Neetel Inside ニートノベル
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HVDO〜変態少女開発機構〜
第五話「操られた四肢は誤解する」

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 カーテン越しにも分かる日の光に、瞼はほだされるように開いて、むくりとベッドから身体を起こすと、少しだるいような、まだ現実ではないような、そんな気分にさせられ、窓を開けば、冬の朝の冷たく新鮮な空気が頬に触れ、どこからか鳥の鳴き声もして、見下ろすと、ちょうど収集車がゴミの回収に来ていました。
 それは明らかに、いつもとは違う目覚めでした。
 自分はその違いにいち早く気づき、ぎょっとして後ろを振り返りましたが、そこに求める姿は無く、急いで時計を確かめてみると、朝、いや昼前の10時。日付が2、3日飛んでいるという訳でもなく、平凡な平日。自分は鏡の前に立ち、自分が自分である事と、夢では無い事を確認すると、言葉は自然と零れました。
「治った……?」
 それが適切な表現であったかどうかは分かりませんが、確かに今日、自分は、自力で、誰の力も借りる事なく、ただ自然に、ただ普通に、目覚める事が出来たのです。あの厄介な、誰かに激しくいじめられないと起きられない性質が、今日は発現しなかったのです。
 同時に、別の事にも気がつきました。
 自分が起こされていないという事イコール、あの希代のおもらし女が、今朝は自分を起こしに来なかったという事です。ひょっとすると、自分の体質はとっくの昔に改善されており、くりちゃんによる折檻が無くとも、時間の経過によって起きる事が出来たのかもしれません。だとすると、今まで自分は全くもって無駄な肉体的苦痛を与えられていたという事になり、これは性的な復讐をもってしか償えない、重い重い罪だと思われました。
 今はとにかく、学校へと急ぎましょう。遅刻は大した問題ではありませんが、女子の放尿を見るチャンスが減ってしまうのは非常に残念な事ですから。
 そう、音羽君を撃破した後の事を、少しばかり語らねばなりません。あれから自分は、音羽君が気を失っているのを確認し、部屋まで肩を貸して運ぶと、ちんぽが消滅し、普通の女の子に戻っていたくりちゃんの拘束を解き(自分が音羽君と戦っている間に、くりちゃんは足の拘束だけは自力で解いて、かろうじてパンツを履いていたようです)、そのまま何の後始末もする事なく、音羽邸を後にしました。当然、くりちゃんは激怒していましたが、不思議にも自分が半殺しの目に合わされる事はありませんでした。
 それはそれは酷い過程ではありましたが、結果として、くりちゃんのちんぽ問題を解決した成果を認めてくれたのか、はたまた、もう怒る気力も無くなってしまったのか、礼こそ言わないものの、その次の日の朝も普通に、目覚めの垂直落下式パワーボムによって起こしてもらえたたので、感謝の意は十分に伝わりました。
 それから約1週間の日々は、自分にとって人生最良の時であったように思われます。自分が音羽君を撃破した事によって得た能力は、値千金、神に五十歩も百歩も近づくような代物だったのです。


第五話


 しゃあせぇ~というやる気の無い挨拶をする、眠そうなコンビニの女性店員。21%。
 乳母車に赤ちゃんを乗せて、買い物袋を下げながら公園に入っていく若い主婦。36%。
 店先に水と笑顔を振りまきながら、朝から元気よく働いている美人のお花屋さん。48%。
 晴れ晴れとした表情で並んで歩く女子高生三人組。右から、12%。67%。92%。
 ビンゴ。
 自分は通学路から外れ、その女子高生三人組の後を追います。悟られぬように、意識させぬように、ここ数日で、随分と自分の尾行術は上達しました。
「てかさー、マジありえないんだけどー」と、右。
「ねー、超ウケるー。あ、帰りマック寄ってく?」と、真ん中。
「全然行く行くー」と、左。
 表情や会話からではほとんど分かりませんが、焦点を絞って観察すれば、その若干の内股と、下腹部から股間にかけてを気遣う微妙な動きに気づけるはずです。
 自分は三人組の後を追いかけてファーストフード店に入店しました。左の数値をもう一度確認します。94%。ほら、もう行くしかありませんよ。
「あ、ごめーん。先に頼んどいてー。ちょっとトイレ行ってくる」
 きたきたきたきた。にたりと頬が緩みます。
 そこで自分は第二の能力、W.C.ロックをすかさず発動し、この店のトイレを一時的に封鎖します。
「なんか誰か入ってたわーマジむかつく」
 と言いながら戻ってくる左子(正確な名前が分からないので、とりあえずこう名づけます)。数値は95%。甘美なる予感に胸が高鳴ります。
 三人組の後に並んだ自分は、ハッピーセットを頼んでおもちゃをもらい、二階へと追いかけました。三人組は、外の景色が見られる窓際のカウンター席に並んで座っており、自分はその隣に二席ほど空間を開けて座りました。この位置取りは、「その瞬間」を決して見逃さぬよう、最適なアングルで見られるという瞬時の判断によるものでありまして、自分はあくまでも平然とした面持ちで、数値の上昇を眺めました。97%、98%、99%……。そして一瞬100%になったかと思うと、99%に戻る。これは、「少しずつ漏れてる」という事実を示しています。
 流石にここまでくると、友人達は「大丈夫?」「顔色悪いよ」と心配し始め、左子さんも「う、うん」と生返事するしかない状況にまで堕ちました。
 そわそわと落ち着きなく、周りをキョロキョロと見回し、当然セットのドリンクには一切手をつけず、トイレから早く人が出てこないか凝視する姿を横目で見ながら、少し早い昼食に舌鼓を打ちました。


 そしていよいよ、その時は訪れました。
「も、もう駄目!」突然叫んで立ち上がり、「ごめん! すぐ戻ってくるから!」唖然とする友人達にそう言い残して、左子さんは階段を駆け足で下りていきました。おそらく、いつまで経っても開かないトイレに絶望したのでしょう。友人の前で盛大に漏らすよりはマシであると、他の店に行ってトイレを借りようと、店からの脱出を図った模様です。
 ですが、時既に遅し。101%まで達した数値を頭の上に掲げた左子さんは、あまりに焦りすぎていた為、店の前ですっころびました。
 窓越の席から、自分は平然とその様子を眺めました。友人達も左子さんの異変に気づいたらしく、つばを飲み、ドン引きしながら見ています。店の前で、パンツからじょぼじょぼと液体を垂れ流す女子高生。それは、普通に生活していれば、まず滅多に見られない光景でした。
 黄命、第三の能力、「ブラダーサイト」は、「その人物がどれくらい尿を我慢しているか」が正確に分かる、究極の能力なのです。自分はこの能力と、第二の能力を組み合わせる事によって、街行く美しい女性のおもらしシーンを効率的に見学する事が出来るようになりました。
 その速射性、確実性、単純な威力に関しては、第一の能力に軍配が上がりますが、この能力の実に便利な所は、わざわざ対象に触れずとも、近くにいるだけで攻撃が完了するという点です。しかも、おしっこの我慢が始まってから、決壊するまでの時間を、存分に楽しめるというおまけつき。 自分は改めて、心からHVDOに感謝しました。
 さて、食欲と性欲が十分に満たされた所で、学校へ向かう事にしましょう。この分だと、辿りつくのは四時限の終わりあたりでしょうか。
 そう考えていた時、脳髄の奥底に沈んだまま、ソナーにすら引っかからなかった記憶が、急浮上してきました。
 今日は、中学校生活最後のテストがある日だったのです。
 というかそもそも、自分は今、受験生でした。生活態度が悪すぎて、推薦を貰えなかった自分には、一般入試しか選択肢がなく、既に志望校も決まっており、後は願書を提出し、試験を受けるだけという所まで話は進んでいたのです。このような人生の一大事を、ここ二週間すっかり忘れていた理由は、まず間違いなくHVDOが与えてくれた能力のせいでしょう。先ほど自分がさしあげた感謝の一部を、出来れば少しだけ戻して欲しくもなりました。
 何せ、この能力を得てからというもの、昼夜を問わず目の前に浮かぶのは、めくるめく性の春景色。寒い日が続きますが、いつもぽっかぽか、ときめきに満ちためくるめく日々であったと、自分は納得してしまうのです。
 なんとなく、くりちゃんが自分を起こしにこなかった理由が推察できました。自分の学力とくりちゃんの学力は、なぜかは分かりませんが入学以降限りなく正確な比例関係にあり、このまま高校への進学を選択すると、同じく清陽高校を志望、合格、入学する事が明らかなのです。
 それが現実の事となると、くりちゃんにとっては地獄が更にあと三年間続く事になり、これはなんとしても避けねばならない、と彼女は判断したのでしょう。だからくりちゃんは、性敵をワンランク下がった高校に追いやるか、あるいはいっそ高校浪人させようと企み、大事なテストがある今日、わざと起こしに来なかったという訳です。なるほど、とんでもない悪女です。後でたっぷりとお仕置きが必要なようですね。


 紆余曲折の後、学校に到着すると、そんな自分の予想は見事大きく外れました。
「五十妻! お前!」
 一目自分を見てからすぐに、烈火のごとく怒り出した教師。1日目のテストが終わり、帰りのHRにて、「明日もテストなので、決して気を抜かぬように」と生徒達を諌めていた時に、ハッピーセットのおもちゃを持った生徒が、堂々と教室に入ってきた時の心情は、察するに余りあります。
「お前は本当に何から何まで……」
 くどくどと説教が始まるのを見越して、何人かの生徒が立ち上がり、「先生、僕達明日の勉強したいんでもう帰っていいですか?」と提案し、先生もそれを許可し、教室には自分と、先生と、何人かの生徒が残されました。ですがその中に、くりちゃんの姿は無かったのです。
 気になって、耳栓を外し、自分は教師に尋ねました。
「先生、くりちゃ……木下さんはどうしたのですか?」
「お前耳栓なんかつけてたのか!? 鼻から聞く気ねえじゃねえか!」
 真冬の日本海のように荒れ狂う教師はもう手がつけられず、知りたかった情報を教えてくれたのは、自分の肩を叩いた三枝委員長でした。
「木下さんは休みよ? 一緒に来るのかと思っていたのだけれど」
「休み?」
 おかしな話。憎き敵をはめようとして掘った深い深い落とし穴に、自らが飛び込むような物です。
「ええ、五十妻君と同じく、無断欠席」それから聞こえるか聞こえないかの小さな声で、「2人で何かしているのかと」と付け加えました。
 暗雲。
 ここの所、災難続きのくりちゃんですが、過去最大の不幸が、彼女を今襲っているのではないか、という不定形の、何ら根拠は無い不安が、太陽を覆い隠しました。自分は背筋に冷たいものを感じ、ごく自然と、こんな台詞を口にしました。
「とりあえず、くりちゃんの家に行ってみます」
 それを聞いた三枝委員長は「ふふ」と悪戯っぽい笑顔を浮かべました。それは普段の、他人からは遠くの位置にある、いえ、三枝委員長自身が意識して距離をとったような、あの天使の笑みではなく、小学生が「良い事思いついた」と言う時の笑顔に良く似ていました。
 その後、自分は三枝委員長と一緒に木下邸を訪れましたが、くりちゃんはそこにはいませんでした。
 くりちゃんが、いない。

     

 くり母曰く、
「くり? 朝あなたを起こしに行ってから、見てないわよ? え? 今朝は起こしに来なかった? それはおかしいわねえ。あら、学校にも来てないの? ふーん、そう。まあ、その内帰ってくるでしょ。それより早く、くりの事を嫁にもらってやってね」
 あの子供にしてこの親あり。自分が言うのも難ですが、かなりの変人、脳みその中から、心配や不安や恐怖を感じる部分を全て手術で取り払ったかのような超楽観主義のくり母は、実の娘が行方不明にも関わらず、颯爽とママチャリに跨ると、鼻歌を歌いながらバドミントンのラケットを背負ってどこかへ行ってしまいました。
 これには流石の三枝委員長も驚いたかと思いきや、「個性的な方ね」と素っ気無く呟いたのみでした。
 うちにこない。学校にも来ていない。家にも居ない。電話にも出ない。友達もいないとなると、果たしてくりちゃんはどこへ行ってしまったのでしょうか。
 考えうる可能性は、以下の三つ。
 ここ一ヶ月、怒涛の変態ラッシュを受け、精神的に極限状態を迎えたくりちゃんは、世界から変態達を根絶する為、大量破壊兵器を入手しにカザフスタンへ。紆余曲折の末、兵器を入手した後、最初のターゲットである五十妻元樹、即ち自分を抹殺すべく、再び日本に帰ってくる。これが「学校サボり説」
 くりちゃんはある日突然旅に出たくなり、夜行列車に飛び乗って、北へ北へと逃避行。本州最北端のとある断崖絶壁にて、一人佇み、その脳裏に浮かぶのは自らが晒してきた数々の痴態。ああ、もう生きてはいられないと嘆きながら、その身をゆっくりと海へと投じました。これが「恥ずかしさの余りに自殺説」
 そして一番厄介で、かつ現実的なのが、何者かが何らかの目的でくりちゃんをかどわかした「誘拐説」です。
「普通なら、警察に連絡して終わりなのでしょうけれど、私達には、ちょっとした『心当たり』があるわね」
 心当たり。確かに、無くはありません。
 等々力新、三枝瑞樹、音羽白乃、そして自分。なぜかは分かりませんが、HVDO能力者は我々が通う中学校、もとい、くりちゃんの周辺に固まって発生しています。もちろん、「突然、超能力に目覚める変態が全国各地で発生しています」といった報道は耳にした事がありませんし、能力を授けられて以来、あのHVDOという謎の存在(それが組織であるか個人であるかも全くの不明なので、こう表現するしかありません)からのコンタクトは一切無いので、詳しい情報は分かりませんが、くりちゃんの周りに、能力を得た変態が大量発生しているという事は、歴然たる事実なのです。
 そもそも、くりちゃんが家を出て、自分の家まで来る極々ほんの僅かな時間に、この住宅街で、周囲に何の影響も無く人の存在を消し去る事自体が、犯人が並々ならぬ人物である事の証明でもあります。
「もしも『誘拐説』が真ならば、くりちゃんを誘拐したのは能力者である可能性が高い。という事ですか?」
 自分の確認するような問いに、三枝委員長は「そうね」と言って涼しげに微笑みました。


「我々の手で、くりちゃんを助け出すのがベストだと思われます」
 惑星直列よりも珍しく、まともな事を言ったと我ながら思いましたが、「助ける?」と言って三枝委員長は首をかしげました。
「五十妻君らしくないわね。あなたはもっと、鬼畜なはずなのに」
 平然と、あまりにも平然と言い放つので、思わず自分も納得しかけました。
「ちょっと待ってください。確かに自分は変態でありますし、くりちゃんに酷い事を沢山してきましたが、決して鬼畜ではありません」
「酷い事を沢山する変態の事を、鬼畜と呼ぶのよ?」
 確かに、仰るとおり、残念ながら何の反論も浮かびません。
「もしかして、木下さんが好きなの? 好きな子だからいじめちゃうっていう、小学生のアレ?」
 三枝委員長から投げられたその質問は、想像以上の波紋を自分の中に生みました。
 例えば、自らが相手に対して抱いている様々な感情を、言葉や行動ではなく、エクトプラズムとして口から放出できる能力を、全ての人間が生まれながらにして持っているならば、自分がくりちゃんに対して吐くエクトプラズムは、どのような色をして、どれくらいの量なのか。きっと、相思相愛の恋人同士が吐くような爽やかな色ではないでしょうし、かといって、敵に対して吐く黒や、友人に対して吐く黄色でもないのです。ですが、その量だけはまず間違いなく多いはずで、自分の吐いたエクトプラズムは、瞬く間にこの街全体を覆い隠し、やがて日本は重さに耐え切れなくなって沈没するでしょう。
 なのに、その大いなる感情が、一体何なのかが分からないのです。形容しがたき無色透明。ただただひたすらに量だけが多く、それは誰にも負けないはずなのです。
「自分は……」紡ごうとする言葉が余りにもおぼろげで、くじけそうになりながらも、言います。「自分は変態ですから、くりちゃんを好きでも、嫌いでも、おもらしさせます。ですから、誰かに拉致されて監禁されているのなら、助け出しながらおもらしさせます。それだけの事です」
 三枝委員長の反応は見ずに、自分は歩き出しました。
 まずは何でも良い、手がかりが必要です。
「誤解しないで」
 三枝委員長の声。
「私も、木下さんを助けるのには賛成よ。能力者の中から逮捕者が出れば、私達も動きにくくなるし、それに、クラスメイトが危険に晒されているのは放っておけないわ」


 見た目上は至極真っ当なそれらの理由に対し、完璧に納得がした訳ではありませんが、いずれにせよ、三枝委員長の協力はありがたい所です。何せ頭が切れますし、音羽君の時に発揮した謎の情報収集術もあります。これ以上頼れる仲間はいないでしょう。
「まずは聞き込みが必要ね。誰からにする?」
 さながら探偵小説の様相を呈してきた事に、不謹慎ながらわくわくし始めた自分もいます。
「そうですね。音羽君が妥当ではないでしょうか」
 三枝委員長による、トイレ内ふたなりちんぽ手コキ事件の事を例外とすれば、音羽君は、くりちゃんと最も深い関係にある同性であり、また、元能力者であり、家の場所も知っています。最初の調査対象としてはいかにも適切だと思われました。
「そうと決まれば、急ぎましょう」
 自分は三枝委員長を自転車の後ろに乗せて、音羽邸へと出発しました。三枝委員長は意外と軽く(こういう言い方は女性に対して失礼かもしれませんが)、段々とペダルを踏む足は軽くなっていきました。腰に回った手と、背中に当たる膨らみ。三枝委員長は言いました。
「私、こんな事するの初めて」
 淫靡な雰囲気を漂わすその台詞に、一瞬だけドキッとしましたが、自分は「リムジンではないので、ワインは出てきませんよ」とかわしました。返ってきた答えは、「ふふ、そうね」やはり、今日の三枝委員長は、彼女を構成する決定的な何かが、いつもとは違うように自分には感じられました。
 普段の、全校生徒のお手本たる彼女ならば、こんな台詞は吐きません。
「こうしていると、恋人みたいね」
 積極的な美少女によって与えられた、このようなラブコメ的甘い果実を、良しとして丸呑みするほどに、甘っちょろい自分ではありませんが、あえてベタな表現を用いれば、キュン、とくるような、開巻劈頭のキラーパスを放った三枝委員長に、自分はなんと返したら良いか分からず、ただただ阿呆のように躊躇っていると、
「ちょっと脱いでもいい?」
 ときましたので、自分はむしろ安心して、「駄目ですよ変態」と、とりあえずは平常心で答える事が出来ました。
 三枝委員長が能力を使えば、走行中の自転車の後ろで全裸になる事などいとも容易い事でしょう。
「変態は、お互い様ね」
 そう言いながら、三枝委員長は能力を発動させました。実際に見た訳ではない自分がそうと気づいたのは、自分の後ろに座った女子を見ている男性の股間が、例外なく膨らんだからです。


「木下先輩が誘拐された!?」
 音羽君が大きな声で叫び、勢い良く立ち上がり、水玉模様のパンツが見えました。
「いえ、まだ誘拐と決まった訳ではないのですが、どこにも居ないのです。突然失踪するような人間でもないので、誘拐の可能性が非常に高いかと」
 今にも外へと飛び出しそうな音羽君を、そう言って宥め、座らせました。約1週間前に来た時と、部屋の様子はほぼ変わらず、自分の目の前には薄い紅茶、三枝委員長の前には、普通の紅茶が出されていました。
「どこにも居ないって……やっぱり、犯人はHVDO能力者っすか?」
「それを聞きにここにきたのです。誰か誘拐をするような能力者に心当たりはありませんか?」
 音羽君は真剣な表情で考え込んでいましたが、やがて諦めたように首を横に振りました。
「全然分からないっすよ、だって、私が知ってる能力者は、五十妻先輩だけでしたし、三枝先輩もそうだったのも、今知ったくらいっすから」
 三枝委員長は何も言わず、紅茶を飲みます。
「そうですか。ああ、もう一つ、聞きたい事があったんです」
「何すか?」
「音羽君の能力の、発動条件です。HVDO能力の傾向が少しでも分かれば、くりちゃんを攫った犯人の手がかりになるかもしれません。良ければ教えていただけないでしょうか」
 下手に出て頼むと、音羽君は快諾してくれました。
「良いっすよ。あたしの能力は、自分の愛液を混ぜた食べ物や飲み物を、ちんこを生やしたい相手に食べさせたり飲ませたりすると、発動するんです」
 瞬間、三枝委員長がコントのように盛大に紅茶を噴き出しました。これは控えめに見ても、とてつもなく珍しいワンシーンです。げほげほとむせながら、口を右手で押さえる三枝委員長。
「ああ、安心してください。その能力が、五十妻先輩に負けて使えなくなったんで」
「そ、そう。それは安心したわ」
 こんなに取り乱す三枝委員長は初めて見ました。自分の裸を人に見られるのが大好きなド変態といえども、流石にちんぽが生えるのは嫌なんでしょう。というか、この発動条件の話を、もしもくりちゃんが知ってしまったらと想像すると、つくづく救われないなぁと思いました。
「そうでした。音羽君。能力を使えなくなった事以外で、何か身体に異変はありませんか? 同じく敗北した等々力氏は、EDになってしまったんですが、女子の場合はどうなるかも知っておきたいのです」
「そうっすねえ……」と音羽君は少し考えて、「あたし、昔から滅茶苦茶正確に来る方で、今まで三日遅れた事なんて一度も無かったっすけど、今日で五日も来てないんすよ」
 一体何が「来る」のか意味が分からず、自分は問います。
「何がですか?」
「生理っすよ。五十妻先輩に負けてから生理が来ないっす」と呆気なく言ったので、今度は自分が噴き出す羽目になりました。

     

 生理が来ないの。
 女の子にそう言われて、ドキッとしない男は、おそらくこの世に実在しません。全く、全然、これっぽっちも身に覚えが無いというのに、ほんの一瞬だけ時間が止まったような、宇宙に放り出されたような、背後からの刃、驚天動地、д。
 未来ある10代の肩に、命という責任は重すぎるのです。それは「過ち」と表現するには余りにも尊すぎる営みではありますが、自分のように飽くなき性への探究心に満ち溢れる中学生にとっての「生理が来ないの」は、言わば呪詞の類なのです。
「自分ですか?」
「え? 何がっすか?」
「五十妻君、手が震えてるわ」
 ここは一つ、冷静になりましょう。
 自分は、音羽君と、セックスしていない。音羽君は、自分と、セックスしていない。自分は、まだ、童貞です。これを続けて3回黙読して、どうにか呼吸が整いました。
「つまりこれは、『能力者が女子の場合は、性癖バトルに負けると生理が止まる』という事でしょうか」
「そう考えるのが自然ね」
「ていうか、何だと思ったんすか」
 生理が止まるという事は、転じて排卵が止まるという事で、即ち妊娠の不可を意味し、これは保健体育で習う初歩中の初歩です。確かに、勃起不全になった等々力氏も、生殖機能が失われたという点では同じでありますし、等々力氏によれば、再び勃起が出来るようになれば能力も復活するとの事なので、音羽君も生理が再開すれば、例のふたなり能力が戻ると考えて差し支えないでしょう。これは金輪際、音羽君から出してきた食べ物や飲み物はいただけないという事を意味しており、自分には2人目の愚息は必要ありませんし、得体の知れない物を飲まされて興奮する性癖も、生憎持ち合わせてはいないのです。
「あ、別に悪い事したとか思わなくていいっすよ。むしろ、面倒くさい生理が無くなって良かったくらいっすから」
 のんきに語る音羽君の表情には、少しだけ影がありました。
「ただ、鳴塔(ふたなり能力)が使えなくなって、木下先輩の子供が生めなくなったのは辛い所っすね。まあ、すぐ復活させて、今度はちゃんと手順を踏んで迫る事にするっす。1回やってしまえばこっちの物だと思ってたあたしが甘かったっす。婚約届も一応用意しておいたんすけどねー」
「はあ、そうですか」
 一体何が音羽君に、ここまでありえない間違え方の覚悟をさせているのかは、全くの意味不明ですが、くりちゃんが好きで好きでしょうがない、ふたなり変態セックスに溺れたいくらい愛しているという事だけは、敬服するくらい十分に伝わってきました。
「だからあたしが本当に残念だったのは、木下先輩のリアクションっす。普通、ちんこが生えてきたら喜ぶと思いません? 1回女の子とヤってみたいと思いません?」
 165km/hで縦回転の変化がかかった、同意を求める剛速球をふいに投げられた三枝委員長は、「むしろそれで男の子とヤってみたいわね」と笑顔で打ち返し、ライトスタンド方向へ場外ホームランを叩き込みました。


「それよりも今はくりちゃんを助けるのが優先ではありませんか」
 この変態だらけの環境だと、自分が進行役にならざるを得ません。
「そうっすね……やっぱり、犯人はHVDO能力者だと思うっす。あの木下先輩が、自分から突然いなくなるのは考えられないし、木下先輩の家って、別に裕福な訳でもないし、営利目的の誘拐も無いっすよね? したら、もう目的は肉体しかないじゃないっすか」
 自分は先ほどから、いえ、出会った時から、音羽君の物言いにはまるで品という物が無いと、薄々は感じていたと同時に、中学二年生、年頃の女の子にしてはあまりにも下衆すぎる、野蛮すぎると密かに辟易していたのですが、今のように意見を主張すべき場面においては、あながち間違ってはいないコミュニケーション手段であると思われました。なので自分もそれに倣い、発言をします。
「自分も音羽君と同意見です。くりちゃんの身体は多少マニア向けではありますが、確かに魅力的ではあります。特に意外と肉つきの良いお尻からふとももにかけてのラインはたまりませんし、何より周りを威嚇する表情には毎度毎度そそられます」
「いや、そこまでは言ってないっすけど」
 さらっとかわされたので、自分は咳をして話を進めます。
「では、あるHVDO能力者がくりちゃんを性的な目的で誘拐したとしたらと仮定しましょう。ここで考えるべき疑問は、2つ。『その能力者は、どんな能力を持っているか』そして『なぜ誘拐という手段をとったのか』です」
 自分は頭の中を整理しつつ、2人に向かって論じます。
 この2つの疑問は、相互に補強し合って解決しあう、いわば連立一次方程式のような物です。犯人がくりちゃんを誘拐したのはなぜか? それはくりちゃんに「私はこうこうこういう性癖を持っているのですが、あなたは非常に魅力的なので協力してくれませんか?」と頼んだとしてもまず断られるのが明白であるという事です。という事は、犯人の能力は「大抵の女子が嫌がる事」である可能性が高い。例えばこれが、等々力氏の『丘越(おっぱい能力)』のようにくりちゃんにもメリットのある能力ならば、朝一番に、何の予告もなく掻っ攫うなんて真似はしないはずです。まあもっとも、HVDO能力のほとんどは、女の子に対しての嫌がらせに近いのですが、三枝委員長のような例外もあります。
 それを踏まえた上で、逆方向の「どんな能力を持っているか」という疑問から考察を進めると、嫌がるくりちゃんを、悲鳴一つあげさせずに(くりちゃんが朝、家を出た段階で悲鳴の類が聞こえていれば、流石にあの超楽観主義のくり母といえども、少しは気にかけるはずです)拘束するという事は、即ち体の自由を一瞬にして奪いうる能力という事になります。
 自分の知っている中で、もしもHVDO能力化したとして、相手の自由を奪いうる性癖を並べると、拘束達磨拷問縛縄電撃強姦眠姦死姦洗脳催眠人形あたりでしょうか。どれも普通の人ならドン引きするレベルの性的倒錯で、同じ変態である自分から見ても、正直「この能力者は居て欲しくないな」と思う物ばかりではありますが、この中に1つだけ、「この能力者がいる」と、しかも最近、耳にした性癖があります。
 人形。
 自分は、『人形』の能力者がいると聞いた事があります。


 時は数日前の放課後、舞台は掃除の終わって閑散とした教室へと移行します。
「五十妻、俺はこんなに自分の息子を愛した事がない」
「さあ今から帰ってオナニーしようという男をわざわざ捕まえて、まず最初に言う言葉がそれですか」
 いつになく真剣な等々力氏と、うんざりという表情の自分。2人の状況は、分かりやすい程に対照的でした。
 片や勝負に敗北し、能力を失ったのはおろか、あれだけ好きだったおっぱいを見ても、これっぽっちも勃起出来なくなった不能者。
 片や勝負に2連勝し、今やクラスの女子がどれだけおしっこを我慢しているかを冷静に観察し、的確に漏らさせる事が出来る神。
 同じくHVDO能力者でありながら、まさしく天国と地獄。
 今更取り繕っても仕方ありませんので、正直に述べましょう。自分は等々力氏に同情してました。だからこそ、毎日のライフワークをおあずけにしてまで、「少し話がしたい」という等々力氏の頼みを受けたのです。
「率直に用件を仰ってもらえるとありがたいのですが」
 自分がそう急かすと、等々力氏はしみじみとしながら、だけど言葉に多少の喜びを含ませて言いました。
「お前に負けてからの3週間、ぴくりとも動かなかったちんこが、昨日やっと動いたんだ。まあ、少しだけだがな」
 等々力氏は若干照れたような感じで、人差し指の第二関節で鼻をこすりました。おお、これは気持ち悪い。
「人間、敗北から学ぶ事もあるもんだな」頼みもしないのに、等々力氏は語り始めます。「以前の俺は、生おっぱい至上主義だった。シリコンの入った偽物だとか、おっぱいマウスパッドだとか、そういうイミテーションを軽蔑していたんだ。だけどな、俺はつくづく分かった。
 おっぱいってのは、立体の芸術なんだ。
 左右対処の膨らみ、つんと立った乳首、綺麗な乳輪。そこには完成されたアートがある。だけど人間ってのは生き物だ。生きている限り成長する。どんな美少女もやがては婆になる。完璧な美はいつか無くなってしまう運命なんだ」
 等々力氏は詩人のように饒舌に、時に黄昏ながら、訳の分からないおっぱい芸術論を口にしていました。さて、そろそろ帰ろうと立ち上がると、無理やりに座らされ、
「ひょんな事がきっかけで、ある能力者と知り合いになってな」
 声のトーンを落とし、等々力氏は口角をつりあげました。


 等々力氏が知り合ったという能力者は、簡単に言うと、「人形フェチ」だそうでした。人間ではなく、物である人形に対して発情する、まあ能力に目覚めてもおかしくはないレベルの変態です。
「それはただ、人間に相手にされていないから、ダッチワイフに逃げているだけではないですか?」と、自分は衣纏わぬ全裸の歯で尋ねましたが、等々力氏は否定しました。
「いや、そいつはダッチワイフは1つも持っていない。『アンティークドール』ってあるだろ? 少女マンガみたいなきらっきらの瞳で、ゴスロリ服着ているような、高そうな人形。元々はそれのコレクターでな。もちろん今はエロフィギュアも集めているらしいが。まあ、はっきり言っちゃえばオタクなんだ。そいつがつい最近、能力に目覚めたらしい」
 等々力氏の話し方には、人形の能力者「そいつ」を隠している節が見てとれました。深い所まで突っ込んで尋ねても、一線を保ちつつ答えそうなニュアンス。能力者の名前や居所を尋ねても、おそらく教えてはくれないであろう予感がしました。
 ですが、自分と敵対する可能性のある存在については、なるべく知っておきたい所です。自分は試しに一つだけ、石を放ってみました。
「その人物の能力は、どのような能力なのですか?」
 等々力氏は若干逡巡したものの、自分の勃起自慢をしたいが為に、わざわざ自分を放課後に残した事もあってか、きちんと答えてくれました。
「これはお前だけに特別教えてやるが、そいつの能力は『精巧な人形を作る事』だ。材料を用意すればな、見た目は人間とほとんど変わらないような人形を作れるんだ。作業工程は見た事ないが、本当にあっという間らしい。見てみたいか?」
「見せたいんですよね?」
「ああ、じゃなきゃ語らないさ」
 等々力氏は携帯を取り出し、そこに1枚の画像を表示させました。
 確かにそれは、美しい存在でした。鈍くも強い輝きを放つガーネットの瞳と、滑らかな白い影を描く両頬、鼻梁は高く、憂いの無表情の中に、なんともいえない愛らしさがありました。上半身のみの写真でしたが、着ているのはシックな白黒のメイド服でしょうか。なるほどオタクらしい趣味です。
 いくら精巧に出来ているといえども、やはりそれは人形らしく、どこか無機質で、空虚な感じがしましたが、奇妙なほどに性的で、「いやらしい」「ヤりたい」とさえ思われたのです。
「この画像を初めて見せてもらった時、ほんの少しだが俺は勃起できたんだ」
 感動たっぷりに語る等々力氏を、あながち馬鹿にも出来ませんでした。なぜなら、自分の息子も少しは反応してしまったからです。「命のない物」「童貞の慰み」「人間不信の極み」と内心では思っていたのが、まとめて罰せられた気分でした。
「その人形がエロい事は認めます」
 自分は正直に非を認め、しかし譲れない部分を主張します。
「ですが、人形はおしっこを出せないではないですか」
 等々力氏は笑って、「この変態が!」と自分をののしりましたが、それはお互い様だと、いえ、等々力氏の方がよっぽどだと、その時は思いました。


 もしも、等々力氏が嘘をついていたら。あるいはもしも、等々力氏が嘘を教えられていたら。
 その人形の能力者が、「材料から人形を作る」のではなく、「元々の人間を人形にする能力」であったなら。
 未だ深い霧の中に居る、くりちゃん誘拐犯の裾が掴めました。

     

「つまり等々力君を捕まえて、その人形の能力者とやらを吐かせ……聞き出せば良い訳ね? そしてもしも木下さんを誘拐した犯人がその能力者ならば、戦って勝利し、木下さんを救い出す」
「飲み込みが早くて助かります」
 自分が説明を終えると、三枝委員長は真っ先に「すべき事」を示し、確認させてくれました。これが人間をまとめる才覚、ある種のカリスマと呼べる物であり、自分とは縁もゆかりも無い物です。
「とりあえず、木下さんの事は伏せて電話をかけてみましょう」
 短いコールの後、話が始まりました。「等々力君、今から会えない?」「ええ」「そうね、学校で良い?」「どうして?」「勃たないのは関係無いでしょう」「コンドームもいらないわ」「いえ、そういう意味ではなくて」「見せるだけ?」「どうしても見たいの?」「Dカップ」
 こちら側が聞ける三枝委員長側の台詞だけでも、大体どのような会話が交わされたかは理解出来るのが恐ろしい所でもあり、等々力氏の一直線な情熱に感服する所でもあります。
「今から30分後、学校に来るそうよ」
 騙まし討ちのようで申し訳ありませんが、ここは多少強引な手を使ってでも、人形の能力者のことを聞きださねば、くりちゃんの追跡は不可能です。
「では、急ぎますか」
「あたしも行くっす!」
 音羽君がそう言って勢い良く立ち上がりましたが、それを三枝委員長が諌めました。
「等々力君と面識の無いあなたが行っても場が混乱するだけだし、それに人形の能力者の居場所を聞き出した後、一番最初に接触するのはあなたよ」
「……どうしてっすか?」
「能力者同士が会えば、すぐに勝負が始まる。なら先に、能力を失っているあなたが敵を調べれば、こちらが有利に戦えるでしょう」
 現代に蘇った孔明かと見まごうばかりの的確な指示。まだ敵を知るきっかけを掴んだばかりの段階で、既に戦って勝利するまでの過程を考えているあたりが流石といえます。
「……あたしは留守番ですか?」
 くやしそうに尋ねる音羽君の視線を受けた三枝委員長は、それをそのまま斜め45度の角度で反射して自分に向けました。それは無言のプレッシャーで「あなたが木下さんを助けると言ったのだから、最終的にはあなたが判断しなさい」と言われているように感じ、自分はこういうチームプレイ、「人を扱う」という事が、ほとほと苦手であった事を思い出したのですが、ただ黙って三枝委員長が助けてくれるのを待つ訳にもいきません。
「音羽君、ここに残ってください。くりちゃんを助ける為に、考えうる最善の手を打ちましょう」
 そう言い渡すと、意外にも音羽君は大人しく引き下がりました。敗北から学ぶ物がある。等々力氏の弁は一理あるようです。


「分かったっす」音羽君は心底残念そうに言って、「でも、能力者同士は戦うのが宿命なら、どうして五十妻先輩と三枝先輩は戦わないんすか?」
 と、ホタテのびらびらくらい余計な事を何の悪気も無しに尋ねてきやがりなさったので、自分は無視して、「急がないと、くりちゃんが人形として出荷されてしまうかもしれません」と立ち上がりましたが、三枝委員長はぬるっと答えました。
「もし戦えば、私が勝つから」
 その言葉に虚勢はなく、自然な矛盾を孕んでいるようでありました。なぜ戦わないのかと問われ、「勝ってしまうから」と答える。予想外の答えに自分は翻弄され、手渡されていたはずの主導権は、いつの間にか霧に消えて雲と散りました。しかしこの答えは、確かに今まで三枝委員長の中にあったもので、自分はそれを視界に捉えながら、無意識に気づかないフリしているようにも思えました。つまる所、『謎』にしておきたかったのです。
「さあ、行きましょう」
 自分の思いを置いてけぼりにして、三枝委員長は前へと進みました。
 音羽君も玄関まではついてきて、「必ず木下先輩を助けましょう!」と意気込んでいました。
 靴を履き、いざ学校へ出発だというその瞬間、音羽邸のチャイムが鳴りました。三枝委員長がドアを開けると、そこには1人の美少年が立っていました。
 落としたら壊れてしまいそうな、繊細なガラス細工のような男子、いえ、170cm前後と思わしき身長と、うちの学校の男子制服を着ていなければ、女子と見間違えても何らおかしくはない顔立ち。微笑とも冷笑とも緩笑ともとれぬ表情の中に、ついさっきこの世の全てを見てきたかのような、達観が見え隠れしていました。
 美少年は、まず最初に目があった自分から三枝委員長に視線を移し、一瞬驚いたような顔になると、「これは驚いた」と率直に感情を言葉にしました。驚いた? 何に。
「こんな所で三枝さんに会えるとはね」
「ええ、奇遇ね」どうやら知り合いのようです。若干ではありますが、三枝委員長も驚いているようでした。「こんな所で会うなんて」
「ああ、ちょっとこの家の人物に用事があってね」
 自分は振り返ると、音羽君は首を傾げていました。
「お兄さんを呼んでくれるかい?」
 美少年はそう言って、人懐っこい笑顔を浮かべました。その仕草になんとなく、普段の時の三枝委員長が被って見えたのは自分だけでしょうか。
「兄貴ー!」音羽君がぶっきらぼうに叫ぶと、どたどたと廊下を歩く音が聞こえました。
「三枝委員長、知り合いですか?」と、自分。
「ええ、私達のクラスメイトよ。名前は、春木虎(はるき とら)君」
 クラスメイトである。という紹介と、彼の名前の紹介が相反しているように思え、自分が首を傾げていると、三枝委員長が補足してくれました。
「もっとも、面識は無いでしょうけどね。彼、ひきこもりだから」
 それを聞いた春木氏は「君は遠慮がないね」と笑っていました。


「五十妻君だろ? 噂は聞いてるよ」
 春木氏の口調には、驚く程に一点の曇りもなく、「人嫌い」「慢性鬱」「オタク」といった「ひきこもり」の世間一般的イメージとは全くそぐわない人物でした。
「どんな噂ですか?」
「え? ふふ、そうだな。『変わり者』ってのが一番聞くね。知らないと思うが、僕と君とは3年間同じクラスだったのさ。入学式の時に1度会っただけだけどね」
 という事はつまり、春木氏は3年間ひきこもり続けたという事になります。中学の3年間を、自らの部屋の中で過ごすとは、ただならぬ執念に他ならず、ある意味、インドの修行僧のようなストイックさを感じました。
「今日はどうしてこんな所に?」
 三枝委員長がそう尋ねると、春木氏は、
「いや何、進学の事で学校に相談へ行っててね。その帰りに、友人の家へやってきただけさ」じっと三枝委員長を見つめて、「それにしても、少し見ない内に君は変わったね」
 言い終わると同時に、音羽君の兄が階段から下りてきました。
「おっ、はる、おっ、はる、こん」
 そういえば確か、音羽君の兄もひきこもりだと、音羽君自身が言っていました。確かに、こちらの方は毛玉だらけの上下スエットと、たるみきった無様な肉体と、エンジンを積んでないヘリの羽より回らない呂律が「私はひきこもりです」と強烈に主張しています。そんな音羽兄に、春木氏は爽やかに告げます。
「やあ、音羽さん。例の物、届けに来ましたよ」
 そこで初めて、春木氏が右手に小包のような物を持っている事に気づきました。持ち物に気がいかない程に、春木氏自身の存在は強いという事です。
「おっ、ありが、おっ、おっ」
 もはや日常会話さえおぼつかないレベルのひきこもりにも、笑顔で接する春木氏からは、風格さえ漂っていました。これで同じくひきこもりと言うのですから、「変わり者」はどっちの方なのか問い詰めたくもなるものです。
「それじゃ、僕はこれで」
 去ろうとする春木氏を、三枝委員長が引き止めました。
「卒業式くらいは来なさいね」生徒の模範たる言葉。
「はは。考えておくよ」手をぶらぶらとさせて、振り向かずにするその仕草の後、「あ、そうだ。三枝さんに1つ聞きたい事があったんだ」と、ややわざとらしく演技がかった台詞。
「何?」
「君はさ、子供の頃に戻りたいと思った事って、ある?」


「無いわ」
 三枝委員長はほんの一瞬の間さえ置かずにそう答えました。
「そう。それは……残念だ」
 春木氏はそう言って、立ち去りました。見えなくなってすぐ、自分は三枝委員長に直球で尋ねます。
「あれ、絶対能力者ですよね?」
「どうして?」
「三枝委員長と同じ匂いがするからです」
「あら、私の匂いを覚えてくれたのね。嬉しいわ」
 そういう所がですよ。と、言いかけましたが、それはやめました。春木氏は確かに、誰もが、この自分もが初対面で納得してしまう程の「変人」ではありますが、「変態」であるという証拠は何一つとしてありません。今は1人でも能力者の情報が欲しいのも確かですが、無闇やたらと能力の事を話すのも躊躇われ、先に等々力氏の方を解決してから、後でゆっくりと春木氏について調べてみようと自分は判断しました。
「学校へ急ぎましょう」
「ええ。お姫様を助けにね」
 そんな皮肉を口ずさみながら、自分と三枝委員長は学校へと向かいました。
 道中、自分の頭の中は、3日間煮込んだクラムチャウダーのようにぐちゃぐちゃで、そこから何か定まった物を取り出すのは、まさに至難の業でありました。
 思えば初めてHVDOに触れた時から、この非日常は連続しており、流れは一度たりとも断たれてはおらず、くりちゃんの誘拐も、自分が乗り越えるべき試練であるようにさえ思われ、三枝委員長が口にした皮肉の通り、自分は勇者のごとく、心に何か熱いものを感じているのも事実なのです。
 学校へ到着し、人気の無い校舎を並んで歩き、教室にやってきました。等々力氏は三枝委員長を見て満面の笑顔になりましたが、その後ろから入ってきた自分の姿を認め、壁を思いっきりぶん殴って「くそっ!」と言いました。
「おっぱい揉ませてくれるって言ったから、わざわざ勉強をほっぽりなげて来たんだぞ!」
 怒り狂う等々力氏に対し、三枝委員長は、「そんな事は言ってないわ。130行ほど前に戻ってちゃんと確認しなさい」と一蹴しました。
「ちくしょう! おっぱい揉みてええええ!!!」
 本能からの煩悩をしとどに溢れさせる等々力氏。
 それを見て、三枝委員長はため息を1つつくと、何の予告も無く、2秒だけ全裸になる能力「影像」を発動させました。
 背後に立っていた自分からは生尻が見え、前に立っていた等々力氏からは全てが見える状態でした。

     


     

「ふおおおおおおおおお!!!」
 何事か、と目を疑いました。等々力氏は足を開いて腰を落とし、両手を拳に握って体の前で交差させ、400戦無敗の格闘家のような険しい表情で叫んでいるのです。なんという事か、同級生から、ついに本物スーパーサイヤ人が出てしまった、と危惧するのも無理はないように思われました。
「……ぉぉぉぉぉぉおおおお!?」
 等々力氏は視線を下に向け、聞いた事のないような奇声を発しました。
「本当に勃たないみたいね」
 着衣姿に戻った三枝委員長は、等々力氏の股間を見て平然とそう言い放ちました。
「い、いや、わずかだが反応があった! このちんぽはまだ小さいが、俺にとっては偉大なるちんぽだ!」
 かの名言を引用してどんだけ下品な事言うんだろうかと思いつつも、等々力氏の気持ちは分からなくもないのです。突然目の前で全裸になった同級生を見ても、わずかしか反応しない愚息、フル勃起まではまだまだ遠く、それは自身が変態である事を抜きにしても、まずありえない事で、いよいよもって敗北に伴うリスクの影が、自分の背後に不気味に忍び寄っていました。
「ていうか五十妻! 委員長が能力者なんて俺は聞いてないぞ!」
 等々力氏の怒りもごもっともですが、自分はすかさず割り込んで、更に深い怒りをぶつけました。三枝委員長に対して。
「三枝委員長! 脱ぐなら先に言ってから脱いでください!」
 冗談抜きに、今のは危なかったのです。あまりにも不意打ちすぎました。三枝委員長と行動を共にしている時点で、自転車の後ろに乗せた時のように、勝手に脱ぎだす事は想定していましたが、等々力氏が目の前にいる状況で何の躊躇も無くいきなり脱ぎだすとは思ってもみなかったのです。
 自分の勃起率は、およそ80%でどうにか耐えました。前に一度三枝委員長のお尻を見ていた経験が無ければ、もしかしたら即死だったかもしれません。こっちを向いて脱がれたら、2度は死んでいた事でしょう。
「変態にも程がある!」
 それは自分の、心からの訴えでした。対する三枝委員長は振り向いて、幽かに震える小さな声で言いました。
「そう言ってくれるのは、あなただけ」
 そして等々力氏の方に向き直り、威風堂々と宣告しました。
「もし等々力君が協力してくれるなら、私のおっぱいを生で揉ませてあげる」
 等々力氏はごくりと生唾を飲み込んで、
「す、吸ってもいいのか?」と尋ね、三枝委員長は「ええ、構わない」と答え、等々力氏は更に、「は、挟んでもいいのか?」と尋ね、三枝委員長は「勃てばね」と冷ややかに答えました。


 ビッチ。
 そう思うのも仕方ない事です。自分の中にあった、あの高潔で純真な三枝委員長のイメージとは、余りにもかけ離れた、実はド変態だと知った今でも、そうあって欲しいと願う姿、言わば1つの女性理想を粉々に壊すその台詞に、幻滅した、と言えば身勝手でしょうが、当てはまる言葉はそれしか見つかりません。
 一方で、歓喜の雄たけびをあげて自らの息子を鼓舞する等々力氏に、自分は居ても立ってもいられなくなり、こう告げます。
「等々力氏、三枝委員長は『協力してくれたら』と言っています。先にそっちを確認した方が良いのでは?」
 三枝委員長は眉をひそめて、自分を見ていました。自分はその視線に気づかないフリをします。
「あ、ああ。そうだな。協力って、何の事だ?」
「『人形の能力者』の話を詳しく聞かせて」
 その言葉が放たれた途端、一転、等々力氏は顔を曇らせました。
「……どうしてだ?」
 この態度から察するに、等々力氏はこうして呼び出された理由も、くりちゃんが誘拐されている事もまだ知らないようです。また同時に、この質問をしたという事は、簡単には教えてくれないという事を意味しています。
「五十妻君?」と、三枝委員長。あくまでも重要な決定権は自分に渡すようです。
 思慮を巡らせ、正直に言う事に決定しました。現時点では、等々力氏は敵とも味方ともつきませんが、まずは真実を教え、可能性を掲示し、本人の判断を問う事が正しいと思ったからです。それに、人形能力者の素性を探るのに、適当な嘘も生憎思い浮かびません。
「くりちゃんが誘拐されたんです」
 と簡潔に言っても、等々力氏には、それを人形能力者と結びつける思考回路が生まれなかった様子です。若干の間を置いて、次の言葉を繋げます。
「それが、この前等々力氏の言っていた人形能力者の仕業ではないか、と推理したのですが」
 途端、「はっ」と等々力氏は笑い飛ばしました。
「おいおい五十妻。この前も言っただろ? あいつの能力は、あくまで材料から人形を作る事なんだよ。そもそもあいつが生身の人間に興味を持つかよ! どうかしてるぜ」
「等々力氏は、その能力を実際に確認したのですか?」
「ん? いや、実際見た訳じゃないが……え? いやいや待て待て。あいつが嘘をついてるって言うのか?」
「等々力氏が嘘をついていないのであれば、自分はそう考えています」
 言葉に詰まり、首を振って、等々力氏は笑いました。
「あいつが誘拐なんて出来るはずがない! ああ、そうだ! これを見てくれ」
 等々力氏が取り出したのは、自らの携帯電話。何やらぽちぽちと操作をしながら、
「あいつはな、能力で新しい人形を作ると、自分のブログに必ずアップしているんだ。一番似合う衣装を着せて、愛娘の自慢とか言ってな。簡単に言えば気持ち悪い奴なんだ。だからもし、木下をあいつが誘拐して人形にしたってんなら、今日の更新分はそのしゃ……」
 絶句した等々力氏の携帯電話を覗き込むと、そこに見慣れた顔がありました。


「確定ね」
 自分と同じく、等々力氏の携帯電話の画面に映った写真を見た三枝委員長が、あらかじめ知っていたかのように言うので、自分も妙に冷静になりました。
 ブログにアップされた画像に映っていたくりちゃんは、確かに人形のように、というよりも、「くりちゃんの型を取った人形がある」と言った方が正しく思えるくらい、生気の無い姿をしていました。普段よりも白くおぼろげな肌に、質量を感じさせない眼差し。他人に舐められない為に染めた苦し紛れの茶髪も、こうなってみると、外国の高級な人形を彷彿とさせます。
 何より、着ている服が凄い。ゴッテゴテの、こってこての、ふりふりのフリルがついた、白と黒だけのゴスロリ衣装。本来のくりちゃんならば、死んでも着ないような衣装で、そのせいもあってか、普段よりも幼い(普段も制服を着ていない時は小学生に間違われるくらいに幼いのですが)印象を与えていました。
 その一方で、見る者にある種の恭悦さえ与えうるくりちゃん人形がいる場所が、なんとも不釣合いな部屋でした。一見しただけでそれがロクでもない男の住処と分かるような、汚いカーテン。溜まったゴミ袋。そして積まれた荷物、ダンボールの山。恋は盲目と言いますが、いくらなんだってもう少し片付けた方が、恋人も喜ぶだろうにとも言いたくなりましたが、良く考えてみれば当然の事、何せこの部屋の持ち主が恋しているのは人間ではなく、あくまで人形なのです。人形は感情を持ちません。持ち主に対してただただ従順に、沈黙を持って仕えるのみです。
 他者との関わりを徹底的に嫌う人間。しかし愛情に飢えている。悲哀に良く似た、しかし明らかに違う感情に自分は躊躇いました。
 いずれにせよ、くりちゃんに限らず1人の女性を自分の持ち物にする事は許されざる事である事には変わりありません。何よりも、くりちゃんは自分の所有物です。人の物を取るのは泥棒です。
「等々力氏、これで分かりましたか? その人形の能力者の居場所を教えてください」
 毅然とした態度で迫ると、等々力氏は目を泳がせて下唇を噛みました。そして捻り出すように、苦汁を絞りながら、強い感情の込めてこう訴えるのです。
「俺のこの気持ちがお前らに分かるのか……? 少し前まであんなに元気に勃っていたちんこが、急に勃たなくなった俺の気持ちが!」
「分かります」「分かるわ」
 と言ってはみたものの、分かるはずがありません。
「分かる訳ねえだろうが!」
 その通り。
 気づくと、等々力氏は両目一杯に涙を溜めていました。


「悪いが五十妻。あいつの事は教えられない。協力は断る」
 やがて何かを覚悟したように、等々力氏がはっきりとした発音でそう言いました。
「お前ら、あいつの場所を教えたら、性癖バトルを仕掛けるつもりだろ」
 今更偽っても仕方がないので、自分は頷きました。それしかくりちゃんを助ける方法は無い上に、仮にその能力者が降参してくりちゃんを解放したとしても、自分は新能力の為に勝負をするつもりですし、それは等々力氏も百も承知のようです。
「実はな、明日テストが終わったら、1回だけ人形のおっぱいを揉ませてもらう約束をしているんだ。だから少なくともそれまでは、あいつに死なれたら困るんだ」
 死、という言葉がすっと出てくるあたりに、等々力氏の苦悩が見えました。
「もちろん、木下は解放するように言うつもりだぜ。あいつの無い乳を揉んだって仕方が無いしな。明日会う時に俺が、責任を持ってあいつを説得する。それで許してもらえないか?」
 等々力氏は深く頭を下げました。
「つまり私のおっぱいよりも、その人形のおっぱいを選ぶのね?」
 三枝委員長の後ろに回した手は、震えていました。
 無理もありません。「生でおっぱいを揉ませてあげる」と言っているのに、無機物の方が良いと、人の形をした物体の方がマシだとはっきり言われた訳ですから、これが普通の女子だとしても、相手をいかにして残虐に殺すか考え始めるはずです。しかもこれが、露出狂の変態、他人に全裸を見られる事を快感とする女子に与えられた処遇と考えると、最早語りつくせない程の憎悪に満ちている事は分かりきっていました。それでも出来るだけ表面に出さない所を、むしろ流石と褒めるべき所です。
「……すまん。まだ勃つ自信が無いんだ。委員長とは、勃ってから勝負がしたい。正直に言うと、パイズリされたいんだ!」
 変態! と今更罵るのも阿呆らしいですが、そうとしか言えません。熱く語る等々力氏の表情に、この国の本質が宿っていました。
 そして等々力氏は教室から飛び出します。追いかけようとする自分の腕を掴んで止めたのは、三枝委員長。
「どうして止めるんですか? 今等々力氏を逃がしたら、くりちゃんの場所が……」
「分かってるわ」
「なら……!」
「分かったのよ。木下さんのいる場所がね」
 自分は問います。
「本当ですか? それは、どこですか?」
「それを教えるには、条件がある」
 三枝委員長の鋭い睨みに、自分は不覚にも威圧され、底知れぬ恐怖を感じます。
「勝負しましょう、五十妻君」

     

 妄想の中で、ゆっくりと、ひっそりと、朽ち果てて行く運命にある性的倒錯を、現実に引き上げてしまう能力。それがHVDOであると、自分は解釈しています。
 HVDOに能力を授けられ、歓喜して受け入れてしまった時点で、いえ、あるいはおもらし好きというマイノリティーに目覚めてしまった時点で、いえ、もしもこの能力が無かったとしても、変態である事を自認した時点で、自分は、自分を除くあらゆる変態は、戦う事を義務付けられているのかもしれません。
 自分は、おっぱいも、ふたなりも、露出も、人形も、おもらしに比べれば大した事のないイマーゴだと、心のどこかで思っているのです。どれも興味深い対象ではありますが、おもらしに勝る物はありえません。しかし自分と対する相手もそれは同様、変態は自らの性癖を誇りに思っているはずで、安々と他の嗜好に乗り換えてしまうようでは、ただの節操が無いエロガッパではありませんか。
 そして、古今東西のあらゆる歴史が示している通り、譲れない思いが交差する時、そこには戦いが生まれるはずなのです。新たな時代を信じなければ、坂本竜馬は立ち上がらなかったでしょうし、もしもイギリスがすんなり認めれば、独立戦争は起きなかった。
 結局、人が生きていく以上、他者との関わりを完全に断ち切る事はほぼ不可能で、時間の経過しかり、空間の束縛しかり、あるいは突拍子も無い理由、例えば性的超能力によって、戦争はいつだって起こりうるという結論に、自分はたった今辿り着きました。
 と、話が大きく逸れてしまいましたが、自分のどこかに、「甘え」があった事はやはり否定出来ないのです。三枝委員長は自分に好意を抱いてくれている。それに委員長としての責務もある。だから無条件で協力してくれる。助けてくれる。歯向かう事は無い。何もかも、自分の都合の良いように進むはずだ。振り返ってみれば、厚顔無恥も良い所、甚だしい誤解、真剣を打つ者として、最低限の心意気に欠ける行為であったと深く後悔しています。
 だがしかしそれでも、三十六計逃げるに如かず。守るべきモノが自分にはあります。
 自分は掴まれた手を強引に振りほどき、等々力氏と同じく、教室のドアから飛び出そうと目論みましたが、三枝委員長は素早い動きで足を差し出し、自分はそれに躓いてすっ転びそうになった所をどうにか堪え、その瞬間、すかさず三枝委員長はドアの前に移動し、大きな壁として立ちはだかりました。こうなれば、最早教室の窓を突き破って、ジャッキーばりのアクションで飛び降りる(ここは4階ですし、NG集も作られません)しか打つ手は無いかと思われた矢先、三枝委員長が、「ストップ!」と叫びました。
「勝負をするとは言ったけれど、五十妻君に勝機の無い勝負はわざわざ申し込まないわ」
 乱れた髪を整えながら、「今みたいに、死に物狂いで逃げるのが目に見えてるしね」と微笑みました。
「……つまり、どういう事ですか?」
「私があなたに申し込むのは、言ってみれば、変則バトル。あなたが私を上手く『調教』できたらあなたの勝ち。出来なければあなたの負け、というのでどう?」
 茶化すような口調とは対照的に、三枝委員長の目は、いつになく真剣でした。


「えっと……三枝委員長は『調教』されたいんですか?」
「ええ、されたいわね」
 調教。
 性癖をカテゴライズするにあたって、SかMかという大雑把な区切りが存在します。強いて言えば自分は「女の子が恥ずかしがりながらおもらしをする所」を見て楽しむタイプなのでS(ただし、尿を頭からぶっかけられたいと思う側面もあり、その点ではM)、三枝委員長は「自分の一番恥ずかしい所」をくまなく他人に見てもらいたいタイプなのでM(ただし、自分の裸を人に自慢したいという考えは自意識の強いS)であると思われるのですが、そこで疑問が一つ浮かびます。
 三枝委員長は、露出するだけでは満足出来ないのでしょうか。
 もしも「露出」にのみ重点を置き、いかにいやらしく自分の肉体を演出するかを追い求めたいのであれば、いわゆる「ご主人様」と呼ばれる存在は、三枝委員長に必要ありません。なぜなら彼女の得たHVDO能力は、まさしく露出に特化した物であり、そしておそらく、いきなり相手に全裸を見せつけてしまう奇襲攻撃は、性癖バトルにおいて非常に強力です。よって、新しい能力を得る事は比較的容易く、自分1人で全ては事足りるからです。
 それを踏まえて考えると、彼女はただ自分の裸を公衆の面前に晒すだけでは満足出来ず、そこに必然性、つまりご主人様からの命令で仕方なく、という羞恥が加わらなければ、心が十分に満ち足りないのだ、という結論に至ります。そこで彼女は何を思ったのか、他でもない自分に対し、ご主人様としての白羽の矢を立てた。
 もしもHVDO能力の事や、バトルの絡まないまっさらな状態で、三枝委員長からストレートに「私を奴隷にしてください」と告白されたのならば、自分はきっと、少し悩みはするものの、結局はその大役を引き受けたはずです。「おしっこをしろ」と女子に命令するのはオモラシストとしては一つの夢であるし、また、1人の男子として解消しておきたい性欲もあります。「奴隷になる」のではなく、「奴隷を持つ」のなら、大抵の男子ならば快諾するはずでしょう。しかし今は、事情が違うのです。なんとも皮肉な事に、HVDO能力がなければこんな事にはならず、あるからこそ、このような不当な困惑に直面しなければならないのです。
 果たして自分に、三枝委員長を調教する腕があるのか。
 言い換えれば、ご主人様としての資質。ある種これは、走るのが速いだとか、音感があるだとか、勉強が出来るだとかいう能力よりも重要な物かもしれません。そして同時に、なかなか表に出てこない才能でもあります。だからこそ、自分に、三枝委員長を飼う資格が果たしてあるのか。苦問は一向に解決の糸口を見つけず、遥か深層に揺らめきました。
 沈黙したままの自分に痺れを切らしたのか、三枝委員長はゆっくりと語り始めます。
「私ね、前に五十妻君に逃げられてから、色々な所で露出してみたのよ。自宅、通学路、電車の中、学校の中でも、五十妻君の前以外で時々していたのよ?
 だけど、駄目だった。もちろんとても興奮したし、私の裸を見た人の反応を見るのは楽しかった。だけどね、それだけじゃ駄目なのよ。私は今まで、私の為だけに脱いでいた。結局、自分が考える『セーフティーライン』でしか、この能力を使う事が出来なかったのね」


 三枝委員長は自嘲気味に俯き、胸に手を当てました。この1枚の名画にタイトルを付けるとすれば、「悲恋」です。
「私の理想とするご主人様は、鬼畜で、無茶で、傲慢で、私の事なんてこれっぽっちも尊重しない人。その上で、私と同じド変態。あなたにしてあげられるアドバイスは、これだけよ」
 そして、目を瞑りました。
 逃げるチャンスでした。しかし同時に、三枝委員長を倒すチャンスでもありました。思い返せば自分の目の前には、初めからこの選択肢があったのです。音羽君と戦った日、くりちゃんを手コキした後に、三枝委員長はこう言っていました。
『今回の事は、私が自分で勝手にした事よ』
 自分はようやく気づきました。三枝委員長は、「命令される」のを待っていた。音羽君の事を調べて教えてくれたのも、くりちゃんの捜索を手伝ってくれているのも、自ら等々力氏を誘惑したのも、全ては自分から、性的かつ屈辱的な命令を引き出す為の行動だったのです。
 拒む事は、それ以外の全てを求める事。
 そう考えると納得がいきます。
「三枝委員長、服を脱いで下さい」
 自分はあえて事務的な口調で淡々と、そう命令を下しました。
 三枝委員長はじんわりと瞼を開け、「今、ここで?」と尋ねてきましたので「ええ、早く脱いで下さい」と少しいらつきを込めて言うと、「人が来るかもしれない」と口答えをするので、「いいから脱いでください。1枚ずつ、ゆっくりと、ネクタイと靴と靴下は残して」と注文を加えて再度命令しました。
 三枝委員長は「ええ、分かったわ」と短く答え、言われた通り、ゆっくりと、1枚1枚服を脱いでいきました。彼女の能力ならば、一瞬で全裸になる事は出来ますが、それには2秒という時間制限もありますし、そもそもそうは命令していませんので、能力抜きに、ただ普通の人が自宅でするように、服を脱いでいます。
 三枝委員長は、自らの身体を離れた上着とスカートを、教室の床にそっと置いたので、自分はそれを乱暴に蹴り飛ばして、誰かが来た時、咄嗟に手の届かない位置に滑らせました。
 上下とも純白の下着だけを身に纏った委員長が、放課後の教室に立っている。それだけでも異常な光景で、なおかつ膨大な量のエロスがこの空間に堆積していましたが、自分は更に、思いついたまま、命令をします。
「後ろを向いてから、下着を脱いでください」
 きっと三枝委員長はこう思った事でしょう。全裸を見たら、ちんこが100%勃ってしまう。すると、影像の露出性癖が勝利してしまう。そうなる事を恐れて、主人は私に後ろを向かせたのだ、と。それも正しいのです。確かに、自分は三枝委員長の全裸を見て勃起しない自信がありません。しかし、ただそれだけではないのです。
 三枝委員長は自分の命令通りに、後ろを向きました。
 それを確認した自分は、すかさず三枝委員長の前に回りこみ、勢い良く教室のドアを開きました。そして再び三枝委員長の後ろに回り、耳元でこう囁きました。
「これで誰かが通るだけで、見られてしまいますね」


 表情は分かりませんが、確実に興奮しているはずです。自分も、もう95%前後まで勃起しており、遊んでいる余裕などはありませんが、それでも赴くがまま、主人として、命令をし続けます。
 ブラジャーに手をかけた三枝委員長に、「下からで」とフェチな注文をつけると、手はパンツの方に移動しました。その時、手が震えているのが確認でき、順調なようだ、と自分は判断しました。
 左、右、左、右。「ゆっくりと」の命令を正確に守って、三枝委員長はパンツを脱いでいきました。おしりの膨らみの収束地点、ふとももに差し掛かったあたりで、最早ただの1枚の布切れと化した、女子であれば、本来なら何が何でも死守しなければならない聖骸布は、重力に引っ張られ、すとんと落ちました。つい先ほど見たばかりのお尻が目の前に、今度は確実な現実味を帯びた状態で提示されます。雪のように白い肌、この完璧な丸み。今すぐに撫で撫でしたい、嘗め回したい、突っ込みたいといった衝動も矢継ぎ早に自分を襲いましたが、どうにか堪えました。自分には仕事があるのです。三枝委員長に命令するという、重要な仕事が。
「しばらくこのまま立っていましょうか。30分、いや1時間くらい」
 わざと軽々しく言ったその言葉に、三枝委員長は強く反応していました。「そ、それは……」息が荒くなっているのが分かります。「ご主人様、許してください」との懇願。
「そうですか。嫌なら、ブラジャーをとっても良いですよ。ただし、ちゃんとご主人様にきちんと許可をもらってからですけど」
 煽りを入れて、羞恥を蓄積。三枝委員長は唾を飲みこんで、甘い吐息と共に言いました。
「ご主人様、ブラジャーをとっても……よろしいでしょうか?」
 自分は10秒ほど、全く何も言わず、微動だにせず、気配を殺しました。「突然居なくなったのでは?」と思わせるくらいに、我ながら完璧で、股間丸出しで、一切隠す物の無く、命令されなければ振り向きさえ出来ない三枝委員長が、不安に思わないはずがありません。
「……よし、いいですよ」
 とようやく許可をすると、三枝委員長は急いでホックに手をかけたので、「ゆっくりと」と念を押して、動きをより緩慢にさせました。
 やがてブラジャーも地に落ちて、三枝委員長は全裸にネクタイと靴下、靴だけを身に着けた、本物のド変態となりました。
「1歩、前に進んでください。もう1歩、もう1歩、そう、もう1歩」
 三枝委員長は命令された通りに進みました。当然、目の前は全開になったドアですから、進めばやがて、廊下に出ます。背後からなので、表情が確認出来ないのが残念で仕方ありません。きっと、この世の物とは思えない程いやらしい顔をしているに違いないのです。
「神聖な学び舎で、なんて格好をしているのですか。いつも真面目なあの三枝委員長が、いつも成績トップの三枝委員長が、皆に慕われ、尊敬される三枝委員長が、動物みたいに裸で、こうして廊下に立っている。最低だと思いませんか? 誰だって思うはずです」
 言葉で責めながら、自分は足音をたてず、三枝委員長の背後に忍び寄りました。
「いやらしい。汚らわしい。奴隷にはちょうど良い身体ですね。全く、こんなに……あ!」
 とわざと大きな声を出して、自分は三枝委員長の両肩を両手で同時に掴みました。生肌の感触。驚いた三枝委員長はびくっと体を震わせて、かわいらしい小さな悲鳴をあげました。
「びっくりしましたか? 誰か他の人が来たのかも、なんて? 興奮しているんでしょう。分かりますよ。証明してみますか。もうご存知かとも思われますが、自分は女の子がおもらしするのが大好きなのです」
 今更ながらの告白をすると、ブラダーサイトによる尿貯蓄率とは別に、興奮度パーセンテージが現れました。数値は、147%。今まで見てきた中で最大の数字でした。
「やっぱりそうだった。おしっこの方も、後1回触れば漏れますね。分かりますか? 今からあなたは、学校の廊下で、自分の教室の前で、生まれたままの無様な姿で、おしっこを漏らすんですよ。心の準備はよろしいですか?」
「ま、待って! やっぱり私……!」
 次の瞬間、世界で一番美しい液体が、三枝委員長の股間から溢れ出しました。

     

 資質。
 自分にはどうにか、三枝委員長を満足させうる主人としての才能があったらしく、その資質によって、かろうじて窮地を脱するに到った訳ですが、果たしてそれが幸福であるかどうかはまた別の話であり、しかも、今はこの淫乱を調教している場合などでは決して無く、人形能力者に誘拐されたくりちゃんを助けねばならぬという使命をすっかり忘れていた事を思い出し、自らの尿の海に、前屈姿勢で突っ伏しながら、恍惚の表情を浮かべて気絶している三枝委員長を叩き起こして、くりちゃんの居所、もとい在処を聞き出さねば、自分はこのままこの変態とただならぬ関係に至り、怠惰に身を委ねて、卑猥地獄へと堕ちていってしまう予感に、ぶるぶると身が震えたのです。
 抱き起こし、パンパン、と2度ほど頬を叩き、「起きてください」と言いましたが効き目はなく、「おい起きろこの淫乱雌豚公衆肉便器」と声をかけると、ぱちりとその大きな目を開けたのです。
「ふわぁい……」
 と情けない声をあげたのが、果たして彼女自身であったのかどうかが定かではありません。別の人格が突然現れたか、あるいは守護霊が乗り移ったと解釈した方がよっぽどましな程に、三枝委員長はいつもの毅然さを失い、少女のように、幼女のように、くたっとした身体を無防備に自分へと預けたのです。
 一瞬、「あ、もうくりちゃんいらないかな」と思ったのは否定しません。しませんが、実行もしません。
「三枝委員長、くりちゃんの居場所を教えてください」
「え? 小陰唇の……」
「いやそっちの話ではなくて」
 とりあえず服を着せて(と、ここでは簡単に言ってのけますが、全裸で力無くへたりこむ同級生を見ながら煩悩に打ち勝ち、わざわざ服を着せるのは並々ならぬ所業であり、事実、作業中自分は勃起しっぱなしで、勝負の決着がついた後でなければ、不可能だった事でもあります)、「真面目に答えないと捨てます」と前置きしてから、再び同じ質問をしました。その頃にはようやく三枝委員長も正気を取り戻したらしく、今度はかろうじて意味の通る答えが返ってきました。
 何故かたまにアヘる三枝委員長の話、数行を割愛。
 自分は三枝委員長の手を握って(ここで再び、3度目の接触が起こり、能力が発動。三枝委員長はパンツぐしょぐしょのまま、無理やり引っ張られて)走り出しました。自転車の後ろに乗せ、夕暮れの街を疾走します。


 目的地につくまでの間に、今割愛した三枝委員長のした推理を整列するとしましょう。
 まず、そもそも犯人が誰なのかについて、純粋に考える事が大事だったのです。自分はHVDO能力者にこだわり過ぎていました。
 くりちゃんを誘拐したという事は、くりちゃんと面識のある人物であると考えるのが自然です。無論、街で偶然見かけたくりちゃんに一目ぼれし、後をつけ、家を見つけて張り込み、能力を使ったという可能性も無くはありませんが、やはりどう考えても可能性としては低い。となると、くりちゃんを知っている人物は、生徒や先生、学校の人間にほぼ限られます(くりちゃんの交友関係が非常に狭いのは前述の通りです)。しかし今日はテストの当日。同学年で休んでいたのは、自分とくりちゃんと春木氏くらいの物だったそうで、なおかつ、ブログの更新時に我々と接触していた春木氏は犯人ではありません。
 くりちゃんの事を知っていて、なおかつ学校の生徒、及び先生ではない人物、となれば、おのずと対象になる人間は限られます。
 「人形好き」という性癖も、犯人のプロファイリングに際して重要な要素になります。「人形が好き」という事は、つまり、簡単に言ってしまえば「人間が嫌い」なのです。人の持つ温度、言葉のやりとりの煩わしさに対して辟易しており、もっと酷くすれば、自らを取り巻くこの社会に対して、嫌悪感を抱いている。そのような人間が取る行動は大抵2つに絞られます。何もかも嫌になって自殺するか、自宅にひきこもって、世界とのあらゆる関係を断絶するか。
 さて、いよいよくりちゃん誘拐犯の人物像が絞られてきました。くりちゃんを知っており、学校の人間ではなく、ひきこもりの可能性が高い。
 思い当たる人物が、1人だけいるはずです。
 そしてここまでの推理の裏づけは、等々力氏の手によって与えられました。
 携帯電話に表示された1枚の画像。
 その中に映った1枚の「物」で、犯人は確定されました。
 などと高談雄弁に語ってはみたものの、ここまでの推理は全て淫乱雌豚肉奴隷、ではなく三枝委員長によるものであり、決定打となる「物」に関しても、確かに自分の視界にも入っていたはずですが、完全に見落としていました。しかし自分の事を愚鈍だと笑える人間はそう多くはないはずです。同じ状況に立たされれば、誰だって同じく見落とすはず。そうでなかった三枝委員長の、鋭すぎる観察眼こそが、犯人の正体を見破るに足りた訳です。
 自転車から降り、チャイムも鳴らさずにドアを開けました。玄関先で、自分達の帰りを今か今かと待っていた人物が、両目をぱちくりさせています。
「音羽君、お兄さんの部屋に案内してください」


 くりちゃんを誘拐した犯人。それは音羽君の兄(以降、音羽兄)でした。
 等々力氏が見せたくりちゃん人形が映った写真、その猥雑な部屋の中に、つい先ほど、春木氏が持ってきた小包と全く同じ物が映っていたそうなのです。自分が確かに見たという訳ではありませんが、三枝委員長がそのような嘘をつくとも思えず、また、前述の推理もあって、音羽兄が犯人なのはほぼ確定しました。後は直接乗り込み、取り返すのみ。と、意気込む自分を三枝委員長が止めました。
「待って、五十妻君。今、HVDO能力が使えるのはあなたしかいないのよ」
「え? 三枝先輩、能力はどうしたんですか?」と、横から音羽君。
「負けたのよ。五十妻君にね」
「え!? さっき、戦ったら負けないから戦わないって……あれ?」
 確かに、三枝委員長の指摘に間違いはありません。2人共、自分が倒してしまったのですから、今戦える人物が自分しかいない事は、確かな事実ではあります。しかし、だから何だと言うのです。
「元より自分が戦うつもりです。三枝委員長は黙って自分についてきてください」
 言っていて、自分でも不自然なくらいに男らしい台詞でした。対する三枝委員長の返事は、「分かったわ」というたった五文字でしたが、確かな質量を伴い、闘志を奮い立たせるカンフルになりました。
 音羽兄の部屋の前。ドアには「絶対に開けるな」と赤いマジックで書かれた板が下がり、ありとあらゆる来客を拒む揺ぎ無い姿勢に、長年に渡るひきこもり生活を感じさせました。
「音羽君、来客が来たと言って開けてください」
 と小声で頼むと、音羽君は、
「流石にうちのキモオタ兄貴が犯人とは……まあ、やりかねませんけど……でも流石にそれは……いや、確かに犯罪者予備軍ではありましたけど……」
「この部屋の扉を開けてみれば分かる事です」
「『春木君から新しい荷物を預かった』と言えば開けてくれるんじゃないかしら」
 ノックの後、三枝委員長の提案通りに、音羽君は声をかけました。身内にもしっかりと疑われるあたりに、音羽兄のこれまでの人生が集約しているように思われました。
 僅かな沈黙の後、ドアがほんの少し開くや否や、自分は隙間に足を滑り込ませると、目があった音羽兄は、ぷひぃと悲鳴を漏らして、部屋の中で引き下がりましたので、そのままドアを全開にしました。
 なんという悪臭。部屋を隅々まで確認しなくともすぐに分かりました。彼はオナニーした後のティッシュをそのまま部屋に放っぽり投げている。薄暗い部屋に、足の踏み所はなく、まさしくゴミ部屋、人の住処とは思えぬ有様でした。
 うろたえながらも、「おっおっ。なんだおっ。なんだお前らっ。出て行けおっ!」と訴える音羽兄の隣には、見覚えのある人形が鎮座していました。どうやら、三枝委員長の推理は的中し、我々は犯人を追い詰めたようです。


「三枝委員長! パンツを脱いでください!」
「ええ!?」
 突然の無茶振りにうろたえつつも、「これは命令です」と自分が付け加えると、大人しく三枝委員長は先ほど漏らした尿でべちゃべちゃのパンツを脱ぎ捨てました。「汚っ!」と音羽妹。
「スカートをたくしあげて音羽兄側に性器を向けてください!」
「えええ!? そ、それはちょっと……」
 と尻込みするので、パァン、と一発ケツを叩くと、従順な奴隷になりました。奴隷スイッチ、「お」
 おもらしをする、三枝委員長。ただでさえ汚い部屋に、尿の海が形成されて行く様子は、さながら創世記を眺めているようであり、まさしく天地創造。そして顔を真っ赤にした三枝委員長は、禁断の実を食べた直後のイヴでした。
 これだけの羞恥を喰らえば、三枝委員長の自尊心もろとも、音羽兄を木っ端微塵にする事が出来るはず。その確信は、次の瞬間に跡形も無く消え去りました。
 なんと、かわいい女子の失禁シーンを直視したはずの音羽兄が、これっぽっちも勃起していないのです。そんなはずはありません。確認をとりにいきます。
「自分は、女子のおもらしが好きです。あなたは人形が好きなんですよね?」
「おっ、おお」と、肯定。
 音羽兄の頭上に勃起率が表示された瞬間、自分は愕然としました。
 0%。
 音羽兄は、三枝委員長の決死のおもらしに対して、これっぽっちの興奮も抱いていなかったのです。
「ば、馬鹿な……!」
 こんなにエロい存在を前にして、平常心を保っていられるなど、滝が逆流するよりも、田舎に109が出来るよりもありえない現象であり、それを体言したこのキモオタに、自分は心をへし折れたのです。
 しかしここでおめおめと引き下がる訳にはいきません。自分は使えない奴隷に対し、続けざまに命令を下します。
「三枝委員長! 音羽君を拘束してください!」
「ええ!?」
 今度は音羽君が、そう言いました。三枝委員長は、今度はスムーズに命令を了承し、逃げようとする音羽君をノーパンのまま捕らえ、背後に回って両肩をがっつりと抱え込み、自由を奪いました。
 そして自分は、嫌がる音羽君に蹴りをもらいながらも、そのスカートをめくり、パンツを脱がし、発射体勢を整え、すかさず能力を発動させました。
 実の妹の、涙ながらの放尿シーン。
 これを喰らって立てる者は、いえ、勃てない者はいないはず。その確信は、またも粉々に打ち砕かれました。
 0%。
 このド変態は、本当に人形にしか興奮しないようなのです。
 自分には、最早打つ手がありませんでした。
 するとその時、背後から、爽やかなそよ風が吹きこんだのです。
「苦戦しているようだね、五十妻君」
 振り向くと、そこに立っていたのは、つい先ほど知ったばかりのクラスメイト、春木氏でした。

       

表紙

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