Neetel Inside ニートノベル
表紙

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 子供の頃は考えもしなかった事ですが、この世はどうやら、「理想」と「現実」の狭間に存在しているようなのです。単純に考えれば、「現実」はただ単に今この目の前にある事実の連続でしかないように思われます。しかし実際は、「現実」というものは少なからず誰かの「理想」を投影されて構築されているはずなのです。誰かが木を簡単に切りたいと思ったから斧があり、誰かが空を飛びたいと思ったから飛行機があり、誰かが彼女もいないのに精液を出したいと思ったからAVがある。そして裸同士でセックスしてるだけの映像ではマンネリ化してきたのでコスプレAVが出来、コスプレ物の癖にすぐに服を脱がしやがるからTMAがある。と、そういう具合に、つまりは理想がまずあり、そこから現実が生まれ、その現実に直面した別の人の理想が出来て、更にまたそこから現実が生まれ、とループしながら、出来あがっているのです。
 その理想と現実に差があるからこそ生まれてしまったのが「格差」という物でしょう。貧富の差、才能の差、運命の差。この場合、差は「現実」であり、差を崩す為の努力が「理想」にあたるのです。しかし重要なのは、理想は未来の事であり、無論、であるからして不確定事項です。しかし現実は現実として、既に過去存在してしまった事を無しには出来ません。勝ち組、負け組などという言葉をあまり安易には使いたくありませんが、後者が理想を現実の物とするには、それ相応の努力が必要になります。
 そういえば、たった今、この場所にも、理想と現実が入り乱れていました。勝ち組負け組と言い換えてしまっても、この場合は許されるというか、正しいと思われます。
「お前を絶対に許さねえ……!」
 憤怒。
 感情がしとどに溢れ、ひりひりと焼きつくようなオーラが、はっきりと目に見えました。
 等々力氏は血涙だけではなく唇からも、噛みすぎたからでしょうか出血しており、異常事態を察知した周囲のクラスメイトは、怒りの権化となった彼となるべく距離をあけるように机を離しました。良い判断です。
「ま、待ってください等々力氏」
 と、言いはしたものの、このラスゴを抑える有効な言葉などある訳が無く、仮にあったとしても、それをこの場合において超勝ち組である自分がかけても、火にジェット機燃料を注ぐような物です。
「五十妻ぁ……あんな良いおっぱいと、いつ知り合ったんだてめえ……! 紹介しろ、つーか揉ませろ、つーか舐めさせろ……!」
 言葉の節々からプラズマが漏れ出しているようで、自分は思わず圧倒されて、先ほどまで邪険に扱っていた事も忘れて、何をされるか分からないという恐怖から、どんどん教室の端へと追い詰められていきました。
 思えば皮肉な物です。もしも昨日、等々力氏がその望月先輩なる人物のおっぱいを見つける事なく、3年生の所まで聞き込みに行っていなければ、ハル先輩は自分より先に等々力氏を発見したかもしれず、そのまま自分を等々力氏だと勘違いした流れは正しく展開し、今頃等々力氏はハル先輩のマシュマロおっぱいを学校を休んで1日中揉みしだいていたはずなのです。
 にも関わらずそうはならなかった。理想と現実。勝ち組と負け組。賢い変態とアホな変態の差。
 それが確かに、今この場所にありました。


 しかし意外にも自分は、等々力氏に暴力を振るわれる事も、性癖バトルを挑まれる事もなく、無事に着席する事が出来たのです。掴んだ胸倉を離す時、等々力氏はこう言いました。
「確かに……確かにあのおっぱいはすげえ。認めてやる。極上モノだ。だがな、俺は昨日見ちまったんだよ。俺が求め続けてきたおっぱいを。服の上からしか見てねえが、俺には分かる。さっきの女のおっぱいよりも、ソフィア先輩のおっぱいの方が上だ。間違いなくな」
 誰もが最低と思うであろう台詞を、死地に赴く兵士のように、悠々と、勇々と、訴えかけた等々力氏は、頭から湯気を発しながら、のしのしと自らの席に戻りました。
 等々力氏がそこまで言うおっぱいというのは、確かに1度見てみたくもありますが、とはいえ自分は彼のように特殊な眼力を持っている訳ではありません。服の上からではもちろん、昨日、生で見たハル先輩のおっぱいも、確かにボリューミーで、持ち主に良く似たかわいらしい乳首をしていて、まあきっと良い方なのだろう、程度に思っていたくらいでしたが、きっとその望月ソフィア先輩なる人物のおっぱいにも、自分はそう大して感動を覚えないであろう予感がありました。
 ハル先輩の生乳を見た際に不覚にもフル勃起していた事は、この際考えない事とします。
 性癖は人それぞれです。
「えーと、もういいですか? 五十妻君、等々力君」
 気づくと、上村だったか田丸だったか忘れましたがうちのクラスの担任が、教壇に立っていました。丁々発止の間にどうやらチャイムは鳴っていたらしく、クラスを埋めた生徒たちは、喧嘩を見守るやじうま兼、等々力氏のおっぱい賛歌を聞く聴衆にされていたようです。
 耳を澄ませば、こんな噂が聞こえてきました。
「あの五十妻ってやつも変態か?」「中学の時同じクラスだったけど、変な奴だったよ」「なんだよ同じクラスに2人も変態がいんのかよ」「キモーい」「しかし等々力って奴のおっぱい愛はやべえな」「ああ、尊敬するぜ」「おい誰だ今尊敬したやつ」
 ざわつく教室は次第に静まり、ようやく田所担任(か、あるいは水上担任)が口を開きました。それは「君達が静かになるのを待っていました」という態度でもなく、ただぼーっとしていた風でした。
「今日は、えーと、授業は4時間だけです。概ね時間割り通りですが、5、6時間目は無しで部活動説明会があります。生徒手帳にもありますが、清陽高校では基本的に何らかの部活動に入る事を推奨しています。どの部活にも入部しない場合は、その理由を書く紙があるので、言ってくれたら後で渡します。……何か質問あります?」
 それはちょっとだけ悪い知らせでした。自分は部活に入って自らが汗水垂らすくらいなら、家に帰って液晶の中で尿を垂らす少女を見る方が性に合っていますし、おそらくですが「美少女おもらし部」もこの学校には存在しませんでしょうから、どうやら少し面倒ですが、帰宅部届けを提出しなければならないようです。
「はい、無いですね。では1時間目の授業は現国なので、このまま授業に入りましょう。えーとまず、みんなもう覚えてくれてると思いますが、僕の名前は」


 あっという間に4時間目が終わり、昼休みになりました。松任屋担任の現代国語の後は、数学、公民、英語というラインナップで、目ぼしい教師は見当たらず、というより全員おっさんであり、浜岡担任を除いた3人のうち、3人ともがハゲ、2人がデブ、1人がチビというコンプレックスで麻雀の役が出来そうな面子が揃っており、「淫乱女教師の到着はまだか!」と心の中の劉備が声をあげました。
 そんな非情なる現実にうなだれつつ、とりあえず今日仲良くなった人と一緒に昼食をとろうと皆が席を移動する喧騒の中に、「来ちゃいましたです。えへへ」と舌を出したハル先輩が、自分の机の前に天孫降臨しました。
 またも強烈な視線を全身に感じましたが、それは既に朝からでしたので、少しは慣れてきました。むしろ見せびらかす意味を含めてクラスメイト全員の前で片乳揉んだろかい! くらいに思いましたが、それをするといよいよ本気で、東大寺南大門からはるばる金剛力士がやってきて肩パンされそうなので、どうにか堪えました。
 ハル先輩特製弁当を机に広げ、いつの間にか居なくなっていた後ろの席のくりちゃんの椅子を借りてそこにハル先輩を座らせて、高校生活で発生しうる日常イベントの中で最も有意義かつレアリティの高い「一緒にご飯」イベントを入学2日目にして消化しにかかりました。
「ところでハル先輩。先程友人から、この学校では『茶道部』が権力を握っていると聞いたのですが、本当ですか?」
「うーん……そうと言えば、そうなりますです」
 と、答えたハル先輩。どうやらあのおっぱい星人は、嘘をついていた訳ではないようです。
「ちょっとその意味が分からないんですが、詳しく教えてもらえますか?」
「はいです!」
 頼みを聞ける事自体を嬉しがっているように微笑を零すハル先輩。昨日の痴態からは想像も出来ない純真無垢な少女です。
 ハル先輩の話によると、そもそも清陽高校は、20年ほど前まで女子高だったらしいのです。今では男女比率5:5で、カリキュラムも一般的な普通制高校と何ら変わりありませんが、女子高時代はそこそこ偏差値も高く、いわゆるお嬢様と呼ばれる方々が通っていたそうなのです。
 茶道部はその頃からある歴史の長い部活で、部員は現在でも70名近くいるらしく、そして茶道部として卒業した先輩、いわゆる「OB」に、名のある方々が多いらしいのです。
 ハル先輩の鞄の隅にたまたま入っていた茶道部の部誌「むくげ」を見せてもらいましたが、そこにあった茶道部OBからのメッセージコーナーには、衆議院議員2名、参議院議員1名、隣県の知事、それからテレビをそんなに見ない自分でも聞いた事のある大女優や、知りませんが、おそらくはその道を極めているであろう家元的な人の名前が、書き連ねてありました。しかもその号に載っていたのはまだまだ極一部の人らしく、この人達全員が清陽高校茶道部出身だとすると、確かにそのコネクションから発生する権力は、一介の高校の校長よりも上であるように思われました。
「茶道部といっても茶道だけやる訳じゃないらしいです。礼儀作法? とか。なんかそういうのもやると友達が言ってましたです。入部するのにも条件がいるみたいで、規律も厳しくて退部させられちゃう人もいるって聞きましたです」
「ハル先輩は入らなかったのですか?」
「え? 私は、」
「楽しそうだな、え? おい」
 と会話を遮ってきたのは、やはりというか何というか等々力氏でした。


「あんた蕪野ハルって言うんだってな」
「は、はいです」
 等々力氏はにやにやと笑っていましたが、その仮面の下には今も燃え滾る怒りを隠しており、何をするのかと自分は、というか仮に初対面の人でも不安にさせるような何かがありました。
「蕪野先輩よぉ。こいつと付き合ってんのか?」
「え!? ええ!?」
 照れつつ驚くハル先輩。等々力氏に親指で指された自分は、どうしていいか分からず、ハル先輩特製の海苔を巻いた玉子焼き(絶品)を食べて口を塞ぎました。
「え、えと、も、もっくん。私達、付き合ってるんです?」
 そんな事聞かれても。と思い、また一口、今度はトマトのベーコン巻きを放ると、「ううぅ……」と助けを求める目で、ハル先輩が自分を見ていました。
 怒髪天を突くとはまさにこの事といった等々力氏。しかしどうやらその怒りを収める為の手段は、既に自らで用意していたようなのです。わざとらしく余裕たっぷりに、勝ち誇ったように、辻斬りがぬらりと妖刀を抜くように、こう言い放ちました。
「へっ。何も知らない蕪野先輩に良い事教えてやんよ。こいつ、五十妻はな、女の子がおもらしをしているのを見て喜ぶような最低のド変態なんだぜ……?」
「え? 知ってますですけど……」
「えっ」
 一瞬で素に戻った等々力氏は、自分の顔とハル先輩の顔を交互に見ていましたが、自分はいつもの仏頂面を決め込んで黙秘し、ハル先輩はおそらくですが昨日の行為を思い出して赤面していました。
「いやいやいや……え? いいの? え? こいつ変態だよ?」
「か、構いませんです!」
 天女。
 女性と付き合った事の無い自分が言っても、いまいち説得力が無いかもしれませんが、これは一般的な認識として、偏見のコレクションと揶揄される常識という言葉に照らし合わせても、男性の性癖をどこまで認められるかは、その女性の器の大きさに託されていると言っても間違いないでしょう。
 胸だけではなく心もおちょこなくりちゃんに比べて、ハル先輩の何と寛大な事か。その器たるや魯山人作か、はたまたルーシー・リー作か。おもらしという性癖を認め、受け入れてくれた女性は、三枝生徒会長に次いでハル先輩が実質2人目であり、しかも1人目はただ自らの恥ずかしい姿をとにかく人に見て欲しいだけですから、その希少性もひとしおをという物です。
「ば、馬鹿な……。変態でもいいというのか……!」
 わなわなと震える等々力氏は、額からカバのごとくピンク色の汗を流し、ドイツ軍人並にうろたえていました。
「そ、それなら、俺にも揉ませてくれよ、あんたのおっぱ」
「静かにぃ!」
 とまたまた会話は遮られました。クラス全員が声のした方に注目します。
 等々力氏の野望を打ち砕いたのは、突然教室に入ってきた5、6人の、「生徒会」という腕章をつけた方々。全員スポーツマン体系の屈強な男子で、近くにいるだけで妊娠させられそうな雰囲気がありました。
 その中の、ぴしっと制服を着こなした黒縁眼鏡の、比較的にインテリっぽい男が1人、教壇でお弁当を食べていた室伏担任をどかして、高らかにこう宣言しました。
「私が清陽高校生徒会長、桐谷だ。これより生徒会主催によるゲリラ部活動説明会を開催する! 全員速やかに体育館へ集まるように! 以上だ!」
 おそらく等々力氏が最後まで台詞を言えていれば、ハル先輩は喜んで揉ませたのではないかな、と自分は思いながら、重なる時には重なる不幸を想いつつ、クラスメイトの皆に倣って、弁当箱を片付け始めました。

       

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Neetsha