Neetel Inside ニートノベル
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カインド・オブ・ブルー
第16話『わだかまり』

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 ディライツ本船から脱出した飛行艇は、マイン・フォレストを抜け、ボルト運転の元エボラへと向かっていた。その艇内は長期の移動にも耐えうる様になのか、民家の様に広く、台所などが完備されていた。
 オレンジの照明と、木目調の家具で華やかな場所だが、その空気は、まるでしばらく放って置かれた物置の様に重たく沈んだ空気になっていた。
 その原因は、ゼンとクアである。
 ゼンは、彼女の事を一度拒絶している。
 対するクアも、彼に魔女だという事を知られている。
 そんな二人とミーシャにフィーは、ボックス席に四人で座っている。その隣にある長ソファでは、アズマが刀を抱いて、片膝を立て座り、眠っていた。

 皆、ディライツとの戦いで疲弊しきっている中、キッチンダイニングでは、キャシーとセリスは顔を突き合わせ、備え付けの冷蔵庫に入っていた食材を食べていた。
「あんた、ディライツ潰れたわけだけど、これからどうするわけ?」
 骨付き肉を、歯でそぎ落とし、口の中で咀嚼しながら言うキャシー。
 セリスは、「別に。何も考えてないけど」と、生ハムを口に放り込む。「まあ、とりあえず、適当に世界をぶらぶらするつもり。実家に帰ってもいいしね。――それとも、私を捕まえる? 賞金稼ぎさん」
「やめとくわ。……結局、みーんな捕まえられなかったし。それならいっそ、儲けは無いほうが諦めはつくのよ」
「ふーん。……あっさりしてるのね。っていうか、私のことより、あなたはどうするわけ、これから。言っちゃなんだけど、ディライツ程の賞金首はそういないんじゃない」
 キャシーは、目の前に広がる食材を次々に口へ放り込んでいきながら、横目でちらりとゼンを見る。
「とりあえず、あの子についてまわることにしたわ。――気になることもあるし、ね」

 それっきり、二人は無言になった。
 二人が無言になるとはつまり、この船が無言になったということだ。エンジン音と、外を吹き荒ぶ風。そして、ミーシャの貧乏ゆすりだけが世界の音。
 とたん、その音の一つ、貧乏揺すりが止まった。
「つーかさあ! もうよくない!? どっちも!」
 ミーシャがいきなり立ち上がって、ゼンとクアの二人に向かい怒鳴り始めたのだ。何事か、と食事に夢中だった大人二人と、寝ていたアズマまでもがミーシャに視線を集める。
「こういうのはもう、面倒くさいのよ! なんで関係ない私まで気まっずい思いしなきゃなんないわけ!?」
「それ言えるのが君のすごいところだねえ……」
 と、寝ぼけ眼のアズマは呟く。アズマは、彼女の思ったことをあけすけと言う所を高く評価している。こういうところで暴発するのは、多少マイナス評価ではあるが。
「いや、それは、悪いと思ってるんだけど……」
「わ、私も皆さんには悪いとは思ってるんですけど……」
「悪いと思ってるんでしょう!? だったら、言う事あるでしょ!」
 ゼンとクアは、目を合わせる。こういう時、立腹している人間がいる場合、言うべき言葉はただひとつ。
「ごめん……なさい」
 クアが謝ってしまったので、ゼンも恐る恐る頭を下げ、「悪かった……」とクアに倣った。
 それだけ聞いて満足したらしいミーシャは、腰を投げ出す様にして座る。その様は満足気、というよりは偉そうに見えるのだが。一歩間違えたらとんでもない雰囲気になるだろうに、なぜそこで一歩踏み出せるのか、ゼンには甚だ疑問だ。
 そして、尊敬もしていた。
 ミーシャの美徳は、嫌われ者になれる所だと、ゼンは長年の付き合いで知っている。いがみ合いをしている両者の間に立ち、敵になったり架け橋になったりができる人間だと。ゼンは知っている。それは紛れもない勇気だということも。
「あんたらさ、顔突き合わせて黙ってないで、話し合いなさいよ。――人間、話し合いで解決できないことの方が少ないんだから。話し合いで解決できないのは、宗教と信念だけなんだから」
 歯を見せて笑い、ミーシャは立ち上がって、キャシーとセリスのいるキッチンダイニングへ行ってしまった。フィーも、その空気を察してか、ミーシャについていく。
 残されたゼンとクアは、それでも話すきっかけを見いだせないでいた。互いに口を動かしはするが、すぐにやめ、また動かしを繰り返す。
 勇気が必要だ。一歩踏み出す勇気が。ゼンにはそれが、決定的に足りていない。
 一度深呼吸して、ゼンは、ミーシャの背中を思い出す。一歩踏み出せば、後は勝手に後ろ足もついてくる。
「俺の親父、さ……マリー病で死んだんだ」
 原始の魔女、『マリー』が撒いた毒素によって、体が焦げたように黒くなっていき、最終的には崩れて死ぬ。死体が残らない病。
 ゼンは今でも覚えている。父の最後と、父だった灰で染まった、黒いベット。
「だから、魔女ってやつが、俺にはどうしても怖い……。あんなに強かった親父を負かした。俺にとって、魔女はそういう存在だった」
 クアを見ないよう俯きながら、独り言みたいに、震えた声で話を続ける。
「……でも、それは別に、クアの所為ってわけじゃないんだよな。これからは、そう考えるようにする。あの時見捨てたこと、本当にごめん」
 深々と体を折り曲げるみたいに頭を下げ、ゼンは「俺が言いたいのは、それだけ」とだけ。
「……ゼンくんが悪いわけじゃないです。私が魔女だから、こんなことに巻き込んで――」
 二人の間に再び、ガスの様に重い空気が積もる。その瞬間、まるでその空気を裂くみたいに、空からナイフ――キャスターが降ってきた。どうやら、その空気にイライラしたミーシャが投げたらしい。目をギラギラと、ナイフにも負けないくらいギラつかせながら、ゼンとクアを見ている。その視線に気圧され、あるいは後押しされ、ゼンは「とにかく、ごめん。俺、これからクアのこと守るから」そう言って、また頭を下げた。
 クアは、それを見て、小指を立てた右手を差し出す。
「じゃあ、約束。指切りげんまん、してください」
 はにかんだ様に、そして遠慮がちに言うクア。ゼンは微笑んで、その小さな指と約束を結んだ。
「指切りげんまん嘘吐いたら針千本のーますっ!」

 そんな風に、二人はわだかまりを端に置いた。なくなったわけではないけれど、いつか風化するまで、無視することに。
 だがその一方で、もう一つのわだかまりが、ミーシャのいるテーブルにも、大きなわだかまりが、確かな存在感を放っていた。フィーとセリスの睨み合い。正確には、フィーが一方的に睨んでいる。
「セリス・レズテル」
 唐突に名前を呼ばれ、セリスの顔に小さな緊張の色が走る。フィーの声は、顔は、非常に真剣なもので、大事な話なのだと、ミーシャはすぐに悟った。
「あなたは、『アテナ』を襲った空賊の一人、ですね」
 力を抜き、頭を落とすみたいに、セリスは頷く。
「一応言っておくけど、私は謝らないし、罪悪感とかないから。ここはそういう世界でしょ」
 人類が空に進出してからというもの、世界はお世辞にも治安がいいとは言えない。
 進出してすぐの混乱期と、先の大戦と。その二つが残した傷跡は、未だ癒えていない。各地に散らばった地上のテクノロジーの回収や、広大すぎる空には万全と言えない治安体制。
 弱肉強食。強い人間が弱い人間を食い物にする。そんな思想が、一部には根付いていた。
「ほら、あれ。船長の言葉を借りれば、『奪うことは生きること』――ってこと」
 ふう、と小さくため息を吐き、セリスは自身の左胸に、右手を置く。
「私から謝罪を引き出したいなら、私の命を握りなさい。そうすれば、嘘偽りのない真実で謝る。――私がしたように、あなたが私のプライドを砕きなさい」
 胸に置いていた手を離し、セリスはテーブルの上にあった生ハムを二切れほど口に放り込んだ。それを咀嚼しながら、セリスはじっとフィーを見ていた。
 忌々しい表情でセリスを見つめる彼女は、戦闘能力でセリスには勝てない。魔法は使えても、周りが言うほど物騒な技術というわけでもないのだ。
「――いつか必ず、あなたを殺しに行く」
 だからフィーには、これを言うのが精一杯。セリスはライ麦パンにトマトと生ハムを乗せながら、「あ、そ」とだけ呟き、その即席サンドイッチを頬張る。
「早くしてよね。私もいつ死ぬかわからない。あなたみたいなのは、たくさんいるから」
 鼻を鳴らし、フィーは山積みになっていた食材から、リンゴを掴んで、荒々しくかじりついた。



  ■



 ゼン達のいる地点から遥か遠い地点に、地上から伸びる塔が建っている。この空の世界を事実上支配している王家、『マイスター一族』の象徴。
 その名もバベルの塔。
 空の世界で一番気高く、不可侵な領域。その塔の最上階に、一人の男がいた。
 マイスター家、現当主。『ゼオン・マイスター』
 玉座に座って、ワインを傾け、彼は空を見ていたバベルの塔最上階は壁天井すべてがガラス張りになっている。
 ゼオンは、赤いガウンに白いシャツと黒のズボンを穿いた、二十歳そこそこの青年だ。鼻が高く顎も細い。髪は銀色で、瞳は黒。品のいい顔立ちをしている。
「……ねえ、エリアル」
 彼は退屈そうにしていたが、どう暇を潰そうか考えている内に何かを思い出したらしく、隣に立つ、黒い軍服を着たベリーショートの女性の名を呼んだ。
「空賊に頼んでた魔女の件、どうなったの?」
「魔女を三人捕獲した後、襲撃を受け船は地上へ。魔女は無事なようです」
 凛とした声が、二人だけの部屋に響く。グラスを揺らし、中のワインを観察しながら、ゼオンは「役に立たないなぁ」と呟く。
「その三人を除いて、魔女は後何人だっけ?」
「後五人です」
「そっか。……ま、すぐ見つかるかな」
 そこからしばらく、二人の間から会話が消えた。エリアルから話すことは絶対にない。ゼオンはそういう次元の人間ではないから。
 彼が望まない限りしゃべらず、動かず、思わず。一切の食い違いなく彼の意思を優先する。それを彼女に迷わず実行させることができる。ゼオンの権力の大きさだ。
「――ねえエリアル? キミはこの世で一番価値のあるもの、わかる?」
「……さあ」
「じゃあ、このワインは何年モノのどこ産?」
「三十年、エボラ産です」
「そう」グラスを傾け、揺れる中の液体をじっと見るゼオン。
「この世で一番価値があるのは、『歴史』あるいは『伝統』だよエリアル。そこには積み上げられた膨大な時間がある。そして僕が、その歴史をこうして飲み干す」
 グラスに唇を乗せ、中のワインを一息で飲み干した。
「これは最高に贅沢だと思わない?」
「はい」
「この世界は僕にとってワインだ。いまは熟成するのを待つようなもの。――熟成にはどうしても、魔女がいる。八人の魔女が」
「心得ております」
「君はいつもそれだなぁ」
 苦笑し、エリアルにグラスを差し出す。エリアルは、持っていたボトルからワインを注ぐ。
「――にしても、空賊、ディライツだっけ。あいつらそこそこ強かったよね? 誰が倒したの。賞金稼ぎ? だったらイヤだなぁ。計画の邪魔したやつに懸賞金払わなきゃなんて」
「次はどうしましょう」
「……やっぱり空賊如きに任せたのがダメだったね。軍の何人か、出しといてよ。特別任務だって。魔女の捕獲」
「了解しました」
 静かに、湖畔を舞う風のように笑って、ゼオンは再びワインを口にした。

       

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