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HVDO〜変態少女開発機構〜
第四部 第一話「贖罪が賽を振る」

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 俺は罪を犯した。
 その瞬間は、自分で自分を責める余裕も、運命について深く悩む時間もなく、「もう戻れないのだ」というハンプティダンプティな事実が俺の足元を浚い、すっころばして嘲り笑った。
 そもそも人の行為に、何故か、だとか、最終的にどうしたいのか、だとかを求め始めるとキリが無い。負けたチームの監督が、試合後のインタビューに真剣に答えた所で点がもう1点入る訳でもなし、一体何の為にあるのかと気になっていたものだが、これはまさしくそういう話だった。やってしまった事は取り返しがつかない。そこに幾億の言葉を積み重ねた所で、時間が巻き戻るなんて事はありえない。
 とはいえ、俺の犯した「罪」と、現状、俺の受けている「罰」が釣り合っているとは到底思いたくも無い。議論の余地はあるはずだ、と何度でも心から主張したい。人を裁く者は人しかいないが、それにしたってハンムラビ法典を作ったバビロン王でも、「いや、いくら何でもそれはやりすぎだロン」と苦言を呈すであろうこの過酷な状況。何も俺は自らを無実だと騙っている訳ではない。した事は認める。が、しかし死刑よりも遥かに重いであろうこの罰は、余りにも、余りにもだ。
 ちょうど1ヶ月。
 この「拷問部屋」に入ってから、それだけの時間が経過していた、というと、かなり高い確率で嘘になる。正確さを求められるならば、寝て、起きて、を1睡として30睡とでも表現すればいいのだろうか。何せこの部屋には、時計もカレンダーも外を見る窓もテレビもラジオも車も電気もガスも無ぇのだ。白い壁、白い床、白い天井。いくら爪を立てた所で傷つかず、唾を吐いても汚れないこの部屋で、一体どうやって今の正確な時刻と経過した時間が知れると言うのか。
 「拷問部屋」という表現は我ながら的確で惚れ惚れする。この何もない、唯一自分以外の存在はこちらからは開けない蓋つきの小窓のみが配置された十畳程の部屋は、人を狂気側へとじりじりと寄り切り、上手投げを仕掛けてみても、そのどうしようもない重量感には、何らかの事情で白鵬と対峙せざるを得なくなった楳図かずお先生のような絶望感がある。時間が分からないだけではない。この空間には、娯楽の類はもっての他、食事や排泄行為、痛みや痒み、あらゆる外的刺激が存在せず、あるのはただ己の肉体一つに、頭上をたゆたう茫漠なる時間と、そこをさ迷う無限の思考のみである。
 1つ、良い事を教えよう。
 この世で最も恐ろしい拷問とは、鞭による痛みでも、容赦ない水責めでも、ケツに何かをぶち込まれる事でもない。
 それは「放置」だ。
 日本の法律には、禁固刑という刑罰が定められている。読んで字の如く、たった1人で小さな部屋に閉じ込められ、自由を奪われるという罰だが、日本の場合、受刑者は希望すれば他の受刑者と同じ刑務作業を行う事が出来るので、禁固刑に処された殆ど全ての人間がそれを希望するそうだ。「何もする事がない」というのはただそれだけ辛い事らしく、刑務作業をしない人間は虫と会話するようになるか、畳の目の数を1日中数えるようになるか、ひたすら自傷行為を繰り返すようになるらしい。が、今の俺に言わせればそんなの甘すぎて甘すぎて聞いているだけで糖尿病になるような贅沢話である。
 何せ禁固刑の受刑者は、飯も食えるし糞も出せる。その上読書も出来るし勉強もこなせるし窓から外も見られる。今の俺にはそれすらない。しかも刑期も分からず、終わりも見えないと来ている。
 このような極限状態で30睡も正気を保っていられる俺の精神力は、全盛期のMoMaを軽く凌駕すると言って差し支えないだろう。……皮肉な事に、その支えとなっているのは俺自身の犯した罪なのであるが。
 そしてこの部屋唯一の希望にして、絶望。
 時々小窓が開き、その隙間から絶対零度に限りなく近い宇宙の果てのような瞳で俺の事を覗く人物がいる。罪深き俺を謎の空間に投獄したその人物の名は柚之原知恵(ゆのはらともえ)。黒髪の美少女で、色素の薄い皮膚に透き通るような声が特徴の、奇妙な女だ。
 俺の名前は三枝友貴(さえぐさともき)。柚之原と同様に三枝家に引き取られた孤児で、高校生兼執事見習いをしている。
 ……いや、今はただ脳内でくだらない事を延々と考え続ける狂った囚人と言った方が正しいか。


 この世には「男」と「女」と「お嬢様」という存在がいると勘違いしていたのは、いつの頃までだっただろうか。小学校に入った時、敬うべき相手がいない事に不安を覚えた記憶があるので、少なくともその頃まではそうだった。
 三枝家の莫大な敷地の中には、大きな建物が3つ建っている。1つは三枝家の人々と、一部のメイドと執事が暮らす本邸。地上4階、地下25階の、外見にはあくまでも三枝家の資産規模からしてみれば控えめな豪邸で、その実情はネルフも驚愕の秘密要塞である。一説によると地球がまっぷたつに割れない限りはあらゆる攻撃や災害から、中にいる人間を守るらしく、多分住んでれば寿命も伸びる。寝室、大浴場、衣装部屋などの生活に直接関わる部屋のみなず、室内射撃場、遊技場、図書室、ダンスホール、映写室、武道場、スーパーカミオカンデなどの娯楽施設も兼ねそろえており、この家に招かれたゲストは追い出されない限り1日で帰る事はまずない。
 もう1つの建物は、現三枝家当主、三枝龍一朗氏の書斎兼仕事部屋となっており、その規模は本宅と負けず劣らずらしいが、内装は俺でも入った事が無いので知る由もなく、トップシークレット扱いなので先輩執事からも聞いた事がない。確実に言えるのは、少なくとも核ミサイル的な物が配備されており、三枝家を攻撃してきた者には軍事的報復も辞さない構えであるという事くらいだろうか。
 そして最後の1つが、メイド及び執事見習い、つまり俺のような人間が暮らす寮である。この建物には、前述のような非常識な設備はないものの、そもそも自宅の中に寮がある時点でまったくもって常識外にも程があるので、何をかいわんやである。
 寮には現在、50名強の男女が暮らしており、その背景は様々だ。俺のように生まれてこの方親の顔も知らず、この家に引き取られて暮らしてきた奴もいれば、行き場を無くして街をさまよっていた所を三枝家の人間に拾われた者もいる。寮には規則があり、破れば罰もあるが、そこに居続けるかどうかはあくまでも自由。執事見習いとして働き始めれば、月に決まった額の給料が出るので、それを貯めてここを出て一人暮らしを始めても良い。
 しかしそれは、俺のような人間には最初から無理な話だとも言える。
 人生は積み木だ。最初は何も無いが、そこに色々なブロックを重ねて、時には崩しながらバランスを取り、形を作っていく。誰かからの愛情であったり、思い出すのも辛い失敗であったり、自らのちっぽけな成功体験であったり、この世には1つとして同じ作品はない。
 俺の積み木には、「瑞樹お嬢様への尊敬」というブロックが余りにも多く積み重なり過ぎている。これらを一気に引き抜けば、途端に俺の積み木は崩れ去り、後には酷くちっぽけなブロックの破片しか残らないのが分かりきっている。動かせる訳がない。
 三枝瑞樹お嬢様。いつの間にか、俺の一生はこの人に遣われる事を望んでいた。


 過去を思い出す事は、この圧倒的虚無が支配する空間において、唯一と言っていい抵抗手段となる。自分が何者であるか、自分がどのような人生を送ってきたか。自分がこれからどうしていくのか。これを常々頭の中心に置いて考えておかなければ、俺の矮小な自我はあっと言う間に四散し、風に吹かれてどこかへ飛んでいってしまう。過去に固執する事は、この状況においては呼吸する事と同等の生命維持手段と言える。敗戦後のインタビューもこの部屋においては意味がある。
 初めて俺がお嬢様と言葉を交わしたのは、お嬢様が幼稚園の年長組に上がられた時だった。当時小学1年生の俺は、幼いながらも人間の本質に聡く、お嬢様が軽々しく俺のような平民と話していい身分ではない事を十分に理解していた。だから「同い年の遊び相手が欲しい」というお嬢様たっての希望で俺に声がかかった時は、心臓を鷲掴みにされて喉から引っ張り出され、代わりに新しい心臓をぶち込まれたかの如き衝撃が走った。緊張しつつ初めて本宅を訪れると、そこで待っていたのはお嬢様だけではなく、年上の、以前よりお嬢様の遊び相手を勤めている少女もいた。今となっては俺にとっての死神、執行人、悪魔、天敵、それらの言葉を全て合わせても足りない程の巨悪ではあるが、つい最近までは経験豊富で優秀な先輩であった柚之原知恵その人である。
 当時、お嬢様には巨大な遊技室がまるまる与えられ、古今東西あらゆる玩具が取り揃えられていたが、お嬢様はそれらには目もくれず、ひたすら「お医者さんごっこ」だけをご所望なされた。安全配慮のなされた本格的医療器具を渡され、お医者さん役に抜擢されるのはいつも俺で、柚之原知恵はナース役。となれば当然、患者役はお嬢様で、必然的に非常にまずい形になった。
「おいしゃさま、きのうから、むねがとてもあついんですの」
 上目遣いで、頬を赤く染めながら近づいてくるお嬢様の表情は、最早幼女のそれではなかった。俺はかろうじて「お、おくすり出しておきますね」とカルテを片手に言うのだが、当然それでは許されない。
「だめ。ちゃんとみてくださる?」
 そうして服を脱ぎ、色素の非常に薄い突起を、見せつけるかのように俺の目の前に突き出してくる。
 素質、とでも言うのだろうか。無論、まだ年端もいかない子供であるからして、その行為には大した意味もなく、本人が覚えているかどうかさえ確かではないが、個人的見解を述べさせてもらえば、お嬢様にはもともと「こういった行為」に対しての並々ならぬ興味というか、根本原理が備わっているように思われた。
 お医者さんごっこは、お嬢様がどうしてもと駄々をこね、仕方なく俺が触診を始めようとした所を、柚之原が後ろから取り押さえるという形で終焉を迎える。お医者さんごっこの他にも、水泳教室ごっこやら、宴会芸ごっこなど、どこから仕入れてきたかも分からない情報でやたらとお嬢様が脱ぎ出す遊びが主に行われていた。
 そしてそれら幼き日々のあどけない行動が、紛れもなく「素質」であったのだという確信を、俺はある日得てしまう事になる。それがこの不幸のきっかけになるとも知らずに。


 いよいよ俺が投獄された直接の理由について触れなければならないようだ。というより、お嬢様との思い出に耽っていると、どうしてもあの「感触」が蘇ってきてしまい、目の前を覆い立ちふさがる。俺は考える事をやめられなくなる。
 後悔してもしきれない。という言葉が正しいかどうかすら今の俺には分からない。「あの時ああすれば良かった」という感情が後悔ならばそれではないように感じるし、むしろ「チャンスはあの時にしかなかった」という俗物的判断は確かに間違いなかったようにさえ思う。
 お嬢様が俺のような凡人とは違うというのは分かりきっていた事だが、血縁だとか、頭の出来だとか、資産だとか、器だとか、そういった面ではなく、もっと低俗というか、いや、それもまた人間が生物である以上避ける事の出来ない重要なテーマではあるのだが、社会通念上やはり軽々に取り扱われがちな、飛躍した言い方をすればアンダーグラウンド的というか、とても声を大にして主張出来る事柄ではない、まあ、つまり、その……。
 瑞樹お嬢様はどうやら変態らしい。
 という事実に、俺はひょんな事で気づいてしまった訳である。
 ある日の事、俺はお嬢様の尾行をしていた。海外留学を蹴って都内の中学に通う事を選んだお嬢様は、庶民の暮らしに憧れてなのか、時々「ペットボトルで飲み物を飲む」だとか、「コンビニで買い物をする」といった、三枝家の人間からしてみれば非常に現実離れした行為をなさる事が多かった。電車で通学する事もその一環で、しかし何かがあってはいけないのでお嬢様にもバレないように毎日交代交代で尾行する決まりになっていた。
 その日もいつものように、卒がなく見事な手並みで電車に乗っていたお嬢様だったが、同じ車両にはとんでもない不届き者が乗っていた。
 痴漢である。
 とはいえ、痴漢されていたのはお嬢様ではない。(もしもそうなら、俺は懐からベレッタを取り出し、警告なしの発砲を行っていたし、その惨劇はすべて三枝家の圧力によってもみ消されていただろう)被害にあっていたのは、大人しそうな少女。女性としての魅力ではお嬢様に勝るはずもないが、まあ、痴漢されやすそうな顔をしていた。
 やがてお嬢様は正義感を発動させる。俺は冷や汗をかきつつ、音をたてずに安全装置を外し、お嬢様と痴漢のやりとりを注意深く観察した。お嬢様は凛々しく、クラス委員長としての、というより支配者としての毅然とした態度で痴漢を責め、状況は決したかに見えた。が、しかし、
 駅についたと同時に痴漢は走り出し、逃走を試みた。後ろからでも一撃で心臓に命中させる自信はあったものの、直接お嬢様に被害が出ていない以上、殺人のもみ消しは困難かもしれない。そう考え、躊躇う俺を余所に、お嬢様はその類希なる洞察力と推理力によって、痴漢の正体を暴き、勤め先に先回りし、そしてあろうことかこんな台詞を口にしたのだ。
「なぜ、私を痴漢しなかったのですか?」
 他人の性癖についてあれこれと口を出してからかうのは俺の趣味ではないし、ましてやそれが尊敬の対象であるお嬢様であるならば、俺に出来る事は三猿しかなく、ハンマーで頭蓋骨を思いっきり叩いて記憶を消す事も試みたが、それもあえなく失敗に終わった。
 瑞樹お嬢様が変態だった。あの清楚で、可憐で、完璧で、将来は日本を背負って立つであろうお方が、真正のド変態だったという事実は、それから数ヶ月間俺を悩ませ続けた。この秘密はおそらく俺しか知らない。どうしたら更正出来るだろうか、いや、そもそもお嬢様の人格形成に俺などという下等生物が関わる事自体が不遜ではないか。というか何故、お嬢様はその道にお目覚めになれたのか。悩みは尽きなかった。
 結局、俺の疑問はやがて1つに収束された。「俺は瑞樹お嬢様にどうなって欲しいのか?」である。
 これははっきり言って100%俺のわがままだったが、しかし正直な気持ちでもあった。もしもお嬢様が、自分の変態性に対して苦しんでおられるのであれば、その負担を少しでも軽くしてさしあげたいし、俺も知らない何者かの影響によって道を違えているならば、正気を取り戻して欲しかった。
 勇気を持って言葉を選べば、俺はお嬢様が好きだ。そしてお嬢様には、俺の好きなお嬢様でいて欲しかった。


 ある日、本宅での勤めの後、いよいよお嬢様に、例の件について問い正そうと思った俺は、失敗すれば腹を切る覚悟を決めてから、居間で1人夕食中のお嬢様の耳にこう囁きかけた。
「お嬢様、折り入ってご相談があるのですが……」
「相談? 何かしら?」
「ここでは、ちょっと……」
「……そう。では、あなたの仕事が終わったら私の部屋に来なさい」
「ありがとうございます」
 その日のお嬢様の様子は、いつもよりも気が抜けているというか、疲れを表に出されないお方なので、注意深く観察していなければ分からない程度の違いではあったが、何か重要な事を成し遂げてお疲れになっているようでもあった。
 そんなお嬢様にこのタイミングで変態云々について訊くのは間違っているかもしれず悩んでいたが、夕食後、部屋に戻る際に、
「今日は少し疲れてるから、部屋に戻ったら寝てしまうかもしれないわ。部屋の鍵は開けておくから、勝手に入ってきて起こして」
 と言われ、「そこまでお疲れのようでしたら、無理には……」と言いかけると、お嬢様は人さし指をぴっと立てて俺の口を塞いだ。
「大した事はないの。今日はちょっと同じクラスの男子と普通ではない話をしただけ。それに、私からも少し聞きたい事があるから、是非来て頂戴」
「か、かしこまりました」
 俺は頭を下げ、執事思いの主人に感動を覚えつつ見送った。
 その後、仕事を終えてお嬢様の部屋に行くと、仰られた通り鍵は開いており、中ではお姫様のようなベッドの上で、お姫様、いやお嬢様が眠っていた。
 そして……。
 ここから先は思い出すのも辛いが、その辛さが今はこの罰を乗り切る糧となっている。
 俺はあの時、最初はただ純粋に、主人の命令を守る事だけを目的に、お嬢様に近づいた。
 そして美しい寝顔に見とれ、同時にその裏にあると思われる変態としての顔を想像した。例えばお嬢様は、寂しい夜、自分自身をお慰めになったりするのだろうか。下賎な妄想は俺の脳をはみ出て、金縛りをかけた。
 その時、ベッドに備え付けられた小机の引き出しが、ほんの少しだけ開いているのに俺は気づいた。悪い事だとは分かっていつつも、それが妙に気になって、音をたてないようにこっそりと開けると、中にはお嬢様が寝しなに書かれたと思わしき手紙が入っており、俺はそれを無視できなかった。
 手紙の文面には、昔からお嬢様の事を知っている俺からしてみれば、全くもって信じられな事が書いてあった。同じクラスの男子にあてた、まるで調教を懇願するような手紙。書きかけではあったが、お嬢様が変態である事を確信するには十分な内容だった。
 憎悪。
 お嬢様の好意を受け取るのが、俺と何ら変わらぬ一般庶民だという事。そしてそれが、お嬢様自身の意思による事。お嬢様が正真正銘の変態であった事。全てが許せず、俺は俺を失った。
 この世にはどうやら、「男」と「女」しかいないらしい。
 お嬢様の寝顔に、俺は顔を近づけていった。
 ……俺は罪を犯した。
 この世で最も高貴で、崇敬なる物に、俺の唇は触れたのだ。
 その瞬間、気がつくと俺はこの空間にいた。小窓から柚之原知恵が俺を軽蔑に満ちた眼差しで見つめ、やがて何も言わずに蓋をした。

     

 俺の罪が、到底許される事ではない事は知っている。しかし俺も人間、生物、意思を持ったたんぱく質であるからして、この肉体を、今ここにある俺という確かな意識の支配下で存続させたいという欲があるのも仕方のない事だ。
 一通り思い出に浸り、自分の行いを懺悔し、壁に向かって100回土下座した後、俺はこの空間からの脱出方法について真剣に考える。
 まず、この空間の不可思議な所は、先にも述べたとおり、痛み痒みなどの完全なる俺の主観さえも見事に取り払われている事にある。
 食欲や空腹感、催す事がないというのは、俺が寝ている内にその手の薬物を投与されていると考えれば、まあかろうじて納得がいく。が、いくらつねっても痛みが無い事とか、歯を自分で折ろうとしても堅すぎて折れないだとかは、既に超常現象に分類されるように思われる。
 壁に向かって頭をガンガン打ち付けたり、今まで出した事もない大声を出して狂ったり、およそSAW的な事は初日にもうほとんど済ませたが、流血したり喉が枯れたりする事は1度も無かった。身体は思い通りに動かせるが、それに伴う影響が完璧に排除されてしまっている。まるで俺の肉体を、厚さが1mm以下の保護膜で隙間なく覆われているかのように、俺は「保存」されている。こんな物はオカルトとしか言いようが無い。
 これに納得がいく説明をつけるには、例えば柚之原知恵は実はとんでもなく巧みな催眠術師で、俺は既にその術中にはまり、思いこみの力によってこの苦役を強いられてるだとか、あるいは柚之原知恵は実は宇宙の遙か彼方からきたエイリアンで、人間には到底知る由もない技術によって、この部屋は作られているだとか、その程度のアイデアしか浮かばない。
 もしくは、柚之原知恵は超能力者で……。
 いずれにせよ、凡人の俺には到底、力の及ばぬ存在である事は伺い知れた。この空間を用意する事、そしてこの空間に俺自身が気づかぬ間に俺を入れる事。どちらも人間業ではない。
 お嬢様は、この柚之原の未知なる能力には既にお気づきになられているのだろうか。気づいていて、なおかつ俺のした事に対して激怒されており、柚之原に命令してこのような罰を与えたというのならば、俺は納得した上で、何の心残りも無く廃人になれる。しかし、もしもこの罰がお嬢様の預かり知らぬ所で執行されており、柚之原の独断によって俺がこんな目にあっているのだとしたら……いや、そもそもお嬢様が変態になってしまわれた事にも、柚之原が深く関わっているのだとしたら、俺はここで正気を失う訳にはいかない。時機を待ち、ここを脱出し、柚之原に対して制裁を加えなければ、死んでも死にきれない。
 ああ。
 それでも。
 ああ。
 この目でもう1度、お嬢様の顔が見たい。
 ――俺の唯一にして儚い願いは、何の前触れもなく突然に叶えられる事になる。神か、それともただの変態か。とにかく俺は、五十妻というとんでもない男のおかげで、現実への帰還を果たす事となった。


 第一話「贖罪が賽を振る」


 柚之原の手によって幽閉されてから、現実の世界ではちょうど1ヶ月の時間が経過しており、という事はつまり、俺はあの部屋で新年を迎えていたらしい。30日としたのはほぼ合っていた事になるので、体内時計の正確さを褒めたくなるが、個人的感想を言えば、もっともっと長い時間であったような気がする。
 執事長の八木谷さんが警察に提出していた俺の行方不明者届けを取り下げにいった帰り、突然いなくなった事の謝罪と、柚之原の謎についての相談をお嬢様に持ちかけようと部屋を訪れた時、俺は再び拘束される事になった。
 三枝家、地下の一室。よくゴルゴが鞭を受けていそうな、これぞ拷問部屋といった感じの部屋に、俺とお嬢様と柚之原の3人はいた。両手には手錠を嵌められ、その手錠は後ろで鉄製の冷たい椅子に固定されている。両足もそれぞれ椅子の足に括り付けられており、身体の自由はほとんどきかない。
 俺を見下ろす2人に対し、恐る恐る尋ねてみる。
「あの、もしよろしければ事情を説明して欲しいのですが……」
「それは私と柚之原、どちらに向かって言っているのかしら?」
 お嬢様の意地悪な口調は珍しい。子供の頃はたまに聞いていた気がするが、中学にあがってからはこれが初めてかもしれない。家でも学校でも、お嬢様は非の打ち所がない完璧な優等生で、人を貶めたり嫌味を言ったりはしない。
「……お嬢様です」
 ドキドキしながら言うと、お嬢様は短くため息をついて、
「それじゃあ、柚之原がした事については聞きたくないの?」
 聞きたくない訳はないが、しかし今はとにかく、
「それについては、自由を手に入れた後でもいいです。今はどうして俺を拘束したのかだけ聞かせていただきたく……」
 言いかけた時、お嬢様はまっすぐに俺の目を見て、こう呟いた。
「キス」
 目を見開き、一瞬で真っ青になった俺に構わず、お嬢様は冷徹な調子で続ける。
「それで伝わらないなら、口付け、接吻、ちゅう、ベーゼ、Aでもいいけど、これらの言葉に心当たりはある?」
 俺は舌を噛みちぎろうと、一気に息を飲み込み、口を開いた。その刹那、お嬢様は俺の顎を鷲掴みにし、華奢な身体に似合わない握力で押さえつけ、ほじくるような勢いで瞳を覗き込んだ。
 タコのようになった俺の顔に向けて、お嬢様は言い放つ。
「ご主人様のファーストキスを勝手に奪っておいて、許可もなく死ぬなんて、あなたも偉くなったものね」
 お嬢様はこんな事を言うお人ではない! と俺の真面目が主張する一方で、その余りにも高圧的な態度に、妙な興奮を覚えたのは認めよう。


「さて、どこから話をしようかしら。あまり長く話をしている時間も無いのだけれど……」
 お嬢様の悩ましげなため息は、もったいぶっている風にも思えたが、言葉そのままの意味も含んでいた。
 こういう時に気を使えるのが一流のメイドであり執事である。俺にはどうやらその素質はなかったが、柚之原にはあったらしい。
「今はこれしかありませんが」
 部屋の隅に置いてあったパイプ椅子を、お嬢様の前に運んできて開く柚之原。そう。言われてから動くのではなく、主人が何かを要求する前に先回りして用意する。柚之原はメイドの極意を実践していた。話が長くなるのが仕方ないのなら、ご主人様には少しでも楽な姿勢でいてもらう。これぞ奉仕の精神と言える。
 広げられたパイプ椅子は、長い間放置されていたせいか全体的に錆び付いており、手入れもされていなかった(本宅内の拷問部屋があまり使われていない事自体は平和で良い)。「それでいいわ。わざわざ上から持ってくるのも面倒だし」とお嬢様が仰られると、柚之原はポケットからハンカチを取り出し、埃をぱっぱと掃った。
 そして椅子に腰掛けたお嬢様は、俺をまっすぐに見据えてこう切り出した。
「あなたがお察しの通り、私は変態よ」
 知ってはいつつも、直接お嬢様の口からこの言葉が出された瞬間の、この絶望感。俺は思わず泣きそうになったが、意味の分からない涙は流さない主義なのでどうにか堪えた。
「『露出狂』と言った方が正確かしら。具体例を出すと、突然道に飛び出してきて、コートを広げていちもつを見せつける危ないおじさんがたまにいるでしょ? 私の中身はそういう人たちと大して変わらないの。裸を見せつけたり、公然に晒す事に対して快感を覚える異常性癖。それが露出」
 お嬢様の口から、露出狂だとか、いちもつだとか、そういう汚い言葉が何の躊躇いもなく繰り出される様子に俺は呆然する。こんなのはお嬢様ではない。お嬢様の皮を被った新堂エルだ。
「基本的にMなのよ。育った環境もあるのか、人に命令されたり恥ずかしい目に合ったりに変な憧れがあって、露出調教される事を本能的に望んでしまっている。きっかけはもちろんあったけど、もしそれが無かったとしても、いつかは目覚めていたでしょうね」
 淡々とした調子で語られていたが、その内容は父上である龍一郎氏がお耳になさったら即時全身から血を噴出して死んでしまうような衝撃的内容だった。俺自身、拷問部屋における何日間かの心の準備期間が無ければ、同じリアクションを取った事だろう。
 狼狽しつつ黙ったままの俺に、お嬢様はこう尋ねる。
「……私の裸、見たい?」
 はっきり言って、見たくない訳がなかった。目の前にお嬢様がいて、お嬢様は露出狂で、こう尋ねられたら見たくないと答える奴がいる訳がない。京都に修学旅行にいって金閣寺を見ないような物だ。いや、そもそも修学旅行に行かないような物だ。
 とはいえ、「見たいです」などと腹の中身をぶちまけて正直にのたまう訳にもいかなかった。それこそ変態だ。困った俺を知ってか知らずか、助け船を出してくれたのは柚之原だった。
「瑞樹様。本題を」
「……そうね」
 まだ何かあると言うのか、と俺はいい加減血反吐を撒き散らしてぶっ倒れたくなったが、話はまだここからだった。
「それと、私はただの変態じゃないの」


 俺は日本語について考える。「私は変態ではない」なら分かる。むしろ納得出来る。「ただの人ではない」でも、嫌々ではあるが分かる。この場合はつまり、変態だという事だ。しかし「ただの変態ではない」。となると、まるで「変態」である上に、プラスアルファ、何か異常な者であるという事になる。
「私は変態の、超能力者なの」
 は?
 いや、失礼にあたる事は重々承知の上だが、ここはこう言うしかない。
「は?」
 思わず口に出してしまったが、それに対しての叱責はない。むしろ、それも当然といった風の2人。
「実際に見せた方が早いわね」
 お嬢様はそう言って立ち上がると、すかさず間に柚之原が割って入った。
「瑞樹様」
 その呼びかけには、確かに重い戒めのニュアンスが含まれていた。からかっているつもりはないらしい。「大丈夫。後ろ姿だけだから」
 そう言うと、柚之原は渋々といった様子ではあったが引き下がった。これから何が起こるのか分からない俺は、戸惑いつつもほんの少しだけ期待をしていた。
 お嬢様は椅子から立ち上がり、俺を見下ろした。俺は改めてお嬢様の姿を眺める。
 普段着の、地味に見えるが一着数百万円はくだらないデザインワンピース。スカーフを巻き、中学生とは思えないスタイルの良さと上品さで、見事にそれを着こなしている。どこに出しても恥ずかしくないお嬢様。選ばれた人間。
 そんなお嬢様が俺に背を向ける。背中すらも美しい。気づくと柚之原が漆黒の意思のこもった目で俺を見ていたが、気づかないフリをした。
「見て」
 お嬢様が言い終わると同時、お召し物が脱げた。いや、正確には消滅した。ほんの僅かな時間。2秒ほどだろうか、確かにお嬢様は全裸になった。
 すらりと伸びた白いおみ足。まだ少し幼さを残した丸いお尻。痩せすぎではないが十分なくびれを作る背中。そしてうなじから肩にかけての芸術曲線。
 一瞬ではあったが、俺の網膜にそれらの像が焼き付いていた。これは幻覚か? いや、そんな筈はない。お嬢様の裸体の美しさは、俺の想像力の限界を遙かに凌駕しており、もしも俺が狂っていたのだとしても、こんなに美しい物は幻にすらなれない。
「2秒間だけ、いつでもどこでも全裸になれる。これが私のHVDO能力」
 お嬢様がそう言うと、俺はようやく先ほどの発言を思い出した。変態であり超能力者。俺が思っていたよりも、この世界はぶっ飛んでいたらしい。
「ちなみに、柚之原も私と同じHVDO能力者で、性癖は『拷問』。あなたを閉じこめたのも、彼女の能力よ」
 確かに、超能力であるならば、あの不可思議な空間も説明がつく。俺の妄想した催眠術説や宇宙人説よりはほんの少しだけましかもしれない。
「信じてもらえたかしら?」
 俺はかろうじて頷くが、まだ脳の半分くらいは、先ほどの艶めかしくも神々しい、略して神めかしいお嬢様の裸体が占拠していた。願わくばもう1度。もし前から見れたら死んでもいい。真実の羽根より遥かに重い心臓で、アヌビス神にアッパーカットだ。そんな劣情を誤魔化す為にも、俺は気になった事を質問をする。
「あの……お嬢様の仰られる『HVDO』というのは、一体何なのですか?」


「その質問に関しては、柚之原が答えた方がいいわね」
 言われて俺は柚之原の方を向いたが、言葉を続けたのはお嬢様の方だった。
「だけど、柚之原はこう見えて、今とっても傷心中なの。自慢の能力が、あっけなくやられちゃってね。代わりに、私が話をするわ」
 そう言うお嬢様は楽しそうに、無邪気に笑っていた。昔、大人達に内緒で花火をした時と同じ笑い方だ。柚之原の方の表情は相変わらず、楽しそうにも見えないが、お嬢様の言うように傷ついているようにも見えない。しかしお嬢様がそうだというならそうなのだろう。
「HVDO。特定の変態達に超能力を与え、性癖をかけて戦わせる事によって変態度を高めさせる組織。目的は不明。といっても、柚之原は知っているらしけれど、教えてくれないようね」
 無理に尋問をしない所がお嬢様らしいとはいえ、ご主人様に対して秘密を持つなど、優秀なメイドとしては有り得ない狼藉と言える。
 気になるのは、その話の内容の荒唐無稽さである。
「……つまりお嬢様と柚之原は、そのHVDOとやらの手によって、変態にされてしまったのですか?」
「いいえ……あなた、そんなに飲み込みが悪かったかしら。私と柚之原は元々が変態。変態であったがゆえに、HVDOに選ばれ、それぞれの能力を与えられたという事よ」
 やはり未だに、柚之原はともかくお嬢様が変態である事は信じがたい事実だ。あの部屋がまだ続いていて、これも全て俺の見ている幻視幻聴であるとされた方が、まだよっぽど納得がいく。が、先ほどの全裸はやはり超現実過ぎる。
「さて、ここからは私の提案なのだけれど」
 お嬢様はそう言って、再びパイプ椅子に座った。その時、
「きゃっ」
 パイプ椅子をパイプ椅子たらしめる折りたたみ用のネジが外れた。
 お嬢様が安心しきって全体重を預けてしまったパイプ椅子は、生意気にも物理学を修めていたらしく重力に逆らわずへたれ込んだ。当然、お嬢様の肢体も、あっけなく床に横たわった。
「お嬢様!」
 俺は思わず身を乗り出したが、拘束されているので当然手をのばす事も出来ない。代わりに柚之原が寄り添ったが、もう手遅れだった。
 いや、怪我は無かった。手遅れだったというのはそっちの話ではない。日常生活においては割と派手めな事故だったが、擦り傷ひとつも無かったのは本当に幸運といえる。しかし俺は見てしまったのだ。幸運はむしろこちらにあった。
 お嬢様の、真っ白なパンツ。
 椅子はその生涯を終える刹那、どこについているかは分からない目で見たはずだ。自分の脚が開かれ、それに連動するようにお嬢様の脚も大きく開かれ、ワンピースの裾から飛び出し、身体を重ねてひっくり返り、ちょうど俺の方に向かって、お嬢様の股が向けられていたのを。
 まず言い訳をさせてもらおう。俺は拘束されているし、手で両目を塞ぐ事もできない。お嬢様の無事を一刻も早く確かめる為にも、目は見開いていなくてはならない。そして先ほど、思いもよらぬ形でお嬢様のお尻の割れ目を目撃したばかりであり、「下地」は出来ていた。
 お嬢様は何も言わずにゆっくりと身を起こし、服を掃うと、俺を見た。俺の俺を見た。つまり俺の、股間を見た。見られた! お嬢様の裸と下着を見て反応してしまっているのを、見られてしまった!
「……あら、そっちの飲み込みは早いのね」
 しかもお嬢様が下ネタを口走っておられる!
「私のを見て興奮したのね。それなら話が早いわ」
 一呼吸置いて、お嬢様は告げる。
「これからあなたには、私達と同じ『変態』になってもらいたいの」
 その表情は、とてもじゃないがMには見えなかった。

     

 お嬢様のご命令とあれば、俺はひもQでバンジージャンプする。
 お嬢様のご命令とあれば、俺は飢えたライオンとオクラホマミキサーを踊る。
 お嬢様のご命令とあれば、試用期間1年と平気で書かれたブラック企業にも身を投じる。信濃町で日蓮正宗の布教に努めてもいい。国会議事堂の前で増税反対の焼身自殺もして見せる。竹島も1人で奪還してくるだろう。俺を育ててくれた三枝家への恩返しはこの程度では果たされないと、俺は思っている。
 しかし、「変態になれ」というご命令に、俺は即答する事が出来なかった。
 HVDOという謎だらけの組織は、三枝家の情報網をもってしてもなかなかに捉えがたい存在らしく、目的はもちろん、どのようにして人に能力を与えているか、一体誰が組織をまとめているのかも全くの不明らしい。お嬢様は、インターネットで他人の調教記録を閲覧していた時に、突如パソコンをハッキングされたそうだが、果たしてそれが技術によるものだったのか、それとも何者かの能力だったのかも分からないという。
 とにかく、お嬢様との久々の会話の中で俺が理解したのは、HVDOは「変態」を探しだし、能力を与え、そして変態同士は性癖バトルをして勝つ事によって「新しい能力」を得られるという事だ。
 ここで最も重要なのは、お嬢様が露出狂として、「新しい能力」を欲しているという事。
 もしも宇宙船が欲しければNASAを小突いてジャンプさせてカツアゲすればいいだけだが、性的超能力が欲しいとなれば、HVDOの正体を暴き、交渉か制圧によって掌握するか、あるいはその馬鹿げたルールに従うしかない。そして前者が不可能となれば後者。
 要約すると、お嬢様は俺にこう求めているのだ。
『変態になり、能力を得て、私にそれをよこしなさい』
 お嬢様に、俺の何かを与えられる事は至上の喜びと言える。俺は喫煙もしないし酒も飲まない。いつかどうしてもお嬢様が俺の臓器を必要となされた時、ドス黒く染まった汚らしい物は渡せないからだ。
 1つ、問題がある。
 それは、俺に「変態」の素質はないという事だ。
 人間の雄であるからして、人間の雌の裸を見れば当然ある程度の興奮はする。それは大脳辺縁系に深く深く刻み付けられた本能であるのだから、否定も出来ないし恥ずかしがる事もない。しかしお嬢様の仰っている「変態」、言い換えればHVDOが対象としている「変態」というのは、一般的な性的対象ではなく、もっと奇妙な、言い方を選ばなければ狂気じみた対象に対して、尋常ならざる執着を見せる人間の事を言っている。
 何の因果かお嬢様の学校には変態が多いらしく、究極のロリコン男である春木虎、ふたなり大好き娘音羽白乃、おっぱい偏執狂等々力新、そして柚之原を単独で撃破し、知らずに俺を助けた尿マニアの五十妻元樹と、実にバラエティーにとんだ輩が異常と考えるべき密度で集まっている。
 俺には、彼らのような「これだけは譲れない」という物がないのだ。
 確かに俺は、女の子のおっぱいが好きだ。お尻も好きだ。脚も好きだ。首筋も好きだ。匂いも好きだ。声も好きだ。……こう並べてみると、逆に俺の方が変態みたいだが、つまり何でもいいという事であり、上記のいずれか1つに特化した人間には情熱という点において到底敵わない。
 俺は申し訳がない気持ちで一杯になりつつもその旨を伝えると、お嬢様はこう仰られた。
「構わないわ。これはあなたみたいな『普通の人』をどうしたら変態に目覚めさせられるかの実験も兼ねているから」
 と、俺の運命は決定付けられたのである。


 変態になる為の訓練。
 という物が存在するのかどうかは分からないが、もしも存在するのだとしたら、それからの一週間で俺が受けた物がおそらくそうと言える。
 俺はようやく地下から開放され、日常生活を取り戻したが、お嬢様の支配はむしろ強まった形となった。執事としての仕事をこなし、一刻も早く周囲の信用を取り戻そうと張りきる所をちょうど捕獲され、お嬢様は自室に俺を拉致した。
 初日。
 まずは質問攻めから訓練はスタートした。性に目覚めたきっかけは何か。性的経験をどこまでした事があるか。異性のどんな所に強く興味を惹かれるか。いやらしい夢を見た事があるか。それはどんな夢だったか。夢精はした事があるか。どの程度の頻度でマスターベーションをしているか。また、その際には何を使うか。質問の総数は500を越え、その全てが性的な物だった。
 問題なのは、これらの質問を誰あろうお嬢様ご自身が俺にしてきたという事だ。冬休みを利用し、丸一日、付きっきりで、エロ質問とエロ回答をひたすらに繰り返したのである。お嬢様の口から卑猥な単語が飛び出す度、俺の愚かなる部位は微妙に反応し、立ち上がって存在を主張した。お嬢様も当然それには気づいているようだったが、あえて何も言われなかったのはまさしく恐怖といえる。好きとか嫌いとか、主従関係には必要ない物だと心得ているが、「……週に3、4回ほどです。主に漫画とか、画像とか、DVDを使います」とか正直に答える度に、自尊心が焼きたてクッキーのようにぼろぼろ崩れ落ちていくのをはっきりと感じた。
 男の羞恥など何の価値も無い事は重々承知ではあるが、とりあえず大声で言わせてほしい。
 恥ずかしすぎる!
 2日目。
 この日は、初日にした質問を元に、曖昧だった部分を確かめてみようという話だった。それはまあ、納得出来る。初日、確かに俺はいくつかの質問に対して「分からない」や「そうと言われればそうだと思う」といった曖昧な返事をしていたので、その辺の事をきちんと確認しなければならないのは、道理として分かる。しかし用いられた方法に関しては、甚だ納得のいくものではなかった。
「……納得できません」
 どうやらそれは俺だけではなかったらしい。「服を脱いで下着姿になりなさい」とお嬢様に命令された柚之原は、毅然とした態度で答えた。
「柚之原が私の命令に逆らうなんて、珍しい事もあったものね」
 微笑みながらそう言うお嬢様の横顔が、俺には一瞬だけ悪魔というか淫魔に見えた。サキュバスは涼しげに続ける。
「仕方がないじゃない。私が脱ぐのは別に構わないけど、どうやら友貴は私に『特別な感情』を持っているようだし、それだと正確なデータがとれない。例えばお尻を出しても、私に対して興奮しているのか、お尻に対して興奮しているのかが分からないでしょう」
「……それは、私も同じ事ではないですか」
 確かに、柚之原は俺を丸々1ヶ月の間幽閉し、「放置」という極上の拷問を施したいわば敵である。お嬢様に対する感情とは別でも、それも「特別な感情」と分類できなくもない。
「でも、柚之原がそうしたのは、罪を罰する為だというのを友貴は知っている。恨みはしてないんじゃない? そうよね?」
 俺は2人の顔色を伺いつつも、ゆっくりと頷いた。繰り返しになるが、俺のした事はそう簡単に許される物ではない。HVDO関係の事以外では、やはり柚之原は従順で優秀なメイドであるし、お嬢様に対する忠誠は、言葉にせずともひしひしと伝わってくる。正義のない怒りが意味を持たない事を俺は例の1ヶ月の間に悟っていた。
「柚之原、返事は?」
「……はい」
 結局の所、お嬢様の決定を覆す事など、出来る訳がないのだ。


 好きでもない男の前で、1枚1枚服を脱いでいく気分というのは一体どのような物なのだろうか。しかもその男を変態にする為に。男の興奮するポイントを調べるという性的にも歪んだ目的の為に、である。俺にはまるで想像もつかない。
 こんな時でも柚之原は、眉一つ動かさず、鋼鉄の仮面を被ったままで、一定の速度を保ち、服を脱ぐという作業を進めた。1度は命令を拒否した事から考えると、内心ははらわたの煮えくり返るような思いなのかもしれないが、それを表面にはおくびも出さない。というより、くやしがったり恥ずかしがったりする事によって、それを見た俺が愉しむのが許せないのかもしれない。とにかく柚之原は至って静かに、学校の制服より着慣れているであろうメイド服を脱ぎ終えた。
「これでよろしいでしょうか?」
 下着姿になった柚之原の姿を、お嬢様と眺める。
 まず最初に目に飛び込んできたのは、傷だった。
 柚之原の性癖が「拷問」である事は既に知っていたが、まさか自分の肉体さえもその対象であるとは、正直思ってもみなかった。どうやら柚之原の性癖は、単純に、人を傷つけるのが好きというだけではないらしい。「拷問」という行為その物に対するこだわり。変態には変態の美学があるのだろう。まだらの痣と、塞がったばかりの切り傷は、「変態とは……」と言葉より強く俺に教えてくれた。
 柚之原は、上下薄い水色の飾り気のない下着を着ていた。名状しがたい先入観から、てっきり黒一色だと思いこんでいた俺は、そのあどけないとも言うべき柚之原のセンスと普段のイメージとのギャップに衝撃を覚える。
 しかしあどけないといっても、それはあくまで下着の選択であり、その下にある肉体は十分に大人だった。
 同僚兼幼馴染み兼同じ人物に忠誠を誓う者同士として、柚之原の身体をそういった目で見る事は非常に辛く、気まずい事なのだが、悲しいかな俺の息子は正直で、そして柚之原は美しかった。
 見慣れない柚之原の素肌は、その顔や手と同じく新雪のように真っ白で、どこかに色素を置き忘れてきたのではないかと心配になるほどに薄かった。それ故に、傷が目立つ。
 同年代の女子の生下着姿など、そう多く見た事はないので断定は出来ないが、おそらく柚之原はかなりの痩せ型であるように思われた。両手の指を腰のあたりで組んで立っているが、腹筋の上にはあばら骨が浮いて見えた。鎖骨もはっきりと存在を主張しているし、恥骨のでっぱりも簡単に確認出来る。だからこそ、乳児なら万歳三唱レベルの胸の大きさがより際立ち、股の間からほんの少し覗く尻肉のボリュームに、なんだかよく分からないお得感を覚えた。


「その目、やめて」
 柚之原の台詞が俺に向けられている物だと気づくまでに、少しの時間がかかった。
「い、いや、俺は……」
 と何か言い訳をしたかったが、柚之原の肢体に俺が欲情していたのは揺るがせない事実だし、それを否定するのは今更天動説を唱えるようなものだった。何も言えず、目も逸らせずにいう俺に向けて、お嬢様は冷静に尋ねる。
「柚之原が服を脱いだ時、まずどこが目に入ったのか教えてくれる?」
 俺は少し迷ったが、正直に答える。
「……傷です」
「そう。私も同じよ」
 答えた後、何かを思うお嬢様の横顔を見て、俺はほんの一さじの安心感を覚えたが、次の質問がそれを見事に吹き飛ばした。
「興奮した?」
 俺はすぐ様否定をした。愚息とも意見は一致している。傷を見て、興奮する。確かにそれも変態の一種と言えなくないが、俺にその気はないらしい。
 なおも追撃は続く。
「そう。じゃあ次に気になったのはどの部分?」
 俺はこれにも正直に答える。
「……胸です」
 柚之原が、駐車場で干上がったミミズを見るような視線で俺を見る。精神の弱い人物ならこの時点で即死だが、なおもお嬢様からの厳しい質問は続く。
「胸を見て、どう思った?」
「……大きいな……と」
「それだけ?」
「……良いな……とも、思いました」
「どうしたいと思ったの?」
「えっ?」
「具体的に、柚之原の胸を見てどうしたいと思ったのか訊いてるのよ」
「……あの、揉んでみたいな、と……」
 何なんだこの状況は!
 俺は思わず叫びそうになった。
 メイドの下着姿を鑑賞しながら、お嬢様にその感想を求められ、それにひたすら答える。文章にしても全くの意味不明であり、マヤの遺跡からこんな文章の書かれた石碑が見つかったら、学会は休みにして教授みんなでハワイでバカンスするしかない。
「とりあえず、誰でもおっぱいは揉みたい物なのね」
 俺は嘘をついていた。実は生で見たい。とも、吸いつきたいとも思っていた。これは男の最後のプライドとして口にする事は無かったが、人類の半数の同意は確実に得られると思う。
「ふーん……それなら、柚之原か私のを試しに揉んでみる?」
「瑞樹様」
 お嬢様のまさかの提案に対し、1Fの間も置かずに待ったが入った。

     

 3日目。
 柚之原の身体を使った観賞会は、従者2人の協力体制による説得が功を奏し、かろうじて「観賞」の領域で止まり、俺は安堵9割惜しさ1割といった気分で、3日目の変態訓練を迎える事となった。というより、お嬢様自身もほとんど冗談で言っていたらしく、それはカリキュラムの過激化も同時に意味していた。
 結果から言えば、初日及び2日目の口頭質問において、俺の中に眠る異常性はやはり発見されなかった。よって、未だどのような性癖を俺が持っているかは、俺自身でさえ分からないままとなり、訓練は続行するのである。
 期待に答えられない不安と、自分が変態ではないという安心に挟まれながら、俺はお嬢様の部屋のドアをノックした。
「今日は少し、二次元に足を伸ばしてみましょうか」
 気軽な感じで述べられたお嬢様の台詞に、俺はいよいよ日本の変態技術が二次元への扉を開いたのかと浮き足だったが、もちろんこれはただの言い回しだった。
 お嬢様のベッドの隣にある、俺が五十妻への手紙を発見した小机の1番上の引き出し。その裏につけられたスイッチをお嬢様が押す。すると巨大なベッドが音をたてずにゆっくりと横にずれ、空いた場所には大きな「穴」が現れた。
「ついてきて」
 お嬢様はそう言い、足からその穴に身を投じる。のぞき込んだが、中は長い滑り台のようになっており、あっと言う間にお嬢様の姿は見えなくなった。
 いつの間にか部屋にいた柚之原に促され、俺もその穴を落ちる。バットマンかアダムスファミリーでしか見たことのないような機構を辿り、たどり着いた先は、エロエロ合衆国の国会図書館だった。
 一定間隔で並べられた背丈を越える大きさの本棚は2列でどこまでも続き、所々にティッシュの箱がおいてある。照明は暗めで、窓もないので、ここが屋敷のどのあたりの位置にあるかも分からない。おそらく地下だろうが、ここは屋敷の主でさえ知らない聖域なのだろう。
「ワニマガ、コアマガ、茜新社、三和出版、桜桃書房、幻冬舎……あらゆる出版社の発行している成年雑誌とコミックスがここには揃ってるわ。ジャンル、作者ごとの検索はそこのiPadで。ここに無い物は無いと思うけれど、そのまま注文もできるから」
 俺は素朴な疑問を投げかける。
「あの、これらは全てお嬢様が1人でお集めになられたのですか?」
「ええ、そうよ」と、お嬢様はあっさりと答える。
 予想だにしないレベルの、むっっっっっっっつりスケベだったお嬢様は、こう補足する。
「私が好きなのはもちろん露出モノだけれど、読んでいる内に、露出モノを描いている作者の別の作品も気になって、手を出すでしょう? そうなると、その作品が連載している雑誌自体も気になって手を出して、結局全部集めるのが1番手っとり早いという結論に至った訳。ここは漫画だけだけど、他にも映像資料室と、実写本の本棚があるから、気になったら遠慮なく言ってね」
 ご多忙な日常の中で、一体どうやってここまでの規模の物を作り上げたのか。不思議でならないが、それがお嬢様なのだろう。


「さて、それじゃあ時間もない事だし、早速私のおすすめを選ぼうかしら」
 そう言うと、お嬢様は慣れた調子でエロ本を棚からどんどん抜いていき、俺に手渡していった。どんどん高く積まれていく本はほとんど初見の物ばかりだったが、中には既に知った物もあったので、それは無言で返した。
 柚之原はというと、この場所に来たのは俺と同じく初めてらしく、女の裸が乱舞する本棚を、築地でマグロを吟味する業者のような冷静な目で眺めていた。
「柚之原も、気になった本があれば貸してあげる」
 とお嬢様が仰り、柚之原は頷き、1冊の本をとった。やはり、というべきか、表紙を一目見れば幼稚園児でも察するレベルのどぎついSMモノだった。
 これ以上は脱臼するというぎりぎりまで俺の腕に本を積んだお嬢様は告げる。
「渡したのは明日までの宿題ね。持ち帰って必ず隅々まで読みなさい」
 どうやら、この量はまだ、お嬢様にとっては基礎知識の範疇らしい。そう悟った瞬間、俺は徹夜を覚悟したが、これらの本を使って悠長にヌいている余裕はおそらく無い。
「気になる本はある?」
 受け取った宿題はとりあえず隅に置き、俺とお嬢様は淫乱図書館の閲覧を開始した。
 ここが町の本屋で、お嬢様が変態ではなくて、そして俺がお嬢様の恋人だったら、この風景はさぞかし一般的なカップルの日常に過ぎなかったはずだ。想像するのさえおこがましいような理想が頭によぎり、俺はそれをすぐ様振り切り、目の前の雑念と煩悩が具現化したような聖物達に集中する。
 結論を言えば、ここでも俺の性癖は見つからなかった。どの本も、一定量の興奮は覚えるものの、「これぞ」という物は見つからない。というより、果たして性的趣向という物は、そういった「閃き」のような形でやってくるのだろうか。気づくと身について、逃れられない物ではないだろうか。疑問に思った俺は、お嬢様に尋ねてみた。
「……お嬢様は、『露出』に目覚めた時どんな気分になりましたか?」
 後から思うに、これは相当に恥ずかしい質問だったが、お嬢様は真面目に答えた。
「そうね……本当の自分を見つけた気分、かしら」
 本当の自分がよりによって「露出狂」かい! と内心では思ったが、お嬢様の言葉が正しいとすれば、やはり俺はまだ、自分の本当の性癖に出会ってない事になる。
 いや、というよりも、俺はお嬢様に忠誠を誓い、この身を捧げる事で生きる意味を得ている。であるならば、本当の俺は今ここでお嬢様の命令に従っている俺でしかないのではないだろうか? となると、俺の性癖は、お嬢様への「服従」にあたるのだろうか。
 その気づきを、俺はお嬢様に伝えようとしたが、ぎりぎりの所で踏みとどまった。俺は既に、乙女にとってはとてつもなく大切な物をお嬢様から無断で奪ってしまっている。ファーストキスの味は背負いきれない罪悪感だった。
 本当の自分、とやらに目を向けるのであれらば、あの瞬間に首をもたげた邪な想いと邪悪な衝動は無視する事は出来ない。俺は理屈を無視する偽善者にはなりたくないのだ。
 まだしばらく、俺が変態になるには時間がかかりそうだ。と予感した所で3日目は終了した。


 4日目。
 お嬢様から頂いた宿題を終わらせた俺は、数多の名作を読んだ事により、溜まりに溜まったリビドーに悩まされつつも、再びお嬢様の部屋を訪れた。
「感想は?」
 と訊かれ、
「全て良かったです」
 と正直に答えると、お嬢様は少し悲しそうな顔をしたので、その瞬間に俺の脳下垂体は青ざめ、淫欲は散った。
「やはり駄目、ね……」
 お嬢様は机に頬杖をついて呟き、手帳を開いた。見る勇気はないが、さぞや恐ろしい訓練内容が羅列されているに違いない事は分かる。
「こうなったら『決め撃ち』しかないかしら」
「決め撃ち……?」
「ええ」
 お嬢様は立ち上がり、当然の事だが俺の了承などいちいち取らず、机の中から、これからの訓練においてキーとなるアイテムを取り出した。
「それは……20面ダイス、ですか?」
「あら、よく分かったわね」
 20面ダイスは、その名の通り面が20あり、振れば1から20までのいずれかの数字が出るサイコロの事だ。1面が正三角形で出来ている正多面体で、TRPGや一部のマイナーなギャンブルで使われており、歴史は意外と古く、確か古代ローマには既に存在していたらしい。三枝家のコレクションルームで見た。
「変に私の先入観が入ってもいけないし、あなたに好みがないというのなら、これでランダムに決めてしまおうと思うの」
 まだ言っている意味の飲み込めない俺は、お嬢様の手の上で転がされている俺によく似たそいつを見つめた。一見も二見も、何の変哲もない数字の書かれたダイスだ。
「対応する性癖は、こっちに書いておいたわ」
 そう言って、お嬢様は手帳から1枚紙を引きちぎり、ダイスと一緒に俺に手渡した。行を追う度に、少しずつ事態が飲み込めてくる。

 1.下着 
 2.緊縛
 3.剃毛
 4.コスプレ
 5.遠隔ローター
 6.赤ちゃん
 7.浣腸
 8.スカトロ
 9.催眠
10.電気
11.アナル拡張
12.自慰
13.脚
14.ラバー
15.痴漢
16.撮影
17.ごっくん
18.顔射
19.目隠し
20.キス

「瑞樹様!」
 またもやいつの間にか部屋にいた柚之原は、俺の手にした手帳の切れ端を後ろから覗き込み、声をあげた。一昨日の、おっぱいを揉む提案よりも厳しめの、より本気で何かを止めようとする口調は、柚之原の方がやはり事態の把握が早かったという事に他ならない。
「理解できた? ダイスを転がして、出た目の行為をするのよ」
 その言葉に、俺は再び手元に目を落とす。そこに書かれていたのは紛れもなく変態プレイの一覧。仮にベテラン風俗嬢が相手だったとしても、これを全部やってくれと頼んだら店長を呼ばれるのは間違いない。
 脳裏に浮かんだ「相手」という言葉に俺は一瞬たじろぐ。いやいや、まさか。
「もちろん、友貴と柚之原、あなた達がね」
 柚之原の表情が、変わった。俺は地獄の釜の蓋を開けてしまったような気分になり、背筋が凍り付く。
「申し訳ありませんが、その命令は受け付けられません」
 機械じみた抑揚のない声で柚之原がそう言うと、今度はお嬢様の表情も変わった。地獄の釜の底では、あらゆる災厄がじっくりことこと煮込まれていた。
「そう。拒否するのね。なら、出ていきなさい」
 物心つく前から長らく仕えてきたが、お嬢様が他人に対してここまで厳しく言うのを聞いたのは初めてだった。しかも相手は、1番に信頼を置くメイドの柚之原である。耳を疑ったのは、俺だけではなかった。
「……今、何と仰いましたか?」
「言う事が聞けないのなら、出ていきなさいと言ったの」
 聞き間違いではなかった。
 俺はおそるおそる、柚之原の顔をのぞき込む。
 ……柚之原は、泣いていた。
 かろうじて唇を噛みしめ、崩壊は食い止めているが、目尻からは途切れる事なく光る水が流れている。どうしていいのか分からないのだろう。俺も同じだ。
 お嬢様は、わがままを言う事はあっても、人に「出ていけ」などと言う人ではなかった。しかしそれを言うならば、柚之原も今までお嬢様の命令に逆らう事など1度も無かった。おあいこという事なのだろうか。いや、これはそんな単純な問題ではない。
「どうするの? 柚之原。友貴と変態プレイするか、ここを出ていくか。2つに1つよ」
 柚之原は答えられない。かといってそこから動く事も出来ない。柚之原が泣いている所など俺は初めて見た。おそらく本人も同じだろう。
 俺は止まった呼吸を取り戻し、立ち上がった。そして考えもなしに、何かを喋りだした。それは実に突拍子もない、なおかつ危険な提案だった。
「か、賭けをしませんか?」
「賭け?」
 お嬢様が首を傾げる。俺は無我夢中になりながら、手当たり次第に言葉を繋げる。
「柚之原、お前は『拷問』好きの変態なんだよな? なら、俺の身体でよければ、好きに使って拷問していいよ。もちろん俺も拷問を受けるのは嫌だ。けれど、柚之原も俺といやらしい行為をするのは嫌なんだろ? だ、だからつまり、その、機会を公平にしようじゃないか。ちょうどサイコロがある。丁か半か、つまり出た目が奇数か偶数かをお前が宣言して、当たったら俺の身体を好きに使えて、外れたらお嬢様の指示に従う。……それで、どうだ?」
 言い終わった後、俺は自分の言った事を整理した。お嬢様がダイスを転がし、その目の奇数偶数を柚之原が予想する。当たれば俺を拷問に処し、外れればお嬢様の指示に従って、出た目の変態プレイを俺とする。天国と地獄の確率は、2分の1。……天国も、少しすれば地獄に変わるかもしれないが。
「面白いわね」
 お嬢様は楽しげに言った。
「人間、追い込まれると何を思いつくか分かったものじゃないのね。私は友貴の提案でいいわ。もしかして友貴がM系の性癖なら、柚之原の拷問によって『目覚める』かもしれないし」
 俺は柚之原を見る。涙は止まっていないが、表情はいつもの堅さを取り戻していた。
「……分かりました。でも、命の保証は出来ません。それでも良いですか?」
 それが脅しや駆け引きの類ではなく、ただ、危険性を述べているのみだという事は分かった。
 お嬢様の表情を伺う。俺に期待をする目だ。もう俺は、逆らえない。
「構わない」
 そして俺はお嬢様にダイスを返した。

     

 ダイスはお嬢様の手を放れ、運命を巻き込みながら3度、4度と回転し、20ある内の1面を天に向けて仰いだ。
 出た目は11。
 数字に対応する変態プレイは、「アナル拡張」。そして柚之原が宣言したのは、「偶数」だった。
 何者かの執念が宿ったようなダイスの目をじっと見つめて、俺は硬直する。というより、顔をあげて柚之原を確認する事が出来ず、本能的に顔を伏せる。動けなかったのではなく、サバンナで、近くにサライオンがいるのに気づいていても、ぎりぎりまでガゼルが逃げないのと同じ理屈で動かなかったとも言える。
「柚之原、あなたの負けね」
 柚之原がサバンナライオンだとするならば、お嬢様はファイレクシアンドレッドノートだった。そもそもサイズが違うので勝負にならない。
「……はい。負けました」
「という事は、分かっているわよね?」
「……はい」
 俺はまだダイスの目を見ていた。とりあえず自分をガゼルに例えて行動に正当性を持たせてみたが、その実俺はただ恐ろしすぎて顔を上げる事が出来なかっただけだ。こんな事ならいっそ、俺が拷問を受けた方がましだったかもしれないくらいに思ったが、「命の保証はない」という先ほどの台詞を思い出すと閉口せざるを得なかった。何せ平気で人をあの部屋に1ヶ月放置出来る残酷性を持った奴だ。殺すくらい訳がないだろう。
「今更、嫌だとは言わないわよね?」
 お嬢様の容赦ない責めが聞こえる。
 柚之原は何も言わなかったが、返事はした。これ以上ないほど、実に分かりやすい形で。
 がさごそと布の擦れる音がして、まだ俺は顔をあげられなかったが、ダイスに1枚の布きれがかかって目を隠すと、俺はそこから更に顔を背けずにはいられなかった。柚之原のパンツを見るのは、これが人生で2度目になるが、今回のも前回と負けず劣らず、意外と幼児趣味な黄色いストライプだった。
 俺は柚之原のパンツからも逃げるように顔をあげる。逃げた場所からも逃げ、罪悪感と後悔のトンネルを抜け、辿り着いたその先は小さな小さなトンネルだった。
 柚之原が、足を肩幅程度に広げ、壁に片手をつき、顔を下に向け、長いスカートを捲りあげて、丸出しの尻をこちらに向けている。壁についていない方の手は前から性器を抑え、見せないようにと努力している。
 その姿は何者かに許しを乞うようでもあったし、逆にこちらを挑発しているようでもあった。
 付き合いの長いこの俺でも、柚之原はよく分からない性格をしている。お嬢様への忠誠は本物だと思うが、それが果たして三枝家への恩義から来る物なのか、それともお嬢様自身への好意から来る物なのか、はたまたその両方なのか。2人きりで話した事もなければ、どこかへ一緒に出かけたりする事もなく、ただ仕事を一緒にこなしているだけでは深い所まではどうしても分からない。食べ物の好き嫌いはなく、いつも無口の無表情で、すべての仕事を卒なくこなし、お嬢様には絶対服従。しかし裏の顔は拷問好きの変態で、お嬢様に害する人物に対しては容赦なく制裁を加える。HVDOについてはお嬢様よりよく知っている癖に、未だ多くを語らない。整理すればする程、実に不思議で、なんとも分かりにくい人物だと言える。
「友貴、何をぼーっとしてるの?」
 お嬢様に声をかけられ、俺は改めて現実を認識する。
 俺はこれから、そんな奴の尻の穴に、手を加えなければならないのだ。


 柚之原の尻へと近づく1歩1歩を踏みしめる気分は、死刑台へのそれに近かった。何をこんなに恐怖しているのか。「自分のアナルをいじられる訳ではなく、他人の、それも滅多にいない美少女のアナルをいじれるのだから、喜びこそすれ落ち込む必要はあるまい」という意見ももっともだが、事はそう単純ではない。
 さっきはあれだけダイスを転がすのを嫌がり、俺との変態プレイを拒否していた柚之原が、いざ目が出ると何の抵抗もなく、自ら尻を晒したという奇妙な事実が俺の心には引っかかり続けていた。柚之原は俺の苦肉の提案を受け入れ、賭けに乗った。俺としては、お嬢様と柚之原の仲違いを防ぐ為の緊急措置だったが、おそらく柚之原はそう思ってくれていない。
 俺は柚之原の丸い尻を見ると、どうしても想像してしまうのだ。俺に対する負の感情。いつか復讐してやるという覚悟。「賭けに乗り、負けたのは認めるが、生かしてはおけない」という無言の圧力。柚之原がここまで潔いのはおそらく、「拷問」に対する誇りがあるからだ。
「何をもたもたしているの? まずは軽くマッサージからしてみましょう」
 お嬢様の指示に躊躇はない。そしてマッサージという言葉の意味は、不真面目な方のマッサージで間違いない。
 気づくと俺と柚之原の距離は手が届く範囲まで縮まっていた。表情は見えないが、柚之原の様子に異変はない。肩を震わせている訳でも、汗をかいている訳でもなく、それがまた逆に怖いのだ。
「やり方が分からないの?」
 いつの間にか、お嬢様は俺の真後ろに立っていた。振り向こうとしたが、腕をとられ、身体の向きは柚之原の方へと固定される。そしてお嬢様の支配下に置かれた俺の手はそのまま、柚之原の尻の上にぽんと乗せられた。
 吸いつかれた。と、俺は錯覚した。柚之原の極めて白い肌は見た目以上にきめ細かく、俺の手の平の皮膚を捉えて離さない。見た目も感触も、ありきたりかもしれないが餅に例えるのが1番しっくりと来る。
 動揺しまくりの俺を気にせず、そのままお嬢様は俺の手を取り、尻の割れ目へと移動させた。お嬢様の細い手と、柚之原の尻の弾力に挟まれながら移動する俺の手は、おそらく今世界で1番幸せな手と言えたが、俺自身の感情はまだ複雑だった。
 本当にこれから、俺は柚之原の尻の穴をいじるのか? これは夢か。だとしたら悪夢か、それとも淫夢か。どうしてこんな事になったのか。しかし現実は音もなく進行する。


 目の前で見た柚之原の尻の穴は、花のつぼみのようでもあったし、菊の花その物のようでもあった。古くからの表現は実に的を得ていて、改めて納得させられた。柚之原の皮膚が高級で上質な布だとしたら、尻の穴はそれを張りつめて留める為の箇所であり、肛門など、肉体のあらゆるパーツの中で最も汚い箇所だとついさっきまで考えていたが、この美しくも重要な構造に触れる事は、紛れも無い悪の行為のように俺は思った。
 それがあながち間違っていないという確信を俺は徐々に得る。出た目は「アナル拡張」決していじるだけでは済まないのだ。柚之原の肛門を、俺の手によって広げなければ、お嬢様は満足してくれない。俺はお嬢様への無断キスの他に、もう1つ非常に重い罪を背負わなければならないのだ。目が出た以上、こっちの行為の方がまだ正当性があるように感じるが、取り返しのつかなさは言うまでもない。
「もたもたしないで。これから色々としなければならないのだから時間が惜しいわ」
 柚之原の収束点に、俺の親指が触れる。細かい皺の感触と、そこを辿った先にある確かな凹み。「普段、柚之原はここから……」と、止むを得ず俺は想像してしまう。
「そのまましばらく適当にほぐしていなさい。私は器具を取ってくるから」
 お嬢様の手が俺の手を解放したが、代わりに命じられた任務は俺の手に休む事を許さなかった。お嬢様が部屋から出ていき、2人きりになった後でも俺は、柚之原の肛門の感触を指先で味わいながら、何度も何度も心の中で謝っていた。
 柚之原が顔をあげず、何も言わないのは唯一の救いだった。どんな顔で見ればいいか分からないし、何を言われたとしても何と答えていいか分からない。ただ俺は機械的に柚之原のアナルマッサージをする事によって、かろうじて正気を保っていられた。俺の指先が、柚之原が性器を抑えている中指の指先に触れる度に、申し訳ないという気持ちはどんどん大きくなっていったが、やめる訳にもいかなかった。
 3分程だっただろうか。もっと長く感じたが、おそらくそれくらいの時間で、お嬢様は両手で大きな段ボールの箱を抱えて戻ってきた。手伝おうかとも思ったが、マッサージをやめれば怒られると思い直した。お嬢様が箱を床に置いた時、どん、と重量感のある音がして、中で沢山のプラスチックが音をたてたのを聞いて、もし俺に腕がもう1本あったなら、手伝うべきだったか阻止すべきだったかと少し悩んだ。
「少しはほぐれてきた?」
 俺は指先の感触に集中し、確認する。先ほどよりは、かなり皮膚が緩くなった気もするが、はっきり断言出来る程ではない。
 お嬢様は俺の隣にきて、顔を柚野原の尻に近づけて、まじまじと穴を見た。
「駄目よ柚之原。もっと力を抜きなさい。それじゃいつまで経ってもほぐれないわ」
 言われてようやく俺も気づく、確かにこのサイズで大は出そうにない。
「……はい」
 遠く彼方からか細い返事が聞こえ、一呼吸置いてから、柚之原の尻の穴から力が抜けていった。穴が広がり、あやうく指先が吸い込まれてしまいそうになったので、俺は驚いて手を離した。
「友貴も。きちんとやりなさい。これはあくまでもあなたを変態にする為の訓練なのだから、ダイスの目が出た以上、あなたは『アナル拡張』好きの変態になるのよ? 分かっている?」
 毅然と言い放つお嬢様は、今まで俺が見てきた中でも1番真面目な顔をしていた。俺はそれが妙に悲しく、もう既にお嬢様が別の意味で俺の手の届かない領域にいる事を実感したが、しかし感傷に浸っている暇はなかった。
「次はローションね」
 お嬢様は箱の中から赤くて丸いキャップをしたプラスチックの透明の瓶を取り出した。そして蓋を開け、酒でも注ぐように俺の方に向かって傾けた。俺が反射的に手の平を差し出すと、ローションがとろりと垂れて水たまりを作った。
「この作業をきちんとやっておかないと、柚之原はこれからもっと痛い思いをする羽目になるんだから。しっかりとやるのよ」
 俺はこくりと頷き、ローションを手の平の上で滑らせ、人差し指と中指と薬指の方に移動させる。そしてそのままそれを、柚之原の尻の穴に着地させる。
 一瞬、びくんと柚之原が身体を揺らした。おそらく冷たかったのだろう。手の平にお嬢様がローションを垂らした時、俺も冷たいと感じたが、尻の穴ならばより強く冷たさを感じたはずだ。欲を言えばあらかじめ暖めておいて欲しかったが、一体どこに保管していたかも分からないし、今更だな話だ。
「柚之原、大丈夫か?」俺は思わず声をかけたが、返事はなかった。
「大丈夫。いくらお尻の穴が広がったって、死にはしないわ。気にせず進めなさい」
 完全に仕事モードに入ったお嬢様は、無慈悲にも俺に作業の進行を促す。俺は言われるがまま、ローションでぬるぬるになった柚之原のアナルの周りを、先ほどと同じようにマッサージしていく。しかしローション越しのそれは、先ほどとは明らかに感触が違っていて、危険度も増していた。ギリギリ周辺を攻めているつもりでも、気づくと俺の指は滑って肛門にダイレクトアタックしてしまい、その度に「今のは事故だ」と大声で言いたかったが、それも許されない空気をお嬢様が隣で放出していた。なので俺はただ粛々と、柚之原の尻の穴に親指や人さし指の先端をほんの少しだけ入れたり出したりし続けた。
「大分ほぐれてきたみたいね」
 お嬢様は柚之原の肛門をじっくりと観察してそう言う。お嬢様が言うのだから間違いはないのだろうが、正直俺は極度の緊張でそのように冷静な判断は出来なくなっていた。
「そろそろ親指の付け根くらいまでは入るんじゃないかしら」
 科学博物館にやってきた夏休みの小学生のような無邪気さでお嬢様はそう言うと、今度はローションを尾てい骨の辺りに向けて直接垂らした。ローションは割れ目を伝って俺の指に到達し、俺の指を伝って穴へと侵攻していった。柚之原がもう1度、身体をびくつかせる。こんな事態にも関わらず、声1つあげずに、ただ2度だけしか身体も反応を見せないというのは、柚之原の精神力の強さによると言わざるを得ない。
 俺はいよいよ親指に力を込める。しかしその感覚は、「お嬢様に言われたから」だとか、逆に「柚之原を恐れているから」といった真っ当な気持ちによる物ではなかった。
「あら、反応してる」
 お嬢様の指摘が、柚之原の肉体についてではなく俺の股間にぶら下がっている馬鹿に向けてであると気づいた時、なんともいたたまれない気分になった。俺は確実に興奮している。幼馴染だが恋人ではない女のアナルを弄って、俺の性欲は爆発してしまっているのだ。
 次の瞬間、「絶対に押すな」と大きくかかれた真っ赤なスイッチを押すような気分で、俺はぐっと親指を前に突き出した。

     

 柚之原の尻の穴に指を入れた感触を言葉にして伝える事は、実際の所そこまで難しくはない。過去に俺が触った事のある物を例に出したり、温度がどうとか湿り気がどうとか、とにかく表現を重ねて重ねていけば、かなりの細部までその様子は伝わるはずだ。
 しかしながら、「柚之原のアナルの感触を表現する」という行為その物が、見過ごせない程に下品で下賎で下劣な行為だと俺は思う。これまで体験した事のないであろう屈辱に黙して耐える柚之原の気持ちを無視してまで、そのちっぽけな語彙力を尽くすような行動をとる事は、曲がりなりにも日本男児として育てられてきた俺には、出来なかった。最低限の男気という物だ。
「どんな感じ?」
 お嬢様の質問に、俺は答える。
「暖かいというより熱いくらいです。ローションが馴染んでいるからだと思いますが、湿ってぬるぬるしています。例えるなら、生肉……いや、というより粘土ですかね。保管箱から取り出したばかりの陶芸用の粘土みたいに、少し指を動かすと抵抗がありつつも変化してくれる感じです。あと入り口の方は、柚之原の呼吸に合わせて微妙にひくついています。こちらの指の動きに合わせて、たまに締め付けたりもしてくるんですが、関節を少し曲げたり捻ったりすると、力を抜いてくれるみたいです」
 お嬢様はほんの一瞬、呆けたような表情を見せたが、すぐに手で口を抑えて、声を出さずに笑った。
「やっと成果が出てきたみたいね」
 客観視。というのは何をやるにも最低限は必要なスキルだと思う。料理は作っている本人が一番美味しく感じる物だし、背景を描いてる最中はどこのパースが狂っているかなどなかなか分からない物。
 その辺を踏まえた上で、俺は俺の持つ客観視スキルを極限まで発動してみた。
 お嬢様の隣で、尻を丸出しにした使用人のアナルに親指を突っ込み、ペニスをぎんぎんに勃起させながら、中の感想を饒舌に述べている。
 まさに変態だ。
「気のせいかしら、ちょっと似てきたわね」
 誰にですか? と問うべきタイミングだとは俺も思ったが、確実に変態になりつつある自分を見つけてしまった事の方が俺には驚愕で、思わず一気に指を引っこ抜いた。
「い、いや、その、こ、これはですね……」
 何をどう言い訳したいのか、言い訳した所で何になるのか。俺の舌はもつれにもつれ、その辺の床に転がった。
 情けない俺を他所に、お嬢様は何か不吉な良い事を思いついたようだ。
「ねえ、これは私の全くの個人的趣味で、本来の目的とは何ら関係無いのだけれど」
 と、前置きし、
「その親指、私に舐めさせてもらえない?」


 俺は、さっきまで柚之原の体内にあった自らの親指をたてて、まじまじと見つめた。何がグッジョブなものか、と脳内でひとりごちると、柚之原が叫んだ。
「瑞樹!!」
 俺は柚之原が叫ぶのも初めて聞いたし、顔を真っ赤にしているのも初めて見た。
 しかしお嬢様を呼び捨てで「瑞樹」と呼ぶのを聞いたのだけは初めてではなかった。
 お嬢様はそこそこに驚いたらしく素早く瞬きをした。
「何年ぶりかしらね。あなたが私を名前で呼ぶのは」
 お嬢様の言葉に、郷愁の色が映る。
 柚之原は、俺の1つ年上なので、お嬢様からすれば2つ年上という事になる。年の差という物は、数が大きくなればなるほど気にならなくなってくるが、まだ一桁の頃の2歳差は途方もなく大きい。
 お嬢様がお医者さんごっこをこよなく愛し、今となってはありえないクマちゃんパンツに身を包んでいた頃、柚之原はお嬢様にとって、「お姉ちゃん」のような存在だった。と、俺は記憶している。
 柚之原が無口なのは元々だったが、表情は今より大分柔らかかった。時々は口角をあげて笑い、怪我をすると涙目になるくらいの変化はあった。寮での躾はそれなりに厳しかったが、必死に堪える柚之原の姿は、「妹に格好悪い所を見せられない」お姉ちゃんその物だった。
 柚之原が今のようなロボットメイドを演じるようになったのは、小学校にあがってしばらくしてからだろうか。お嬢様を瑞樹「様」と様付けで呼び始め、淡々と命令をこなす事に徹するようになり、ますます口数は減った。
 まあ、気持ちはわからなくはない。お嬢様と、俺や柚之原では住む世界がそもそも違うのだ。かたや家系図が鯉のぼり3匹分ある家の正当後継者である娘と、親の顔すらまともに知らない人生のアウトサイダーでは、持っている過去も、待っている未来も当然違う。
 柚之原のお嬢様へ対する忠誠が本物であると理解したのは、柚之原の双子の妹と父親が突然現れ、引き取ると言い出した時に、柚之原がそれを真っ向から拒否した時の事だった。先にも述べた通り、三枝家に引き取られた孤児は、いつでも希望すれば独立出来るので、柚之原が家を出ていく事自体は何の問題もない。がしかし、柚之原は三枝家に一生を捧げる事を選んだのだ。
 これはただの勘違いというかある種の願いかもしれないが、俺は思う。柚之原が屋敷に残る事を1番喜んでいたのは、お嬢様ではなかっただろうか。
「とても懐かしいわね」
「瑞樹……様」
 2人の間に、とてもじゃないが俺の立ち入れない空気が流れていた。きっと、お嬢様は一人っ子だから、姉として振る舞う昔の柚之原も好きだったのだ。しかし柚之原はその立場と身分をわきまえ、使用人に徹する事に努めてきた。
「……さっきは、ごめんなさい」
 お嬢様がそうぽつりと呟いた。「命令に従えないのなら出ていけ」というあの言葉の事を詫びているのだろう。柚之原は激しく首を横に振り、笑ってしまうほどにぎこちない、ほんのひとつまみの笑顔を浮かべた。お嬢様は柚之原を、柚之原はお嬢様を見ている。今までもずっと、これからもおそらく、ずっと。
 完全に観客となった俺は、こみ上げるもあって思わず泣きそうになったが、ふと自らの親指の爪が視界に入って我に返った。
 うんこついてる……。
 いや、ほんのちょっとなのだが、普通に生活していたら付着しないであろう茶色いカスが、爪の内側に入ってしまっているのだ。
 そりゃ尻の穴へ割と深めに指をつっこんだのだから、こうなるのはむしろ自然というか、仕方のない事なのだが、いかんせん今の今まで感傷に浸っていただけに、このがっかり感は半端ではない。
 しかもお嬢様が、この指を舐めようとしていた事もついでに思い出してしまった。どんだけ性的好奇心が旺盛なのか。それともあれはお嬢様なりの変態ジョークだったのか。柚之原が止めなかったらマジで舐めていたのか。それはそれで見たかった気もする俺は今どのくらいやばいのか。
 疑問はつきないが。柚之原はその後腹痛を訴え、お嬢様が「とりあえず、出してしまってから続きをしましょうか」と言ったので、俺は手を洗いに行った。


 通常時の2.5倍のミューズを使って手を清めた俺は、お嬢様の部屋に戻った。すると、これまた一体どこから取り出したのか、病院(それも極めて限られた科)にしか置いていないような移動式の特殊な椅子が、お嬢様の部屋のド真ん中に威風堂々と設置されてあった。
 その椅子がどう特殊かというのは、そこに座った柚之原の体勢を見れば一目瞭然。平たく言えば「変態御用達」である。
 両足を90度近く横に広げ、大股開きの状態で、腰は椅子に深く沈んでおり、足を乗せる台は肩よりも高い位置にあるので、必然的に局部は丸出しの状態になる。
 両手は肘掛けにおかれ、背もたれもあるので、下半身以外は非常に座り心地が良さそうなのだが、今度は先ほどの柚之原の体勢と違って、尻と顔が同じフレームに収まってしまう卑猥な状況。更に柚之原の局部には前張りが張られ、総合的ないやらしさは8割増しと来ているからますます手がつけられない。
「これから色々とやるのに、こっちの方が辛くないと思って」
 まるでそれが親切みたいな言い草のお嬢様に呆れつつ、俺は柚之原の表情とご機嫌を伺う。
 仲直りしたとはいえ、お嬢様による俺の変態訓練は未だ続行しており、柚之原の賭けの負け分も支払いを終えていない。つまり状況はちっとも好転していないのだ。びっくりした。
「さ、どれから試してみましょうか」
 椅子の隣の机には例の段ボール箱が乗せられ、今度は中身がちらりと見えたが、混沌すぎて、「おぞましい」の一言でしか表現できない状態だった。
 それを見ても、お嬢様を見ても、尻の穴をガン見する俺を見ても、顔色一つ変えない柚之原はやはり凄い。確か、某有名AV女優の名言に「お前が深淵を覗き込む時、深淵もまたお前を覗き込んでいるのだ」というのがあるが、柚之原は拷問のスペシャリストであるがゆえに、拷問を受ける事に対してもなかなかの覚悟を決め込んでいるようだ。
「指はさっき入れたから、今度は舌を入れてみるというのはどうかしら?」
 さらりと提案したお嬢様。俺は柚之原を再度見たが、変化はない。
「構わないわよね? 柚之原」
 同意を求めるだけまだ優しくなったと言えるのか。むしろ同意を得る事によって辱めているのかの解釈は自由だ。
「はい。構いません」
 え、良いの!? と身を乗り出しかけたが、柚之原は言葉を続ける。
「賭けに負けた以上、私のお尻の穴は好きにして頂いて結構です。その代わり、1つお願いがあります」
 お嬢様が愛しげに柚之原の恥ずかしい姿を眺め、「なぁに?」と甘く尋ねて、髪を触る。
「明日、もう1度先ほどの勝負をしてください」
「勝負というと、偶数か奇数かの賭けの事?」
「はい」
 お嬢様は少し悩んで、答える。
「別に良いけれど、友貴の性癖はアナル拡張に決定された訳だから、もし明日またあなたが負けてしまったら、今日より過激な事をする事になるけれど?」
 俺の自由意思は一体どこに……と思っている間に、柚之原は「構いません」と同意する。
 ああ、完全に殺す気で来ているな。と、俺は確信を得る。
「乙女心というやつね」
 うふふと笑うお嬢様。
 自分の恥ずかしい姿を知っている人間を、この世で2人から1人に減らそうという想いの事を乙女心と呼ぶのなら確かにそれはそうだろう。だが俺から言わせてもらえれば、そんな恐ろしい乙女はいない。目の前の2人を除いて。
「勝負さえ約束していただければ結構です。お好きにどうぞ」
 淡々と、仕事の一部とでも言うように、柚之原は生尻をこちらに向けながら、堂々と、まるで真剣勝負の前の侍のような潔さで俺を睨んだ。
 よし、そこまで言うのなら、やってやろうじゃないか。
 俺もいよいよここにきて、腹を括らざるを得なくなった。
 柚之腹のアナルを開発し、俺は真の変態となり、そして超能力を得てお嬢様に捧げる。そういう仕事だと思って割り切ってしまえばいい。
「では、遠慮なく」
 セカンドキス、という物があるかは分からないが、もしあるのだとしたら俺のそれは柚之原の肛門だった事になる。悲しい事なのか喜ばしい事なのか、今の俺には判断がつかない。
 結局その日は、ローション以外の道具は使用される事はなく、半日ほど柚之原の尻の穴を舐めたり、指を入れたり、光をあてて覗いたり、くんくんと嗅いだりして過ごした。その間、俺はずっと勃起しっぱなしだったが、自分で処理するので1人にしてくださいと言い出す勇気が持てず、夕方になって解放されると、自室に戻り狂ったように自慰行為に興じた。柚之原のアナルは既に俺の脳に同じ形の皺として刻まれていたのでおかずには困らなかったし、別れ際、お嬢様から「オナニーするのは構わないけど、アナル以外のおかずを使っては駄目よ」という許可も頂いていたので、罪悪感はなかった。それとわざわざ我慢していたのが馬鹿らしくも思った。
 とにかく、お嬢様による俺の変態訓練4日目は、柚之原のアナルと触れあっただけで幕を閉じた。次の日再び賽を振らなければならない事も頭の片隅にはあったが、あまり深くは考えないようにした。もしも俺が死ぬとなったら、どうしても伝えなければならない事はたったの2つしかない。。お嬢様が好きだという事と、柚之原のアナルはとても綺麗だったという事。それさえ伝えられさえすれば、他の事はもうどうでもいいのだ。

     

 何というか、「不思議」だとか「奇妙」だとか、そういう事ではないような気もする。確率としては、最初の4日目も含めて2分の1×2分の1×2分の1で、8分の1。約12%と考えれば、「絶対にありえない」という事もないし、ダイスを転がしたのはお嬢様が1回柚之原が1回俺が1回とバラけていて、いくら調べてもイカサマの証拠もないので、「幸運だった」としか言いようがない。宝くじ3億円当たった人に「なんで当たったの?」と聞いても意味がないのと同じように。何故、と聞かれても俺は答えられないのだが、とにかく柚之原は俺に対して怒濤の3連敗を喫した。
 執念とがダイスの目を変えたと考えるのはいかにもオカルトじみているが、結果的に、俺の命は繋がった事になる。柚之原は、ダイスの目が出る瞬間、1度も表情を変えなかったが、内心ではこの不条理に怒りを爆発させていたのではないかと思う。しかし、
「これもきっと運命よね」
 と、慰めているのか馬鹿にしているのか分からない台詞を呟いたお嬢様は、淡々と俺に「正しいアナル拡張の仕方」を教示し続けた。
 変態訓練5日目。アナル拡張2日目。
 この日、俺が学んだ事は、世の中には様々な道具があるという事と、人間の肛門はここまで広がるのか、という事だった。
 仕事を終わらせてからお嬢様の部屋を訪れると、既に例の変態椅子に鎮座し、ご丁寧にスカートと下着も脱ぎ、準備万端だった柚之原の尻には、何やら「湿布」のような物が張られてあった。最初は、性器に張られてある前張りの延長にも見えたが、どうやら違う。
「あらかじめ筋肉を弛緩させる薬を塗っておいたの。自発的に力を抜くには限界があるし、手っ取り早く拡張の醍醐味を味わうにはこれしかないのよ。それと、柚之原にはきちんとお腹の中にある物を出来るだけ出しておくように言ったから、今日は大丈夫よ」
 聞いた話によると、確かにアナルの拡張工事を本気でしだしたら、その工期は3ヶ月から半年くらいはかかるらしい。人体という物は、そこそこに順応性があるものの、流石に1日2日ではそう大きな変化をする事は出来ない。無論、最初から壊すつもりで挑めばその限りではないだろうが、それは余りにも柚之原が不憫すぎるし、出た目は「アナル破壊」ではなく、あくまでも「アナル拡張」。その主旨を考慮した上でも、肛門括約筋から活躍の機会を奪うというお嬢様の判断は正しいと言えたし、うんこ対策は純粋にありがたい。
「そろそろ大丈夫かしら」
 チキンラーメンでも作っていたのかという軽い口調でお嬢様が言い、「友貴、剥がしてみなさい」と命令されたので、俺は従った。
 ぺりぺり、と爪の先くらい剥がしてみて、「あ、これ意外としっかり張ってあるな」と気づいた俺は、柚之原に尋ねてみる。
「一気にいってもいいか?」
「……知らない」
 第一声で大きく突き放されたので、俺は衝動的に一気にいった。柚之原が小さく、「ひっ」と悲鳴をあげる。
「友貴も随分ご主人様らしくなってきたわね」
 と、お嬢様が言う。
 ご主人様。
 これほど似合わない代名詞も他にないだろう。根っからの執事で、忠誠こそ我が命と思いこんでいた俺としては、リモコンのチャンネルを押し間違えた時、たまたまやってたローカルの番組がちょっと面白かったみたいな意外性を覚えた。
 でも確かに、今この場において、俺は柚之原のアナルコントロールを得ていなければならない立場であるのだから、当然服従の義務は柚之原の方にある。俺はお嬢様の奴隷でありつつ、柚之原のご主人様という中間管理職的立場にある訳だ。
 関係性を確認した俺は、前の日から結構気になっていた部分に、一歩前進してみる。
「この邪魔な前張りも剥がしてみるというのは……」
『「調子に乗らないで」』
 2人の声が重なったので、俺は一気に素に戻って「すいませんでした」と謝った。
「興味があるのは分かるけれど、目的を忘れないでね」
 お嬢様から直々にぶっとい釘を正中線へと刺され、俺は悔い改めて柚之原のアナルを睨んだ。昨日との違いは、見た目には分からないが、いざ触れてみるとその感触は段違いだった。
 トロだ。
 でっかいマグロからも少ししかとれない、極上の大トロが、人間の身体にも備わっていたという事実に俺は驚きを隠せない。そして別の意味でマグロ状態にある柚之原も、自身の肉体の違和感に戸惑っているのか、眉をひそめている。
「あの……これは元に戻るのですか?」
 いよいよ不安がピークに達したと見え、柚之原がお嬢様に尋ねると、
「ええ、動物実験の結果では1日ほどで戻るらしいわ」
 と、霊になった稲川淳二より恐ろしい事を言ったので、元々が白い柚之原もいよいよ顔面蒼白になった。
「冗談よ。私の時は一晩寝れば元に戻ったわ」
 一体何に使ったのだろうか。と俺は疑問に思ったが、お嬢様の口から2回目の「冗談よ」は出なかったのであまり深く考えるのはやめておいた。
「今日は器具も使ってみましょう。まずはどれからいきましょうか」
 段ボール箱から出され、2つの台の上に綺麗に並べられた色とりどりの各種器具を見て、俺は目眩を覚える。
 職業に貴賤はないし、一所懸命働く人を馬鹿にする訳では決してないが、これらの器具を開発した人たちははっきり言って異常者だ。とりあえず、数多の器具の中から、ダ・ヴィンチでも「その発想はなかった」と感心するであろう物を、ちょいちょいとかいつまんで紹介しよう。
 まず、基本的にはアナル用バイブだ。通常の、男性器の形を模した性器用の張型とは違い、長細く、径は小さい。手元に2段階のスイッチがついていて、ONにすると小さくてゆっくりな振動になり、もう1回ONにすると激しく素早い振動になった。ちなみに電池はeneloopらしい。
 電池を使わないタイプもあった。こちらはいわゆるアナルパールという奴で、バイブよりも長く、鞭のようにややしなるので護身用に使えなくもなさそうだが、身を守った方が良いのはむしろアナルパールを護身用に持つ奴と対面してしまった奴の方だ。最大の特徴としては、規則正しく並んだ凸凹の激しさで、これで麺生地を延ばしたらもの凄い縮れ麺が出来るんじゃないかと想像したが、もちろんアナルパールで延ばした本格派九州とんこつラーメンは誰も食べたくない。電源が無い分、手で動かす事を考慮されてか、握り部分のグリップ感は半端ではなく、何らかの液体で濡れてもおそらく問題ないだろうと予測出来た。
 バイブとパールはそれぞれ5種類ずつ用意されており、それぞれ振動のタイプや大きさや色や形や質感が違ったりしたが、1本だけ某ポケモンの某ピカチュウを模した物があり、これは胆力を試されているな、と勝手に思った。
 一応オーソドックスなアダルトグッズであるローターも用意されており、伝統のピンクから、LEDで光る物、これまた某ポケモンの某オタマロにそっくりな物もあったが、これはまあハマり役なので和やかな気持ちで眺められた。
 中でも変わっていたのは、連結式ローターバイブという奴で、これは長さを自在に変えられて、ローターとバイブとパールの特徴を兼ね揃えたある種最強のグッズだった。構造は単純で、小さめのローターをつなげる事が出来、スイッチを入れると一斉に振動する仕掛けだ。巫代凪遠 (お嬢様のお気に入り作家)が発明したのかと疑うレベルの優れ物だった。
 他には、元来医療器具なのにいやらしくない目的で使用されている所を見たことがないクスコだとか、中に入れたあと空気を入れて膨らませる子供の喜ばないタイプの風船だとか、素人目には上下がどちらかさえ分からないアナルプラグだとか、柚之原自身が持っていたのを押収したという苦痛の梨だとか、アナル関係の物なら何でも揃っていると言っても過言ではなかった。
「さ、好きなのを選んで」
 男なら女の子には優しく、という常識は骨の随までたたき込まれている。
 アナルを拡張しなければならないという異常事態においても、その信条は健在で、出来るだけ優しく、傷つかないように接していこうと思っていた。が、俺が無意識に手にとっていたのは、用意された中でも1番いかつい極太バイブだった。
「なかなか鬼畜ね」
 鬼畜の鑑みたいなお嬢様がそう仰るのを聞いて、俺は手に持ったドス紫色をした禍々しい物に気づき愕然とした。なんだこれ、ラスボスの武器じゃないか。

     


     

 自分ですら既に解消されたと思いこんでいた柚之原への恨みがそうさせたのか、それとも早くアナルを拡張したいという邪な欲望が気持ちを逸らせたのか。どちらにしろロクな物ではなかったが、武士として、1度抜いた刀とバイブを戻す事は出来なかった。
「……」
 柚之原はそんな俺の事を軽蔑に満ちた眼差しでじとりと見つめていたが、「一向に構わん」という面もちで、俺はバイブを柚之原の尻の穴にあてがう。
「筋肉は緩くなっているけれど、感覚はそのままよ。むしろ痛みが薄くなる分、快感は増幅しているかも」
 お嬢様のお墨付きをいただき、俺はバイブをゆっくりと、少しずつ前進させていく。
 1mm進む度に、柚之原の顔から徐々に余裕が消えていく。3cm掘り進んだ頃には、憮然とした態度は消え失せ、今にも泣きそうな不安げな表情になっていたが、俺がそれを観賞しているのに気づくと、いつもの表情に戻った。無理やり戻した。
 とはいえ、俺は俺で、柚之原の意外な一面に高見の見物を決め込んでいられる余裕もなかった。バイブの握りを通して伝わってくる。擬音で言えば、「ぬぷぬぷ」か「ずぬずぬ」に近い淫靡な感触は、指を入れた際の物とはまた違って、言うまでもなく初体験だった。
 湿布を剥がした時とは逆に、じりじりと少しずつ、力を込めて慎重に極太バイブを入れていく。柚之原のあんなに小さかったアナルが、ゴムのように伸びて、無抵抗に紫色の化け物を飲み込んでいく様子は、「してはいけない事をする」背徳の極みだった。
「柚之原のお尻の穴、ぱっくり喰わえ込んじゃって凄くいやらしい」
 唐突にぶっこんできたお嬢様の煽りに、柚之原も俺も反応する。柚之原は顔を真っ赤にする形で。俺は衝動的にバイブのスイッチを入れる形で。
「あっ! あっあっあっ」
 最初、誰が声をあげたのか俺には分からなかった。俺は口を開いていないし、お嬢様の声でもない。となれば必然……。
「喘いでいる柚之原なんて滅多に見られる物ではないわね」
 これには同意せざるを得ない。
「ち、違っ……あっあっ」
 短く途切れ途切れに、吐息混じりの「あっ」が響いていく。柚之原の真っ白な肌は今、燃え上がるように真っ赤に染まり、触らなくても分かるほどに熱い。
 お嬢様が立ち上がる。そして柚之原の耳元に近づいて、俺からぎりぎり聞こえるくらいの声で囁く。
「柚之原、お尻の穴で感じちゃってるの? とんでもない変態さんね。とってもかわいい」
「あっあっ……やめ、もう……やめへ……」
「まだ駄目よ。柚之原が自分でお尻の穴を弄りたくてしょうがなくなるまで調教はやめないから」
「ふぁっ……あっ……」
 やっぱり、俺最初からいらないじゃないか! と内心思っていると、お嬢様は俺に視線を送り、
「分かってる? 友貴が下手だから私がこうしてお手本を見せているのよ。きちんと参考にしなさいね。何度も言うけれど、あなたはアナル好きの変態にならなければいけないの」
 と、渇を入れられた。
 俺はスイッチを入れたまま、バイブを握り、それを奥に進め、突き当たったのを確認すると、今度は逆に引っ張ったった。何度も出し入れを繰り返し、その度に柚之原の声が艶っぽくなっていくのを、ジョン・レノンのイマジンを聞くような心の底から世界平和を祈るような気持ちで聞いていた。
 何十回目かの出し入れの時、俺は言う。
「柚之原、俺にこんな事を言われてもお前が喜ぶとは思わないし、むしろ殺したくてしょうがないと思うだろうけど……正直、尻の穴を虐められて感じてるお前はかわいいと思う」
 聞こえているのか、聞こえていないのか、柚之原は更に声のボリュームをあげる。
「そんな顔見たことないし、そんな声聞いた事もないけど、ずっと見てたいし聞いてたいと思う。……でも、そえだけじゃ駄目なんだよな」
 俺はバイブのスイッチをもう1段階入れ、振動を強くする。最初に比べて更に滑らかになったバイブの出し入れも、どんどん加速させていく。
「あっあっあっ! ふぁっ! やぁ! いや! いやぁ! 駄目っ!」
 俺は今、柚之原を犯している。そんな実感が今更湧いてきて、興奮は最高潮に達する。触らなくても射精しそうだ。
「あっ……」
 何かが途切れたように柚之原は絶叫をやめ、ぶるぶると2、3秒ほど痙攣して、全身から一気に力が抜けていった。
「どうやらイッたみたいね」
 お嬢様が言う。気づかぬ間に、お嬢様は柚之原の手を握っていたらしく、それを解く。
「お疲れさま。2回戦目は食事をした後にしましょうか」
 放心状態の俺と、反応する元気さえ無い柚之原を残して、お嬢様は部屋を出ていった。


 翌日、またもダイスの目をあてられなかった柚之原は、前の日に試さなかった物を片っ端から試された。中にはあまり快感を覚えない物もあったようだが、(身体には)おおむね好評だったようで、絶頂に達した回数は両手の数を指を越えた。が、俺に超能力が目覚める事はなかった。
 その日の終わり、お嬢様が、
「やっぱり生のちんこをぶち込まないと駄目なのかしらね……」
 と呟いたのを俺も柚之原も聞いていたし、この場合、ちんこは俺しか持っていないので、その時点で7日目の行為はほぼ決定づけられたような物だった。
 そして訓練は最終日、柚之原から「偶数」が宣言され、ダイスが転がり「1」の目が出た。奇跡の4連敗が確定する。と、同時に柚之原が土下座をした。
「HVDOについて知っている事を全てお話します。ですから……」
 もしかして、最初からこれを狙っていたのだろうか、と俺がお嬢様に疑いの視線を送ると、お嬢様は邪気に満ちた無邪気な笑顔を見せて、「ちょっと残念」と呟いた。

       

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