Neetel Inside ニートノベル
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 生理が来ないの。
 女の子にそう言われて、ドキッとしない男は、おそらくこの世に実在しません。全く、全然、これっぽっちも身に覚えが無いというのに、ほんの一瞬だけ時間が止まったような、宇宙に放り出されたような、背後からの刃、驚天動地、д。
 未来ある10代の肩に、命という責任は重すぎるのです。それは「過ち」と表現するには余りにも尊すぎる営みではありますが、自分のように飽くなき性への探究心に満ち溢れる中学生にとっての「生理が来ないの」は、言わば呪詞の類なのです。
「自分ですか?」
「え? 何がっすか?」
「五十妻君、手が震えてるわ」
 ここは一つ、冷静になりましょう。
 自分は、音羽君と、セックスしていない。音羽君は、自分と、セックスしていない。自分は、まだ、童貞です。これを続けて3回黙読して、どうにか呼吸が整いました。
「つまりこれは、『能力者が女子の場合は、性癖バトルに負けると生理が止まる』という事でしょうか」
「そう考えるのが自然ね」
「ていうか、何だと思ったんすか」
 生理が止まるという事は、転じて排卵が止まるという事で、即ち妊娠の不可を意味し、これは保健体育で習う初歩中の初歩です。確かに、勃起不全になった等々力氏も、生殖機能が失われたという点では同じでありますし、等々力氏によれば、再び勃起が出来るようになれば能力も復活するとの事なので、音羽君も生理が再開すれば、例のふたなり能力が戻ると考えて差し支えないでしょう。これは金輪際、音羽君から出してきた食べ物や飲み物はいただけないという事を意味しており、自分には2人目の愚息は必要ありませんし、得体の知れない物を飲まされて興奮する性癖も、生憎持ち合わせてはいないのです。
「あ、別に悪い事したとか思わなくていいっすよ。むしろ、面倒くさい生理が無くなって良かったくらいっすから」
 のんきに語る音羽君の表情には、少しだけ影がありました。
「ただ、鳴塔(ふたなり能力)が使えなくなって、木下先輩の子供が生めなくなったのは辛い所っすね。まあ、すぐ復活させて、今度はちゃんと手順を踏んで迫る事にするっす。1回やってしまえばこっちの物だと思ってたあたしが甘かったっす。婚約届も一応用意しておいたんすけどねー」
「はあ、そうですか」
 一体何が音羽君に、ここまでありえない間違え方の覚悟をさせているのかは、全くの意味不明ですが、くりちゃんが好きで好きでしょうがない、ふたなり変態セックスに溺れたいくらい愛しているという事だけは、敬服するくらい十分に伝わってきました。
「だからあたしが本当に残念だったのは、木下先輩のリアクションっす。普通、ちんこが生えてきたら喜ぶと思いません? 1回女の子とヤってみたいと思いません?」
 165km/hで縦回転の変化がかかった、同意を求める剛速球をふいに投げられた三枝委員長は、「むしろそれで男の子とヤってみたいわね」と笑顔で打ち返し、ライトスタンド方向へ場外ホームランを叩き込みました。


「それよりも今はくりちゃんを助けるのが優先ではありませんか」
 この変態だらけの環境だと、自分が進行役にならざるを得ません。
「そうっすね……やっぱり、犯人はHVDO能力者だと思うっす。あの木下先輩が、自分から突然いなくなるのは考えられないし、木下先輩の家って、別に裕福な訳でもないし、営利目的の誘拐も無いっすよね? したら、もう目的は肉体しかないじゃないっすか」
 自分は先ほどから、いえ、出会った時から、音羽君の物言いにはまるで品という物が無いと、薄々は感じていたと同時に、中学二年生、年頃の女の子にしてはあまりにも下衆すぎる、野蛮すぎると密かに辟易していたのですが、今のように意見を主張すべき場面においては、あながち間違ってはいないコミュニケーション手段であると思われました。なので自分もそれに倣い、発言をします。
「自分も音羽君と同意見です。くりちゃんの身体は多少マニア向けではありますが、確かに魅力的ではあります。特に意外と肉つきの良いお尻からふとももにかけてのラインはたまりませんし、何より周りを威嚇する表情には毎度毎度そそられます」
「いや、そこまでは言ってないっすけど」
 さらっとかわされたので、自分は咳をして話を進めます。
「では、あるHVDO能力者がくりちゃんを性的な目的で誘拐したとしたらと仮定しましょう。ここで考えるべき疑問は、2つ。『その能力者は、どんな能力を持っているか』そして『なぜ誘拐という手段をとったのか』です」
 自分は頭の中を整理しつつ、2人に向かって論じます。
 この2つの疑問は、相互に補強し合って解決しあう、いわば連立一次方程式のような物です。犯人がくりちゃんを誘拐したのはなぜか? それはくりちゃんに「私はこうこうこういう性癖を持っているのですが、あなたは非常に魅力的なので協力してくれませんか?」と頼んだとしてもまず断られるのが明白であるという事です。という事は、犯人の能力は「大抵の女子が嫌がる事」である可能性が高い。例えばこれが、等々力氏の『丘越(おっぱい能力)』のようにくりちゃんにもメリットのある能力ならば、朝一番に、何の予告もなく掻っ攫うなんて真似はしないはずです。まあもっとも、HVDO能力のほとんどは、女の子に対しての嫌がらせに近いのですが、三枝委員長のような例外もあります。
 それを踏まえた上で、逆方向の「どんな能力を持っているか」という疑問から考察を進めると、嫌がるくりちゃんを、悲鳴一つあげさせずに(くりちゃんが朝、家を出た段階で悲鳴の類が聞こえていれば、流石にあの超楽観主義のくり母といえども、少しは気にかけるはずです)拘束するという事は、即ち体の自由を一瞬にして奪いうる能力という事になります。
 自分の知っている中で、もしもHVDO能力化したとして、相手の自由を奪いうる性癖を並べると、拘束達磨拷問縛縄電撃強姦眠姦死姦洗脳催眠人形あたりでしょうか。どれも普通の人ならドン引きするレベルの性的倒錯で、同じ変態である自分から見ても、正直「この能力者は居て欲しくないな」と思う物ばかりではありますが、この中に1つだけ、「この能力者がいる」と、しかも最近、耳にした性癖があります。
 人形。
 自分は、『人形』の能力者がいると聞いた事があります。


 時は数日前の放課後、舞台は掃除の終わって閑散とした教室へと移行します。
「五十妻、俺はこんなに自分の息子を愛した事がない」
「さあ今から帰ってオナニーしようという男をわざわざ捕まえて、まず最初に言う言葉がそれですか」
 いつになく真剣な等々力氏と、うんざりという表情の自分。2人の状況は、分かりやすい程に対照的でした。
 片や勝負に敗北し、能力を失ったのはおろか、あれだけ好きだったおっぱいを見ても、これっぽっちも勃起出来なくなった不能者。
 片や勝負に2連勝し、今やクラスの女子がどれだけおしっこを我慢しているかを冷静に観察し、的確に漏らさせる事が出来る神。
 同じくHVDO能力者でありながら、まさしく天国と地獄。
 今更取り繕っても仕方ありませんので、正直に述べましょう。自分は等々力氏に同情してました。だからこそ、毎日のライフワークをおあずけにしてまで、「少し話がしたい」という等々力氏の頼みを受けたのです。
「率直に用件を仰ってもらえるとありがたいのですが」
 自分がそう急かすと、等々力氏はしみじみとしながら、だけど言葉に多少の喜びを含ませて言いました。
「お前に負けてからの3週間、ぴくりとも動かなかったちんこが、昨日やっと動いたんだ。まあ、少しだけだがな」
 等々力氏は若干照れたような感じで、人差し指の第二関節で鼻をこすりました。おお、これは気持ち悪い。
「人間、敗北から学ぶ事もあるもんだな」頼みもしないのに、等々力氏は語り始めます。「以前の俺は、生おっぱい至上主義だった。シリコンの入った偽物だとか、おっぱいマウスパッドだとか、そういうイミテーションを軽蔑していたんだ。だけどな、俺はつくづく分かった。
 おっぱいってのは、立体の芸術なんだ。
 左右対処の膨らみ、つんと立った乳首、綺麗な乳輪。そこには完成されたアートがある。だけど人間ってのは生き物だ。生きている限り成長する。どんな美少女もやがては婆になる。完璧な美はいつか無くなってしまう運命なんだ」
 等々力氏は詩人のように饒舌に、時に黄昏ながら、訳の分からないおっぱい芸術論を口にしていました。さて、そろそろ帰ろうと立ち上がると、無理やりに座らされ、
「ひょんな事がきっかけで、ある能力者と知り合いになってな」
 声のトーンを落とし、等々力氏は口角をつりあげました。


 等々力氏が知り合ったという能力者は、簡単に言うと、「人形フェチ」だそうでした。人間ではなく、物である人形に対して発情する、まあ能力に目覚めてもおかしくはないレベルの変態です。
「それはただ、人間に相手にされていないから、ダッチワイフに逃げているだけではないですか?」と、自分は衣纏わぬ全裸の歯で尋ねましたが、等々力氏は否定しました。
「いや、そいつはダッチワイフは1つも持っていない。『アンティークドール』ってあるだろ? 少女マンガみたいなきらっきらの瞳で、ゴスロリ服着ているような、高そうな人形。元々はそれのコレクターでな。もちろん今はエロフィギュアも集めているらしいが。まあ、はっきり言っちゃえばオタクなんだ。そいつがつい最近、能力に目覚めたらしい」
 等々力氏の話し方には、人形の能力者「そいつ」を隠している節が見てとれました。深い所まで突っ込んで尋ねても、一線を保ちつつ答えそうなニュアンス。能力者の名前や居所を尋ねても、おそらく教えてはくれないであろう予感がしました。
 ですが、自分と敵対する可能性のある存在については、なるべく知っておきたい所です。自分は試しに一つだけ、石を放ってみました。
「その人物の能力は、どのような能力なのですか?」
 等々力氏は若干逡巡したものの、自分の勃起自慢をしたいが為に、わざわざ自分を放課後に残した事もあってか、きちんと答えてくれました。
「これはお前だけに特別教えてやるが、そいつの能力は『精巧な人形を作る事』だ。材料を用意すればな、見た目は人間とほとんど変わらないような人形を作れるんだ。作業工程は見た事ないが、本当にあっという間らしい。見てみたいか?」
「見せたいんですよね?」
「ああ、じゃなきゃ語らないさ」
 等々力氏は携帯を取り出し、そこに1枚の画像を表示させました。
 確かにそれは、美しい存在でした。鈍くも強い輝きを放つガーネットの瞳と、滑らかな白い影を描く両頬、鼻梁は高く、憂いの無表情の中に、なんともいえない愛らしさがありました。上半身のみの写真でしたが、着ているのはシックな白黒のメイド服でしょうか。なるほどオタクらしい趣味です。
 いくら精巧に出来ているといえども、やはりそれは人形らしく、どこか無機質で、空虚な感じがしましたが、奇妙なほどに性的で、「いやらしい」「ヤりたい」とさえ思われたのです。
「この画像を初めて見せてもらった時、ほんの少しだが俺は勃起できたんだ」
 感動たっぷりに語る等々力氏を、あながち馬鹿にも出来ませんでした。なぜなら、自分の息子も少しは反応してしまったからです。「命のない物」「童貞の慰み」「人間不信の極み」と内心では思っていたのが、まとめて罰せられた気分でした。
「その人形がエロい事は認めます」
 自分は正直に非を認め、しかし譲れない部分を主張します。
「ですが、人形はおしっこを出せないではないですか」
 等々力氏は笑って、「この変態が!」と自分をののしりましたが、それはお互い様だと、いえ、等々力氏の方がよっぽどだと、その時は思いました。


 もしも、等々力氏が嘘をついていたら。あるいはもしも、等々力氏が嘘を教えられていたら。
 その人形の能力者が、「材料から人形を作る」のではなく、「元々の人間を人形にする能力」であったなら。
 未だ深い霧の中に居る、くりちゃん誘拐犯の裾が掴めました。

       

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