Neetel Inside ニートノベル
表紙

Hから始まる恋心
14.arditamente -大胆に-

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 眉根に皺を寄せて牙をむく女の子より、眉を八の字にして思案顔で僕の身を案じてくれる女の子のほうが、いいに決まってる。
「あの、何かあったんですか? 随分汗をかいてますけど」
 そんなわけで、僕は身体を向ける割合を6対4で羽月寄りにして「ごめん、道端でおじさんに道を聞かれて……」などと言い訳にすらなってない弁明をした。花火は案の定呆れかえって目を丸くした後、僕の薄っぺらい台詞を健気にも信じかけている羽月を引っ張ってつかつかと店内に入っていってしまう。そんなに蔑まなくてもいいじゃないか。おじさんに絡まれたこと自体は虚構じゃないのだ。まあ絡まれはすれ、道を尋ねられたわけではないけれど。そんな独白をチラリと頭の隙間にはさんでから、これ以上夏の日差しに迫害を受けるのはまっぴらごめんだと、僕は腕で額の汗を拭って店内に踏みこんだ。
 涼しそうなガラス張りのドアを押して一歩進むと、埃っぽい空気が半そでから伸びる腕をひんやりと撫ぜて心地よい。今まで自然培養の日光コントラストを目にしていたせいか、仄かに薄暗い店内に目が慣れるまでには数秒を要した。
「凛さーん、いますかー!」
 見れば、おびただしい量の楽譜やアンティークな音楽的小物に四方八方囲まれ目を輝かせているブロンド美少女の横で、花火が声を張り上げている。よく通るいい声だ。
「……いないのかな?」
「裏庭か二階じゃないのか? この時間帯に山の上まで登ってこようなんていうお客も少ないだろうし、ここにいなくたっておかしくはないさ」
 僕の言葉に、今度は天井を仰いで声を張る花火。
「凛さーん!」 
 いや、二階にいるなら既に届いていると思うが。そう突っ込みをいれようかと逡巡した時だ。入口のドアが空き、入店してきた凛さんとぱったりかっちり目があった。
「……!」
 そして彼は、手に持った可愛らしい如雨露を木目の床にカランと落とす。
「あ、どーも。お久しぶりです、凛さん」
「……夜野さん」
 長年閉じたままだった記憶の引き出しがぱっと開かれたような、そんな唐突な驚きに満ちた声を出したまま、凛さんは立ちつくしていた。視点を花火に戻せば、その隣で初めて社会科見学に来た小学生のごとくかしこまって上目づかいにこちらをチラチラ窺っている羽月が微笑ましい。僕だけが一人、三者三様珍妙に固まった光景を冷静に、しかし苦々しく眺める形となった。決して心地よいとは言い難い空気が場を支配している。
「えっと、ちょっと会いにこなかったからって、そんなに驚くこともないんじゃないんですか?」
 それを打ち破った花火は、戸惑いを含む笑顔を顔に浮かべて頬を掻いた。しかしこの場合は腹話術の人形よろしく口をぱくぱくさせる凛さんに同感だよ、花火。その仕草はダウトだ。
「あ、ああ、そうだな。少し仰天が過ぎたきらいがある……」
 言いつつ、錆びたロボットのようなぎこちない動作で彼は足元の如雨露を拾う。陰になって見えないその表情も、頬を伝う一筋の汗が雄弁に物語っていた。
 僕だって、彼の立場なら同じことになるに違いない。
「……こんにちは、凛さん。僕のこと見えてます?」
「え? あ、安部君! 君もいたのかい」
 どうやら本当に見えてなかったようだ。僕を視界に認めた凛さんは、提出間際の宿題を写させてくれる友人を発見した学生のような顔にぱぁっとなって、へらへら笑った。よかった、と口に出さなかったところは彼の褒められるべき点だろうと思うが。
「それで、今日は何の用かな?」
 僕と花火はいいとして、見知らぬ存在である羽月を上から下まで目で精査しつつ、凛さんは僕にそう聞いてきた。
「今日は凛さん自慢のあれを触りにきました!」
 しかしそれに応えたのは花火だ。とりあえず、その言い回しは大丈夫なんだろうか。
「ええっ? あれをか?」
 元気な、元気すぎる彼女に凛さんは再びたじろぐ。そしてばつの悪そうな仕草で少し顔を伏せながら、目だけで花火を見て言った。
「いや、だがしかし君の右手は……」
「やだなあ、私じゃありませんよ。この子です」
 ブロンド少女の後に移動しながら、にこやかに話題の軸を逸らす花火。二人だけの会話で自分に矛先が向くことはないだろうと油断していたのか、突然両肩に手を乗せられた羽月は整った顔を強張らせた。
「へっ?」
「……君は?」
「あ、あの、その……」
 胸の前で手をすり合わせながら、困った彼女は僕に助けを求める視線をよこす。そういえば、素性を明かしたくないんだっけ。
「あー、僕の知り合いの――山田です」
「や、山……?」
 おい馬鹿、話を合わせろ。目で言う。
「あ、いえ、はいっ、山田ですっ!」
 明らかに動揺している山田羽月だが、同じく動揺が収まっていない凛さんにはそれを看破するだけの余裕もないみたいだった。大丈夫だろうか。
「そうか、山田さんだね。よろしくお願いしよう。いつまでも立話は疲れるだろう、そこの椅子に座りなさい」
 凛さんの指してくれた木製の丸テーブルには、丁度三つ椅子がある。お言葉に甘えて、僕らはそこに腰かけた。彼には似合わない如雨露を雑貨棚に片付けた彼は、部屋の奥へ消えたと思ったら今度はお盆にコップを三つ乗せて戻ってくる。
「外は暑かっただろう、飲みなさい」
「いただいてよろしいんですか?」
 羽月は驚いたように凛さんを見上げた。
「よろしくなければ出さないよ」
 笑いながら、僕と花火の前にも冷たい麦茶を置いてくれる。 
「山田さんはハーフなのか?」
「……母方に少しイギリス人の血が」
 麦茶を見つめたまま、羽月は答えた。それが僕には少し意外だった。そういう質問の仕方なら回答してくれるのか。
「音楽、やるのかい?」
「……少しだけですけど」
「ふむ」
 歯切れのよくない回答に、凛さんは唸ってお盆を脇に抱えた。
「まあ、安部君と夜野さんが連れてくるくらいだ、期待してもいいんだろうね」
 期待、という言葉の孕む不穏当な気配に、羽月は怯えるように目を潤わす。
「……あの、私、何かしないといけないのですか?」
 僕はそんな仔犬の彼女に意地悪く笑いかけて、首肯した。
「大丈夫だよ、ピアノを弾いてもらいたいだけだから」
「ピアノ、ですか」
 きょとん、とする羽月。話がわからないという顔だ。見せたいものがあるからといって連れてこられたのに、ピアノを弾けと言われたのだから、その反応も当然と言えば当然か。
「はーちゃんの演奏には期待してるぞー」
「え……」
 花火も悪乗りして縮こまる天使にプレッシャーをかけた。
「そういうわけだ」
 優しく語る凛さんを見て、なんとか事態を呑み込もうとしている。
「……あの、一つだけ良いですか」
 どうやら考えるほど自分に不利な場の空気に流されまいとしてか、羽月はおずおずと手をあげた。
「お金とか、普通こういうお店でピアノ弾かせてもらうなら、かかるんじゃ?」
「ああ、お金ね。安心してくれ」
 それには凛さんがあっさりと答えた。
「子どもから金を取る気はないからさ、タダだよ」
「子ども……」
 そういえば、僕も凛さんに同じ質問をしたことがあった。あの時は、まだら模様の薄ぼけた空気の中で、花火がはじけるようなピアノを弾いていたっけ。今と同じように返されて、子供心にムッとしたのを覚えている。今の羽月もちょうどそんな感じで、食糧を蓄えるリスのようになっていた。まあ、凛さんから見れば今の僕だって十二分に子どもだろうから、さらに幼く見える羽月を子どもと称しても不思議はないさ。
「さ、そろそろ隣りに移ろうか」
 何にせよ、凛さんのその声が合図になった。羽月を含む僕らは立ち上がり、青いベストの後姿に連なっていく。こよなく古いギターやバイオリン、サックスやフルートに彩られたセピアでアーケイックな音楽のトンネルを抜けて、ドアを隔てたもう一つの部屋へと揃って足を運んだ。
「わあ……」
 紳士にもドアを押さえておいてくれた凛さんが後ろ手にそれを閉めてから、感嘆に声を上げたのはやはり羽月だ。
「ピアノだ」
 一方で、僕には彼女の声がかすかに遠く聞こえていた。夕刻に差し掛かった西日をほんのり浴びながら、まろやかに佇む黒の楽器から、目が離せなかったからだろう。
 それは、一年ぶりに再開した、懐かしいピアノだったから。
「……懐かしいなあ。ね、えーちゃん」
 肩が触れ合いそうな距離で、だけど心は触れ合いそうにない、花火はそんな感じのことを言った。勿論、懐かしいのだ。それには寸分の違いもない。ただ、このピアノの音色を聴けなくなった原因がここにいるのだから、ただ単に懐かしい、では済まないはずないのである。懐かしいの先に、彼女と僕の真実があるはずなのだ。だけど、今は僕の時間でも、花火の時間でも、ましてや幽霊の為の時間でもなかった。
 今は――
 気付けば、羽月がいつの間にか吸い寄せられるようにしてベートーヴェン椅子に腰かけている。さっきまでの脅えた様子とか、子どもと言われた時のふくれっ面とか、普段の幼い仕草とか、全てが霧散していて、もはや彼女は別人のような厳かな空気と共にそこに存在していた。明るいような暗いような部屋に差し込む陽光が、彼女の存在をいっそう際立たせるスポットライトになっている。始まる前から、僕は息を飲んだ。蓋も既に開いているし、とうの昔に準備は整っているらしい。そしてふわりと指を乗せて、羽月は気が付いただろう、このピアノがどういうピアノであるのか。仄かに笑顔を垣間見せて、そしてそのまま一瞬だけこちらを――花火をチラリとみて、また鍵盤に顔を向けて。そして「決めた」と小さく呟いて。
 ブロンドの天使の指先から、不安定な音の粒がとろとろと流れだした。

       

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