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HVDO〜変態少女開発機構〜
第四部 第二話「この暴力に愛を込めたら」

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 男のぶっとい足から繰り出されるミドルが脇腹に命中し、女は「う゛ぇっ」といううめき声をあげて、少しゲロを吐いた。
 よろめき、左手でキックの命中した部位を庇いながら女はえずいていたが、男は追撃には乗り出さず、少し距離をとり、両手で天を仰いで観客達を煽った。客席から声援があがり、そこへ僅かにブーイングも混ざる。
「勝率だけではなく視聴率もファイトマネーに関わるんですよ。おそらく彼は、今わざわざとどめをさしににいかなくても余裕で倒せる相手だと踏んだんでしょうね。いわゆるアピールという奴です」
 小橋と名乗ったスーツの男が隣でそう語る。お嬢様は訝しげ気にリングを眺め、柚之原は無表情だが機嫌は良くない。1階席はほぼ満員だが、2階席は空いており、一目見て金持ちだと分かるような奴らが酒を片手に試合を見ていた。
 男のアピールが終わり、女がどうにか態勢を立て直すと試合が再開したが、男がひたすら攻め、女が守るという展開は変わらなかった。男は、クリーンヒットした女の脇腹を執拗に狙い、女はそこを堅くガードしていたが、キックをフェイントに使われると厄介なようで、対角線の腕から繰り出される素早いジャブを何度も顔に喰らっていた。女の顔は既に半分腫れ上がり、痣にになっている。
 俺も格闘技はそこまで詳しい訳ではないが、こうなる事は試合が始まる前から予想が出来た。男女混合のミックスファイト。男は背も高く、肩幅もあり、胸板は装甲のように分厚い。対する女は、何か格闘技をやっているらしく、ファイティングポーズは様になっていたが、身長には20cm程度の差があった。階級で言えば10近くは離れているように見えたし、そもそも男女では筋肉の量に圧倒的な差がある。
 見るに耐えられず、俺はリングから目を背け、小橋に尋ねる。
「勝ち目のない女をリングにあげて、男がボコボコにして楽しむ。これがあんた達の趣味なのか?」
 少し困ったような顔をする小橋。
「まあ、そういう性癖の方もいらっしゃるでしょう。我々はあくまでエンターテインメントを提供する立場です。需要があれば答えるだけですよ。それに……」
 リングを見つめ、自らの芸術作品を眺めるような目をして小橋は続ける。
「勝ち目が無い。とも言い切れませんし」
 瞼が腫れあがり、視界の潰れた女の目には、それでも絶望している様子が無く、闘志に溢れている。何故だろうか。戦力の差は明らかで、余りに一方的だというのに、女は何も諦めていない。
 ふと、隣に目を向けると、お嬢様は眉間に皺を寄せて、ますます不快そうな顔をされていた。真性のMを自称していたが、やはりこの光景はいくら何でも痛々しすぎるし、そこに相手をいたわる気持ちが無さすぎる。暴力とセックスは割と近い部分にあるが、これは明らかな暴力だ。
 俺は気を使って尋ねる。
「……お嬢様、ご気分が優れないようでしたら、戻りま……」
『わあ!!!』
 俺の質問の最後は、唐突に巻き起こった雷鳴のような歓声でかき消された。驚き、周囲を見渡す。皆、前のめりになって、食い入るようにリングに目を奪われている。つられて俺も見ると、そこにはありえない光景があった。
 男がうずくまり、首だけを横に向けて、口から泡を吹いている。女は満身創痍の状態でありつつも、自らの2本足できちんとリングに立っている。どうやら決定的な瞬間を見逃してしまったらしい。混乱する俺に、ずっと見ていたお嬢様が逆に気を使って説明してくださった。
「女の吐いた吐しゃ物で男がほんの少し足を滑らせたのよ」
 確かに、男のキックが女の脇腹に入った時、女のぶちまけたゲロは誰も片づける事なくリング上にあった。しかし、たかだか1度足をとられたくらいで、1発KOの一撃を女が放てたとは到底思えない。男女の体力差は歴然。女が全体重を乗せて本気のパンチを繰り出した所で、男の骨すら折れない気がする。
 不思議がる俺に、お嬢様は告げる。
「足を滑らせた瞬間、女が男の股間を思い切り蹴りあげたの。いわゆる金的という奴かしら」
 金的。男の最も弱い部分に、攻撃を喰らわせる技。いや、技と呼べる物ですらないかもしれない。何せほとんどの格闘技では反則とされ、実質的に金的ありの競技でも、ファウルカップ(睾丸を保護する物)の着用は常識だ。何せ睾丸への攻撃は、生殖能力に直接的に関わる。大男が泡を吹いて倒れるのも頷ける。
「当クラブにおけるミックスファイトは、金的あり、睾丸保護は無しというルールでやらせていただいております。男女の体力差を認めた上での戦いであれば、当然男性側の弱点も認めるのが公平という物ですから」
 小橋が当然のようにそう言うので、思わず納得しかけたが、いやいや、それはあまりにも男にとって代償が大きすぎる、と思った俺はまだ甘かった。
 観客たちの歓声を受け、オープンフィンガーグローブを振り回して答える女は、セコンドから何かを受け取った。一瞬でそれが何か俺が分かったのは、ここ数日の変態訓練の成果といえる。
 セコンドから女が受け取った物は、ペニスを模したディルドの固定されたパンツ、いわゆる「ペニパン」という奴だった。無論、お嬢様も所持しているが、今は関係ない。
 女はそのペニパンをおもむろにボクサーパンツの上から着用する。ディルドーを手で確かめ、まだ悶絶している男の背中に近づく。
「ま、まさか……」
 俺の想像はあたった。そしてどうやら、このミックスファイトで男側の背負うリスクは、子種の損失だけではないらしい。
 男の着ていたパンツが脱がされ、尻が丸だしになった。客席からは相変わらず歓声があがっていたが、中にはそれを見てつまらなそうに帰る者も沢山いた。無論、お嬢様と柚之原は食い入るように見ていたが、今は関係ない。関係ないと思わせていただきたい。
「おっと、ここから先は、試合に対してきちんとベットしていた方々だけの特典となりますので、今回ゲストとしていらっしゃられた三枝様達にはあいにく見る権利がございません」
 小橋にそう告げられ、心底残念そうな顔をするお嬢様は、今までで「見てしまったけど見たくなかったものランキング」トップ2に入る。
「それに、支配人達もお呼びですので、こちらへどうぞ」


 第二話「この暴力に愛を込めたら」


 柚之原の土下座、という紛れもないトップ1を目の当たりにした俺は、焼き土下座を強要する事もなく、もちろん即決で許した。アナルセックスに興味がなかった訳ではないが、くだらないサイコロのギャンブルでそこまでしてしまうのは、柚之原が余りにもかわいそうだったというのもある。が、それ以上に、前日まであれだけの事をやっておいて、未だ俺が変態として「目覚めて」いないというプレッシャーが大きかった。確かに、柚之原のアナルをいじっていた時、俺はグラビアイドルの姉を持つ小学生並に興奮しまくった。しまくったが、お嬢様の言っていた「本当の自分」に出会えたような感覚はそこに無かった。
 結局の所、身も蓋もない言い方をすれば、「何でも良かった」という事になる。別の変態プレイ、例えば催眠や遠隔ローターといった目が出ていたとしても、俺は散々興奮するだけして、最終的には超能力に目覚めなかっただろう。俺の変態としての素質の無さについては大変申し訳なく思うし。柚之原には別の意味でも申し訳なく思う。
 7日目に突入しても、未だ先行きも見えず、目処も立たないという事もあってか、お嬢様も柚之原の謝罪を受け入れた。端的に言えば、俺は見限られたのかもしれない。しかし、あの柚之原をここまで追い詰められただけでも成果はあった。
「HVDOの事を全て話すという条件での全面降伏ね。私は構わないけれど、柚之原はそれでいいの? 賭けを放棄するという事は、友貴への復讐のチャンスを失う事にもなるけれど」
 お嬢様の確認に、柚之原は俯いて答える。
「……仕方ありません。彼が何らかのイカサマを使っているのは明らかですが、種が分からない以上、これ以上やっても勝ち目がないので」
 純粋に運が良かっただけなのだが……と、説明した所でおそらく信じてはもらえないだろう。確かに、4連続で2分の1勝負に負けるなんて事、大抵の人は信じられない。
「ふーん……。ま、仕方ないでしょうね」
 ついでにお嬢様も俺の事を信頼してくれていないようだ。……まあ命が助かっただけでも良しとしよう。少なくとも、実際にイカサマを使ってない以上、いくら調べてもその証拠など出てくるはずがない。
「じゃあ、話してちょうだい。まずはHVDOという組織の目的から」
「……かしこまりました」
 こうして、柚之原の口から、人を超越した変態組織「HVDO」の概要が語られる事となった。


 HVDOという組織の目的。それは「変態性を持った処女を育てあげる事」だった。組織のトップであり、変態能力バトルにおける、「勝者には新しい能力、敗者には一定期間の性的不能」を与えている「崇拝者」と呼ばれる人物は、無類の処女マニア。「崇拝者」の正体は、柚之原はおろか幹部でも知らない。本名さえ闇の中にあるのだそうだ。能力も同じく不明だが、変態達を統べるに相応しい強力な物だという噂があるそうだ。そして崇拝者は一定の場所にはおらず、世界中を旅し、「妻」から逃げ回っている。
「妻? 結婚しているのか?」
「聞いた話によれば」
「処女厨なのに妻がいるのか……」
「処女の時に1度セックスして、子供が出来たから入籍して、それから、逃げている」
 その上自分はHVDOなる馬鹿げた組織を作り、変態処女を求めている。
「……屑だな」
 思わず漏れた俺の率直な感想に、お嬢様が反応する。
「まあ、そのくらいの異常者でないと、変態の頂点にはたてないでしょうね」
 ごもっともな意見だが、それで納得してしまうのはなんだか負けた気もする。
 柚之原によれば、トップである崇拝者の他に、組織を管理している幹部は4人いる。
 1人は、ピーピング・トムと呼ばれるHVDO能力者で、千里眼のような能力を持ち、崇拝者の右腕として活躍しているらしい。その能力は実に厄介だが、発動には条件がある。というのは、「8と0と1の付く日にしか発動出来ない」というふざけた物で、ちなみに今日はそのいずれもつかない。
「やまなしおちなしいみなし『やおい』へのこだわりという事かしら」
 腐女子の考えている事はよく分からない。という一言に収束する。
 2人目の幹部は、望月ソフィアなる人物で、清陽高校の権力者らしい。
「権力者? 生徒会長とかそういう事か?」
「茶道部の部長」
「何で茶道部の部長が権力者なんだ」
 俺の当然の疑問には、お嬢様が答えてくれた。
「聞いた事があるわ。あの高校の茶道部には、何故か政界やら経済界に太いパイプがあって、多額の援助が行われているそうよ」
 望月ソフィアは「百合」の能力者だそうで、HVDO内における役割は、ピーピング・トムが連絡係だとするならば、こちらは制圧部隊。崇拝者といえど、HVDO能力の発現はコントロール出来る物ではないようで、危険な性癖、つまり死姦だとか脳姦だとかの能力者が出現した時、いち早く見つけ出し、性癖バトルにて始末する係を請け負っているらしい。
 そして最後の幹部は2人組。担当しているのは、活動資金の調達と、変態処女の確保。活動場所は……。
「これは、灯台下暗しという奴なのかしら」
 お嬢様は「地下変態闘技場」の廊下を小橋という男に案内されながらそう呟いた。俺は周囲を警戒しつつ後ろについていく。あんな試合を見せられたらこうならざるを得ない。しんがりには柚之原がいるが、恐ろしいほど落ち着いている。
「おそらく日本で1番安全ですし、法の目が届かない場所でもありますから、支配人達はこの場所を選んだのでしょうね」
 三枝家の地下25F。
 つまり俺達が普通に生活していた場所の真下で、夜な夜な犯罪的な試合が行われていたという事になる。それも、家主の許可など一切とらず、ここを管理している2人の幹部とやらのHVDO能力で、勝手に異空間へと改造されていたらしい。どうりで三枝家の調査網でもひっかからないはずだ。トップである崇拝者が旅人である以上、この闘技場はいわばHVDOの「本部」とも言える。HVDO本部が、三枝家の中にあった。三枝家はこの事実に対して怒っていい。お嬢様がちょっと嬉しそうなのは見なかった事にしよう。
 やがて案内されて着いた部屋では、2人の支配人、つまりHVDO幹部が待っていた。
 リョナと逆リョナ。
 相反する2つのHVDO能力。

     

 三枝家地下25F、変態闘技場に辿り着き、小橋から受けた説明を簡潔にまとめるとこのようになる。
 この闘技場内で行われた試合は、全てインターネットを通じて世界中の格闘技ファン及びリョナラーに配信されている。この闘技場を訪れた者や配信を見る人物は、試合の勝敗にベット、つまり賭ける事が出来る。無論、オッズも試合開始直前まで更新され続けるので、余りにも実力が偏っている試合の場合、賭けは不成立になる事もある。
 局部破壊あり、試合後レイプあり、そして修正なしのガチ生試合など、そう見られる訳ではない。ギャンブルを抜きにしても、ただ単に見たいと言う奴はいくらでもいるし、その上、青天井で儲けられるチャンスもあるという訳だ。なるほど良心的かもしれない。
 ……などと思う訳がない。当然、ギャンブルには「控除率」、いわゆる寺銭という利益が存在し、一発勝負でもない限り、長くやればやる程、必ず銅元が儲かる仕掛けになっている。これは世界の常識という奴で、常識外で生きている奴らにとっても、どうやら金は必要な物らしい。
 アダルトとギャンブルは、それぞれ元々が濡れ手に泡の事業だが、その良い所を組み合わせたこの仕掛けが儲からない訳がない。もちろん、法律による介入が無ければという話だが、この闘技場はその点をHVDO能力によってきっちり対策している。
 闘技場の本体がある場所は、三枝家の地下25Fで間違いないが、ここにたどり着くまでの入り口は無数に存在しているらしい。とある入り口は地下鉄構内のトイレの用具入れにあり、とある入り口は繁華街の路地裏のマンホールにあり、とある入り口はブックオフの本棚の下にある。
 つまり、行き先がここ限定の、DラえもんのDこでもDアが日本国内無数に存在すると考えれば分かりやすいかもしれない。それらの入り口は支配者が自由に閉じたり開けたり出来るらしく、これまで何度か自衛隊に突入されそうになったらしいが、今日まで無事に運営されてきている所を見ればセキュリティー面は問題がないのだろう。
 そもそも、リョナとは女の破壊されていく身体に興奮を覚える性癖で、逆リョナとはその逆、つまり男が破壊されていく所に興奮を覚える性癖だ。言い換えれば、破壊とはつまり究極の支配と考えられ、性欲の根源は相手を自分の思い通りにする事にある。と、小橋は言う。 
 だが、俺にはこの2つの要素に対して興奮を覚える人間がどうしても分からない。間違いなく変態だとは思うが、なんというか、精神構造が余りにもかけ離れすぎていて、理解しようとする気さえ起きない。
 ただ、それでも事実として、リョナには2つの意味がある気がする。
 男が女に暴力を「行う」事に興奮するのか、女が男に暴力を「行われる」事に興奮するのか。逆リョナを含めれば都合4種類。SとMの関係性。それら全ての需要に応えるのがこの闘技場のようだ。


 支配人室の扉を開けると、男と女が向かい合ってソファーに腰掛けていた。
「支配人、三枝家のご令嬢と、その付き人をお連れいたしました」
 小橋がそう紹介したが、男も女もこちらを向く事はなく、じっとお互いを見つめたまま、まるでこちらを無視するように話を始めた。
「いつかはここに気づくとは思っていたが」
「まさか柚之原が口を割るなんてね」
「HVDOを裏切ったという事でいいのか?」
「なら制裁は受けてもらわなくてはならないわ」
 2人の会話が俺達、特に柚之原に向けてなされていたものだと気づくのにはちょっとばかりの時間がかかった。がっしりとした体躯の、毎日ジムに通っているくらいじゃ作れない、完全に戦闘向きに鍛えられた身体を持つ目つきの悪い男。そんな男と対峙しても一歩も引かない、気の強そうな目をした女は、華奢だが良く見ると引き締まった筋肉をしていて、ふとももにはまるで柔らかさが無い。
 この2人の「一触即発感」は、向き合った人物とは別の人間を対象にして喋る事の不自然さをより強調している。
「柚之原の処分は後で考えるとして、だ」
「問題は三枝瑞樹のようね」
「彼女はここの家主だからな」
「本気を出せば私達を追い出す事も可能」
「また新しく他の場所を探すのも億劫だ」
「ここは何とか穏便に済ませたい所ね」
「ところで、自己紹介がまだだったな。俺は『リョナ』のHVDO能力者、阿竹剛助(あたけごうすけ)」
「私は『逆リョナ』のHVDO能力者、御代彩(みしろあや)」
 間があって、お嬢様もそれが自分に向けられた言葉であると確認する。
「ここを使うのは別に構わないわ。ただ、条件として『崇拝者』とやらの居場所を教えなさい」
 お嬢様の命令にも、2人は振り向こうとしない。ずっとお互いを見つめて、視界を少しも動かさず、不自然なまま会話だけを続ける。
「生憎だけれど」
「崇拝者の居場所は俺たちにも分からない」
「彼はいつも自由気ままだし」
「処女のいる所ならどこへでも行く」
「そもそも、何故あなたは崇拝者に会いたいの?」
 お嬢様は答える。
「手っとり早く新しい能力をもらうためよ」
 ああ、やはりお嬢様は露出の道を極めたいのか……とプチ絶望。
「ならば崇拝者に会う必要はない」
 と、男。阿竹。
「この闘技場でなら、目利きと運次第でいくらでも新しい能力が手に入る」
 と、女。御代。
 お嬢様は驚かれた様子だったが、声色はまだ落ち着いている。
「どういう意味かしら?」
『賭けられるのは、金だけじゃない』
 2人の声が重なった。
「この闘技場の一般ファンはもちろんHVDOの存在を知らないが、HVDO能力者は特別なコインを得る事が出来る」
「そのコインは能力を賭けられる形に換算した物で、1つの能力につき10枚というレートで交換しているの」
「つまり第五能力まで目覚めている人間なら50枚」
「交換は性癖バトルに負けて不能になった状態でも可能」
「ただし、オッズは通常のファンが賭ける10分の1になる」
「通常でオッズが3.0倍ついているファイターに賭けるなら、1.2倍。10.0倍なら1.9倍まで落ちる」
 頭の中での計算でもたもたする俺を置き去りに、お嬢様が呟く。「ようはぼったくりね」
「まあ、その通りね」
「これも俺達の能力の一部分なのでね」
「私達よりリョナ逆リョナを知り尽くした人間に対する、私達からの敗北の証のような物と考えてくれればいいわ」
 性癖バトル、とやら自体も見たこと無い俺だが、何やらお嬢様が思惑なされている様子から見ても、これはかなり特殊な状況らしい。
「まあ、賭けに挑むかどうかはあくまで自由だ」
「見ての通り、私達は他の能力者と戦える状況にないから」
 さて、いよいよこの不可解な状況を解決しなければならないようだ。
 ここまでじっと見つめあう状況というのは、流石に関係性が絞られてくる。
 とんでもなく仲が良いか。
 とんでもなく仲が悪いか。
 どちらが正解だろうかと迷っていると、黙っていた小橋がここぞとばかりに語り始めた。
「阿竹様と御代様はどちらも高レベルのHVDO能力者でした。能力はほとんど戦闘に特化した物で、例えば見ただけで相手の戦闘能力が測れたり、触れただけで力を奪ったりだとか。カウンターも豊富で、一般の闘士はまず相手にならないレベルでしょう。HVDO能力とは元々そういう物ですが、リョナ逆リョナを行使する事だけにこだわった能力だったのです」
 小橋の話には、これといった「おかしな所」がある訳ではなかったが、妙に要領を得ていない部分があった。お嬢様も俺と同じ部分で府に落ちなかったらしく、ストレートに尋ねる。
「それが、どうしてこういう状況に?」
 小橋は答える。
「刀でも銃でも達人同士の戦いになった時、お互いに動けなくなるという事があります。どちらも一撃必殺であるがゆえに、『先に動いたら負け』という状況が必然的に発生する。阿竹様と御代様が陥っているのがまさにそれです」
 時代劇や西部劇のワンシーン。じっとにらみ合う2人の達人。様々なアングルからカメラが2人を撮影し、引っ張って引っ張って引っ張った挙げ句、勝負は一瞬で終わる。確かに、そんなシーンはいくらでも見た事がある。
 不可解で奇妙だが、なんとなく納得しかけた時、とどめとばかりに小橋が言った。
「お互い強すぎるがゆえに、動けないのです。2人はもう5年以上もこうして生活しています」
「5年!?」
 思わず俺は叫ぶ。
「正確には」
「5年3ヶ月と10日ね」
 2人が答える。そりゃ5年間ずっと片時も離れず見つめ合っていたらこれだけ息もぴったりになるだろう。
「しょ、食事の時は?」
「同時にお互いの口に食事を運ぶ」
「じゃあ寝る時は?」
「左手で右手をお互いに握りながら、足を絡めて寝ている」
「……まさか、トイレも……?」
「どちらかが催したらそれについていって見る」
 ……。
「どう突っ込んだらいいのだろう、って顔ね」
 お嬢様の指摘は図星だった。「おまえらどんだけだ!」は漠然としすぎてるし、「気持ち悪っ!」は確かにどん引きしている今の感情を表すのに適しているが、「ここまでやるか」という所にある種尊敬さえ抱いている今の俺の気持ちを表現しきれていない。「ラブラブじゃねえか!」は、何か違う気がする。
「私達の自己紹介は」
「この辺で十分だろう」
「さて、どうするのかしら」
「能力を賭けるのか、賭けないのか」
 いつの間にやら主導権がこいつらに移っている。人の家の1フロアを勝手に借りておいて、盗人猛々しいとはまさにこの事だ。当然、お嬢様がそんな不躾な権力に屈するわけはない。
「それよりも、満足に身動きをとれないあなた達に性癖バトルを仕掛けた方が手っとり早いんじゃないかしら」
 一瞬、緊張のような物が走ったが、その後にやってきたのは2人分のぴったり息のあった嘲笑だった。
「俺達は、良くも悪くも一心同体」
「やってみるのは構わないけれど」
「もしも2人を同時に倒す事に失敗したら」
「解放された残りの1人が復讐を果たすでしょうね」
 敵同士であるがゆえにどちらも譲らず、強すぎるがゆえに仕掛けられず、そして無防備であるがゆえに誰も触れない。矛盾していたが妄言ではない。「……流石は幹部、といった所ね」とお嬢様が感心していた。


「とりあえず、試合への賭けに関してはいつでも受け付けている」
「試合は毎日必ず1試合は行われているし、土日は最低でも5試合はマッチメイクされるわ」
「気が向いたらいつでも能力をコインに交換し、参加したらいい」
「フロアを勝手に借りている分、特別に観覧だけというのも許可しましょう」
 こちらを見る事なく示された条件に、お嬢様は目を瞑ってじっくりと考えていた。具体的に何を、という所までは分からない。この2人をどうやって、なのか、それともHVDOという組織全体をどうやって、なのか。誰かの仕掛けに大人しく乗るのはお嬢様らしくはなかったが、対HVDOという話においては、それなりの考察が必要なようだ。
「ところで、柚之原」
 と、阿竹。
「分かっているわよね?」
 と、御代。
 名前を呼ばれ、柚之原が前に出る。
「HVDOの拷問人であるお前が、我々を裏切り三枝家についたというのならば」
「契約通り、それなりの罰を受けてもらわなければならない」
 柚之原は黙ったまま、じっと2人を見ている。その表情に妙に不安を覚えた俺は、我慢出来ずに問いかける。
「柚之原、こいつらに何か、弱みを握られているのか?」
 答えたのは2人だった。
「弱みなんて人聞きが悪いわね」
「あくまで俺たちは、柚之原が裏切った事を崇拝者に報告するのみだ」
 俺は気づいてしまった。柚之原の手が、指先が、僅かに震えている。俺ごときが気づいたのだ。お嬢様が見逃される訳もない。
「柚之原、詳しく話しなさい」
「……はい」
 阿竹と御代はお互いの顔に向けて微笑みあっている。少なくとも俺達にとって良い話ではない事は分かる。
 柚之原は重々しく語る。
「私の処女は、既に崇拝者に奪われています」
 まさかの非処女宣言。
「正確に言えば、崇拝者はいつでも気が向いた時に、私を自由に出来るという意味です」
 理解の範疇を超え、地球を一周してむしろ分かってきた。
「崇拝者は『処女』を手に入れてもすぐには行為をしないの」
「しばらくは泳がせて楽しむ。何せ処女は1度きりだからな」
「世界中のどこに居ても無駄よ。射程範囲は無限大」
「柚之原の肉体のどこかには、崇拝者による印が刻まれている」
 お嬢様が、柚之原の震える手を掴む。握りしめる。大切に離す。
「……条件は?」
 2人に向き直り、端然とした面持ちでお嬢様は尋ねた。
 少しの間を置き、再び声が重なる。
『戦ってもらう』
 つい先ほど見た、この闘技場における「戦い」の凄惨さが蘇り、俺は頭を抱えた。

     

 柚之原の試合は、10日後に決定された。対戦相手の情報については前日まで教えられないのがルールなのだそうで、その点に関しては両者とも同じ条件らしく、表面上の公平を喫しているかに見えた。
 だが、試合を組むのは誰あろう闘技場の支配人であるこの2人であり、そして2人は柚之原を裏切り者として認識し、もちろん敵対している。それだけでも不利だというのに、そこに更に根本的な問題が加わってくる。
 やはり、いくら「金的あり」というドM男歓喜の極悪ルールとはいえ、男女での真剣勝負は女子側がかなりの不利だ。フィジカル面でのポテンシャルが元々違うというのは言うまでもないし、闘技者人口、つまり選手の絶対数も男の方が遥かに多く、更には精神面においても、やはり戦い向きなのは男だ。ブルマがかめはめ波を撃ったら不自然だし、もしもブウにとどめを刺したのがビーデルさんだったらなんじゃそりゃだ。
 必然、女は金玉を蹴りあげて決着をつけるしかない。しかしそれは相手も理解しているので、当然警戒してくる。股下から蹴りあげる場合は内股になるだけでクリーンヒットはしないし、前蹴りで正面から狙いに行く場合は、腕によるガードがある。先ほどの試合のように、男側に隙が生まれ、その上で有効な作戦、あるいは何かの幸運によって生まれたチャンスが無ければ、はっきり言って金的ありもクソもない。最初から一方的な試合展開の後、柚之原は無惨にレイプされ、晒し者になってしまうだろう。
 お嬢様もそれは十分に分かっていた。交渉材料として、三枝家にはほぼ無尽蔵にある資金をちらつかせもしたが、支配人2人はまるで興味を示さなかった。柚之原がリングに立つ事。それ以外の事ではどうやら「制裁」は完了しないらしい。
 これだけ不利が重なると、最早それは罠と言う。自らかかりにいく必要はない。ただ、柚之原本人の話によれば、崇拝者の能力は「絶対」であり、「処女譲渡契約」を結んでいる場合、それこそ支配人の御代も言っていたように世界中どこに逃げても無駄で、崇拝者の能力が発動した瞬間に、柚之原は処女を失う。
 その「処女譲渡契約」がどのようにしてなされたかについては、柚之原は「私個人の願いを聞いてもらっただけです」とだけ言って、それ以上は語らなかった。また、お嬢様も「願い」とやらについては聞き質す事もなかった。何故か、は微妙な問題だが、どの道もう過ぎてしまった事だ。
 目の前に罠があるとはいえ、腹をすかせた虎から逃げない訳にはいかない。
 柚之原には、俺との丁半博打に負けた時から、もっと遡ればお嬢様に俺の相手を命じられた時から、もっともっと遡れば五十妻という男に負けた時から、選択肢は残されていなかった。


「柚之原、どうしてこの事を黙っていなかったの」
 部屋に戻ってからの第一声。お嬢様の言葉は、理不尽ではあったが静かな魂の叫びだった。
「……それしか、お尻の穴を守る手段が無かったからです」
 柚之原の答えは至極真っ当に見えたが、お嬢様がそれで納得するはずがない。
「後ろの処女くらい友貴にあげてしまえばいいじゃないの。その崇拝者とかいう訳の分からない人間に前の処女を奪われるよりかはよっぽどマシだわ。リングの上でボコボコにされて醜態を晒すよりもね」
 お嬢様の語気はどんどん強まっていく。怒っていた、珍しく。その似合わない感情を隠そうとする余裕さえなかった。
「……勝ちます。勝てば、何の問題もありません」
 確かにその通り、と言いたい所だったが、それが非常に難しい。
 そもそも、先にも述べた通り、男女の戦力差は金的を含めても男側がまだ有利にある。しかしそれではほとんどの試合が賭け不成立になってしまうので、闘技場側は、「鍛えられた女」を用意する。
 闘技場内の廊下には、いわゆる「スター選手」のポスターが張ってあった。例えばウェイトリフティングの日本代表。例えば一般人でも顔くらいは知っている女子プロレスの選手。例えば伝説的な空手家の娘。確かに女は男より肉体的に弱いかもしれないが、「強い女性」は確かに存在する。
 しかし柚之原はあくまで普通の女子だ。拷問好きのHVDO能力者だが、それが無ければ中身はただの高校2年生で、特別に肉体を鍛えている訳でも、格闘技を習ってきた訳でもない。
 果たしてそんな「普通の女」でも勝てるような相手を、敵対する支配人達がわざわざ用意してくれるだろうか。
 黙ったまま俯く柚之原を見て、お嬢様が小さく呟く。
「……私が代わりに出ようかしら」
 柚之原が勢い良く顔をあげ、今にも掴みかかりそうな雰囲気でお嬢様を睨む。
「誰かしらがリングに立てば、あの仲の良い2人も納得してくれるでしょう。それに、私の方がきっと運動神経はあるし」
「……します」
 ぼそっと柚之原が何かを言ったように聞こえた。お嬢様も聞こえなかったらしく、「……何?」と、聞き返す。すると、柚之原ははっきりと言う。
「殺します」
「……誰を?」
「瑞樹様と、この男を」
 怖っ! お嬢様を守りたい一心とはいえ、誰かに犯されるくらいなら殺意さえ抱くというその精神状態が恐ろしすぎる。というか俺を殺す意味はここまできたらもう無くないか!? とも言いたくもなったが、つまりそのくらい拡張の件については屈辱的だったのだろう。


 次の日、現実離れした冬休みも終わり、俺と柚之原、そしてお嬢様の学校が再開した。
 そして午後、お嬢様の帰宅後から、柚之原は特訓を始めた。三枝家の権力をふんだんに使い、外部から一流のコーチを複数人呼び寄せ、「金的ありのミックスファイトで格上の男に勝利するにはどの方法がベストか」を協議した結果、柚之原は総合格闘技をベースにし、そこにプラスでムエタイを習う事に決定した。相手がどんな戦法を使ってくるか分からない以上、全方面において基礎を固めなければならないのと、少ないチャンスを物にするには、キックの速さでは右に出る物のないムエタイが攻撃方法としてベストだという判断だ。その決定後、お嬢様は執事長の八木谷さんに直接柚之原に休暇を出すよう命じ、柚之原はすぐに三枝家内にある、酸素カプセル完備の特別トレーニングルームに入った。という訳で、格闘技に関しては全くの門外漢である俺とお嬢様には暇が出来た。
 変態訓練から格闘訓練へ。急激に真面目になった感がある気もするが、前者もきちんと真面目だった。実際俺は、「友貴がとっとと変態に目覚めていればこんな事にはならずに済んだのに……」と愚痴のような物をお嬢様から頂いた。お嬢様の愚痴など100年に1度聞けるか聞けないか、擂台賽より遥かに珍しいので、落ち込むのと同時に録音しておきけば良かったな、とも思った。
「過ぎてしまった事はしょうがないわ。今はとにかく、私たちも出来る限りの事をして柚之原の処女を守りましょう」
 お嬢様の心強い言葉に、俺は心の底から同意する。柚之原の人生観や恋愛観は、正直俺にはよく分からないが、操という物は世界を股に掛ける処女厨性犯罪者の変態にくれてやるほど無価値な物でもないとは思う。本当に好きな人(出来るかどうかは、これまた分からないが)と出会うまでは、大事にとっておくべきだ。古風過ぎるかもしれないが、これが俺の正直な意見だ。
 考えた結果、俺とお嬢様は再び闘技場を訪れた。まずは敵を知らなくてはならないし、これは外部の人間には委託出来ない。エレベーターで敵の本拠地にすぐに来れるという点はある意味幸運だった。
 闘技場の1Fは既に満員。今夜も2試合が行われているらしく、天井から下がる360度液晶モニターには、試合に出る予定の選手と、現段階でのオッズが表示されていた。
 俺とお嬢様は小橋に案内された2Fの個室から下の観客席を眺めていた。いかにも金持ちが道楽で来ているような豪華で下品な女から、健康に良くない薬物を常用していると思わしきロンパり男、使い込んだ大学ノートを血走った目で見つめてぶつぶつ呟いている男や、かと思えば黒縁メガネの真面目そうなOL風のスーツ女もいた。まさに千差万別だが皆一様に、階段になった座席に座り、それぞれのスタイルで今か今かと選手の入場を待っている。
 ちなみに、この闘技場における「通常の」賭けの最低単価は10万円。その日行われる試合の内、最低でも1試合にその額を賭けなければ、闘技場にすら入れない。そして現在表示されている1試合目のオッズは、青コーナーの男が約1.16倍で、赤コーナーの女が約1.75倍。それを見てお嬢様は呟く。
「控除率は大体30%くらいね」
「……それは高いんですか?」と、俺が尋ねると、お嬢様は少し呆れたように、
「パチンコより悪どいわね。でも、最低単位で賭けた場合、1日で回収されるのが3万円だから、それを鑑賞料として考えるならありなのかも」
 そんな大金を払ってまで見る価値が果たしてあるのか、と庶民の俺は思うが、人によっては十分に「ある」からこそ満席なのだろう。それに、どちらが強いかを予想するという楽しみもあるし、長くいればお気に入りの闘士もいるのかもしれない。
 とはいえ、1試合を見るのにいくらかかろうが、お嬢様にとっては所詮はした金というやつだ。問題は、そのオッズの低さにある。
「この試合に、例えば私のHVDO能力を交換して賭けるとしたら、女の方に賭けたとしても1.075倍。端数の払い戻しはないそうだから、仮に10枚全部を賭けて女が勝った所で、1枚もコインはもらえない。戻ってくるのは最低でも11枚賭けた時だけれど、能力でいえばつまり2つ分。それだけのリスクを払って戻りがたったの1枚というのは、いかにも馬鹿げているわね」
 確かにそうだ。今の条件で言えば、10連勝しなくては新しい能力を得る事は出来ない。理不尽にも程がある。と、内なる怒りに気づき、いやいや、これ以上お嬢様が変態になられるのもそれはそれでどうなのだろうか……と思い直す。


 その日に行われた2つの試合は約2時間ほどで終わり、結果は女側の2連敗だった。
 1試合目、柔道着の男と、その男よりも背の高い女の戦い。序盤は背の高い女がリーチの長さを生かし、打撃によって着実にダメージを積み重ねていたが、ロープまで追い詰められた柔道男がタックルを繰り出して寝技に持ち込むと、それからは一方的だった。男はまず女の肩を両方とも外し、抵抗出来なくした後、服を剥がしていった。女はなんとか男の寝技から脱出しようと足だけで足掻いたが、胸を客席に晒され、性器に触れられるとやがて諦めたようで、泣きながら許しを請うていた。それから先、俺は気分が悪くなり、顔を背けていたので見ていないが、それまでうるさかった客席が急に静かになり、その代わりに喘ぎ声が聞こえてきたので、見ていなくても気分はどんどん悪くなった。
「友貴、無理にとは言わないけれど、見ておいた方が」
 お嬢様のその台詞が、俺の変態化を促進させる為なのか、それとも柚之原がこうなった時の覚悟を決める為なのか、聞きただす勇気を俺は持てなかった。
 2試合目は1試合目とは違い、オッズはかなりの女子側有利に傾いていた。何でもプロフィールによれば、女子は日本人でありながら元々海外の特殊部隊に所属していたらしく、いわゆる軍隊格闘を収めた人間で、これまでの戦績は4勝0敗。以前のレイプシーンが少しだけダイジェストとし映されていたが、流石軍隊出身というか、負けた男に対してまるで容赦がなかった。
 男の方は、その日が初参戦らしく、これまでの戦績も、何の格闘技をやっているかも不明だったが、体躯は一瞬熊かと見紛う程に大きく。また、その戦力も熊並だった。
 傍目から見て、肉体的な戦力の差は明らかに男の有利を主張していた。だが、不当な暴力と戦うのが本来の格闘技だと愚地独歩も言っていたように、女の身のこなしと、素人目にも分かる技術の凄さは、オッズの正しさを証明していた。が、結果は女子側の敗北だった。
 1度、確かに男側に金的が入ったのは確認した。しかし、男がそれに耐えたのだ。確かにダメージはあったが、KOまではいたらなかった。もう1発入っていれば分からなかったという点では惜しかったが、たらればの話は意味がない。やがてスリーパーホールドを完全に決められた女がタップをし、それを認めた男は黙々とレイプを始めた。行為の最中、女は1度も悲鳴をあげず、涙も流さずに黙々と耐えていた。


 試合形式は1R3分、インターバル1分の、どちらかが負けるまで行われる無制限マッチ。ギブアップは相手選手が認めればありだが、それからの追撃及び試合後レイプの権利はそのままなので、実質は無しに等しい。そして何度も言うように金的はあり。流血しようが骨が折れようが試合とレイプが終了するまでは医者は来ない。選手の気絶によって決着がついた場合、手当ての後目が覚め次第レイプに移行し、日付を跨ぐようであれば後日エキシビジョンとして行われる。
 ただし、試合中、試合後に関わらず、相手選手の死亡、もしくは失明、四肢の損失があった場合は、1週間の出場停止の後、「ハンディ戦」が行われる。罪の重さに対応したハンディが科せられた状態で試合を開始し、このハンディ戦にはあらゆるペナルティが適用されず、賭けが不成立になったとしても行われる。例えば故意に相手を死亡させた場合、その選手は、目隠し、手錠、足枷を装着した状態で試合を行う。端的に言ってしまえば、公開処刑という事だ。
 当然、ペナルティの中には、相手の睾丸が潰れる事は最初から入っていないので、その点でも女子側は若干優遇されていると言えば優遇されているのだが、それなら試合後のレイプによる処女喪失と中出しによる妊娠の危険性もペナルティには入っていないので、公平と言えば公平だった。
 ちなみに、試合後のレイプに関しては、勝者側は拒否も出来るし、自分の性器を使わなくても、相手のどの穴に入れても良い。平たく言えば、バイブで犯すのも良し、アナルを犯すのも良しという事で、小橋が言うには、柚之原が負けた場合は、処女は崇拝者の所有物となっているので、アナルを犯される事になっているらしい。結局アナルか!
 柚之原は努力している。だが、その日の2試合を見ていて、俺はどんどん絶望的な気分になった。あれだけ強かった女でも、ここまで無惨にやられてしまうのがこの闘技場だ。ほぼ素人の柚之原では、対戦相手の実力によっては散々に弄ばれて、全身ボコボコにされて、この上ない辱めを受けて、そして大衆の面前で尻の穴を犯されるに決まっている。
 そんな姿は見たくない。つい一昨日まで柚之原のアナルを開発していた俺がこんな事を言い出すのもなんだかアレだが、こんなに残酷な事がこの世にあっていいはずがない。リョナは駄目だ。……何ていうか、駄目だ。としかいいようがない。
 まだ試合も行われてすらいないのに打ちひしがれる俺の隣で、お嬢様がはっきりとした口調で仰る。
「私も、戦わなくてはならないわね……」
 言葉も出ない俺に、お嬢様は付け加える。
「誤解しないで。闘技場の話じゃないわ。そんな事をしたら本当に柚之原に殺されてしまうもの」
「では……『戦う』とはどういう……」
 お嬢様の表情に熱い覚悟が浮かび上がる。
「女には女の、変態には変態の戦いがあるのよ」

     

 それから、柚之原の試合が行われるまでの9日間。俺とお嬢様は目の回るような多忙に追われながら日々を過ごした。俺は別の意味でも目が回っていたが、それはこの節の最後に明らかになる。
 どこから語れば良いのか、どこまで語れば良いのか。その辺のさじ加減は非常に難しい所だが、とりあえず一つ一つ順を追っていこう。
 まずは五十妻元樹という男について。
 はっきり言ってこの男はクズだ。クズ中のクズ。キングオブクズのクズ日本代表だ。「おもらし」をこよなく愛する変態という時点で頭がおかしいとしか言いようがないが、HVDO能力を得た途端にそれを遺憾なく発揮しまくり、同級生で幼なじみの木下くりを徹底的に辱めた。何の恨みがあるのかは知らないが、その陵辱っぷりたるや恐ろしい物で、会った事もないが、木下くりには心底同情せざるを得ない。
 しかも現在、その木下くりは、別のHVDO能力者春木虎によって「幼女化」しており、記憶も小学生の時代まで巻き戻っている。それを良い事に、五十妻は幼女になった木下くりと同居しているらしく、そして調査によれば、そんな子供に対していかがわしい事を沢山している。木下くりに初潮が来た時も、自分ではどうする事も出来ずにお嬢様を呼びつけ、世話を全てさせたらしい。本当の本当にどうしようもない奴だ! 面倒が見きれないなら最初からお嬢様に預ければいいものを、自分の性欲を優先させるその根性が腐っている。
 その上、俺が柚之原に監禁されている間に、このクズは屋敷を訪れ、お嬢様とその……行為というか何というか、非常にいやらしい事をしようとしたらしい。その企みは柚之原姉妹の連携プレイにより無事阻止されたようだが、一歩間違えばお嬢様の処女はこの男にいただかれていた事になる。許せん。
 柚之原による拷問が精神にかなりのダメージを与えたらしく、今は幼女になった木下くり以外の女子に全く心を開いていないらしい。いわゆるPTSDという奴か。良い気味だ。
 しかしそんな五十妻を、お嬢様は「救いたい」と仰った。俺は断固として意見を述べる。
「お嬢様! 五十妻はロクな奴じゃありません。どうか、目を覚ましてください!」
 お嬢様は「どの口で……」と言いかけ、やめて、
「私が誰と行為をしようが、友貴が気にする事ではないでしょう?」
 と仰られた。
 確かにそうだ。しかしそれを言うなら、柚之原を助けようとする努力もまた、する道理はない。
 俺はお嬢様に一歩近づき、矛盾点を突いてやろうと覚悟を決めて口を開いたが、挙句に出た言葉は、
「……た、確かにそうですが……」
 俺の意気地がこんなに無かったとは思わなかった。


 お嬢様の狙いは、木下くりを幼女化した春木虎を撃破し、その能力を解除、木下くりを元に戻す事により、まずは女性恐怖症になった五十妻の心のより所を無くす。そしてその隙を突いて五十妻を物にする、という事だ。
 いや、「物にする」という言い方は語弊がある。正確には「物にされる」だ。お嬢様の判断によれば、五十妻はお嬢様を飼う資格のある「ご主人様気質の」人間らしい。五十妻がお嬢様のご主人様になったら俺のご主人様はお嬢様ではなくそのご主人様である五十妻になるのだろうか。なんだか自分で言っていて混乱してきた。
 何としても避けたい。というか、こんな事を言ったら柚之原には悪いが、柚之原の処女が無惨に散らされる事よりも、お嬢様が五十妻(というより誰が相手でも)の所有物となる事の方が遙かに恐怖だ。そんな事がこの世界にあってはならない。
 だが、俺には何の力もない。
 死を覚悟して罪を償う勇気はあっても、お嬢様に嫌われる勇気はない。命令に背き、五十妻の命を違法的手段によって奪えば、お嬢様は容赦なく俺の最も恐れる言葉「嫌い」を使うだろう。無視されるかもしれない。視界に入る事さえ無くなる。俺の精神がそれに耐えられる可能性は限りなく0に近い。
 今更になって、変態に目覚めたいという願いは急激に俺の中で強くなっていった。変態になり、HVDO能力に目覚めれば、性癖バトルの名の下に五十妻を倒す可能性が生まれる。五十妻の変態としての素質の底が知れれば、お嬢様は五十妻を見限るかもしれない。ひょっとしたら、俺に……。
 切り替えよう。
 お嬢様はある人物を呼び出した。柚之原の妹であり、獣姦のHVDO能力を持つ、柚之原命(ゆのはらみこと)さんだ。
 俺はこの時に初めて彼女を見たのだが、噂に聞いている通り、柚之原と瓜二つだった。まあ双子なので当たり前といえば当たり前だが、育ちがまるで違うのに、設計図が一緒というだけでこうなるのか。という軽い驚きがあった。強いて違いを見つけるとすれば、少々消極的な感じがするくらいだろうか。柚之原は人と喋る時まっすぐ相手を見るが、命さんは俯いて視線を逸らす。本当に、ただそれくらいの違いだ。顔立ちも、体格も、色の白さも、瞳の魅力も、2人はまさに生き写しだった。
 柚之原と命さんが2人横に並んだ瞬間、俺はお嬢様が命さんを呼び寄せた理由が分かった。
「命さん、何か格闘技をやっていたりしませんか?」
 という俺の質問に答えたのはお嬢様だった。
「代わりに出てもらえないか、という発想だろうけど、残念ながら答えはNOよ。むしろ柚之原の方が強いでしょうね。『変身能力』を使えば話は別でしょうけれど」
「変身能力?」
「ええ。命さんはゴリラとか犬とかハムスターとか、およそ動物なら何でも変身出来るのよ」
 俺は耳を疑いつつ、命さんを見た。
「本当ですか? それなら、柚之原の代わりに出て、ゴリラでも熊でも何でもいいから変身すれば、楽勝なんじゃ……」
 俺の発言はあっさりと却下される。
「変身みたいに分かりやすいHVDO能力をあれだけ大勢の前で使うのは危険だし、そもそも阿竹と御代は『柚之原知恵』を指定している。変身能力を使えば本人でない事が明らかになる」
「で、でもとりあえず急場は凌げるんじゃ……」
「選手のすり替えはペナルティの対象よ。処刑マッチを強制されればますます柚之原は窮地に追い込まれる。そもそも、逆らったと見なされて問答無用で崇拝者に報告される可能性もあるわね」
 これがいわゆる八方塞がりという奴か。となると、1つの疑問が浮かぶ。
「では、どういう理由で命さんを呼び出したのですか?」
 お嬢様に向けた俺の質問に、今度は柚之原が答える。というより、柚之原は俺ではなく命さんに向けて説明する。
「命。お嬢様と、性癖バトルをして」
「……え?」と、命さんは俯きつつ聞き返す。お嬢様もそこに加わる。
「負けてくれとは言わないわ。ただ、私と勝負をしてくれればいいの。あなたは『天然』の能力者だから、性癖バトルを行うにはHVDOに参加する必要がある」
「……どうやってですか?」と、命さん。
「『自分の性癖の方が勝っている』という事を、私たちHVDO能力者の前で宣言すればそれでいいの。その宣言で天然の能力者も性癖バトルに参加出来て、勝てば新しい能力が得られ、負ければ一定期間の性的不能を背負うという制限下に置かれる事になる」
「……」
 命さんは考えている。それもそうだろう。天然の能力者は、わざわざHVDOに参加せずともその能力を使う事が出来る。わざわざリスクを負ってまでやる意味は薄い。それに、参加した途端にお嬢様とのバトルが待っている。となると、答えは必然的だ。
「あの……」
 しばらくの沈黙の後、命さんが乾いた唇を開いた。お嬢様も柚之原も、じっと次の言葉を待つ。
「瑞樹さんの身体は確かに美しいし、その身体を人前で晒す『露出』という性癖はすばらしいと思います」
 やはり命さんに、戦う意思は……。
「だけど、獣に犯される瑞樹さんはもっと最高です」
 5秒。俺は俺の耳を疑った。そして悟る。
 本物の変態は、格が違う。
 この一見内向的で、主張を良しとしない人間の内に秘められた小宇宙を垣間見て、俺は改めてそう思った。俺は変態になれそうにない。変態になるには、俺はあまりにも「普通」すぎる。
「良いわね。では、勝負しましょう」
 お嬢様の宣言の後、たったの2秒で決着がついた。露出の能力を発動し、お嬢様が全裸を晒し、それとほぼ同時に2人の人間が鼻血を噴いた。1人は命さん。そしてもう1人は俺だ。
 どうして人間の脳にUSB端子が無いのかと、薄れ行く景色の中で俺は嘆いた。
 あまりの衝撃に、気絶してしまっていたらしい。目が覚めると、いろいろな事が終わっていた。
 お嬢様は新しい能力を得て、柚之原命さんの生理が止まり、柚之原はというとトレーニングルームに入っていた。闘技場でその日の試合は既に始まっているらしく、お嬢様は1人で見に行った。
 五十妻を助けるには、という言い方をしたくないので、春木虎を倒すには、と言い換える。それにはまず兎にも角にも能力が必要だという結論に、お嬢様は至ったようだ。闘技場のコインはオッズを見て分かるように割に合わない。そもそも元手がたったの10では、増えるチャンスすらない。
 そこで、柚之原の妹である命さんを呼び出したというのがどうやら正しい順番らしい。
 しかしこれでまた一歩、お嬢様が手の届かない所にいってしまった事になる。だが、初めてお嬢様の裸を見る事が出来たその日が俺にとって人生最良の日である事はどうやら間違いなかった。


 柚之原命さんはお嬢様自身が招いた客だったが、もう1人、招かれざる客も9日間の間に三枝邸を訪れていた。
 自称腐女子のピーピングトム。通称トム。HVDOの幹部の1人で、柚之原が裏切る前は直属の上司だったその人だ。
 俺は直接会った訳ではなく、これはお嬢様から聞いた話で、しかもお嬢様自身も直接会った訳ではなく、いきなり声だけが聞こえて会話をしたそうなので、俺には話の要点しか分からない。しかしその日付は11日。確かに1がつく日だったので、柚之原の証言とは一致する。
 その用件とはずばり、柚之原の裏切りについてだった。
 千里眼という能力の性質上、すぐに分かる事だとは思っていたが、そこは流石に幹部、情報は早かった。考えてみれば、闘技場の支配人2人がわざわざ崇拝者に報告しなくとも、トムの方から崇拝者に報告されたらそれで一巻の終わりだ。
 しかしその心配は杞憂に終わった。トムがお嬢様と接触した時点で、阿竹、御代の方から既に口止めがかかっていたようで、また、柚之原がどこまで善戦出来るかにも、トムは多大なる興味があるらしい。
 会ってもいないし喋ってもいないのにこんな事を判断するのはやや早計かもしれないが、おそらくトムという人物はかなり最悪に近い性格の持ち主だと思われる。その出歯亀根性も去る事ながら、自分が楽しむ為なら組織をないがしろにするいい加減さ。……まあ、組織を優先されたらこっちが困るので、その点に関して今回はトムの性格が悪くて助かった。
 とにかくこれで、柚之原が勝ちさえすれば全く問題はなくなった。……と思いたいのだが、根本的な解決はまだまだ先だ。最終的には崇拝者を倒さなければ、柚之原の処女はいつまでも危ない。しかし今、その事について悩んでいる余裕はない。というか、お嬢様ならば必ずその目的を達するだろうという確固たる自身が俺にはある。
 それと、これはわざわざ思い返す必要もないというか、さして重要な事でもないのだが、この9日間で、俺はお嬢様の全裸の他にも、柚之原の下着を3回と、お嬢様の下着を2回と、学校で同級生の下着を10回ほど目撃しているという事実は、明らかにしておかなくてはならない。その1つ1つは、例えばトレーニングルームに柚之原の様子を見に行ったらちょうど着替え中だったり、お嬢様の護衛中に突然の雨が降り、傘を差し出す時に至近距離で透けブラを目撃してしまったり、学校に至っては曲がり角でぶつかってパンチラを拝んだ上、後ろに倒れた拍子に、女子生徒の胸に触れてしまったりだとか。矢吹健太朗でもここまでしねーぞというレベルの、あえて古い言い方をすれば「むふふ」な体験に俺は烈火のごとく見舞われている。
 と、これが俺の目の回る日々、その主な原因だ。
 どこからか飛んできたトマトでぐちゃぐちゃになりながらも、俺は健気に自己擁護を続けよう。これらは全て、全くの事故なのだ。ハプニング。もののはずみ。決してどれも俺が企んだ訳ではない。サイコロの件からも分かるように、最近の俺は、やけに「ツイて」いるのだ。
 またどこからか飛んできたタマゴにまみれながらも俺にはまだ言わなければならない事がある。
 お嬢様の裸を2度目に目撃したのは、9日目、柚之原がリングにあがる前日の事だった。
 お嬢様は春木虎にいよいよ戦いを挑んだ。用意周到な準備の後、春木虎を騙し、能力を自分対象に発動させ、そこを命さんを倒して得たカウンター能力で迎え撃ち、高レベル能力者が相手でも勝ち得る状態を作り上げた。
 俺はお嬢様の露出特別ステージを泣きながら組み上げつつ、それでも、「戦う」という事の意味を柚之原に伝えたいお嬢様の意思を尊重し、最大限の手伝いをした。警察の押さえ込みと、ネットでの工作。三枝家の権力をフルに活用しつつ、久々に(三枝家の)執事らしい働きをした。
 その中には、アナル拡張の経験を生かし、お嬢様の尻の穴にうずらの卵を1個1個詰めていくという作業も含まれていたと言ったら、今度はいよいよかっちかちの石を投げられるだろうが、それだけは死んでしまうので勘弁してもらいたい。ちなみにお嬢様のアナルは神だった。
 この9日間、いや、もっと前から、全ては俺の幸運を中心に回っていた。ステージ上で、お嬢様が木下幼女くりにじゃんけんで負けたのも、俺がお嬢様の裸を見たかったからのような気がしてならない。挙句の果てにはお嬢様の公開オナニーショーまで見てしまい、人生最良の日はこの日に更新された。
 俺は確信する。
 俺の「幸運」は余りにも不自然過ぎる。

     

 お嬢様が更なる高みへと到達し、木下くりが元の身体に戻り、五十妻が女性恐怖症を克服したその日の夜、柚之原は運命の試合当日を迎えた。
 前日、闘技場側から伝えられた柚之原の対戦相手は、見た目には40越えの、体格も柚之原と同等か、むしろ痩せ気味のおっさんだった。これまでの対戦成績は0勝8敗。「冴えないおっさんが鍛えられた美しい女性に逆レイプされる所が見たい」という特定の需要を満たす為だけに存在するような人間だ、という俺の第一印象はあながち間違っていないはずだ。
 拍子抜け、と俺が口にするのは間違っているが、それに近い感情を柚之原自身が覚えたのはまず間違いない。
 確かに、柚之原は格闘技素人で、現役の高校生で、三枝家に仕えるのと、反撃できない相手に拷問を施す事以外に取り柄のないかよわい女子ではある。このくらいのレベルの相手でないと賭けが成立せず試合が流れてしまう可能性は高い。しかしこの9日間、柚之原は寝る間を惜しんで特訓してきたし、お嬢様も決死の野外露出ストリップショーを行う事により、柚之原に闘志を伝えた。つまり万全の体勢だった訳だ。拍子抜け、と言いたくなる気持ちも分かってもらえるはずだ。
 しかしお嬢様だけは気を抜かなかった。
「これは、何かあるわね」
 そのたった一言で、抜けた拍子が一気に手元に戻ってきた。何かある。別の言い方をすれば、何もない訳がない。
「この人、実はもの凄く強いけれど実力を隠してレイプされる事を楽しんでいるドM男とか」
 HVDO的には実に正しい解釈だ。確かにおっさんにはMが多い。俺の個人的見解だが。
「あるいは試合中にわざと柚之原にこの人を傷つけさせて、ペナルティを科して処刑マッチに持っていくつもりなのかも」
 それも大いにありうる。処刑マッチなら賭けが不成立でも試合は行われるので、次に来るのはおそらく闘技場内でも最強の敵だ。柚之原の負けをより惨めに演出するのにこれ以上の手はない。
「……どんな手を使ってくるのか、今の段階では分からないけれど、やはり警戒するにこした事はないわね」
 柚之原も俺も、大きく頷く。何せ失う物が失う物だ。「油断していた」では済まされない。
 実は強い説も、かませ犬説も、その段階では確かめようがなく、不安を取り除く術はなかった。
 しかし現実はもっと強引で、大胆で、想像していた何倍も卑怯だった。闘技場、そしてHVDOという存在はあくまでイリーガルの中にあり、公平さなど二の次であるという事に改めて気づかされたのは、俺と、一応仮面で顔を隠したお嬢様がセコンドに入り、スクリーンには既に確定されたオッズが表示され、そして柚之原がリングの上に立ってからの事だった。


「場内にお集まりの皆様にご案内があります」
 聞き覚えのある声。睨み合って身動きのとれない支配人2人に代わって、実務をこなす謎の男。わざとらしく丁寧なこの口調は間違いなく小橋だ。
「本日、対戦が予定されていました第一試合におきまして、試合開始直前に男性側選手のトラブルが発生した為、急遽選手の変更がされます」
 ざわつく場内。お嬢様と柚之原が顔を見合わせる。「賭けた金はどうなるんだー!?」と誰かが声をあげ、それに追従してブーイングが広がる。
「ご心配ありません! 今回の試合にベットしていただいたお金は全額払い戻し、なおかつ勝者側に賭けていた方には、現在表示されたオッズ通りの払い戻しをさせていただきます!」
 小橋の宣言の後、ゆっくりと歓声が盛り上がっていった。それもそうだ。勝ち分は保障され、例え負けたとしてもチャラ。実質無料で試合が見れ、女側である柚之原が戦う事自体は変わらない。おっさんのファンがどれくらいいたかは分からないが、柚之原の若さとルックスに、初出場ながら並々ならぬ劣情を抱いていた観客達は多いらしい。
 唖然としたままの柚之原とお嬢様と俺に構わず、天井の360度液晶モニターには、黒いシルエットが映し出された。そして鳴り響く警告音。けたたましいサイレンの音。照明による派手な演出の後、小橋をセコンドにつけて入場してきたのは覆面を被った1人の男だった。
 覆面男がこちらに、柚之原に向かって近づいてくる。もちろん顔は覆面によって見えないが、その体格には見覚えがあった。つい最近見たのだから間違えようがない。
 この闘技場に来て2日目、元特殊部隊の女を破った、例の経歴不明の男だ。あれから男は3日もおかずに試合に出て再び勝利を収め、つい2日前もたて続けに勝利していた。いずれも圧倒的な腕力で女子側を圧倒し、試合後のレイプでは必ず中出し。女子側の選手は全員、最初の選手と負けず劣らず、強力な経歴を持った女だったにも関わらず、この男に傷1つつけられなかった。
 男がリングの上に立ち、歓声を一身に浴びる。覆面の裏に隠した、例の凶悪な顔が俺には見えた。
 何が公平だ。何が制裁だ。
 心の中で毒づくと、再び小橋のアナウンスが響いた。見ればセコンドにいつつもマイクを持っている。
「訳あって彼の正体は明かせませんが、実力の程は女子側選手と拮抗していると当闘技場では判断しております。どうぞ、白熱した戦いをお楽しみください」
 わざとらしい煽り文句に、観客たちは賛同と賞賛の声をあげる。おそらく、ほとんどの常連は覆面男の中身が分かっているはずだ。未だ負け無し、新進気鋭の有望なファイター。ほぼ試合は見えた。後はいかに覆面男が、この若くて華奢で美しい女をいかに残酷に陵辱するか。既に賭けの事や、正々堂々とした勝負などどうでも良く、そこだけに興味がいっている。場内の空気は、嫌な方向に一体となっている。
 反吐が出そうになりつつ、俺は何も言わなかった。
 なぜならお嬢様が何も言わなかったからだ。
 そしてお嬢様が何も言わなかった理由も、俺には分かる。
 柚之原が、まだ勝つ事を諦めていなかったからだ。
 柚之原は何を背負っているのだろうか。俺はここにきて想う。HVDOを裏切り、その報いを受ける事に誰よりもこだわっているのは、よく考えてみれば柚之原自身に他ならない。崇拝者との処女譲渡契約。その詳細は、やはりいつか明らかにしなければならないはずだ。


 三枝家地下25Fの闘技場。そこに全国津々浦々から集まった観客たちの視点は今、リング上に全て集中している。世界のどこかでインターネットを通じてこの試合を見る人物も同じはずで、既に賭けた金の安全が確定されている以上、目的は完全なるエロ。柚之原の肉体へと注がれている。
 俺もリング上に目を向ける。
 上はへそ出しタンクトップと、下はボクサーが履く大きめのトランクスといういでたちの柚之原は、普段見るメイド服姿に比べて、何というか非常に、邪な気持ちで見てしまう事は否定できない。柚之原が肌を多く露出している所自体は、アナルを拡張する時に散々見たが、上半身の意外なボリュームに関しては初見だったし、つき始めた筋肉も程よく身体全体を締まって見せた。脳内において理性と1番遠くの位置にある本能が「いやらしい」という判断を下すと、お嬢様は無言で俺の太腿をつねった。
 まずはレフェリーのボディチェック。その後レフェリーはリングから下りて待機し、3分置きのインターバルの直前に再び上がり、試合を中断させる。ここに関してはいつもと同じルールだが、もちろんこれも公平に行われる保証はどこにもない。
「柚之原」
 お嬢様が、リング上の柚之原にマウスピースを渡し、声をかける。
「勝ちなさい」
 三枝家の使用人にとって、お嬢様の命令は絶対だ。それが柚之原ならなおさら。
 柚之原はマウスピースを噛み、じっとお嬢様の目を見てから、頷く。
 覆面男はマウスピースを拒否したようだった。マウスピースの使用は義務ではないので、ルールの範疇だが、完全に舐められているようでいい気はしない。しかしほんの少しだけ有利になった。噛みつき攻撃は、一応ペナルティの対象なので、余程の事が無ければしてこないだろう。
 両者準備が整い、セコンドが確認のサインをレフェリーに送る。
 柚之原が構える。両拳を前後にずらし、同じように足もずらす。身体全体は横に開きつつ、視線は前。上体はわずかに後ろに逸れ、肩を丸めてボックスを作る。この堂に入った構えを見るだけでも、9日間の特訓の成果はあったと確信する。一方で男は、両手を腰のあたりで軽く保ち、足も通常の立ち方と何も変わらない。ラフな構え、とも見れるが、ただ単に手を抜いているというのがおそらく正解だろう。
 レフェリーが手をあげる。そして試合開始のゴングが鳴り、2人は同時に前に出た。
 軽快なステップで近づく柚之原と、まるで散歩するようにゆったりと歩いて近づく覆面男。そして柚之原の先制攻撃が入る。軽い右ジャブ。距離は完璧だったが、男は左手でそれを軽く弾く。続けて左の前蹴り。覆面男は身体を右に軽く反らし、これも避ける。柚之原の一連の動きは、素人の俺から見れば瞬く間だったが、覆面男からすれば遊びのような物だったらしい。柚之原の足は覆面男にいとも容易く掴まれ、柚之原は、足1本で立つ事になった。
「所詮は女だな」
 確かに、覆面男がそう言ったのが聞こえた。次の瞬間、柚之原の軸足も軽く蹴り、掴んだ方の足も同時に放って転ばせる。当然、柚之原の身体は否応なしに転がる。その余りにも無様な様子に、観客達は嘲笑の声をあげる。
 それでも柚之原は立ち上がる。改めて距離をとり、同じ構えをもう1度する。男は覆面の上からでも分かるくらいににやつきながら、無防備なまま柚之原に再び近づいていく。
 間合いに入った瞬間、柚之原が仕掛けた。身を縮めて懐に入り、男の足を踏む。そして近づいた勢いを利用して、もう片方の足で膝蹴りを繰り出す。
 不意を突けたのか、柚之原の懇親の一撃は覆面男のわき腹に命中した。これでダメージがないはずがない。というのは、俺の希望的観測だった。
 まるで平気。というよりむしろわざと喰らってやったと言わんばかりの覆面男は、再び柚之原の足を掴み、今度は掴んだ足を持ち上げた。柚之原はバランスを崩しながら持ち上げられ、やがてリングの上に叩きつけられた。
 試合開始わずか10秒ほどの間に、2度も撃墜された柚之原に、勝算を見いだす事は難しい。
 柚之原は何とか立ち上がったが、今度は起き上がり様に容赦なく覆面男の蹴りが入り、柚之原の身体は吹っ飛ばされる。
 大人と子供、いや、これではハルクと赤ん坊の戦いだ。男はまるで柚之原の努力をあざ笑うように、わざと決め手にならない追撃を加える。股打ち、頬へのビンタ、腹部への、内臓が破裂しない程度に抑えられたブロー。骨を狙えば折れるし、頭部を狙えば意識を失う。それで試合が決まる事は明らかだったが、男はあえてそうしなかった。
 男は柚之原の肉体を破壊するだけではなく、精神を削りにきていた。どんなに屈辱的な攻撃を受け、痣だらけになっても立ち上がる柚之原が、どこまで耐えられるか試しているようだった。
 気づくと2分間も、その絶望的な状況が続いていた。目の前で起こっている事が、「想定された最悪」と酷似し過ぎていて、どうしていいのか分からなかった。ただただ柚之原が不当な暴力に晒されているのを、放心状態で見るしかなかった。
 柚之原の勢いをなくしたパンチが覆面男に捉えられ、腕に引っ張られて肉体も捕獲された。覆面男は柚之原の背後に周り、首を捉える。チョークスリーパー。柚之原から完全に対抗手段を奪った覆面男は、そのまま柚之原の身体を引っ張り、何故かセコンドである俺とお嬢様の近くまでやってきた。
 とっさに俺は、お嬢様の前に立ち。身代わりになる形をとる。
「お前ら何者だ?」
 と、覆面男の質問。こちらが聞きたいくらいだ。俺もお嬢様も沈黙で答える。
「質問が分かりにくかったか。支配人から、この女の性器には絶対に挿入するなと命令されていてな。お前らがそう頼んだんだろ?」
 どうやら、覆面男は何か勘違いをしているようだ。HVDOの事情は知らないようだし、正体はただの鬼畜レイパーか。現状、崇拝者の為にある柚之原の処女は、例え試合とはいえ散らす訳にはいかないという説明が、覆面男にはなされていないようだった。
「なあ、答えろよ」
 俺はちらりと後ろに視線を送る。お嬢様は毅然とした態度で、堅い沈黙を守っている。その様子に、覆面男は苛ついたらしく吐き捨てるように言う。
「……へっ、まあいい。それなら、中出し出来ない分、試合中に遊ばせてもらうだけだ」
 覆面男はほんの一瞬だけ首の拘束を解き、空いた手で柚之原のタンクトップを剥がした。柚之原の、上半身唯一の着衣は上にめくれ、あっという間に乳房が露出する。
 次の瞬間、巨大な風船が割れるような破裂音が聞こえた。会場中の客が一斉に声をあげたのだと気づくのに少しの時間がかった。俺は思わず耳を抑えたが、視線の方は柚之原の露わになった両胸から離れられなかった。悲鳴こそ何とか堪えたようだったが、柚之原の顔面はあっと言う間に赤く染まった。
 拘束を逃れ、再び覆面男に向き直った柚之原は、すぐにタンクトップを下げて胸を隠そうとした。だが、すぐに両腕とも覆面男に捕まれ、強制的に万歳させられ、2つの大きな脂肪が揺れた。しかし覆面男の両腕も使えないので、その瞬間は紛れもないチャンスだった。柚之原が蹴りを繰り出す。だが覆面男は冷静に片膝でそれを処理する。
 更に覆面男は、柚之原の身体を反対側に回し、わざと観客に見せつける形にした。柚之原の真っ白な膨らみも、桃色の乳首も、呆気なく晒されて今は観客全員の物になっている。その事実が俺は悲しく、しかしもっと悲しかったのは、それでも柚之原が羞恥するその姿を見て、起き上がりつつある愚息の存在だった。
「能力を使いなさい」
 背後から、声がかかった。間違いなく、お嬢様の声だ。俺は知らず知らずの内に流していた涙を拭い、後ろを振り向く。
「あなたのHVDO能力を、今すぐに使って柚之原を助けなさい」
 お嬢様の目は真剣だった。
 しかしお嬢様の口にしている言葉の意味が、俺にはまだ分からなかった。

     

 助ける? 柚之原を? どうやって?
「友貴、あなたのHVDO能力で」
「お嬢様、仰っている意味が……」
 俺が1歩下がると、お嬢様は3歩近づいて、俺の首根っこを捕まえた。
「今はふざけている場合じゃないわ」
 いや、本当に……と弁明しようとした時、再び大きな歓声が熱を持って沸き上がった。反射的に俺はリングへと目を向ける。あろう事か、覆面男は柚之原の身体の自由を奪いながらも、その右手で乳房を鷲掴みにしていた。
 それは「攻撃」ではなく、紛れもない「愛撫」。正反対に位置する行為だ。
「やめなさい!」
 お嬢様がそれを見て声をあげたが、この歓声の中では覆面男の耳に届いたかさえ分からない。例え届いたとしても、覆面男は行為をやめなかったはずだ。何故なら罰則規定に、「相手の乳を揉んではいけない」という一文は含まれていない。
 柚之原の両腕は、覆面男の左手1つで完全に押さえ込まれ、足も絡んで動けなくされていた。ただただ観客達の前で乳を揉みしだかれ、辱めを受け続けるしか選択肢のない状態。
 まだ試合の決着もついていないというのに、これだけの事をされている絶望感。いやむしろ、試合中にも関わらずまるで最初から相手にされていない事が、柚之原という人格を完全に否定し、これ以上なく侮辱している。
「あの、お嬢様。俺にはどうする事も出来ません。努力はしましたが、まだ、俺は変態には……」
「目覚めているわ」
 お嬢様の即否定に気圧され、俺は冷や汗を流す。
「私の第三能力が発動した時、あなたは射程範囲内に確実にいた。それと私の公開オナニーを見てあなたが興奮していないはずがない。にも関わらず、影響を受けていないという事は、あなたが効果の対象外。つまり、HVDO能力者だからよ」
 お嬢様の理屈は正しい。確かに俺は、いざという時に備えて五十妻達からは隠れていたが、あの場にいた。そして尋常ではなく興奮もした。にも関わらず能力の影響は受けていない。記憶は無事だし、事実俺は我慢出来ず、数時間ほど前、昨日の件を思い出してふがふがしてしまった。
「俺が……HVDO能力者?」
 それは認めがたい事実だった。まるで実感がない。羽もないのに「君は空が飛べる」と太鼓判を押されているような気分だ。俺は正直に述べる。
「お嬢様の仰っている事は分かります。……ですが、俺には能力がありません。あったとしても、発動のさせ方が全く分かりません」
「おそらく……」と、お嬢様は何かを思い出しつつ、「柚之原の妹、命さんのような、いわゆる『天然の能力者』は、最初意識せずに能力を発動させているのではないかしら。命さんも、動物になる夢を見た時に、実際に動物になっていたようだし」
 仮に、もしそうだったとしても、重要な問題が1つある。
「俺は……変態ではありませんよ」
 お嬢様は明らかに苛ついた様子で、俺を責める。リング上の戦況は悪化している。柚之原の身体は拘束されたまま、乳首に覆面男がむしゃぶりついていた。覆面男の唾液にまみれた柚之原の乳首がふいに露わになる。柚之原が汚されていく。
「今はふざけている場合じゃないの。白状しなさい。あなたはどんな性癖の変態なの?」
「いや、ですから、俺は……」
 お嬢様は俺の胸ぐらを離さない。更にきつく、意外な腕力。俺の首が絞まる。
 その時、ゴングが鳴った。


 レフェリーが素早くリングに入り、ラウンド終了を告げて両者を引き離す。柚之原の身体はようやく自由になり、セコンドに戻ってきた。お嬢様が俺を離してくれたので、俺は椅子を用意して柚之原を迎える。
 椅子に座った柚之原は、近くで見るとますます酷い状態だった。全身についた痣と、口元の切り傷。瞼も腫れて、表情からは恐怖と疲労が漂っている。俺はとりあえずタンクトップを下ろし、丸出しになった乳を隠した。
「友貴。まだしらばっくれるの?」
 柚之原の傷の応急処置をする俺の背中に、お嬢様がそう声をかけた。どんなに責められても、俺が変態ではないという事は俺自身がよく分かっている。
「友貴。あなたがHVDO能力者なのは、さっきも言ったように明らかなのよ。今更隠した所でどうなるのというの」
 仕方なく、俺は答える。
「……百歩譲って、もし俺がHVDO能力者だったとしても、その能力でこの状況を解決出来るかは分かりません。むしろお嬢様がリング上で公開オナニーして記憶を飛ばした方が良いのではないですか?」
 我ながら凄い事を言っている、とは思ったが、お嬢様は冷静に反論された。
「だから、私の能力はHVDO能力者には効かないの。仮に公開オナニーをして観客を全員気絶させた所で、阿竹と御代が健在ならすぐに崇拝者へ柚之原の処女が引き渡されてしまう。公開オナニーする事自体は一向に構わないというかむしろ望む所だけれど、それでは解決どころか対処療法にすらならないのよ」
 最後の変態じみた宣言はいらないんじゃないかと思いつつも、お嬢様の仰っている理屈に間違いはなかった。が、
「だから、あなたのHVDO能力が何かは分からないけれど、とにかく何とかしなさいと言っているのよ」
 これに関しては滅茶苦茶だった。冷静なように見えて、内心では切羽詰まっているのだろう。これは命令ではなくただのわがままだ。
「しかし……」
 それでも身に覚えのない俺が、仕方なく否定を繰り返そうとした時、柚之原がぼそりと呟いた。
「……ラッキースケベ」
 何?
「ラッキースケベ!」
 お嬢様が小声のまま叫んだ。何だその間抜け極まりない単語は。と訝しがる俺。
「それ以外、考えられないようね」
 と、お嬢様。俺は質問する。
「あの、ラッキースケベって何ですか?」
「知らないの? エロ要素の多い恋愛少年漫画の主人公などが標準装備している能力よ。目の前でやたらと女の子が転んでパンツが見えたり、たまたまバランスを崩した先におっぱいがあったり、話の流れで体育館倉庫に2人きりで閉じこめられたり。とにかく意図せずエッチな目にあう事を、ラッキースケベというの」
 確かに、お嬢様が今並べられたそれらのパターンは、これまで死ぬほど見てきた気がする。ベタというか王道というか、いわゆるサービスシーンとして、これらの要素がいきなり介入してくる作品はそれこそいくらでもある。
 その現象を総じて、「ラッキースケベ」と呼称するのは実に正確で的確だ。思わず納得する。
「ずっと考えていたんです……どうしてサイコロ勝負でこの男に4連敗もしてしまったかについて」
 こんな状態になりながらも、柚之原は闘志と敵意を忘れていなかった。もちろん、俺に対しての。
「この男がラッキースケベの能力を持っているのなら、全ての辻褄があいます。ここ数日の事故的なのぞき行為だとか、お嬢様が公開露出を行った際にじゃんけんで負けた事とか。気づくとこの男は破廉恥な幸運に恵まれているのです」
 確かに、柚之原の言う通りだ。牢獄から解放された次の日から、早速俺はお嬢様の偶発的パンチラを拝んでいる。
 だが、俺は別に「ラッキースケベ」に特別な感情を抱いていたりなどしない。恋愛漫画からラッキースケベシーンを切り抜いたりなどしないし、何の苦労もなくいやらしい目に遭いたいなどと思った事は……まあ1度か2度はあるかもしれないが、身を焦がす程に切望した覚えもない。むしろそれは、誰でも思う事ではないだろうか。そこの所が引っかかっていると、お嬢様は思い詰めたように言った。
「幸運とは『無意識下』であるからこそ味わえる特別な甘美。自分からエロを求めれば、その時点でラッキースケベは成立しなくなる。なるほど。納得したわ」
 お嬢様の高貴なる頭脳を、このようなくだらない理屈の為に僅かでも回転させて良いのだろうかと不安に思う。
 しかし確かに、「ラッキースケベ」とは、エロにこだわらないからこそ味わえる状況と言える。HVDO能力に目覚めるほどの性的固執とは、ある意味最も遠くにある概念。「こだわらないというこだわり」とでも言うのか?
 しかし俺がそういう「無意識の変態」であり、「天然の能力者」であり、「ラッキースケベ野郎」だった事を全て認めたとしても、それをどうやってこの状況で生かすのか。すでに試合は始まっている。陵辱公開処刑という名のワンサイドゲームは、既に確定し進行してしまっているのだ。
 そんな俺の失望に、一陣の風が吹き込んだ。
「勝ったわね」
 俺の耳がおかしくなったのか。それとも余りの絶望的な戦況に、お嬢様の頭がおかしくなられたのか。後者は疑う事すら万死に値する。ならば前者か、あるいは事実か。
 それを確かめる時間はなくあっという間に1分が経過し、再びゴングは鳴った。2ラウンド目。俺とお嬢様はリングを降りた。


 勝つ。
 とは、相手に負けを認めさせる事だ。屈服させる事だ。何かを奪う事だ。殺す事だ。
 今の柚之原には、覆面男をそれらの状態に陥らせる事は出来そうにない。ラウンド開始早々、柚之原は相手に向かって突っ込んだ。イチかバチか、乱戦にもつれこみ金的を喰らわせられれば勝機はあると見たのか。その作戦は一見正しいが、しかし現実は相変わらず無情だった。
 体躯に似合わない素早い身のこなしで、決死のタックルを避けた覆面男は、すぐ様柚之原の身体を捉え、今度は寝技に持ち込んだ。そして再びチョークスリーパーから、両腕も巻き込んで固定。右だけの腕力で強引に押さえつけ、あいた左手は柚之原の股間に伸びる。
「処女膜が破れないように気をつけなくちゃな」
 そう、覆面男が柚之原の耳元でささやくのがこの位置からでもギリギリ聞こえた。柚之原は当然暴れたが、無駄な抵抗とはまさにこの事で、何の成果もあげられない。パワー、スピード、スタミナ、根本的な力が桁違いすぎる。
 上がっていく観客の興奮度に反し、再び冷えきっていく俺の感情。そこにお嬢様が再び熱湯をそそぎ込む。
「友貴、これから私の言う事をよく聞きなさい」
 俺は振り向き、お嬢様の目をのぞき込む。何か、お嬢様の黒目の周りに、一瞬輝きのような物が見えた。これが希望か? ユダはジーザスの瞳にこれを見たのか。
 お嬢様は一呼吸おいて、
「この試合、柚之原がもしも勝ったら、あなたは私のおっぱいを10分だけ好きなようにしなさい」
 と、静寂より静かな声で俺に命じられた。

     

 100万円、道端に落ちていて、一瞬の躊躇もなく自らの懐に入れられる人間はそう滅多にいない。誰のお金か、何のお金か分からないし、周りで誰かが見ているかもしれない。何かの罠かと疑ったり、冗談だと思って笑う人もいるかもしれない。ぱっと見たその瞬間に、「俺の物だ!」と飛びつける人間は、よほどの知恵遅れか、絶対にチャンスを逃がさない大物だろう。
 お嬢様からの提案はそれに近かった。超絶平凡人である俺は、ただただ躊躇うのみでまともに言葉も紡げなかった。が、その必要もなかった。
「何かを言おうとしているのなら、無駄よ。これはあくまで私からの命令。柚之原がこの試合に勝った時、あなたは私のおっぱいを、あなたの望むままに10分間だけ弄びなさいと言っているの。分かった?」
「で、ですが……」
「答えは『かしこまりました』だけよ」
「……かしこまりました」
 選択肢の無い事が、こんなに楽な事だとは思わなかった。お嬢様に仕える事は俺の人生そのものだ。今まで何を悩み、何についてあれこれと考えてきたのだろう。凡人だろうと変態だろうと、HVDO能力者だろうとそうでなかろうと、俺はたたお嬢様の命令に従い、お嬢様の幸福を祈り、お嬢様を陰ながら支えられればそれでいい。他の事は所詮瑣末事に過ぎない。
 お嬢様は、俺の「好きなように」と命令なされた。だからもしも柚之原が勝ったら、まずは生でお嬢様のおっぱいを見よう。それから触って、揉んでみて、様子を見つつ大丈夫そうなら吸ってみよう。それが命令なら仕方ないのだ。
 俺の邪な決意が固まった。
 そうこうしている内にも、柚之原の戦況は悪化していた。覆面男は仰向けになった柚之原に跨り、いわゆるマウントポジションの形で柚之原のパンチを軽くあしらっていた。乗られた体勢から繰り出すパンチは、腰も入っておらず当然威力は低い。覆面男の頑強な身体にそんなものが通るはずもなく、覆面男は余裕たっぷりに、ボクサーパンツを脱ぎ、下半身を露出させた。
「噛まれたらたまらないからな。せめて擦りつけさせてもらうぜ」
 覆面男はにやにやと笑いながら、マウントポジションから柚之原の両手を押さえつつ、覆い被さる形になった。腰を浮かせたが、鈍器としても使えるようなふくらはぎで柚之原の両足は自由を奪われている。もちろん柚之原は精一杯抵抗しているが、一向に成果は現れず、ただただ観客達を喜ばせてしまっている。
 覆面男の怒張した一物が、柚之原の真っ白な肌に触れる。腹部、特にへそのあたりを鬼頭が這い、臭いを染みつけるように動いていた。
 やはり柚之原にも勝ち目はないし、俺にはラッキースケベの能力などはない。俺がそう確信した瞬間、事態は急転直下の展開を見せる。
 ラッキースケベ。
 ひょっとするとこれは、「最強」の性質なのではないかと思いながら、俺はお嬢様を押し倒し、その上に被さった。


 それは余りにも唐突で、強大で、実に馬鹿げた衝撃だった。がくん、と地面が抜け落ちるような錯覚。意図しない視界の変化に、肉体も意識もついていけない。続けて観客から歓声の類ではない悲鳴が巻き上がり、俺は振動を認識する。
 地震だ。
 それも途方もなく大きな、「震災」という言葉を使う事を許可されるレベルの巨大地震だった。
 そうか、と俺は気づく。この闘技場は三枝家地下25Fにある。震源がどこかは分からないが、地上よりも近い分、揺れも大きい。下手をすると出られなくなるかもしれない。いや、最悪このまま圧死の可能性もある。
 今、とにかく俺に出来る事は、お嬢様を庇う事しかなかった。覆いかぶさったのはそういう理由で、辛抱たまらなくなった訳ではない。大体30秒ほどだろうか、俺は目を瞑り、お嬢様の上で揺られながら、「失礼します! 失礼します!」と連呼していた。場内は阿鼻叫喚のるつぼだった。
「もう大丈夫だから」
 揺れが収まり、地震発生から1分ほどが経ち、お嬢様が落ち着いた口調で俺に声をかけた。俺は身体を起こし、お嬢様の無事を確認しようと目を開く。すると、気づかぬ内に今の地震で停電していたらしく、周りは真っ暗だった。客席に、ちらほらとライターなどの明かりが瞬いているが、それでも視界はほとんど無く、たった5m先の物も薄ぼんやりとしか見えない。それでもどうにかお嬢様の顔と身体は見えた。
「お嬢様、お怪我はございませんか?」
「ええ。友貴は?」
「大丈夫です」
 お嬢様のご無事に、俺は心から安堵する。だが気を抜いた瞬間、もう1つの心配事が蘇る。
 俺はリングに目を向ける。目を凝らし、その中心で行われていた攻防の続きを探す。
 戦況は、変わっていなかった。もしかしたら、このアクシデントをチャンスに変えて、柚之原が一撃を決めたかもしれないとほんの少しだけ期待したのだが、現実はそう甘くないらしい。柚之原自身も狼狽えて余裕がなかったか、それとも覆面男がいっさい気を抜かなかったのか、詳細は分からないがとにかく、覆面男の身体は柚之原を下に抑えつけ、加えて勃起も収まっていないようだった。
 もう少しすれば副電源からの供給が始まり、明かりが戻る。そしておそらく、この程度のアクシデントでは試合は中止にならず、再び陵辱が開始される。状況は何ら好転していないではないか、と俺が思った瞬間、観客席から誰かが叫んだ。
「落ちるぞ!」
 俺はとっさに天井へと目を向ける。闇に慣れてきた目が、危険を捉える。
 選手紹介やオッズ発表に使われる360度液晶モニター。その支えとなっている支柱が折れ曲がり、非常に不安定な状態になっていた。
 そして余震が起こる。先ほどの地震よりは小さいが、とどめを刺すには十分な衝撃だった。


 落下していく様が、俺には確かにスローモーションに見えた。電源が落ち、真っ黒になった画面。それは既にモニターではなく、ただの鉄の塊であり、そして処刑用にしては似つかわしくない不格好で歪なギロチンだった。
 見た所、0.5~1t程度の重量がある物が、頭上3mほどから落下し、背中を直撃した時の衝撃など想像もつかないが、結果は何となく察しがつく。
 衝撃音。それに混じり、骨の折れる音と、肉の弾ける音。
 皮肉にも、柚之原を庇った形となった覆面男の口から、鮮血が飛び出る。
 ひしゃげて画面の割れた巨大モニターが、覆面男の背中を伝ってリングの上に転がる。覆面男は微動だにしない。しかし力は抜けたらしく、柚之原は脱出に成功した。
「知恵!」
 お嬢様が声をかけ、それに導かれて柚之原が足を引きずりながら四つん這いで近づいてくる。どこか怪我をしたのだろうか。酷くなければいいが。
 まだ完全に余震が収まった訳ではないが、俺は少し落ち着きを取り戻し、ゆっくりと認識してくる。俺はどうやら「ラッキースケベ」のHVDO能力者という事で間違いないらしい。突然の地震と、モニターの落下。覆面男は再起不能で、柚之原の勝利。つまり、お嬢様のおっぱいは俺の物。俺は内心こみ上げる喜びを抑えきれず振り向き、衝動的にお嬢様に尋ねた。
「お嬢様、俺も少しはお役に立てたでしょうか?」
 お嬢様は微笑み、「ええ」と答えてくれる。……という場面を俺は望んだのだが、そうはならなかった。闇の中にあるお嬢様の顔は恐怖に陰り、何か「あってはならない物」を見てしまったかのように戦慄していた。
 ありえない事が起こっていた。
 都合良く地震が起こり、都合良く敵にモニターが直撃し、都合良く味方だけが逃げられた事も十分「ありえない」が、それはまだHVDO能力の存在によって説明がつく。しかし次に起きた「ありえない事」は、正真正銘、人間の限界という意味で「ありえない」。
 俺はお嬢様の視線を追いかけ、再度リングに目を向ける。
 暗闇の中で、覆面男が立っていた。俺達だけではなく、観客もそれに気づき、歓声があがる。
 口からは血をだらだらと流しながら、左腕はありえない方向に曲がっている。が、堂々と2本の足で立っていたのだ。しかも丸出しのままだった陰茎は、未だ勃起せずむしろ先ほどよりも大きくなっている気がする。覆面男を動かすのは生存本能か生殖本能か。とにかく、人外のタフネスである事は間違いない。
「柚之原! 逃げろ!」
 覆面男が柚之原の背後をとる形になったのを目撃した俺は、思わず叫んだ。だが、俺の指示はてんで的外れだった。
 覆面男は柚之原の存在を無視し(そもそも見えていないのか?)、こちらのほうに近づいてきた。ぶつぶつと何かを言っていたが、それが聞き取れたのは覆面男がロープに手をかけた時だった。
「許さねえ……お前らの陰謀だろ……どっちがボスだ? お前か? 2人ともか?」
 俺はとっさに両手を広げ、お嬢様を庇う形をとる。それがむしろ良くなかった。
「女の方だな。……そいつは好都合だ」
 どうやら覆面男は、モニターの落下がこちらの策だと勘違いしているらしい。となると、地震もそうだと思っているのだろうか。確かに俺のHVDO能力がおそらくの原因なので間違ってはいないが、そこに論理的思考はない。
 柚之原のレイプ禁止という条件と、実力差のありすぎるマッチング、そして採算度外視の賭け金払い戻しは、俺達だけではなく覆面男にも「話がうますぎる」という逆の不信感を与えていたのだろう。そして実際こうして、覆面男は窮地に追い込まれた。そこに陰謀があると確信するには十分な要素が揃っていた。
「止まれ! それ以上近づくな!」
 と、俺は叫んだが、無駄だった。覆面男はロープをくぐり、俺の身体を弾き飛ばした。何という力だ。柚之原はこんな男と戦っていたのかと驚愕する。
 覆面男の、まだ無事な右手がお嬢様に伸びる。
「この代償はお前の身体で払ってもらうぜ! 全身が変形するまでぶん殴って! 孕むまでレイプしてやる! 覚悟しろよ!」
 宣言と同時に、覆面男の手がお嬢様の首を掴んだ。
 その瞬間、覆面男の身体が消失した。
「……間に合いました」
 柚之原のHVDO能力、例の牢獄を思い出す。
 そういえば俺があそこに飛ばされた時も、寝ているお嬢様の唇を無断で奪った時だった。

     

 明かりが戻り、余震も収まり、ようやく皆が試合の行方に注目した時、既に決着はついていた。リング上にはただ1人、柚之原だけが残されて、覆面男の姿はどこにもない。ざわつく会場。どうやら覆面男が消えた所をしっかりと目撃した者はほとんどいないか、あるいはいても信じられなかったのか。「逃げたのか?」「モニターの下敷きになっているんじゃ……?」観客達は口々に見当はずれの予想を述べるだけで、幸い柚之原に疑いの目が向けられる事はなかった。常識的に考えれば、あの巨体を一瞬で消す方法などあるはずがないし、仮にあったとしてもまともに立つ事すら出来ない今の柚之原が実行出来るはずがない。
「えー……異常事態ですが、これより10カウント以内にリングに戻ってこれない場合、試合中の逃亡とみなし、ペナルティを課し、この試合も男性側選手の敗北とさせていただきます」
 小橋がそう案内し、ゆっくりとゴングが響く。客席からはブーイングが鳴り止まなかったが、ゴングが止まる事もなかった。……8、9、10カウント。あっさりと柚之原の勝利が確定する。
「本日の第一試合は、女性側の勝利です。また、本日予定されておりました他の試合については、リングと備品の欠損により中止とさせていだきます」
 小橋の宣言と共に、医療班が駆けつけ、柚之原がリングを降りる。お嬢様は担架で運ばれる柚之原に何かを耳打ちし、その後頭を優しく撫でた。覆面男の容赦ない攻撃でも決して流さなかった涙を柚之原が流し、長い一日が終わった。


 翌日より、平穏な日々が戻ってきた。柚之原の怪我は打撲や捻挫など全治1週間ほどで、後遺症も残らないという。それを聞いた俺は心底ほっとしたが、柚之原としてはやはりあれだけ大勢の前で恥をかかされた事はどうにも許せない事らしく、覆面男はまだしばらくの間日の光を拝めそうにない。俺自身があの部屋の恐ろしさを経験しているだけに、同情の気持ちも無い訳ではないが、やはりお嬢様を傷つけようとした罪は非常に重い。
 柚之原は試合の翌日、お嬢様に3つの事を告白した。
 もうずっと前から、お嬢様が露出狂の変態である事には気づいており、行為のエスカレートにより、やがてくるであろう破滅を危惧していた事。
 崇拝者への処女譲渡契約は、元々持っていた拷問好きの性癖を成長させ、「お嬢様を守るHVDO能力」を手に入れる為にしたという事。
 そして、お嬢様の事を主従関係以上の対象として見ている事。柚之原自身の言葉を借りて言えば、「愛しています」という事。
「その言葉は、2人きりの時に聞きたかったわね」
 と、お嬢様が呟いたので、同席していた俺はこの上なく空気の読めない男だったと反省した。しかしHVDOに関する話に関しては、能力者なりたて(正確には気づきたて)の俺としても聞いておかなければならない話が多かった。
 まず、俺の能力は「ラッキースケベ」で間違いない。それも真正の変態だけがなれるという「天然の能力者」であり、その存在は希有だという。
 そして重要なのは、HVDO、というか崇拝者によって目覚めさせられた、逆の言い方をすれば「非天然」の能力者は、能力に目覚めた瞬間から「性癖バトル」への参加が強制されているが、天然の場合はHVDOの認識と、宣言が必要となる。命さんのしたアレだ。
 悩んだ結果、俺は宣言しなかった。
 心的姿勢として、誉められた物じゃないというのは分かっているし、腰抜け野郎と言われても返す言葉が見つからないが、申し訳ない事に、俺は未だに自分が変態であるという事を信じられていないのだ。
 ラッキースケベは好きだ。というか、単純に嬉しい。そもそもラッキースケベが嬉しくない奴などチベットの修行僧以外にはいない。それは分かる。
 しかし、例えばお嬢様の露出だとか、柚之原の拷問だとか、命さんの獣姦だとかとは、比べ物にならないというか、同じ土俵に立つ事すら許されないような階級の違いをどうしても感じてしまう。実際、俺はこのラッキースケベを具体的にどうやって運用していいか分からない。放っておいても勝手に嬉しい目に合うが、能動的に使おうとするならば、柚之原を助ける為にした時のように、お嬢様が条件をつけてくれなければ、発動すらしない。
 だから俺は、いっその事お嬢様の道具になる事に決めた。いやらしい意味ではなく、お嬢様にとって何か不都合な事が起きた時、俺に対価を支払い、事態を好転させる装置。その対価というのが結局いやらしい意味を帯びてくるのは不可抗力という奴だ。
 お嬢様も柚之原も、その方針には同意してくれた。俺が参戦を宣言し、お嬢様に能力を1つだけ譲るよりも、俺の能力を使って、闘技場で、例の賭けをした方が結果として得られる物は大きい。
 そして、お嬢様がした例の命令を俺は実行する事になった。10分間のおっぱいタイム。「衝動的に刺し殺してしまいそうなので」と柚之原は席を外し、深夜、お嬢様の部屋にて2人きりになった俺は、10分間おっぱいを揉み続けた。
 断っておくが、俺は1度断った。「目的は既に達せられたのですし、お嬢様がお嫌ならば、命令は実行しなくとも構わないのではないですか?」と。既に幸運は得ているのだから、無理してまでその代金を払わなくても、という考え方はやはり間違っていた。お嬢様は答える。「1度でも約束を破れば、あなたは私を心のどこかで信じなくなる」俺は慌てて否定しようとしたが、お嬢様は続ける。「それと同じで、私の命令が実行されなければ、私はあなたを信じなくなる」と、天まで上る心地の良い脅し文句を頂いた。
 ならば揉もう。世界が終わるその前に、俺はお嬢様の生おっぱいを揉んで死ねるのだ。
 勇壮なる決意と共に挑んだ行為は、俺に経験した事のない痛すぎる勃起と、宗教的とも言える救済の快感と、奇妙な感触の虚無感を残した。行為の最中、お嬢様はずっと目を瞑っていた。最初は、気を許している証拠だと自惚れていたが、5分ほど経過して鈍い俺でも気づいた。お嬢様は、頭の中で俺ではない誰かの事を考えていたのだ。
 察しはつく。お嬢様が「ご主人様」と呼ぶあの憎い男だと見て間違いない。俺の手の感触を感じながら、他の男の事を考えられる。
 こんなに虚しい事はない。
 残りの5分、俺は開き直って、自らの欲望に忠実になる事にした。遠慮がちに攻めていた乳首も、親の仇かという勢いでこねくり回し、寄せたり離したり、手の上に乗せて転がしたり、まさに命令通り、「俺の好きなように」弄んだ。
 ますます痛く、ますます嬉しく、ますます虚しくなるだけだった。


 闘技場は、1週間の休止の後、何事も無かったかのように再開された。阿竹と御代、2人の支配人に再び会いに行き、お嬢様は現在持っている3能力すべてをコインに変えた。そしてオッズの高い方に全額を賭け、「予定通りに」俺の能力を駆使し、勝ちまくった。柚之原の時ほど派手な事が起きなくても、本来の試合はそこそこに実力が拮抗した者同士の闘いの為、運の要素はさりげなく出現していた。
 怪しまれないように少し間をあけつつ大きく張り、時々少なく賭けた所で負けたりだとかの小細工も忘れず行い、極悪オッズにも関わらず、約1ヶ月間でお嬢様は当初の2倍のコイン。つまり6つ目の能力まで得る事となった。
 その課程で俺が得た物は、お嬢様の使用済みパンツ約80枚。ブラジャー約50枚。いつでも使える添い寝券10枚。ヌード写真500枚。性器鑑賞券合計1時間分。あとは小学生の時に使っていたリコーダーやら、飲みかけのペットボトルやら小物が大量といった所。ウルルンで全問正解してももらえない素晴らしい賞品の数々に、俺の所持している実質の資産価値はおそらくビルゲイツとタメを張るくらいにまで膨れ上がったが、お嬢様にとっては露出に関する新たな能力の方が重要らしかった。
 いくら慎重に、秘密裏にやっていたとはいえ、流石にここまでやれば「何かは分からないが何かをしている」という事がバレたようで、闘技場で初となるらしい「出入り禁止」を喰らった。
 そしていよいよ、奴が現れたのだ。


 ある日の事。
 三枝家に女の訪問者がやってきた。それ自体は何ら珍しい事ではないが、その女が会いに来たのは三枝家の人間ではなく、2人の使用人、つまり柚之原と俺だった。
 主ではなく使用人を訪ねてくる客自体がまず珍しいが、この組み合わせに会いたい人間というのは更に限られてくる。お嬢様もそれに気づかないはずがなく、性的臨戦態勢を整え、その女を出迎えた。
 門をくぐり、本宅までやってきた女は、20代後半くらいの巨乳眼鏡で、異様に表情の陰った根暗系だった。喋り出すとその印象はますます確定した。
「あ、あ、あの……突然ですいません……」
 心優しいメドゥーサかと思うほどに決して目を合わさず、床に向かって喋る様は、少しだけ命さんと被ったが、この女の場合は大人しいというよりただただ暗い。
 放っておくと話が進まないと判断したお嬢様はこう促す。
「HVDO関係の事だとは察しています。性癖バトルですか?」
「え、HVDO関係なのは間違いないんですけれども……バトルをしにきた訳ではないです……」
 と、女。
「そうですか」と、お嬢様は少し気の抜けた様子で、「ところで自己紹介は苦手ですか?」とちくっと質問をした。
 女は動揺し、慌てた様子で喋る。
「すすすすみません! わ、私はトムです。あの……ピーピング……」
 時間が止まる。おそらく3人の中で1番驚いたのは柚之原だったはずだ。
「……確かに、声は似ています」
 柚之原がお嬢様に報告し、お嬢様は少し考える。
「ピーピング・トムというと、千里眼のような能力の?」
「……はい」
「腐女子の?」
「……はい」
「HVDOの幹部の?」
「……はい」
「姿を見せない時はべらべらと好き勝手な事を喋って、ふざけまくるあのトム?」
「……はい」
 年齢差としてはむしろ逆だが、その姿は放課後呼び出されて怒られる生徒のようだった。
「あの……わ、私、極度の人見知りで、顔さえ見られていなければ大丈夫なんですけど……こうして面と向かって喋ると、ちょっと……」
 面と向かってないじゃないか、と言いたくなったが、黙っておいた。
「信じられないわね。証拠は見せられる?」
「……はい。その為に来ました」
 自称トムが1歩近づく。となると、俺も黙ってはいられない。油断させておいて、性癖バトルを仕掛けてくる作戦かもしれない。止めに入ろうとする俺を、お嬢様が制する。
「心配いらないわ。私は今、誰が相手でも負ける気がしない」
 お嬢様は、表面上いつも謙虚ではあるが、内心は相当の自信家だ。この言葉は歴代の発言の中でも最も自信に満ち溢れていた。これを疑う事は出来ない。それに、この女がトムであるという事も、油断させて不意打ちに来たという事も、余りにも「予想の範疇」過ぎる。それと3対1だ。
「……少し時間をいただいていいですか?」
 ええ、とお嬢様の承諾を得た自称トムは、椅子に座るお嬢様の背後に回り、手を肩に乗せる。
「……目を瞑ってください」
 お嬢様は指示されるがまま目を瞑る。
 その姿勢のまま、1時間ほどの時間が経過した。
 柚之原曰く、これはトムの能力の一部で、触れている相手に自分と同じ物を見せる能力らしい。トムはこれを使い、五十妻をからかったりしていたらしいが、お嬢様に何を見せているかは分からないらしい。
 やがて戻ってきたお嬢様は、不安げな俺と柚之原に向けて、こう仰った。
「崇拝者に会ってきたわ」
 トムのHVDO能力は、どこかを覗き見るのにも使えるが、相手が覗かれる事を知っていれば、つまり通信機のようにも使える訳だ。などと納得もしてみたが、肝心なのはその会っている相手だ。
「変な事はされませんでしたか!?」
 俺は堪えきれず聞いたが、少なくともお嬢様の肉体はずっと目の前にあった。愚問というやつだ。しかし処女譲渡契約の件もある。
「されてないけれど、変な事にはなってきたかもしれないわね」
 お嬢様はそう言って、楽しげに笑った。


 更にその数日後、トム以上の珍客が三枝邸を訪れ、俺は驚愕の事実を知る事になったのだが、この件に関しては然るべき時、然る人の口から直接本人に伝えてもらおうと思う。
 最後に、たった1つだけ言える事は、俺がいる限りお嬢様に敵はいないという事だ。

       

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