Neetel Inside ニートノベル
表紙

ハッピーエンド など
第二話「彼女は少し寂しそうに微笑んだ」

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 その日も俺は病院の彼女を訪ねた。俺は学校であったことを面白おかしく伝えて、彼女の笑っている顔を見ていた。
「今日はなんかいつもと違うね」
 いつもと同じように振る舞っていたが見抜かれたらしい。
「たいしたことはないけど」
「でもなにか特別なことがあったんでしょ」
 俺は今日、同学年の女の子から告白されたことを彼女に明かした。
 すると彼女はいつもの笑顔で、
「へー、よかったじゃん!」
 と言った。
「別によかねーよ」
「なんで? 女の子に好きって言われてうれしくなかったの?」
「そりゃ気持ちはうれしいけど」
「で、どうするの?」
「どうするって何をだ?」
 彼女は呆れた顔をして言った。
「決まってるじゃん! 返事だよ、告白の!」
「ああ、そのことか。もう返事した」
「どっち?」
 彼女はキラキラした目で俺の返答を待っている。
「断った」
「そっか……。断ったんだ……」
 彼女は視線を落として言った。
「それにしても」
 俺は強引に話題を変えようとした。
「相変わらず絵本たくさん持ってんな、お前」
「うん。好きだからね」
 彼女は幼い頃から絵本が好きだった。
 幼い頃、彼女は絵本の一場面ごとに一喜一憂してハッピーエンドなら自分のことのように喜び、バッドエンドならこれまた自分のことのように号泣した。
 中学生になっても彼女は絵本好きだった。だから俺は一度彼女の絵本好きをからかったことがある。中学生にもなって未だに絵本好きかよ、みたいな感じで。すると彼女は烈火のごとく怒り、その後滝のように涙を流して泣いた。それで俺は先生に大目玉を食らった。それ以来、俺は彼女の絵本好きをからかったことはない。
 彼女は病室に本棚を持ってきていて、それに絵本を並べていた。五十冊くらい絵本があった。『シンデレラ』や『桃太郎』みたいな定番から、タイトルが日本語でも英語でもない言語で書かれているので俺には読めない絵本まで。
「どれか一冊取ってよ」
 俺はかがんで絵本を取ろうとした。その時、俺の胸ポケットからライターが落ちた。構わず俺は数ある絵本の中から『100万回生きたねこ』を取った。
 彼女は俺が落としたライターを珍しい物でも見るかのようにしげしげと見つめていた。
 俺はライターを拾ってまた胸ポケットに入れた。
「タバコ吸ってるの?」
「ああ、たまにだけどな」
「いけないーんだ。学校の先生に言い付けちゃうぞ」
「そのためには早く元気になって学校に来ないとな」
「うん! それで何の絵本を取ったのかな?」
 俺は本の表紙を彼女に見せて、渡した。
「『100万回生きたねこ』だね。これいい話だよね」
「ああ。俺も好きだ」
 俺がそう言うと彼女は機嫌を良くし、
「なーんだ。ショウも好きな絵本あるんじゃん」
 と言った。彼女は俺のことをショウと呼ぶ。俺のあだ名だ。
「『100万回生きたねこ』は特別なんだよ」
「昔はショウに絵本好きなことからかわれたんだけどな」
「なんだ、まだ覚えてんのか」
「ショウも覚えてるの?」
 彼女は意外そうな顔をした。
「ああ。お前が俺に怒ったのってあの時ぐらいだろ」
「そー言えばそうかな」
 そう言って彼女は絵本を開いた。
「『100万年もしなないねこがいました。100万回もしんで、100万回も……』」
 彼女は『100万回生きたねこ』を朗読し始めた。
 俺はそれを聞きながら窓の外のメジロを見ていた。
 前は一羽しかいなかったが、今度は二羽いた。おそらく夫婦だろう。木の枝の幹に近い方に二羽で巣のようなものを作っている。まだ形にはなっていない。まだまだこれからの話だ。
 俺はメジロの夫婦を見ながら彼女との関係について考えていた。俺と彼女は俗に言う恋人関係ではなかった。俺たちの関係はただの幼なじみだ。「好きだ」と言ったり、キスしたりしたことはない。だがそれらの行為をしないという以外には恋人のように仲良く過ごした。小中学生時代はよく友達にからかわれたりもしたが、俺たちの仲が悪くなることはなかった。なぜなら俺たちはお互いを異性として意識していなかったからだ。
「ちょっと。聞いてる?」
 彼女は読むのを中断して俺に尋ねた。
「ああ。聞いてる」
「よかった。じゃあ続き読むね。『あるとき、ねこは小さな女の子のねこでした。ねこは子どもなんか……』」
 俺たちは同じ高校に進学した。同じクラスになり、前以上に仲良くした。高校生になってようやく俺たちはお互いを異性だと意識した。普通に考えて遅すぎる。だがそれが俺たちの関係だった。
 そんな時彼女が入院した。暑い七月頃のことだった。病名は教えてくれなかった。彼女の口から聞いたのはたいした病気じゃないということだけだった。一ヶ月ぐらいしたら退院できると聞いた。事実彼女は一ヶ月で退院したが、それから入退院を繰り返した。それでも彼女はたいしたことないと言い張ったが、俺は看護師の会話で真実を知ってしまった。彼女の余命は三ヶ月と。一ヶ月前の話だ。
 聞き間違いだと思った。だが俺は彼女に抗がん剤が投与されていることを知った。その上、日に日に目に見えて衰弱していく彼女を見ていたらそれが真実以外のなにものでもないことを知った。彼女の肌はもともと白かったが、今では透き通りそうなぐらい青白くなっている。身体も痩せてきていて、腕は俺が少し力を出せば折れそうだった。彼女は俺と会うときニット帽を被っていてよく分からなかったが、抗がん剤の副作用で髪の毛も抜けているだろう。
 それでも彼女は美しかった。目は力を失っていなかったし、口元にはいつも笑みがあった。
「『……。ねこはもう、けっしていきかえりませんでした』」
 彼女は『100万回生きたねこ』を朗読し終えた。その双眸は涙ぐんでいた。
「ねえ」
「なんだ?」
「私はこの猫みたいに生き返ると思う?」
「そういうのは本人にしか分からねーんじゃねーの」
「それじゃあ質問だけど」
 そこで彼女は一呼吸おいた。
「ショウは生き返る?」
「うーん、どうだろうな」
 俺ははぐらかした。
 俺がそう言うと彼女は笑って、
「さっき本人にしか分からないっていったじゃん。ってことは本人には分かるんでしょ」
 そう言った。
「分かったよ。ちゃんと答える」
 顔に血が上ってくるのを感じた。
「……俺は生き返らない」
 そう言うと彼女は少し寂しそうに微笑んだ。俺には彼女のその表情が理解できず、そこで少し沈黙があった。
「ねえ、ショウ」
 その沈黙を破ったのは彼女だった。
「なんだ?」
「目ーつぶって」
「なんで?」
「なんでも。いいって言うまで開けちゃだめだよ」
 俺は素直に目を瞑った。彼女が動く音がする。
 彼女の息が俺の顔に当たった後、一瞬なにか柔らかくて暖かいものが唇に当たった。
 それは本当に一瞬だった。次の瞬間には何もなかったかのような気さえした。
「目ー開けていいよ」
 だがそれは実際にあったのだ。目の前の彼女の笑顔を見れば分かる。
「なんか……。唐突だな。うれしいけど」
 俺がそう言った後、彼女は何も言わなかったので、その時の彼女の笑顔がいつも以上に印象に残った。





 季節は春になろうとしていた。
 彼女の余命はあと二ヶ月。

       

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