Neetel Inside ニートノベル
表紙

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 子供の頃の俺というのは自分で言うのも何だが超がつくほど正義感が強い子供だった。
 誰に言われるでもなく理不尽に虐められる弱者は守り、その対極に位置する自分勝手な強者には立ち向かうという、今の俺からは想像も出来ない、そんなヒーロー気質な性格。
 その所為で上級生に目を付けられることはしばしばあったが、それでも同級生からの評判はすこぶる良く、低学年の頃は友達が100人いたのでないかと思うほど人気者で、本当に365日人と遊ばなかった日は無かったと断言出来るほどの順風満帆な生活を送っていた。
 そんな中でも特に仲が良かったのは咲乃と、もう1人はユウキという男の子だった。
 幼女咲乃は実は今からは想像出来ないほど活発で、恐らく今時の家でゲームをして育ってきたようなもやし男児よりはよっぽど生傷の絶えない生活を送っていたような奴で、対してユウキは小学校2年生の夏休み明けに引っ越して来た転校生だったのだが、筋金入りの引っ込み思案な性格が起因して、転校生というちょっとした有名人ポジションにありながら学校では全く友達が出来ず、いつも教室の隅で本を読んでいるような根暗な子供だった。
 けれど、当時の俺の性格やユウキの家が真向かいにあったというのもあってか、俺が咲乃を連れて家にけしかけたのをきっかけであっさり仲良くなり、気がつけば常に3人一緒に行動していたといっていいほど、深い絆で結ばれた関係になっていた。
 今思い返してもあの頃は毎日が本当に楽しくて、多分俺の人生の中で一番輝いていた瞬間だと自負しても問題は無いだろう、弱者に崇められながら強者を制す、そして周りには自分を信頼してくれる仲間もいる、さながら革命家のような気分であったと思う。
 恐らく大人にはまだ数字にして2桁もいっていない年齢にも関わらず、そんなある種の気味の悪さを感じさるような、ませたクソガキに見えたであろう。

 そんなある日のことだった。咲乃が大事にしていた玩具のペンダントが無くなる事件が起こったのだ。
 そのペンダントは俺が咲乃の誕生日の時にあげたもので、よほど嬉しかったのか、咲乃はそれを四六時中大事そうに身につけて『たからもの』と自慢していた。
 どうもそのペンダントが体育の授業から戻ってきたらなくなっていたらしい、そんなに大事なら体操服のポケットに入れとけよと思ったが、多分何かの拍子にポケットから出て無くしたり、汚れるのを嫌がったのだろう、スカートのポケットにしまっておいたようだった。
 勿論俺はユウキと一緒に探し回った――もちろん誰かが盗んだ可能性も考慮して学年問わず沢山の人に、時には声を荒げて訊き回ったりもした。
 が、結局ペンダントはおろか有力な情報さえも聞き出すことが出来なかった。
 その内咲乃も『探してくれただけで十分だよ』と言って諦めてしまい、結局後腐れが残ったままこの件は終わりを迎えようとしてしまっていた――
 ――俺が、ユウキの部屋で咲乃のペンダントを見つけなければ。
 全く持って理解が出来なかった、思考が停止したと言ってもいい、でも、それは当然であろう、あれだけ仲の良かった、固い絆で結ばれていた筈の、自信を持って親友と呼んでいたその友が、あろうことか同じ親友である咲乃の宝物を盗んでいたのだから。
 言うまでもなくショックだった、同じ状況なら誰だってそうだろう、信じていた仲間に裏切られることほど悲しく、辛いものはない、その中に大人子供は関係ない。
 だから俺は酷く怒り、猛ってしまった。立場的に弱き者を守らねばならないヒーローが感情的に、問答無用に、か弱い子猫に正義を執行したのだ。
 でも、どうしようもなかったのだ。その時の俺には彼が敵に、強者に見えてしまっていた。
 それは、俺が強弱大小に関わらず、悪いことをした奴は総じて悪者だと思っていたから。

 無論、これをきっかけとして俺はユウキの間には巨大な溝が出来てしまった――そして彼はまた教室の隅で本を読む生活に逆戻りしてしまったのである。
 被害者であるにも関わらず、咲乃には『ペンダントのことはもういいから』と何度も仲直りするように言われたものだったが、『正義』の観念に捕らわれ過ぎていた俺は変に意固地になってしまい、咲乃説得も虚しくいつまで経っても互いを隔てる溝は埋まらなかった。
 そんな状態が続いていた3年生の夏休み前、ユウキが突然転校することになった。
 いや、突然という言い方はおかしいのかもしれない、というのも後から聞いた話だが彼の家庭は転勤が日常茶飯事だったのだ――実際この学校に転校してくる前にも既に2回も転勤を重ねていた。
 だから、それは突然ではなく――必然だったのだろう。
 けれど大人の事情など子供の俺は知る由もない、だから唐突以外のなにものでもなかったのだ、ましてや彼と絶交状態にあったのだから尚更である。
 ――正直どうしたらいいのか分からなかった。
 俺は自分がやったことに一切の間違いはなかったと信じていた。それがたとえ生涯の友と誓い合った仲間であろうとも、悪事を働いたのであれば過去の思い出なんて全部、総じて、偽りだったのだと、そうとしか思えなかった。
 だから、ヒーローを誑かせんとする怪人には正義の鉄槌を下して当たり前なんだと、信じて疑わなかったのだ。
 でも、それでも、だとしても、俺と咲乃とユウキが一緒に遊んできた絶世の日々があったことに嘘偽りはないのだ、それが表面的であったとしても、もう二度と戻って来ないのかもしれない、修復不可能になる一歩手前まで来ているのだとしても――それを考えると不思議と胸がキリキリと痛み出すのも事実だった。

 その胸中をユウキが転校する当日、迷いに迷った末に咲乃に打ち明けたらビンタからの上段蹴りをされて怒られた。
 聡ちゃんはずるいって、そんなの正義という名の盾で守りながら自分の考え方を押しつけているだけに過ぎないよって、本当の正義は相手の気持ちを分かってあげなきゃいけない――ユウキがどうしてあんなことをしたのかもっとよく考えて――悪いことにでも何か事情があるときだってあるんだよって、目に大粒の涙を溜めながら言われてしまった。
 まさに寝耳に水、その言葉にショックを受けたのは言うまでもなかった。というのも、悪にも事情があるだなんて馬鹿げた話、絶対に無いと思っていたからだ。
 しかも、同時にそれは所詮受けいりの主義とはいえ、俺の根底にある生き方を否定されているようなものだったのだ。信じる信じないの問題ではなく、信じる訳にはいかなかった。
 けれど、現に俺の正義が原因で目の前にいる彼女は泣いてしまっていた――仲間で、親友である筈の彼女を――ならば俺の正義は間違っていたのだと、認めざるを得なかった。
 思えば咲乃の方がよっぽど正義で、大人だったのだ。
 なら子供だから仕方ないと片付けて、あっさりとやり直せばよかったのかもしれないが、いきなり俯瞰的に物事を見れるようなら今頃こんなことにはなっていないだろう。
 だから中途半端に大人ぶり、悦に浸ってしまっていた俺は実に哀れに、何も言えずに項垂れるしかなかった、当然これからユウキに対して何をすればいいのかも、分からぬまま。
 その様子を見かねたからなのか、それとも純粋に後押しをしてくれたのか、それは分からなかったが、咲乃はくしゃくしゃになりかけの顔を元に戻すかのように笑うと、こう言った。
『けど、こんなの嫌だって、辛いって思っているなら、まだ大丈夫、聡ちゃんはヒーローでいられるよ』



「……う……ん……?」
 目を覚ますと何故かリビングに仰向けになって寝ていた。
 へ……? 俺何してたんだっけ、確か飯を食おうとして、それで――
「…………オイコラ咲乃ボケテメェ、何故俺が座ろうとした瞬間に椅子を後ろに下げるなどという新春期イキりたい盛りの中学生がやるようなしょうもない悪戯をしやがった」
「何を言っているんだい。僕がチ○コイジりたい盛りの中学生がするような一方的愚行を犯す訳がないだろう、これは聡ちゃんが僕に仕掛けた無差別攻撃に対する報復だ」
「ほう、今日の晩飯に肉料理が入っていないだけで俺は気絶にまで追い込まれるのか、これは震えが止まらんな、USAの圧倒的軍事力を眼前で見せつけられたような気分だ」
「ふふふ、だろう? これに懲りたなら明日は必ず唐揚げにし給えよ」
「そうだな、前向きに検討させて貰うとしよう」
 明日は精進料理パーティだな、亀甲縛りにして無理矢理食わせてやる。
 ――それにしても昔の夢を見るなんて、まるでジジイだな、俺。
「ユウキ――か」
「肉料理が無いならアメリカンドッグを食べればいいじゃない」と戯言をほざきながら俺のズボンに手をかけようとする咲乃を引き剥がすと、独り言のようにそう呟いた。
「ん? 随分と懐かしい名前だね、ユウちゃんか……もう彼とは10年も会っていないか」
「やっぱり咲乃も覚えてるか、ユウキのこと」
 割と痛む後頭部を押さえながら起き上がると、倒された椅子を起こし、一応咲乃を警戒しながらようやく座る。
「聡ちゃんより圧倒的に記憶力が優れている僕が忘れていたら明日は日本沈没だよ――それに、あれほど筆舌に尽くしがたい日々を記憶から抹消出来るなら是非とも教えて欲しいね」
「そりゃそうだな、もしかしたら記憶喪失しても忘れないかもな」
 大体俺が最も輝いた日々でもあったんだ――それが鈍い輝きだろうと、忘れはしない。
 忘れては、いけないのだ。
「一時期は心配で仕方なかったけど、最後はちゃんと仲直り出来たみたいだしね」
「そう……だな」
 そう。
 俺はあの後ユウキに会いに行った、素直な気持ちを伝えに行く為に。
 けれど、本当のことを言えばそれで仲直りしたかといえば、微妙なのだ。
 もちろんそのことは咲乃に話していない、別に咲乃に言えないような内容だったから、という訳ではない、ただ言いたくなかったのだ、単純に自分のしたことが照れくさかったというのもあったけどそれ以上に――咲乃に迷惑をかけたくなかったから。
 だからそれ以降僕はヒーローごっこを辞めてしまった、噂によればそれによって学年中が騒然としたらしいけど……、今思い返しても信じられない話である。
 ……そういえばあれから一切モテなくなったな。
「ユウキの奴、元気にやってるかな」
「あの人見知り具合は病的だったからね、あのまま成長していたら引きこもりにでもなっていてもおかしくないところだ」
「お前がそれを言うか」
「失敬な、僕は人見知りではないしコモラーでもないよ、ちゃんと学生だし『神名川人生相談事務所』を営業しているだろう、聡ちゃんの網膜は捏造された神経情報でも送っているのかい?」
「単なる慈善活動までも職業とするか、最近は依頼なんて全く来てない癖に」
 あと俺の人体組織を否定するのは止めろ。
「まあ、極論を言えば別に引きこもりでも構わないのだけど」
「え、そんなあっさりと認めるのかよ」
「なんたって僕の隣には聡ちゃんがいるから、寂しくないしね」
 そうさらりと言うと、すまし顔で俺の膝の上に乗っかる咲乃。
「……え、いや、何やってんだよ」
「何を恥ずかしがっているんだい、僕と聡ちゃんは恋仲なのだからこれぐらい当たり前のスキンシップだろう? もしかしてずっとリアルお飯事をしていたとでも思っていたのかい?」
「……いや、そんなことはないですけど……」
 お前の愛情表現はどストレート過ぎるんだよ、受け止めきれねーんだよ。
「だから僕は幸せでたまらない、もちろんあの頃だって幸せだったよ? でも今だってそれに引けを取らないほど幸福で、至福で、陶酔してしまっているんだ」
 俺の胸に身体を預けながらそう言い切る咲乃の顔は、充実感に満たされた優しい顔をしていて、あまりの可愛さに一瞬呼吸の仕方を忘れそうになる。
 ……そうか、なんだかんだいっても俺と咲乃も5年以上もの間疎遠だったんだ。
 それを俺は別に一般的なことだと思ってあまり気に止めていなかったけど、咲乃はこんなにも心待ちにしていた――こうしてまた出会えるのを、願って止まなかった。
 ずっと、ずっと1人で――
「――だな、その上でいつか3人で話せる機会があれば、言うこと無しだろうな」
「案外その日近いのかもしれないけどね」
「? どういう意味だよ」
「なんでもないよ――っと、さて、イチャラブもこれぐらいにしてそろそろ夕食にしようか、早くしないと折角聡ちゃんが作ってくれた糞まずそうな肉無し料理が更にまずくなる」
「『文句言うんやったら食べんでええ』って子供に言う親の心境が今痛いほど分かったわ」

 俺は咲乃の最後の言葉を軽い気持ちで受け止めていた。
 正直に言えば聞き流していたと言ってもいい。
 だからこそ、1ヶ月後本当にユウキと再会した時は心底驚いたものだった。
 でも――それは幸福の始まりではなく、不幸の始まり。
 夏休みの2分の1を一瞬で終わらせた、悪夢の幕開け。
 焦熱地獄が現世に実在するのなら、もしかしたらこれなのかもしれない。

       

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