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HVDO〜変態少女開発機構〜
第三部 第一話「二つの月が咲いている」

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「明日には知らない誰かに壊されるような砂山だった。銀のスプーンに乗った甘くて暖かいミルクだった。私のしていた事は、『足りない部分』を『足りない物』で埋める事だった。君に、気づかされたよ」
 望月先輩は全てを許されたような表情で両手を大きく広げると、深く天を仰ぎました。力がふわりと抜けていき、彼女自身が創ったこの城の頂上から、その美しくも豊満な肢体を投げたのです。




 第三部 第一話「二つの月が咲いている」


 そもそも、期待する事自体が間違っているのではないのでしょうか、と自分は入学式の最中、パイプ椅子から勢い良く立ち上がり、声高に叫びたい衝動に駆られました。あいにくの雨で今が本当に春なのかと疑いたくなるほど冷却された体育館内に、新入生が約120名と、その家族約200名。壇上には、修羅の如くにハゲ散らかした、良いところ課長止まりと思わしき男が、骨ばった手に持った原稿を「あー」と「えー」を巧みに織り交ぜながら読み上げ(なんとこの藁よりも遥かに頼りない人物こそが、この学校の最高責任者である所の校長だというのですから驚きです)、いじめられっこのような卑屈な視線で生徒達の様子を伺っていました。
 いや、まあ、何も自分は、入学早々この学校の人事と彼を校長に任命した想像もつかないほどやんごとなき権力者の判断力に対して苦言を申し上げたい訳ではないのです。むしろ、雨で散った桜を踏んで、この心臓が眠りそうな程糞寒い体育館に入り、たった今冷凍庫から出したばかりのパイプ椅子に座らされてもなお、新生活に胸を躍らせ期待に心満ち満ちている約119名の阿呆どもの方に現実とはなんたるかという事をご教示さしあげたいくらいなのです。
 見慣れない顔、見慣れない場所、見慣れないあらゆるオブジェクトに、一種の冒険心というか、未知への探究心のような物を無意識の内に突き動かされてしまうのは分からないでもありません。しかしながら、所詮学校は学校です。我々人間はサナギを経て成虫になる蝶でもなければ、毛が生え変わって白と黒のかわいい姿になるペンギンでも無いのですから、たかが中学生から高校生になったところで、せいぜいハマチからブリになったくらいの差、どこぞの誰かに決められた定義に則した単なる名称の違いでしかないのです。中学時代に不遇を囲った人間が、高校において栄華を極めようと画策するものならば、自分自身を徹底改造し、過去の一切を捨て切らなければなりませんし、また、その偉大なる計画に1度でも躓けば高校デビュー失敗野郎と後ろ指をさされ、元より人生の勝ち組であった方々に硬い石を投げつけられる憂き目に遭う事は明らかです。
 つまり、期待するだけ無駄なのです。入学式の日に異性に告白されたらどうしようだとか、あらぬファンタジーを抱いてときめいている男子諸君に、今すぐ現実という名のトールハンマーを打ち下ろし、その夢を粉砕する所存で、自分はこの入学式に挑みました。この広くて回ってひっくり返る世界の中、唯一自分だけが特別扱いされ、洗練された運命が待っているなどと考える事それ自体が自意識過剰の極み、調子に乗った行動であると、自分は叫びたくなるのです。
 ですが、自分は違います。
 自分は変態を極めし、漢の中の漢。美少女の漏らす尿を愛し続けたがゆえ、性的超能力にまで目覚めてしまった超越者であるこの自分を、そんじょそこらのチェリー達と一緒にしないでいただきたい。
 これから始まる3年間の間で、もしも自分が一世一代のハーレムを築けなかったとするならば、それはまさしくひょうたんからベイブレード、マジェンタな嘘というやつであり、有り得ない事は心配するだけ無駄という物です。
 叫べない代わり、自分は心の内で高らかに宣言します。あらゆる手を使い、陵辱の限りを尽くし、同学年の女子全員、いえ、先輩も後輩も美人教師も、全てのおもらしを曇りなき眼で見定め、有象無象の男たちとは格が違うのだ、という事を行動によって知らしめてみせるのです。
 期待する事自体が間違っているのです。自分、HVDO能力『黄命』の使い手、五十妻元樹以外は。
 そんな事を考えながら、ふと気づきました。……多分、この中で1番テンションが上がってるのは自分です。


 入学式が終わった後、クラス割りが発表されました。体育館から出てすぐの所にある校内掲示板に大きな表が何枚か張られ、一挙に生徒達が群がりましたが、背が高めで目も良い自分はかなり後ろの方からでも名前を確認する事が出来ました。自分が配属されたのは1年A組。しかも、「相原」も「青木」もいないクラスらしく、五十妻(いそづま)であるところの自分には、出席番号1番が割り当てられたようで、1-Aの1番という大役に無意識のうちに抜擢されていました。やはり王というのはこうでなくては、などとちょっとした奇運にほろ酔いしつつ、颯爽と教室に向かいます。
 ここで突然ですが、何故か第3部から読み始めたという奇特な方や、間が開きすぎて内容忘れちまったというごもっともな方々向けに、僭越ながら自分の方から、「HVDOとはなんぞや」という所をかいつまんでご紹介したいと思います。
 HVDOとは、一言で言うと謎の組織です。自分のような特殊性癖持ちの者を超能力に目覚めさせ、能力者同士を性癖バトルに誘導し、勝った方には新たなる能力を与え、負けた方にはそれまで得た能力を全て失わせた上に性器を爆発させる(といっても、一時的に不能状態に陥るだけです。いわゆるED)という、一体誰が何の得をするのかが全く意味不明なシステムを管理している赤毛組合より謎極まりない団体です。
 この団体によって性的特殊能力に目覚めさせられたのは自分だけではなく、中学時代においてはおっぱいマイスターの悪友やら露出狂の委員長やらふたなりを愛する後輩やらに恵まれてきましたが、彼らとのバトルを通してもHVDOという組織の最終目的ははっきりとせず、HVDOに所属しているという人物も、ちらほらと姿を現してきましたが、合格発表から入学に至るまでの期間、その調査にも自分の性癖にもこれといった進展は無く、至って平凡な、ともすれば退屈な日々を自分は過ごしていたのです。
 しかしそれも高校入学をきっかけに変化するのではないでしょうか。これは何も、自分のHVDO能力による新たな被害者が増える、という意味だけではありません。自分はクラス割りのリストにあった、1つの名前を思い返し、にやにやと緩んでくる口をさりげなく手で抑えました。
 「相原」と「青木」どころではありません。「内田」も「江藤」も「小野」も「加藤」も、1-Aには在籍していませんでした。出席番号1番の自分のたった1つ下、「き」から始まるその名前は、自分にとって良く見慣れた、しかし同時に感慨深い、ほんのちょっとだけ照れてしまうような、実に意味のある名前でした。
 木下くり。
 これが、自分の肉奴隷の名前です。と、紹介したい所ですが、あいにくとまだそれは「候補」の段階であり、今はただの幼馴染で、同時に最も自分の能力の被害を受けた人物でもあります。
「おい、このゲス野郎。いいか、お前のせいで同じ学校に行く羽目になったんだ! 絶対に私に例の変な能力を使うなよ! 使ったらぶっ殺すからな! ……まあでも、別のクラスにしてくれるように頼んでおいたから、使うチャンスもないと思うけどな、へへん」
 数日前、そう勝ち誇っていた面影は、一体全体どこへやら。くりちゃんは今、自分の真後ろの席で、突っ伏したまま静かに泣いて、自らの不幸を呪っています。


 さて、「くりちゃんが1年間クラスメイトの前でおしっこを漏らし続け地獄を味わう法案」が無事に可決された所で、ちょうど教室の席が埋まり、近くの人に話かけていいのやら皆がそわそわし始めた頃合を見計らったかのように、1-Aの担任教師が入場し、大した掴みもなく自己紹介をしました。
 女教師を期待していた自分の淡い思いは簡単に打ち消され、目の前に立ったのは、これほどまでに無味無臭な人間が存在するとは、と逆に驚いてしまう程に何の特徴も無い男でした。見た目はともかくとして、喋り方から足取りから何から何まで普通で塗り固められ、人の記憶に何の跡も残さない、そこがむしろ奇妙に思える男でした。しかしその「奇妙である」といった感想も、一呼吸の後に全く興味の無い物として扱われ、海馬の端っこまで転送されてしまうような、ある意味かわいそうな人物でした。年齢は30前後、中肉中背、不健康そうでもなければ活発な印象も持たない、頼りになるような間が抜けているような、色鉛筆で言えば「きみどりいろ」の教師でした。
 ですが、別段これといって文句はありません。そもそも自分は、男の事はどうでもいいのです。素晴らしく美人の、ガーターベルトが良く似合うインテリメガネ女教師が担任にならなかった事は確かに不満ですが、ここは普通の高校なので、当然教科ごとに担当の教師が変わります。今自分が例に挙げたような淫乱女教師もまあ5~6人くらいは存在するはずなので、その内に巡り合えれば良しとします。
 担任の、高田だったか野原だったか忘れましたが教師が、クラス名簿を頼りに1人ずつ名前を呼ぶと言いました。4月の通過儀礼、自己紹介。出席番号順に行って、名簿と照らし合わせながら出席を確認するとのことで、1番最初に名前を呼ばれた自分は、やや緊張しているフリをしつつも立ち上がりました。
 正直である事を美徳とし、新しくクラスメイトになった方々に、自分という人間はどんな性質を持っていて、どんな思考をしているかをご理解していただくには、このような自己紹介がベストでしょう。
「五十妻元樹、自分は女の子がおしっこを漏らすのが大好きな変態です。よろしくお願いします」
 が、ご安心ください。自分はそこまで馬鹿ではありません。こんな事を言えば、これからの行動には激しい制約が常に付き纏う事になりますし、おそらくは入学初日に職員室呼び出しという珍事になるのが分かりきっている上、基本的に性癖と言う物はそうおおっぴらに人に言う物ではありません(後ろの席にいる処女や、先ほど例に出した変態仲間には必然的に知られてしますが)。自分は名前と出身中学と趣味「自然(のままに美少女がおしっこを漏らす姿の)鑑賞」と嘘はつかずになるべく簡潔に述べ、席に座りました。続けて出席番号2番のくりちゃんが立ち上がり、第一声、その実に卑猥極まりない名前を口にしようとしたその瞬間、教室の前のドアが開き、そこから見た事のある顔が覗きました。
 170後半の高い背丈に、ツンツン頭が加わって、見た目は自分と同じ程度の身の丈でしたが、性格はむしろ逆です。中学時代においては、不良グループに属していたかと思えば、オタクグループに混ざって会話を楽しみ、クラス内での立ち回りが上手く、意外とベイビーフェイスで女子からの人気もあった、あの人物。
 自分の記憶が確かならば、彼も同じくHVDO能力者であり、変態であったはずです。中学の同級生であり、初めて性癖バトルを行い、そして自分が勝利を収めた相手。同じ学校を受験していたのすらたった今初めて知りましたが、まさか同じクラスになるとは。
 等々力氏。一言で表すならば、無類のおっぱい好きである彼は、どうやら遅刻したらしく、教卓にいる先生に「すんません遅れました」と言って顎をしゃくるだけの軽くナメた礼をして、彼に注目するクラスメイト全員に視線をやりました。
 ほんの2秒ほどにも満たない短い時間だったはずです。信号が赤から青に変わったのを確認するような、ちょっとした「ま」ともいえるような取るに足らない時間。その間に、等々力氏はどうやら、クラス全員分の吟味を終えたようなのです。
「っておい! このクラス貧乳だらけじゃねえか!!!」


 秩序だった、初々しい空気に包まれた1-Aが、等々力氏のたった一声でざわめき立ちました。男子は遠慮がちに視線を伏せつつも周囲の女子の胸部を確認し、女子は心なしか鳩胸に、あるいは元より貧乳に心当たりのあった方なのでしょうか、配られたプリントを見るフリをしながら背中を丸めました。自分もすかさず簡単に周囲の女子の乳査定を行いましたが、確かにこのクラスの貧乳率は異常といえる結果が出ました。おっぱい非武装地帯、ないしは「私は着やせするタイプだから教」信者の集いとも称すべきでしょうか。自分の席の隣に座っている名も知らぬ少女などは、乳児でも二度見するレベルのつるペタでした。
 等々力氏が言葉の火矢を放った瞬間、このクラスの女子の中で最も注目を浴びたのは言うまでもなく、ちょうど立ち上がり自己紹介をしかけていたくりちゃんであり、そのモンゴルの大平原のように真っ平らな胸は、クラスを代表して「貧乳とはこうである!」と力強く主張していました。何事も無かったかのように自己紹介を続けていいものか、それともブチキレて等々力氏にエリアルを決めるべきか迷いつつ、羞恥に見る見る真っ赤になっていく表情を特等席で眺めながら、やはりくりちゃんが恥ずかしがっている姿はサマになる、と自分はのんきにも思いました。
 ドアを開けてからたったの5秒で教室を火の海にした張本人である等々力氏は、「ふざけんな!」と誰に対してか(貧乳ばかりを寄せ集めたクラス割りか、娘を貧乳に育てた親御さんに向けてか、この救いようの無い世界についてか)訳の分からぬ怒りを宙にぶつけていましたが、これは女子全員の恨みと相殺しても逆ギレと呼ぶには目に余る所業でした。
 とはいえ等々力氏も剛の者。自分と同じく変態の道を歩み、おっぱいに諸行無常のすべてを見出したHVDO能力者です。どう持っていいのかも分からない怒りの行き着いた提案はこうでした。
「先生、こんな貧乳だらけのクラス耐えられません! 俺だけ別のクラスにしてください」
 クラスメイトどころか、全世界のAカップを(ふと思いましたが、だからA組なのでしょうか?)敵に回すかのごとき発言を、何の躊躇いもなくしてのける等々力氏に、自分は真の変態としての在り方を感じ取りました。つい先程自分は、なるべくなら性癖は隠すのがベターだと発言しました。確かにそれは賢く、効率的な考え方かもしれません。しかし「真」には沿っていない。隠す事は騙す事、騙す事は偽る事です。変態として、男として、譲れない想いをぶちまける事を、一体誰が弾圧出来るというのでしょうか。
 などと思っている間に、先生から「無理です」と簡潔な答えをもらい、「だって見てくださいよ先生! なんなんですかこいつら。おっぱいのおの字もないじゃないですか! 乳児でも神妙な面持ちになるレベルの奴らばっかりだ!」とキレまくる等々力氏に、女子が全員シャーペンやら消しゴムやらをぶん投げ始めました。
 結果、「こんな学校やめてやる!」と捨て台詞を吐き、泣きながら教室を飛び出した等々力氏。退学届けに「クラスの女子が全員貧乳だったから」と書いて果たして受理されるのか、自分は疑問に感じながらも、「ていうか等々力氏のHVDO能力『丘越』を使えばどんなガンコな貧乳もバストアップ出来るんじゃね?」などと思いつつも、それは心にしまっておきました。
 一本、筋の通った生き方というものは、思わぬ批評を受けるものです。等々力氏の姿は確かに少し格好良かったですが、こんな風に敵ばかり作っていては、真の目的は達成出来ません。やはり性癖は隠すに限ります。一時のヒロイズムに酔い、自分を不利な状況に立たせるなど、自らの欲望を制御しきれなかったあのおっぱい星人と一緒です。


 多少の混乱とそれから派生した若干の暴動がありましたが、どうにか無事に初ホームルームを終えて、自分はくりちゃんと共に帰路につきました。家は隣、小学校から中学校までずっと一緒で、その上高校においても同じクラスになれたのですから、これは何か運命めいたものを感じずにはいられません。しかも自分がHVDO能力を手に入れてからというもの、くりちゃんにはパンツを買ってあげたり、逆に尿を飲ませていただいたり、幼女になった時などは、身体を隅々まで洗わせてもらったりした訳ですから、これはその内何か特別な「お礼」をしなければならないな、などと自分はぼんやり考えていましたが、くりちゃんは自分と5mほどの距離を置いて足早に先を急ぎながら、俯いて物思いに耽っているようでした。
 自分と同じクラスになってしまったという不幸のみならず、乳児が苦笑いするレベルの貧乳をひっさげてクラスを代表してしまった訳ですから、テンションがだだ下がりしてしまうのも分からなくもありません。
 ここはひとつ景気づけに、怒りに任せて誰かを思いっきり殴れば、ストレス解消にはちょうどいいのではないだろうか、と修行僧のような自己犠牲の精神に急に目覚めた自分は、然らばそのきっかけ、理由付けとして、せっかく一緒の帰り道ですし、盛大におしっこを漏らしてもらおうと気をきかせる事にしました。
 自分のHVDO能力「黄命」は、触れる事によって対象の膀胱に尿を溜め、そして3回目の接触で決壊させます。黄命3個目の能力「ブラダーサイト」に目覚めていた頃は、相手がどの程度尿を我慢していたかが分かったのですが、今は2個目の能力までしか解放されていない上、くりちゃんは自分の近くにいる時は必ず警戒して小まめにトイレに行っているので、1度目の接触で逃げるか自分を行動不能にする事によってくりちゃんは今日まで自分の魔の手を潜り抜けてきました。
 がしかし、今日の場合は入学式の後、すぐに教室に向かい、帰りにもトイレへは寄っていない(その前の出来事が余りにもショックだったのでしょう)という事を自分は確認しています。流石に1度では無理かもしれませんが、2度ならあるいは……。自分はこみ上げてくる笑いを噛み殺しながら、くりちゃんに悟られぬように近づいていきました。10分ほどの通学路、その終盤である自宅付近に差し掛かり、ようやく自分はくりちゃんの真後ろにつけて、肩に触れる事が出来たのです。
 するとくりちゃんは、殴るでもなく、逃げ出すでもなく、くるっと振り返り自分を見据えて、こう言いました。
「これで最後にして」
 ただ道を歩いていて、ふいに脇腹を包丁で刺されたような、くりちゃんのその言葉は、意外というよりむしろ理解の出来ない領域にありました。困惑する自分を他所に、くりちゃんは目線を上げず自分を、というより自分を透過させた後ろの何も無い空間を見ていました。まだ尿は出ていませんが、「黄命」を発動させた事は確実であり、それはくりちゃん自身も分かっているはずです。いや、そんな事より、自分の得た驚愕はもっと別の……。
「……早くやれよ。だけどこれで最後だ」
 くりちゃんは男らしくそう言うと、自分の手首を掴み、自ら肩に近づけていきました。ほとんど力のこめられていないくりちゃんの手を、なぜか自分は振り払う事が出来ず、泥沼に突っ込まれたような頭を置き去りにしながら、言う事のきかない自分の身体を第三者視点で眺め、しかし心は大声で叫んでいたのです。「どうかやめてください!」と。
 くりちゃんがついにおもらしを受け入れた、と考えるのは思慮が浅いと言えるでしょう。確かに、くりちゃんが自らおもらしをしてもいいと発言したのはこれが紛れも無く初めての事であり、自宅の近くまで来たとはいえ、周りに自分以外の知り合いがいないとはいえ、屋外で排泄行為をする事を受け入れるという事実のみを見れば、くりちゃんもいよいよ変態になったと捉えられなくもありません。しかしながら、気になるのはくりちゃんの態度とその台詞です。
 最後。
 くりちゃんの陵辱をいつ終わらせるかなど、彼女自身に決める権利はないはずです、と強がってもみたいのですが、くりちゃんの目が、口が、鼻が、表情が、佇まいが、自分にそうさせてくれないのです。圧倒的決意。絶対的覚悟。難儀な迷いの乗った自分の指が、くりちゃんの肩にそっと触れました。
 恥ずかしがるくりちゃんの顔を、自分は今まで何度も見てきましたが、今回のそれは、心の底から喜べない、固いしこりに当たった気分になりました。頬は赤く、目は潤み、眉尻は下がり、確かにそれは自分の大好物であるくりちゃんの「恥」であるというのに、どうにも躊躇の影が消せないのです。
「……これでいいんだろ?」
 言われてようやく、くりちゃんのスカートの中から液体が滴り落ちている事に気づきました。靴下と新品の革靴を汚して、高校入学というこの晴れの日に、本来ならば「やらかしてしまった」という表情をすべき所を、くりちゃんは自分を見上げ、睨んでいました。
 この時自分は、何と声をかけたら良かったのでしょうか?
 くりちゃんは自分の手を離して背を向けると、自ら作った水溜りを乗り越えて、何事も無かったかのように再び歩き出しました。「あ……」意思とは無関係に自分が声を発すると、くりちゃんは振り返らず、不自然なほどいつもと変わらない口調で、決定的な一言を突きつけてきました。
「明日の朝からは、もう起こしにいかないからな」
 それは自分にとって、何より怖い別れの言葉でした。

       

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