Neetel Inside 文芸新都
表紙

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 ユニクロを出た時、まだ時刻はお昼を回ったばかりだった。しかしそれとは相反して、外は随分と暗い。
「もう今にも降り出しそうって感じだな」
「雨降ったら困りますねぇ」サンタ服の入ったユニクロの袋を持って彼女がポソリと言う。
「どうする? これから」
「お昼食べませんか? ここら辺でおいしい店とかで」
「そう言う店は知らない事もないが、クリスマスのお昼だぞ? 予約もなしに美味しい店に入れるわけあるまい」
「そっかぁ、そうですよね」彼女は肩を落とす。どうにかしてやりたい気もしたが、こればかりはどうにもできない。
「まぁここらへん食べ物屋さんは色々あるんだ。シラミ潰しに歩き回れば良いさ」
「そうですね」
 その時、ポツリ、と空から滴が落ちてきた。
 ポツリ、ポツリ、ポツリ。
「あちゃー、マスター、降ってきましたよ。雪じゃなくて雨」
「分かってるよ」
 僕は周囲を軽く見回した。道の隅の方、丁度曲がり角の辺りにある小さな屋根付きのお店が目に入る。
「あそこまで走れ」
「あっ、ちょっと待ってくださいよ」
 僕達はその屋根の下まで走った。どうにか被害が出る前に辿り着いて一息つく。ここなら濡れる事もなさそうだ。
 まるで箍(たが)が外れたように雨は降り注ぐ。風が吹いていないから良かったものの、随分きつい雨だ。まるで夕立だ。
「きつい雨ですねぇ」
「当分動けそうにないな」
 せっかくのクリスマスなのに、彼女はそうぼやくだろう。
 しかし意外にも、隣から聞こえてきたのは笑い声だった。
「フッフッフ、マスター、私を侮ってもらっちゃ困りますぜ」
「侮るも何も、そもそも君の評価はそれほど高くないよ」
「これを見ても同じ事が言えますか?」
 彼女はそう言ってユニクロの袋から茶色い棒状の物を取り出した。
「なにそれ、ウンコ?」
「違いますよ! 何でそういう発想になるんですか! 傘ですよ傘! 折り畳み傘」
「傘」
「はい。先ほどユニクロで傘を売っているのを発見しまして、こういう事もあろうかとお会計の時にこっそり忍ばせていたんですよね」
「いつの間に、全然気付かなかったよ」
「出来る女なんですよ、私は。何せクリスマスの使者、プレゼントガールですから」
「なるほどね。確かにこれは君の事を認めざるを得ないな。で、僕の分は?」
「えっ、一本しか買ってませんけど」
 予想通りの展開に僕は舌打ちをした。彼女はイラついた僕を見て慌てたように言う。
「ほ、ほら、クリスマスだし、カップルなんだから相合傘も悪くないかなぁって」
 僕は彼女を見てため息をついた。そもそもクリスマスと相合傘は関係ない。
「まぁ、傘が一本しかない以上、それしか方法はないか……」
「そうでしょう? それじゃあ開くんで、なるべく私にくっつくようにして入ってくださいね、カップルらしく」
「カップルは嫌だからセックスフレンドと言って欲しいな。それなら許容出来る」
「セック……童貞の癖におこがましいですよ」
 その時隣から「くちゅん」と言う世にも可愛いくしゃみが聞こえた。
 僕らは一瞬目を合わせ、同時にその音の方に目を向ける。
 いつの間にいたのか、女の子が立っていた。寒そうに体を震わせている。見た感じ、小学二年生と言うところだろうか、どうやらこの雨で立ち往生してしまったらしい。全然気がつかなかった。
 女の子は、右手に大きな箱の入った袋を持っていた。
 僕達の視線に気付いたのか、女の子もこちらを見た。目が合う。
「君も雨宿り?」なんだか気まずくて思わず尋ねた。女の子は丸い目で頷く。
「お父さんやお母さんは?」
「おうち」
「じゃあ独りでここまで来たの?」
「うん。ケーキ買いに来たの」
 彼女は僕達の背後にある窓を指差した。そこから店内が一望できる。色とりどりの洋菓子が並べられていた。
「あー、ケーキ屋さんだったんですねぇ、ここ」
「お使いで買い物に来て、帰りしなに運悪く雨が降ったってとこか」
「せっかくのクリスマスなのに、災難ですね……」
「風邪引いちゃうかもなぁ」
 そこで何気なしに彼女の傘が目に入った。
「……ちょっとその傘貸して」
 彼女は言われた通りに僕に傘を渡す。僕は頷くと、それを少女に手渡した。
「これ使っていいよ」
「えっ?」
 少女は差し出された傘と僕の顔を交互に見た。少女の大きな目に、僕が映りこむ。
「本当?」
「うむ」僕は頷くと、彼女のユニクロの袋から帽子を取り出した。サンタ帽だ。
「実は我々はサンタなのだよ」僕は帽子をかぶった。「それは僕から君へのプレゼントさ」
「本当にいいの?」
「うむ。その代わり気をつけて帰って、楽しいクリスマスを過ごすんだ。良いね?」
 僕が言うと少女はこくりと頷いた。
 傘を開いて、少女は帰り際「ありがとう」と言った。僕はその背中に「メリークリスマス」と声をかける。
 我ながら柄にも無い事をしてしまったと思う。
「良いんですかマスター、こんな雨の中帰らせて」
「ホールケーキなんて重い物をお使いで買いに行かせるんだ。あの子の家はここから近いと思うよ。きっと大丈夫さ」
「せっかくのクリスマスですもんね。こんな雨の下で独りは可哀想」
「うむ。……でも、多分君が居なかったらこんな事していないけどね」
「どうしてですか?」
「分かりやすく言うと、人を楽しませようとする君の姿勢に心打たれた」
「マスター……」彼女はそっと微笑む。
「よせやい」僕はなんだか照れくさくなって、鼻をすすった。
「あの傘で、向かいのコンビニのビニール傘を買ってくれば私達も移動できたのに……」
「よせやい」
 過ぎた事をとやかく言うべきではない。

 しばらく、僕たちは黙って雨が降る様を見つめた。なかなか弱まる気配がない。
「雨、やまないですね」
「そうだね。……ところで君、寒くはないかい?」
「少し寒いです」
「そうか、頑張れ」
「……」
 責める様な視線を僕は無視した。
 またしばらく雨を眺める。一粒が大きい。一体いつまで降るのだろうか。
 クリスマスに降る雨。立ち往生。せっかくのデートなのに盛り下がる雰囲気。
 あまり幸せとは言えないこの状況下で、どうしてだろう、どこかホッとしている自分が居る。
「僕は、クリスマスに誰かと過ごすのがあまり好きじゃないんだ」
 何となく、口にしていた。
「昔からこの季節になると特に楽しい事もなくてさ、親からのクリスマスプレゼントも中学までには打ち切られていたし、新学期になって学校に行くといつも皆がクリスマスパーティーの話をしているんだ。クラスで開かれたクリスマスパーティー、もちろん、僕は呼ばれていない」
 彼女は何も言わない。雨を眺めながら、僕は続けた。
「大学も知り合いは出来たけど、友達と呼べる人は出来なかった。三年間、アルバイトばっかりしてきたよ。毎年クリスマスになるとバイトに入ってた。幸せそうな人を眺める度に呪詛を唱える自分がいて、そんな自分がちょっと好きだったんだよ」
 一呼吸置く。
「だからかなぁ。今年、一緒に過ごしてくれる人がいてくれて、何だか妙に不安になったし、ソワソワしていた。ずっと心が落ち着かないんだ。僕みたいな人間が幸せになって良いのかって疑問に思ってしまう」
 それは先ほど打ち消した感情だった。気づいてはいけない感覚だったのだ。
「そもそも僕は幸せになんかなりたくないんじゃないのか、僕にその資格はないんじゃないのかって、そう思うんだ。僕はずっと、誰かを羨んだり、呪ったりしながら生きていくのがお似合いじゃないのかって、君が来て改めて感じた」
 言うべき言葉ではなかった。僕が言った事は、今日僕の元に現れた彼女を否定するのと変わらないのだ。
 気づいてはいけなかった。気づけばきっと相手を傷つける。分かっていたのに、言ってしまった。
 しばらく重い沈黙があった。僕は罪悪感からか、まともに彼女の顔を見る事が出来なかった。
 不意に隣から深いため息が聞こえた。呆れられたのだろうか。
「マスターは、本当に馬鹿ですね」
 思わぬ返答に、思わず彼女を見た。
 彼女は呆れたように笑っていた。
「言ったでしょう? マスターは物事を自分で複雑にしているんです。あなたの本質は簡単明瞭、いつだって単純なんです」
「どういう事だい」
「端的に言うとマスターは幸せになる事に慣れていないんです。だからいざ楽しい事や、嬉しい事が目の前に差し出されるとどう接して良いのか分からなくなってしまう。その戸惑いを、マスターは勘違いして理解してるんです」
 そして彼女はいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「マスターはしっかり、幸せになりたがってますよ。その証拠に、さっき女の子に傘をプレゼントしたじゃないですか。人を幸せにしようとする人が不幸になりたがっているはず、ありません」
 その言葉は妙に心の中に響いた。今朝見た夢の様に、波紋となり広がっていく。
 絡まった糸が解けるような気がした。
「だと良いけどね」
 知らない間に、自分の顔に笑顔が浮かんでいるのがわかった。
「あのー、よかったら中に入りませんか?」
 不意に声がした。見るとケーキ屋の店員がドアから顔を覗かせていた。
「さっき女の子に傘あげてましたよね? それで困ってるんじゃないかと思って。外じゃあ寒いですし、うちの店半分カフェにもなってるんですよ。よかったらどうかと思いまして」
「良いんですか?」
「ええ。あっ、そのかわりと言っては何なんですが、ケーキ食べていきませんか?」
「ケーキ?」
 僕が尋ねると、店員は笑って頷いた。
「だって今日はクリスマスじゃないですか」

「良い事ありましたね、マスター」
「良い事なのかな、上手く営業されたって気もするけど」
「でも、お腹ペコペコだったし、ちょうどよかったじゃないですか」
「まぁそれもそうだね」
 お店の中は半分がケーキを販売するブース、もう半分がカフェになっていた。気に入ったケーキをそのまま店内で食べられると言う訳か。妙に古びた木製の造りが店の雰囲気を良くしている。
 僕がぼやいていると、先ほどの店員がメニューを持ってきてくれた。
「でも本当に良いんですか? クリスマスだし忙しいんじゃ?」
 見ると壁に十二月二十四日のカフェ営業は都合により休止すると書いてある。
「良いんですよ。ほら、この雨でしょう? やむまで当分お客さんも来そうにないですし」
「ほらマスター、こう言って下さってるんだし、素直にお言葉に甘えましょう」
「マスター?」店員が僕を見て不思議そうな顔をする。
「あだ名です」
「変わったあだ名なんですね」
「よく言われます。僕は不本意ですが、この女が僕をマスターとしか呼ばないのです」
「この女って言い方はないんじゃないですか? まったくもう、ツンデレなんだから」
「誰がツンデレだ」
 僕らが言い合っていると店員はクスクスと笑った。
「お二人、仲が良いですね」
「そうですか?」僕は眉にしわを寄せた。
「そうですか?」彼女は顔を緩めた。
「ええ、とっても。見ててこっちまで楽しくなりますよ」
「そんなに褒めないで下さいよ」
 デヘヘへと笑う彼女を僕は目で殺した。
「ふふっ、それじゃあご注文お決まりになったらお呼びください」
 にっこり笑って店員は店の奥へと戻って行った。

 季節の果物のクリームケーキと言う物とコーヒーを二つずつ頼んだ。
 運ばれてきたケーキを見て、彼女が目を輝かせる。
「うわぁ、美味しそうですね、綺麗ですね、マスター」
 フォークでケーキを一口。悪くない。
「んー、美味しいですねぇ」
「本当に君は何やっても楽しそうだな」
 思わず苦笑した。
「そりゃあクリスマスですもん。楽しまなくちゃあ損じゃないですか」
「そうだね」
 そうか。ふと不意に思う。
 彼女たちにとっては今日が最初で最後のクリスマスなのか。
「ずっと気になってたんだけど」
「何ですか?」
「君たちはその、『神様』に創られた存在なのか?」
「どうなんでしょうね? 私にもよくわかりません。気がついたら私たちは天界にいまして、地上で生活するうえで常々必要な知識や常識、それに誰にプレゼントされるのかと言う事はすでに知っていましたから」
「地上へはどうやって来たの?」
「準備完了したら転送装置で送られました」
「何だそりゃ」
「私にも良くわかりませんよ。いやホントに」
「まるで出来損ないのSFみたいな設定だな」
「でしょうねぇ。私もそう思います」
「大変じゃないの? そんなに急に地上に送られて」
「んー、どうでしょうかね」
 彼女は難しい顔をしてケーキを口に運んだ。
「少なくとも今は楽しいですけどね」

 しばらくケーキを堪能した後、ふと窓の外に目をやった。いつの間にか雨はすっかり止んでおり、代わりに白い物がゆらゆらと揺らめいている。
「マスター、雨は夜更け過ぎに雪へと変わりましたよ」
「まだ夕方ですらないぞ……」
 でも確かに、雪が降っていた。ホワイトクリスマスだ。
 出来すぎだ。最低のご都合主義なクリスマスだ。気持悪いくらい環境が整っていて、体がむず痒くなる。
「素敵ですねぇ、マスター」窓を見上げながら、頬にクリームをつけて彼女が言う。
 でもまぁ、少し思った。
「悪くはないな」

 店員にお礼を言い、僕たちはお店を後にした。
 雪の降る街を、僕たちは色々と見て回った。
 空がすっかり暗くなった頃、ゆっくりと散歩しながら自宅へと向かう。
 それに伴い、言葉数が徐々に少なくなる。
 もう、別れの時が近いのだとお互いに感じていた。
「マスター、明日はどうされるんですか」
「どうもこうも、明日はバイトだよ」
「そうですかぁ。頑張ってくださいね」
「気軽に言ってくれる」
「だって私、明日は居ませんから」
 今日一日、暗に避けていた事を彼女が言う。その言葉は予感を確信にした。
「マスター、今日一日、考えてました。私達プレゼントガールの事」
「うん」
「好きでもない人を彼氏だと言われて、果たしてそれで本当に良いのか、マスターは尋ねましたよね」
「うん」
「でも私は、少なくとも私は、今日一日楽しかったです。マスターの所に来て良かったと思っています」
「うん」
「もし、私達の感性が似ているとして、相性の良い人間がカップルとして組み合わされるとして、神様から言えば、もうプレゼントガールが幸せになる事は決まっているんだと思います。きっと、いや、絶対そうです」
「ただ適当に女の子を派遣させたわけじゃないって事か」
「その通りです。童貞の男子諸君へのプレゼントになる一方で、私達へのプレゼントでもあるんです、これは」
「そうだといいね」
「私はそう信じます」
「そうか、ならそう言うことにしておこう」
 今日一日、色々あった。
 十二月二十四日、この日不幸だった人は確かに居ると思う。
 もしかしたら世界のどこかで誰かが殺されているかもしれない。
 恋人が待ち合わせ場所に来なくて、明石家サンタに電話しているかもしれない。
 就職活動で故郷を離れ、東京に行かなければならない人も居るかもしれない。
 一日仕事で、酷い目にあった人もいるかもしれない。
 それでも、クリスマスは平等にやってくる。きれい事でしかないが、今はこう言える。
 この日は、良くも悪くも特別なのだ。
 やがて僕のマンションの前へとやってきた。そこで、隣を歩いていた彼女が僕と対峙する。
「それじゃあ私はここで失礼します」
「もうお別れか」
「寂しがらないで下さいね」
「寂しがるもんか。……結局、クリスマスに童貞卒業は叶わなかったな」
「二十年も童貞してるんですから、そう甘くはないですよ、世の中」
「本当、口だけは達者だな」
 僕は右手を差し出した。
「握手、してくれないか」
「普通こういう時はキスシーンでしめるのが常套でしょう」
「それが出来たら童貞じゃないさ」
 彼女は呆れた様に笑うと、「はい」と僕の手を握ってきた。
 僕は彼女の手を握り返し、引き寄せて軽くハグした。彼女の体が緊張で強張るのが分かった。
「マスター?」
「童貞でもこれくらいは出来るさ」
 そこで一瞬間が空く。
「今日一日、ありがとう」
 ありがとう。君はどんな事でも楽しもうとしていた。その姿勢が、どれだけ今日を楽しく染め上げてくれたか、君は知っているだろうか。
「私も、ありがとうございます」
「お別れだ」
「はい」
 いつか会えるだろうか、なんて愚問はしない事にする。
 会うよ、絶対。そう思う。
 手を振る彼女を見送り、僕は空を見上げた。
 雨は雪に変わったらしい。

       

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