Neetel Inside ニートノベル
表紙

<吸血妖精 EL-FIRE>
Blood 5  わたしは――――――――

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「ちょっとパス、しっかり歩いてよ。もう傷なんて治ってるでしょうが」
「ひぃ……ひぃ……そんなこと、言った、って」
 パスは螺旋階段の壁にもたれかかって、ぜいぜいと顔を赤くしている。
「あのさ、ちょっと思い込んでみ? 自分は階段なんて苦手じゃないです。ハイ! 復唱」
「わ、わたしは階段、なんて苦手じゃない、です」
「ホイ! 復唱」
「わ、たしは階段なん、て――?」
 田舎の老婆みたいになっていたパスがひょいっと身体を起こした。わたしはやれやれと首を振らざるをえない。
「飛び上がって引っかき攻撃とかさらっとやるくせにさァ、自分が吸血鬼だってこと、たまに忘れてるよねパス」
「だ、誰のせいでこんなことになったと思ってるのよ!!」
「太陽のせい」
「り、リリスのばか! この異邦人――――っ!!」
 ハイハイ、とわたしはパスをいなして、目の前の扉を見上げた。オークの木でできた分厚い扉からは記憶のにおいがする。
 タージェルハイム学園、その最上階、オーククラフト副校長の執務室だ。
 あのババアならなんとかしてくれる、と思ってここまでやってきたが、度重なる不祥事を超えてみると、あの梅干顔が名案をポコンと産み落としてくれるような気はもうしなくなっていた。
 ババアは特Aランクの魔術師かつエルフ最老衆の一人だが、所詮はババァだ。わたしの育ての親でもあるが、感謝なんて微塵もない。いまでも覚えている。あのマンドラゴラ事件を……。
「ああ」
 パスが頷く。
「あれって悲鳴あげるんだよね。それをすり潰さなきゃいけないのが辛くて……」
「でも魔術師としては当然のことじゃない。あいつ、わたしが嬉々としてマンドラゴラの畑をぶっ潰して歩いてたらぶん殴ったのよ。グーよ? 忘れがたい恨みだわ、わたしの知的好奇心をなんだと思ってるんだろう」
「それはリリスの行動が学術的目的のないアリを踏み潰すのと同じ行為だったからだよ……」
 ふん、とわたしは鼻を鳴らしてパスのセリフなんて聞いてやらないのだった。
 いつだって正しいのはわたしなの!
 足で扉を蹴破る。押し開けるつもりが蝶番ごと踏み倒してしまった。吸血鬼の自覚がないのはわたしも一緒かもしれない。








 執務室には一人しかいなかった。
 マントを身につけたミニスカートの少女。流れるような紫の髪に、静脈が浮くほど白い肌。慎ましやかな胸のライン、くびれた腰、すらりと長い足、けれど体格は小柄。
 誰だか知らないが確かなことはたったひとつ。
 そいつの口からは、牙が見えている。
 わたしとパスは身構えて、艶然とした微笑を浮かべている謎の美少女を睨んだ。
「あんた、オーククラフト副校長をどうしたの?」
「オーククラフト?」
 鈴の鳴るような声。
「それは、副校長のルーティ=オーククラフトのことかしら?」
「そうよ他に誰がいんのよこの執務室で日干ししてた梅干のことよ」
 カッと謎の美少女が牙を剥いた。
「誰が梅干ですって!!」
「だから、オーククラフトってババアよ。なに、殺したのあんた? はっ、せいせいするわ」
「ちょちょちょちょリリスまずいってリリスまず」
 パスがなにか言っているが、言いたいことは言えるときに言ってしまうのがわたしの信条だ。
 謎の美少女は頬を朱に染めてなぜかわたしを睨んでいる。
「リリス=ブラックヘッド……まさか私のことをそんな風に思っていたとは……」
「は? いやあんたじゃなくてオーククラフトのことよ。あんたはかわいいから許す」
「か、かわいい?」
 美少女は自分を指差す。
「私が?」
「おもち。まァちょっと胸が貧しいのが残……念……」
 その胸の薄さにわたしは覚えがあった。
 そして、すべてのパーツがひとつに合わさり、すべての謎が解けた。






「あああああああアンタオーククラフトじゃない!!!」

「どうして胸見て気づくのよ!!!!」







 オーククラフトの胸をした少女は腰かけていた執務デスクを部屋が震えるほど叩いた。ちょっと涙目でさえあった。
 だが状況は笑っていられるものではない。
「あ、あんた吸血鬼になったわけ? なんで? ていうか――オーククラフト、あんたもエルフなのに……」
 長い紫の髪をオーククラフトはかきあげた。エルフの証である長耳があらわになる。かつて剣耳部隊の隊長を勤めた少女の耳は、三つ筋の傷跡が残っている。
「そのことに関しては、きちんと説明しなければなりますまいね、リリス=ブラックヘッド、それにパス=スナイプハート」
「あ、あの副校長……わ、わたし」
 パスが不安げに問うた。
「吸血鬼になってしまったのですが、単位の取得は大丈夫でしょうか……」
 わたしとオーククラフトはこれを無視した。
「リリス、あなたが吸血鬼になったことは今しがた報告を受けました。すでに眷属も作れるほどの力量……さすがエルフ王族の末裔といっておきましょう」
「え? そんな設定? マジかーいや心の準備はうすうすできてたけどねーマジかー」
「……。もうずるがしこいあなたならお気づきでしょうが、吸血鬼を学園都市に放ったのはこの私なのです」
「ほう。してその心は?」
「……。エルフを吸血鬼化させることは長らくタブーでした。しかし、それが誤りであったことが偶然わかったのです。エルフと吸血鬼の血は混ぜると非常に優秀な種ができあがる。十字架に強く、流水を渡れ、太陽を浴びても死にません」
「それなら、最初からエルフを集めて吸血鬼化させればいいじゃん。なんで元人間を都市に放ったのさ」
「エルフを吸血鬼化させる、なんてただでさえエルフ優遇が社会問題とされているときに学園都市上層部の人間どもが認めると思いますか?」
 オーククラフトは悲しげに貧相な胸に手をあて、悲しみを表現した。
「これは事故なのですよ、ブラックヘッド。私やあなたが吸血鬼化したのはエルフの意思ではなく、おろかな人間の吸血鬼がしでかしたこと……ふふ、人間の学生どもはなんの疑問も抱かずに吸血鬼になって働いてくれました。すべて、私の手の平の上だということも知らずに、ね」
 そう言ってオーククラフトは両手を掲げた。神を称えるように。
「さァ、いまこそおろかな人間どもを真の意味で『家畜』にするときがやってきたのです! 我らから森を奪った彼らに、増えすぎたグロテスクな蛆虫どもに、裁きの鉄槌を下すのです!」
「あの、じゃあ単位は」
 パスもなかなかのタマである。
 オーククラフトはぴしゃりと言ってのけた。
「あげないっ!」
「そんなぁ……」
 わたしの前にオーククラフトの白い手が差し出される。その手に抱かれたこともある、頭をなでられたこともある。
「さァ、おいでリリィ。なにも悩むことはないのです。あなたの潜在能力があれば、この都市も、世界も、思うが侭になるのですよ」
「ほんと?」
「ええ。あなたは新世界の女神になるのです」
 わたしは想像した。
 その世界では、美少年と美少女に囲まれたわたしが、金銀財宝に埋もれて血のワインを飲んでいる。
 なかなかいい絵だ。気づくとよだれが滴っていたので慌てて拭う。ちょっと恥ずかしい。
「ま、まさかリリス、ほんとに……」
 パスが袖を掴んでくる。わたしはそれを振り払った。
「リリス……!」
「わたし、馴れ合いは嫌いなの。ごめんねパス」
 そういってわたしは、育ての母の横に立った。
 オーククラフト――ルーティはぴょんとデスクから降りて満面の笑顔を浮かべる。
「さすがは私の愛娘です。褒美に、あの出来損ないの血を吸い尽くすことを許しましょう」
「ひっ」パスが後ずさる。わたしはけらけらと笑った。楽しい。本当に楽しい。
「ありがとう、お母様」
 わたしは母の肩に手を置いた。













「――――でもわたし、馴れ合いは嫌いなの」












 祈りも願いもせず、わたしは囁く。
 世界がわたしに応答する。







<――エウル・トォル・ダブロゥ>








 疾風が執務室を蹂躙した。
 机が飛び、本棚が倒れ、パスが舞い、水槽が割れ、ステンドガラスが粉々になり、パスが舞い、割れた窓からわたしとルーティの身体が放り出された。
 タージェルハイム学院の最上階から自由落下。最高にスカッとするヒモなしバンジー。
 落ちながら、信じられないという顔で、ルーティはわたしを赤い瞳で見つめた。
「どうして、なにもかも、手に入るというのに」
 風でよく聞き取れないが、母の言うことなら、まァ唇の動きだけでわかる。
 わたしは微笑むのを抑えられなかった。
「わからない? わたしの気持ちが?」
「ええ」
「簡単なのにね」
 自由落下を終えて、わたしとルーティはグラウンドに着地した。
 勢いを殺すために跳ね回ったあと、三メートルほど離れて対峙する。
 月光を浴びたわたしたちの姿は、よく似ていたと思う。血は繋がっていなくても。
 校庭の茶色いキャンバスに、長い耳と長い牙を持つ人影が長く長く二つ、伸びている――。
 わたしはルーティを見た。ルーティもわたしを見た。
 ルーティの目には涙の光があった。
 それでもわたしの気持ちは変わらない。



「ルーティ、いままで育ててくれてありがとう」
「リリィ……」
「でもね、わたし――どうしても我慢できないんだ」
 ルーティは小首を傾げる。わからないのだろう。
 もうルーティにとって、我慢できないものは、せいぜい吸血衝動ぐらいで、それを満たせるのに満たさないわたしの気持ちが理解できないのは当たり前だ。
 簡単なのに。
 わたしは、エルフである前に、吸血鬼である前に、
 リリス=ブラックヘッドであるということだ。
「わたし、弱い方の味方なの」
 だって、その方が面白いから。
 しばらくわたしたちは見詰め合っていた。もう殺気はない。パスがふわふわと浮遊魔法で降りてくるのが視界の端に映った。
 ルーティは踵を返した。その背中は、とても小さく、いまにも消えてしまいそう。
「わかったわ、一度だけ見逃すことにします」
「ルーティ……?」
「ですが、二度目はありません。次に出会った時は人間とみなします。それは、殺すってことです。わかっていますね?」
「ええ、わかってるわ」
 ルーティはちら、と悲しげに一度だけ振り返った。
「さようなら、私のいとしい娘」
「ありがとう、母さん」
 わたしは胸が一杯になった。
 背中を向けて去っていくルーティが、あまりにもわたしの考えていた通りに動いたから。
 ポケットのなかにトンカチを練成。
 わたしは、背後からルーティ=オーククラフトを釘よろしくぶん殴り倒した。
 ひよこが出た。






「んむーっ!! んむむーっ!!! むーっ!!!!!」
「はいはいうるさいうるさい。黙ってね」
 げし、とわたしはルーティを踏みつける。両手両足を縛られ猿轡を噛まされた吸血エルフの姿は滑稽で愉快だ。
「あはは、見てよパス。これが単位を与えるモノたちの正体よ。学校なんてクソよ!」
 パスはあまりの光景に声も出ないほど感動しているのか、さきほどから氷の彫像と化している。ただもう、この不確かな世界で、絶対に自分たちに単位が出ないことだけは実感したと思う。
 まだのた打ち回って暴れるルーティの顎をわたしは摘んでくいっと上げた。ああ、なんとゆー優越感。
「敵に背中を見えるとは見下げ果てたわルーティ」
「むむむむむ!」
「なに、それはこっちのセリフだって? あはは、こいつめー」
 わたしはこちょこちょとルーティをくすぐった。
 昔からくすぐり攻撃をすると拳骨を喰らったものだが、いまはルーティの両手を縛ったロープがわたしの安全を保証してくれる。
 ルーティはミミズのようにのたくってわたしから逃げようとするが、吸血鬼からは逃げられない。
「ふん、なにが吸血エルフよ、なにがエルファイアよ。笑っちゃうのよ。わたしは、いまの暮らしが気に入ってる。それを壊すやつは誰だろーと許さない。親子の情もカンケーない。わかった?」
「むん! むむぅ……ん……」
 もはや悶えるのも疲れた、といったていで、ルーティは頬を赤くし涙を流しながらぐったりしている。なかなか扇情的である。写メで三方向から撮影したので、あとでネットにアップしておこう。世の健全な男子諸君にいい夢を!
「ルーティったら吸血鬼どころかサキュバスだね! あははー」
「む……ぐす……うう……」
「り、リリスそのへんにしときなよ……」
「あーたは黙ってなさいパス。あれ、ひょっとしてあんたもこうなりたい?」
 新しいロープをピシン! と伸ばしたわたしにパスが心の底から震え上がったとばかりに、三メートルほど飛びのいた。いい反応。やっぱりあとでいじめよ。
 わたしはルーティの目を覗き込んだ。
「あ――」
 吸血エルフ同士で洗脳の魔眼をぶつけ合えば、心の強い方が勝つ。
 そしてわたしは誰にも負けない。これだけは絶対不変の法則だ。
 わたしはルーティの縄を解いた。ルーティは光を失った眼でカクカクと立ち上がる。
 うむ、急造の使い魔なので行動プログラムにまだ歪みが見られるけど、ま、いっか。ルーティだし。
 ぽけーっとしていたパスの腕を取って、わたしはずんずんと月に向かって歩き始めた。それにルーティがしずしずとついてくる。
「ど、どこいくの、リリス」
「決まってるでしょ。まだ吸血鬼はたくさんいるんだから、わたしたちの学園都市を綺麗にしなきゃね。よーし」
 わたしは右手を高々と夜空にめりこませた。
「狩って狩って狩りまくりだぁ!!!」













 空には煌々とした白銀の月。


 そこには、わたしたち長耳族<エルフ>の祖先が住むという。


 ご先祖様、見ていてください。


 わたしはきっと、立派に、












 この面白人生、楽しんじゃいますから!














                    FIN




       

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