Neetel Inside ニートノベル
表紙

byex2ゲーム
第2部 チェス

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 12月29日、野口刑事の通夜が身内だけでひっそりと行われた。
テレビドラマでは刑事が殉職するシーンが多いが、
現実では一生に一度有るか無いかだ。
できればもう二度とこんな思いはしたくない。
どんよりと沈んだ空気の中で、一層落ち込んでいる男がいる。
野口と親しかった杉村栄治だ。
野口はキャリアだったが、
杉村は内藤のような対抗意識も特に持たず、よく面倒を見ていた。
 野口の最後の言葉は「車両の連結部分に穴が開いています。大きさは5・・・。」だったそうだ。
情報通り、最初に内藤が乗った電車の先頭車両と2両目の連結部分に、
30cmくらいの鋭利な刃物で切られた後があった。
 野口の死因は腹部に刺された注射器により注入された毒によるショック死。
司法解剖の結果、野口の体からは折れた注射針とヒスタミン、セロトニン、アセチルコリン、
ホスホリパーゼ、プロテアーゼ他、各種のペプチドなど複数の毒物が検出された。
 それらが重要な手がかりになると思われたが、捜査は進展していない。

     

 事件から一週間がたったが、犯人の要求はまだない。
「おはよーっす。あれ、杉村、お前今日非番じゃなかったっけ。」
「おはようございます。すいません、働いてるほうが気がまぎれるんで。」
杉村はさすがにまだ野口のことを引きずっている。
こういうとき空気を変えてくれるのは、いつも大久保さんだった。
「内藤、一文字、杉村、鉄ちゃん。最近忙しかったからな、仕事終わったら奢ってやる。
 5人でキャバクラにでも繰り出そうぜ。」
「空気を読めぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!そんなところで真面目な話ができるかーーーーー。」
内藤は今にもつかみかかりそうだ。
「内藤さん、落ち着いてください。こんなんでも本部長なんですから。」
 その横ではひとり我関せずと一文字がパソコンをいじっている。
「おい、コラ。何サボってんだ。少しは杉村を見習ったらどうだ。」
「内藤さんといっしょにしないくださいよ。ちゃんと仕事してますよ。」
「ほう、検索ワードのランキングを見るのが仕事か。」
内藤はディスプレイをのぞきこみながら皮肉たっぷりに言う。
「そこが素人の浅はかさですよ。
 今署内では"誘拐"、"首相"、"ゲーム"で検索して出てきたサイトを
 しらみつぶしに調べるローラー作戦を展開中ですが、
 それでは犯人にたどり着けないかも知れないんですよ。」
「そもそも犯人は自サイトを持ってない場合もあると言いたいのか?」
「まぁ、その可能性も無きにしもあらずなんですが。
 僕が言いたいのは、犯人のサイトがどのサイトともリンクしていない場合です。」
「リンクってなんだ。」
一文字は手帳に書きながら説明した。
「インターネットの世界が大きな海だとするとサイトはそこに点在する島みたいなものです。
そしてその島どうしを結んでいる橋がリンクです。」
話しながらも、手帳に書かれた丸を線で結んでいく。
どうやら、丸がサイトで線がリンクを表しているようだ。
「検索サイトで検索できるのはこのリンクでつながっているところだけです。」
一文字は線でつながっていない丸印を指差しながら、
「犯人のサイトがこの離れ小島だとしたら、今のやり方では絶対に発見できないということです。」
としめくくった。
「話をすりかえるな。検索ワードのランキングの話はどこいったんだよ。」
「いえ、ね、ランキングに聞きなれない言葉があったんで。」
「トリポクシルスディコトムス?なんだそりゃ。」
「それを今から調べるんですよ。」
そう言うと一文字はさっそく検索した。
検索回数が多い割りにヒットしたのはたったの8件だけ。
上から順番に見ていくと、そのうち7件はトリポクシルスディコトムスがなにか質問する内容だった。
「こっちが聞きたいってのに。」
一番初めに見たサイトに答えてくれている人がいたので、
トリポクシルスディコトムスがカブトムシの学名だと分かったが、
これがランキングの13位に入っているのが分からない。
 念のため8番目のサイトも見てみると、それは明らかに異質だった。
黒いバックに白いテキストが一枚、タテ、ヨコと書かれた下に数字がふられ、
クイズのようなものが箇条書きされている。
その下にはヒントと書かれ、大きな正方形の枠のなかに"ジユンカイトシヨカン"という文字と
白と黒の正方形のチェックがらが不規則にならんでいる。
「これはクロスワードパズルだな。」
いつの間にか井上が割り込んできた。
井上のクロスワードに対する嗅覚は、樹液に群がるカブトムシ並みかもしれない。
「内藤さん、これ、これ。」
一文字が画面を指す。
タテの271に"学名はトリポクシルスディコトムス"と書かれている。
「そうか。このクロスワードを解くために、たくさんの人が検索したんだよ。」
「いや、あんたじゃないんだから。大方いたずらか何かだろ。
 しかし、これ難易度高すぎ。」
「これは自分で■マスまで埋めていくタイプだから確かに難しいほうだが、
 親切なところもある。
 例えば、ヒントのところにある□は、クロスワードでは文字数が1のものは使えないから、
 □マスとして先に書かれているのだろう。」
「この"ジ"、"イ"、"ト"の文字の左肩に書かれている点みたいなものはなんだ。」
内藤がヒントに書かれている"ジユンカイトシヨカン"の文字を指でなぞりながら聞く。
「おいおい、年寄りはこんな小さいもの見えん。たぶん数字だとは思うが。」
「まだ年寄りって歳ではないでしょ。こんなもの僕にも見えませんよ。」
この中で最年少の一文字がフォローしつつ、
"ジユンカイトシヨカン"の文字をメモ帳にコピペする。
フォントの文字のサイズを一気に26まで上げると、つぶれて点になっていた文字が
数字であることが分かった。
"ジ"は"1"、"イ"は"27"、"ト"は"34"。
「この数字がそれぞれのタテヨコの問題に対応してるんだ。」
井上はそう言いながらマスを埋め始めた。
この男にクロスワードを与えてはいけない。
「仕事しろぉぉぉぉぉぉぉぉぉ。」
この日も捜査はあまり進まなかった。

     

そして、なぜ年明けそうそうにキャバクラなんぞに来ているのか、
内藤は自問自答している。
「もっとさぁ、初詣とか、居酒屋とかあるだろーに。」
「僕もギャグで言ってるのかと思ってましたよ。」
「あの人の性格を忘れてた。ありゃ、天然だ。おれも鉄ちゃんみたいに帰ればよかった。」
内藤はこういうところは苦手である。
最初は一文字としゃべっていたが、女達が割って入ってきて独占してしまった。
なるほど一文字は女に好かれそうな顔をしている。
杉村もそれなりに楽しんでいるようで、ひとり内藤だけが浮いていた。
 内藤の隣に3人目の女の子が座る。
きっと、また髪型の話から始まって、どこで髪を切っているのか聞かれたり、
服装を褒められたりするのだろう。
店のマニュアルの何も話してこない客の対応なのかもしれない。
職業病なのか、内藤はそんなことばかり考えている。
3人目の女の子も内藤のだんまりに耐えかねて、
5分ともたず交代した。
4人目の女は少し雰囲気が違って、
落ち着いたたたずまいのベテラン風の女性。
「ミユキです。私はなんて読んだらいい。」
「内藤隼人だ。好きなように呼べばいい。」
ミユキはの隣に座りながら、顔を近づけて内藤にしか聞こえないように囁いた。
「誘拐事件の話、聞かせてくれない。」
内藤は自分の仕事のことなど、話した覚えはない。
かまをかけたとしても、なぜ警官であるとバレたのだろう?
「あなたの個人情報が、ネットの掲示板にさらされているのを知らないの。」
内藤は何か得体の知れない恐怖を感じ店を出た。
警察の中に犯人と内通している人間がいる。
そうとしか考えられない。

     

 2週間が経ち、実行犯の男の取調べは既に始まっていたが、男はまったくしゃべらない。
黙秘権というものがあるが、自分の名前さえ名乗らない。
異常だ。
所持していた免許証から、男が"玉木猛士"という名前で、
山口県東萩で塾講師をしていたことが分かった。
玉木が所持していた携帯からは証拠となるアプリが発見されたが、
メールや着信履歴はすべて消されていた。
携帯電話から玉木以外の指紋が付いていたので、
前科者の指紋リストと照合したが該当者はいなかった。
それ以上捜査は進展せず、日数だけが無為に過ぎていった。
そんななか、ニュー速板が恐ろしいことになっていた。
再び犯人からと思われる書き込みがあったのだ。

"約束通り、総理大臣を貰い受ける。
1月10日、玉木のもっていた携帯を総理大臣に持たせて、
池袋のマンガ喫茶「プリズン」までひとりで来い。"

「今度は池袋か。」
 このことは桜田総理の耳にも入ったらしく、
人質になっている孫のためにも犯人の条件をのむことを承知したが、
内藤たち捜査本部は止めた。
「犯人が交渉材料である人質を殺害することはありえない。」
と説得し、まともな要求をしてくるまで様子をみようということになった。
 が、1月10日が過ぎて数日後、桜田総理あてに小さな封筒が届いた。
その中には切断された小指が入っていた。
DNA鑑定の結果、指は桜田総理の孫のものだということが分かった。
桜田総理は血相変えて警視庁に猛抗議した。
 警視庁に一番近い食堂で、内藤と本部長は少し遅い昼食をとっていた。
総理に直接応対した本部長が話の顛末を語っている。
「総理はもしあんな事件がなければ、
 その翌日の12月26日にお孫さんの家に遊びに行く予定だったそうだ。」
「総理大臣といっても普通のじいさんと同じだな。」
「家族っていうのはそういうもんさ。
 小指が送りつけられてから、たらことかソーセージが食べれなくなったらしい。」
内藤は気分を悪くして箸を置く。
「すまん、すまん。食事中にする話じゃなかったな。
 しかし小指を送りつけるなんて、昔の右翼みたいだな。
 案外、右翼の組織ぐるみの犯行じゃないか。」
「自分の指を送りつけたなら右翼っぽいが、人質の指だからなぁ。
 右翼に偽装しているだけじゃないか? 確かに俺もひっかかってんだ。
 例えば切断面が丁寧で、犯人の中に医療の心得がある人間がいると思うんだ。
 野口の殺害に使われた注射器や毒薬も、医療関係者なら容易に手に入るだろう。」
「しかし野口の体に残っていた針と一致する注射器は、医療用の中に無かったというし、
 該当する毒薬もここ一年で購入者もいないし、盗難届も出されていない。」
「そうなんだよなぁ、玉木の携帯からも証拠はでないし、手詰まりだよ。」
内藤はそう言うと食べかけのB定食を残して席を立った。
「おいおい、残すのかよ。もったいねぇなぁ。」
本部長はそう言いながら、内藤の残したたらことソーセージをたいらげた。
犯人の目的はいまだに見えない。

     

 玉木はいまだしゃべらない。
それだけでなくハングリーストライキまでしていた。
すでにハンストは2週間続いていた。
弱りきった玉木に点滴をしようとしても暴れて失敗してしまうという。
その玉木の尋問が内藤にも回ってきた。
「すまんな、この大変なときに。」
本部長はそういって内藤の肩を叩いた。
しかし、何もしゃべらない人間が相手では尋問のしようもない。
いっそのこと自分も黙ってみようと思った。
人間は長い沈黙には耐えられない動物である。
犯人と我慢くらべといこうじゃないかと気合を入れた。
 内藤は取調室に記録係の一文字と入ると、チラリと座っている玉木を一瞥する。
玉木の顔色はあいかわらず青ざめていたが、連日の尋問と無理なハンストのせいで
疲れ果て、20は歳をとってみえた。
玉木は内藤の方を向きもせずただ宙を見続けていた。
その視界をさえぎるように玉木と正対して内藤が座る。
内藤はじっと玉木と目を合わせている。
普通ならば目をそらしてしまうところだが、玉木は逆に内藤のことをにらみ返した。
 取調室というと窓のない薄暗い部屋に、
机の上にライトがひとつだけとどうしても想像してしまうが、
内藤が今いる部屋はひとつだけ窓があり、西日が入ってきて十分明るい。
ちょうど玉木の背中側に窓があり、日が傾き始めている。
既に2時間が経過しているというのに内藤はまばたきひとつせずに玉木を凝視している。
誇張表現だと思われるかもしれないが、少なくとも玉木にはそう見えた。
この静寂の中で一文字は息がつまりそうだったが、
記録係の自分が真っ先にしゃべるわけにはいかないと仕事に集中した。
とは言っても誰かがしゃべらない限り一文字の仕事はないのだが。
 やがて玉木の影が長く伸びて内藤の体に達しようというとき、
一つの変化が起こった。
玉木の表情は逆光のためうかがい知ることはできないが、
暗闇からギョロリとこちらを向いていた両の目が忽然と消えている。
玉木はすでに限界だったのだろう、器用にも直立不動の姿勢のまま寝息をたてていた。
内藤は玉木を起こすことなく、今のうちに一文字を交代させる。
一文字もそろそろ限界だろう。
代わりの記録係として種田が入り、隅の記録用の席に着いた。
 いったいどれだけ時間がたっただろう。
玉木はうたた寝からようやく目をさまし、周りを観察し始めた。
外はもう暗いのか窓にはカーテンが掛かり、蛍光灯が煌々とあたりを照らしている。
そして痛いほどの視線の源に、内藤がいた。
まるで時間を飛び越えて来たかのように姿勢を崩さず、こちらを眺めている。
このとき玉木は初めて無言に恐怖を感じた。
「こんなことをしても無駄だ。お前達は絶対に勝てない。」
早口でまくしたてるように玉木はしゃべる。
2週間もしゃべらないと、人はしゃべり方を忘れるのだろうか。
玉木の口調はぎこちなく、しかも早口だったので
速記の得意な種田でなければ書き留められなかっただろう。
少し長いが玉木の自白をここに記しておく。
「聞こえないのか、巷に満ちているこの怨嗟の声を。
 我々はどこにでもいる。
 農村にいる、路傍にいる、地下にいる、人ごみにいる。
 警察の中にだっている。
 我々のリーダーはついに試練を乗り越えた。
 リーダーは先頭車両と2両目の連結部分に潜んでいたのに、
 お前たちは見つけることができなかった。
 俺は東京駅で連結部分にあけた穴から携帯を受け取り、
 京浜東北線に乗り、田町で降りてそこから山手線に乗った。」
そこまで言って玉木は力尽きた。
とうに限界だったのだろう。
内藤は別室に控えていた医療班を呼び寄せた。
幸いただ気絶しただけだったので、今のうちに点滴をうたせた。
玉木の説明は全部が全部、信用することはできなかったが、
筋は通っている。
 しかしこの日以来玉木は昏睡状態となり、さらなる情報を引き出すことは難しい。
玉木の容態に関しては機密事項のはずだが、
ネットにはなぜか玉木が警察によって拷問を受けているというデマが飛び交っている。
内藤の頭の中に「我々はどこにでもいる。警察の中にもいる。」という
玉木の言葉が重くのしかかっていた。

     

 犯人はまた、同じような書きこみをニュー速に残している。
違いは日にちが10日から15日に変わったという一点。
さすがに次はスルーできない。
すれば人質にその報復が加えられることは明らかだ。
犯人の目的のひとつには杉村の携帯の回収があるはずだ。
それはつまり、まだ犯人に関する手がかりがこの携帯の中に眠っているということである。
猶予は明日までしかない。
 焦りからか内藤の足は早足になり、もう来ることはないと思っていたのに、
吸い寄せられるようにあのキャバクラに入っていった。
気になることもあったし、なによりあの女の化けの皮をはいでやりたい欲求に駆られていた。
警官の本能だろうか。
内藤はわずらわしいネオンをくぐると、まず店長に話しかけた。
「おい、あのみゆきとかいう女、この店は長いのか。」
「いえいえ、まだ半年も。」
「前はどこで働いてたか分かるか?」
「名前は失念してしまいましたが、なんでも、高級クラブで働いていたとか。
 教養があって、気も利きますので、うちとしてはいい拾い物でした。」
店長はゲヘゲヘと下卑た笑顔で語った。
 どかりと席に座ると、すぐにみゆきが隣に座る、店長がいらぬ気を回したようだ。
「内藤さん、こんな話知ってます。
桜田総理が自分が身代わりになるから孫を返してくれって、
 掲示板に書き込んだらしいんですよ。
 そしたら犯人のレスが、
 
 ゲームで負ける前だったらかっこいいセリフだったのにね。
 人質を帰して欲しければ、ゲームに勝つことだ。
 早くチップを渡してくれないと次のゲームが始められないよ。

 だって。
 一国の総理大臣をかけ金扱い。」
みゆきは無邪気に笑いながら、内藤の気をひけそうな話題を振ってきた。
しかし、内藤は見向きもせずに携帯をいじっている。
「んもう、聞いてるんですか。」
みゆきは携帯を奪い取ると、キャミソールの大きく開いた胸元から谷間に滑り込ませた。
「おいっ、なにやってんだバカ、お前は不二子ちゃんか!
 それは大切な証拠品・・・、あっ。」
口をつぐんだがもう手遅れだった。
携帯はすでに不可侵の聖域にある。
内藤は犯人の携帯から明日までに手がかりを見つけねばならないことを白状して、
携帯を返してもらった。
「内藤さんがいけないんですよ。そんな大切なものお店に持ち込むから。」
正論すぎて言い返せないので、内藤は話題を変えた。
「メールも履歴も消されてて、あと調べられそうなところってなんかないか?」
「テキストメモに適当にひらがな打って予測変換をみるってのはどう?」
「なるほど。犯人がどんな言葉をよく使うか分かるかもな。」
内藤はテキストメモに"あ"と入力すると、使用頻度が多い順に変換候補が現れた。
 上から順に、あなたは、ありがとう、ある、アルバイト、アンソロジー、熱々、熱、明日、新しい、あげる
・・・。
めぼしいものはない。
い、います、いってね、いつでも、遺跡、いる、妹、行く、いね、いかも、いいよ。
う、ウェブ、うちに、鬱、うん、うれしい、上、うち、裏、後ろ、動き。
え、円、映画、駅、延長、絵、英語、影響、営業、延期、エロ。
お、お願いします、おやすみ、おはよう、音楽会、お茶、お金、お疲れ、お疲れ様、思う、思い。
30分以上こんなことを続けたが、"と"にさしかかって見覚えのある言葉に出会った。
"トリポクシルスディコトムス"
あのクロスワードのサイトと犯人は何か関係があるに違いない。
「でかした。お手柄だ。」
「じゃあ、お礼はデートでいいですよ。」
「は?普通逆だろ。」
「そうですよ。普通はお客さんがデートしたいって言うんですから。」
 内藤さんはラッキーなんですよ。」
「感謝状じゃダメ?」
「ダメです。証拠品持ち出したのバラしますよ。」
とてもいい笑顔で言うみゆきは、怒った内藤の顔よりよほど凄みがあった。
「警官を強請るとはいい根性してるな。まいった、まいった。
 じゃあ今度店に来たらにしよう。」
そう言って内藤は店を出た。
内藤の足どりは決して軽くはない。
遅れてきたモテ期にとまどっているのだろう。

     

 1月15日当日、桜田総理の周りを少し離れて護衛の警官が5人いる。
内藤は指定された店舗が入っている8階建てのビルの二つあるエレベーターのうち、
向かって右側の入り口を見張っている。
左側のエレベーターには一文字、非常階段の下に杉村、ビルの入り口に種田、
大通りを挟んで向かいの6階立てビルの屋上に佐野が陣取っている。
 佐野稔は野口刑事の穴を埋めるため配属された。
と、いうよりは前の職場で意見の対立した先輩をぶん殴ったことが原因での、
栄転という名の左遷である。
佐野はオールバックにした髪を撫で付けながら、双眼鏡をのぞいている。
ここからなら向かいの七階がよく見える。
しかしマンガ喫茶には窓が無いので、どんなにその長身で身を乗り出しても
中の様子をうかがい知ることはできない。
 小指の一件以来、総理からの信用はすっかり失われているため、
マンガ喫茶の中までは付いてこないように言い含められている。
だから内藤たちは外で待機しているしかない。
幸い総理に盗聴器と発信機を仕掛けることには同意してもらえた。
 マンガ喫茶プリズンはこのビルの7階に入っていて、隣は居酒屋になっている。
総理は慣れないそぶりでマン喫の中に入って行った。
中は薄暗く、犯人がどこにいるか分からない。
とりあえず受付を済ませ、個室に案内してもらった。
総理は意外と広くこぎれいなところだったので安心した。
犯人がここを指定しなければ、一生来ることが無かった場所にいる総理大臣。
人生何が起こるかわからない。
 内藤はしばらく、桜田総理と連絡をとり続けたが、やがて返事が途絶えた。
何かに驚いていた様子だったので、もしかしたら盗聴がばれたのかもしれない。
発信機まで外されたら追跡できなくなる。
それどころか総理に危険が及んでいたしたら。
そう考えた内藤は突入を決意。
左のエレベーターが下に来ていたので、近くにいる一文字に先に行くように指示した。
「十分気をつけろよ。」
とは言ったが大丈夫だろう。
ぜんそくという持病を抱えてはいるが、一文字の銃の腕は署内一である。
右のエレベーターを待っている間に杉村に連絡をいれる。
「非常階段からマン喫に向かってくれ。」
入り口にいる種田にも援護にくるようにと声をかけた。
ようやく来た右のエレベーターに内藤は飛び乗る。
これで犯人の逃走ルートは全部潰した。
やむなくマン喫に突入したがもぬけのからだった。
突如として消えてしまったのだ。
彼の孫と同じように。
「入り口を閉めて、誰も出ないようにしてくれ。」
内藤は店員に警察手帳を見せながら言い、
大声で個室にいる客全員にカウンター前に集まるように言った。
くつろいで漫画の世界に浸っていた客たちは、急に現実に引き戻された。
 内藤は一文字に個室をひとつひとつチェックするように命じ、
後から来た種田にはトイレを調べるように言う。
内藤自身は客を足止めしながら、店員に総理を連れた奴が店から出なかったか聞いていた。
店員も見ていないという。
そもそも自分達が全周囲を監視していたのに、いったいどうやって犯人は逃げたのか?
客にも怪しい人物を見なかったか聞いていると、種田が慌てて戻ってきた。
「やられました、犯人は隣の店から逃げたようです。」
話を聞くと、トイレは隣の居酒屋と共用になっていて、
トイレ前の通路から居酒屋に抜けられるという。
 しかしまだ佐野がいる。
向かいのビルの屋上に待機させている佐野ならば、ビルから出る犯人たちを目撃しているはず。
そのとき、入り口の扉が急に開かれた。
杉村が非常階段を上がってきたにしては早すぎる。
「なんでお前がここにいる。」
内藤のその問いはもっともだった。
扉を開いたのは杉村ではなく佐野だったのだから。
「命令でしか動けない奴は刑事失格ですよ。」
どうも自己判断で突入したらしい。
こういう奴は大久保本部長ひとりで十分なのに。
内藤は自分の部署が問題児のたまり場になっていくのを嘆いた。
「くそっ、まだ近くにいるはずだ。降りて周辺を捜査しろ。」
ハァハァいいながらようやく上がってきた杉村には気の毒な命令だった。
この日、犯人も総理も見つからず。
後日、マンガ喫茶プリズンから借りた顧客リストからも手がかりはつかめなかった。
 総理大臣が消えて国会は騒然となった。
桜田総理は後継を指名していなかったため、総裁選が行われることとなったが、
野党は反発、解散総選挙を要求した。
結局、折衷案として桜田内閣で財務大臣だった上野が臨時総理大臣を兼ねるということで
折り合いが付いた。
この1月16日の政変は多くの国民に不信感を抱かせた。

     

 警察を手玉にとる犯人たちの人気は日増しに高くなり、
逆に失態を繰り返す警視庁の面目は地に落ちた。
ここにきて、狙いすませたかのようなタイミングで再び犯人からの書きこみがあり、
ニュー速板は祭り状態に突入。
以下ここに犯人の書きこみを全文引用する。


桜田総理はまだ生きているのに、臨時総理大臣をたてているバカな政府に告ぐ。
決着をつけようじゃないか。
あなた方が勝てば、桜田総理は返そう。
ただし我々が勝てば、現行の大臣をすべて罷免し新内閣を発足させる。
次のゲームはチェス。
ルールは普通のチェスと同じだが、駒の代わりに人間を使う。
知っての通り京都の街は碁盤の目のような構造をしている。
チェス盤の代わりは京都の街。
西大路通を左端として、左から順に京浜京都線の二条~丹波口の延長線、千本通、
堀川通、烏丸通、川原町通、東大路通、白川通を縦軸とし、哲学の道を右端とする。
八条通を下端として、下から順に七条通、花屋町通、五条通、四条通、
三条通、御池通、丸太町通を横軸とし、今出川通を上端とする。

 西 京 千 堀 烏 川 東 白 哲
 大 浜 本 川 丸 原 大 川 学
 路 京 通 通 通 町 路 通 の
 通 都       通 通   道
   線
 ┏━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┳━┓今出川通
8┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃
 ┣━╋━╋━╋━╋━╋━╋━╋━┫丸太町通
7┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃
 ┣━╋━╋━╋━╋━╋━╋━╋━┫御池通
6┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃
 ┣━╋━╋━╋━╋━╋━╋━╋━┫三条通
5┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃
 ┣━╋━╋━╋━╋━╋━╋━╋━┫四条通
4┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃
 ┣━╋━╋━╋━╋━╋━╋━╋━┫五条通
3┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃
 ┣━╋━╋━╋━╋━╋━╋━╋━┫花屋町通
2┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃
 ┣━╋━╋━╋━╋━╋━╋━╋━┫七条通
1┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃
 ┗━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┻━┛八条通
  a b c d e f g h

例えば黒のキングの場所、d8は川原通、烏丸通、今出川通、丸太町通に囲まれいる地域、
つまり御所のあるあたりだね。
指し手は交互に掲示板に棋譜を書き込んでいく。
細かいルールはふつうのチェスと同じだから、省略。
2月13日、京都にて待つ。


「むちゃくちゃだ。」
「奴らはこの国を乗っ取ろうとしているのか?」
大胆不敵な犯行声明はネットの住人たちを歓喜させた。
 警視庁は京都府警と連携し、今回の事件に最初からかかわっていた内藤らと、
京都府警の選抜組とによる、特別チームを編成し、京都に拠点を移した。

     

「あの犯人の奴。人間すごろくの次はチェスだと。ふざけやがって。」
「今度は大丈夫だ。こちらにも強力な助っ人がいる。
特別チームの参謀ともいうべき男。柳田武警部補だ。」
本部長がその大柄な体格を揺らしながら、
いかにもインテリそうな眼鏡の男を連れてきた。
柳田は署内のチェス大会で二度も優勝しており、
今回の事件にうってつけといっていい。
人は自分に無いものを求めるのか、本部長は柳田を信頼しきっている。
内藤は相手がキャリアというだけで、とても仲良くできそうもなかった。
 今度ばかりは警察に分があるだろう。
前回と違いゲームの内容が分かっているため、あらかじめ対策がたてられる。
さっそく京都の街を下見しにいくことにした。
「内藤さん、京都の街はうちの庭のようなのようなもんです。俺に案内させてください。」
「佐野か。そういや前は京都府警だったんだよな。それなら頼もうか。」
 二人連れ立って京都府警察本部を出ると、すでにパトカーが回してある。
「よくおめおめ帰ってこれたもんだな、佐野。京都なら自分が案内しますよ。」
運転席側のパワーウィンドが開き、でっぷりとした男が顔を出した。
特別チームの京都府警選抜組の中にいた顔だが、とっさに思い出せない。
「もういいじゃねぇか。いっしょにいけば。」
助手席からさらに一回り大きな男が声をかけてきた。
この男も見覚えがある。
やはり京都府警の選抜組にいた。
名前はたしか倉木心太。
するとイモヅル式に運転席の男の名も思い出された。
倉木の息子の倉木周平だ。
どうりで体格が似ているわけだ。
体格は似ているが、親の倉木心太のほうは三国志にでも出てきそうな英雄豪傑の風格がある。
これでは息子のほうがかすんでみえてもしかたない。
内藤はそう思った。
 結局四人でいくことになってしまい、車内は異様な緊張感が生じている。
特に佐野と周平は仲が悪いらしく、あれから一言も交わしていない。
そんなことはおかまいなしに、佐野は倉木心太を紹介し始めた。
「倉木警部補はさすまたの使い手です。俺も叩き込まれたから、師弟のような間柄です。」
さすまたとは先端がY字型になっている棒で、凶器を持って暴れている現行犯を、
相手の間合いに入らずに胴体を壁に押し付けて拘束するのに有効な道具である。
あまり聞きなれない方も多いだろうが、警察官でもめったにお目にかかれない代物だ。
 佐野と倉木警部補が談笑しだして車内の空気はましになったが、周平の怒りが再燃する。
「その恩を仇でかえしたんだ、お前は。」
話を聞くと、佐野が殴った上官というのが倉木警部補だったらしい。
これは怒っている周平のほうが正常な反応で、
殴られた相手と普通に話せる倉木心太がよほど豪胆過ぎるのだ。
 北大路通が左に折れて、修学旅行の大定番、金閣寺が見えてくる。
観光に来たわけではないのでそのまま通り過ぎたが、
周平がバスガイドのように説明してくれたので雰囲気は味わえた。
「金閣は室町幕府三代将軍足利義満が造営した別荘で、
 後に夢窓国師を開山として禅寺になります。
 三層からなる楼閣の初層は寝殿造りで義満の居室、
 二層は鎌倉時代の武家造りで観音を安置、三層は禅宗仏殿造り。
 二、三層は見ての通り漆塗りの上に金箔を施しています。
 残念ながら昭和25年に一度は焼失しますが、昭和30年には復元されています。」
どうやら周平は本部長が気に入りそうなタイプの人物のようだ。
京都観光庁も真っ青な周平のトークは内藤の眠気を加速するばかりだった。
「金閣寺というのは通称で、正しくは北山鹿苑寺と言うんですよ。」
負けじと佐野も学のあるところを見せようとしたが後が続かない。
また佐野と周平の言い合いが始まり、すっかり眠気は覚めてしまった。
 この後、龍安寺、嵐山、北野天満宮と回り、途中一度京都府警察本部に戻っている。
本部で生活安全部のサイバー犯罪対策室に寄ると、選抜組の山口五郎とすれ違った。
面長に細い目、典型的なしょうゆ顔のあまり目立たない男だが、
何を考えているのかまったく読めないポーカーフェイスが印象に残っていた。
内藤はあの車内に戻るのは沢山だったので、山口を道連れにしようと誘ってみた。
「山口も同じ特別チームなんだから一緒に来ないか?」
山口は軽く会釈すると、ボサボサの頭をかきながら通り過ぎていった。
「すまんな。あいつは無口なんだ。」
どうやら佐野と周平の仲の悪さは署内で知らぬものはないようだ。

     

 決戦の当日2月13日、犯人からの書きこみはまだない。
「それで駒の動きは覚えたんですか、内藤さん。」
柳田が捜査本部から待機中の内藤に無線をいれる。
「いや、まだ。だが盤面の下見は完璧だぞ。
 昨日倉木警部補たちに案内してもらったからな。」
「ほう。どこにいかれました。」
「まず金閣寺に行って、龍安寺、嵐山、北野天満宮、途中一度京都府警察本部に戻って
 銀閣寺でシメた。」
どうだと言わんばかりの内藤の顔に、冷や水を浴びせるように柳田は言い放った。
「全部、犯人が指定した盤面の外じゃないですか。
 あなたは観光するために来たわけではないでしょう。」
内藤は墓穴を掘ったことと昨日の一日が無駄だったことを後悔した。
「まぁ、いいじゃないか。駒の動きは覚えなくても。
 俺らは君の指示に従うだけだ。」
「岡目八目という言葉があります。
 ゲームをしている当事者よりも第三者のほうが冷静に見れるものです。
 何か気付いたことがあれば連絡してください。」
どうやら口では柳田にはかないそうもない。
 ゲームが始まるまでまだ時間があるので、
内藤はその間に素直に教えてもらうことにした。
「チェスにはキング、クィーン、ビショップ、ナイト、ルック、
 ポーンの6種類しか駒がないので覚えるのは難しくないですよ。
 まず、キングの動きは前、右前、右、右後、後、左後、左、
 左前の周囲8マスに動けます。」
「将棋の王将と同じ動きだな。」
「クィーンは前、右前、右、右後、後、左後、左、左前ならば
 どこまででも進めます。」
「飛車と角行を足したような動きと。」
内藤は自分の言葉にして、警察手帳にメモをする。
「ビショップは右前、右後、左前、左後、左前、斜めならばどこまででも進めます。」
「角行と同じ動きか。」
「ナイトは前に動いた後、右前、左前、右に動いた後、右前、右後、
後に動いた後、右後、左後、左に動いた後、左前、左後と動け、
 4方8ケ所同じように他の駒を飛び越していくことができます。」
「これは難しいな。4方に桂馬の動きってところか?」
「ルックは前、右、後、左、まっすぐならばどこまでも進めます。」
「これは分かりやすいな。飛車の動きだな。」
「ポーンは前に一歩だけ進めますが、
 相手の駒を取るときだけ右前、左前と動けます。」
「動きは歩兵といっしょだが、前にある駒は取れないんだな。
 しかし何で犯人はチェスを選んだんだろうな。
 囲碁とか将棋のほうが一般的だろ。」
「犯人が他のゲームを選んでいたら……ちょっと待ってください。
 書き込みがあります。犯人からのようです。」
 たった二文字書き込まれている。
  "e4"

     

「なんだこれは?」
「これはチェスの棋譜の記号です。
 チェス盤は一番下の一行目から順に数え、左からa列、b列と数えるんです。
 ですから、e4は下から四行目左から五列目のマスです。
 チェスの棋譜は動いた後の位置を書くので、
 e4はe2のポーンを2マス前に動かしたという意味です。」
「って、いきなりポーンが2マス進んでるじゃねーか。
 話が違うぞ。ポーンは前に1マスだろ。」
「すみません。言い忘れてました。
 ポーンは一歩目は2マス動かせるという例外があるんです。
 一歩目に1マスだけ動いてもいいんですけどね。」
柳田は間を置かずe5と書きこみ、京都市役所あたりにいるポーン役の種田に前進を命じた。
 河原町通をパトカーで直進し、
右手に織田信長の最後の地として知られている本能寺が過ぎていく。
三条通を横切り右折して交番に入る。
種田は四条通を挟んで向こう側にいるであろう、まだ見ぬ犯人がわのポーンの
方を向いて睨むように対峙した。
 その間にもゲームは続いている。
Nf3といつのまにか犯人の書き込みがある。
「大丈夫なのか?」
「まだ始まったばかりです。これは典型的なオープンゲームです。」
そういうと柳田はNc6とレスを返した。
「Nc6のNとはナイトの駒のことです。」
「ナイトの頭文字はKだろ。」
「Kはキングの駒で使っているので、ナイトはNです。」
柳田はナイト役の井上に指示する。
 井上は指示された通り神泉苑に急行した。
ここからは二条城がよく見える。
御池通の向こう側はもう二条城の敷地だ。
しかし、井上は見向きもせず一心不乱にノートパソコンに向かっている。
犯人の手がかりに繋がると思われる例のクロスワードを解いているのだ。
37×37マスの大作の上、
■マスも自分で埋めなくてはならない難易度の高いものだったが、
水を得た魚の井上は9割がた埋めてしまった。
ただ1問だけ解けないカギがある。
ここだけ他のマスから孤立しているのでまわりから解くこともできず、
ヒントも"最後に残った。"だけである。
 井上がうんうん悩んでいる間にもゲームは進む。
Bb5という犯人の書きこみにa6と返す柳田に内藤が急かす。
「ちっとはクイーンの駒も動かせよ。」
「あなたは自分がクイーン役だからそう言ってるだけでしょう。
 クイーンを取られでもしたら致命的です。
 序盤にクイーンは動かさないのがセオリーなんですよ。」
だんだん内藤が邪魔になったのか、
柳田はスペイン布局がどうのこうのと露骨に専門用語を使い出した。
ついには内藤からの無線を切って、
西大路病院に近い交番に配置していた警官にa6へ前進を命じた。
 警官は西大路通を直進し、
三条通りを横切りさんじょうぐち駅が見えるあたりでパトカーを降り、
徒歩で西大路通を南下する。
怪しい人物を見逃さないように。
犯人側のビショップ役が西大路通より向こう側にいるはずだが、他にもいるかもしれない。
犯人は書きこみに従わず駒が勝手に動いた場合も一手としてカウントすると警告している。
これはこちら側の動きを知っていなければできないはずである。
つまり駒以外にも監視役の人間が配置されているはずだと考えて、
警官は自分の周りも調べているのである。
 しかし、内藤は別の可能性も睨んでいた。
少し前から警察の個人情報がネット上にさらされている。
もし警察内に裏切り者がいたら。
その裏切り者が書きこみ通りに駒が動いているかどうか監視していると考えることもできると。

     

 内藤は柳田に相手にされず、自分の駒が動くこともなく、
もてあまして一文字に無線をかけた。
「聞いたぞ、クイーンはなんかすごく大切な駒らしいじゃなねーか。
 直前で気まぐれに代ってくれなんて言うから、おかしいと思ったんだ。
 お前はすぐ楽しようとして。」
もともと内藤の駒はナイトであり一文字がクイーンの駒で、
一文字の提案により入れ替わったのだ。
であるから今は内藤がクイーンで一文字がナイトである。
ついでに言うならばもう一つのナイトの駒は井上で、
ビショップは杉村と佐野、ルックは山口と倉木心太、
当然キングは本部長の大久保である。
「アハハ。僕は喘息持ちなんですから、勘弁してくださいよ。
 内藤さんだって自分の駒がダジャレで決まったみたいで
 いやだっていってたじゃないですか。
 あっ、僕の駒が動くみたいなんできりますね。」
そう言って一文字は無線をきった。
 またもや話相手を失った内藤は、今度は井上に無線をかける。
尋問したあの男の言葉がまだ耳に残っている。
警察の中に裏切り者がいるという。
思えばできすぎている。
犯人の手がかりが井上の趣味のクロスワードだったり、
佐野の前の管轄が今回の舞台の京都だったり。
「どうしても一問だけわからないんだ。"最後に残った。"ヒントはこれだけなんだ。」
内藤が疑いの目を向けているとも知らずに、井上はのんきなことを言っている。
「他は全部埋まってるんだろ。そこから犯人の手がかりはつかめないのか?」
井上は黙ってしまった。
おそらく何もつかめていないのだろう。
そもそもクロスワードが解けたところで何が手がかりになるというのか。
しかし内藤の疑いは、思わぬ形で晴れることとなった。
今ゲームが動こうとしている。
 皮肉にも井上を一番見ていた内藤は、誰よりも先に井上の駒が取られることに気が付いた。
犯人は駒を取られた場合その役の人間がどうなるのか明言していない。
胸騒ぎがした。
「鉄ちゃん、動くな。」
内藤は叫びながら井上のもとへと急ぐ。
「来るな。」
井上は強い語気で内藤をたしなめる。
「そこから動けば、人質の命はどうなる。」
乾いた破裂音がして無線はそこできれてしまった。
しかし内藤はあきらめず柳田に無線をかける。
「柳田、クイーンで鉄ちゃんの駒を取ったナイトを取れ。」
あまりの剣幕に押され、柳田は言うとおりに"Qh4"と書き込む。
内藤は急行し、
まだ近くに狙撃した犯人が潜んでいるのもおかまいなしに井上のもとに駆け寄る。
井上の銃創はひどいが急所はすべて外れていた。
「すまない。俺はあんたを疑っていた。疑っていたんだ。」
井上はまだ意識が残っていた。
「いいんだよ。内藤、希望はまだ……残って……いる……ぞ。」
内藤が来るのを待っていたかのように、井上はそれだけ言うと力尽きた。

       

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