Neetel Inside ニートノベル
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第二話 「夜明けの鎮痛と残響」


 ぱくぱくもぐもぐ。
 ぐーすかぐーすか。
 ほんわかふんわか。
 あー今日もがんばったなぁ。
 とろーんとろーん。
 ふわふわゆらゆら。
 ここはどこだっけ?
 私は誰だっけ?
 なんて。
 あははは、もう眠くなってき……。

 バチーン!!! という快音が鳴り響き、自分の頭にかかっていた霞は一瞬で消し飛びました。夢の中で漂っていたような時間は呆気無く終わり、ただただ痛みだけを主張する腕が、足が、腹が、頭が、現実の過酷さを明瞭に自分へと伝え、命の危機がなおも続いている事を気づかせました。
「起きましたか?」
 自分は咄嗟に、寝たフリをしました。が、あえなく見破られると同時、悪魔から購入したと思われる痛い痛い鞭で脛のあたりを打たれ、枯れた悲鳴をあげました。目を見開くと、溜めていた涙が一気に零れ、振り絞るように、散らばったビーズを拾うように、自分は主張しました。
「だぁ……だずげでぐださいぃぃぃ」
 自分の前に立った、初対面の人物を拷問にかける事に対して何の躊躇いも持たない冷酷女、柚之原知恵さん。いや、知恵様は、表情を変えずに、こう言うのです。
「ここまでは、私の完全な趣味です。ここからが本番です」
 糸亡月色王。
 バラバラになった文字を手繰り寄せ、ようやくそれが絶望であると知って、思わず乾いた笑みが零れました。
 休む暇無く次々と拷問が与えられ、地獄の方がまだもう少し人情があるのではないでしょうか、そう思えるくらいに淡々と、知恵様は悪魔のように自分を苦しめました。絶叫し続けて、声帯もイカれ、爺婆のようなしゃがれた声しか今は出す事が出来ません。
 自分は今、間違いなく人生最大の苦境にいます。つい先ほどまで、初セックスに浮かれ浮かれて、得意げにあの淫乱を蹂躙していたというのに、まさしく一寸先は闇。後悔にもんどりを打ちますが、身動き1つ取れないように、両手足はきつく拘束されています。
 おそらくは、春木氏も使用していたシチュエーション能力(春木氏の場合はロリコンなので、小学校でした)という物なのでしょう。中世ヨーロッパを彷彿とさせるような、魔女裁判をいつでも開廷出来る拷問部屋で、「良い空間ですねえ」などとは、流石の渡辺篤史でも言えないはずの、陰鬱な、残酷な12畳。
 無論、わざわざ誰かに指摘されなくても謝罪なら何度もしました。へたれと笑われようが、泣いて泣いて解放を要求しましたが、知恵様はそれを容赦なく無視し続け、まるで熟練ライン工のように、ただ黙々と自分をあらゆる拷問に処していきます。
 自分がここに飛ばされてから受けた拷問の数々は、想像すればただそれだけで気分を害するようなレベルの物ばかりで、ここで改めて述べるのもそれだけで躊躇われるのですが、かといって自分だけがこのような仕打ちを受けるのも冗談ではありませんので、自分の受けた災厄のほんの100分の1でも皆様方に持っていただきたく、いっその事言わせてもらいます。


 のっけから、有無を言わさずに焼きゴテを喰らいました。「焼きゴテ」語感は少しお洒落な洋菓子のようですが、食べる物に甘みと幸福を与えるスイーツなどとはむしろ正反対の物です。
 釜戸で赤くなるまで熱した鉄の棒を、ぐりぐりと素肌、左肩あたりに押し付けられた訳ですから、当然皮膚が火傷を起こして、組織が破壊されてでろでろになります。それでもなお同じ箇所に、再度熱した焼きゴテを押し付けますと、香ばしい、肉の焼ける臭いが漂ってきます。しかしそれは決して食欲の湧くような物ではありません。何せ自分の肉が焼けているのですから、湧くのは激痛と不快感だけです。
 焼きゴテが終わっても、水で冷やすなどの応急処置は一切行われず、間髪入れずに鞭叩きが始まりました。これは無論全身を叩かれたのですが、特に先ほど火傷した箇所を重点的に叩かれ、少し肉が削げ落ちました。血が噴出しようが、痛みに泡を吹こうがおかまいなく、知恵様はひとかけらの躊躇いもなく、ひたすら全力で鞭を振るってきました。
 続けて、今度は水責めにされました。じょうごを口に突っ込まれ、反射的に吐き出そうとすると更に奥へとがんがん押し込められ、器具によって固定されると、そこにガラス製の水差しで水をいれていくのです。じょうごによって喉は開けられているので、自分に拒否権はありません。1つ目の水差しが終わり、お腹がパンパンになって苦しくなった頃、知恵様の背後に満杯の水差しがあと2つ見えた時の絶望感ったらありませんでした。
 意識が朦朧としてきて、あと数秒で窒息死するという絶妙のタイミングで知恵様がじょうごを引き抜くと、自分の口から逆流した水が吐瀉物と混じって大量に空気中へと放たれました。しかしそこに開放感などはなく、続くのは吐きの苦しみ。何せ屈む事は許されず、立たされたままに腹部を靴でぎゅうぎゅうと押されている訳ですから、少しずつ減っていく水の量と反比例するように、、苦しさは増していきます。
 永遠にも思える不快な嘔吐が終われば、一見工具にも見える小じんまりとした器具が登場し、それが両手の親指にセットされると、それがかの名高き親指締め具であると分かりました。最初、ゆっくりとネジが絞まって行く時、自分は迂闊にも、まだ前での拷問に比べればマシだ、と思ったのですが、愚者の思い込みに過ぎませんでした。万力をそっくりそのまま小さくしたこの機械の持つ力は、万力と比べても何の遜色も無く、進むばかりで決して戻る事の無いネジは、無論何の感情も持たず、また、器具を扱う知恵様の方も同じく、まるで何の感情も無いように、自分の親指は圧力を受け続け、やがて爪が折れ、締め具の中から血が流れ始めても、なおも行為は続されました行。人体の先端部分という物は、神経が密集している部分です。少しでも痛みを和らげる脳内麻薬が、どばどばと放出されているのが分かりました。
 そして最後の仕上げとばかりに、




        しました。自分は発狂すると同時に血を噴いて気絶し、ようやく意識が戻ったと同時に先ほどの台詞があった訳です。
「ここからが本番です」
 

 拷問が始まる前、自分に与えられた情報はたったの3つ。
 1つ目は、この空間で負った傷は、現実世界に戻れば自動的に治癒される。つまり足を失おうが腕を失おうが失明しおうがペニスを切断されようが、それはここから脱出さえすれば治るというのです。ならば安心だとお思いですか? むしろ逆だと考えてください。
 あらゆる傷が治るという事は、「何をしてもチャラになる」という事です。傷が残っていない上に、目撃者も居ないとなれば、証拠が無い以上、法に訴えたとしても勝つ見込みがありません。「鼻を削ぎ落とされました!」と鼻息荒く警察に駆け込んでも黄色い救急車を呼ばれるだけです。
 このロジックに気づいた時、自分は全身に鳥肌が立ちました。喪失というストッパーを失った拷問とは、一体どこまで行ってしまうのか。
 2つ目は、ここから脱出するには2通りの手段しかない無いという事。その2つとは、知恵様自身が能力を解除し能力の対象になった者を解放するか、あるいは知恵様の間違いを自分が指摘するか。この「指摘する」という手段に関しては、どうやら能力の発動条件が関係しているようです。
 知恵様の性癖が「獣姦」ではなく「拷問」だと理解し、自慢げにひけらかした推理が見事に外れてすっぽ抜けたのを自分が認識したと同時に、手枷を嵌められて吊るされている状態で自分はこの空間へ飛ばされていました。つまり能力の対象が何かを間違えた、失敗した事によって、この空間は発生している訳ですから、能力の発生源が同じく何らかのミスを犯せば、発動条件が失われ、元の公平な状態に戻るという仕組みです。
 そして3つ目の情報。それは、
「あなたは苦しむ」
 という断固たる予言でした。
 言葉通り、自分は人生で最も苦しい時間を過ごしました。自分はこれまで「拷問」という性癖を持っている人は、言い換えれば「ドS」であると解釈していましたが、それは大きな間違いだったようです。ドSのSはサービスのSとは良く言った物で、知恵様にはこれっぽっちも自分を快楽へと導く気などありません。むしろ自分の事にははっきり言って興味がなく、相手の抱く苦痛、奏でる断末魔の音色、絶対的優位性と嗜虐的エンターテイメント性、そして古今東西あらゆる拷問器具その物といった、血の通わぬ存在に対してどうやら快感を感じているようなのです。その証拠に、1つの拷問における最高苦痛点において、知恵様はぶるると身体を震わせる事があります。自らの肉体に触れずとも絶頂に達せられる。間違いなく変態ではありますが、大なり異常者、サイコパスであると断言させていただきます。
 拷問には、大きく分けて2種類の意味があります。2つとも、犯罪者や税の未納者、反逆者に対して行われるのが前提です。
 1つは、なかなか口を割らずだんまりを決め込む者に対して、恐怖を与える目的で行われ、自白を強要したり、仲間を売らせたりする事が目的です。拷問の最中で死に至らしめてしまうとそれは拷問として失敗ですので、慎重に、かつ段階的に行われます。
 もう1つは、拷問を公にする事によって、類似犯罪の発生を防ぐ意味。石川五右衛門の釜茹でや、ファラリウスの雄牛等が有名ですが、こちらは最終的に死に至らしめる事を前提としており、いかに残虐かが重要視されます。
 知恵様の目的は、上のいずれかでもありませんでした。
 簡潔に、ただ快楽を求めていただけなのです。


「ここからが本番です」
 その台詞は決して間違いや脅しなどではありませんでした。
「だから、あなたが今からする私の要求に応じるならば、すぐにあなたを解放します。応じないのなら、拷問を続けます」
 それはようやく見えた出口でありましたが、同時に、更なる地獄への門でもあり、自分は唾を飲み込んで、門番の言葉を待ちました。
「『三枝瑞樹』との関係を解消してください」
「……それは……つまり……」
 ひゅん、と風を切り裂く音が聞こえ頬に鞭が命中し、口の中に溜まった血反吐が放射状に飛びました。
「同じ事を言わせないでください。もう2度とご主人様に関わるな、と言っているのです」
 自分は視線を落として考えます。
 頷きさえすれば、解放される。
 この苦悶と激痛の螺旋階段から、ようやく下りる事が出来る。
 それは強烈な光でした。新鮮な空気とも言えるかもしれません。ただ日常を取り戻すだけの事が、幸福に思えて仕方が無いのです。
「し、しかし……三枝委員長のほうが何と言うか……」
 大きく振りかぶった鞭が、今度は逆側の頬に命中しました。生暖かい血の感触が涙に混じって顎を伝います。
「余計な心配は必要ありません。あなたが手を引くかどうか、イエスか、ノーか。もちろん、ここでイエスと言っておいて後で裏切る事になれば、もう1度この場所に来てもらう事になります。おすすめは出来ません」
 言いながら、知恵様は部屋にある拷問器具を見渡しました。もしも拒否あるいは虚偽すれば、先ほどとは比較にならないほど恐ろしい目に会う事は分かりきっています。
「答えてください。5秒以内に答えが無い場合、ノーと見なして拷問を続けます」
 機械のアナウンスかと思えるほどに、淡々とした、別にどちらでも良い、と言わんばかりの感情の無い声でした。
 自分は唇を噛み締め、答えます。
「……です」
「……今、何と?」
「ノーです。三枝委員長は自分の物です」
「……そうですか」
 作業台の上に転がった、無数の拷問器具。その中から、知恵様はある1つを選び、手に取りました。
 金属製、片手にちょうど収まるくらいのそれは、梨のような形をしており、翡翠でしょうか、装飾が施され、一見高級なアクセサリーのようにも見えましたが、その尻尾からは拷問器具の特徴でもあるネジが飛び出していました。
 知恵様が、ほんの僅かに微笑んだように見えます。
「『苦悩の梨』はご存知ですか?」

       

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