Neetel Inside ニートノベル
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第三話 「幼い世界を大いに笑おう」


 波乱万丈極まる冬休みが終わりました。
 いよいよ受験戦線も本格化し、栄養ドリンクをガトリング弾のように乱れ撃って自らの身体に鞭をいれる者もいれば、早々に妥協という名の死を選び、消化授業の最中に惰眠を貪る者もそこそこ見受けられます。
 自分、五十妻元樹はというと、言ってみればそのちょうど中間といった所でしょうか。このまま順調に行けば問題なく清陽高校に合格し、入学後すぐに翠郷高校との合併が市から電撃的に発表され、その後半年間の編成期間を経て、果たしてどうなるのか皆目見当もつかない新しい学校の生徒に自分はなる予定です。
 何も知らずに翠郷高校への進学を決めているクラスメイトには、何ともはやどう伝えたら良いのか分からないのですが、合併話はあくまでも機密事項なのだそうですし、合併が必ずしも悪い結果を生むとも限りませんので、自分はただ口をつぐんで、最後の仕上げに精を出します。
 ふとした瞬間、きっとまた3年後、今度は大学受験という形で感じるはずの、クラスに漂うこの特別な空気感に気づいて、これも生徒時代にだけ得る事の出来る1つの経験なのだろう、とさりげなく哀愁を漂わせました。
 さて、模試の結果も問題ありませんし、担任も太鼓判を押しています。つまり時間的な余裕は十分にあり、勃起力もきちんと復活しましたので、いつもの性的日課、いわゆる自慰行為に多少なりとも没頭する事に対していささかの障害も無い訳ですが、いかんせんどうもその気になれないのです。
 放課後になり、学校から帰宅すれば、1人椅子に座って考えるのは、徒労に近い事ばかり。やるせなくなって1番近くにある教科書を開いて、あらかた落書きし終えた歴史上の人物の肖像に軽い会釈をしてから勉強を始め、空腹を境に1度手を止め飯を頬張り、風呂に入り、それが終わると今度は寝るまで机に向かうというごくごく近い未来予想図が視界をよぎりました。ああ、なんという糞真面目か。二宮金次郎でも心配してくれるレベルの勉強家、とは言いすぎかもしれませんが、自分のこれまでの人生の中で今が最も勉強している時期である事は間違いありません。もしかして、いっその事翠郷高校を受ければ、何かの拍子に受かってしまうのではないか、とさえ思われる学力の上昇に、血管がやおら太くなるのを感じました。
 一切の娯楽もなく、あれだけ持て余していた煩悩もどこかに消えうせ、そのような優等生行為に興じるのにはちょっとした訳があります。
 ジャブ程度の考想から一旦授業に舞い戻った自分は、斜め前方に座る淫乱雌奴隷こと三枝委員長に視線を向けました。
 中学校生活最後の席替えを終えて、前より微妙に遠くなった2つの席の距離は、今の自分と彼女の位置関係を如実に表しているとも言えます。
 三枝委員長は、自分の視線に気づいたのか、こちらをちらりと見て、すぐに視線を黒板へと戻しました。自分はたったそれだけの行動に込められた意味を深読みし、また平均台を踏み外して、自分で下にひいたマットにうつぶせに寝転がるのです。
 そろそろ比ゆはやめ、単刀直入に申し上げましょう。
 柚之原知恵様に拷問を受けつつも、なんとかそれを凌ぎきり、脱出を果たしたあの日以来、自分はどうやら、女性が怖くなってしまったようです。それは理性でどうこう出来る代物ではなく、心のより深い所、深層心理の段階において、その性質を現しているようなのです。


 女性が怖くなった。といっても、決してあっちの趣味に目覚めたという訳ではありません。尻穴の処女をどこぞの屈強な男子に捧げるくらいならば、自分は名誉ある死を選ぶ。その点は以前と何ら変わりはありません。
 が、どんなに魅力的な女性も、今の自分にはティンダロスの猟犬のように見えてしまうというのもまた、1つの事実です。鋭角にこだわらず突然現れるそれは、自分の心臓を大雑把に掴んで、例の悪魔的とも言える微笑の下できりきりと締め付けていき、やがては破裂させて血をすする。強烈な原始的恐怖。女性を目の前にすると、額からは汗が滝のように流れ落ち、手が震えて投げるさじさえ持てなくなります。こんな悲惨な状態において、一体自分は女性の何処に性的な魅力を感じろというのでしょうか。
 原因は、既に特定されています。というより、これ以外にはまずありえないとも言えるでしょう。問答無用で自分を異空間の拷問部屋に拘束し、数々の非人道的処置を施した挙句、結局最後まで一言も侘びる事のなかった、あの謎多き女性。気づいたら「知恵様」と呼んでいた真性のサディスティックチェイサー柚之原知恵。拷問で受けた傷は、脱出を果たした段階で消えていましたが、やはり当初の予想通り、精神的外傷は非常に深く、こちらの方は能力の解除によって治癒される事はないようでした。
 今回の件で自分は、つくづく女性は恐ろしい物だと確信するに至りました。知恵様が類稀なるレアケースである事はもちろん、理性に則って重々承知の上ですが、過去、くりちゃんや、音羽君や、三枝委員長でさえも、その本性を自分は毛ほども知らずに、ただエロという男の本能に突き動かされて、関わりを持っているだけであったと今更ながらに気づかされたのです。彼女達に、もしもその必要性が生まれれば、自分の事など平気でフードプロセッサーにぶち込んでおいしくいただかれるような気がして、不安で不安で仕方なくなるのです。
 女性不信。
 自分の負った症状はつまり、このたった一言に尽きるのですが、治療は非常に困難であるように思われました。
 不毛な事を考えてばかりの授業が終わり、さっさと鞄に勉強道具をまとめ、帰路につこうとした時、脈絡もなく(といっても、人に声をかけるのに脈絡が必要な事の方が珍しいですが)三枝委員長に話しかけられました。
「五十妻君」
 その瞬間、全身の筋肉が硬直したような感覚に襲われ、まともに目すら見られません。「お前のようなド変態が女性不信に陥る訳などない」と思っていた方も、自分のこの様子を一目ご覧になればすこぶる納得なされるはずです。
「な、何でしょうか……?」
 息も絶え絶え呼び止めた理由を聞き返すと、三枝委員長はまっすぐに自分を見て(女性の視線に対しても、以前より遥かに敏感になってしまったので、わざわざこちらが目で確認せずとも見られているかどうかは察せるようになりました)、こう言いました。
「今日、五十妻君の班は掃除当番よ。帰るのはそれからにしてくれるかしら?」
「あ。ああ、本当に、申し訳ありませんでした……」
 かつては全裸に首輪をつけて夜の露出散歩に連れ出していた性奴隷に対しても、このような緊張気味の、遠慮気味の、訳の分からぬ態度をとらねばならないのですから、これはやはり大事です。


 三枝委員長に言われた通り掃除を終え、ようやく自宅へと帰還しました。
 この場所には、自分の事を癒してくれる唯一の存在がいます。
 それこそが、五十妻家に舞い降りた大天使、世界一かわいい幼女、癒し大明神ことくりちゃんその人です。つい先ほど自分は、家に帰ったら真面目に勉強しているというような事を口走りましたが、実際半分ほどは嘘で、くりちゃんと戯れている時間の方がちょっとだけ長かったりもします。
「おかえり~」
 語尾に音符マークをつけたくりちゃんは、身体には少し大きめのエプロンをかけて、三角頭巾を被って、帰宅した自分の所へと駆け寄ってきました。その様子と、全体から漂わすほのかな甘い香りから察するに、何かクッキー的な物を焼いていたのだと推測されます。
 自分は、今こんな事をすれば、高橋留美子御代の漫画でも最近はとんと見かけないような、とてつもなく「ベタな事」になってしまうとわかっていつつも、そうせざるを得なかったのです。
「くりちゃぁん……!」
 情けない声を出しながら、膝を折ってがくりと崩れ落ちる自分。こんな姿、誰より自分自身が見たくないのですが、そうならざるを得ないのです。道を歩けばすれ違い、買い物をすれば後ろに並ばれ、外の環境には今の自分が最も苦手とする「女性」がいくらでもいるのですから、1日で受けるストレスは甚大です。今の自分にとってくりちゃんは、「女性」ではなく「女の子」です。
「怖かったね~よしよし」
 くりちゃんは、その小さな手で自分の頭を撫でてくれました。母のような無尽蔵の愛で自分の全てを受け入れてくれるくりちゃんは、自分にとって小さな神様です。以前に比べて、自分はより真の意味においてロリコンに覚醒したのかもしれません。自分がブッダ(目覚めた人)ならば、春木氏はブラフマン(宇宙の根本原理)であり、くりちゃんを幼女の姿に変えて自分の手元に残してくれた事は、感謝してもしたり無い事です。
 女性に対して何の期待も持てなくなった自分には、最早この純真無垢の権化たるくりちゃんにしか救いはありません。背中に腕を回してぎゅっと抱きしめると、くりちゃんも同じく自分の背中に腕を回して、「もとくんは良い子だから、ね、一緒に頑張ろうね」と慰めてくれるので、何時間でも何日でもそうしていたいと、自分は心からそう思うのです。
 やがて、キッチンの方から香ばしい焦げ臭い匂いが漂ってきて、「あ! クッキー焼いてたんだった! ごめんね、もとくん!」とくりちゃんがとてとて去っていく背中を見て、今の自分は、史上最高に気持ち悪い事になっているなぁ、と我ながら思いました。
 もしも、これはもしもの話です。
 このくりちゃんを泣かせる男がいたら、自分はぶん殴ってやります。考えたくはありませんが、レイプでもしようものなら、今まで何度試しても出た事の無かった必殺技を全生命エネルギーかけて放ち、死に至らしめるでしょう。
 そんな事を考えていた矢先、何の前触れも無く、いつか聞いたあの声がしました。
「やあ五十妻君、トムだよーん。今夜の0時、面白い物を見せてあげるから、近くの公園のベンチに来てごらんなさいな。あ、1人で来てね。あと目隠しを用意してきてね」

       

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