Neetel Inside ニートノベル
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 最終局面。
 普段はどのようなピンチの中にも、張り詰めた緊張感と併せて、隙あらば美少女のおもらしを拝み、明日を生きる糧としようという下心を持つ自分ですが、今この時、この場所においては、「マジ」にならなくてはならないようです。
 正直に告白すれば、自分は見誤っていました。望月先輩の記憶に触れ、ハル先輩に対する想いを知ってもなお、俗っぽい言い方をすれば「舐めていた」。記憶とはあくまでも脳に蓄積された電気信号の集まりでしかなく、どうやらいわゆる「心」とやらはブラックボックスの中にはなかったようなのです。
「もう1度、考え直してください」
 風がこんなにも怖い物だと思ったことは、今の今までありませんでした。空に近い瓦の上、しゃちほこにしがみつき、反対側に悠然と立った望月先輩に対して言葉を投げかけました。
「もう生きてはいけないのだ。分かってくれ」
 望月先輩の口調は驚くほどしっかりとしていて、心が弱いフリをする人がよく口にする「死にたい」とはまったく逆の意味の、言わば本当の意味での「死にたさ」を主張していました。自分は声を張り上げます。
「たった1回おもらしを見られたくらいで死んでいたら、くりちゃんは一体何度死ななきゃいけないんですか!」
 梯子の下には春木氏達が待機しています。一度に何人も屋根に上ると、そのまま集団自殺に発展する可能性があり危険なので、自分が代表して望月先輩の説得役を買ってでました。やや人選に不安を覚える方もいらっしゃるでしょうが、こればかりは消去法です。春木氏は望月先輩を追い込んだ張本人であるので却下ですし、ハル先輩本人が先頭に立つのはリスクが高すぎ、くりちゃんに至っては偽も本物も論外なので、適任者は自分しかいませんでした。
「望月先輩、とにかく一旦中に戻りましょう。もう1度冷静に話し合いをしましょう!」
 今までになく真剣に、懸命に叫びましたが、望月先輩は横顔は何かを悟っており、今にも風に流されてしまいそうな身体を崖っぷちに立たせています。
「全ては終わったんだ。五十妻、下を見てみろ」
 自分は言われたとおり、そろりそろりと顔を出し、見下ろしました。
 すると、そこにあったのは立派な城ではなく、所々が剥がれ落ち、黒く虚無に満ちた空間に変わっていく「滅び」でした。聳え立った城壁が崩れ、迎撃に使われた大砲も消滅し、あるいは階ごと暗闇に飲み込まれ、見るも無残な有様に自分は動揺を隠せませんでした。
「これは……」
「私の性癖が無くなりかけているという事だろう」
 興味なさそうに呟く望月先輩に、自分は尋ねます。
「おもらしを見られる事は、そんなにも耐えられない事ですか?」


「私が問題にしているのはそこではない」望月先輩は1つため息をついて続けます。「ハルから3Pの提案があった時、私はそれを受け入れようとしてしまった。放尿直後で心神喪失状態だったとはいえ、これは許されない事だ」
「何故、ですか?」
「お前は既に知っているだろうが、私のHVDO能力は先輩から受け継いだ物だ。そして私の使命は、先輩達が守ってきた茶道部を守りぬく事。……だが、もうすぐその歴史も終わる。清陽高校は合併されて無くなるからな」
 三枝生徒会長は、頼りになると同時に多大なる影響を及ぼす人です。それが良い時もあれば悪い時もある。当たり前の事ですが、気づいていなかった事でした。
「翠郷高校に合併された後も、茶道部を続ける事は出来ないのですか?」
「出来なくはない。だが、それは私が先輩から受け継いだ茶道部ではない。例の伝統はOBの方々を満足させる為だけに続くだろうがな」
 皮肉っぽく乾いた笑みを見せる望月先輩は、何も無い空間の一点を見つめていました。
「ならばいっそ私が終わらせようと思った。崇拝者を倒し、HVDOを潰し、全ての流れを断ち切る。それだけが、私が先輩に出来る唯一の恩返しだと思った。……だが、私は私が思っているよりも浅はかな人間だった」
 先ほどの場面を思い出しました。ハル先輩の提案に揺らぐ望月先輩。自分にとっては嬉しい誤算でしかありませんでしたが、望月先輩にとっては、許されざる逡巡だったのかもしれません。個人個人の心的姿勢について、他人がとやかく言う事は、自分も良しとはしませんが、これだけは言わせていただきました。
「ですから、そんな事を言っていたらくりちゃんはどうなると言うのです。簡単に寝返り、勝手に罠にかかって、おしっこを撒き散らしながら堂々と生きている女子だって実際にいるのですから、望月先輩は全くもって浅はかなどではありません」
 我ながら、渾身の説得でした。くりちゃんの生き様を見て、「自分の方がマシだ」と思わない人間はいませんし、こういう場合、自分よりも低い存在を見て安心を得るという行為は何も恥ずかしくはないと自分は思います。とにかく、死んでしまったらそこで終わりなのですから。
「ふふ」
 和みのある笑い声。
 光明を見つけた気がして、自分も心を緩めます。
 望月先輩はこちらを向き、冷ややかな赤い質問を放ちます。
「しかし五十妻、君はそんな木下が好きなのだろう?」
 恥。
 この状況においてもなお、望月先輩は自分よりも1枚上手なのでした。思い直すように説得しよう、という心構え自体がまず間違っており、自分は思い上がっていたのです。
「私はハルを好きになりすぎた。自分自身を見失うほどにな」
 望月先輩は再び自分に背を向け、この百合城、いえ清陽高校の校舎から地面を見下ろすと、何かを覚悟し、わざとらしい嘘をつくように、例の口調で、台詞を読み上げるように言います。
「明日には知らない誰かに壊されるような砂山だった。銀のスプーンに乗った甘くて暖かいミルクだった。私のしていた事は、『足りない部分』を『足りない物』で埋める事だった。君に、気づかされたよ」
 望月先輩は全てを許されたような表情で両手を大きく広げると、深く天を仰ぎました。力がふわりと抜けていき、彼女自身が創ったこの城の頂上から、その美しくも豊満な肢体を投げたのです。


 望月先輩の身体が、一瞬だけ宙に浮かび、そして落ちていく刹那、声が聞こえました。
『お前は、変態ではなかったのか?』
 目の前の空間が急に色を失い、頭の中に響く声だけがやけにはっきりと聞こえ、身動きはとれず、また、声をあげる事も出来ません。
 自分が聞いたその声は、以前、自分がHVDO能力に目覚めた次の日、等々力氏との初めての性癖バトルに聞いた時のその声とよく似ていました。いえ、そのままと言った方が正しいかもしれません。自分はあの時、声の主は他ならぬ自分自身であり、「理想の変態像」がそう尋ねているのであると解釈しましたが、今回のはそういった「心の声」とは明らかに違う雰囲気を感じます。
「目の前で、美しい女子が1人命を捨てようとしているというのに、お前はそれで平気なのか?」
 声は尋ねます。よく聞けば、自分のとは似ても似つかぬ、そこそこ年をくった大人の男の声です。しかしそれが以前に聞いた声であったと言われればそうであるような、奇妙に落ち着きのある、しかし紛れも無く変態の声です。
「今更だが、自己紹介をしておこう。私は『崇拝者』。既にお前は知っていると思うが、HVDOという組織を統括している」
 自分は目を見開き、望月先輩がいた空間を凝視します。
「望月ソフィアがこうなる事は、私の能力『アカシック中古レコード』で既に知っていた。こうしてお前に語りかけているのは、私の別の能力によるものだ。処女崇拝者は童貞と心を通わせる事が出来るからな」
 凄まじい理屈ですが、あながち分からなくもありません。しかし、予知していたというのならば、何故……。
「望月ソフィアを助けたいか?」
 自分は心の中で、即座に肯定を返します。
「ならば、取引だ。今も言ったように、私は望月ソフィアがこうなる事を知っていた。よって、助ける手段は既に用意してある。しかし望月ソフィアは自らの意思でこの選択をしたのだから、私に助ける義務はない。が、お前がどうしても助けたいと言うのならば、助けてやらん事もない。条件はあるが……」
 そして自分に突きつけられた要求は、残酷な物でした。
「蕪野ハルの処女を私によこせ」
 自分が貰い受ける約束をしたハル先輩の処女。それは巨万の富に匹敵する価値のある物です。
「蕪野ハルの意思は関係ない。お前が蕪野ハルと交わした約束を、私に譲ると宣言するだけでいい。それだけで私の別の能力の発動条件は満たされ、和姦が成立する」
 どうやら冗談ではないようです。崇拝者は、例の能力によってこの場面をあらかじめ見越していた。そしてこの取引を持ちかけ、ハル先輩の処女を横から掻っ攫っていくつもりだった。望月先輩も、自分も、手のひらで踊らされていたという訳です。
「さあ、選べ。望月ソフィアの命か、蕪野ハルの処女か。選択権はお前にある」
 迷いはありませんでした。

       

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