Neetel Inside ニートノベル
表紙

ハッピーエンド など
第三話「終わらない終わり」

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 その日、学校が終わって彼女に会いに行くと彼女は絵本を見ながら涙を流していた。
「なんだ、また絵本見て泣いてるのか」
「あ、ショウ」
 彼女は俺に挨拶してまた絵本を見た。
 俺は彼女のベッドの近くにある椅子に座って、彼女が絵本から目を離すのを待っていた。が、絵本のタイトルを見た俺は堪えきれず笑い出してしまった。
「ってお前、ははは! それ『桃太郎』じゃねーか! ははは! 『桃太郎』で泣く奴なんか初めて見た! はっはっは!」
 少しの間笑った後、俺は後悔した。彼女は絵本についてからかわれることが大嫌いなのだ。
 すぐに笑うのをやめ、俺は謝罪の言葉を頭に浮かべた。
 だが、彼女は怒らなかった。
「私だって前は泣けなかった。いい話だとは思うけど」
 彼女は続けた。
「でも今みたらすごく泣けるんだよ」
「どのシーンで泣けるんだ? 桃太郎たちに退治された鬼にでも同情してるのか?」
「そうじゃないよ。私が泣いたのは最後だよ」
 『桃太郎』の最後なんて誰でも知ってる。だが俺にはそのどこが泣けるのかが分からなかった。
「『桃太郎』の最後って言ったら鬼を退治して宝物を持ち帰ってめでたしめでたし、のハッピーエンド。どこが泣けるんだ?」
「そのハッピーエンドのところ」
 訳が分からない。
「どうしてハッピーエンドなのに泣けるんだ?」
 彼女は徐に口を開いた。
「ハッピーエンドで桃太郎はその後幸せに暮らす。ハッピーエンドの物語は、物語が終わればその主人公は幸せになるの。そう、ずっと。終わらないの。終わらない終わりなの」
「うん」
 俺は彼女が何を言いたいのか分からなかった。
「だから私気付いたの。私は死んでしまうからずっと続く幸せなんて手に入れられない。私はハッピーエンドの物語の主人公になんかなれやしないって」
 彼女は眼を泣き腫らしていた。
 俺は何も言えなかった。
「でもそれが当たり前なんだよね。分かってたけど……。分かってたんだけど……。私……死にたくないよ……」
 俺は彼女をやさしく抱きしめた。彼女の体は俺があと少し力を加えるだけで壊れそうなぐらい頼りなかった。
「頼むから……。頼むから、もう死ぬみたいなこと言わないでくれ。また元気になって一緒に学校に行こう」
「ショウ……。今まで嘘をありがとう。ショウも知ってるんでしょ」
 彼女の次の言葉は分かっていた。心臓が激しく鼓動する。

「私がもうすぐ死ぬって」

 心臓が張り裂けそうだ。
 今まで信じたくなくて、嘘かと思いたかったその事実を言葉によって聞かされることは残酷だった。それも彼女の口からだ。どうしようもないことぐらい分かっていたはずなのに、どうにかなるんじゃないかという淡い期待を今、完全に砕かれた。
 辛いのは俺だけじゃない。彼女だってだ。彼女がこの告白をするに至った心情を想像すればなおさら辛い。
「俺が知ってるってばれてたのか」
「だって私、ショウとずっと一緒にいるんだよ。ショウの嘘ぐらい分かるよ」
 彼女は泣き止んでいて、声はいつものトーンに戻っていた。
「ショウがこのことを知ったのは二ヶ月くらい前でしょ? どう? 当たってる?」
「当たってる」
「やっぱりか。さすがショウの幼なじみだけあるよね、私」
「じゃあなんで……」
 俺は泣いていた。言葉がうまく出てこない。なんで彼女が死ぬんだろうか。彼女は何も悪いことをしていないのに。そんな月並みなことをいまさらになって思う。
「今まで俺に教えてくれなかったんだ? 最初に入院したときから分かってたんだろ?」
「へへへ」
 先程泣いていた彼女は今笑ってる。それにいつのまにか彼女は俺の背中に腕を回している。
「何で笑っているんだ?」
「うれしいからだよ。こうやってショウに抱きしめられるの初めてだから。死ぬのが怖くなくなっちゃったよ」
 俺は彼女の死の恐怖を少しでもやわらげることができているのかな。
「それならいいって言うまでずっと抱きしめといてやるよ」
「ありがと、ショウ。……私ね、ずっとショウと今までみたいな関係でいたかった。でも私が死ぬってなったらこの関係が壊れるんじゃないかって怯えてたの。ショウが腫れ物を触るみたいに私に接するのとか考えるのも嫌だったしね」
「それで俺に言えなかったのか」
「うん。でもいらない心配だったようだね。二ヶ月前からもショウは変わらずに私に接してくれた。笑顔が少し曇ってたけど」
 俺の二ヶ月はどうやらまったくの無駄ではなかったようだ。それにしてもちぐはぐだ。もうすぐ死んでしまう彼女が笑ってて、生きる俺が泣いている。
「ほら、泣き止んでよ。あ、そう言えばメジロが巣を作ったよ」
「……ああ。じゃあ見ていいか?」
「別に私の許可なんか取らなくていいよ」
「いや、抱きしめるのやめて見るからいいのかなって思ってさ」
「んー。名残惜しいけどいいよ」
 彼女は俺の背中に回していた腕を外した。俺も彼女を抱きしめるのをやめて窓の外のメジロを見た。
 彼女の言う通りメジロの巣ができていた。雛もいて、親から餌をもらおうと大きな口を開けて鳴いている。
「立派な巣を作ったもんだ。雛もいるしな」
「そうだね」
 少しの間二人でメジロを見ていた。
 親のメジロが雛に餌をやり終えてまた餌を探しに飛び去ったとき、彼女が口を開いた。
「そう言えば前に『もしもセックスに快感が、死ぬ事に痛みがなかったら人類はどうなると思う?』ってショウに聞いたことがあったよね」
「ああ。あったな」
「もしそれから逃れられたら人類はもっと幸せになれるかなって考えてたんだけど」
「うん」
「そんなことってありえないよね」
 俺は彼女の顔を見た。実に清々しい表情だった。
「どうしてそういう結論に至ったんだ?」
「セックスに快感があるから人は異性と付き合うために努力する。死ぬ事に痛みがあるから人は死なないように努力する。どっちも人生をより濃くするために必要なものなんだ。たとえ人生がただ種を増やすだけのことだったとしてもね」
「いい結論だな。前向きでお前らしい」
 彼女はふふっ、と小さく笑った。
 そうして時間は過ぎていった。
「ショウ、そろそろ帰る時間だね。今日は人生で一番幸せだったよ。ありがとう。それでね、最後にショウにお願いがあるの」
 そう言われて俺の返答が少しだけ遅れたのは、彼女の次の言葉がなんとなく分かっていたからかもしれない。
「……ああ、いいぜ。どんなお願いだ?」
 彼女は笑顔を絶やさず、冷静な口調で言った。





「これでショウに会うのを最後にしたいの」

       

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