Neetel Inside ニートノベル
表紙

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 俺の罪が、到底許される事ではない事は知っている。しかし俺も人間、生物、意思を持ったたんぱく質であるからして、この肉体を、今ここにある俺という確かな意識の支配下で存続させたいという欲があるのも仕方のない事だ。
 一通り思い出に浸り、自分の行いを懺悔し、壁に向かって100回土下座した後、俺はこの空間からの脱出方法について真剣に考える。
 まず、この空間の不可思議な所は、先にも述べたとおり、痛み痒みなどの完全なる俺の主観さえも見事に取り払われている事にある。
 食欲や空腹感、催す事がないというのは、俺が寝ている内にその手の薬物を投与されていると考えれば、まあかろうじて納得がいく。が、いくらつねっても痛みが無い事とか、歯を自分で折ろうとしても堅すぎて折れないだとかは、既に超常現象に分類されるように思われる。
 壁に向かって頭をガンガン打ち付けたり、今まで出した事もない大声を出して狂ったり、およそSAW的な事は初日にもうほとんど済ませたが、流血したり喉が枯れたりする事は1度も無かった。身体は思い通りに動かせるが、それに伴う影響が完璧に排除されてしまっている。まるで俺の肉体を、厚さが1mm以下の保護膜で隙間なく覆われているかのように、俺は「保存」されている。こんな物はオカルトとしか言いようが無い。
 これに納得がいく説明をつけるには、例えば柚之原知恵は実はとんでもなく巧みな催眠術師で、俺は既にその術中にはまり、思いこみの力によってこの苦役を強いられてるだとか、あるいは柚之原知恵は実は宇宙の遙か彼方からきたエイリアンで、人間には到底知る由もない技術によって、この部屋は作られているだとか、その程度のアイデアしか浮かばない。
 もしくは、柚之原知恵は超能力者で……。
 いずれにせよ、凡人の俺には到底、力の及ばぬ存在である事は伺い知れた。この空間を用意する事、そしてこの空間に俺自身が気づかぬ間に俺を入れる事。どちらも人間業ではない。
 お嬢様は、この柚之原の未知なる能力には既にお気づきになられているのだろうか。気づいていて、なおかつ俺のした事に対して激怒されており、柚之原に命令してこのような罰を与えたというのならば、俺は納得した上で、何の心残りも無く廃人になれる。しかし、もしもこの罰がお嬢様の預かり知らぬ所で執行されており、柚之原の独断によって俺がこんな目にあっているのだとしたら……いや、そもそもお嬢様が変態になってしまわれた事にも、柚之原が深く関わっているのだとしたら、俺はここで正気を失う訳にはいかない。時機を待ち、ここを脱出し、柚之原に対して制裁を加えなければ、死んでも死にきれない。
 ああ。
 それでも。
 ああ。
 この目でもう1度、お嬢様の顔が見たい。
 ――俺の唯一にして儚い願いは、何の前触れもなく突然に叶えられる事になる。神か、それともただの変態か。とにかく俺は、五十妻というとんでもない男のおかげで、現実への帰還を果たす事となった。


 第一話「贖罪が賽を振る」


 柚之原の手によって幽閉されてから、現実の世界ではちょうど1ヶ月の時間が経過しており、という事はつまり、俺はあの部屋で新年を迎えていたらしい。30日としたのはほぼ合っていた事になるので、体内時計の正確さを褒めたくなるが、個人的感想を言えば、もっともっと長い時間であったような気がする。
 執事長の八木谷さんが警察に提出していた俺の行方不明者届けを取り下げにいった帰り、突然いなくなった事の謝罪と、柚之原の謎についての相談をお嬢様に持ちかけようと部屋を訪れた時、俺は再び拘束される事になった。
 三枝家、地下の一室。よくゴルゴが鞭を受けていそうな、これぞ拷問部屋といった感じの部屋に、俺とお嬢様と柚之原の3人はいた。両手には手錠を嵌められ、その手錠は後ろで鉄製の冷たい椅子に固定されている。両足もそれぞれ椅子の足に括り付けられており、身体の自由はほとんどきかない。
 俺を見下ろす2人に対し、恐る恐る尋ねてみる。
「あの、もしよろしければ事情を説明して欲しいのですが……」
「それは私と柚之原、どちらに向かって言っているのかしら?」
 お嬢様の意地悪な口調は珍しい。子供の頃はたまに聞いていた気がするが、中学にあがってからはこれが初めてかもしれない。家でも学校でも、お嬢様は非の打ち所がない完璧な優等生で、人を貶めたり嫌味を言ったりはしない。
「……お嬢様です」
 ドキドキしながら言うと、お嬢様は短くため息をついて、
「それじゃあ、柚之原がした事については聞きたくないの?」
 聞きたくない訳はないが、しかし今はとにかく、
「それについては、自由を手に入れた後でもいいです。今はどうして俺を拘束したのかだけ聞かせていただきたく……」
 言いかけた時、お嬢様はまっすぐに俺の目を見て、こう呟いた。
「キス」
 目を見開き、一瞬で真っ青になった俺に構わず、お嬢様は冷徹な調子で続ける。
「それで伝わらないなら、口付け、接吻、ちゅう、ベーゼ、Aでもいいけど、これらの言葉に心当たりはある?」
 俺は舌を噛みちぎろうと、一気に息を飲み込み、口を開いた。その刹那、お嬢様は俺の顎を鷲掴みにし、華奢な身体に似合わない握力で押さえつけ、ほじくるような勢いで瞳を覗き込んだ。
 タコのようになった俺の顔に向けて、お嬢様は言い放つ。
「ご主人様のファーストキスを勝手に奪っておいて、許可もなく死ぬなんて、あなたも偉くなったものね」
 お嬢様はこんな事を言うお人ではない! と俺の真面目が主張する一方で、その余りにも高圧的な態度に、妙な興奮を覚えたのは認めよう。


「さて、どこから話をしようかしら。あまり長く話をしている時間も無いのだけれど……」
 お嬢様の悩ましげなため息は、もったいぶっている風にも思えたが、言葉そのままの意味も含んでいた。
 こういう時に気を使えるのが一流のメイドであり執事である。俺にはどうやらその素質はなかったが、柚之原にはあったらしい。
「今はこれしかありませんが」
 部屋の隅に置いてあったパイプ椅子を、お嬢様の前に運んできて開く柚之原。そう。言われてから動くのではなく、主人が何かを要求する前に先回りして用意する。柚之原はメイドの極意を実践していた。話が長くなるのが仕方ないのなら、ご主人様には少しでも楽な姿勢でいてもらう。これぞ奉仕の精神と言える。
 広げられたパイプ椅子は、長い間放置されていたせいか全体的に錆び付いており、手入れもされていなかった(本宅内の拷問部屋があまり使われていない事自体は平和で良い)。「それでいいわ。わざわざ上から持ってくるのも面倒だし」とお嬢様が仰られると、柚之原はポケットからハンカチを取り出し、埃をぱっぱと掃った。
 そして椅子に腰掛けたお嬢様は、俺をまっすぐに見据えてこう切り出した。
「あなたがお察しの通り、私は変態よ」
 知ってはいつつも、直接お嬢様の口からこの言葉が出された瞬間の、この絶望感。俺は思わず泣きそうになったが、意味の分からない涙は流さない主義なのでどうにか堪えた。
「『露出狂』と言った方が正確かしら。具体例を出すと、突然道に飛び出してきて、コートを広げていちもつを見せつける危ないおじさんがたまにいるでしょ? 私の中身はそういう人たちと大して変わらないの。裸を見せつけたり、公然に晒す事に対して快感を覚える異常性癖。それが露出」
 お嬢様の口から、露出狂だとか、いちもつだとか、そういう汚い言葉が何の躊躇いもなく繰り出される様子に俺は呆然する。こんなのはお嬢様ではない。お嬢様の皮を被った新堂エルだ。
「基本的にMなのよ。育った環境もあるのか、人に命令されたり恥ずかしい目に合ったりに変な憧れがあって、露出調教される事を本能的に望んでしまっている。きっかけはもちろんあったけど、もしそれが無かったとしても、いつかは目覚めていたでしょうね」
 淡々とした調子で語られていたが、その内容は父上である龍一郎氏がお耳になさったら即時全身から血を噴出して死んでしまうような衝撃的内容だった。俺自身、拷問部屋における何日間かの心の準備期間が無ければ、同じリアクションを取った事だろう。
 狼狽しつつ黙ったままの俺に、お嬢様はこう尋ねる。
「……私の裸、見たい?」
 はっきり言って、見たくない訳がなかった。目の前にお嬢様がいて、お嬢様は露出狂で、こう尋ねられたら見たくないと答える奴がいる訳がない。京都に修学旅行にいって金閣寺を見ないような物だ。いや、そもそも修学旅行に行かないような物だ。
 とはいえ、「見たいです」などと腹の中身をぶちまけて正直にのたまう訳にもいかなかった。それこそ変態だ。困った俺を知ってか知らずか、助け船を出してくれたのは柚之原だった。
「瑞樹様。本題を」
「……そうね」
 まだ何かあると言うのか、と俺はいい加減血反吐を撒き散らしてぶっ倒れたくなったが、話はまだここからだった。
「それと、私はただの変態じゃないの」


 俺は日本語について考える。「私は変態ではない」なら分かる。むしろ納得出来る。「ただの人ではない」でも、嫌々ではあるが分かる。この場合はつまり、変態だという事だ。しかし「ただの変態ではない」。となると、まるで「変態」である上に、プラスアルファ、何か異常な者であるという事になる。
「私は変態の、超能力者なの」
 は?
 いや、失礼にあたる事は重々承知の上だが、ここはこう言うしかない。
「は?」
 思わず口に出してしまったが、それに対しての叱責はない。むしろ、それも当然といった風の2人。
「実際に見せた方が早いわね」
 お嬢様はそう言って立ち上がると、すかさず間に柚之原が割って入った。
「瑞樹様」
 その呼びかけには、確かに重い戒めのニュアンスが含まれていた。からかっているつもりはないらしい。「大丈夫。後ろ姿だけだから」
 そう言うと、柚之原は渋々といった様子ではあったが引き下がった。これから何が起こるのか分からない俺は、戸惑いつつもほんの少しだけ期待をしていた。
 お嬢様は椅子から立ち上がり、俺を見下ろした。俺は改めてお嬢様の姿を眺める。
 普段着の、地味に見えるが一着数百万円はくだらないデザインワンピース。スカーフを巻き、中学生とは思えないスタイルの良さと上品さで、見事にそれを着こなしている。どこに出しても恥ずかしくないお嬢様。選ばれた人間。
 そんなお嬢様が俺に背を向ける。背中すらも美しい。気づくと柚之原が漆黒の意思のこもった目で俺を見ていたが、気づかないフリをした。
「見て」
 お嬢様が言い終わると同時、お召し物が脱げた。いや、正確には消滅した。ほんの僅かな時間。2秒ほどだろうか、確かにお嬢様は全裸になった。
 すらりと伸びた白いおみ足。まだ少し幼さを残した丸いお尻。痩せすぎではないが十分なくびれを作る背中。そしてうなじから肩にかけての芸術曲線。
 一瞬ではあったが、俺の網膜にそれらの像が焼き付いていた。これは幻覚か? いや、そんな筈はない。お嬢様の裸体の美しさは、俺の想像力の限界を遙かに凌駕しており、もしも俺が狂っていたのだとしても、こんなに美しい物は幻にすらなれない。
「2秒間だけ、いつでもどこでも全裸になれる。これが私のHVDO能力」
 お嬢様がそう言うと、俺はようやく先ほどの発言を思い出した。変態であり超能力者。俺が思っていたよりも、この世界はぶっ飛んでいたらしい。
「ちなみに、柚之原も私と同じHVDO能力者で、性癖は『拷問』。あなたを閉じこめたのも、彼女の能力よ」
 確かに、超能力であるならば、あの不可思議な空間も説明がつく。俺の妄想した催眠術説や宇宙人説よりはほんの少しだけましかもしれない。
「信じてもらえたかしら?」
 俺はかろうじて頷くが、まだ脳の半分くらいは、先ほどの艶めかしくも神々しい、略して神めかしいお嬢様の裸体が占拠していた。願わくばもう1度。もし前から見れたら死んでもいい。真実の羽根より遥かに重い心臓で、アヌビス神にアッパーカットだ。そんな劣情を誤魔化す為にも、俺は気になった事を質問をする。
「あの……お嬢様の仰られる『HVDO』というのは、一体何なのですか?」


「その質問に関しては、柚之原が答えた方がいいわね」
 言われて俺は柚之原の方を向いたが、言葉を続けたのはお嬢様の方だった。
「だけど、柚之原はこう見えて、今とっても傷心中なの。自慢の能力が、あっけなくやられちゃってね。代わりに、私が話をするわ」
 そう言うお嬢様は楽しそうに、無邪気に笑っていた。昔、大人達に内緒で花火をした時と同じ笑い方だ。柚之原の方の表情は相変わらず、楽しそうにも見えないが、お嬢様の言うように傷ついているようにも見えない。しかしお嬢様がそうだというならそうなのだろう。
「HVDO。特定の変態達に超能力を与え、性癖をかけて戦わせる事によって変態度を高めさせる組織。目的は不明。といっても、柚之原は知っているらしけれど、教えてくれないようね」
 無理に尋問をしない所がお嬢様らしいとはいえ、ご主人様に対して秘密を持つなど、優秀なメイドとしては有り得ない狼藉と言える。
 気になるのは、その話の内容の荒唐無稽さである。
「……つまりお嬢様と柚之原は、そのHVDOとやらの手によって、変態にされてしまったのですか?」
「いいえ……あなた、そんなに飲み込みが悪かったかしら。私と柚之原は元々が変態。変態であったがゆえに、HVDOに選ばれ、それぞれの能力を与えられたという事よ」
 やはり未だに、柚之原はともかくお嬢様が変態である事は信じがたい事実だ。あの部屋がまだ続いていて、これも全て俺の見ている幻視幻聴であるとされた方が、まだよっぽど納得がいく。が、先ほどの全裸はやはり超現実過ぎる。
「さて、ここからは私の提案なのだけれど」
 お嬢様はそう言って、再びパイプ椅子に座った。その時、
「きゃっ」
 パイプ椅子をパイプ椅子たらしめる折りたたみ用のネジが外れた。
 お嬢様が安心しきって全体重を預けてしまったパイプ椅子は、生意気にも物理学を修めていたらしく重力に逆らわずへたれ込んだ。当然、お嬢様の肢体も、あっけなく床に横たわった。
「お嬢様!」
 俺は思わず身を乗り出したが、拘束されているので当然手をのばす事も出来ない。代わりに柚之原が寄り添ったが、もう手遅れだった。
 いや、怪我は無かった。手遅れだったというのはそっちの話ではない。日常生活においては割と派手めな事故だったが、擦り傷ひとつも無かったのは本当に幸運といえる。しかし俺は見てしまったのだ。幸運はむしろこちらにあった。
 お嬢様の、真っ白なパンツ。
 椅子はその生涯を終える刹那、どこについているかは分からない目で見たはずだ。自分の脚が開かれ、それに連動するようにお嬢様の脚も大きく開かれ、ワンピースの裾から飛び出し、身体を重ねてひっくり返り、ちょうど俺の方に向かって、お嬢様の股が向けられていたのを。
 まず言い訳をさせてもらおう。俺は拘束されているし、手で両目を塞ぐ事もできない。お嬢様の無事を一刻も早く確かめる為にも、目は見開いていなくてはならない。そして先ほど、思いもよらぬ形でお嬢様のお尻の割れ目を目撃したばかりであり、「下地」は出来ていた。
 お嬢様は何も言わずにゆっくりと身を起こし、服を掃うと、俺を見た。俺の俺を見た。つまり俺の、股間を見た。見られた! お嬢様の裸と下着を見て反応してしまっているのを、見られてしまった!
「……あら、そっちの飲み込みは早いのね」
 しかもお嬢様が下ネタを口走っておられる!
「私のを見て興奮したのね。それなら話が早いわ」
 一呼吸置いて、お嬢様は告げる。
「これからあなたには、私達と同じ『変態』になってもらいたいの」
 その表情は、とてもじゃないがMには見えなかった。

       

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