Neetel Inside ニートノベル
表紙

HVDO〜変態少女開発機構〜
第二部 第二話「夜明けの鎮痛と残響」

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 少しだけ、私の人生について語ろうと思う。
 まずは子供の頃の話。食べるのにナイフが必要なお肉は拝んだ事が無かった。デパートに入るには入場券が必要だと思っていた。借金取りは総理大臣の次に偉い職業だと信じていた。
 それらが間違いであり、ただうちが貧乏なだけである事に少しずつ気づいていくのが、私にとっての大人の階段だった。つまりは下りの階段。だけど、ある意味一番不幸だったのは、そんな境遇を私に与えたお父さんは、とても恨む気にはなれない程に、純粋な人だったという事だろう。
 今でもお父さんは口癖のようにこう言う。
「いいか命(みこと)、母さんは死ぬ時、お前を俺に預けた。だから俺はお前を幸せにする義務があるし、お前は幸せになる権利があるんだ」
 私が生まれる少し前に、お父さんが社長だった会社が倒産したらしい。不幸というのは重なる物で、元々身体の弱かったお母さんは、私を産むと同時に死んでしまったそうだ。こんな言い方をすると薄情に思われるかもしれないけれど、何せ生まれる前の話だから、現実味が無いのは仕方ない。
 東京生まれの、大阪宮城岩手愛媛北海道千葉京都福岡三重神奈川育ち。小学校を卒業し、中学校に入るまでには、転校の回数は両手で数え切れなくなって、友人の数は親指の先と人さし指の先をくっつければそれで足りた。ちゃんとしたお別れなんて1度も無かったものだから、いつからか出会い自体が無味乾燥に感じるようになった。
 不幸自慢をしたい訳じゃない。ただ、こういう人生もあるというだけの話。
 事実、私は友人に代わる心の支えを手に入れる事が出来た。だから、孤独に浸かってふやける事は無かった。
 中学2年生になった私は、ぐるっと日本を一周した挙句に、生まれた町に戻ってくる事になった。ひょんな事からお父さんの新しい仕事が決まり、その仕事先の方が、なんと借金まで清算してくれたおかげで、私の長い転校生活にはピリオドが打たれた。もちろん、感謝はしているけれど、これまでずっとつけていた手枷足枷が、いとも容易く取れた事に、私は不思議と寂しさを感じた。
 ふいに私の懐に飛び込んできた新しい人生は、周囲の人たちの助けもあって、見る見るうちに磨かれて、輝きだした。きっと他の人から見たら「普通」の事なのだろうけれど、私にとっての日常は、何より価値のある物だった。
 帰り道でする何気ない会話。生まれて初めて読んだ少女漫画。お洒落して買い物に行く楽しさ。全然クリア出来ないテレビゲーム。ディズニーランドは魔法の国。深夜のテレビは面白い。
 貧乏で貧乏で、いつもお腹をすかしていた時の記憶は次第に薄れていったけれど、忘れない思いが1つだけあった。
 ここまでが綺麗な話。そしてここからが汚い話。


 犬種にもよるのかもしれないけれど、私が初めて舐めた犬のちんこは、腐ったトマトの味がした。獣臭さで打ち消されてしまいがちだけど、じっくり味わったらそうだった。
 あれは確か、名古屋か愛媛で、今にも崩れそうなあばら家で住んでいた時の事だったと思う。ある雨の日、家の前に犬が倒れていた。私はお父さんに懇願して、一生に一度のお願いをいっぺんに3回使って、その犬を家にあげ、毛布でくるんで暖めてあげた。2日間ほど死んだように眠ると、犬はすっかり元気になった。
 もちろん、うちには犬を飼ってあげられる余裕なんてなかったけれど、友達になる事なら出来た。犬は賢く、うちの家庭事情を察したようで、3日目には何も言わず出て行ったけれど、その後、時々私の前に現れては、どこかで拾ってきた食べかけのドーナツやら余ったピザの入った箱やらを恵んでくれた。お父さんは「流石に汚いから食べるなよ」と言ったけれど、かくれて食べた。美味しかった。
 今思えば、あの時の犬は私の事を自分と同列か、それ以下に見ていたという事になる。確かにそれも仕方の無い状況ではあったし、当時の私はそこまで深く考えなかった。ただ普通の女の子が、近所の格好いいお兄さんに恋するように、ドラマに出てくる芸能人に憧れるように、ある日突然目の前に現れる王子様を妄想するように、その犬に対して、「普通の」恋心を抱いた。
 やがてその犬とも、別れの挨拶もロクに出来ぬまま別れる事になった。今でも時々、どうしているだろうか? と考える時がある。あの凛々しい目つきに、長い舌と、湿った鼻。理想の犬像は、あの犬をベースにしている。
 少なくとも私にとって、犬は同年齢の同性より近しい存在だった。日本各地、どこに引っ越したって犬はいたし、すぐに懐かれて餌をもらう事になった。ホームレスが犬を連れて歩いている理由、という論文を書かせたら、きっと私の右に出る者はいない。
 そうこうしている内に、気づくと私の性癖は捻じ曲がっていた。
 動物に好かれやすい体質なのは才能と呼べるかもしれない。けれど、動物に欲情するのは何と呼んだら良いのだろう。とにかく、物心つく頃には、私の性の対象は、完全に動物だけに絞られていた。
 最初は犬だけだったのが、猫の口の愛くるしさ、猿のお尻のセクシーさ、馬の後ろ足の力強さ、熊の背筋の盛り上がり、象の瞳の美しさという具合に、次々と非一般的な方角に突き進んで行った。拾った小銭を少しずつ貯めて動物園に行って、動物の檻の前でこっそり股間をいじるのが、いつしか私の至福のひと時となっていた。
 それが異常である事はかろうじて分かっていたから、ずっと誰にも言わずに、秘密にしてきた。そう、私の分身と、出会うまでは。



 時間は前後して、中学2年生の時に戻る。
「もう借金取りが追いかけてくる事は無いから、卒業までこの学校で勉強する事になる」
 とお父さんにプレッシャーをかけられた私は、何度もしてきた自己紹介に、珍しく緊張していた。名前を言って、よろしくお願いします。それだけの事が酷く難しい事のように思え、逃げ出したくなった。
 そんな私を、新しい教室はざわめきでもって迎えた。それは「新しい人間が参加して少しにぎやかになる」という期待に満ちた種類のざわめきではなく、むしろ「一体全体どういう事だ?」という疑惑と怪訝の漂ったざわめきだった。
 私はその正体不明の重い空気に押しつぶされそうになるのに耐えながらも、教壇の隣に立った。そこで、私は私を見つけた。
 訂正。私そっくりの姿を、私は目の前に見つけたのだ。
 目の前の私は、転校してきた私の姿に臆する事無く、ただじっと私の姿を見つめている。
 まるで幻想的な、夢詩か何かの一節に近い。転校してきたと思ったら、目の前にもう私は座っていた。教室がざわめくのだって仕方が無い。私の混乱に構わず、先生が私を紹介する。
「えー、今日からこのクラスで一緒に勉強する事になった、柚之原命(ゆのはら みこと)さんだ。見ての通り、柚之原知恵さんの双子の……妹だったか?」
「はい」
 と、私の目の前にいる私は答えた。
 双子の、妹? 私は私の姉で、私が私の妹。意味が分からない。
 その日、家に帰ると、お父さんが数々の借金取りを泣かせてきたベテランの土下座姿で私を迎えた。
「すまん! 結局今日まで言いだせなかった!」
 お父さんは額を畳に擦りつけたまま続けた。
「お前には、知恵という生き別れの双子の姉がいるんだ。今日学校で会っただろうが……」
 お父さんの告白によれば、お父さんは、私の双子の姉である知恵さんを、生まれてすぐ、この町では一番のお金持ちである三枝さんの家の前に捨てたらしい。裕福なお屋敷なので、子供の1人くらい育ててくれるだろうという目論みだったそうで、実際、これは後に聞いた話だけれど、三枝家では家の前に捨てられた子供は全員引き取って、育てているらしい。
 お父さん曰く、本当は2人とも預けようと思ったらしいが、ギリギリまで考えに考えた結果、2人を育てるのは無理だけど、やはり私だけは頑張って育てようと決心し、私だけを放浪と逃走の旅に連れて行ったらしい。


 知恵お姉ちゃん、と呼ぶ事も最初は躊躇いが混じった。けれど、お姉ちゃんは凄く無口な人だった(特にお姉ちゃん自身の事は聞かなければ答えてくれない)のが逆に幸いした。虐げられているような事はないだろうけれど、何か不自由はないだろうかとか、むしろ私よりも裕福な生活を送っているのだろうかとか、三枝家での暮らしに興味津々だった私は、自然と良く喋るようになって、そのおかげで、ちゃんとした人間の友達も出来た。
 性癖の方は相変わらずで、初めて触ったパソコンを使って、私の性癖が「獣姦」というジャンルに属する事を知った。格好いい動物の写真を貪欲に集め、外国の女性が馬に貫かれている高画質の動画も見た。仲間が存在する事に感動するのと同時に、私もいつかはあそこまでやりたい、と思った。ようやく手に入れた平穏を楽しむ一方で、夜のトレーニングはどんどん過激になっていった。
 1学年下に、知恵お姉ちゃんが預けられ、そして今はメイドとしてお手伝いをしている三枝家の1人娘がいる。ある日、その事を知った私は、興味本位から放課後にこっそりと彼女を待ち伏せした。
 その人の名は、三枝瑞樹。
 彼女の周りの空気はいつも暖かく春めいていた。妄言かもしれないけれど、普通の人とは明らかに放つオーラが違うのだ。それに釣られて集まった人々は、彼女の為なら何でも出来るような気分になる。まるで女王蟻と働き蟻。かくいう私もそんな働き蟻の仲の1人で、動物相手以外にときめきを覚えたのは、彼女に対してがきっと最初で最後だと思った。
 私は狡猾にも、姉のメイドという立場を利用して彼女に近づいた。彼女と一言喋るだけで、胸が膨らんで苦しくなった。獣姦という獣臭い呪われた檻から解き放たれて、全く別の新しい、百合の香りがする道を進みつつあるのかもしれないと本気で思った。それくらいぞっこんだった。
 結果、私は2足のわらじを履く事になった。毎晩毎晩ベッドの上で妄想するのは、彼女がどこかの森の中で、色んな動物に輪姦される姿。私はそれを眺めながらオナニーする。夢の中に入ったら入ったで、私は動物のどれかになって、彼女にペニスを捻じ込んでいる。
 もちろん、こんな淫らな想いは誰にも言えない。だけど、双子というのは不思議な物で、何も言わなくとも、私の異常な性癖は、知恵お姉ちゃんにはとっくにバレていた。というよりも、姉の性癖は、私から見ても明らかに異常と言えるような、とんでもない代物だった。
 ここまでで、私の人生において重要な事の、およそ半分ほどを語り終えた。
 我ながら、濃厚すぎる人生だとは思う。けれど、ここから先はもっともっと濃くなっていくので、期待してくれていい。

     

「初めまして。三枝瑞樹と申します」
 たったそれだけの台詞の中に、人の内側に働きかける何かがあったように思う。「自分が他人に心を許す瞬間」というのは実に分かりにくい物で、注意していないと気づかない事が多いけれど、最初に彼女と会った時に感じたそれは今でもはっきりと覚えている。
「は、初めまして。柚之原命……です。知恵お姉ちゃんの妹で、その、双子です」
「ええ、存じております」
 姉の顔を知った上で、私の顔を初めて見る人は大抵この後、「似てる」だとか、「そっくり」だとか、「並んで立ってみて!」などなどありきたりな事を言う。最初は、興味を持ってもらえるだけでも悪い気はしなかったけれど、言われ慣れてくると少し鬱陶しくなった。ましてや知恵お姉ちゃんと長年の付き合いである彼女ならば、同じ顔をした人間の出現を、さぞや好奇に満ちた目で見るだろう。という私の捻くれた予想を、彼女は見事に裏切ってこう言った。
「とても綺麗な瞳をしていますのね」
 それまで1度も言われた事の無かった褒め言葉だったのに、彼女が言うと無闇やたらに真実味があって、私は密かに嬉しさを感じていた。姉と比較されなかった、という事も重要だったように思う。
「お姉さんの知恵さんの事は、これまで通り『柚之原』と呼ぶつもりですので、貴女の事は『命さん』とお呼びしてもよろしいかしら?」
 後に聞いた話によると、お父さんは知恵お姉ちゃんを三枝家に預ける時、名前だけじゃなく、律儀に苗字まで書いた紙を添えて預けたらしい。私が思うに、彼女が姉の事を「柚之原」と苗字の呼び捨てで呼んでいたのは、実の親がいつか迎えに来る事を、誰よりも彼女が信じてくれていたのではないだろうか。
 しかし肝心の知恵お姉ちゃんは、お父さんの「本当にすまない事をしたと思っている。これからは一緒に暮らそう」という涙ながらの申し出をはっきり断って、三枝家で暮らす道を選んだ。三枝家の当主の方もそれを快諾してくれたそうで、知恵お姉ちゃんと私は、高校1年生になった今でも別々に暮らしている。
 それから彼女について語らなければならない話が1つだけある。知恵お姉ちゃんと、ほぼ初対面に近い再会を果たしてから、少し経った頃の事だ。
 双子とはいえ、何せそれまで1度も会話した事すら無かった2人。転校してきたその日から数日が過ぎ、ばらばらに暮らした双子、というのを珍しがられる事も無くなり、帰り道が違うので話す時間も少なくなると、ただクラスに同じ顔の人間が2人いるだけになって、それが日常になりつつあった時。このまま次第に離れていくかに見えた私と知恵お姉ちゃんの関係を繋ごうとしてくれたのが、三枝瑞樹、彼女だった。
「もうすぐ夏休みですわね。毎年、柚之原も連れて別荘の方に涼みに行っていますの。そうだ、命さんもご一緒にいかがかしら?」
 中学1年生とは思えない程の気配り。実際その頃には、学校にいるほとんどの人間が彼女の事を知っていたし、尊敬もしていた。これは決して私の勘違いや思い込みではないだろう。
 夏休みの彼女の生活を覗いてみたい。だけど、何か気を使われているようで悪いし、知恵お姉ちゃんとこれ以上仲良くなる事はおそらく出来ないだろう。と考えた私は少し悩んだが、結局、彼女の提案を受け入れる事にした。


 軽井沢にある三枝家の別荘は、流石に彼女の自宅とまではいかなくとも、地面の低い所を選ぶようにして育ってきた私にとっては十分萎縮する空間だった。生まれて初めての避暑地で過ごす夏は私に、休息を楽しむという概念と、新しい性への目覚めを与えた。
 知恵お姉ちゃんは、彼女の何もかもを知り尽くしているようだった。食べ物の好みから、愛読している本、快適に過ごせる温度や、その時に聞きたい音楽まで。いつもごく自然に彼女の傍に居て、彼女が命令する前にそれらを与える。まさに完璧なメイドだった。
 当然、私にはその姿がうらやましく見えた。知恵お姉ちゃんが自ら志願して、そうしているのだという事も理解できた。だから同時に、私は嫉妬していた。彼女に尽くす事が出来る立場と、それから姉の好意を受ける彼女自身、その両方に。
 そんな夏のある日、私達は別荘の近くにある動物園にやってきた。私が「動物が好きだ」と言ったのを彼女が覚えていてくれたからだ。とはいえもちろん、獣姦に興味があるとまでは、流石の私も口にはしていないし、別荘で過ごしている間は夜の日課も自粛してきた。2人がいる時にこっそりオナニーする勇気など、私は持ち合わせてなどいない。
 これは言い訳になるかもしれないけれど、つまり、溜まっていたのかもしれない。「ふれあいコーナー」なる、大きめのモルモットや兎などと戯れる事が出来るスペースにて、彼女の腕に小動物が抱かれたのを見た瞬間、私本人でさえ触れた事の無い心の深い部分から、莫大な量の欲情が溢れ出てきた。
「どうかしましたか?」
 気づくと私の脳みその中にある安全装置は外れていて、口からは涎が垂れ、夢中で彼女の姿を見ていたらしい。慌てて涎を拭ったけれど、恍惚に満ちただらしない表情は、しっかりと2人に目撃されてしまったようで、暑さからではない汗が滝のように流れた。
 その夜、私の部屋に知恵お姉ちゃんが訪れたのは、いつもの妄想がどこまでも止まらずに、洗い立てのシーツにすっかり染み込んでしまった頃の事だった。
「何か、隠している?」
 知恵お姉ちゃんの尋ね方は、質問というよりも確認に近かった。私の頭に真っ先に浮かんだのは、彼女に対する想いで、次に動物に対する想いだった。
 私は背中に痛いくらいの視線を受けながら、毛布をぎゅっと引き寄せ、目を瞑って答えた。
「……何も」
 同じ血を持つ者同士、正直でありたいという願いは嘘ではなかったけれど、それ以上に嫌われてしまうのが怖かった。語れと命令されれば、私が動物に感じるエロスや、彼女に対する劣情を夜通し語る事だって出来た。しかしそれでは、私と知恵お姉ちゃんの距離は、ますます遠ざかる事だろう。私みたいな変態は、世の中にはそう多くないはずだ。その時、私はそう思った。
 嘘をついた後、黙ったままでいる私に、知恵お姉ちゃんのかけた言葉は意外の一言に尽きる。
「そのまま、隠し通して」
 私は戦慄し、その夜は眠る事が出来なかった。


 それから2年半の日々、私は醒める事の無い淫夢を見続け、それを決して表には出さなかった。言葉では到底言い表せないような、脳裏に焼きついた卑猥な情景の数々。妄想の主人公はいつも彼女で、最後はいつも、何かの動物の膣内への断続的大量射精で終わる。
 私にとってその夢想は、趣味というよりも最早ライフワークに近かった。したいからするのではなく、気づくとしている。意識してしないように努めれば、やがて強烈なリビドーが襲ってくる。こうして私は、隙あらば彼女をネタにしてオナニーするという正真正銘のド変態となってしまっていた。
 せめて半分だけ、「好き」という気持ちを彼女に伝えられたなら、例え玉砕したとしても、私の異様な性欲はほんの少し別の気持ちに昇華されていたのかもしれない。しかしそれは出来なかった。知恵お姉ちゃんにかけられた呪いの言葉は、私を暗い水の底に繋いだまま離さず、私は窒息しかけながら、かろうじて自分を取り繕っていた。
 そんな私の煮えたぎるような熱い想いは、何の前触れも無く唐突に報われる事になった。それは年の瀬の、寒い夜の事だった。


 実際、本物の夢の中で、「夢の中にいる」と気づけた経験は1度もない。だけどその時は、そう気づかざるを得なかった。何故なら、現実世界ではありえない事が、はっきりとした意識を持ちつつ起こってしまったからだ。
 いつものように床につき、眠りに落ちたと思った次の瞬間、気づくと私は、1匹の犬になっていた。
 人間、よつんばいで歩こうとすると、どうしても腰に負担がかかるし、膝をまっすぐにしたままなら前傾姿勢になる。しかしその時の私はごくごく自然に、まるで元々そうであったかのように、4つの足を地面につけて歩く事が出来た。走る事も出来た。言葉は失って、代わりに吼える事が出来、臭いを敏感に感じる事も出来た。確かに私は間違いなく、このやけにはっきりとした夢の中で本物の犬になっていた。
 静かに深くなっていく夜、場所は近所の公園。冬が寒いのは人間も犬も同じらしい。私はどこに行って何をしたら良いのか分からずに、ただ途方に暮れていた。だけど少しして、私は愛しのあの人の姿を見つけてしまったのだ。しかも彼女は、人間の身体をしたまま犬みたいに全裸になって、背の高い、死んだ目をした男に手綱を引かれている。
 目の前で起きている出来事が、私には理解できなかった。自分が犬になったのもそうだし、彼女があんなハレンチな、背徳極まる行為をしているのもだ。無理やりにさせられているのだろうか? だとしても、反抗さえしないのは不自然だ。そうだ、何か弱みを握られて無理やりやらされているのかもしれない。だとしたら、助けなくちゃ……。
 だけど私は1歩も前に進めなかった。初めて見た彼女の裸体が、余りにも美しすぎたから。私はただ息を潜めて2人の後をついていき、月明かりに照らされて時々見える、彼女の陰部の形を目に焼き付けていた。
 しかし、事態は一気に悪い方へと転がる。
 あろう事か、彼女は男のジーンズに手をかけた。私がすぐ近くで見ている事にも気づかず、彼女はそのまま男のパンツをずり下ろし、この世で一番汚らわしい場所に、その美しく整った顔を近づけていったのだ。
 私には、選択の余地など残されていなかった。例えここが夢の中で、現実世界ではないとしても、彼女が人間のペニスを舐めたり咥えこんでいる姿など見たくはない。私はお姫様を助けに来た騎士のように勇ましく、草陰から飛び出して、男を睨んで精一杯に吼えた。
 男は随分とうろたえている様子で、陰茎をしまったけれど、彼女の方は布きれの1枚も持たされていないので、ただ手でさりげなくその隠しきれない豊満な肉体を隠そうとするのみだった。その様が実にいやらしく、私を興奮させ、そしてこれが夢ではなく現実である事を何よりはっきりと認識させた。夢にしては、余りにも明確すぎるし、その癖私の思い通りの展開にはならない。いやそもそも、私の願いは叶ったのだと、そう思わなくてはせつなすぎたのかもしれない。
 私は彼女を、見て、嗅ぎ、舐め、堪能した。妄想の中でならいくらでもあるが、こんなに近くで彼女を感じた事はなかった。私はまさに発情した犬そのままに、彼女の周りをぐるぐると回った。私の脳が次第にとろけていって、本物の犬と同様になっていくのを感じた。
 男が、私の事をあっちに行けとばかりに追い払おうとしたので、軽く噛んでやった。すると、男は何を思ったのか、それとも元々頭がおかしかったのか、彼女に、自身の体を私へ提供し、処女をくれてやるように命令を下した。
 私に、千載一遇のチャンスが訪れた瞬間だった。
 どのようにして私が犬になったのか、私はこの先どうなってしまうのか、そして彼女がご主人様と呼んで慕うこの男の正体は一体何者なのか。全ての疑問は答えを必要とせず、ただ私は犬として、彼女とセックスをしたくなって、たまらなくなって、しかもそれが出来えた。私には、その事実以外に何もいらなかった。彼女と結ばれるのならば、明日世界が滅んでも良い。ましてやそれが、自分が犬になって行為に挑めるのならば……。
 だけど現実は、私を残酷に嘲った。
 彼女が覚悟を口にして、男の差し出した手を握り返したのを見てしまうと、私には、逃げる彼女を追いかける権利などありはしなかった。

     

 気づくと私は、パジャマ姿でへたり込んでいた。自らの両手を何度か引っくり返して良く見てみたが、毛の無いそれは紛れもなく人間の物で、身体も元に戻っている。2つの足で立つ事も出来るようになったけれど、立ち上がる気になれなかった。ただ放心状態のまま寒さにくしゃみをして、今起きた事が現実の出来事であった事を再度確認した。
 そんな私の背中にそっと、上着がかかった。私は驚いて振り向く。するとそこには、知恵お姉ちゃんの姿があった。
「風邪ひくよ」
 知恵お姉ちゃんがそこにいた事も、どことなく嬉しそうなその台詞も、どちらも不自然に思え、だけど今はただありがたかった。元々手の届かなかった存在が更に遠くに行ってしまったように感じて、私には寂しさ以外に何も残らなかったから。あやうく知恵お姉ちゃんに抱きついて大声で泣きそうになるのを、誰かが止めた。
「一部始終、見させてもらったよ」
 それは知恵お姉ちゃんの声ではなかった。私は周りを見回したが、私達以外に人影はない。ややハスキーな女の人の声で、私達より少し年上だろうか、やけに落ち着いている印象を受けた。
「姿はお見せできないけど、敵ではないから安心してね」
 知恵お姉ちゃんはじっと私を見つめている。私は立ち上がって、膝についたほこりを払い、深呼吸して尋ねた。
「何かのドッキリ?」
「あはは、ここまで凝ったドッキリを素人にしたって何の利益も無いでしょう」
 私の質問に答えたのは、知恵お姉ちゃんではなく謎の声だった。怪訝な表情をする私に構わず、声は勝手に続ける。
「あなた自身がたった今経験した事を思い出してごらんなさいな。あれは夢でもなけりゃ幻覚でもありゃしない。紛れも無く、現実世界の出来事よ。あなたはついに目覚めたって訳。変態の世界へ、ようこそ」
 変態の世界? それならとっくに入っている物だと思っていた。
 私はもう1度周りを見て、人の影も形も見えない事を確実に確認した後、その見えない誰かにではなく、あくまでも知恵お姉ちゃんに尋ねた。
「……本当に誰かいるの?」
「いる」
「……誰?」
「私はピーピングトム。愛を込めてトムと呼んでね」
 声は割り込んできて答えた。トム、という割りには、声は確かに女だ。思ってから、そもそも本名な訳が無いだろうと気づいて、ますます疑いは濃くなってくる。
「あ、一瞬本名だと思っちゃった? 違うからね。そんな訳ないからね」
 私は気づいた。私がこの人物を大人と感じたのは、落ち着いているからという訳ではなく、この状況を心から楽しんでいるようだったからだ。私の事と、私の置かれた状況を理解した立場にいるから、余裕があるのだ。


「ピーピングトム、というのは、慣用句で『覗き魔』って意味。私の能力にぴったりの名前じゃない? センスあるでしょ?」
 能力という言葉に引っかかり、センスがあるかないかの判断までは出来ない。とでも答えようものなら、また肩透かしをくらいそうだ。私は無難に答える。
「能力、の意味が分からないんですが」
「え? たった今、あなたも目覚めた奴に決まってるじゃない」
 表情は見えないし、息遣いさえ聞こえなかったが、ただなんとなく、向こう側でトムが静かに笑っているのが分かる。少し怖くなってきた私は、知恵お姉ちゃんの手を掴んで、「帰ろ」と言った。双子とはいえども、家が同じ訳ではない。今思えば、なんとも妙な台詞だ。
 しかし知恵お姉ちゃんは私の提案に賛成しなかった。私の手をぎゅっと握り返し、「聞いて」と言って、雪解けのような細い声でこう繋げた。
「私も、変態だから。安心して」
 ワタシモヘンタイダカラアンシンシテ。
 たった34バイトのその情報に込められた意味は、複雑怪奇に満ちていた。知恵お姉ちゃんが変態。想像した事すらなかったが、同じ遺伝子を持つ人間だと考えると、不自然な事ではないかもしれない。
 私がより多く、より正確に情報を求める前に、実に厄介な、声だけの登場人物トムは饒舌に語りだした。
「命ちゃん。あなたはつい先ほど、長い長い冬眠期間を経て、セミの幼虫が成虫になるように、ついに変態に変態したって訳。超能力、とでも言った方が分かりやすいかも。私が見た所、あなたの能力は『動物に姿を変化させる』って所かな。持続時間は10分くらい、発動条件は自身が絶頂に達する事。まあ経験上、動物なら何でもって訳じゃないだろうね。変身する動物には、何らかの制限があるはずだけど、まあ便利そうな能力だと思うよ」
 言われてからようやく気がついた。犬になる前、私は日課の妄想オナニーをして、気を失うように眠りについたのだ。
「……いつから見ていたの?」
 私は耳を澄まして、正確にどの辺から声がしているのかを聞き取ろうと務めた。少し間を置いて、声は答えた。
「あ、さっきからやたら周りを警戒しているようだけど、私の能力は別に『透明人間になる事』じゃないからね。目と口を飛ばすとでもいうのかな? 千里眼の少し強い奴と思ってくれればOK」
 声は、知恵お姉ちゃんの方からしている。だけどトムの言っている事が本当なら、声の位置が分かった所で意味が無い。
「で、何だっけ? ああそうそう、いつから見ていたかね。答えは、あなたのお姉さんが私を呼んだ時からよ。携帯電話の番号を渡して初めてのコールがあなたの事に関してだったから、私はよっぽど嫌われているのかも。でも仲間は仲間。ねー?」
 私は、知恵お姉ちゃんの顔に目を向けた。
「私も変態だから」
 この台詞を聞くのは2度目になる。だけど1度目よりも重く深く、私は理解した。


「私と知恵さんは、ある組織に所属しているのよ。その組織の名前は、今は伏せておくけど、簡単に言ってしまえば、世界中の変態を統べる組織とでも言うのかね。あなたや、私や、知恵さんみたいな、能力に目覚めた人間を集めて、ある目的の為に動く秘密結社」
「ある目的?」
「聞きたい?」
 聞けば、戻れなくなるような気がして、私は返答に困った。
 確かに、私が変態な事は認める。一般的な、人間の女子の恋愛対象というのは、言うまでもなく人間の男子であるにも関わらず、私の対象は、女子と動物のまぐわいにある。異常、と罵られても、私には反論もない。
 しかし変態にも人権はある。この性癖を隠し続け、もう2度と先ほどみたいな暴走をしないと心に誓い、トムの言った「能力」についても忘れる事が出来るなら、私は今まで通りの生活を送れるかもしれない。だけど、もしここで私が聞き返してしまったら……。そうと分かっている底なし沼に1歩を踏み出すような物だ。
 黙ったままの私に、驚かすようでもなく背中を押すようでもなく、ただあるがままの事実を掲示するようにトムは言った。
「あなたみたいに自力で能力に目覚める人の事を、私達の間では『天然の能力者』と呼んでいる。元々変態の才能がある人が、よっぽど自分の性癖に対して悩んでようやく発現する訳だから、非常に珍しいのよねえ。あ、ちなみに私と知恵さんは、今の組織に触れる事によって目覚めたタイプだから、同じ変態といえどもあなたとは少し格が違う」
 変態から変態呼ばわりされるのは良い気分じゃない。
「天然じゃない能力者は、私達の組織名を目や耳にすると能力に目覚めるように出来ている。そして自動的に私達の管理下に置かれ、能力に対してある制限を持つ事になる」
「制限?」
「ごめんねー。これも言えないんだわ」
 私は皮肉を込めて言う。
「肝心な事は何も教えてくれないのに、仲間になれと言うんですか?」
 トムがまた、向こう側で笑っているのが分かった。無性にイラついたが、私はそれを伏せた。
「別に強制じゃないからね。あなたが自分で開発するなら、それはそれで良いと思っているし」
 呆気なく突き放すような言葉。おそらくはトムの狙い通りに、簡単に私の心は揺らいだ。私は再び知恵お姉ちゃんを見つめる。
「私は……どうしたらいいの?」
 知恵お姉ちゃんは答える。
「……命のしたいようにしたら良いと思う」
 そして私は、HVDOに入る事を決めた。


「……という訳です」
 告白を終えた私は、彼女の返事を待った。
 ゴリラに変身して、彼女をあの五十妻という男の手から奪還したまでは良かったが、そこから先、どうすれば良いかなんて事は考えていなかった。ただ、彼女が人の物になるのが嫌だった。ただの醜いエゴイズムでしかない。だけど、私にはどうしても許せないのだ。彼女の処女を人間にとられてしまう事が。
 彼女は黙ったまま、目を閉じて何かを考えいるようだった。私は意思を固め、言葉にする。
「瑞樹さん。五十妻元樹と、別れてください」
 ゆっくりと目を開けた彼女を、私は視線を逸らさずに見続けた。
 それを一触即発の空気、と感じたのは、どうやら私だけだったようだ。
 彼女は微笑む。後光がさしてる。更にその後ろに菩提樹が見えた。
「初めて名前で呼んでくれたわね」
 瑞樹さんは平然と冷めた紅茶を飲んだ。それから、涙が零れそうになっているのを、必死に堪えている私に、こう言い放った。
「私は別に、五十妻君と付き合ってはいないわ。ただ、性奴隷になっただけ」
 首を絞められたように苦しいと感じながらも、私は抗う。
「な、ならそれをやめてください」
「残念だけどやめれないわね」彼女は眉を下げて、「あなたの気持ちに答えられなくて、ごめんなさい」
 途端、全身の力が抜けたように感じて、私は椅子に座りなおす。
 フラれるって、思っていたよりもあっけない事だな。なんて、やけに冷静に思う。
 だけど私は諦めない。
 私は変態で、彼女も変態だった。今ここにある障害は、あの五十妻という男だけ。なら、そんな物、ぶち壊してやる。そしてHVDOの名の下に、私達は1つになるのだ。
「瑞樹さん、残念だけど、あなたがそうでも彼は違うわ」
 彼女は首を傾げる。そして、部屋を見渡す。
「そういえば、五十妻君と柚之原はどこに?」
 私はあえて作り笑いをして答える。
「知恵お姉ちゃんの性癖は『拷問』。今頃、五十妻元樹は拷問部屋で痛くて痛くて死にたくなるような拷問を受けてるはずです」

     

第二話 「夜明けの鎮痛と残響」


 ぱくぱくもぐもぐ。
 ぐーすかぐーすか。
 ほんわかふんわか。
 あー今日もがんばったなぁ。
 とろーんとろーん。
 ふわふわゆらゆら。
 ここはどこだっけ?
 私は誰だっけ?
 なんて。
 あははは、もう眠くなってき……。

 バチーン!!! という快音が鳴り響き、自分の頭にかかっていた霞は一瞬で消し飛びました。夢の中で漂っていたような時間は呆気無く終わり、ただただ痛みだけを主張する腕が、足が、腹が、頭が、現実の過酷さを明瞭に自分へと伝え、命の危機がなおも続いている事を気づかせました。
「起きましたか?」
 自分は咄嗟に、寝たフリをしました。が、あえなく見破られると同時、悪魔から購入したと思われる痛い痛い鞭で脛のあたりを打たれ、枯れた悲鳴をあげました。目を見開くと、溜めていた涙が一気に零れ、振り絞るように、散らばったビーズを拾うように、自分は主張しました。
「だぁ……だずげでぐださいぃぃぃ」
 自分の前に立った、初対面の人物を拷問にかける事に対して何の躊躇いも持たない冷酷女、柚之原知恵さん。いや、知恵様は、表情を変えずに、こう言うのです。
「ここまでは、私の完全な趣味です。ここからが本番です」
 糸亡月色王。
 バラバラになった文字を手繰り寄せ、ようやくそれが絶望であると知って、思わず乾いた笑みが零れました。
 休む暇無く次々と拷問が与えられ、地獄の方がまだもう少し人情があるのではないでしょうか、そう思えるくらいに淡々と、知恵様は悪魔のように自分を苦しめました。絶叫し続けて、声帯もイカれ、爺婆のようなしゃがれた声しか今は出す事が出来ません。
 自分は今、間違いなく人生最大の苦境にいます。つい先ほどまで、初セックスに浮かれ浮かれて、得意げにあの淫乱を蹂躙していたというのに、まさしく一寸先は闇。後悔にもんどりを打ちますが、身動き1つ取れないように、両手足はきつく拘束されています。
 おそらくは、春木氏も使用していたシチュエーション能力(春木氏の場合はロリコンなので、小学校でした)という物なのでしょう。中世ヨーロッパを彷彿とさせるような、魔女裁判をいつでも開廷出来る拷問部屋で、「良い空間ですねえ」などとは、流石の渡辺篤史でも言えないはずの、陰鬱な、残酷な12畳。
 無論、わざわざ誰かに指摘されなくても謝罪なら何度もしました。へたれと笑われようが、泣いて泣いて解放を要求しましたが、知恵様はそれを容赦なく無視し続け、まるで熟練ライン工のように、ただ黙々と自分をあらゆる拷問に処していきます。
 自分がここに飛ばされてから受けた拷問の数々は、想像すればただそれだけで気分を害するようなレベルの物ばかりで、ここで改めて述べるのもそれだけで躊躇われるのですが、かといって自分だけがこのような仕打ちを受けるのも冗談ではありませんので、自分の受けた災厄のほんの100分の1でも皆様方に持っていただきたく、いっその事言わせてもらいます。


 のっけから、有無を言わさずに焼きゴテを喰らいました。「焼きゴテ」語感は少しお洒落な洋菓子のようですが、食べる物に甘みと幸福を与えるスイーツなどとはむしろ正反対の物です。
 釜戸で赤くなるまで熱した鉄の棒を、ぐりぐりと素肌、左肩あたりに押し付けられた訳ですから、当然皮膚が火傷を起こして、組織が破壊されてでろでろになります。それでもなお同じ箇所に、再度熱した焼きゴテを押し付けますと、香ばしい、肉の焼ける臭いが漂ってきます。しかしそれは決して食欲の湧くような物ではありません。何せ自分の肉が焼けているのですから、湧くのは激痛と不快感だけです。
 焼きゴテが終わっても、水で冷やすなどの応急処置は一切行われず、間髪入れずに鞭叩きが始まりました。これは無論全身を叩かれたのですが、特に先ほど火傷した箇所を重点的に叩かれ、少し肉が削げ落ちました。血が噴出しようが、痛みに泡を吹こうがおかまいなく、知恵様はひとかけらの躊躇いもなく、ひたすら全力で鞭を振るってきました。
 続けて、今度は水責めにされました。じょうごを口に突っ込まれ、反射的に吐き出そうとすると更に奥へとがんがん押し込められ、器具によって固定されると、そこにガラス製の水差しで水をいれていくのです。じょうごによって喉は開けられているので、自分に拒否権はありません。1つ目の水差しが終わり、お腹がパンパンになって苦しくなった頃、知恵様の背後に満杯の水差しがあと2つ見えた時の絶望感ったらありませんでした。
 意識が朦朧としてきて、あと数秒で窒息死するという絶妙のタイミングで知恵様がじょうごを引き抜くと、自分の口から逆流した水が吐瀉物と混じって大量に空気中へと放たれました。しかしそこに開放感などはなく、続くのは吐きの苦しみ。何せ屈む事は許されず、立たされたままに腹部を靴でぎゅうぎゅうと押されている訳ですから、少しずつ減っていく水の量と反比例するように、、苦しさは増していきます。
 永遠にも思える不快な嘔吐が終われば、一見工具にも見える小じんまりとした器具が登場し、それが両手の親指にセットされると、それがかの名高き親指締め具であると分かりました。最初、ゆっくりとネジが絞まって行く時、自分は迂闊にも、まだ前での拷問に比べればマシだ、と思ったのですが、愚者の思い込みに過ぎませんでした。万力をそっくりそのまま小さくしたこの機械の持つ力は、万力と比べても何の遜色も無く、進むばかりで決して戻る事の無いネジは、無論何の感情も持たず、また、器具を扱う知恵様の方も同じく、まるで何の感情も無いように、自分の親指は圧力を受け続け、やがて爪が折れ、締め具の中から血が流れ始めても、なおも行為は続されました行。人体の先端部分という物は、神経が密集している部分です。少しでも痛みを和らげる脳内麻薬が、どばどばと放出されているのが分かりました。
 そして最後の仕上げとばかりに、




        しました。自分は発狂すると同時に血を噴いて気絶し、ようやく意識が戻ったと同時に先ほどの台詞があった訳です。
「ここからが本番です」
 

 拷問が始まる前、自分に与えられた情報はたったの3つ。
 1つ目は、この空間で負った傷は、現実世界に戻れば自動的に治癒される。つまり足を失おうが腕を失おうが失明しおうがペニスを切断されようが、それはここから脱出さえすれば治るというのです。ならば安心だとお思いですか? むしろ逆だと考えてください。
 あらゆる傷が治るという事は、「何をしてもチャラになる」という事です。傷が残っていない上に、目撃者も居ないとなれば、証拠が無い以上、法に訴えたとしても勝つ見込みがありません。「鼻を削ぎ落とされました!」と鼻息荒く警察に駆け込んでも黄色い救急車を呼ばれるだけです。
 このロジックに気づいた時、自分は全身に鳥肌が立ちました。喪失というストッパーを失った拷問とは、一体どこまで行ってしまうのか。
 2つ目は、ここから脱出するには2通りの手段しかない無いという事。その2つとは、知恵様自身が能力を解除し能力の対象になった者を解放するか、あるいは知恵様の間違いを自分が指摘するか。この「指摘する」という手段に関しては、どうやら能力の発動条件が関係しているようです。
 知恵様の性癖が「獣姦」ではなく「拷問」だと理解し、自慢げにひけらかした推理が見事に外れてすっぽ抜けたのを自分が認識したと同時に、手枷を嵌められて吊るされている状態で自分はこの空間へ飛ばされていました。つまり能力の対象が何かを間違えた、失敗した事によって、この空間は発生している訳ですから、能力の発生源が同じく何らかのミスを犯せば、発動条件が失われ、元の公平な状態に戻るという仕組みです。
 そして3つ目の情報。それは、
「あなたは苦しむ」
 という断固たる予言でした。
 言葉通り、自分は人生で最も苦しい時間を過ごしました。自分はこれまで「拷問」という性癖を持っている人は、言い換えれば「ドS」であると解釈していましたが、それは大きな間違いだったようです。ドSのSはサービスのSとは良く言った物で、知恵様にはこれっぽっちも自分を快楽へと導く気などありません。むしろ自分の事にははっきり言って興味がなく、相手の抱く苦痛、奏でる断末魔の音色、絶対的優位性と嗜虐的エンターテイメント性、そして古今東西あらゆる拷問器具その物といった、血の通わぬ存在に対してどうやら快感を感じているようなのです。その証拠に、1つの拷問における最高苦痛点において、知恵様はぶるると身体を震わせる事があります。自らの肉体に触れずとも絶頂に達せられる。間違いなく変態ではありますが、大なり異常者、サイコパスであると断言させていただきます。
 拷問には、大きく分けて2種類の意味があります。2つとも、犯罪者や税の未納者、反逆者に対して行われるのが前提です。
 1つは、なかなか口を割らずだんまりを決め込む者に対して、恐怖を与える目的で行われ、自白を強要したり、仲間を売らせたりする事が目的です。拷問の最中で死に至らしめてしまうとそれは拷問として失敗ですので、慎重に、かつ段階的に行われます。
 もう1つは、拷問を公にする事によって、類似犯罪の発生を防ぐ意味。石川五右衛門の釜茹でや、ファラリウスの雄牛等が有名ですが、こちらは最終的に死に至らしめる事を前提としており、いかに残虐かが重要視されます。
 知恵様の目的は、上のいずれかでもありませんでした。
 簡潔に、ただ快楽を求めていただけなのです。


「ここからが本番です」
 その台詞は決して間違いや脅しなどではありませんでした。
「だから、あなたが今からする私の要求に応じるならば、すぐにあなたを解放します。応じないのなら、拷問を続けます」
 それはようやく見えた出口でありましたが、同時に、更なる地獄への門でもあり、自分は唾を飲み込んで、門番の言葉を待ちました。
「『三枝瑞樹』との関係を解消してください」
「……それは……つまり……」
 ひゅん、と風を切り裂く音が聞こえ頬に鞭が命中し、口の中に溜まった血反吐が放射状に飛びました。
「同じ事を言わせないでください。もう2度とご主人様に関わるな、と言っているのです」
 自分は視線を落として考えます。
 頷きさえすれば、解放される。
 この苦悶と激痛の螺旋階段から、ようやく下りる事が出来る。
 それは強烈な光でした。新鮮な空気とも言えるかもしれません。ただ日常を取り戻すだけの事が、幸福に思えて仕方が無いのです。
「し、しかし……三枝委員長のほうが何と言うか……」
 大きく振りかぶった鞭が、今度は逆側の頬に命中しました。生暖かい血の感触が涙に混じって顎を伝います。
「余計な心配は必要ありません。あなたが手を引くかどうか、イエスか、ノーか。もちろん、ここでイエスと言っておいて後で裏切る事になれば、もう1度この場所に来てもらう事になります。おすすめは出来ません」
 言いながら、知恵様は部屋にある拷問器具を見渡しました。もしも拒否あるいは虚偽すれば、先ほどとは比較にならないほど恐ろしい目に会う事は分かりきっています。
「答えてください。5秒以内に答えが無い場合、ノーと見なして拷問を続けます」
 機械のアナウンスかと思えるほどに、淡々とした、別にどちらでも良い、と言わんばかりの感情の無い声でした。
 自分は唇を噛み締め、答えます。
「……です」
「……今、何と?」
「ノーです。三枝委員長は自分の物です」
「……そうですか」
 作業台の上に転がった、無数の拷問器具。その中から、知恵様はある1つを選び、手に取りました。
 金属製、片手にちょうど収まるくらいのそれは、梨のような形をしており、翡翠でしょうか、装飾が施され、一見高級なアクセサリーのようにも見えましたが、その尻尾からは拷問器具の特徴でもあるネジが飛び出していました。
 知恵様が、ほんの僅かに微笑んだように見えます。
「『苦悩の梨』はご存知ですか?」

     

「いえ……知りません」
 知恵様は、その苦悩の梨とやらを手の中で転がしながらぼんやりと眺めた後、自分の方に近づき(それだけでも自分の足が勝手に震え、例えここを脱出して肉体的損傷が回復したとしても、PTSDを発症してしまう事は明確でした)、目の前で金メッキのネジをくりくりと回していきました。すると、先端部分にあたる、本物の梨で言えばちょうど実が沢山ついていて、種の付近の美味しい部分が、パカッと綺麗に4つに割れて、中の機械構造がちらりと覗くと、まるで早回し映像のように割れた花弁がじわじわと広がっていきました。
 ネジを逆回しにすると、当然花弁は閉じていき、元に戻りました。
 眼前でその仕掛けを実演されても、自分にはそれをどのように使って人を苦しめるのかが分かりませんでした。いえ、偽り無く言えば、分からなかった訳ではありません。ただ想像したくなかっただけで、意図的に思考を停止させていたとも言えます。
「これを、人体のどこに入れると思います?」
 そんな自分のささやかな現実逃避を、知恵様は言葉のスレッジハンマーでもってあっさりと粉砕しました。自分は、おそるおそると答えます。
「口、ですか?」
 こんなに小さく可憐な道具といえども、口に入れたまま先ほどのように開いていけば、やがて口角が裂け、唇が破け、顎が外れ、相当な苦痛を強いられるはずです。
 知恵様は、聞こえないくらい小さな声でふふ、と笑い、こう答えました。
「その用途もあるんですが、今回は違います。肛門に、入れさせてもらいます」
 最悪。
 宿題を学校に忘れただとか、浮気が彼女にバレただとか、不良にカツアゲされただとかで「最悪だ」などとほざいている人は、今すぐ自分に謝ってください。そして交代してください。
 最悪の事態とは、こういう事を言うのです。ケツの穴の中にぶち込まれたこれは、まさに苦悩の梨と呼ぶに相応しい働きをする事請け合いで、その煌びやかな見た目とは相反して、非人道的力強さを発揮し、重要な臓腑へと致命的なダメージを与えるはずです。
「そ、そんなに綺麗な物を尻穴なんかに入れたら、汚れてしまうのではないですか?」
 と、自分は稚戯に等しい抵抗をしてみました。無論、知恵様の決定に変わりは無いのですが、波紋を起こすきっかけ程度にはなりました。
「汚れてしまったら、また洗えばいいだけの事。私はこの拷問器具が一番好きです」
 初めて聞いた、知恵様の「素」。綺麗な物、と褒めたのが良かったのでしょうか、それは贔屓目に見ても突破口と呼べるような物ではありませんでしたが、僅かな、そして確かな変化ではありました。自分はその隙間に、慎重に言葉を挿します。
「どこの拷問器具なのですか?」
 知恵様は、それが自分の姑息な時間稼ぎだと気づいていたようです。しかし答えてはくれました。
「17世紀頃のヨーロッパ全域で使われていたそうです。拷問の世界では、割と良く知られた物ですけど、このように美しい装飾の物は珍しく、主に貴族が犯した姦淫の罪に対して使われていたそうです」
 と、聞いてもいない事まで語り、
「同性愛が罰せられた時代ですから、女性の場合は膣に、男性の場合は肛門に入れて使われたそうです。あなたの場合、罪とは無関係でしょうけれど、この拷問は受けていただきます」
 自分はついに光明を見つけました。


 こんなに絶望的な状況で、何をもって「光明」とするのか。ついに気でも狂ったんじゃないか、と心配になるのは良く分かりますが、どうかご安心ください。自分だって、数々の死闘をこなしてきたHVDO能力者には違いないのですから、酷い拷問に処されながらも、どうしたらこの苦境を打開出来るかについてはしっかり考え続けていました。
「果たしてそうですかね?」
 と、自分は主語を抜いて尋ねます。
「……何がですか?」
「無関係、と言う事は、あなた、自分の事を同性愛者ではないとお思いだった訳ですね?」
 知恵様は答えません。じっと自分の目を見て、また先ほどまでの鉄仮面のような表情のまま、沈黙を守ります。
 数秒の後、「拷問を続けます」とだけ断りを入れて、枷がついたままの自分の腕を下ろし、別の拷問台へと引っ張りました(当然、重りつきの足かせも嵌められているので、抵抗などは到底出来ません)。誘導された新しい拷問台は、今まで使っていた吊り下げて立たせるタイプの物とは違い、木製の板の上に上半身だけを寝かせ、うつぶせに胴と肩を革のベルトで固定し、足を肩幅よりやや大きく広げさせ台の脚にくくりつけ、両手は枷をつけたまま背中に回すタイプでした。ちょうど、立ちバックの体勢を思い浮かべてもらえばそれで合っていると思われますが、男の立ちバック姿を妄想して喜ぶのは一部女子の方だけでしょうから、無理にしなくても結構です。
 しかし今回の戦い、その一部女子の気持ちになる事が、自分の打開案に必要不可欠なエッセンスであるかもしれません。
 パンツを剥かれました。今まではパンツ一丁に上半身裸の状態で拷問を受けていたのですが、これで正真正銘の全裸。肛門丸出しの、死ぬほど情けない姿になってしまいました。他の方はどうか知りませんが、自分は人に対してペニスをお見せする習慣を持ち合わせていないので、ただこれだけでも何とも言えぬ屈辱があります。
 そして知恵様は、自分が見上げる前で両手にゴム手袋を装着すると、後ろに回って、自分の尻の穴を親指で軽くほじりました。
「あ……っ」
 思わず変な声が漏れました。
「感じないでください」
 と命令され、1cmほど深くに挿入されたので、
「あああっ! あぅっ!」
 と更に変な声が出て、鞭でしばかれました。


 当然の事ながら、自分がこれから仕掛ける作戦に、失敗は許されません。もしも見破られてしまえば、この先苦悩の梨よりも更に酷い拷問が待ち受けている事は確実ですし、自力でこの支配からの卒業は夢と散ります。
 知恵様は両手で自分の尻肉をぐっと掴むと、左右に広げて、アナルを白日の下に晒しました。屁でも1発かましてやりたい気分ですが、あいにくと催してはおらず、出来たら出来たで問答無用にいちもつをすっぱ切られるような気もしてそれはそれで恐怖です。
 自分は、ケツの穴から声を出すような状態で、背後にいる知恵様に話しかけました。
「……あの、チンコを握ってもらえないでしょうか?」
 若干の間の後、返事がきます。
「意味が分かりません」
「こ、こ、怖くて仕方ないんです」
「関係ありません。私の要求に答えない限り、あなたはただ拷問を受けるだけです」
「うんこ漏らしますよ?」
「……」
 念を押すように、2度目。
「うんこ漏らしますよ?」
 こうなれば、恥も外聞もありません。うんこ漏れたとあれば、ここから先の拷問は全て、自分の分身である小型爆弾の放つ悪臭の中で行われる事になり、それは知恵様の望む所ではないはずです。こんなクズ野郎のうんこを処理するよりも、少し不安を軽減させた後、安全に拷問を受けさせる方が良い、と考えるのは自然な事です。そう思路の動く所を自分は機敏に読み、あらかじめ用意してあった代替案、もとい本命の手を打ちます。
「では、ちんこじゃなくても良いです。せめて……せめて手を握ってくれませんか。さっきから震えが止まらないのです」
 自分の言う通り、この拷問台に移される前から、両手の震えは尋常ならざる精神を克明に伝えるように、携帯で言えば電話かかりっぱなし状態で、パンツを脱がされたあたりでは既に痙攣の域に達していました。
「……何を企んでいるのかは知りませんが、ここから逆転の目があると思っているんですか?」
 自分は他意を伏せ、小さく呼吸しました。
「思っていません。いませんから、どうか、手を握ってください」
 空気の揺らぐ音がして、ゴム手袋の無機質な感触が、自分の人差し指に触れた瞬間を狙って、自分は知恵様の手を強く強く、それこそ折れそうな勢いで握り返しました。それと同時に、今の自分にとって唯一の切り札でもある、HVDO能力「黄命」を発動させました。


 驚いたはずの知恵様は、しかし冷静沈着な判断力で自分の手の甲を容赦なくつねりあげ、肉がちぎれるかと思った自分は思わず知恵様の手を離してしまいましたが、既に攻撃は完了していました。問題は、ブラダーサイト(相手の膀胱に溜まった尿量を計測する能力)の使えない今、果たして33%の追加尿で決壊近くまで持っていけるかどうかですが、この程度の壁は乗り越えて然るべき懸念です。
「くだらない事を……」
 どうやら知恵様は、自分の取った行動を、「せめて一矢を報いようとしたいたちの最後っぺ」だと解釈してくれたようです。
 すぐに気を取り直したらしく、再び自分の肛門に触れた知恵様の指は、しかしぴたっと止まりました。
「……もしや、あなたの能力ですか?」
「何がですか?」
 と、自分はすっとぼけます。
「まあ……いいです。むしろ、ちょうど良かった」
 背後で、布の擦れる音が聞こえたかと思うと、ちょうど手の平に収まるくらいの、広げれば頭に被れるくらいの布が、ぱさ、と落ちました。体勢から言って、その姿を見れないのは心苦しく、なんとも惜しいのですが、今は少しの助平心を満足させているような場合ではありません。
 知恵様は拷問台の上に乗っかって、自分を見下した状態で言いました。
「こういう刑も、ありますから」
 ぬるくて少し、臭う滝。
 それは自分の頭に降り注ぎ、髪の毛を犯し、首筋を伝いました。一部が唇を湿らせて、自分は黙って屈辱に耐える「演技」をしました。
 本来ならば、このような御褒美、土下座をしてでもやっていただきたい所ですが、今はその本性を隠さなくてはなりません。こみ上げてくる満面の笑みを押さえつけて、くやしそうな表情を作るのはまさに至難の技でしたが、自分はなんとかそれをやりきりました。
 放尿を終えた知恵様は、拷問台から下りて、自分の下半身を確認しました。
「なるほど、やはりあなたの能力だったようですね」
 勃起しまくった丸出しのそれを、隠す術は無論ありません。
 ですが、自分はそれを見事に利用します。
「ち、違います! 自分は人のおしっこを浴びて喜ぶ変態……」と、ここで咳き込み、あらかじめ口の中に控えておいた血反吐を吐き捨て、「……ではありません!」
 溜めて、溜めて、観念したように、吐き出すように、
「自分は、ガチホモなのです」
 無論、この台詞は真っ赤な嘘でありまして、自分は正真正銘のノンケ、ノンケなうです。しかし知恵様は先ほど、自分が同性愛者ではないと断定している口ぶりをしました。
 知恵様に、間違いを認めさせる。
 ここからの解放条件の1つです。

     

 とはいえ、それを実現するには、「この人間はリアルホモである」という確信を知恵様に抱かせねばなりません。この一部の隙も無い冷血乙女に、何のフリも無くぽっと出てきた嘘を信じさせなくてはならないというのは、どう考えても至難の技です。エイプリルフールの朝一番に、「宝くじで3億当たった」と言って、信じてもらうような物です。
「苦し紛れ、にしても、もっとましな手は無かったんですか?」
 知恵様は言いながら、自分のアナルを刺激して、よくほぐしました。自分は喘ぎを混ぜながら、我ながら実に気色悪いと思いつつも答えます。
「あっ、嘘では……おふ……ありませんよ。その証拠に……ああっ……自分の頭の上を見てください」
 姿勢を固定されすぎていて、自分の視点からではきちんと確認できませんが、知恵様は少なくとも視線だけでも自分の頭上へと向けたはずで、そしてそこに、おそらくは80%以上と表示されてるであろう数字を目撃したはずです。
 HVDO能力者同士は、お互いの性癖を知った時点、あるいは告白した時点で、男であれば勃起率、女であれば(便宜上の)興奮率を表示しあうシステムとなっています。それは、こちらの攻撃が、相手にどの程度のダメージを与えたかを視覚的に分かりやすくする為であると推察していますが、HVDOという存在が未だ謎霧の中にある以上、自分も滅多な事は言い切れません。しかし少なくとも、自分はこのシステムを利用して何度も戦ってきており、とりあえずは便利であるという事に間違いはありません。
 今回、自分はこのシステムを逆手にとって利用させていただきました。数字の表示に必要な条件が、「相手の性癖を知る」という事なのであれば、言い換えればそれは「相手の性癖を知った事を、自分が知った事を知らせる」という事になります。ややこしいかもしれませんが、今から実例をお見せしましょう。
 ここで注目すべきは、つい先ほどに自分が言ったこの台詞。
『ち、違います! 自分は人のおしっこを浴びて喜ぶ変態……ではありません!』
 自分はあえて、言葉と言葉の間に若干の「間」を開けました。これぞ、五十妻流マントラ術の極意。自分はバトルに関わるシステムについて、徹底的に実験したわけでもなければ、誰かから丁寧にレクチャーを受けた訳ではありませんので、ある種賭けに近い物がありましたが、どうやら良い目が出てくれたようです。
 頭上の数字の表示が、放尿フェチカミングアウトの台詞ではなく、その後に続いた、嘘のホモカミングアウトに由来していると誤認させる事さえ出来れば……。
 知恵様は、間違いを認めざるを得ないのです!
「はぁはぁ……どうですか? 菊門をいじられて、こんなに興奮してしまいました……」
 自分は舌を出してにやつきながら、知恵様の言葉を待ちました。
「有り得ません」
 知恵様の言葉には一切の揺らぎが無く、自分は正直「あ、全然ダメかも」と思いました。


「あなたがもしもゲイだと言うならば、どうして瑞樹様に固執するのですか?」
 まったくもって、知恵様の仰る通り、自分はつい先ほど堂々と、「三枝委員長は自分の物だ」と宣言しています。普通のセックスを求める、ましてや女を所有するなど、生粋のホモから言わせれば最低の行為に他ならないでしょう。が、自分はこのごもっともな問いに対しての答えを、あらかじめ用意しておきました。
「三枝委員長に固執している訳ではありません。三枝委員長の『財産』に固執しているのですよ」
 卑下に満ちた笑顔を作って浮かべ、自分は続けます。
「こんなに大きな家と、それを維持していく財産があれば、ハーレムを作る事など実にたやすい。そう思いませんか? 幸い、三枝委員長も自分と同じ変態で、HVDO能力者ですし、利用させていただこう、と思っていた訳です。自分には幸いSの才能があるようなので、彼女を片手間に調教し、何でも言う事を聞く奴隷に仕立て上げ、その一方で最強のハッテン場を作る。これぞ自分にとって究極の夢なのです」
 まさに下衆丸出し、人間の嫌な部分を培養して、養殖して、パック詰めにしたかのような、昨今のエロアニメの悪役でも滅多に言わないような台詞を、自分は真剣に口にしました。知恵様の鉄壁の無言に対し、更に投石を続けます。
「徹底的に好みの男だけで構成しますよ。ガテン系兄貴、華奢な美少年、デブ親父に、ショタっこにパンツレスラー……ああ、例を挙げだせばまるでキリがない。自分は攻めも受けもいけるクチですから、これはきっと人生をかけた大事業になるでしょう」
 そんな暑苦しいハーレム、想像するだけでも眩暈がしますし、それを恍惚とした表情で、桃源郷を思い浮かべるが如く語らなければならないのですから、これも拷問に負けず劣らずなかなかの苦行でありますが、こうして手足の自由を奪われ、ちんこビンビンになった自分に打てる策など、そう多くはありません。心の中でげえげえ吐きながらも、究極的ゲイを装い、あくまで勃起率を維持し、知恵様を騙す事、少なくともこれが、自分の思いつく中で最善の方法であるのです。
「あなたの狙いは分かりきっています」と、知恵様。「私に『間違えた』と思わせるつもりです」
「そんな事は決してありません。自分は本物です」
 答えながら、自分は確信しました。ほんの少しずつではありますが、知恵様の心の支柱には、ヒビが入り始めている。なぜなら、知恵様に絶対的な確信が未だにあれば、それをわざわざ口に出す必要が無いからです。おそらく、性癖の告白時、数字が表示されるルールをどのようにして利用したか、そのタネの部分にはまだ気づいていないのでしょう。単純すぎて、逆に盲点になってしまっている。これを好機とばかりに、自分は駆け引きの常套手段『引き』に打って出ます。
「信じられないのならば、それでもいいです。さあ、早くその苦悩の梨とやらをケツマンコに突っ込んでください」
 明鏡止水、といった面持ちで、自分は穴を全開にしました。
「……言われなくてもそうします」
 ひんやりとした金属の感触が、自分のブラックホールに接触し、「はぁんっ!」と世にも気持ち悪い悲鳴が自分の口から零れました。


「どうして自分が急に素直になったのか分かりますか?」
「分かりませんし、聞きたくもありません」
 そうですか。しかし聞いてもらわないと、自分はただの変態ドMのホモになってしまいますので言わせていだたきます。
「実は自分には、好きな人がいるのですよ。もちろん、男ですあっ!」
 言い切った瞬間、ずぶずぶずぶ、と苦悩の梨が前に進みました。距離にすれば、ほんの数cmほどでしょうし、内側からであれば、もっと太いブツを排出した事もある肛門ですが、「入ってくる」という感覚にはやはり慣れてはいないようで、あやうく演技が崩れそうになりましたが、歯を食いしばって耐えました。無事にこの作戦を成功させた暁には、アカデミー賞くらいならいただいても良いのではないか、と思われます。
「ふぅ……あっ……好きな人、というのはですね。同じクラスにいる、等々力という美男子でして……」
 咄嗟に出てきた名前がたまたま等々力氏だっただけで、断じて特別な感情がある訳ではありません。何度でも繰り返し言わせてもらいますが、これはあくまでも演技です。嘘の骨組みに嘘で肉付けした嘘の塊ですので、くれぐれも誤解のないように。
「等々力氏も、自分の事を好いているのではないか、と……ああっ……つぅ……思うのですよ」
 梨も段々と大きくなってきて、挿入はそうスムーズには行われなくなっていきました。それはそろそろ浣腸という医療行為、常識の範囲で想定される領域を超え、そろそろ確実な変態プレイ、アナル開発へと着手してきました。
「それとなく遠まわしに、告白もしたんですが……ああああっ! 駄目、というか……冗談に受け取られてしまって……うっ」
 ギチギチと音をたてて進入してくる梨の感触に恐怖しながら、「こんな時の為にBLを勉強しておくべきだった」と後悔しつつも、括約筋を出来る限りリラックスさせて、いつどんなブツでも受け入れていますよ、という主張を声高に叫びました。
「だけど、ここを無事に脱出出来たら、ふふふ、ちゃんと告白しようと……あうはっ! この苦悩の梨だって……等々力氏のモノだと思い込めば……ぐふっ……そう辛くは……はっ! はっ! はぁぁぁぁん!!!」
 ずぶり、と嫌な音が鳴って、下腹部にあった異物感が、背中側からでも感じられるようになると、いよいよ自分も、清らかな身ではなくなったのだ、という思いが波のように寄せてきて、涙がつうと頬を伝いました。
「ああ、く、等々力氏……!」
 見事、濃厚なホモを熱演しきった自分に対し、何の前振りもなく、救いの手はそっと差し伸べられました。


「その話、もっと詳しく」
 どこからともなく聞こえた声。それは確実に知恵様の物ではありませんでした。自分はうろたえながら、あまり動かない首を少しずつ動かして周りを見渡しましたが、そこに人の姿はありません。知恵様と同じく、自分の後ろ側、死角にいるとしても、いつどのようにしてこの拷問部屋に侵入したのかという疑問が残り、つまり徹底して謎です。謎の声です。
「黙っていていただけますか?」
 と答えたのは知恵様。これで第三者の存在が、確実な物になりました。
「悪いけど、こんな話聞かされて黙っていられるほど、我慢強い方じゃないのよね~」
 声はやけに楽しげで、不安と期待の比率がゆらゆらと左右に揺れました。
「裏切るのですか?」
「んや? ただ私は、公平にやりたいだけ。見た所、この子が今していた話はマジだって。見て見て、これが本物のホモよ。もっと詳しく教えて!」
「それが裏切りだと言っているのですが……」
 声からだけでも、いやむしろ、声だけしか聞こえないからこそ、知恵様が、明らかに怒っているのが分かりました。
「あ、そう。なら、裏切りでいいや」
 余りにもあっけらかんと、謎の声は言い放つので、自分もしばし呆然としましたが、この機を逃す手はありません。
「ああ、等々力氏のチンポが舐めたい……!」
 阿呆みたいな事を、大真面目に言う。これが実に難しい。謎の声は、期待した通りの反応を返してくれました。
「いいわぁ……是非その際には、1番近くで見させてもらっちゃう!」
 まだ顔も見た事ない人間相手に、こんな事を言うのも人間的にどうかと思われますが、この声の持ち主は確実にド変態です。
「トムさん」
 と、知恵様。どうやら声の主は、トムという呼び名らしいですが、まず間違いなく本名な訳がありません。外人でもなければ、男でもなさそうです。
「あなたは腐っていても、目は曇っていないと思っていたんですが、私が買いかぶりすぎていたようです」
 腐っている。というワードから、トムと呼ばれる謎の声のプロファイリングは98%完成しました。端的に言えば、つまり「腐女子」です。
「とかなんとか言っちゃって。柚之原さん、そろそろ自分の間違いは認めた方がいいんじゃない?」
「私に間違いなどありません」
 若干の間の後、トムは真面目な声で尋ねました。
「ふーん……そう。『あの事』もう忘れたのかな?」
 瞬間、ずしんずしん、と拷問部屋全体が揺れました。地震でしょうか、いえ、ここはあくまでも異空間。地震があるとすれば、それは知恵様の自信が揺らいでいるに他なりません。と、くだらない事を考えている内に、瞬く間に世界は崩壊していきました。自分を縛っていた拷問台が壊れ、すっぽんぽんのままで空中に放り出されると、七色に変わる景色をくぐって、ついに三枝委員長の邸宅へと帰ってきました。床に身体を叩きつけられた衝撃で、アヌスから苦悩の梨がポンと飛び出て、その様を思いっきり4人の女子に見られてしまいました。
 恥。
 人にかかせるのは慣れた物ですが、自分がかくのは不慣れでした。

       

表紙

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Neetsha