Neetel Inside 文芸新都
表紙

紅い紅葉の短編集
It's a Blue World(バックストーリー)

見開き   最大化      

 ※心の中を覗き込むことは、時にとても残酷です。



 夢を見ていた。
 白い部屋に捕らわれ、僕の自由は蹂躙されているのだ。
 いつまでも続く軟禁。徐々に陵辱されていく僕の精神。僕はどこまで壊されれば解放されるんだ?
 ゆっくりと、女性が僕に近寄ってくる。
 その女性は一見普通だが、僕には見える。彼女の異形が。彼女の悪意が。その悪意は僕を畏怖させるには十分すぎるもので、彼女のドス黒い
「――――――? ―――?」
 女性の口が動く。
 やめろ、僕に近寄るな。
 お前は誰なんだ? なぜ僕をこんな目に遭わせる。
「う、あ、ああ」
 僕の口からは、悲鳴にもならない声が漏れていた。
 やつは、誰なんだ?
 なぜ、僕はここまで恐れている?


 ■


「うあ?」
 我ながら間抜けな声で目が覚めた。
 顔を上げれば、そこは学校の教室。どうやら、僕は机に突っ伏して寝ていたらしい。
 制服は寝汗でびっしょり濡れている。――僕はなにをここまで恐れていたのだろうか。
「……いや、早く帰ろう」
 そうだ、考えてもしかたない。もう覚えてはいないのだ。
 それを無理に思い出そうとしても仕方のないことで、思い出して震えたくもない。
 だから帰ろう、お家に帰ろう。カラスも鳴いている。
 僕は荷物をまとめようとしたところで、机の上に乗っている一枚の手紙を見つけた。
 それを手に取り、四つ折りに畳まれたそれを開いた。

『いつまで続けるつもり?』

 意味がわからなかった。
 でも、その手紙には見覚えがあった。どこで見たんだ? そして、なぜこの筆跡はこんなにも許しがたいのだろうか。筆跡は人間性を表すというが、この字を書いた奴はおそらく汚い人間なのだろう。字は綺麗だが、その裏には悪意が感じられる。その字を見ただけで、僕の陰茎は怒張していた。この興奮はなんだろう? この手紙の主は絶対に女だ。それだけはわかっていた。僕は手紙の主を探すべく、教室を飛び出した。
どうしてだかは知らないが、僕はまず校舎を出て、校庭の隅にある花壇へと向かった。
そこには当然の様に、一人の少女がいた。ボブの黒髪、紺色のセーラー。彼女は俺の顔を見て、微笑んだ。まるで百合の様に、ひっそりと咲く笑顔だった。
「こんにちわ」
「こんにちわ」
 僕は頭を下げる。彼女も頭を下げる。
彼女に見覚えは――あるのかないのか。
「どうしました? こんな放課後まで」
「いや、もう帰るけど、そっちはなに、園芸部?」
「はい」彼女は赤い花を撫でながら頷く。なんの花だ? 詳しくないからわからない。
「花はいいですよね、押し黙ってて。押し花だけに」
 くだらない事を言って笑う彼女。どうしてだ? 既視感があるのは。
「ところで、この手紙の主を知らないか?」
 僕は彼女に、先程の手紙を見せた。すると彼女は、その文面をちらりと見ただけで、知りませんと首を振る。
「誰かもわからない人間に、『いつまで続けるつもり?』なんて手紙を渡すわけないから、絶対知っている人間だと思いますよ」
「それは……そうだろうね」
「手紙の内容からして、その人はあなたに何かをやめて欲しいんでしょうね」
「それは……そうだろうね」
「あなたは何を続けているんですか?」
「それは……わからないね」本当に、この手紙の主は、僕に何をやめてほしいのかわからない。仮にわかっても、僕がそれをやめるかどうか。「僕がなにをしていても、勝手だと思うけどね」
「それは間違ってますよ」
「は?」
「自分の体や、心が、本当に自分だけの物だって思ってます?」
「訳が――」
「だめですよ、ごまかしちゃあ。自分の心、体が、自分だけの物だって、あなたも本当は思っていないでしょう?」
「自分の物さ」
「違いますよ。――例えば、あなたのお母さん、家族の誰かが心を壊したとしましょう。あなたはどうします? 支えようとしますよね? 最初の方は治る希望があるから介護するんですよ。でもまあ、持って大体一ヶ月、二ヶ月かな? そこらへんで思うんです。「なんでこいつは壊れたんだ?」って思う様になっちゃうんですよ。そして次第に、哀れみより怒りが来る。ゲームでコントローラーが壊れて、キャラが思い通り動かないみたいな苛立ちが募ってくるんです」
 だから、勝手に壊れることは許されない、と?
じゃあ、僕の体はだれの物なんだよ。
「有名な歌でもあるじゃないですか。『人は存在するだけで場所を取る』って。私、あのグループはあんまり聞かないんですけど。それだけは耳に残っちゃって。まあ、とにかく、人は自分の事が一番の他人なんですよ」
「違う、僕は僕だ。僕のことは、僕が一番よく知ってる」
「本当ですか?」彼女は、先程デキが悪い洒落を言った時の様に、嫌らしい笑みを浮かべた。その笑みが酷く不愉快だった。それでも、美しかった。例えば、イギリスの図書館にある絵画に白いペンキをぶっかけたくなるような、そんな衝動に駆られた。汚してはイケないと言われれば言われるほどに、やってはいけないと言われるほどにしたくなる。人間の究極は性への探究心。僕は、エロ目的でパソコンにのめり込んだ事を思い出していた。
「私もですけど、自分の事は一番わからない物なんですよ。そうじゃなきゃ、自分が嫌いな人間なんて、いないと思いますけどね。誰だって、隣に化け物が座ってたら不愉快でしょう?」
 僕にとっての化け物は、キミだ。なんでキミは、そうやって、僕の心を見透かすような事を言うんだ。
「心なんて、結構簡単に見透かせますよ? 人間、考えることは結構似たり寄ったりですからね。その人間の方向性、性別、全てをデータ化すれば、簡単にわかるものですから。結構味気ないんですよ? 人間て」
「いや、でも、結構人間て、突拍子もないことを考えたりするもんだし……」
「その突拍子がない、というのも、結構パターンがあるんですよ。暴走するか、沈み込むか」
 その時、彼女の唇が、声を出さずに動いた。
あなたは、どっちですか?
「……そうだな。僕は、突然怒り出すタイプさ。キレると、何が何だか分からなくなるタイプ」
 そこからの記憶は、僕にもない。
残っている感覚は、硬いものを何度も何度も殴った拳の痛み。僕から滴る赤い血液。鼻孔を突く死んだ魚の様な香り。僕に伸し掛られ、衣服を引き裂かれた彼女の悲鳴。そして、目の前に転がった美しい死体。僕はその胸の上に、花壇から引き抜いたさっきの花を添えた。
 花の様な少女だった。そんな可憐な少女を汚すのは、何よりも許しがたい行為だ。
けれど、それ故に、したあとの罪悪感は半端じゃない。
僕の心は、晴れ晴れとした爽快感に包まれていた。
「酷い事するわね」
 しかし、僕の目の前には、先程殺したはずの少女が、再び立っていた。体中から血を流し、あの赤い花を胸に抱いて。
「……乱暴なのね」
「な、んで」
「わかってるくせに……わかってるんでしょう? あなたは、見てみぬ振りをしている。卑怯よね? いつもそうじゃない。同級生の子がいじめられてるのを見て見ぬふりして」
 その時、僕の心に一本の針が刺さった。
 頭を過ぎるビジョン。一人の少女が、教室の片隅で誰にも見つからないよう、泣いている。
 こいつは誰だ。こいつは誰だ?
 血染めの少女は、いつの間にか消えていた。

       

表紙
Tweet

Neetsha