Neetel Inside ニートノベル
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 着衣したのとほぼ同時、測った様に現れた男は、最後までその顔を見せなかった。
 私と先輩はすぐにその見慣れない形の影に気づき、2人並んで座る。不思議と緊張はなかった。おそらく、先輩がしていなかったからだと思う。
「日向君、望月君、まずはこんな形で話をする事を許してくれ。なにぶん私は追われる身でね。顔を晒す訳にはいかないのだ」
 声の感じから判断するに、30代の前半くらいだろうか。濁りのある渋めの声なのに、滑舌が良く聞き取りやすい。こんな風な例えは逆に分かりにくいかもしれないが、外国の大聖堂なんかに飾り付けられたガーゴイルの石像が、もしも喋り出したらちょうどこんな風だろうな、と想像した。
「望月君とは初めまして。日向君とは、1年ぶりだ」
「そうですね」
 先輩は、毛嫌いする男性教師に向かって言うみたいに素っ気無く呟いた。私は声を潜めて、布幕に映る人影を見つめる。体格的な特徴といえば、ちょっと背が高いかな、というくらいだが、遠近感のいまいち掴めない影ではそれも定かではない。
「日向君、この1年間の戦果はどうだ?」
「あなたに言う必要性はないと思いますが」
「そうだな。だが、望月君には知らせておくべきだ」
「……ソフィへのHVDO能力継承の為の1勝以外は、誰とも戦ってませんね」
 は、は、は、と短く途切れるような、聞いた事のない独特な笑い声が返ってきた。先輩は表情を変えない。
「ちょうど1年前、日向君が自分で宣言した通りになった」
「あたし、何か言いましたっけ?」
 知っていて、わざととぼけている。これだけ一緒にいればそのくらいは分かる。
「ああ、確かに言った。『HVDO能力は先輩から確かにもらいましたし、約束は守りますけど、わざわざあなたに協力はしませんよ』とね。一字一句間違っていない。その時、君の位置には君の先輩が座っていて、君は望月君の位置に座っていた」
「はあ、そうでしたか」
 やる気のない声。学校で、いくら嫌いな先生が相手でもこんな態度の先輩は見た事がない。
「まあ、それでもいい。HVDOの事も公になっていないし、きちんと後継者も連れてきてくれた。君は約束を守ったという事だ」
 男のシルエットは向こう側にある椅子に座り、肘をつく。
「さて、望月君。君の事は何でも知っている。まず、凄まじいまでのテクニシャンだ」
 初対面で一番最初にぶつける言葉にしてはいかんせん下衆すぎる。どうやら私も、先輩同様にこの男を好きになれそうにないな、と早速だが判断したのは今でも間違っていないと思う。
「気を悪くしたならすまない。だが、望月君が日向君と違って私に協力してくれるなら、そのテクニックは非常に役に立つ。協力をしてくれるならば、こちらも君の活動に対して最大限の力を貸そう。ギブアンドテイクというやつさ」
 嫌な奴だ。という直感性バイアスを仮に先輩と共有していなかったとしても、この物言いにはカチンと来た。
「名前も知らない相手とギブアンドテイクも何も無いと思いますけど。あなたは私の事を知ってると言いましたが、私はあいにくあなたの事など何も存じませんので」
 というような事を、いざ口に出して言おうとしたその瞬間、男はまた例の、は、は、は、という奇妙な笑い声をあげて、私に沈黙を与えた。
「失礼した。先ほども言ったように、私は追われる身でね。申し訳ないが、本名を教える事は出来ないのだよ。だから仮名というか、通り名、いや、この場合は代名詞かな。それで良ければ自己紹介しよう」
 やり取りに不自然さを感じながらも、私は肯定の無言を返す。
「初めまして。私は、『崇拝者』だ」
 組織の長が何らかの崇拝者である事自体は、そう珍しい事ではない。教皇はキリストと神を崇拝しているし、ロイヤルネイビーの司令官は女王を崇拝している。問題は、超能力にまで目覚めた変態を組織し、その頂点に立つ男が、いったい何を崇拝しているのか、という点だ。
「まあ、気になる所だろう」
 男が呟く。断じて、私は一切の思考を口に出してはいない。男は焦る私を気にせずに、当たり前の事のように言う。
「私は『処女崇拝者』だ」


 
 この男、心が読めるのか?
 という疑問がまずは浮かんだ。HVDOという組織のボスなら、先輩と同じような超能力は使えて当然と見るべきだろう。「テレパシー」小説や漫画など、一般的な創作物などに登場する超能力としては、わざわざ今更説明の必要もないほどにポピュラーな能力だ。
 しかし心が読める人間と実際に対峙するというのは非常に厄介な事だ。現在進行形でしている、この思考自体も丸ごと読まれてしまう事になる。
「いや、私は君の心を読んでいる訳ではない」
 まただ。こちらは何も言っていない。男が勝手に私に考えに返事をしている。
 咄嗟に私は無心を心がける。何も考えないという事を意図的にやるのは難しいが、試みる。
「無駄だよ。今言った通り、心を読んでいる訳ではない。私は望月君の、『全て』を読んでいるんだ」
「全て……?」
「そう。全てだ。この能力を、私は『アカシック中古レコード』と名づけた。対象者は非処女全員。読める範囲は、その人物の処女喪失後に体験した全ての過去から、これから体験する未来全てだ」
 馬鹿な。いや、訂正しよう。……馬鹿だ。
 私は沈黙を守り、心の空虚に挑むが、この状況において思考は止める事は不可能に近い。男は私の努力をあざけり笑うように、気に留める様子もなく続ける。
「しかし望月君は珍しい方かもしれないな。いい歳した男が、「処女にしか興味が無い」などと口にすれば、気持ち悪がられるのが当然なんだが、君は驚くほど全く気にしていない」
 それはそうだ。だって、
「さっきまで君自身が処女だったからな。惜しい事をした」
 どういう、
「意味かって? 少し考えれば分かるだろう。私は生粋の処女崇拝者なんだ。処女を失った今の君に対してはまるで興味が湧かないが、処女だった時の君はそれなりに魅力的だった」
 この、
「男は気持ちが悪い。そう、それでいい。処女に固執する男など、非処女からすれば煙たがられて当然だ。いや、同じ男から見ても気色悪い存在かもしれないな。しかしこれが私の性癖なのだから仕方が無い。処女以外には、心底興味が無いんだ」
 全て私の思考を先読みして喋られている。ならば、
「こうして会話する必要すらないだろう。と、君は思う。それがあるんだよ。君が喋る必要はないが、私は君に伝えておかなければならない事がいくつかある。さっきも言った通り、私は君の未来が全て読める。君が何に笑って何に泣くか、いつ跳ねるのか、いつ転ぶのか、どこへ行くのか、誰と出会うのか、そしていつ、どこで、どうやって死ぬのか」
 全身に寒気が走る。この男の言葉が本当ならば、心を読まれているよりもこの能力は遥かにタチが悪い。「アカシック中古レコード」出来の悪い冗談にしか聞こえないが、その性質は極悪だ。
「そこで君に宣告しよう。君は今から1年2ヶ月と5日後に、ある男に敗北をする。それが誰かは、あえて今は伏せておこうか。しかしそれは意味のある敗北だ。少なくとも、私にとっては」
 信じられる訳がない。だが、私が信じられる訳がないという事も、この男は見越して語りかけているというのが分かる。どうやら男の説明した能力は本物のようだ。と、つまりは信じざるを得ない。
「次に君が気になるのは、私の能力についてだ」
 これは単純で素朴な疑問だ。女の子なのに女の子が好きな先輩は百合の能力。では何故、処女を崇拝するこの男には、「非処女の全てを見通す能力」があるのだろうか? これは実に不自然な事だ。
「ところが、それが最も自然な事なのだよ。説明しても、結局君は理解してくれないが、とりあえず疑問を解消する為に、私は答えなければならない。
 要するに、処女信仰とは『時間』の崇拝だ。処女を犯すという事は即ち、処女が処女であった時間を支配したという事に他ならない。重要なのは手術でどうとでもなる膜などではない。生まれてから、処女を失うまでの時間。経験。成長。この精神は誰にも、私にも不可侵領域なのだ。しかし非処女という存在は、誰かに犯された事により内在する時間を開放した。開放された時間を見る事など、私にとっては実に容易い。誰よりも時間という概念に敬意を示す私だからこそ、処女を奪う事にこの上ない価値を見出している。だからこそ非処女の運命を愚弄し、何の遠慮もなく踏みにじる事も出来るという訳だ」
 男の言った通り、理解は出来ない。だがこの男の処女崇拝が、極度の潔癖症や占有欲をこじらせた物から来ている訳ではない事は十分に分かった。本物だ。本物の変態だ。
「その通り。私は本物の変態だ。そして本物の処女崇拝者だ。他の男に貞操を捧げた女に触れたくないだとか、自分が物にした女を誰かに取られたくないだとか、そういった不敬な覚悟で処女を崇拝している訳ではない。事実、私には妻も子供もいる。が、妻は処女の時に1度犯しただけだし、子供もその時に孕ませた。私はそれ以来妻に触れておらず、子供の顔も見ていない。『追われる立場』というのは、妻に追われているという意味だ」
 この男は狂っている。私の率直な感想に、男は答える。
「結構。まともよりはいくらか楽しい」


 処女崇拝者を名乗るこの男の能力は、おそらく無敵だ。少なくとも、私はあらゆる手段において勝てないだろう。私は先輩に処女を捧げた事により、全ての行動を読まれる、いわば男の手の平に落ちたという事になる。
 しかし私は先輩を悪いとは思っていない。先輩の私への愛は、私の先輩への愛と同様に本物であるし、また、かつて先輩を抱いた人の愛も同じく本物だったのだろう。清陽高校茶道部を守り続ける事がこの愛の証明であり、私ならばこの試練に耐えられるはずだと先輩は期待してくれている。HVDOがどの程度の規模なのかは知らないが、私は私にとって大切な物を見誤ってはいけない。必要ならば、例え焼かれると分かっていても、炎の中に身を投じなくてはならない時もあるという事だ。
「読めるのは非処女だけで、男の運命は読めないのか?」
「いや、男も女と同様、非童貞の運命は読む事が出来る。だが童貞の運命は読めない。もちろん、読みたいとも思わないし、誰かの童貞を奪いたいと思った事も1度もないが。それから、私自身の運命はどうやら読めないようだ。例え狂っていても、自分の運命を全て知ってまで生きていられる程ではないという事かもしれないな」
 会話を始めてまだ数分しか経っていなかったが、この男を野放しにしておく事は正義に反する事だという考えはあった。妻さえ非処女になったから捨てたと言うこの男には、女性を愛する気持ちなど欠片も無い。興味があるのは処女だけで、自分自身で犯した相手も行為が終われば簡単に廃棄出来る。そんな人間は完全なる異常者であり、悪に他ならない。
 しかし運命を読まれる私ではこの男をどうにかする事は出来ない。男を止める事が出来るとするならば、それはおそらく……。
「その通り。私には童貞と処女の未来は決して読めない。開放されていない時間を見る事は出来ないし、それに運命は常に一定ではない。非処女非童貞の運命に変更があれば、私はすぐ様それに気づき対応出来るが、童貞と処女に関してはこの限りではない。だからもし、私が倒され、組織が壊滅する事があるならば、それは童貞か処女の手による物だろう」
 運命が変わる感覚。それは男にとってみれば日常的に感じる物なのかもしれないが、私のような一般人から見れば想像もつかない感覚だ。おそらく言葉で説明されても理解は出来ないだろう。
 それより、気になる事がある。
「組織の目的は、何だ?」
 私が実際に質問するまで男は待った。その方が、私が注意深く聞くだろうと読んでいる。実際に私は今、男の言葉に全神経を集中している。
 男は、すぅと息を飲み込んで、厳かに吐き出した。
「究極の変態処女を開発する事だ」
 Hentai Virgin Development Organization.
「頭文字をとって、HVDOと名づけた」


 その後、崇拝者は性癖バトルについての説明をした。カミングアウトと興奮度の表示。バトルに勝利すれば新たな能力。負ければ一定期間の性的不能と能力の喪失。ただし再戦の利点は敗北者のリベンジのみ。そして9回連続勝利による10個目の能力は、世界を変える力。
 到底簡単に信じられる話ではなかったが、崇拝者は、私の思考だけではなく、座った体勢を変えるタイミングや、隣で黙っている先輩の考えまで言い当てた。例外なく、非処女は崇拝者に勝てないと何度も刻み付けられ、しかもこの能力ですらも男の全力の一部でしかない事に絶望させられた。
「……この変態能力自体も、崇拝者、あなたが作ったのか?」と、私は問う。
「いや、それは違う。世の中には、自力で目覚めた『天然の能力者』というのがいる。『天然』はバトルに勝利を収めなくても、その性的趣向を一定まで深めた時に新しい能力を得る事が出来る。かくいう私も元々はその1人で、『HVDO』という組織自体が、私の『世界改変態』により作られた代物なのだ。つまり、性癖バトル、新能力の付与、その他の細かいルールを取り決め、そして新たな変態を探し出し、能力に目覚めるきっかけを提供していくのが組織の主な活動という事だ」
 何故そんな事を?
「先程も言った、HVDOの究極目的である変態処女開発は、私の人生の目的と言い換えてもいい。処女にも関わらず『変態』である。この矛盾を備えた最強の少女を我が物にする為ならば、私は何でもするし、現にこれまでもしてきた」
 確かに、変態能力者同士でバトルが行われる時、そこには「被害者」が存在するはずだ。不幸にも、何度も巻き込まれる事になる少女もいるだろう。結局、崇拝者の目的は、変態性癖を持った者同士を、新能力を餌に戦わせ続け、最終的にその被害者の処女を手に入れる事だという事になる。
 繰り返そう。この男は狂っている。
 だが、崇拝者の語る「理想の変態処女」に魅力を感じ始めている私がいた事も、紛れも無い事実だった。そして崇拝者がここまで私に真実を語ったのは、そんな私を知っていたからに他ならない。私の体験する時間は全て記録され、処女を失った時点から崇拝者に全てを読まれている。私に何を伝えれば、どう判断してどう行動するかを分かって提供する情報を選んでいるのだ。
「望月君。君をHVDOの幹部に任命しよう。私の為に究極の処女を育てあげてくれ。君も知っての通り、百合の第1能力は処女を保護するのに非常に有効な手段だからな」
 崇拝者は私にそう依頼した。そしてついでとばかりに、私がバトルで勝利した時に得られる能力と、必ず勝てる対戦相手も教えていった。
 私のHVDO能力「月咲」。第1能力は、意中の相手の性器に百合を咲かせ、相思相愛なら私にも百合が咲く。第2能力は咲いた百合を使った擬似セックス。これを行うと能力を相手に譲り渡す事が出来る。第3能力は誘惑能力。相手が私に対して抱いた疑問を魅力に変換する。第4能力は装着した双頭ディルドへの感覚付与。第5能力は女子のみが通る事の出来る壁の召還。第6能力は壁に触れた男に対して通行許可を出す代わりに、私自身の記憶の追体験を強要する。第7能力は触れた女子が意中の男子に接触する事を禁じる能力。そして第8能力、第9能力は、私に新たな可能性を示し、野望を抱かせた。当然、崇拝者もそれを知ったが、何も言わなかった所を見るに私の策略はいずれどこかで破綻する予定なのだろう。
 しかし確率は0ではない。
 どうやら私は、運命と戦う運命にあるようだ。

       

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