Neetel Inside ニートノベル
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 茶道部に入部して1ヶ月。先輩が何を考えているのかが良く分からなかった。
 先輩の周囲にはいつも誰かしらがいて、良く慕われているというのは十分に分かった。朝は茶道部の部員が何人かわざわざ遠回りしてまで迎えに来るし、学校に着いたら学年が違うので同じ階にすら居られない。昼休みに会いに行けば先輩の机にはいつも人だかりが出来ていて、先輩の方が私のクラスに来てくれる事も稀にあったが、その時には必ずお供がついていた。放課後、部活の時間になればもう絶望的。茶道部は上下関係に厳しく、礼儀作法の初心者である私は、先輩から直接指導を受けるレベルにすら達していなかったようで、部員も100名近くいるので接するチャンスはほぼ無い。2人きりになれる機会がそもそも少なかったのが、先輩が何を考えているのか分からなかった原因の1つだろう。
 その状況自体、不満ではあるけれど、先輩の人気自体には、納得せざるを得なかった。艶やかな藍色の入った短い黒髪の隙間から時折覗くうなじは、健康的な肌色をしている。少し黒目がちで大きな瞳をくるんと跳ねたまつげが強調して、前に立つ者を片っ端から魅了していく。リップクリームを使っている所を見た事がないのに、いつも潤っている唇は学校の七不思議に数えても良い。出来る事ならそのまま部屋に飾っておきたいと思っていたのは、きっと私だけではないはずだ。
 お美しい見た目もさる事ながら、やはり先輩の魅力はその性格にある。誰が相手でも物怖じせず、抜群のタイミングで冗談を飛ばし、いつも気配りが出来ていて、そして誰かが笑えば共に笑ってくれて、誰かが泣けば共に泣いてくれる。先輩の傍にいるだけで、妙な安心感がある。世界中が敵に回っても、先輩だけは味方でいてくれるような、何の根拠もないのに強烈な安心感だ。
 先輩が上等な人間だからこそ、皆が認め、愛してくれるのだと入部当初の私は思っていたが、しばらく経って、表には出ない理由もそこにはある事に気がついた。少しでも先輩と一緒にいようとしている人の中には、先輩の付加価値が目的の人も確かにいたのだ。
 ある日の部活中、華道の座学をしていた時、先輩が席を立ち、それに続いて何人かの部員も一緒に部室を出て行くと、2年生の先輩が私に声をかけてきた。
「ねえ、望月さんだっけ」
 その声の色からは、敵対心が見て取れた。身構えそうになったが、普通を装い、「何でしょう?」と尋ねる。それが逆にまずかったのかもしれない。
「あなた、日向部長に特別目をかけられているみたいだけど、自分から遠慮するって事を少しは覚えたらどうなのかしらね?」
「……どういう意味ですか?」
「どういう意味って……そのままの意味よ。茶道の腕が特別良い訳でもないのに、1年生でこっちの部室への入室を許可されているのはあなただけだし、それに、朝は毎日一緒みたいだし……はっきり言って迷惑なのよね。1年生の癖に場を弁えない人って」
 今なら、こういうタイプを相手にする時は適当に頷いて聞き流した方が得なのだと知っているけれど、その時の私は反論せずにはいられなかった。
「お言葉ですが先輩。1年生の部室からこっちの部室に移るように言われたのは日向先輩ですし、朝一緒なのは家が割りと近いからで、それ以外に理由はありません。そもそも、1年生が3年生と仲良くなっちゃいけない決まりでもあるんですか?」
 私だって、もっと先輩と喋りたいというのに。と付け足してしまいそうになったが、寸での所で我慢した。それにしても、2年生の先輩の答えはその時の私からしてみれば意外な物だった。
「当たり前でしょう。次期部長を決める権利は現部長にあるのだから。いくらあなたが日向部長のお気に入りでも、2年生を追い抜かしていい道理はないわ」


 次期部長を決める権利。
 先輩が人気である裏の理由を知った私は、それと同時に、私が先輩を地位の為に利用していると思われていたという事実に耐え切れなくなった。勢い良く席から立つ。注目が集まる。
「私は……!」
 そんな目的で入部したのではない。とでも、続けようと思ったのだろうか。
 確かに先輩と知り合ったきっかけは偶然だったし、手伝いをしたのも下心があったからではない。だけれど、そもそもこの高校に入学した事の背景には、茶道部のコネを成功の礎にしたかったからという明確な欲望があり、仮に先輩から誘われなかったとしても、私は茶道部に入部していただろう。
 先輩という人間の魅力に気づいて、自分までもが正しい光の中にいるかのような錯覚をしていたのは紛れもなく私であり、それは言い訳不能な傲慢さだった。
「私は……」
 言い淀む私を見て、それを見ていた他の部員からの、フォローの形を借りた追撃が加わる。
「気持ちは分からなくはないけれど、言いすぎよ。望月さん困ってるじゃない」
「2人とも落ち着いて。1年生だからって、差別するのは良くないわ」
「そうね。望月さんではなく日向さんに言うべき事よ」
 針のむしろに座る気分とは、まさにこの事を指すのだろう。私の事を快く思わない人が、話しかけてきた先輩以外にも確かに居るという当然の事に、私はそれまで気づかなかったのだ。優しく、当たり障りの無いように、正義を気取りながら、自分は言いたいけれど相手は言ってほしくないであろう事を嬉々として言う方々に対し、私は、キレた。
「成功する為に最短の道を選ぶ事の、何がいけないんですか?」
 目を点にする聴衆に向かって、私は更に続ける。
「何も持っていない人が成功するには、コネが必要じゃないですか。茶道部に入ればそれが手に入ると思ったから入ったんです。部長に気に入られれば次の部長になれる事はたった今知りましたけど、それならもっと日向先輩に取り入るべきですね。明日からそうします。ご指摘ありがとう……ございました」
 言葉尻が擦れて消えそうになったのを誤魔化す為に、私は身を翻し、そのまま部室を出て行こうとした。
「どこへ行くの?」
 私の退路を絶ったのは、先輩だった。ハンカチで手を拭きながら、状況を飲み込めていないお供を連れて、いつもと変わらない笑顔を使って、私を責めた。
「今日は帰ります」
 かろうじて搾り出した言葉に、先輩は首を振る。
「だめ。ほら、隣に座って。これは先輩命令よ」
 思えば、私は先輩のこういう所にやられたのだ。
 私が先輩を慕う事で、先輩に迷惑がかかるのなら、私は自分から皆に嫌われてやろうと思った。そうすれば、先輩は悪くなくて、私1人が悪者になれる。その為なら、先輩に嫌われてしまう事も怖くないと言ったら嘘になるけれど、何も知らない1年生の私に出来る事はそれくらいしかなかった。
 そんな私の浅はかな考えなど、先輩からしてみれば簡単にお見通しだった。
 命令と言われれば従うしかない。隣に座った私に先輩は何も言わず、それから部活が終わるまで、私と先輩に話しかけてくる人は誰もいなかった。
 結局の所、私は先輩と出会って、それまで持っていた価値観が、いかに意味の無い事であるかを気づかされたという事になる。私が手に入れたかった成功とやらは、所詮「こうあるべき」と知らない誰かに植えつけられた、目指すのにちょうど良いだけの目標でしかなかったという訳だ。
 それに気づくと、楽な気分で毎日を過ごせるようになった。先輩の人気は相変わらずだったが、嫉妬なんてしなくて済む。先輩が教えてくれた事を思い出す時、先輩は、確かに私だけの先輩だった。
 そんなある日、先輩から電話がきた。


「土曜日に会うのは不思議な感じがするね」
 私服姿の先輩に見とれている私は、出会った日以来、初めて2人きりになれた事に浮かれている事を悟られぬように気をつけたつもりだったが、どうやら無駄な努力だったようだ。
「おやおや、初めてのデートに緊張してるようだねえ」
 からかってくる時の先輩は、私より2つ年上な事を忘れるくらい子供っぽい。
 私はあえてそっけなく答える。
「女2人ではデートとは言わないんじゃないですか」
「そうなの? でも、私がデートだと言ったらそれはデートでしょ」
 そうかもしれない。と思わせるのが先輩の凄い所だ。
「さて、どこへ行こうかね~」
「え、決めてないんですか?」
「そりゃそうよ。どこに行きたいかソフィに聞いて、どこでも行けるようにこうして駅を待ち合わせ場所にしたんじゃない」
 私は必死に反論する。
「昨日電話してくれた時に『どこへ行くんですか?』って尋ねたら、先輩『当日のお楽しみ』って言って、結局教えてくれなかったじゃないですか」
「間違ってはいないでしょ。これからどこへ行くのかを2人で決めるのも、お楽しみの内の1つ」
 理屈は通じない。先輩には先輩の正義があって、それはきっとテコでも揺るがないのだ。
「とりあえず、街にでも繰り出しましょうか」
 そう言った先輩が、手の平を上にして、それを私の前にすっと差し出す。
 私は先輩の顔を見て、その笑顔の本当の怖さを知る。
「えっと、この手は……どういう意味ですか?」
「こういう意味に決まってるでしょ!」
 瞬く間、私の右手は先輩の魔の手に掴まってしまった。
「せ、先輩!」
「デートなんだから手を繋がなくちゃね」
 握った指を解かれると、先輩の体温が伝わってきた。指を指の間に絡ませる恋人繋ぎを、何の躊躇も無くしてのけた先輩は、きっと男に生まれていたのならとんでもない女たらしになっていたに違いない。女として生まれた先輩に落とされた私がこう言うのだから、そこそこ説得力はあるだろう。
「せ、先輩はいつも他の女の子にこういう事をしているんですか?」
 それは自分の恥ずかしさを紛らわす為に投げかけた質問だったけれど、むしろ火に油を注ぐ事になってしまった。
「全然? あたしから手を繋いだのは……ソフィが初めて。見て分からない? ちょっと顔が赤くなってるんだけどな」
「わ、分からないですよ」
 私はちょっぴり嘘をついた。本当はただ、先輩の顔を直視出来なかっただけだ。
 映画を観に行き、ショッピングを楽しみ、初めてのデートはつつがなく終了した。
「いやー今日は楽しかったねえ」
「う……はい」
 精一杯気丈を装って答えたが、先輩がクレーンゲームで取ってくれた大きなペンギンのぬいぐるみを抱きしめたままでは、それも無駄なあがきだったかもしれない。
 2人きりだと、いつもの帰り道も違って見える。
「ところでソフィ、明日、暇?」
「予定はないですけど……」
「それじゃあ、明日も今日と同じ時間に、今日と同じ駅で待ち合わせね」
「え!? 2日連続でデートですか?」
「うーん……デートとは、少し違うかな」
 私はその言葉の意味が汲めずに、先輩の顔色を伺う。少し考えている様子というよりは、前に1度だけ見た、男子に告白されて困りながらも断っている時の表情に似ている。
 どうしたらいつもみたいに笑ってくれるのだろう。と真剣に考える私に、先輩は容赦なく不意打ちをしかけた。
「ソフィ。前にも言った通り、あたしはあなたが好き」
 火をつけられたみたいに真っ赤になる私。
「これが一目惚れって奴なのかしらね。いつも、ソフィの事ばかり考えている」
 心臓が、派手な音をたてているのを先輩に聞かれないように、胸を手で覆う。
 先輩が何を考えているのかがついに分かったというのに、私はもっと不安な気持ちになった。私も、いつも先輩の事を、と言いかけたその衝動の正体が、一体何なのかが分からなかったのだ。例え女同士であっても、デートをデートと呼んでもいいのは、先輩が教えてくれた。それなら、女同士でも、恋愛は恋愛と呼んでいいのだろうか。
 うろたえる私の肩を掴み、抱き寄せ、先輩は耳元で呟く。
「これは命令じゃなくて、お願い」
 あの瞬間は、今でも鮮明に思い出せる。
「ソフィ。明日、ある場所で、あたしと『して』欲しいの」

       

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