冷たい空気を、イーソの大きな鼓動音が振るわせる。
「誰も見てないし、誰も止めない。ねえ、あなたは裸の私をどうしたい?」
 イーソが無言で立ち上がる。そのままミズキを視界に入れないように努め、一言。
「少し周りを見てきます!」
 かろうじて本能に打ち勝ったイーソは、周囲を小走りでぐるぐると回りながら自分に言い聞かせた。姫がおかしくなっているのは状況のせいであると、いや、もしかするとこれも呪いの効果の一部であるのかもしれないと、何故なら姫様ともあろうお方が、自分のような者を誘惑する筈が無いからであると。
 そうして朝まで走り通し、ようやく邪念を振り払って寝床に戻ると、ミズキはそんなイーソの葛藤などまるで気にしていないようにぐっすりと寝ているのだった。


 旅に出てから約1ヶ月が過ぎた。この頃になるともうミズキも全裸でいる事に慣れ、買出しなどで街中を歩く時は、むしろ堂々と胸を張っていた方が見られずに済むという考えでわざわざ手で隠さずにいたが、住民から見てみれば無論それは異常な光景であり、奇異の目も不遜な輩もますます増えるばかりだった。イーソもそれに応じて忙しくなり、少しでもミズキに人目を避けるようにと何度も遠回しに注意したが、無駄だった。
 ミズキは自らの裸身を晒す事に快感を覚え始めている。
 イーソもそれを察しつつあったが、頭で否定していた。そしてそんなイーソを嘲笑うかのように、ミズキの誘惑は毎夜毎夜繰り返され、寝不足の日々が続いていた。一度、寝ている時にミズキが背後で自慰をしているのに気づいた時はいよいよ心が折れそうだったがどうにか堪え、衛兵として従者としてそして男として、イーソはその任務を全うしていたのである。
 そんな時、街に到着すると知った顔が2人を出迎えた。
「トモック! どうしてこんな所に?」
「姫様、ああ、なんとお労しい姿……。いや、今はそれ所ではありません。伝えておかなければならない事が出来たので、早馬を飛ばしてここまでやって来たのです」
 トモックはサエグール王国の近衛兵の1人であり、イーソと同い年ではあるがその剣術の腕と運もあって階級は上だった。イーソの姿を認めるや否や、素早く近寄り問い詰める。
「イーソ貴様、姫に手出しはしていないだろうな?」
「していません。神に誓って」
「……ふむ。ならいい。くれぐれもな」
 今にも剣を抜きそうな気迫に押し黙らされるイーソ。
「トモック、伝えたい事とは?」
「はい姫様。フヴドの呪いをかけた犯人が分かったのです」
「え!?」2人の声が揃い、ただでさえ浴びている注目が更に増す。トモックは声を潜め、路地まで2人を誘導し、こう話した。
「我々サエグール王国の衛兵隊が総力をあげて捜査した所、フヴドの呪いをかけるのに必要な材料の割り出しに成功しました。そして姫様が呪いにかかった前々日、近くの森の猟師の所にフードを被った女が訪れ、いくつかの薬草を買っていったそうなのです。その中に呪いをかけるのに必要な材料がいくつか含まれていました」
 フードを被った女、という所はイーソが見た夢のような現実の夜とも一致します。
「そして猟師の証言を元にその女の似顔絵を作成し、地道な聞き込み活動を続けた所、女の正体が分かりました」
 ごくり、と唾を飲み込む音。「誰だったの? もったいぶらずに言いなさい」ミズキが尋ねます。
「魔女クリーヌ。かつてその膨大な魔力で、ある国を破滅まで導いたという伝説の魔女です」
「魔女、クリーヌ……」
 と、ミズキが思いつめたような表情を見せる。
「恐ろしい割りに随分とかわいらしい名前に聞こえますね」
 わざとかそれとも天然なのか、イーソがそう呟いたが、見事に無視された。
「魔女クリーヌは姫様が呪いを解くのを阻止しようとしてくるはずです。もしかすると泉に先回りしているかもしれません。我々も既に何人かを派遣していますが、泉の場所を見つけられるかどうかは分かりません。どうか、お気をつけください」
「ええ、分かったわ。トモックありがとう」
「もったいないお言葉です。それでは、私も先を急ぎます」
 去っていくトモックを見送り、2人は旅を再開した。

       

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