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HVDO〜変態少女開発機構〜
第三部 第三話「香気の色はまだ仄かに」

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第三部 第三話「香気の色はまだ仄かに」


 憧れだったか、好意だったか、今となってはどちらでもいいが、私が最初、先輩に対して抱いていた感情は、研磨を待つサファイアの原石のような、澄んだ物だったに違いない。もちろんそれを磨き上げ、丁寧にカットしてくれた人物は先輩に他ならないし、これから先、同じ物は2度と出来上がらないだろうと思う。
 2年前も春は春だった。例年より寒かったのか、桜の散るのが遅かったのは覚えている。私は清陽高校に入学したばかりの1年生で、胸の内にはちょっとした野望と、自分を「賢い」と思うちっぽけな自尊心がとぐろを巻いていた。まあ、やる気があった。今よりは。
 中学時代、自分の学力よりも1つ上のレベルの翠郷高校を目指さずに、あえて2つ下の清陽高校を目指したのはその野望とやらによるものだった。担任の先生には、滑り止めを受ける事を家から許されていない為、と説明したが、半分くらいは嘘だった。いや、野望、という単語は少々大げさだったかもしれない。代替するとしたら、人生の試算、あるいはプロット、とでも言うべき漠然とした指標だ。
 たかだか十数年間の人生で、「成功」について私が学んだ事は2つだけ。
 1.女で成功するのは男より難しい。
 男女不平等を今更叫ぶつもりはない。男には出来なくて女には出来る事も確かにあるし、時に周りの男と違う見方が出来るのは強力な武器になる。社会の上に行けば行くほど周囲は男になっていくはずだから、武器はより鋭利になっていくと考えてもいい。だけど「女流棋士」という肩書きが何もつかない「棋士」よりも劣っているのは今更変えようがない事実であるし、肉体的なハンディはわざわざ口にするまでもない。男は強くあるべきで、女は弱くあるべき。この幻想的な金科玉条に異議を唱えれば、ますます面倒くさい事を背負う羽目になるのは、子供の頃から繰り返し学ばされた。本気で喧嘩をしたら勝てないけれど、手をあげられたら誰かに言いつければいい。映画の中で人質に取る場面があれば女子供だけを先に解放しろと刑事が要求する。100メートル走の世界記録は女子が1秒近くも遅く、そもそもあらゆる競技が性別で分かれている。そして生理がやってきて、自らの身体の仕組みをきちんと知ると、様々な理不尽にそれなりの納得がいく。従って、新しい不満も生まれる。どうして、女だけ?
 不満を言っていても何も始まらない。ありがちな励ましの台詞かもしれないけれど、この問題はこうとしか言いようがない。まさか衣替えをするみたいに性別を変えられる訳がないし、ただ不公平だと言う理由だけでそんな事をしても不自然な人間が1人生まれるだけだ。
 後天的な努力で何とか出来るのはむしろ、もう1つの方。
 2.成功するかしないかは、能力よりも「コネ」による。
 コネクション。縁故。聞こえが良く言えば、人と人との繋がり。誰だって、見ず知らずの人よりも、前から知っている人を相手にした方が話が弾む。見た事も聞いた事もない人間に本当の愛情を傾ける事の出来る人間などいない。全く同じ能力の人間が2人いたら、誰かに紹介してもらったお墨付きを選ぶ。分かりきった事だ、「全く同じ能力の人間」なんてありえない仮定をわざわざ持ち出さなくても。
 生まれつき、コネに恵まれている人も確かにいる。政治家に二世が多いのはそのせいだろう。それでも性別の壁よりは遥かに、生まれの良し悪しとやらは乗り越えやすい壁なのだ。人生の中で出会える人の数は限られているけれど、知り合いの知り合いというのに限りはない。「スモールワールド現象」世界は意外と狭く、あなたと私は6人の知り合いを間に挟んで繋がっている。
 そして「コネ」を作るのに、清陽高校は最適の選択だと私は判断した。茶道部のOBは名手ばかりで、後輩を非常にかわいがっているとも聞いていた。学歴なんて、最終的に卒業した大学しか見られないのだから、高校のレベルを上げたとしても長い目で見れば大した得はない。それよりもコネ。私が世間に認められるには、まずはとにかくコネがいる。私は、成功したかった。
 思い返してみれば、なんと甘い考えだろう。私にはもう1つ、学んでおかなければならない事があった。 万物は等価交換。結局の所、生まれ持ったものを覆すには、本人の意志による多大なる努力と、身を削るような我慢が必要なのだ。


 それでも先輩に出会えた事はやはり「幸運」だった。わざわざ6人の知り合いを通さずとも、直接会話を出来た事。つまり先輩が3年生で、私が1年生だった事。具体的には、あの日たまたまあの道を、あのタイミングで私が通りかかった事。それをきっかけに先輩が私を気に入ってくれた事。私には先輩の性格が衝撃的だった事。あえて俗物的に本音を言えば、先輩は実にかわいらしかった事。それらが全て、幸運だった。
 いや、やはり幸運なんて客観的な言い方は訂正しようか。「運命」。この言葉が陳腐に感じるなら、必然でも偶然でもどちらでも構わない。それまで抱いていた人生観をぶっ壊してくれた先輩という存在に、私は何かを感じずにはいられなかったし、あいにく無宗教なのでそこに神の力は介入しなかった。私は私として生きて、先輩として生きる先輩と、単純に出会えたというだけだ。
 あの日の朝、登校途中。道路脇の排水溝、いわゆる側溝に首を突っ込んでいる、私と同じ制服を着た1人の女子生徒を見つけた。気づいていないのか、気にしていないのか、スカートからは水色の下着がちらりと覗いていた。
 声をかけようか、それとも無視して学校へ急ごうか、迷っていると、そのかわいい下着の持ち主は顔をあげて、私に気づくなりまっすぐこう言った。
「手伝ってくれる?」
 不躾とはこの事を言うのだろう。その表情は泥にまみれ、手も汚れている所を見るに、緊急事態なのだろうとは漠然と思った。だけど、新調したばかりの制服を着て、入学2日目で遅刻という汚名を被らない為には、その場は丁重に断るのが正解だった。
 だけど、私はあえて、不正解を選んだ。
 理由は、と問われると、少し解答に困る。大変そうに見えたから、だろうか、それともただ単に、先輩の一所懸命な姿に見惚れてしまったからだろうか。放っておく理由を述べるのは楽だが、放っておけなかった理由を述べるというのは難しい。恥ずかしい、とも言う。
「何を探しているんですか?」
 鞄を立てかけて、側溝の石蓋を開けていく。あっという間に手は先輩と同じように黒くなり、早速後悔は始まっていた。しかしとにかく何をしているのかを聞かなければ、というか、普通は聞いてから手伝うのだろうが、役に立つ事も出来ない。
「あれ見て」
 先輩は突っ込んでいた首を持ち上げ、視線を投げる。その着地点には1つのダンボール箱があった。近づいて上から覗いてみると、中には毛布だけが敷いてあり、そして側面には「誰かもらってください」と太字のマジックで書かれてあった。
「猫?」
 頭の中、ぼんやりと点線に囲われて浮かんだそれを口にしてみる。
「犬かもしれないね」
「え?」驚く私。肩を竦める先輩。
「私もさっきそのダンボールを見つけただけだもん。だけど、もしも親切な誰かが拾った後なら、親切なのだからダンボールも一緒に片付けるはずでしょ。それで、誰かに拾われる前に脱走したと私は見た。野良として無事にやっていけそうならそれもアリだけど、排水溝に落ちてたら可哀想じゃない?」
 見た事も聞いた事もない物に本当の愛情を傾けられる人間がそこにいたのだ。


 その時、私は手伝いをやめる事も出来たはずだ。確かに先輩の言っている事は理に適ってはいる。中の動物だけ拾ってダンボールは放置、なんていかにも不自然だし、この辺りの側溝は割りと大き目の穴があいていて、一晩中放置されて衰弱した子猫か子犬なら、おそらく簡単に落ちてしまいそうだ。
 とはいえ、そこに捨てられた動物が本当にいたという保障すらない。先輩が自分で言っていた通り、野良の仲間入りをした可能性もある。その上、手伝って何か得がある訳じゃない。動物に誰か大物とのコネを期待するほど私の頭はお花畑ではないし、誰かが行いを評価してくれる訳でもない。神様は信じていないから。
 だけど私は手伝いを続けた。こればかりは、不思議というしかないのだけれど、強いて表現すれば「あてられた」という事だろうか。祭囃子に身を投じれば、陽気な気分になるように、人の恋の路程を聞けば、どことなく胸が高鳴るように、先輩の持つ健気さというか、神聖さというか、それが大げさなら馬鹿正直さでもいい。「私はこう信じたからこう行動した」というストレートな想いが、頭の中の電卓にエラーを吐かせた。この人はきっと神様ではないけれど、信じるに値する人だ、私は不覚にもそう思ってしまった。
 それから5分後、先輩は見事に探し物を見つけた。
「君が正解だったね」
 先輩がそう言いながら慎重に抱き上げたのは、小さな小さな猫だった。やはり弱っている様子で、抵抗する素振りさえ見せない。野良でやっていくにはかなり絶望的だ。
 泥と砂に汚れて湿った猫を、同じくらい汚れた先輩が抱き寄せてている光景は、1枚の絵画にしても良いほどに美しかった。
 それから、私と先輩は急いで学校に向かった。遅刻したくないからではない。出来れば朝のホームルームが始まる前に、拾ったばかりの猫の新しい飼い主を探している事をなるべく多くの人に伝えたいのだと先輩は言った。何の権限で? という疑問が頭をかすめたが、学校に到着してすぐそれは解決した。
 先輩は、私が野望の礎にしようと企んでいた茶道部の部長だった。
「そういえば、名前を聞いてなかったね。私は3年の日向。日向 麻紀乃(ひむかいまきの)。あなたは?」
「1年の望月です。望月……ソフィア」
 下の名前を口にする時、いつも少しだけ私は迷う。ハーフだけれど英語は喋れないし、生まれてから今までずっと日本だから外国の事は全然知らない。でも名前を言うと、どこの国で、どんな所で、どんな食べ物がおいしいのか、なんて質問が必ずといっていいほど飛んでくる。それに答えられずに気まずくなるから嫌だったのだ。
「そう。じゃあソフィって呼んでいい?」
「え、はい。いいですけれど……」
 私がにせもの外国人さんである事を知れば、大抵の人が苗字の「望月」で呼んでくる事が多いので、先輩の反応はちょっと意外だった。というか、中身は純正日本人である私からしたら、初対面の人の下の名前をあだ名で呼ぶ行為そのものが、なんというか大陸的だった。
「私はマッキーでいいよ。よろしくね、ソフィ」
 よろしく? 一瞬、言葉の意味がわからなかった。
 差し出された右手を握り返すのに、躊躇う私の手を先輩が強引に握った。
「茶道部に入りなさいソフィ。私はあなたが好きだから」
 今思えば、私はその時恋をしたのだ。埃まみれの優しい笑顔に。先輩の一途で無垢な純粋さに。
 そんな私の気持ちを囃し立てるように、猫がにゃーと鳴いた。

     

 茶道部に入部して1ヶ月。先輩が何を考えているのかが良く分からなかった。
 先輩の周囲にはいつも誰かしらがいて、良く慕われているというのは十分に分かった。朝は茶道部の部員が何人かわざわざ遠回りしてまで迎えに来るし、学校に着いたら学年が違うので同じ階にすら居られない。昼休みに会いに行けば先輩の机にはいつも人だかりが出来ていて、先輩の方が私のクラスに来てくれる事も稀にあったが、その時には必ずお供がついていた。放課後、部活の時間になればもう絶望的。茶道部は上下関係に厳しく、礼儀作法の初心者である私は、先輩から直接指導を受けるレベルにすら達していなかったようで、部員も100名近くいるので接するチャンスはほぼ無い。2人きりになれる機会がそもそも少なかったのが、先輩が何を考えているのか分からなかった原因の1つだろう。
 その状況自体、不満ではあるけれど、先輩の人気自体には、納得せざるを得なかった。艶やかな藍色の入った短い黒髪の隙間から時折覗くうなじは、健康的な肌色をしている。少し黒目がちで大きな瞳をくるんと跳ねたまつげが強調して、前に立つ者を片っ端から魅了していく。リップクリームを使っている所を見た事がないのに、いつも潤っている唇は学校の七不思議に数えても良い。出来る事ならそのまま部屋に飾っておきたいと思っていたのは、きっと私だけではないはずだ。
 お美しい見た目もさる事ながら、やはり先輩の魅力はその性格にある。誰が相手でも物怖じせず、抜群のタイミングで冗談を飛ばし、いつも気配りが出来ていて、そして誰かが笑えば共に笑ってくれて、誰かが泣けば共に泣いてくれる。先輩の傍にいるだけで、妙な安心感がある。世界中が敵に回っても、先輩だけは味方でいてくれるような、何の根拠もないのに強烈な安心感だ。
 先輩が上等な人間だからこそ、皆が認め、愛してくれるのだと入部当初の私は思っていたが、しばらく経って、表には出ない理由もそこにはある事に気がついた。少しでも先輩と一緒にいようとしている人の中には、先輩の付加価値が目的の人も確かにいたのだ。
 ある日の部活中、華道の座学をしていた時、先輩が席を立ち、それに続いて何人かの部員も一緒に部室を出て行くと、2年生の先輩が私に声をかけてきた。
「ねえ、望月さんだっけ」
 その声の色からは、敵対心が見て取れた。身構えそうになったが、普通を装い、「何でしょう?」と尋ねる。それが逆にまずかったのかもしれない。
「あなた、日向部長に特別目をかけられているみたいだけど、自分から遠慮するって事を少しは覚えたらどうなのかしらね?」
「……どういう意味ですか?」
「どういう意味って……そのままの意味よ。茶道の腕が特別良い訳でもないのに、1年生でこっちの部室への入室を許可されているのはあなただけだし、それに、朝は毎日一緒みたいだし……はっきり言って迷惑なのよね。1年生の癖に場を弁えない人って」
 今なら、こういうタイプを相手にする時は適当に頷いて聞き流した方が得なのだと知っているけれど、その時の私は反論せずにはいられなかった。
「お言葉ですが先輩。1年生の部室からこっちの部室に移るように言われたのは日向先輩ですし、朝一緒なのは家が割りと近いからで、それ以外に理由はありません。そもそも、1年生が3年生と仲良くなっちゃいけない決まりでもあるんですか?」
 私だって、もっと先輩と喋りたいというのに。と付け足してしまいそうになったが、寸での所で我慢した。それにしても、2年生の先輩の答えはその時の私からしてみれば意外な物だった。
「当たり前でしょう。次期部長を決める権利は現部長にあるのだから。いくらあなたが日向部長のお気に入りでも、2年生を追い抜かしていい道理はないわ」


 次期部長を決める権利。
 先輩が人気である裏の理由を知った私は、それと同時に、私が先輩を地位の為に利用していると思われていたという事実に耐え切れなくなった。勢い良く席から立つ。注目が集まる。
「私は……!」
 そんな目的で入部したのではない。とでも、続けようと思ったのだろうか。
 確かに先輩と知り合ったきっかけは偶然だったし、手伝いをしたのも下心があったからではない。だけれど、そもそもこの高校に入学した事の背景には、茶道部のコネを成功の礎にしたかったからという明確な欲望があり、仮に先輩から誘われなかったとしても、私は茶道部に入部していただろう。
 先輩という人間の魅力に気づいて、自分までもが正しい光の中にいるかのような錯覚をしていたのは紛れもなく私であり、それは言い訳不能な傲慢さだった。
「私は……」
 言い淀む私を見て、それを見ていた他の部員からの、フォローの形を借りた追撃が加わる。
「気持ちは分からなくはないけれど、言いすぎよ。望月さん困ってるじゃない」
「2人とも落ち着いて。1年生だからって、差別するのは良くないわ」
「そうね。望月さんではなく日向さんに言うべき事よ」
 針のむしろに座る気分とは、まさにこの事を指すのだろう。私の事を快く思わない人が、話しかけてきた先輩以外にも確かに居るという当然の事に、私はそれまで気づかなかったのだ。優しく、当たり障りの無いように、正義を気取りながら、自分は言いたいけれど相手は言ってほしくないであろう事を嬉々として言う方々に対し、私は、キレた。
「成功する為に最短の道を選ぶ事の、何がいけないんですか?」
 目を点にする聴衆に向かって、私は更に続ける。
「何も持っていない人が成功するには、コネが必要じゃないですか。茶道部に入ればそれが手に入ると思ったから入ったんです。部長に気に入られれば次の部長になれる事はたった今知りましたけど、それならもっと日向先輩に取り入るべきですね。明日からそうします。ご指摘ありがとう……ございました」
 言葉尻が擦れて消えそうになったのを誤魔化す為に、私は身を翻し、そのまま部室を出て行こうとした。
「どこへ行くの?」
 私の退路を絶ったのは、先輩だった。ハンカチで手を拭きながら、状況を飲み込めていないお供を連れて、いつもと変わらない笑顔を使って、私を責めた。
「今日は帰ります」
 かろうじて搾り出した言葉に、先輩は首を振る。
「だめ。ほら、隣に座って。これは先輩命令よ」
 思えば、私は先輩のこういう所にやられたのだ。
 私が先輩を慕う事で、先輩に迷惑がかかるのなら、私は自分から皆に嫌われてやろうと思った。そうすれば、先輩は悪くなくて、私1人が悪者になれる。その為なら、先輩に嫌われてしまう事も怖くないと言ったら嘘になるけれど、何も知らない1年生の私に出来る事はそれくらいしかなかった。
 そんな私の浅はかな考えなど、先輩からしてみれば簡単にお見通しだった。
 命令と言われれば従うしかない。隣に座った私に先輩は何も言わず、それから部活が終わるまで、私と先輩に話しかけてくる人は誰もいなかった。
 結局の所、私は先輩と出会って、それまで持っていた価値観が、いかに意味の無い事であるかを気づかされたという事になる。私が手に入れたかった成功とやらは、所詮「こうあるべき」と知らない誰かに植えつけられた、目指すのにちょうど良いだけの目標でしかなかったという訳だ。
 それに気づくと、楽な気分で毎日を過ごせるようになった。先輩の人気は相変わらずだったが、嫉妬なんてしなくて済む。先輩が教えてくれた事を思い出す時、先輩は、確かに私だけの先輩だった。
 そんなある日、先輩から電話がきた。


「土曜日に会うのは不思議な感じがするね」
 私服姿の先輩に見とれている私は、出会った日以来、初めて2人きりになれた事に浮かれている事を悟られぬように気をつけたつもりだったが、どうやら無駄な努力だったようだ。
「おやおや、初めてのデートに緊張してるようだねえ」
 からかってくる時の先輩は、私より2つ年上な事を忘れるくらい子供っぽい。
 私はあえてそっけなく答える。
「女2人ではデートとは言わないんじゃないですか」
「そうなの? でも、私がデートだと言ったらそれはデートでしょ」
 そうかもしれない。と思わせるのが先輩の凄い所だ。
「さて、どこへ行こうかね~」
「え、決めてないんですか?」
「そりゃそうよ。どこに行きたいかソフィに聞いて、どこでも行けるようにこうして駅を待ち合わせ場所にしたんじゃない」
 私は必死に反論する。
「昨日電話してくれた時に『どこへ行くんですか?』って尋ねたら、先輩『当日のお楽しみ』って言って、結局教えてくれなかったじゃないですか」
「間違ってはいないでしょ。これからどこへ行くのかを2人で決めるのも、お楽しみの内の1つ」
 理屈は通じない。先輩には先輩の正義があって、それはきっとテコでも揺るがないのだ。
「とりあえず、街にでも繰り出しましょうか」
 そう言った先輩が、手の平を上にして、それを私の前にすっと差し出す。
 私は先輩の顔を見て、その笑顔の本当の怖さを知る。
「えっと、この手は……どういう意味ですか?」
「こういう意味に決まってるでしょ!」
 瞬く間、私の右手は先輩の魔の手に掴まってしまった。
「せ、先輩!」
「デートなんだから手を繋がなくちゃね」
 握った指を解かれると、先輩の体温が伝わってきた。指を指の間に絡ませる恋人繋ぎを、何の躊躇も無くしてのけた先輩は、きっと男に生まれていたのならとんでもない女たらしになっていたに違いない。女として生まれた先輩に落とされた私がこう言うのだから、そこそこ説得力はあるだろう。
「せ、先輩はいつも他の女の子にこういう事をしているんですか?」
 それは自分の恥ずかしさを紛らわす為に投げかけた質問だったけれど、むしろ火に油を注ぐ事になってしまった。
「全然? あたしから手を繋いだのは……ソフィが初めて。見て分からない? ちょっと顔が赤くなってるんだけどな」
「わ、分からないですよ」
 私はちょっぴり嘘をついた。本当はただ、先輩の顔を直視出来なかっただけだ。
 映画を観に行き、ショッピングを楽しみ、初めてのデートはつつがなく終了した。
「いやー今日は楽しかったねえ」
「う……はい」
 精一杯気丈を装って答えたが、先輩がクレーンゲームで取ってくれた大きなペンギンのぬいぐるみを抱きしめたままでは、それも無駄なあがきだったかもしれない。
 2人きりだと、いつもの帰り道も違って見える。
「ところでソフィ、明日、暇?」
「予定はないですけど……」
「それじゃあ、明日も今日と同じ時間に、今日と同じ駅で待ち合わせね」
「え!? 2日連続でデートですか?」
「うーん……デートとは、少し違うかな」
 私はその言葉の意味が汲めずに、先輩の顔色を伺う。少し考えている様子というよりは、前に1度だけ見た、男子に告白されて困りながらも断っている時の表情に似ている。
 どうしたらいつもみたいに笑ってくれるのだろう。と真剣に考える私に、先輩は容赦なく不意打ちをしかけた。
「ソフィ。前にも言った通り、あたしはあなたが好き」
 火をつけられたみたいに真っ赤になる私。
「これが一目惚れって奴なのかしらね。いつも、ソフィの事ばかり考えている」
 心臓が、派手な音をたてているのを先輩に聞かれないように、胸を手で覆う。
 先輩が何を考えているのかがついに分かったというのに、私はもっと不安な気持ちになった。私も、いつも先輩の事を、と言いかけたその衝動の正体が、一体何なのかが分からなかったのだ。例え女同士であっても、デートをデートと呼んでもいいのは、先輩が教えてくれた。それなら、女同士でも、恋愛は恋愛と呼んでいいのだろうか。
 うろたえる私の肩を掴み、抱き寄せ、先輩は耳元で呟く。
「これは命令じゃなくて、お願い」
 あの瞬間は、今でも鮮明に思い出せる。
「ソフィ。明日、ある場所で、あたしと『して』欲しいの」

     

 その時、私が何と答えたかはいまいち覚えていない。驚き、慌て、戸惑った事はまず間違いないが、先輩の放った言葉の意味を、果たしてきちんと理解していたのか。していないのならば問いただしたのか。そして、一体どんな顔をして先輩のお願いに対して返事をしたのか。こればかりは、例え覚えていたとしても、覚えていない、と言わせてもらうしかない。しかし私は、先輩の言葉を理解していたからこそ、いちいち問いただす必要も無く、答える事が出来たのだろう。覚えていなくても、結果を見ればそれは分かる。
 高校1年生の私は、性に対して全く持って無関心ではいられなかった。今となっては下の名前も思い出せないが、密かに想いを寄せる男の子もいた気がする。だが、それは恋に恋しているという古めかしい表現がぴったりの感情で、その男の子とリアルな交わりを頭に思い描く事など出来なかったように思う。
 もちろん、これは私の名誉の為にも断言するが、私が最初先輩に抱いた好意の中には、ひとさじ程の肉欲も含まれてはいなかった。先輩の傍にいられるだけで幸せになれるのは今も変わっていないし、私が先輩にとってどんな人間でいられるかは、つまり、私がこれから先どんな人生を歩めるかという途方も無い問いかけと同義だった。
 先輩がもしも、「普通の人」だったのなら、私は最大の信頼をおかれる後輩かつ友人である事を理想としただろう。先輩がもしも、心の底から私を殺したいと願う「殺人者」なら、少し躊躇はするものの、最終的には命を差し出す事になっただろう。だけど先輩は、普通の人でも殺人者でもなく、私の、女としての身体を欲してくれた1人の同性愛者だったから、私は先輩の想いを受け入れる事にしたのだ。
 後日、先輩はこの時の事を、「ソフィの答えを待っている間は、神様に裁かれている気分だった」と表現した。私は神を信じていないが、先輩がその存在を示唆する時だけ、私もその神を共有し、崇敬な気分になる。妄信的、と表現するのは実に正しい。
 だがしかし、当時の私には1つの大きな悩みがあった。
 数週間前、局部に発生した異質な物。私がそれに気づいたのは、いつものようにシャワーを浴びていた時で、その時はまだ小指の爪くらいのサイズだった。デキ物にしては、皮膚とは質感が違いすぎているのに、おそるおそる触れてみると、どうやら感覚は通っている。真っ白で、体を丸めて嗅いでみると、微かにではあるが明らかに私の体臭ではない匂いもしている。それは百合の花の蕾に見えた。道端で見かけるならなんとも思わないだろうが、自分の身体に生えれば悩みでしかない。
 股間に百合が生えたなど、誰かに相談出来るはずもなかった。その内に勝手に治るだろう、という淡い期待を胸に日々を過ごしたが、気づくとそれは巨大化し、やがて性器を覆うまでになった。まだ咲いてはいないが、この様子なら時間の問題だと思った。医者に見せて相談するべきだ、と頭では分かっていても、そう簡単に踏み切れる物ではない。あまりにも馬鹿げていたし、私にも乙女としての恥じらいはある。
 問題は、先輩が「して」と言った事をするには、この謎を先輩に披露しなければならないという事だ。
 何とか誤魔化して隠し通すべきか、それともこれを好機と捉え、先輩に相談を持ちかけるべきか。今思うが、やはり「断る」という選択肢はそもそも頭に無かったように思う。命令ならまだしも、お願いされてしまっては、ますます拒否する事など出来ない。などと自分の気持ちに言い訳しつつも、先輩と別れる頃には既に、私の覚悟は決まっていた。
 なんとでも思うがいい。私はスケベだ。


 先輩と待ち合わせをした清陽高校前からバスに乗り、40分ほどで終点についた。本当に都内なのかと疑いたくなるような、色濃い自然に囲まれた場所で、人も車も少なく静かだった。バス停から道路沿いに少し歩くと、雑木林に入っていく小道がある。目印らしきものは何もなく、奥まった位置にあったので、知っていなければ見つける事さえ出来ないはずだ。おそらく、先輩はここに何度も来た事があるのだろうと思った。
「あの……」
 その日何度目かの質問を、私は先輩にぶつける。
「そろそろ、どこへ行くのか教えてもらえませんか?」
「うーん……茶道部の本当の部室かな」
 先輩は笑みを浮かべてそうかわす。いつもは頼れる表情なのに、こういう時はむしろ不安を煽られる。告白を受けてもなお、先輩が何を考えているのかは分からなかった。
「道が少し不安定だから、気をつけて」
 差し出された手を握る。土に直接石を埋め込んだような、なだらかで低い階段を100歩ほど上り、私達が辿り着いたのは、純和風のお屋敷だった。背の高いカエデの中から何の前触れもなく目に飛び込んできたそのお屋敷は、お茶会を開くにはうってつけだとは思うけれど、これから私と先輩が何かを行うには、いささか上品過ぎるように思えた。私は尋ねる。
「ここでその……するんですか?」
「何を?」
 あっけらかんと先輩は訊き返してきた。騙されたのかも、と一瞬思ったが、昨日聞いた言葉は確かに耳に残っていた。私はそっぽを向いて呟く。
「……先輩って、意地悪ですね」
「あはは、そうよ。今気づいたの?」
 と先輩は笑って、結局真面目に答えてくれなかった。
 屋根付きの正面玄関をくぐると、女の人が私達を出迎えてくれた。歳は30半ばくらい。値の張りそうな紬の着物を見事に着こなして、薄化粧だが少しきつい印象を受けるその顔は、デレビで何度か見た事があった。週に必ず1回は何かしらのドラマで見かける、名前を聞けば大抵の人が分かる女優だ。清陽高校茶道部のOBだというのは知っていたが、こんなに気軽に玄関口で会う事になるとは思っていなかった。
「いらっしゃい麻紀乃ちゃん。来てくれて嬉しいわ」
 張り付いたような笑顔を前に、先輩がお辞儀をする。私もそれに倣い頭を下げる。
「お久しぶりです先輩。今日は後輩を連れてきました」 
「あら、外国人さん?」
「いえ……ソフィ、自己紹介を」
 先輩に促され、1歩前に出てまごまごとする私を、その人は値踏みするように眺めた。嫌いな視線だったが、腹が立つほどでもない。けれど、いくら有名人で大先輩が相手だとしても、初対面で軽んじられるのは嫌だった。
「茶道部1年、望月ソフィアです。こんなナリですが、あいにくと日本語しか喋れませんので、日本人と思っていただいて結構です」
 私の生意気な言い方に、目をぱちくりとさせたその人は、一瞬の間の後、口角を緩めて、先輩の方に向かって言った。
「麻紀乃ちゃん、よりにもよって面白い子を選んだわね。とっても楽しめそうだわ」
 選ぶ? 楽しめる? 何の事だろう、と疑問に思ったが、尋ねられる雰囲気ではなかった。先輩はというと、否定でも肯定でもない微笑みを見せて黙っているだけだったので、私はますます分からなくなった。
「さ、あがって。離れでは今お茶会の真っ最中よ」
「先輩は参加しなくても良いんですか?」と、先輩。
「私、あの空気苦手なのよ。参加したければどうぞ」
「いえ、今日は顔を見せにきただけですので、遠慮しておきます」
 他の人たちもいる、という事から、これはおそらく茶道部OBの集まりなのだろうと予測出来た。これだけの有名人が易々と玄関に出てくるくらいなのだから、きっと今お茶会をしている人達は、もっと大物なのだろう。先輩の言った「本当の部室」という意味も、それなら分からなくは無い。茶道部OBが現役の茶道部をかわいがっていて、横の繋がりも凄く強いという噂は、どうやら間違ってはいなかったようだ。


 お茶会を終えて戻ってきたのは、6人の女の人達だった。全員が着物を着ていたので、普段着の私と先輩が浮く形になったが、仮に着物を着ていたとしても、その会話には到底参加出来そうになかった。見た事もない知り合いの話。政治に関しての深い話。現役時代の思い出話。どれ1つとして気軽に乗れる話題は無く、当たり障りのない自己紹介を済ませてからは、私は口を開く事が無かった。先輩はというと、時折「今の茶道部はどう?」という具合に話を振られて、流暢に受け答えをしていたが、自ら会話の切欠を提供する事はなかった。6人はいずれもやはり経済界、政界などに所属する人物で、茶道部出身という事以外に私や先輩との共通点はなく、年齢差もあるだろうけれど、どれだけ一緒にいても打ち解けられそうにはないな、と思った。
 ふっと会話が途切れた時、先輩は音も無く立ち上がって、私の肩に軽く手を乗せた。
「私達、そろそろ失礼します」
 先輩がそう断りを入れると、引き止める人は誰もいなかった。私は先輩につられて立ち上がり、内心でため息を漏らした。昨日の先輩の言葉は、どうやら聞き間違いか何かだったようだ。ただ、私の事をOBの方達に紹介したかっただけで、それ以上の事など最初から無い。肩の荷が下りたような、期待が外れて残念なような、むしろ期待していた事自体が恥ずかしく思えるような、そんな複雑なため息だった。
 しかし先輩は玄関に向かわず、来た方とは反対の方を目指す。「あの」と声をかけると、先輩は人さし指を唇の前に立てて、慣れた様子で屋敷の奥に私を連れて行った。
 私を誘った時の、先輩の表情を思い出す。聞き間違えであるはずがない。
 八畳ほどの和室だった。中央には敷布団だけが1枚敷いてあって、障子を締め切っているので昼間なのに薄暗い。布団の隣には行灯が1つだけ、先輩がそれを点すとふんわりとした明りで部屋が満たされた。良く見ると、部屋の壁の1枚は、ただの薄い生地で出来た布幕であり、私達の影が映っていた。
 その瞬間に私は察する。
 おそらく、この布幕はマジックミラーのような働きをして、向こう側からはこちらを見る事が出来るが、こちら側からは向こうを見る事が出来ないようになっているのだろう。私と先輩がこれからする行為は、向こう側にいる人達にとっては見世物でしかない。確かに、若い女2人がお互いを慰めあう姿などそうそう見られるものではない。さぞかし愉快な光景だろう。
 悪趣味だ! 私ははっきりとそう思った。表情にも出てしまっていたようだ。
「ソフィ、座って」
「先輩……でも」
 私は布幕をじっと睨み、向こう側にいるであろう方達の事も一緒に睨んだ。
「分かって、ソフィ」
 掠れた声に振り向くと、先輩は足を崩して座って、布団の上で俯いていた。
 私はその時ようやく、茶道部OBが茶道部をかわいがる理由を理解したのだ。いくら出身校の、思い出がある部活動といえども、多額の寄付、それから卒業生の進路の世話など、自らの社会的立場をわざわざ使ってまで、無償でする訳がない。それなりの愉しみが見込めるからこそと考えれば自然だ。茶道部に入りさえすれば欲しいコネが手に入る。入学当初に私が抱いていたそんな考えは、飴細工のように甘く、脆い物だった。
「こっちに来て」
 先輩が呼びかける。私は思わず、何もかも忘れて逃げ出したくなったが、先輩を置いてそんな事は出来ない。ここで私が逃げ出せば、きっと先輩は、この悪趣味な先輩達から、何を言われるか、何をされるか分かったものではない。
 かといって、見られるのも嫌だ。
 先輩と関係を持つ事。それ自体の覚悟は昨日、私の中で定まった。いわゆる「普通」からは少し外れた道なのかもしれないけれど、先輩が一緒に歩んでくれるというのなら、それでも良いと思えたのだ。だけど、私達の関係を興味本位で覗いて、ましてや笑ってやろうとする人達の視線に晒されるくらいなら、死んだ方がマシだと真剣に思った。
「……駄目みたいね、ソフィ」
 先輩の言葉は、少し残念そうだったが、納得もしているようで、僅かに自分自身を戒めるような意味合いも含まれていた。
「帰ってもいいわ。あたしの心配はしないで」
 先輩は、いつもの笑顔で私を見る。いたたまれなくなる。何か言葉をかけたいが、何とかけていいのか分からなくて、ただひたすらにもどかしい。
「でも、これだけは信じて欲しいな」
 思わず伸ばした手が空を切る。
「ソフィ、愛してる」


 何も掴まなかったはずの手の中に、気づくと先輩の手があった。
 先輩を見捨てる事など、私には出来なかった。例え恥を晒す事になろうとも、思いとは逆の事をしようとも、先輩を犠牲にして前に進む事など到底出来やしなかったのだ。私は先輩の崇拝者になり、良き後輩であるように心がけ、そして恋人になりたかった。
「どうか、そんな顔をなさらないでください」
「ソフィ……」
「先輩の為なら、私……」
 私は息を飲み込み、服を脱ぎ始めた。しかし指が震えて、ボタンすら満足に外せない。視界も霞む。それを堪える。すっと指し伸ばされた細い指が、私の手にぴったりと覆いかぶさり、勇気を添えてくれた。
「せめて先輩らしくさせて」
 ボタンを1つ1つ外していく。スカートも脱ぎ、脇にどける。下着姿になると、いよいよ心もとなくなった。もしも先輩が先輩でなかったのなら、私はきっともう挫けていただろう。布幕の向こう側からは相変わらず強烈な視線を感じる。
「安心して。見ているだけだから」
 先輩の言葉は気休めに過ぎなかったが、しかし楽になったのも確かだった。見られているという事を考えなければ、今この部屋は先輩と私の2人の世界である事は間違いない。ならば全てを先輩に任せよう。信じよう。
「……外すね」
 私の首肯を待って、先輩がブラのホックに手をかけた。隠されていた肌が空気に触れた瞬間、「恥ずかしい」と小さく呟いてしまったが、先輩にだけ聞こえた事を祈る。心臓まで見透かしそうな熱い視線で、先輩が私の胸をじっと見る。手で隠そうとしたが、先輩の妨害の方が早かった。
「ソフィの胸はとても綺麗ね」
 同年齢の女子よりはやや大きめなので、少しコンプレックスに感じていた胸だったが、先輩に褒められた瞬間それが誇りに変わった。と思った矢先、悪戯っぽく笑ってこう言う。
「径が大きいのに形が良いし、ここがとてもかわいい色してる」
「い、言わないでください」
「触ってもいい?」
「……はい」
 先輩の人差し指が先端に触れる。決して声は出すまい、と身構えていたのに、反応というのはそう簡単に消せるものではないらしく、「あっ」と漏らすと、先輩を調子に乗らせてしまった。
「もしかして、感じやすいタイプ?」
「そ、そんな事ありません」
「本当かなぁ」
 先輩はにやにやしながら私の先端を嘗め回すように見て、再び触れた。今度は親指と人差し指で、しかも両方を同時に摘まれた。
「ああっ……!」
 思わず身体を少し逸らして先輩の手から離れたが、先輩はむしろ楽しそうに、今度は手のひらを使って、私の胸全体を掴みにきた。
「ソフィったら、かわいいんだからもう」
 冗談っぽく言いながら、先輩は私の胸を揉む。
「お、親指……やめてください、こねこねするの……だめ……!」
「ソフィは乳首が弱いみたいね」
 先輩は見事に強弱をつけて私の胸を揉みしだく。自分でするのとは大違いなその感触に、身体は石炭を放り込まれたように熱くなる。気持ちいい、と思い始めている自分を戒めるように唇を噛み、目を瞑る。
 ひとしきり私の胸で遊んだ先輩は、次に下に手をかけた。自分でも信じられないくらいぐっしょりと濡れていて、生地が肌に張り付いているのが分かる。先輩の腕が私を抱え込むようにして腰に回った時、私は思い出した。悩みの種、というより、もう蕾まで成長していたが、私の性器は、普通の状態ではない。
「せ、先輩、私のその、そこは今、あの……」
 口ごもる。いや、何と表現した良いのか分からずに困ったと言うべきか。必死の抵抗を見せる私を諭すように先輩は言う。
「分かってるから、安心して」
 その意味を尋ねる暇もなく、ショーツは引き剥がされてしまった。
 文字通りの花園が露になった瞬間、先輩はそれを見てこう言ったのだ。
「良かった。綺麗に咲いているわ」
 私は思わず閉じた目をゆっくりと開いていき、満開になった百合を見た。
「せ、先輩、なんで知っているんですか?」
「うふふ」
 いつの間にか下を脱いでいた先輩は、スカートをたくしあげてこちらに見せた。
 先輩にも、私と同じ百合が咲いていた。

     

 開いた口が塞がらないとはまさにこの事だった。私の身に起きた事は、それ単品でも十分に不自然で不思議な現象であったというのに、先輩の身にも全く同じ変化が起きていたとは夢にも思っていなかった。口をぱくぱくさせて、声になってない問いを投げかける私に、先輩はこう切り出す。
「あたしはね、変態なのよ」
 変態という言葉を一般的に捉えるならば、ここは「そんな事ないです」とでも否定すべき場面だっただろう。しかしこの時の状況において、それは非常に危うい意見になる。少なくとも、布幕の向こう側から見ている方達は、変態と呼んで差し支えない異常さを持っている。
「どれくらい変態かというと、超能力に目覚めてしまうくらい。ソフィの事が好きで好きで、あなたに百合を咲かせてしまう程に変態なの」
 謎の現象が、先輩の仕業によるものである事が確定した。普段なら全然信じていなかったはずの超能力という言葉も、その時ばかりは強烈な信憑性を持った。何せ私と先輩の身体は、魔法か超能力か未来技術でしか説明出来ない状態にある。
「あたしのここに咲いた花は、ソフィがあたしを思ってくれた証拠。心の底から両思いじゃないと、こうはならないように出来てるの。分かる?」
 かろうじて私は頷く。先輩の言葉が本当で、そんな変態専用の超能力が存在し、先輩がその使い手であるというのならば、先輩に百合が咲いていない方が逆におかしいという事になる。私の気持ちは誰よりも強い。
「この百合はね、こうしてあげると……」
 説明しながら、先輩は指で私の花びらをなぞった。蕾の時に自分で弄った時も、むずむずする中に少しだけ気持ちいいという感覚はあったが、先輩の指は段違いだった。満開になった百合を、大好きな先輩に弄ってもらっているのだ。何もかもを知った今思えば、感じないはずがない。
「とっても気持ちいい。って、言わなくても分かってるみたいね」
 乳首を弄られた時とは比較にならないほどの盛大な声を私はあげた。それはもう囁いた、だとか呟いた、では誤魔化せないほどはっきりとした、誰が聞いても分かるあえぎ声だった。
「その声。もっと聞かせて」
 先輩は私の身体を布団に押し倒し、片手で乳首を、片手で百合を、まるでお琴でも弾くように鳴らしていった。私は否応なしにいやらしい声を発し、しかもそんな痴態を、今日出会ったばかりの人達に見る羽目になっている。そんな事実に耐えられなくなって、私はいよいよ泣き出してしまった。
 それでも先輩は手を止めず、私の身体は、私の意思を無視してどんどん勝手に気持ちよくなっていった。顔を両手で隠しても、ぽろぽろと涙が零れる。先輩は私の涙を舐めながら、愛撫は更に激しくなった。
「うう……先輩、酷いです……あぁっ!」
「ごめんね。でも、ソフィがかわいすぎるのがいけないの」
 そんな事を言われても、喜べるはずがない。
 快感がどんどんと積み重なっていき、その天辺が見えた。あそこまで辿り着いてしまったら、私は私でいられなくなってしまう。恐怖と好奇と執着と情熱がせめぎ合い、その全てを先輩の手は飲み込んでいった。光。音。匂い。全てが一瞬消し飛んで、後に残されたのは甘い痺れだけだった。
 イく。というものを私はその日初めて経験した。


「ソフィ、凄くかわいかった」
 まだ痺れの残った身体を抱き起こされた私は、あっという間に絶頂へと導かれてしまった事を恥じる心の余裕さえ無かった。何も考えられず、先輩が褒めているのか、からかっているのかも分からなかった。いや、これは今でも分からないか。
「もう1度、して欲しい?」
 だが、その問いかけにはすぐ答えられた。
「も、もう駄目です!」
 内心は違ったかもしれない。
「そう。まあ、今日はこれくらいにしておきましょうか」
 ひきつりながら私は尋ねる。
「……『今日は』ってどういう意味ですか?」
 先輩は太陽のような笑みを見せて、
「ソフィはこれから、一緒に毎週ここに来て、私に開発されていくの」
 当時の私は、この場面で指す「開発」という言葉の意味を正確には理解していなかった。にも関わらず、先輩の笑顔に含まれるただならぬ不吉な予感ははっきりと感じられた。走った悪寒は恐怖によるもだったか、それとも期待によるものだったか、今でも判断に困る。
「来週は何をしましょうか。いきなりお尻の穴は大変だから……まずは上手なキスの仕方から? ソフィの百合に合うバイブも探さなきゃね。あ、縛ってみるのもいいかも。ソフィは拘束具も凄く似合いそう」
 にこにこと楽しそうに、平気で卑猥な事を語る先輩は、確かに自らで仰った通りの変態だと言えた。そしてすっかりその変態に魅了された私は、逃げる事の出来ない1匹の羊だった。
 それから毎週、先輩は本当に私を「開発」していった。最初に言った事は全てやったし、私はその度に性懲りも無く卑猥なあえぎ声をあげてよがった。「ソフィが本当に嫌がる事はやらない」と先輩は約束してくれたが、一旦行為を始められたら、快感に抗う術はない。先輩は私の性感帯を正確に知り尽くしていたし、日常生活と同じように上手く私を手なずけた。やられっぱなしに我慢出来なくなった私はある日先輩に逆襲を試みたが、まるで歯が立たない。ようやく1度だけイカせる事が出来たのは、半年ほど経ってすっかり先輩の蜜の味を覚えた頃だった。
 当時の茶道部員の中で、茶道部の影の部分を知っているのは、私と先輩の2人だけだったようだ。「別の部員を連れていかないんですか?」と尋ねた事もあったが、先輩は「連れて行ってはいけない決まりがある訳ではないけど、私は好きな人としかしたくない」と、耳まで真っ赤になるような答えをくれた。
 どうやらこの、行為というか習慣は、清陽高校茶道部の伝統らしく、誰がどういうきっかけで始めたのかは先輩すら知らないようだった。OBの方々に聞けば少しは分かるのかもしれないが、1年生の頃に表で言葉をかわす事は結局最後まで無かったし、また、そこまで興味がある訳でもなかった。
 しかし、先輩には好きな先輩がいて、その先輩にも好きな先輩がいた。相手を絶頂まで導く為のテクニックはそうして継承されていっているらしく、私は、先輩を私のようなおもちゃとして遊んだであろう知らない先輩に対して強い嫉妬を覚えたし、これから先、私が後輩に対して同じように出来るのだろうかという不安も覚えた。一時期は、この卑猥で最低な伝統を私で終わらせる事ばかりを考えていた事もあったが、それは他ならぬ先輩に対しての侮辱になると考え直した。先輩は、私と行為をする事を望み、そして私にならこの現実に耐える事が出来ると信頼してくれたからこそ私を誘ったのだ。その想いを裏切るというのなら、私は最初から先輩を逃げるべきだろう。
 行為を見に屋敷に訪れる観客は毎週代わる代わるで、中には茶道部OB以外の人もいたが、男が来たのはたったの1回だけだった。それも、行為を見られた訳ではなく、全てが終わった後にその男はやってきた。私が先輩と最初に出会ってから、10ヶ月。先輩は進路をとっくに決めて、後は卒業式を残すだけとなった、ある日の日曜日の事だった。


「今日は2人きりよ」
 と、先輩が言う。普段は、多い時は10人近く、少ない時でも3人は、私と先輩の、主に私の痴態を見物に来ていたから、2人っきりでコトが出来ると聞いた瞬間、舞い上がるような気分になった反面、真っ逆さまに落ちていくような気分にもなった。卒業式を迎えれば、先輩は大学に行く。当然、今までのように一緒にはいられない。2人きりというのは、別れを告げられるタイミングとしてはベストなように思えた。
「……先輩が卒業したら、私はどうしたらいいんですか?」
「したいようにしなさい。としか、言えないかな」
「で、でも、私、先輩のようにはなれません」
「ならなくてもいい。というか、むしろならないで。最近のソフィは上手過ぎて、あたしすぐイカされちゃうんだから。私みたいに意地悪になったら、手がつけられない」
 くすくすと笑う先輩に、私は噛み付く。
「そういう事を言っているんじゃありません。私には先輩みたいな能力が無いし……それに、好きな後輩が出来るかも分かりません。私に、部長としての役目を果たせるか……」
 事実、少なくとも同級生には「この娘としたい」と思わせる人物はいなかった。先輩に一途だった、とも言える。
 落ち込む私に向かって、あっさりと先輩。
「能力の事なら心配いらない。今日、私のをあなたにあげるから」
「え!?」
 私は驚嘆の声をあげたが、バスの中にいる事を思い出して潜める。
「あげたりもらったり出来る物なんですか……?」
 先輩はまたくすくすと笑って、
「当たり前じゃない。私のだって、先輩からもらったものよ」
「そうなんですか……」
 衝撃的な事実ではあったが、ある意味安心した。いや、嬉しくさえあった。かなり異質な形ではあるが、先輩後輩というのはこういうものなのかもしれないと思ったからだ。先輩達が代々受け継いできたものを、後輩である私が受け取り、そして新たな後輩に渡していく。茶道部に限らず、部活というのはそういう役割を担っている。
「そう。だから今日は、例の能力の事についても教えなくちゃ。イキ過ぎて気絶したら駄目だから気をつけてね」
「わ、分かりました」
「と言っても、身構える必要もないけどね。最初に使えるのは、好きな人に花が咲いて、両思いなら自分の花も咲く能力だけだから」
 最初に行為をした日からずっと、私と先輩の百合は満開のままだった。
「あ、それと、2人きりは2人きりなんだけど、終わったら1人ゲストが来る」
「ゲスト、ですか?」
「そう、男の人」
「……裸とか、見られませんよね?」
「え? 見て欲しいの?」
 必死で首を振る私を散々にからかった後、先輩は物憂げに言う。
「HVDOって言う、私みたいな変態能力を持っている人を束ねる組織があってね。今日来るのは、そこのボスみたいなもん」


 HVDO。
 初めて聞いた名前だった。いやそもそも、先輩のような能力を持った人が他にもいる事自体が初耳だった。
「まあ、詳しい事は今日会うボスに聞きなさいな。アドバイスが欲しかったら、その後にしてあげるから」
 そうして言いくるめられた私は、いつものように屋敷へとやってきた。今日は出迎える者もいなかったし、OB主催によるお茶会や生け花教室などの前座もなかった。着いてすぐに例の部屋に向かい、私は裸になる。何度やっても恥ずかしいが、これからもっと恥ずかしい事をされると思うと身体がどんどん敏感になっていくのを感じる。先輩も服を脱ぎ、対面して座り、私に真顔でこう尋ねた。
「これはイエスと言ってくれるのを信じて、あえて質問するのだけれど……あたしにソフィの処女をくれない?」
 それは思いもよらない質問だった。能力により、性器が花となった私には、当然処女膜を破る方法が無い。処女膜の有無に関わらない精神的な意味での処女性は、10ヶ月の間に他ならぬ先輩に根こそぎ奪われていたし、どういう意味で言ったのかさえ分からない質問だった。
 いや、そもそも、女同士で処女は奪えないのではないだろうか。張り型を性器に突っ込まれる行為も処女喪失に含むというのであればこの限りではないが、その場合、処女を奪ったのはその張り型という事になるのではないだろうか。そんな思いを見透かして、先輩は言った。
「女同士では処女は奪えない。そう思っているみたいね。その通りだと思うけど、あたし達は特別じゃない?」
 先輩のにやけた表情が、「ある行為」を指しているというのはすぐに分かった。可能性についてはずっと考えてきたし、きっと気持ち良いだろうな、とは漠然と予想していたが、自分から提案するのはいかにもはしたないように思い、あえてずっと黙ってきた。それこそ色々な事を試したが、全て愛撫による絶頂で行為は止まり、肉体としての交わりは、キスと、お尻の穴と、皮膚の接触と、百合の花を愛でる行為だけに留めてきたのだ。
「お花ってさ、百合に限らず、言ってみれば性器みたいなものじゃない?」
 飛躍した発想だが、あながち間違ってはいないように思える。花びらが包んでいるのはおしべとめしべであり、受粉して種が出来る事によって、次の個体は生まれる。性器という直接的過ぎる表現はどうかと思うが、仮に人間の部位に当てはめるならそうかもしれない。
「百合同士を重ね合わせて2人で絶頂を迎えれば、中で根が伸びて処女膜が破れるようになってる。そして別の能力が発動する事によって、あたしの能力がソフィに移動する仕組みなの」
 女同士の交わりに、「貝合わせ」という行為があるが、それをこの百合でやればどうなるかは想像しやすいだろう。互いの花びらが密着し、おしべとめしべが交差する。そして百合の根が伸びて中を掻くというのだから、必然、普段とは比較にならない程の凄まじい快感になる。
「あたしの処女は、先輩にあげちゃったから無いけれど、ソフィにその覚悟があるのなら、あたしに処女をちょうだい」
 覚悟があるか、なんて質問、今更だ。と、私は思う。
 それから、2人で愛し合ったたったの1時間は、私の中で今も永遠になっている。
 少しの痛みの後、気づくとずっと咲いていた百合が跡形もなく無くなっていた。もちろん、私が先輩の事を好きじゃなくなった訳でも、その逆でもない。先輩はこう表現した。
「神様が創りかけて、やめてしまった気持ちを、あたし達は完成させた」

     

 着衣したのとほぼ同時、測った様に現れた男は、最後までその顔を見せなかった。
 私と先輩はすぐにその見慣れない形の影に気づき、2人並んで座る。不思議と緊張はなかった。おそらく、先輩がしていなかったからだと思う。
「日向君、望月君、まずはこんな形で話をする事を許してくれ。なにぶん私は追われる身でね。顔を晒す訳にはいかないのだ」
 声の感じから判断するに、30代の前半くらいだろうか。濁りのある渋めの声なのに、滑舌が良く聞き取りやすい。こんな風な例えは逆に分かりにくいかもしれないが、外国の大聖堂なんかに飾り付けられたガーゴイルの石像が、もしも喋り出したらちょうどこんな風だろうな、と想像した。
「望月君とは初めまして。日向君とは、1年ぶりだ」
「そうですね」
 先輩は、毛嫌いする男性教師に向かって言うみたいに素っ気無く呟いた。私は声を潜めて、布幕に映る人影を見つめる。体格的な特徴といえば、ちょっと背が高いかな、というくらいだが、遠近感のいまいち掴めない影ではそれも定かではない。
「日向君、この1年間の戦果はどうだ?」
「あなたに言う必要性はないと思いますが」
「そうだな。だが、望月君には知らせておくべきだ」
「……ソフィへのHVDO能力継承の為の1勝以外は、誰とも戦ってませんね」
 は、は、は、と短く途切れるような、聞いた事のない独特な笑い声が返ってきた。先輩は表情を変えない。
「ちょうど1年前、日向君が自分で宣言した通りになった」
「あたし、何か言いましたっけ?」
 知っていて、わざととぼけている。これだけ一緒にいればそのくらいは分かる。
「ああ、確かに言った。『HVDO能力は先輩から確かにもらいましたし、約束は守りますけど、わざわざあなたに協力はしませんよ』とね。一字一句間違っていない。その時、君の位置には君の先輩が座っていて、君は望月君の位置に座っていた」
「はあ、そうでしたか」
 やる気のない声。学校で、いくら嫌いな先生が相手でもこんな態度の先輩は見た事がない。
「まあ、それでもいい。HVDOの事も公になっていないし、きちんと後継者も連れてきてくれた。君は約束を守ったという事だ」
 男のシルエットは向こう側にある椅子に座り、肘をつく。
「さて、望月君。君の事は何でも知っている。まず、凄まじいまでのテクニシャンだ」
 初対面で一番最初にぶつける言葉にしてはいかんせん下衆すぎる。どうやら私も、先輩同様にこの男を好きになれそうにないな、と早速だが判断したのは今でも間違っていないと思う。
「気を悪くしたならすまない。だが、望月君が日向君と違って私に協力してくれるなら、そのテクニックは非常に役に立つ。協力をしてくれるならば、こちらも君の活動に対して最大限の力を貸そう。ギブアンドテイクというやつさ」
 嫌な奴だ。という直感性バイアスを仮に先輩と共有していなかったとしても、この物言いにはカチンと来た。
「名前も知らない相手とギブアンドテイクも何も無いと思いますけど。あなたは私の事を知ってると言いましたが、私はあいにくあなたの事など何も存じませんので」
 というような事を、いざ口に出して言おうとしたその瞬間、男はまた例の、は、は、は、という奇妙な笑い声をあげて、私に沈黙を与えた。
「失礼した。先ほども言ったように、私は追われる身でね。申し訳ないが、本名を教える事は出来ないのだよ。だから仮名というか、通り名、いや、この場合は代名詞かな。それで良ければ自己紹介しよう」
 やり取りに不自然さを感じながらも、私は肯定の無言を返す。
「初めまして。私は、『崇拝者』だ」
 組織の長が何らかの崇拝者である事自体は、そう珍しい事ではない。教皇はキリストと神を崇拝しているし、ロイヤルネイビーの司令官は女王を崇拝している。問題は、超能力にまで目覚めた変態を組織し、その頂点に立つ男が、いったい何を崇拝しているのか、という点だ。
「まあ、気になる所だろう」
 男が呟く。断じて、私は一切の思考を口に出してはいない。男は焦る私を気にせずに、当たり前の事のように言う。
「私は『処女崇拝者』だ」


 
 この男、心が読めるのか?
 という疑問がまずは浮かんだ。HVDOという組織のボスなら、先輩と同じような超能力は使えて当然と見るべきだろう。「テレパシー」小説や漫画など、一般的な創作物などに登場する超能力としては、わざわざ今更説明の必要もないほどにポピュラーな能力だ。
 しかし心が読める人間と実際に対峙するというのは非常に厄介な事だ。現在進行形でしている、この思考自体も丸ごと読まれてしまう事になる。
「いや、私は君の心を読んでいる訳ではない」
 まただ。こちらは何も言っていない。男が勝手に私に考えに返事をしている。
 咄嗟に私は無心を心がける。何も考えないという事を意図的にやるのは難しいが、試みる。
「無駄だよ。今言った通り、心を読んでいる訳ではない。私は望月君の、『全て』を読んでいるんだ」
「全て……?」
「そう。全てだ。この能力を、私は『アカシック中古レコード』と名づけた。対象者は非処女全員。読める範囲は、その人物の処女喪失後に体験した全ての過去から、これから体験する未来全てだ」
 馬鹿な。いや、訂正しよう。……馬鹿だ。
 私は沈黙を守り、心の空虚に挑むが、この状況において思考は止める事は不可能に近い。男は私の努力をあざけり笑うように、気に留める様子もなく続ける。
「しかし望月君は珍しい方かもしれないな。いい歳した男が、「処女にしか興味が無い」などと口にすれば、気持ち悪がられるのが当然なんだが、君は驚くほど全く気にしていない」
 それはそうだ。だって、
「さっきまで君自身が処女だったからな。惜しい事をした」
 どういう、
「意味かって? 少し考えれば分かるだろう。私は生粋の処女崇拝者なんだ。処女を失った今の君に対してはまるで興味が湧かないが、処女だった時の君はそれなりに魅力的だった」
 この、
「男は気持ちが悪い。そう、それでいい。処女に固執する男など、非処女からすれば煙たがられて当然だ。いや、同じ男から見ても気色悪い存在かもしれないな。しかしこれが私の性癖なのだから仕方が無い。処女以外には、心底興味が無いんだ」
 全て私の思考を先読みして喋られている。ならば、
「こうして会話する必要すらないだろう。と、君は思う。それがあるんだよ。君が喋る必要はないが、私は君に伝えておかなければならない事がいくつかある。さっきも言った通り、私は君の未来が全て読める。君が何に笑って何に泣くか、いつ跳ねるのか、いつ転ぶのか、どこへ行くのか、誰と出会うのか、そしていつ、どこで、どうやって死ぬのか」
 全身に寒気が走る。この男の言葉が本当ならば、心を読まれているよりもこの能力は遥かにタチが悪い。「アカシック中古レコード」出来の悪い冗談にしか聞こえないが、その性質は極悪だ。
「そこで君に宣告しよう。君は今から1年2ヶ月と5日後に、ある男に敗北をする。それが誰かは、あえて今は伏せておこうか。しかしそれは意味のある敗北だ。少なくとも、私にとっては」
 信じられる訳がない。だが、私が信じられる訳がないという事も、この男は見越して語りかけているというのが分かる。どうやら男の説明した能力は本物のようだ。と、つまりは信じざるを得ない。
「次に君が気になるのは、私の能力についてだ」
 これは単純で素朴な疑問だ。女の子なのに女の子が好きな先輩は百合の能力。では何故、処女を崇拝するこの男には、「非処女の全てを見通す能力」があるのだろうか? これは実に不自然な事だ。
「ところが、それが最も自然な事なのだよ。説明しても、結局君は理解してくれないが、とりあえず疑問を解消する為に、私は答えなければならない。
 要するに、処女信仰とは『時間』の崇拝だ。処女を犯すという事は即ち、処女が処女であった時間を支配したという事に他ならない。重要なのは手術でどうとでもなる膜などではない。生まれてから、処女を失うまでの時間。経験。成長。この精神は誰にも、私にも不可侵領域なのだ。しかし非処女という存在は、誰かに犯された事により内在する時間を開放した。開放された時間を見る事など、私にとっては実に容易い。誰よりも時間という概念に敬意を示す私だからこそ、処女を奪う事にこの上ない価値を見出している。だからこそ非処女の運命を愚弄し、何の遠慮もなく踏みにじる事も出来るという訳だ」
 男の言った通り、理解は出来ない。だがこの男の処女崇拝が、極度の潔癖症や占有欲をこじらせた物から来ている訳ではない事は十分に分かった。本物だ。本物の変態だ。
「その通り。私は本物の変態だ。そして本物の処女崇拝者だ。他の男に貞操を捧げた女に触れたくないだとか、自分が物にした女を誰かに取られたくないだとか、そういった不敬な覚悟で処女を崇拝している訳ではない。事実、私には妻も子供もいる。が、妻は処女の時に1度犯しただけだし、子供もその時に孕ませた。私はそれ以来妻に触れておらず、子供の顔も見ていない。『追われる立場』というのは、妻に追われているという意味だ」
 この男は狂っている。私の率直な感想に、男は答える。
「結構。まともよりはいくらか楽しい」


 処女崇拝者を名乗るこの男の能力は、おそらく無敵だ。少なくとも、私はあらゆる手段において勝てないだろう。私は先輩に処女を捧げた事により、全ての行動を読まれる、いわば男の手の平に落ちたという事になる。
 しかし私は先輩を悪いとは思っていない。先輩の私への愛は、私の先輩への愛と同様に本物であるし、また、かつて先輩を抱いた人の愛も同じく本物だったのだろう。清陽高校茶道部を守り続ける事がこの愛の証明であり、私ならばこの試練に耐えられるはずだと先輩は期待してくれている。HVDOがどの程度の規模なのかは知らないが、私は私にとって大切な物を見誤ってはいけない。必要ならば、例え焼かれると分かっていても、炎の中に身を投じなくてはならない時もあるという事だ。
「読めるのは非処女だけで、男の運命は読めないのか?」
「いや、男も女と同様、非童貞の運命は読む事が出来る。だが童貞の運命は読めない。もちろん、読みたいとも思わないし、誰かの童貞を奪いたいと思った事も1度もないが。それから、私自身の運命はどうやら読めないようだ。例え狂っていても、自分の運命を全て知ってまで生きていられる程ではないという事かもしれないな」
 会話を始めてまだ数分しか経っていなかったが、この男を野放しにしておく事は正義に反する事だという考えはあった。妻さえ非処女になったから捨てたと言うこの男には、女性を愛する気持ちなど欠片も無い。興味があるのは処女だけで、自分自身で犯した相手も行為が終われば簡単に廃棄出来る。そんな人間は完全なる異常者であり、悪に他ならない。
 しかし運命を読まれる私ではこの男をどうにかする事は出来ない。男を止める事が出来るとするならば、それはおそらく……。
「その通り。私には童貞と処女の未来は決して読めない。開放されていない時間を見る事は出来ないし、それに運命は常に一定ではない。非処女非童貞の運命に変更があれば、私はすぐ様それに気づき対応出来るが、童貞と処女に関してはこの限りではない。だからもし、私が倒され、組織が壊滅する事があるならば、それは童貞か処女の手による物だろう」
 運命が変わる感覚。それは男にとってみれば日常的に感じる物なのかもしれないが、私のような一般人から見れば想像もつかない感覚だ。おそらく言葉で説明されても理解は出来ないだろう。
 それより、気になる事がある。
「組織の目的は、何だ?」
 私が実際に質問するまで男は待った。その方が、私が注意深く聞くだろうと読んでいる。実際に私は今、男の言葉に全神経を集中している。
 男は、すぅと息を飲み込んで、厳かに吐き出した。
「究極の変態処女を開発する事だ」
 Hentai Virgin Development Organization.
「頭文字をとって、HVDOと名づけた」


 その後、崇拝者は性癖バトルについての説明をした。カミングアウトと興奮度の表示。バトルに勝利すれば新たな能力。負ければ一定期間の性的不能と能力の喪失。ただし再戦の利点は敗北者のリベンジのみ。そして9回連続勝利による10個目の能力は、世界を変える力。
 到底簡単に信じられる話ではなかったが、崇拝者は、私の思考だけではなく、座った体勢を変えるタイミングや、隣で黙っている先輩の考えまで言い当てた。例外なく、非処女は崇拝者に勝てないと何度も刻み付けられ、しかもこの能力ですらも男の全力の一部でしかない事に絶望させられた。
「……この変態能力自体も、崇拝者、あなたが作ったのか?」と、私は問う。
「いや、それは違う。世の中には、自力で目覚めた『天然の能力者』というのがいる。『天然』はバトルに勝利を収めなくても、その性的趣向を一定まで深めた時に新しい能力を得る事が出来る。かくいう私も元々はその1人で、『HVDO』という組織自体が、私の『世界改変態』により作られた代物なのだ。つまり、性癖バトル、新能力の付与、その他の細かいルールを取り決め、そして新たな変態を探し出し、能力に目覚めるきっかけを提供していくのが組織の主な活動という事だ」
 何故そんな事を?
「先程も言った、HVDOの究極目的である変態処女開発は、私の人生の目的と言い換えてもいい。処女にも関わらず『変態』である。この矛盾を備えた最強の少女を我が物にする為ならば、私は何でもするし、現にこれまでもしてきた」
 確かに、変態能力者同士でバトルが行われる時、そこには「被害者」が存在するはずだ。不幸にも、何度も巻き込まれる事になる少女もいるだろう。結局、崇拝者の目的は、変態性癖を持った者同士を、新能力を餌に戦わせ続け、最終的にその被害者の処女を手に入れる事だという事になる。
 繰り返そう。この男は狂っている。
 だが、崇拝者の語る「理想の変態処女」に魅力を感じ始めている私がいた事も、紛れも無い事実だった。そして崇拝者がここまで私に真実を語ったのは、そんな私を知っていたからに他ならない。私の体験する時間は全て記録され、処女を失った時点から崇拝者に全てを読まれている。私に何を伝えれば、どう判断してどう行動するかを分かって提供する情報を選んでいるのだ。
「望月君。君をHVDOの幹部に任命しよう。私の為に究極の処女を育てあげてくれ。君も知っての通り、百合の第1能力は処女を保護するのに非常に有効な手段だからな」
 崇拝者は私にそう依頼した。そしてついでとばかりに、私がバトルで勝利した時に得られる能力と、必ず勝てる対戦相手も教えていった。
 私のHVDO能力「月咲」。第1能力は、意中の相手の性器に百合を咲かせ、相思相愛なら私にも百合が咲く。第2能力は咲いた百合を使った擬似セックス。これを行うと能力を相手に譲り渡す事が出来る。第3能力は誘惑能力。相手が私に対して抱いた疑問を魅力に変換する。第4能力は装着した双頭ディルドへの感覚付与。第5能力は女子のみが通る事の出来る壁の召還。第6能力は壁に触れた男に対して通行許可を出す代わりに、私自身の記憶の追体験を強要する。第7能力は触れた女子が意中の男子に接触する事を禁じる能力。そして第8能力、第9能力は、私に新たな可能性を示し、野望を抱かせた。当然、崇拝者もそれを知ったが、何も言わなかった所を見るに私の策略はいずれどこかで破綻する予定なのだろう。
 しかし確率は0ではない。
 どうやら私は、運命と戦う運命にあるようだ。

     

 茶道部部長に就任した2年生の私を待ち受けていたのは、無数の試練と、1つの希望だった。
 3年生を差し置いての大抜擢に対し、先輩達は猛反発を示した。もちろんそれは前部長である先輩が卒業する前から分かりきっていた事であったし、何度も先輩はその事について部員に説明し、納得がいかないならやめても良いとまで宣言して私を部長に押した。実際、やめた人たちも何人かいたが、厄介なのは中に残って妨害をした方が有効だと判断した人達だった。
 私物が無くなってたり、根も葉もない噂がたったり、手のひらサイズのイジメに屈する私ではなかったが、先輩から受け継いだ茶道部は、何としてでも守らなければならないというプレッシャーは生半可ではなかった。自分を見つめ、魅力の無さに絶望し、隠れて何度も泣いていた。今まで先輩が支えてくれていた心が、突然宙に放られたのだから、思えばそれも仕方の無い事だろう。大学に入って多忙な先輩でも、電話をかければ話くらいは出来たが、悩みを打ち明けたり愚痴ったりする気にはどうしてもなれなかった。先輩はそんな強がる私を察して、こんなアドバイスをしてくれた。
「あたしは、ソフィの身体で唇が1番好き。キスの上手さももちろんそうだけど、青い瞳と、輝く髪と、高い鼻で突き放された距離が、その唇から出る言葉で一気に縮まる気がするのよ。だけど、それも人をまとめる時には考え物かもね。試しに、ソフィがどうでもいいと思える人は、どうでもいいって態度で接してみたら? その方が意外と、相手に理解する努力をさせやすいかも」
 コミュニケーションが成立する時、受け取ったメッセージが曖昧である場合に限り、容姿などの見た目が55%、口調や声の雰囲気が38%、そして肝心の話の内容は7%程度しか人は意識しないらしい。これを「メラビアンの法則」と呼び、よく心理学関係の雑学で取り上げられている。
 私には、血という生まれ持った武器があり、先輩からもらったHVDO能力という武器もある。これを利用しない手はないと思った私は、その日から図書館に通い、出来るだけ難解な表現の本を読み漁った。選ぶ基準としては、古い物が好ましく、海外で出版された物を無名の訳者が和訳した物は更に良かった。中でも80年前のフランス人作家ドニス・イルフマンの「暁と落雷の小話」は非常に参考になった1冊で、その回りくどく不可解で奇妙奇天烈な言葉の連続は私の人生に影響を与えたと言っても良いだろう。
 そして「月咲」第3能力は、相手の抱いた「疑問」を、私への「好意」に変換出来る精神系の能力だった。対象は女子に限るが、私はこの能力を積極的に活用していく事にした。先輩はわざわざこんな能力を使わずとも、人を寄せ付ける事が出来たが、私はやはり先輩にはなれなかった。それに、私を待っていたもう1つの試練に挑むには、この能力による魅力は必要不可欠だった。
 私は私を変える努力を開始した。言葉遣いから、立ち居振る舞い、「日向先輩の判断は間違っていた」などとは誰にも言わせないように、無敵のリーダーシップを欲した。
 その一方で、新1年生への部活動説明会を終え、茶道部が独自にまとめた写真付きの名簿を眺めても、ぴんとくる生徒はいなかった。私が先輩と出会ったあの日のような、衝撃的な事もなかなか起こらなかったし、そもそも見た事も無い猫を助けるような行為が日常茶飯事なら、私は先輩同様に苦もせず人気者になれただろう。
 しかし入学から3週間が経つと、茶道部OBからの催促がやってきた。「そろそろ後輩の1人でも紹介して頂戴」「いち部員として部活動に精を出すのはいいけれど、部長としての責務も覚えておいて」何の事はない。若い女同士がお互いを貪る姿を見る事を楽しみにした、欲にまみれた人達の言葉だったが、それが茶道部を守るという事でもあると知って部長を受けたのも私だ。
 覚悟を決めたある日曜日。私を特に慕ってくれていた同級生の茶道部員1人を屋敷に連れて行き、私は行為に及んだ。その同級生は何度も絶頂まで辿り着いたし、私自身も初めての先輩以外の相手とあって、新鮮な背徳感と、人を自らの手で開発していく独特の快感を得たが、彼女の性器に百合は咲いていなかったし、私にもなかった。


 次の試練は性癖バトルについてだったが、これに関しては他のHVDO能力者よりも遥かに恵まれた立場にいたので、「試練」とまで呼んでいいものなのか迷うが、1つの悩みの種ではあったのでそう呼ばせてもらおう。
 時間が前後する事になるが、新1年生が入学したその日、私は帰り道で声をかけられた。その男の自己紹介は、まずは名前を「樫原」と名乗り、その後、「俺はあんたみたいな女が卑猥な事を言うのが好きだ」という直球勝負だったので、私は思わず変質者と勘違いして平手打ちを喰らわせてしまった。
 樫原は私同様HVDOに所属しているらしく、私の性癖が百合である事も既に知っていた。初めてのバトルになる、と内心は焦りながら身構えたが、そうはならなかった。
「あんたと会ったらまずは1勝提供するようにと崇拝者から言われている。さあ、勃起させてくれ」
 何のリスクも負わない1勝だった。私が先輩との1番濃厚な思い出を口頭で語っただけで、目を瞑って耳を傾けていた樫原の股間が突然爆発した。新能力を取得すると、すぐ様その能力の使い方が説明もなく理解出来た。私に何の実感もない初勝利を与えた樫原は、股間から煙をあげながら仁王立ちしていた。
 その数日後、樫原は同じ学年である毛利と織部を連れてきた。2人ともHVDO能力者で、2人がバトルしている所を樫原が割って入り、仲裁したらしい。そしてその2人は、樫原同様私に対して勝利を献上する代わりに、HVDOに加入という利益を得た。つまり私は、何の苦労もせずに、第4能力までの取得に至ったという事だ。
 何故そこまでして彼らがHVDOに入りたいのか、これはすぐに分かった。まず、性癖ごとの能力を、崇拝者はほとんど全て把握している。おそらくは「アカシック中古レコード」とやらによるものだろう。過去と未来を読める崇拝者にとっては、敵能力者の情報は無限に湧き出る石油に等しく、性癖バトルを有利に進められるという恩恵を得られるだけでも、1敗を支払ってHVDOに加入する価値はある。
 その後、樫原、毛利、織部の1年生トリオはチームを組んだ。新しい能力者が生まれたという情報が崇拝者から私に知らされると、私はそれを彼らに伝えて狩らせに行かせた。この、新能力者の誕生というのは、崇拝者自身はその全てを把握しているらしいのだが、現れた性癖によってはすぐに狩らずに、しばらくは泳がせる事の方が多いようだ。バトルの繰り返しによる変態処女の開発は、出来る限り効率的に行われるべきであり、それにはHVDO能力者自身の性癖の深化が必要になる。ただし、その性癖自体が直接的に被害者の処女喪失に繋がる場合はこの限りではなく、例えばフィストファック、レイプ、孕ませ、死姦などの危険な能力者が出現した場合は、すぐに対策をとる必要があった。
 新しいHVDO能力の付与は、誰かの性癖が一定まで達した時、崇拝者の世界改変態により自動的に行われる為、コントロールは出来ないらしい。よって、私や樫原トリオのように、完全にHVDO側につき、排除を専攻する実働隊が必要になる。
 清陽高校茶道部の異常な慣習と絶対的権力は、これを行うのに非常に有利といえた。崇拝者は安全で効率的な変態処女開発、茶道部は伝統継承の庇護というメリットを得る、いわばwin-winの関係といえた。
 とはいえ、幹部で、運命を握られた非処女である私といえど、崇拝者の全幅の信頼を得ている訳ではなく、これは何か決定的な証拠がある訳ではないが、HVDOという組織全体において私よりも崇拝者に近い位置にいる者が、清陽高校の内部にはどうやらいるようだ。茶道部の力を使っても特定に至らなかいのは甚だ不快でならないが、今の所邪魔も手助けもされた事はないので、まあ、良しとする。
 しかしそれでもなお、私がそれからの1年間で得てきた勝利が確定的で守られた物だったとはどうしても思えない。崇拝者にとってみれば「定められた運命」であったのかもしれないが、あと少し相手に利があればあるいは、という状況は1度や2度ではなかった。特に、百合という性癖は、相手を感化しやすいが、されやすい面もある。樫原達が自分の能力そっちのけで協力してくれたのも、この特性による所が大きいはずだ。


 茶道部部長としての試練。HVDO幹部としての試練。これらに挑む私にたった1つの希望が与えられたのは、新体制が整いつつあった5月の事だった。
 ある日の部活中、忘れ物を思い出した私は、自分の教室にそれを取りに行った。清陽高校の生徒はほぼ全員が部活動に参加している為、放課後の教室は必然的に無人となる。その日も、おそらくはそうであろうと踏んだ私は、わざわざノックもせずに教室に入った。
 すると、奇妙な格好をした人物が目に飛び込んできた。私は距離を保ちながら、話しかけてみる。
「そこで何をしている?」
「え、えへへ……」
 照れたように笑う1人の少女。リボンの色を見るに、新1年生だ。2年生の教室に何の用事が? という疑問の前にまず、やはり気になったのはその姿勢だった。
 その少女は、まるで卵でも温めているかのように背中を丸めて、先輩が見つけて助けた猫のように小さくうずくまって、私の机の上に乗っかっていた。腹部に何かを隠しているように見える。それに、胸元がはだけていて、どうやら汗ばんでいるようだった。
「わ、忘れ物です? 私の事なんてお気になさらず、どうぞです」
 そう言われても、私の欲しい物はその少女が下敷きにしている机の中にある。いや、それよりも、学園の風紀と治安を守る役目も持つ茶道部として、不審な生徒を放っておく訳にはいかない。というのもただの言い訳で、その少女のただならぬ様子から、私はある程度の事を察していた。
「……私の机は、それだ」
「ひっ、す、すいませんです!」
 驚いて飛び降りた少女の懐から、ぽろっと、何かが落ちた。2人の注目を集めたそれは、ぶるぶると一定の振動をする機械だった。
 ピンクローター。という名称を教えてくれたのは先輩だった。その使い方も、正しく使えばいかに気持ちが良いかも、同じく先輩が教えてくれて、土曜日デートの時に1つ購入してからは、私もお世話になっている。
 が、そんな事はどうでも良い。重要なのは、何故そんな物がこの神聖な学び舎にあるのかだ。少女の懐からは、ピンクローターだけではなく、成年向け雑誌、平たく言えばエロ本も一緒に落ちた。状況証拠で容疑者を確定するのは避けるべきだが、流石にここまで証拠品が揃っていれば、言い訳は不可能だろう。
 見てみると、私の隣の机の角に、窓から差し込む夕日に照らされて光る液体が僅かに付着していた。
「ふむ」
 と、私は感心して呟く。確かその席は、顔が良く女たらしで、私に告白してきて玉砕した、名前にすら興味の持てない男が座っていたはずだった。放課後に上級生の教室で、わざわざローターとネタを用意してまで角オナする、少女の度胸とセンスは褒めるべき点だと言えたが、どうやら趣味は悪いらしい。
「君、名前は?」
 そう尋ねると、少女は追い詰められた小動物よろしくぷるぷる震えながら答えた。
「か、蕪野ハルといいますです」
 私が何故あの時、自然にそう振舞えたのかは定かではない。先輩の仕込みが良かったのか、気づかなかっただけで、元々そういう性質を持っていたのか、変態の世界に入門して、私も成長したという事かもしれない。しかし私はごくごく普通に、命令を下せたのだ。
「気にせず続きをしてくれ。人の芸術の邪魔をするほど、私は野暮ではない」
「でも……」
「しないというのなら、先生とこの机の持ち主に報告しなくてはいけないな」
「そ、それだけは許してくださいです!」
 ハルのかわいらしい自慰行為を眺めながら、私は確かに幸福を感じていた。そしてこの少女ならではの奔放な性と、溢れる柔肉を手に入れる事は、私の人生にとって重要な希望であるように思われた。
 しかし本当にタチが悪いのは、挑んでいればやがて解決する「試練」ではなく、どこまでもずるずると付いてこさせられる「希望」だと気づくのには、かなりの時間がかかった。私が先輩の次に惚れてしまった相手は、意地悪さの欠片もない、純真無垢なダイヤの原石で、しかしそれだけに意思が硬い、研磨も難しい一点物だった。

     

 話は、崇拝者が予言した「敗北の日」に戻る。
 以前から意識していた日付であったにも関わらず、樫原トリオが五十妻に勝負を仕掛けたのが今日だった事は、避けられない運命が刻々と近づいてきている証拠に他ならないと言えた。だが、私は運命に抗うような行動は何も取らなかった。もちろんそれは、何をしようとしても、私がこれから迎える敗北が崇拝者の言う「意味のある敗北」である限り、私の行動を読まれ先に手を打たれてしまうであろう事が理解出来ていたからだ。
「悪いが五十妻、俺は逃げさせてもらう」
 体育館の2階に陣取り、その下で戦う2人の男達の声に耳を澄ましていると、こんな台詞が聞こえた。私はすかさず「倒せ」と指示を出す。「今、倒せ」。
 樫原という男を1年観察してきて分かったのは、非常に有能で慎重な男であるという事と、女性差別主義者であるという事だけだった。彼の口癖は「女は口を出すな」。持論は「女に言葉はいらない」徹底的に統一された嫌いっぷりで、私はまず彼が同性愛者である事を疑ったが、そうではなく性対象はあくまでもノーマルで、女の「発言」だけが気に食わないらしい。「月咲」第3能力は、男は対象外になる上、私が意図して普段する意味不明な言動は、彼にとっては相当気に食わない物だっただろう。しかし好き嫌いに関わらず、仕事はきちんとこなす男だった。3人組での安全な狩りを普段から心がけていたが、もしも仮に樫原1人で行動を取っていたとしても、無残な敗北はなかったように思う。少なくとも、敗北による性器の爆発に耐えて立っていられたのは、私が戦ってきた相手の中では彼1人だけだったし、その度胸の座り方と、単純な能力の強さと、慎重に慎重を重ねる性格は、男にしておくのがもったいない程度には魅力的だった。
 故に、今も樫原は、織部の敗北を重く見て、一旦退く事を選択しようとしている。だがそれは間違いだ。今相手にしている五十妻という男は、今までのHVDO能力者とは一味違っている。逆説的に言えば、私が負ける相手なのだから当たり前だ。
「樫原、お前はまだ五十妻を軽視している。今ここで倒さなければ、こいつはどんな手を使ってでもお前を追い詰めるぞ」
 私の言っている事は決して嘘ではなかった。五十妻のポテンシャルは凄まじく、そして木下くりを陵辱する事に一切の躊躇いが無い。私でも引くほど鬼畜な命令を平気で下し、涼しい顔をしながらそれを実行する姿を見て勃起する。正真正銘の変態だ。
 実際、「露出令嬢」三枝瑞樹を奴隷にし、「孤高のロリコン」春木虎に負けてもなお立ち上がり、「冷徹の拷問人」柚乃原知恵の拷問部屋から脱出したその経歴は、変態の中でも異端に入る。ここで逃せば、織部の能力が復活するよりは遥か先に、樫原を倒す策を用意すると見て間違いないだろう。
 しかし樫原の指摘の方が、私の台詞を説明するには的確だったらしい。
「お前は五十妻が蕪野ハルを素材に使う事が嫌なだけだ」
 それは見事に図星を突いた言葉だった。
 私は一気に燃えあがった炎を口から漏らしながら、精一杯の冷静さを注いで「それが何だ?」と言い返す。樫原はなおも譲らない。私は子供のような駄々をこね、我流の屁理屈を飛ばして、樫原に懇願する。やがて折れた樫原に内心では胸を撫で下ろし、全身の力を抜く。
 結局、私はこの1年間で、ハル以上の相手を見つける事が出来なかった。


 性的好奇心旺盛なハルを、「すぐに篭絡出来る相手だ」と踏んだ私は大きく間違っていた。まずは茶道部に入部するよう誘ったが、呆気なく断られ、立場を利用して命令してもただ困った笑顔を見せるだけで、入部届けに名を記入してくれる事はなかった。せめて理由を、と何十回も尋ねてようやく聞き出せたのは、「実はその、放課後は援助交際がしたいんです」という、呆れて引っくり返ってしまうような答えだった。
 確かにハルの性質は「ビッチ」と言えたが、決して「変態」ではなかった。この場合の変態とは当然、性欲が並外れているという意味ではなく、独特な性的趣向つまりHVDO的な意味での変態なのだが、この「ビッチ」と「変態」の違いは非常に厄介な問題だった。
 せめて変態ならば、いくらでも手段はある。性癖バトルの敗北により屈服させる事も、新能力の提供という餌を用意して取引を持ちかける事も、性癖にもよるが、私の身体を好きにさせる事もそうだ。しかしハルはただ、同年齢の女子より貞操観念がゆる過ぎるだけの、一般女子だったのだ。つまり性的趣向はひたすらノーマルで、こだわりなんて何も無い、快楽が得られればそれでいいだけの、とびっきり淫乱な雌だった。
 しかし崇拝者からの情報によれば、ハルはまだ処女だった。高校に入ってから初めてオナニーを覚え、それから頭の中がセックスの事でいっぱいになり、いよいよ誰でもいいからその辺の男子を掴まえて行為に及ぼうと思っていたまさにその時、私に出会ってしまったようだ。タイミングが良かったのか悪かったのか、ハルは処女を散らすチャンスを失った。私の「月咲」第1能力はあいにくとコントロールがきかず、「好きだ」と心の中で思ってしまったなら、即発動し相手に百合を咲かす。1度咲いてしまったら、私がHVDO能力を失うか、ハルに興味を失うか、能力を誰かに受け渡すかしない限り、その呪いが解ける事はなく、貞操は確実に守られる。
 ハルはそれでもなお、セックス出来る相手を探していたが、どうやら徒労に終わったようだ。股間に花が咲いた女をまともに相手する男などそう滅多にいないし、仮にいたとしても、行為は愛撫で止まり、男は不完全燃焼に終わり、そんな付き合いが長く続くはずがない。
 とはいえ、私の方には一向に百合が咲かなかった。両想いが成立しなければ、私の方には百合が咲かないとは、なんて残酷な仕組みの能力だろうか。私は「好きだ」というただそれだけでハルの処女を手に入れた。にも関わらず、ハルは私の事などなんとも思っていないばかりか、幻滅されるのを知っていてなお男ばかりを追いかけている。
 私も努力はした。例の第3能力をハルの前で繰り返し使い、疑問を抱かせようとしたが、もどかしい事にこれがハルには全く効かないのだ。ハルは私の言っている事を、「理解」してしまう。これは私にとって最も大きな誤算だった。「疑問」を抱かせなければ「好意」は生まれない。
 そもそもこの能力は、相手が私に対して抱く「不信感」つまりマイナスのイメージを、絶対値はそのままにプラスに変換する事によって機能する。ハルの全てを認めて全てを愛する性格を、私は好きになったのだが、それが私の能力を無効化する最大の障害にもなったという事だ。
 樫原の指摘は正しい。よりにもよって五十妻がハルを受け入れ、私が出来なかった事をしているのを知って、私はたまらない気持ちになった。しかも1ヶ月を共に暮らし、その癖、崇拝者からの情報によれば、自らの性処理は一切ハルにさせていないという、紳士ぶってるのか何なのか良く分からない態度もまた癪に障った。仮に私が負けるとしても、五十妻は必ず道連れにしなければならない。性癖の喪失、詰まる所「完全敗北」によってしか、私の復讐心は満たされない。慎重さを捨てた樫原ならば、それが出来ると私は信じる。


 流石、というべきか、五十妻の木下くりに対する陵辱は堂に入っており、確かにこの男には、それなりの素質があるようだと私は思う。織部を撃破し、携帯を入手、それを使って入院中の毛利も連続で撃破するその離れ技。そもそも織部の能力に気づけたのが並大抵ではないし、こちらが木下くりを本気で潰しにかかっているのを知った上で、その状況を逆に利用する機転も冴えている。木下くりに退学するほどの恥をかかせ、それを利用して五十妻を取るという一石二鳥の作戦は、完全に逆手にとられた形になった。この点については、私も潔く敗北を認めよう。
 しかしながら、樫原もただの雑魚ではない。特に、この土壇場で私が「どうやって」朝礼台の上で木下くりに口を開かせたか、という疑問について今一度再考出来るのは、その持ち前の慎重さが、危険を冒していてもなお有利に働いている証拠と言えるだろう。
 やがて木下くりの失禁全裸土下座が実行される。
 私なら、死んだ方がマシだというような屈辱。男に対して、女として最大の恥を晒しているという点と、しかもそれを録画されて、今後どう使われるか分かった物ではない点について、情けなさだけで言えば、茶道部の伝統を遥かに上回ると言っても良い恥辱だ。
 そんな人生最大の汚点を進行している女子の横で、興奮しつつも冷静に思考を進められる樫原も樫原だが、やはりこの非人道的な行為を容易く思いつき、平気で幼馴染に命令出来る五十妻は、五十妻と言うしかない。元々持って生まれた才覚によるものなのか、それとも敗北によって更に強くなったのか。私には分からないが、とにかく今の五十妻が強敵である事に違いはない。
「木下、お前ひょっとして、望月にこう言われたのか?」
 やがて樫原が辿り着いた1つの結論は、寸分違わず私の台詞と一致していた。
 私は、朝礼台に無理やりあげられた木下くりに、マイクを突きつけながら、耳元でこう囁いたのだ。
「本当は五十妻の事が好きなくせに」
 それは、木下くりが既に「自分の心に正直になる」という樫原の「葉君」解除条件を教わっている事を知った上での台詞だった。
 私はこの1年、様々な女子の様々な顔を見てきた。ハルにフラれた私は、それでもOBの方達にショーを提供しなくてはならず、毎週とっかえひっかえ、今いる女子茶道部員の半分以上を例の屋敷に連れて行って、愛撫を施し続けてきた。もちろん、HVDO能力の事は1度も言っていないし、百合の咲いていない彼女達にはその説明をする必要性もなかった。私はただ、先輩に仕込まれた指と舌で彼女達を淫らにさせて、それを観客に見せて差し上げるだけの作業を続けてきた。OBの方達は、百合が見られないのは残念だそうだが、毎週新しい女の子の姿が見られてそれはそれで満足らしい。「こんな年があってもいいわね」とはある方の言葉で、私は自分の気持ちに嘘をついて、茶道部を守る事に専念した。
 そう、私は嘘をついていたのだ。
 本当はハルが好きで仕方の無い癖に、ハルの性格を知って諦めたフリをしていた。ハルに咲いた百合が何よりの証拠だ。私の1年に渡る片思いの、唯一の成果物だ。
 木下くりが五十妻を見る目は、私がハルを見るそれと一緒だった。だからすぐに気づけた。木下くりは五十妻を好いている。しかしその気持ちを、自分ではどうしようも出来ない事情が邪魔している。おそらく今まで受けてきた陵辱がそうだろう。五十妻の性癖を認めたくないというのもあるだろう。私にはすぐに分かったから、それを利用させてもらった。木下くりは自分の本心を認められない。好きでいるというのに、1人しかいないと思っているのに。ハルに何も出来ない私は、木下くりと一緒だったのだ。ああ、涙が出る。
 樫原の挑発を受け、全身全霊を込めて本心を否定する木下くりに、例の鬼畜が叫んでいる。
「くりちゃん! おしっこを自分に!」
 最低な奴だが、きっとそこが良いんだろう。


 五十妻元樹の第4能力「ピーフェクト・タイム」の事は崇拝者からの情報で知っていた。だが、樫原には伝えていない。樫原はどうやら崇拝者からのメッセージを一方的に受け取るだけらしく、私のように連絡を取り合ってはいない。よって、崇拝者の能力も知らず、私も崇拝者から口止めをされているので、敵の情報は私が必要な分だけ伝えるようにしている。今回は、五十妻が戦闘中にレベルアップするなど私にとっては全く想定外の事だったので、伝えていなかった情報だった。ピーフェクト・タイムの制限時間は5分。樫原が勝利をする為には、この事を伝えておく必要がある。
 木下くりが全力で抵抗を見せるが、この状況で、いや、状況がなくても、五十妻に逆らえるはずがない。崇拝者からの情報によれば、春木虎との戦いの時に、1度は無理やりに尿を飲まれたらしいが、それは子供の身体にされていて抵抗が出来なかった事もある。今回の場合、五十妻が尿を飲む為には、木下くりの協力が必要になる。つまり、木下くりは五十妻に尿を「飲ませる」のだ。
 そのような屈辱、常人に耐えられるはずがない。
「くりちゃん! いい加減に覚悟を決めてください! さっきから自分のチンコは爆発寸前なんです! 尿さえ飲めば勝てるのです! ここで自分が負ければ、くりちゃんは一生そのままなんですよ!?」
「馬鹿ちんぽやだああああ!!!」
 絶叫する木下くり。確かに、五十妻には見る目がある。彼女の恥じらい方はとても魅力的で、私も思わず少し興奮してしまった。
「自分は、くりちゃんが自分の事を嫌いである事も知っています。こんな風に変態に巻き込まれるのを快く思っていない事も十分に理解しています。ですからくりちゃん! 今しかチャンスはありません! 一瞬ですぐ済みますから、どうか、今だけ自分を信じておもらししてください!」
 五十妻が木下くりを説得する間に、樫原は集中して勃起を収めていっている。この時間が稼げただけでも、木下くりを挑発してみた意味はあったが、願わくばこのまま木下くりが逃げ出してくれる事を考えているはずだ。しかしそうは甘くない。
 10秒泣いて、木下くりは覚悟を決めた。顔を両手で抑えて、性器を丸出しにしたまま腰を少しだけ前に突き出す。その仕草は、芸術的とさえ言える。
「……くりちゃん。では、いただきます」
 能力によって、数分の間も置かずに新たに放出された尿を、五十妻は直でグイグイ飲み込んでいく。凄まじいまでの飲みっぷりで、恍惚とした表情には一切の迷いがない。この男が私の学校に入学してきた事自体が、運の尽きだったのかもしれない。本当にそう思う。
 飲み干した五十妻の勃起は完全に収まっていた。
「樫原先輩、自分の勝ちです」
 高らかに勝利宣言をする五十妻。確かに、5分もあれば何だって出来る。何をさせる気かは分からないが、五十妻は自分の無敵を良い事に、とんでもなく卑猥なおもらしの仕方を木下くりに要求するだろう。
 私は声を出す。せめて樫原に、それが「5分」で終わる事を伝えなければ。勝ち目を教えなければ。
「ちんぽ」
 私の口から零れ落ちた言葉は、私が大嫌いなそれだった。


「五十妻、俺の負けだ。認めよう」
 樫原の台詞に、私は喉を抑えながら驚愕する。
「木下にかけた能力はもう外した。確認してくれ」
「え!? あ、あ、あ、本当だ。喋れる! お前ら死ね! 頼むから今すぐ死んでくれ!」
 樫原の能力は射程距離内の「1人」を対象に発動する。その1人を、樫原はこの状況で変えたのだ。上を向いた樫原と、覗き込んだ私の目が合う。
「望月、俺が負ける前に、1つだけ聞かせてくれ」
 裏切られた? いや、違う。樫原は既に勝負を諦めている。
「俺はお前が好きだ。この告白をお前が受けてくれるなら、俺はきっとこれから木下がどんなに酷い事になっても勃起しない自信がある。五十妻に勝つには、今、この手しかない。……まあ、受ける訳が無いから俺の負けなんだがな」
 私は思わず驚きに声をあげそうになったが、樫原の能力の支配下にある限り、代わりに出てくるのは卑猥な言葉だけだ。息を飲み込み、耳を傾ける。
「お前は今、自分に嘘をつけない。俺の告白を心から受け入れてくれるなら、返事が出来るはずだ。実はお前が俺に五十妻狩りを命令した時、俺はお前にこの能力を発動させたんだ。だが、効果は出なかった。今までは蕪野ハルの事についてお前は自分に嘘をついていたがな、蕪野ハルを五十妻から助け出そうとした瞬間にその嘘をやめたんだろう。今のお前は、自分の気持ちに正直でいるはずだ。……返事を、聞かせてくれ」
 それは違う、と叫びたかった。
 しかし出たのは、たった1つの最低な言葉だけだった。
「ちんぽ」
 樫原の能力下において、否定を示す言葉「ちんぽ」。
 私の返事を聞いた樫原は、「完全敗北」した。
 性癖バトルにおける「完全敗北」とは、「性癖の喪失」を意味する。HVDO能力者は、己の持つ性的趣向へのこだわりを原動力に能力を使っているので、それが無くなれば、必然HVDO能力も失われる。性器の爆発が起きない代わりに、興奮率の表示が消え、「完全敗北」はリベンジルールを無視し、新しい能力は樫原を倒した私に付与される。
 樫原は気づいていなかったのだ。ハルを守ると考えた時、私の嘘は解消された。しかし五十妻との戦いを見ながら、私はまた新たに自分の心に「嘘」をついた。
 運命に反逆するなど愚の骨頂だ。崇拝者に出会った日、私の考えた事は、その時ただの馬鹿でしかなかった。賢い私がすべき行動は、とにかく五十妻を倒し、茶道部の伝統を守り、崇拝者に対して従順である事だ。しかし、それが新たな嘘だった。
 樫原を倒して得た新しい能力で、私は牙を剥こう。
 今、崇拝者が欲しているのは、木下くりの処女だ。
 性癖バトルに巻き込まれ、翻弄され続けた木下くりの処女はきっと神聖を帯びている。
 だからこそ、その前に、私がそれを奪ってしまおう。
 私には、崇拝者を再起不能にする方法がある。
 青春を懸け、私は復讐を遂行しよう。
 HVDOは私の手で終わるのだ。

       

表紙

和田 駄々 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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