Neetel Inside 文芸新都
表紙

タナトスの子供たち
失って、そして得て

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「助かった」
喉の渇きが限界点を超えようとしていた矢先、路上遠くに蜃気楼で揺らめく自販機の姿を確認した悟は、その渇ききった喉から声を絞り出した。
理性が失われていく。
真夏の熱で残りわずかとなった体力を振り絞って、その足を速めた途端、何かに足を捕られ路上に転び、熱せられたアスファルトに頬を擦り付けた。
「どうしたの悟、転んだの?」
「君の杖だよ。今日は僕がいるんだから要らないだろ。」
自販機を見つけたときの悟の心境は、今際の際に幸運にも灼熱の砂漠でオアシスを見つけたときの行商人のそれと同じだった。
ただ、行商人がラクダをそのまま置き去りに駆け出してしまうように、悟も自分の恋人を放り出してしまったのは仕方のないことだ、というふうには済ませられない。
彼女、フユは2年ほど前からだんだんと視力が低下し始め、一ヶ月ほど前に完全に失明してしまった。
原因は不明。
暗闇にはまだ慣れていないフユは、付き添いが離れれば不安がる。
「だって手を繋いでくれないんだもん。」
「汗で濡れてるから気持ち悪いよ、俺の手。」
フユが悟のシャツを掴んで、二人は再び歩き始めた。
「悟、この先の道の上に何があるのか教えてくれない?」
「それって何かの比喩?」
おどけて聞き返したが、悟はフユの顔に不快感が現れるのを見て取った。
「何にも誰にもぶつかりゃしないさ。こんな糞暑い日に外ほっつき歩いてる死にたがりの人間なんて僕らくらいだよ。」
「だって歩くのが怖いもの。お願い教えて。」
抱きつかれて懇願されたので、悟はしぶしぶ路上に目をやった。
「電柱が4本あって、5メートルくらい先にピンク色の三輪車が停まってる。」
「色は別にいいです。」
「あとは猫避けのペットボトルがたくさん、それから。」
「それから?」
「君の足元に犬のウンコ。」
フユは顔をしかめて、糞を白杖で払い除けようとするのだが、なかなか命中しない。
見かねたサトルが代わりに糞を蹴り飛ばした。
太陽に水分を奪われ乾ききっていた糞は、排水溝に転がり落ちていった。
 

     

 超心理学者・関京一は、このごろダーツに凝っている。
教授に昇格してから彼は、雑務一般を自分の助手にやらせているので、時間がたくさん余るようになった。
一日中大好きなダーツが出来るほどの暇が産まれたの良かったが、一方で、これまでの仕事のほとんどが雑務だったことが発覚して、関はげんなりしていた。
その矢先、いつものように関がダーツに興じていると、研究室にある、ただの置物と化していた電話が突然鳴った。
(電話は突然鳴るものなのだが、少なくとも関は突然に感じた。)
ともかく、教授に昇格して最初で「最後の」仕事はこうして舞い込んだのだった。



 「仕事の依頼はメールで受け付けるのが習慣になってたからさ、最初戸惑ったよ。そしたら聴こえてくるのが外人の声だもん、マジでビビったぜ。」
ダーツの矢のティップ部分を、真っ直ぐに整えていた関が言った。
「ベトナム戦争で従軍していたということですから、彼、今はもうかなりの年齢になっているんじゃないんでしょうか。パソコンを使えなかったんでしょう。」
怠惰な先学の代わりに本棚の整理をしていた几帳面な助手・長谷川が言った。
「そうか?せいぜい40歳くらいじゃないの。」
ダーツボードを凝視しながら真顔で関は答えた。
「するとすると、アメリカは生まれたばかりの新生児に拳銃を持たせて、ベトナムに送っていたというわけですね。これぞまさに総力戦ですね。」
長谷川は冷笑した。
「泣き声の代わりに星条旗を歌いながら産まれてきたって話しらしい・・・よッ。」
言い終わりかけたところで投げた矢は、ダーツボードの中心から大きく外れた。
ここぞとばかりにくだらないジョークを飛ばす関に長谷川は冷たい視線を向けた。
すると関は言う。
「だからさぁ、歴史とか過去のことなんでどーでもいいの、そういう主義なの俺はッ。」
2本目の矢はさらに中心から外れて刺さった。
「新時代の研究をやってる俺らがんなもん気にしてたら終わりよ、終わり。」



 研究室のドアがノックされた。
「ん、誰だろ。アマゾンで頼んでたやつ来たのかな。」
3本目の狙いを定めながら関が言った。
「アマゾンって・・・。博士、元米兵のスミスさんじゃないですか。」
「おいおい今日かよ。明日の予定じゃなかったか。」
関の慌てぶりに長谷川は呆れた。
「過去が嫌なら、せめて未来のことくらい把握しといでくださいよ。近い未来で構わないんで。」
長谷川の皮肉には耳を貸さずに、関は異国からの依頼人を出迎えに足早に扉へ向かった。
扉が開かれるとそこには黒のトレンチコートを身に纏う大柄な黒人男性が姿を現した。
彼は何も言わず二人の日本人に深々と一礼をした。
「ヘロゥヘロゥ、ミスタースミス。アイム ドクターセキ、ナイストゥミーチュー。」
関は投げかけていた最後の矢をポケットにしまい、スミスに握手を求めたが、長谷川がそれを制止して言った。
「先生、伝えるのを忘れてましたが、彼はリカバリアン(補填型能力者)です。両腕をベトナム戦争で失っています。」
そう聞いて関は、にんまりと口元を緩ませ、丁寧に一礼をした。
 

       

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