Neetel Inside ニートノベル
表紙

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「それでも君が僕に対して奉仕する事を望むなら、1つ分かりやすいちょっとした努力目標という奴をあげようじゃないか」
 何も出来ずに落ち込んだという私の日記を読み終わった後、マスターはそう宣言して、それ以上の事は言いませんでした。マスターの為に何かを出来る。そう思うと内なる高鳴りを感じましたが、マスターの思いつきは時々私に悲しい、あるいは恥ずかしい結果をもたらす事も分かっていたので、手放しでは喜べませんでしたが、しかし打ちひしがれた私にはそれすらも今は1つの希望でした。
 その日の夜、連れて行かれたのはどこかの地下にある闘技場でした。某地下鉄の駅のトイレにある用具入れから、隠された階段を下り、しばらく薄暗いトンネルを歩いて辿りついた、文字通りアンダーグラウンドな場所でした。その割に客入りは上々なようで、多様な人が客席を埋めてざわつき、中央にあるリングに、闘士が登場するのを今か今かと待っているました。
「見れば分かると思うが、ここでは格闘技の試合を行っている。賭博もありで、地上でやれるような内容ではない物をね」
 マスターがどこからこんな場所の情報を仕入れたのかは果たして謎ですが、蛇の道は蛇ということわざもあります。
 私がそこで初めて見た試合は、屈強な男性が更に屈強な男性と殴り合い、最後には尻穴を犯すまでに至るという酷い試合で、ここはそういう嗜好の持ち主、いわゆるホモ野郎がたむろうハッテン場なのかなと懸念しましたが、どうやら違うようでした。
 この地下闘技場では、主に男女の総合格闘技戦、いわゆるミックスファイトを取り扱い、勝者は敗者をレイプしても良いというローマ人もドン引きのルールが当たり前のように受け入れられています。そしてこれに参加する者もそれは了承済みという、普段から変態性癖を内に抱えた人間にとっては天国のような場所でした。時々例外として、男男、女女、あるいはチーム戦も行われるようです。
「りすちゃんにはこれに出てもらおうかと思っている」
「え?」
 マスターの命令にはいつでも何でもノータイムで答えてきた私でしたが、こればかりは聞き返さずにはいられませんでした。肉体年齢10歳の私が、このエロッセオに参加させられる。おのずと導き出される結論は、
「でも僕以外の男にレイプされたら怒るからね」
 マスターは目を細めてリングの方を向いたままそう言いました。マスターの口から「怒る」という表現が出たのはこれが初めてで、冗談のような口ぶりでしたが、きっとその深層には本気がありました。マスターに見離されては生きていけない存在である事を自覚しつつも私は、遥か目上の人に対して礼を欠く感情だと分かっていても私は、そのマスターの台詞に「萌え」を抱かずにはいられませんでした。
「戦って、勝ち続けろと」
「不可能ではないと思うよ」
 マスターの口にした言葉は、私への根拠の無い信頼ではなく、超非現実的な楽観主義でもなく、自らのHVDO能力と、これまでの経験と実験から来る確かで冷静な分析でした。


 私、春木りすという名前を頂いた存在は、マスターである春木虎の想定する「理想とする幼女」を具現化した生命であり、人間としての詳細は、マスターですら無意識の内にあります。つまり、コントロールが不可能なのです。極端な例を挙げれば、マスターが心の底から幼女は「だるま」であるべきだと思えば、次に再生された私の両手両足は無くなりますし、幼女にはおちんちんがついているべきだと思えば、ふたなりにもなれるはずなのです。
 然らば、マスターが「幼女は強くあるべきだ」と思えば、私も強くなれるはず。
 現状、私は5kgのダンベルを持ち上げるのにも難儀する程の非力さで、到底格闘など、ましてや鉄パイプを平気でひん曲げる男達とヴァーリトゥードを演じてのける事など、自殺以外の何物でもありませんが、しかしこの私の特性には可能性があるのです。マスターさえ私が最強である事を信じてくだされば、私はシウバにだってヒョードルにだって泣き虫サクラにだって勝てるはずです。
「もちろん、僕も君が僕以外の男にレイプされる所は見たくないから努力はするよ。でも1番必要なのは君の努力だ。僕に君の強さと、その強さの魅力を伝える為の努力だ」
 ちょっとした努力目標どころの話ではなく、私は本気をかけて取り組まなければなりませんでした。貞操を守る為に、マスターの期待に答える為に。
 初めて地下闘技場を訪れたその日、あの奇妙な主催者2人組(敵同士なのか恋人同士なのか甚だ疑問ではあります)に面会を済ませ、闘士としての登録を済ませると、最初の試合は1週間後にと言い渡されました。私の年齢や体格の事などまるで意に介さないようで、幼女が戦う事もこの世界の常識の範疇である事を認識すると、ますます負ける訳にはいかなくなりました。どこまで強くなれるのか、やれるだけの事はやらなければなりません。
 翌日よりトレーニングを開始。珍しく私は朝一番のお掃除フェラという日課を放棄し、代わりにまずは何事も身体作りからと、腕立て50回、腹筋50回、背筋50回を目標に動き始めましたが、最初の腕立て3回の時点で体力の限界を迎え、思わず私は泣きそうになりました。
 うつぶせのまま腕だけ立て、オオサンショウウオのようにぺったりと床に張り付いたように横たわる私を見て、マスターは一言。
「やっぱり女の子は弱い方がかわいいと僕は思う」
 ならばなぜ闘技場に出場させるのか、などと一瞬でも思ってしまった私は実に浅はかです。
 気合、根性、熱血。普段から私の中にはまずない、それらの欠片のような物を全身からかき集め、4回目の腕立て伏せに成功した私は、汗だくになりながら腹筋に移行しました。腕を休めてる間を利用して、少しでもこのぷにぷにを何とかしなければなりません。
 1日目は万事がこの調子で、とにかく思いつく限りのトレーニングを、私にとっての極限状態までこなしました。身体が動かない時は、格闘技の本を口でページを捲って読みました。マスターは珍しく私に性行為の要求をせず、あまつさえポカリの差し入れまでしてくださり、それ以外はただぼんやりと、疲れた私がひっくり返る様を眺めていました。果たして1週間で、私はどこまで強く、というよりまともに人と戦えるようになれるのだろうかと不安になりましたが、2日目に訪れた変化はあまりに急激で、我ながら私という存在の奇妙さを実感せずにはいられませんでした。


 5時間。
 朝の8時に起床して、昼過ぎにマスターお手製のボンゴレビアンコが出来上がる13時まで、私はずっと2秒に1回のペースで腕立て伏せをしていました。単純計算で5×60×60÷2で9000回。マスターに止められるまで気づかなかったので、おそらく1万回の大台も可能です。つい昨日までは腕立て伏せ4回で感じていた疲労と筋肉の痛みが、その日は全くこれっぽっちもなく、私は工業機械か何かのようにただ黙々と、一定の間隔を守り腕立て伏せを行いました。見た目には変わらず細い二の腕ですが、それまで感じた事のない質量を感じました。腹筋、背筋、スクワット、懸垂、いずれにしても同じ事で、やはり元々人間ではないのか、人間離れというのも不思議な表現ですが、とにかく問題は何の苦労もなく解決しました。
「何の苦労もなく? それは違う。」と、マスター。「僕が君の頑張っている姿を見たからこそだよ。もしも君の努力が見せかけの物だったり、中途半端な物だったら、こうはなっていないはずだ。君は君の意思で君の限界を超えようとした。ただちょっと、結果の反映が早いだけだろうね」
 理屈では分かっていても、実際に体験するとやはりこれは、私の持っている常識では計れない超常現象の一種でした。
 ならば、と私は考えました。いくら腕立て伏せが出来た所で、バウトには勝てません。私がすべき事はトレーニングではなく、実戦です。
 私はマスターに尋ねました。
「どこか戦える場所はありませんか?」
 マスターはやや呆れた表情で、「君は転職したての賢者か」と呟いて、「とりあえず外に出てみよう」と、服を着ました。
「確かこの辺に……あ、いたいた」
 街外れにあるコンビニ、駐車場が大きく、夜は不良のたまり場となっている所に、私とマスターはやってきました。
「では、いってきます」
「いってらっしゃい」
 おそらくは一生、微分積分とは縁の無い人生を歩むであろう茶髪金髪の若者達、5人。激辛ペヤングのゴミをその辺に放り捨てて、未成年喫煙を誇らしげにする集団に、私は単身歩み寄っていきました。こんな時間に子供が歩いているのが珍しいのか、彼らはジロジロとこちらを見てきましたが、私がこう話しかけるまでは何も言いませんでした。
「チンパンジーは檻に戻るべきです」
 私にとっては最上級の挑発のつもりでしたが、彼らには意味が伝わってないらしく、「あ?」とか「ぺ?」とか意味のない言葉を漏らして混乱するその群れに、私は優しく丁寧に、少し棒読み気味ではありましたが言い直しました。
「いいからかかってこいやこのド腐れ包茎野郎。私が全員ボッコボコにしてやるからよ」
 群れの中で、1番体格の小さな、しかしプライドは人一倍に大きそうなトサカの雄が立ち上がり、ニヤニヤと半笑いで、頭にやや血管を浮かべながら私に近づいてきました。
「あ? お前、お? 何言ってんだ? あ?」
 小さな脳なりにもう少し気の利いた台詞を思いつけなかった物かとやおら悲しくなりながら私は、肩に触れた垢の詰まった爪と手を掴み、くるりと身体を半分捻って、そのパンくんを放り投げました。一本背負い。「フィギュア柔道シングルなら満点をあげてもいいくらい見事だった」と、マスターは後ほど仰ってくれましたが、ただ単に前日、身体が動かない時に専門書を読んでひたすらイメージトレーニングをしていた成果が出たのだと思われます。身体の動かし方を覚え、ついてくる肉体を得た。その結果、それだけです。


 仲間の1人をアスファルトに叩きつけられて、驚いて立ち上がった残りの4人は訳も分からないという様子でしたが、最初よりはいくらか警戒したようで、私の四方を取り囲みました。しかし目の前で仲間が1人やられていても、流石に幼女相手に攻撃を仕掛けるのは躊躇われるらしく、口々に「ヤバい」「ウザい」「エモい」を連呼しながら、一向に攻撃には移ってきませんでした。
 ならばこちらから、と正面の1人にまっすぐステップで詰め寄り、その1人がガードを固めると、右足を軸にしてその隣にいた1人に回し蹴りをかましました。
 私にとっては精一杯のハイでしたが、高さが足らず男の脇腹に命中しました。しかし威力は十分だったようで、男は当たった部分を押さえたまま倒れました。
 そこで背後にいた男が私の腹部をホールドしてきました。が、その人さし指を掴んでへし折ると、あっけなく離して悲鳴をあげました。私は振り返り、最早事務的にその隙だらけの顔に正拳を叩き込み、3人目を倒しました。
 残り2人のはずでしたが、気づくとその内の1人は逃げ出していました。逃げなかった方の1人は、5人の内でも1番体格の良い男で、私をじっと見つめると、ファイティングポーズを取りました。少しは出来る人のようです。
「おめえ、一体何者だ」
 逃げなかった敬意を評して、私は答えます。
「通りすがりの幼女です」
「けっ、舐めやがって。見た目がそうだからって手は抜かねえからな」
 ありきたりな言葉を並べた男でしたが、構えはどうやら本物のようでした。街の不良にありがちな、ちょっとボクシングを齧っているというタイプでしょう。前の3人に比べて手こずりそうだとは思いましたが、かといってここで逃げる訳にもいきません。
 ヒュッと口で呼吸をして、男から攻めてきました。私はそれをバックステップでこなそうとしましたが、ここでリーチの差が出ました。何せ背は約1.8倍の高さで、歩幅もそれくらいの違いがあります。ガードは上げていたので、男の拳は私の腕に命中しました。きっちり体重の乗ったそれは重く、ビリビリとした痛みとヒリヒリとした痺れが同時にやってきました。
 初撃を受け、ここは金的しかない。と、私は判断しました。逃げた方の1人が仲間を呼んで来る可能性があるので長期戦は私に不利ですし、かといってこちらから攻めても、リーチの差で投げも打撃もまともには決まらないでしょう。幸い、相手にはかなり攻めっ気があるので、次の一撃をどうにかかわして、一気に詰め寄っての金玉への一撃。これしかないと判断しました。どの道地下闘技場ではアリの技です。ここで試しておく事はマイナスにはならないでしょう。
 そして男の2撃目。私は左ジャブを両腕で受け、身体を左に振って屈みました。背の低さを生かし、懐に。曲がった左足をクッションにして右で前蹴りを繰り出しました。金的さえ入れば男は一撃で沈む。しかし私の決死の一撃は、男のあげた膝で間一髪防がれてしまいました。
 金的は最初から警戒されていた。そう気づいた時にはもう遅く、男の追撃はもうすぐそこまでやってきていました。最短距離を通る右ストレート。一瞬意識が混濁し、視界が戻ると、頭部にダメージがあった事を伝える鈍痛が、私の芯に伝わりました。
 負けた。
 私は身体を丸めて本能的に両腕でガードを固めましたが、トドメの一撃はやってきませんでした。恐る恐る目を開けると、拳を振りかぶった男が白目を向いており、そしてゆっくりと膝から崩れ落ちました。
「危なかったね」
 男の背後にはマスターが立っていました。手には小型のスタンガン。私は状況を理解します。
「さあ、逃げようか。立てるかい?」
 狼狽する私の返事を聞かず、マスターは私を抱え上げ、背負い直し、走り出しました。
 もっと、もっともっと強くならなければ。

       

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