Neetel Inside 文芸新都
表紙

アハッピーメリーマリークリスマス
雨は夜更け過ぎに雪へと変わるらしい

見開き   最大化      

 雨は夜更け過ぎに雪へと変わるらしい。
「さいれんなぁあいぃうぉおおうほぉおりぃいなぁあぁいぃ」
 バイトが終わり、いつも通り日が変わる前に店を出た。空を見上げると一面の闇が広がる。月が出ていない事からどうにか空が雲に覆われていると言うことを悟った。
「あぁクリスマス、クリトリスマタスだなぁ」
 僕はネックウォーマーに顔を埋め、ジーンズに手を突っ込む。きつめのジーンズなので下にパッチをはけないのが難点だ。
 バレンタイン、ホワイトデー、花火大会に夏祭り。
 その中でもクリスマスと言うのは独り身の人間にとって最も辛いシーズンになるのだ。
 いっそのこと全く無関心でいられたら楽なのだろうが、どうしてだろう、どうしても意識せずにはいられないのである。
 皮肉にも彼女のいない人間ほど、こう言うイベント事に対してアンテナを張り敏感に反応してしまう物なのだ。
「結局クリスマスに嘆く自分が好きなんだよね」
 歩きながら呟いたこの一言が全てである。

 バイト先からは五分も歩けば我が家である。
 八階建てマンションの最上階、一番端。そこが我が家だ。
 鍵を開けて寒気から逃げるように中に入った。刺すように吹いていた風がピタリとドアに阻まれる。どうにか生き延びたようだ。
 リビングに入ると母がいた。もう寝間着を着ている。寝る直前なのだろう。
「ただいま」
「おかえり。あんた、晩御飯は」
「いらない。寝る」
「明日大学は」
「いらない。寝る」
「あぁそうだ、明日お母さんとお父さん朝早いから。六時には仕事で家出るから。ちゃんと起きて学校行きなさいよ」
「いらない、寝る」
 リビングを抜け、自室のふすまをピシャリと閉めた。そのまま勢いよくベッドの上にダイブする。空中で布団をめくり、着地する前に既に体を羽毛で包むことも随分上手くなっ*た。全く意味の無い無駄な特技だ。
 布団に入ると自然と瞼が下りてきた。どうやら相当疲れていたらしい。クリトリスシーズンのかきいれ時だったのだ、当然か。
 眠りに落ちる前に携帯を開いた。日付が変わっている。
 十二月二十四日。クリスマスだ。
 きっと明日の今頃、沢山のカップルが夜の街に消え、オマンコするのだろう。僕に出来る事はオチンポを擦ってピュルピュッピュするしかない。悔しい、でも感じちゃう……!
 皮肉にも明日はアルバイトが入っていない。
 二十四日は出勤でシフトを提出したはずなのだが、人手が足りていると言うことで休みにされてしまった。クリスマスにあえてバイトを入れて不幸自慢をしようとしたのだが、どうやらバイト先の独り身の奴らも同じ事を考えていたみたいだ。全く鬱陶しい物である。
 僕は瞼を閉じた。暗闇が一日の終わりを告げ、安寧を僕にもたらす。
「クリスマスは独りかぁ。せめて肉便……彼女がいればなぁ。ムニャムニャ」
 肉便器、と言いかけて言葉を正した。もしサンタさんがこの独り言を耳にしてしまった時、肉便器を比喩表現と捉えずに文字通り肉で出来た便器を用意する恐れがあるからだ。
 二十一にもなって割と本気でそう言った事を配慮する自分の馬鹿さ具合を愛おしく思いながらいつの間にか僕は眠りに落ちた。
 
 妙な夢を見た。
 雪が一粒、ゆっくりと落ちてくる夢だった。
 ゆらりと空気の抵抗に揺られながらその結晶は徐々に高度を落とし、まるで鏡の様に景色を反射した湖の中心に落ちる。
 結晶が水に溶け、波紋を作った。それと同時に、鈴の音が鳴った。
 シャンシャンシャン。
 シャンシャンシャン。
 波紋は大きく広がっていく。鈴の音も、波紋に共鳴するように空間に浸透する。
 その音色はどこまでも広大に広がる気がした。
 
 パッと目が覚めた。深く眠ってしまったのだろうか、驚くほど寝覚めが良かった。締め切ったカーテンの向こう側から雀の鳴き声が聞こえていた。わずかながら外の光も侵入している。
 ふと時間が気になって枕もとのに置いておいた携帯を手に取った。朝の七時。僕が寝たのが零時だったから丁度七時間眠ったことになる。
「なるほど、どうやらお昼まで寝て怠惰に一日を過ごす、と言うのは認められないみたいだな」
 二度寝するのも面倒だったので僕は思い切り反動をつけて上体を起こした。そのままぐっと伸びをする。
 ふと台所からトントントン、と包丁の音がした。誰かが朝ごはんを作っているようだ。母が昨日、今日は朝早くに出ると言っていた。でもこうして朝食を作っていると言うことは、何か事情でも出来たのだろうか。
 僕はふすまを開けた。
 サンタ服を着た女性がキッチンに立っていた。僕が起きたのを悟り、ゆっくりと振り向く。目が合うと、彼女はにっこり微笑んだ。恐ろしく美人だ。美人過ぎて嫌悪感がわくレベルである。
「おはようございます、マスター」美人が言った。透き通るような澄んだ声だった。
 僕は気付かれないように深呼吸して、気持ちを整え軽く頷く。
「うむ、おはよう。何作ってるの?」
「お味噌汁用にネギを切ってるだけです。朝食に昨日の晩御飯の残り物を食べられるかと思ったんですが、やっぱり残り物のお味噌汁だとネギが欲しいかと思いまして」
「期待はずれもはなはだしいな……」
 僕は呟くと玄関へ向かった。そのままドアを開ける。
「うわぁ、ちょっとすごいよ! 君も来てみなよ」僕はリビングへ叫んだ。
「どうしたんですか? マスター」
 とてとてと彼女が駆けてきたので、僕は手招きして彼女を呼び寄せた。
「ちょっとここ立ってみて」外の廊下を指差す。
 はい、と彼女は不思議そうに指示に従った。僕は「うむ」と呟くと扉を閉め、鍵をかけた。誰だあいつは。

 リビングに戻ってキッチンに目を向ける。先ほどの美女が切り物をしていた跡が残っていた。どうやら夢でも幻でもないらしい。
 まな板の上には青ネギがみじん切りされており、独特の匂いを放っていた。
 僕はまな板の上のネギを全て味噌汁の入った鍋にぶち込んだ。さすがに量が多すぎたか。味噌汁の表面は鮮やかな緑で染まった。
 まな板と包丁を洗うとふと先ほどの女性の事を考えた。勢いで追い出したが大丈夫だろうか。心配する義理もないが、さすがにあれだけ冷たくすると良心の呵責にさいなまれる。
「話くらい聞くべきだったかな」
 僕は玄関まで行くと、覗き穴から外を見た。誰もいない。どこか行ったのだろうか。
 鍵を開けて、恐る恐る扉を開く。扉から頭だけ出して周囲を確認した。やはり彼女の姿はない。
 冷静に考えれば、あれだけの美女と話す機会などないのだ。素直にクリスマスプレゼントだと受け取っていたらよかったかもしれない。
 僕は後悔の念が渦巻くのを感じながら扉を閉めようとした。しかし閉まらない。何か挟まっているのかと視線を下にやる。
 頭が挟まっていた。
「酷いじゃないですかマスター。このご時勢に外に放り出すなんて」
 サンタ服の彼女は横たわりながら頭を扉に挟んでいた。僕は悲鳴を上げた。

「私はクリスマスプレゼントなんですよ」
 彼女は赤外線ストーブの前で手を擦りながら言った。
「クリスマスプレゼント?」
「はい。今業界ではクリスマスキャンペーンと言うものを行っていまして。全国のモテない男性方に神様からプレゼントを与えようと言うことになったんです」
 どこの業界だよ、とは突っ込まずにいる事にする。
「つまり今頃僕のように全国各地の男性に肉便……彼女がプレゼントされているって事?」
「もちろん、願わなければ与えられませんけどね。それにプレゼントされるには条件があるんです」
「どんな?」
「彼女いない暦と年齢が一致している。非童貞以下、つまり童貞と素人童貞である。ノンケ、もしくはバイである。恋愛対象が三次元の女性である。二十歳以上である。そんなところです」
「なるほど、つまり女性をプレゼントしても問題ない人間がチョイスされたわけか」
「そういうことです。お分かりいただけましたか?」
「お、おぉ」僕は曖昧に返事した。「まぁ大体は。うん、プレゼントか、なるほど」
「マスターは非常に適応性と言うか、柔軟性と理解力が早いですね」
「ある日突然美少女が目の前に現れてトラブルに巻き込まれる。アニメではよくある事さ」
「現実ではまず起こり得ないと思うんですけど……」
「もちろんその通りだ。現に僕はこうして物分りが良い人間のフリをしているが君の話など微塵も信じていないし、両親の留守を狙って我が家に無断で入り込んだ詐欺師か泥棒か強盗ではないかと思っている。君が妙な行動をすれば躊躇せずに拘束して警察に突き出すつもりだよ」
「本音出しすぎですよ……」
 傷ついたような表情だった。だが仕方ない。表には出さないが、僕だって混乱しているのだ。
 それでも彼女をこうして家に上げているのは、もしかしたら本当に神様がクリスマスプレゼントをくれたのかもしれないと言う祈りにも似た願いがあったからだった。
「一つだけ確認したい事があるんだけど」
「何でしょう」
「君は確かに僕の肉……彼女なんだよね」
「はい。肉便……彼女です」自分で肉便器と言おうとした彼女に狂気を感じた。
「早い話、僕の願いが具現化したんだよね」
「そう思ってもらって構いません」
 なるほど。それなら彼女が僕の事をご主人様ではなくマスターと呼ぶのも理解できる。
 昨晩、僕は確かに肉便器を願ったが、妙な配慮から途中で彼女が欲しいと願いを改めた。つまり肉便器と恋人の中間的な存在が生まれたのだろう。
「しかしそうだとすると分からない事がある」
「なんでしょうか」
「僕の願いを具現化したくせに君はどう見ても僕の好みではない。僕が求めていたのはGカップのロリっ子美巨乳なのだが、君はCカップのお姉さん系美女だ。貧乳に用は無い」
「そんなはっきりいわないで下さいよ……」辛そうな表情だ。「ほら、マスターの願いがそのまま形になったら、色々まずいでしょう? 法律とか」
「大人の事情が配慮されたって事か……」
「そうなんです。特に最近規制が厳しいし、色々すみません」
「せめて巨乳だけでも通してくれたら……」
 僕は悔しさがこみ上げるのを感じた。重い沈黙が満ちる。
「まぁ、ほら、せっかくのクリスマスに女の子がいるんですから、元気出してくださいよ」
 場の雰囲気を和ませようと彼女が言った。僕は優しく微笑むと、軽く頷いた。
「そうだね。こんな機会滅多にないんだから。とりあえずエッチしようか」
「待って下さいよ。直球過ぎます。せめてもうちょっとオブラートに包んでくださいよ」
「無理だよ。僕は可愛くない女の子を無理やり褒めてどうにかエッチに持ち込もうとする世の男性方の様に器用じゃない」
「だから童貞なんですよ……」
「痛い所を突くね」
「痛い所を突くって、なんだかゲイに掘られるのを連想させますね」
「顔射されて正にホワイトクリスマスだな」
 アッハッハと僕らは笑った。どうにか場は和んだようだ。酷い和み方だ。
 では、と不意に彼女が手を叩いた。
「どこか出かけましょうか、マスター」
「どこかって、どこへ?」
「デートですよ、デート。クリスマスに男女がいてデートもしないなんて馬鹿げた事がありますか」
「でも僕お金ないよ。今三回生でもう時期就活だから貯金しなきゃ駄目だし、使いたくないんだ」
「そういう現実的な問題を持ってこないで下さいよ……」
「すまない。僕は男性に奢らせて当然だと言う考え方の女性が嫌いなんだ」
「大丈夫です。私が奢ってあげます」
「君、お金あるのかい」
 僕の問いに彼女は頷いた。
「ちゃんと天界から軍資金を提供されています。一千万ほど、私名義の口座に」
「提供し過ぎだろ……」
「じゃあマスター、早く着替えてきてください。行きましょう、デート」
 こうして夢の様なクリスマスが始まった。

       

表紙
Tweet

Neetsha